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用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第四章 立ち寄った地で

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90-出会いが導く先

改訂:遺跡は一層はほぼ雑魚。二層がある意味本当の入門編。そして三層から本番。
 
「――見慣れない顔だな。あの船で来たのか? いいね、外の話を聞かせてくれよ。おれは大星(ダーシン)、見てのとおり龍華人だ。上陸祝いにあんたも呑もうぜ。……なに、呑めない? なら食えばいいだろ。呑めない奴はいても食えない奴はいない」

 大星(ダーシン)と名乗った男は邪気のない笑顔でそう言った。

 くせのある焦げ茶色の髪を短く後ろで束ね、少し垂れ目の妙に人懐っこい顔つきをしている。背丈は蔵人とそう変わらない。服の合わせが肩にあり、詰め襟と腰に巻いて垂らした青い帯はモンゴルの民族衣装に似ていた。

 あまりの屈託のなさに蔵人は表情こそ変えないがたじろいだ。ここまで無防備に間合いを詰めてくる相手は日本にいた頃から数えてもそう多くない。
 横にいたフランコが軽口を返す。
「食えない奴はいるだろ、ここに」
「なに言ってるんだ、おれは呑むのも食うのも好きだぞ?」
「……そういう態度が食えないって言ってるんだよ」
「おれはただの貧乏商人さ。そういうあんたこそ色々やってるらしいじゃないか」
 フランコは何も言わずに肩を竦めた。
 遺跡の地下にいるときよりも幾分態度が柔らかいのは仕事が終わったせいである。

 大星は蔵人に向き直り、
「もう潜らないんだろ? 今日はおれの奢りだ、あんたも一緒に行こうぜ」
 するりと腕を取って引いた。
 悪意を感じさせない言葉に、間合いの自然な詰め方と腕の取り方は抗いがたい力が働いていた。強引でもなく、さりとて弱いわけでもなく。
 隣のフランコを見ると黙ってついてきており、最後の頼みとばかり雪白を見ても、奢りという言葉に反応してか大人しくついてきていた。
 船の上では好きなだけ呑むこともできず、結局遺跡でも暴れることができなかったせいか、相当に鬱憤が溜まっているらしい。雪白の背にへばりついているアズロナは言わずもがなである。
 雪白が警戒しないということがトドメとなり、蔵人は力を抜いて、大星になされるがままに引っ張られていった。


 白霧山遺跡は地下が『迷宮』、地上は岩山となっている。
 その岩山をくり抜いて作られた街はそもそもは集落程度のもので『岩奇窟』などと呼ばれていたが、龍華国によって少しづつ開発され、現在の遺跡都市『岩奇街』とまで呼ばれるほどになったという。

 龍華側の壁の上部に作られた明り取りから差し込む夕日が刻々と薄れていく。それに合わせ、街の一角に連なる夜店がぽつらぽつらと小さな明かりを灯していった。
 龍華語や片言の外国語が飛び交っている。雑多な喧騒の多くは龍華人で、全体の二割ほどが国外の者たちであった。

 蔵人たちが大星に案内されたのは、ほぼ龍華人しかいない粗末な夜店が軒を連ねる一角だった。
 大星は立ち並ぶ屋台の中から馴染みらしい店に一声かけ、黒酒という安酒と適当な料理を注文し、屋台の回りにある椅子を蔵人たちに勧め、自らも座る。
 すぐに給仕の娘が目の前の長机に黒酒の酒壺と酒器が置いて、大星がフランコと蔵人の酒器を酒で満たした。

「――海を超えた奇縁に」
 大星とフランコが微かに杯を掲げ、蔵人もそれにならう。
 すると二人はそれを一息に呑み干すが、蔵人は一口呑んだだけでその酒精の強さに閉口してしまった。
 あとは自由にとばかりに大星、フランコが酒壺からそれぞれ勝手に酒を注ぐ。
「で、あんたの名前を聞いてもいいかい?」
「……クランド。でっかいほうが雪白、その小さいのがアズロナだ。どっちも賢い。噛まれたり、泣かれたくなかったら相応の扱いをしてくれ。何もしなければ害はない」
「……噛まれるのもしんどいが、泣かれたら出入り禁止になりそうだな」
 大星の視線の先にはアズロナがいた。
 すでに無自覚な愛嬌を振りまいて給仕の娘を虜にし、焼いた肉の切れ端をもらって頬を膨らませていた。こんな状態のアズロナを泣かせでもしたら、給仕の娘に何をされるか分からないだろう。

「あんたも財布は大丈夫か?」
 蔵人の視線の先には雪白が、まずは腹ごしらえとばかりに肉にかぶりついている。
 注文などしていないと、大星は目を剥いて驚いていた。
「……あ、ああ。しかしどうやって」
「尻尾だ。あれでなかなか手癖が悪くてな」
 一塊の肉をペロリとたいらげた雪白は悪口を言った蔵人を尻尾でぺしぺし叩きながらも、じっと大星を見る。
 じっ、と見る。
 じぃっと見る。
 何を言いたいのか言わずとも分かってしまうのはいいことなのか、悪いことなのか。大星はそんな風に思いながらも答える。
「……好きに注文してくれ」
――ぐぅあ
 雪白は礼とばかりに一つ鳴いて、狭い屋台の出入口に首を突っ込んだ。
 最初に肉塊を注文したときこそ小さく悲鳴をあげた老店主だったが、慣れてしまったのか、もう動揺は見られない。
 雪白はその長い尻尾で老店主が作りかけの鉄鍋を指す。そこには大きな肉塊を油で揚げ、甘酢をかけたものがあった。
「ああ、これか。これは別の客のだから、少し時間がかかるけどいいか?」
――ぐるぅう
 さらに尻尾が酒壺を指す。
「あいよ、持って行きな」
 雪白は嬉しげに酒壺に尻尾を巻きつけ、店から首を抜いた。
 そして蔵人がちびちびとしか呑んでいない黒酒をごくりごくりと呑み始めた。

 一部始終を見ていた大星は、どんな顔をしていいか分からないと言った様子で蔵人に向き直った。
 蔵人がいつものことだと言うとしばらく考えていたが、考えるだけ無駄だと気づいて別のことを話しだした。
「あんたは見たところ白系人種のように見えるが、武芸者、いや探索者かい?」
 ハンター協会や探索者ギルド、傭兵仲介業組合のない龍華国ではハンターや探索者、傭兵は全て武芸者と呼ばれていた。

 ここでは探索者でいいか、と蔵人は頷いて問い返す。
「あんたは?」
「辺境を回る貧乏商人さ。最近は何か商売のネタでも転がってないかとここに来たが、なかなかないもんだな。……というのは建前で単純に外の国に興味があって、ここでこうしていろんな奴に話を聞いてるのさ。なんでもいいから教えてくれよ?」
「……と、言われてもな」
「あんたは何しにこ――」

「――おう、大星、とんでもねえもん連れてきたな」

 いつの間にか、周囲が騒がしくなっていた。
 大星の言葉を遮って現れたのは、鰐の皮をなめしたような茶色い鎧を着た猪系獣人種だった。ミド大陸の革鎧と違って、肩当て部分が平たく二の腕を覆い隠すほどにあり、鎧の各所には鋲が打たれていた。

 男は近くの椅子を引き寄せて乱暴に座るが、目は雪白を警戒していた。
「心配しないでくれよ、高震(ガオヂェン)のおっちゃんよりも頭は良いし、酒も強そうだよ」
「てめえっ!」
 どんっ、と大星に高震と呼ばれた猪系獣人種が拳を長机に叩きつけた。
「――オレより酒が強いたァ、どういうことだっ!」
「……そこなんだ」
 大星は楽しげに笑う。
「こいつより頭が悪いのを探すほうが大変だろうよ」
「確かに酒は強いが、頭は小鬼とどっこいどっこいだろうよ」
「おうよっ」
 いつのまにか集っていた中年武芸者共がちゃちゃを入れるが、高震が自分でも認めてしまい、ガハハハと大きな笑いが起こる。

 武芸者、商人、人夫たちが次々と現れ、大星に声をかけ、ときにはその輪に参加する。あまり裕福そうではない格好の者が多いが、大星は楽しげに言葉をかわしている。いつのまにか大星が中心になって酒宴が回っていた。

 蔵人はそんな光景を眺めながら、いまだ警戒を残し、酒は一杯呑んだきりで適当な料理をつまんでいた。初見の人間に対する警戒感、いやただの人見知りか。
 そんな蔵人の気質を察したのか、大星もあえて絡んでこないようであった。今近づけば周囲の人間も蔵人に絡むことになるのだから。

 そこへ猪系獣人種の武芸者である高震が、一人ぽつんと座っていた蔵人に近づき、
「――呑みな」
 空になっていた蔵人の酒器に酒をなみなみと注いだ。大星の連れであるということで高震なりに気を使ったらしい。
 蔵人は注がれた黒酒を一口だけ、唇を濡らす程度に口に含み、酒器をコトリと置いた。
 それを不服そうに見る高震。
「……呑めねえってのか」
「呑めない。あまり酒に強くないんだ」
 言葉は通じているはずだが、その意味が食い違っているらしく、高震は蔵人を酔った目でぎらりと睨みつける。

 黒酒は強い。
 蔵人がエルロドリアナで呑んだ蒸留酒(ヴォギラ)よりも強い。その酒精の強さと舌に残る苦さは一口呑むだけで眉間に皺が寄る。
 だが年長者から差し出された一杯目の酒は飲み干さなくてはならない。呑めないならば呑み干した盃は伏しておかなければならなかった。
 大勢で呑むなら楽しみながら、勧め合って呑むべきだ、という龍華人の社会通俗である。それが年長者から勧められたものならなおさらであった。
 蔵人は当然そんなことを知る由もないが。

「――まあまあ、おっちゃん。クランドは今日来たばかりでここの流儀なんて知らないんだよ」
 男共と話していた大星が不穏な空気を敏感に察して、間に入る。
「今日? 知らねえよっ、ここは龍華だっ。龍華の流儀に従えないやつぁ帰れっ!」
 高震は頭に血が上っていた。
 種族的に怒りっぽいという部分もあるが、白霧山遺跡では時折見られる光景でもある。文化摩擦というやつだ。

「……そうか」
 蔵人は高震の目を見返す、こともなく、席を立とうとする。
 ドロリとした酔客の半眼は苦手だったが、脅される云われはない。が、あえて争う理由もなければ、ここに留まる理由もない。
 しかし結局、立てなかった。立つ必要がなくなった。

 ――長い尻尾がひょいと長机の上の酒盃を奪って、呑み干したのだ。

 雪白はそのまま酒盃をずいと高震に差し出す。
 もっとよこせ。
 言葉は分からずとも、酒呑みがその動作の意味を分からないわけがない。
 高震は馬鹿でかい魔獣である雪白を警戒することも忘れ、差し出された酒盃に気圧されるように酒壺の酒を注ぐ。
 だが、注がれた酒盃はそっとテーブルに置かれ、雪白は高震の手から酒壺を奪うと、それを一気に傾けた。 

 雪白の喉は、物騒な音を立てて黒酒を吸いこんでゆく。まるで鳥か兎を丸呑みしているようであった。
 一幅の掛け軸よりも現実離れした魔獣の様子に、みな雪白を食い入るように見つめた。
 黒酒を酒壺ごと一気などそうそう出来るものではない。

 げふっ

 酒壺を呑み干した雪白は、高震に挑発的な目を向けた。
 高震は蔵人のことなどさっぱり忘れて怒鳴った。
「――おい、親爺、酒だ、壺ごとよこせっ」
 空気を読んだ給仕の娘がすぐに黒酒を持ってくる。
 それを乱暴に受け取ると、高震は雪白を一睨みしてから、酒壺を呷った。

 大柄な武芸者である高震が口の端から黒酒を溢しながら、酒を嚥下していく。
 口の端からだらだらと黒酒をこぼし、そして、壺から口を放した。

 ニヤリ、と挑発的な笑みを雪白に向け、しかし倒れた。机や椅子を巻き込んで、真っ赤な顔で卒倒する高震。
「おいおい、妖獣に張り合って負けるなよ」
「本当に頭良いな。高の奴と比べるほうが間違ってるな」
「よっしゃ、呑むべ、呑むべ」
 男たちは差して気にした様子も無く、二人がかりで高震の足をずるずると引いて隅の暗がりに適当に捨てると、テーブルや椅子を元に戻す。
 そして何事もなかったかのように、雪白を交えて再び呑み始めた。

「いやぁ、すまん。本当にすまん。おっちゃんは酒癖が悪くて、短気なんだよ」
 大星が間に入るのが遅れたことを詫びる。
「……気にするな。単なる習慣の違いだ、お互い様だろ」
 さすがにこれだけ色々な地域を流れてくるとこういったことにも慣れ始めていた蔵人。いちいち全ての習慣にならうこともないが、それをもって臍を曲げ続けるということもなくなってきていた。
 それと無意識ではあるが、この大星という人物に興味を抱き始めていた。

「そうか。……ところで、なんでこの国に来たか聞いてもいいかい?」 
「サウランに行くつもりだ。……砂漠が見たくてな」
「へぇ、ということはしばらくいるんだな。それにしても砂漠か。龍華の東部にもあるが、外のもんは入れないしな。龍華語も喋れるようだし、居留地の関係者かい?」
 探りを入れるような言葉だが、大星にそんな様子はない。ただただ純粋に聞いてくるという感じである。
 そして蔵人も今気づいたが、大星はユーリフランツ語ではなく龍華語で話していた。翻訳能力で意味が通じてしまうため、言語を変えたことに気づくのが遅れた。それほど大星のユーリフランツ語が流暢だったともいえる。

「ただの……元流民だ。運よく身分証明を得て、ハンターそして探索者になっただけのな。雪白のお陰で食うに困らなくなって、時間があったから勉強しただけさ。そういうあんたも随分とユーリフランツ語が上手いな」
 痛くも無い腹を探られるのは面倒だと蔵人は本当のことを言った。
 しかし大星は流民と聞いてもなんの反応も示さず言葉を返した。
「ここに入り浸って、フランコや他の探索者にしつこく話しか――」

「――なぁにくっちゃべってやがる。てめえも呑めっ」
 言葉を遮られ、また中年のおっさん共に攫われる大星。そこには雪白もいて、黙々と呑んで、食べていた。
 蔵人は気にしてないという風に大星を見送る。

 仄かな行灯の下で、大星と男共が馬鹿話をし、雪白が酔客と呑み比べをし、アズロナがもきゅもきゅとテーブルのつまみを美味そうに食べている。時折、給仕の娘や武芸者らしき女がその鬣を撫でて、餌付けしていった。

 蔵人はいつも思うが、雪白やアズロナが受け入れられている姿を見るのは心地よかった。自分だけが人の社会に馴染んでも不十分なのだ。
 雪白たちが馴染めて、ようやくその社会との始まりで、その『始まり』が始まる予感めいた瞬間というのは、何度見ても飽きるものではない。

 蔵人はひとり、輪を外から眺めて楽しむ。
 周囲の喧騒も、どこからか吹き込んでは抜けていく生ぬるい夜風も、醤油を焦がしたような匂いや揚げ油の匂いも、悪くなかった。日本にいた頃、夏祭りを眺めながら独りで酔い潰れた暑い夜のようで、懐かしすら感じた。

 すると、何かが聞こえてきた。
 弦を擦る、伸びやかな音色である。
 軽い酔いと懐かしさに身を委ねていた蔵人は、その音に耳をすませた。

 風が、吹いていた。
 果てしない蒼穹が広がり、青々とした草原を揺らしている。
 その空と大地の狭間を、たった一頭、馬が駆けていく。
 駆けて、駆けて、駆けて。
 いつまでも、駆けていく。

 見たこともない草原に懐かしさや哀しみすら思わせる調べは、蔵人にそんな情景を夢想させた。
 誰が奏でているのか。
 蔵人は音曲の出どころを探した。

 夜店から少し離れた場所に一人の女が座っていた。
 馴鹿(トナカイ)系獣人種、龍華風に言うなら鹿人族。
 白樺の枝にも似た白い鹿角と小さな鹿耳。まっすぐに切り揃えられた前髪と腰まである髪は白い。柔和でありながら、凛とした気配を漂わせていた。
 赤地に橙色の大華が刺繍がされた衣装に鮮やかな青い帯が映えている。
 大星と同じ型の服で露出もないのだが、それよりもぴったりとした布地は均整のとれた身体のラインを浮きあがらせ、まるで別の衣装のようですらあった。

 女は足を閉じて座り、膝に楽器を乗せ、棹に左手を添え、右手には二本の弓毛が張られた弾き弓を握っている。ニ弓二胡と呼ばれる膝に乗せた楽器の全長は、女の角の先端ほどもあった。

 美しい女だった。
 音だけでなく、美しく伸びた背筋も、楽器を奏でるその仕草も。
 どれほど聞き入っていたか、気づけば誰もが耳を傾けていた。
 荒くれも、飲兵衛も、フランコも、大星も、雪白やアズロナでさえ。

 そして曲が一つ、終わる。
 女は周囲を見渡してから、再びを弓を弾いた。
 今度は軽妙な、まるで仔馬が草原でじゃれあうかのような曲であった。
 男たちが、楽しげに呑みだす。
 喧騒が戻ってきた。

 どれだけそうしていたのか蔵人は夢から覚めるように、雪白たちを探す。
 二人とも肉と酒を与えられて、すっかりホロ酔いである。
「……誰だ、アズロナに酒を呑ませたのは」
 アズロナはふらふらと頭を揺らしながら、大きな一つ目を潤ませて、

――ぎょーん ぎゅぎゅぎゅー?

 喉の奥から聞いたこともないような鳴き声を発していた。
 蔵人がジトリとフランコ、大星、雪白の順に見ると、大星と雪白が目を逸らした。
 呆れる蔵人。
 船を漕ぎだしたアズロナを抱える。蔵人が曲と女に没頭している間に、すっかりとへべれけにされてしまったようで尻尾どころか首もクターと伸びてしまっていた。



 夜店の灯りがぽつぽつと消え、山奇窟はその分だけ薄暗くなっていく。二十四時間営業などなく、おおよそ日を跨ぐ前後に多くの店が閉店する。白霧山遺跡に出入りするための門はすでに閉じられていた。

 だが男たちはまだぐだぐだと呑んでいる。
 付き合ってられん、と蔵人はいまだ未練がましい目を酒壺に向ける雪白の尻尾を引っ張り、夜店の軒先の隅に陣取る。
 今から宿を探すのは面倒で、ここで夜を明かすつもりであった。
 すっかり酔いが回って寝てしまったアズロナを抱えながら、ようやく酒を諦めた雪白を背にする。
 ふと、女が座っていた椅子を見た。
 二弓ニ胡を奏でていた女の姿は、もうない。遺跡の門が閉じる前に去っていった。


 帰り際、女は紺色の外套を羽織った。
 その外套は北部風の男性が着るものであった。いささか武骨な外套であったが、露出のないタイトな紅い服装とのコントラストは非常に目立っていた。
 周囲にそんな服装をしている者はいない。市井の人々は大星のようにもう少し緩やか服装をしているし、色合いも地味であった。
 女が男物を、龍華人が北部風を着こなす様は颯爽としていた。
 蔵人は薄らと酔った頭でその姿を眺めていた。



 翌朝、夜店の軒先で雪白を背に寝ていた蔵人は冷たい空気の流れに目を覚ました。
 酔いつぶれ、まさに死屍累々と言った様子の周囲を見渡して苦笑しながら、立ち上がってなんとなしにぽてりぽてりと歩いてみる。
 朝の喧騒はすでに始まっていた。
 朝市には岩奇街で商売する者や武芸者が溢れていた。中には外から来たと思わしき商人や北部人の姿もちらほらと見受けられる。

 蔵人は今日も潜るつもりで、何が必要かと考えながら朝市を歩く。
 外国人向けには硬饅頭、龍華人の武芸者向けに笹干飯が並んでいた。それに岩塩や醤砂のような調味料といった遺跡内の携帯食が売られている。笹干飯とは米類を中心とした雑穀を笹と一緒に蒸して、それを乾燥させたものでる。

 蔵人は好奇心に任せて醤砂や岩塩、笹干飯を店主の言い値で買おうとすると、つい先程まで道端に転がっていたであろう大星に止められた。
「外国じゃあどうなのか知らないが、ここでは言い値で買うと損をするんだ」
 そう言って手早く蔵人から必要量を聞きだすと、二つ三つやりとりして、言い値の半分以下の値段で買ってしまった。
 ちなみに、蔵人の持つ現地通貨は斑海蛇の素材を傭兵隊長に買い取ってもらって得たものである。次の船が出る間の最低限の生活費くらいにはなっていた。

 一(こう)銭が千枚で、一(かん)銀。
 一環銀が百枚で、一(てい)金。
 それぞれの貨幣を細かく分類するなら、半環銀、四半環銀、大蹄金などもあったりする。
 庶民などの多くは釦銭で事足りた。たまに見るのが環銀というくらいで、蹄金など多くの者が持ったことなどなく、必要ともしない。

 大星に礼を言って、自前の布袋に入れてもらった買ったばかりの食料を担ぐ。食料を持たずに遺跡に入るなど不自然極まりないため、食料リュックに入れるのは遺跡に入ってからであった。
「どれくらい潜る予定なんだ?」
「三日ってところか」
 大星は少し考えてから、
「――そうか。時間があったらまた呑もうぜ。今度はしっかり外のことを聞きたいから、静かなところでな」
「……割り勘なら」
 蔵人の言葉に大星はぽかんとしてしまう。
「奢りっていうのは気味が悪い」
「……あ、ああ、それでいいなら」
 じゃあな、と蔵人は踵を返した。
 その後ろから、二日酔いでぐずっているアズロナを背中にへばりつかせた雪白が、昨夜十人ばかり呑み比べで酔い潰したことなど微塵も感じさせないしっかりとした足取りでついていく。
 不意に、大星の腰がポンと叩かれた。
 大星は気配すら感じなかった尻尾に呆然としながら、雪白がちらりと向けてきた目の意味がなぜか分かってしまった。
 酒のうまいところな。
 なんとも人間臭い雪白に唖然としながら、大星は蔵人たちの背中に見入っていた。



 蔵人は探索者ギルドの資料室で改めて白霧山遺跡の概要とそこに生息する魔獣を調べ、格安で売っていた一階から五階までのマップを買った。
 持ち込む道具は前回と同じなら記録の必要はなく、手間取ることなく蔵人は遺跡の中に足を踏み入れた。


 蔵人は洞窟を進む。
 完全踏破や遺跡の宝といった探索者らしい目的はない。
 探索者になったのは、ハンターよりも面倒に巻き込まれずに現金を稼ぐためである。
 強いていえば、アズロナの腹部を保護する蛇腹鎧があったらいいいなという程度のもので、遺跡を潜るのは誰に見られることなく、生きていく術を開発するためであった。


 あまりにも、無防備な歩みだった。
 蔵人は駆けるような速度で早々に二層へ降り立ったが、速度をかえることなく二層を進んでいた。
 二層に大きな罠がないのは地図の情報で分かっていたが、他の探索者や武芸者が見れば呆れること間違いなしである。

 洞窟の壁から突如として矢が飛びだし、蔵人の横っ面に突き刺さった。
 罠の有無を探りもしていないのだから当然だった。
「ん?」
 だが蔵人は何事もなかったかのように立ち止まり、張っておいた自律魔法の障壁に弾かれた矢を探す。

 しかし、ない。
 雪白も首を傾げている。
「ああ、なるほど。これが罠魔(トラッパー)の『罠技』か」
 龍華人からは悪戯鬼とも呼ばれるそれはゴブリンよりも弱いが、厄介な固有魔術を持っており、それが蔵人に襲いかかった矢に代表される『罠技』であった。
 罠技によって生み出された罠は発動した後に消えてしまうため、素材としても残らない。さらには各階層に棲む魔獣のほかに、ほぼ全階層で、しかも徐々にその強さを増して生息していた。普段は隠れており、そのうえ逃げ足も速い。遺跡内で最も鬱陶しがられる魔獣であった。

 蔵人は少し思案してから、食料リュックの中の、魔法教本に挟んでおいた魔導書をひっぱりだした。

 蔵人は再び、洞窟を駆けた。
 飛来する矢。
 通路に張られたワイヤー。
 足の裏に襲いかかる小さなナイフ。
 脛を狙って薙ぎ払われる棍棒。
 蔵人はそれを全て無視し、進んだ。
 罠は全て自律魔法の障壁で受け止め、何度目かに障壁が破壊されると闇の魔法陣で張り直し、再び強引に突き進んだ。

 人目がないため、闇の魔法陣を使うことに躊躇う必要はなかった。洞窟全体が淡く光を帯びているだけで、強烈な光が存在しないせいか闇が削られる時間にも余裕があった。
 そもそも罠を発見する気などない、自律魔法による強引な突破であった。
 ちなみに、雪白はひょいひょいと交わし、矢を払い、ワイヤーを引きちぎり、アトラクションでも楽しんでいるかのようであった。
 やはりどこか似ている二人である。



 トラッパーが見ていれば涙目間違いなしのズレた方法で、蔵人たちは三層へ降りる螺旋通路に到達した。
 蔵人の体力は命精魔法の強化もあって、日本にいた頃とは比べ物にならないが、それでも疲れは感じる。
 三層前に一度休もうかという時になって、初めて気づく。

 時間が分からない。
 そのためどのくらいの時間でどれだけ疲労したのか、いつ休むべきなのか、体内リズムは、食料の食べ方は等と色々な問題が浮かび上がってくる。
 時計は魔法具で、それなりに高価ではあるが一つの宿に一個ある程度には普及している。しかし野外にいることの多かった蔵人には、外にいれば太陽の加減でわかるためそれほど必要ではなかった。
 しかし、遺跡では必要かもしれない。
 そんな風に思いながらも食事の準備を始める蔵人。
 ないものはない。いまさらジタバタしたところでどうにもならない。

 蔵人はいつものように精霊魔法を行使しようとして、気づく。
 精霊の反応自体は悪くない。しかし、魔法を維持し続ける魔力を普段よりも多くしなければ、精霊がどこかにいってしまいそうだった。

「……遺跡の支配力って奴か」
 遺跡には復元能力がある。それが働いているらしい。
 とはいえまだまだ魔力に余裕のある蔵人は多めに魔力を渡して調理を始める。
 沸騰させたお湯に笹干飯を突っ込み、『醤砂』という何か発酵食品を作る過程で発生する調味料とぶつ切りにした干し肉を入れるだけである。
 醤砂は以前アンクワールで手に入れた辛味のある醤よりも、もっと醤油に近いものであった。
 雪白たちには持ち込んでいた肉を渡す。笹干飯の雑炊は雪白たちにとって汁物という程度で我慢してもらう。

 醤油の匂いと干飯についた笹の匂い、干し肉の出汁がきいた雑炊は美味かった。
 昨日から思っていたことだが、この大陸の食べ物は中華料理に似ている。まったく同じということもないが、蔵人の舌にはあっていた。

 食事を終えた蔵人は絵を描いていた。
 いつものように墨の濃淡で、あの楽器を奏でていた女を。
 横では雪白が大きく欠伸をし、ようやく二日酔いが抜けたらしいアズロナはこの世に救いはないと悟ったような目をしていた。
 人も魔獣も二日酔いに対する感想は似たようなものであるらしい。


 伏せていた雪白の耳がぴくりと動く。
 絵筆がぶれないようにと頭を叩く雪白の尻尾に気づかされ、蔵人は顔をあげた。
 蔵人たちがいるのは三層へ降りる通路の手前にいくつかある小部屋の一つで、そのちょうど出入口の付近を、雪白は見つめている。


 すると緊張に耐えかねたのか、どういう思惑かは不明だが、探索者らしい男が手の平をこちらに見せ、敵対の意思はないと示しながらゆっくりと姿を見せた。
 だが探索者の割に、革鎧とメイス、そして野営の荷物程度しか持っていない。
「ミド大陸の方ですよね?」
 蔵人が言われるままに頷くと、彼はきょろきょろ周囲を見渡してから、名乗った。

「天光と古の勇者の道について語らせていただいている、パトロと申します」

 なんとも奥歯に物が挟まったような物言いに、蔵人は嫌そうな顔をした。

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