挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第四章 立ち寄った地で

91/141

89-初陣

あらすじ:大型船でマルノヴァを出た蔵人。這い寄る船酔いに耐え忍んでいると、マルノヴァで絡まれた協会職員と遭遇。その後、魔獣が立て続けに船を襲うも、傭兵たちと雪白の活躍で難を逃れる。

食料リュックの設定変更:書籍版に準拠します。蔵人以外が使用しようとするとただのリュックとしてしか機能せず、大量の食料を取り出すことも入れることもできない。
 
 蔵人はぼぅっと遠くを眺めていた。
 その横を酒気混じりの呼気と火照った人肌のぬくもりが、生ぬるい夜風となってゆっくりと流れていく。
 蔵人の背後では、船に損傷を与えかねない魔獣を無傷で撃退して喜ぶ水夫や傭兵、一部の乗客たちが斑海蛇の肉で酒盛りをしていた。
 しかし蔵人はそれに背を向けて、透明な糸を真っ暗な海に垂らしていた。船酔いという切実な問題に、酒酔いと二日酔いまで加える気にはなれない。
 そんな蔵人を尻目に、雪白とアズロナはどういうわけか酒盛りに参加していた。
 最初は大きな斑海蛇を二撃で倒し、その内臓を貪った雪白を恐れていた。
 だが酔いが回ると雪白を避けていた水夫や傭兵たちは獣人種と雪白の区別がつかなくなったようで、仲良く車座になって酒を飲み交わしているというわけである。
 一つ目で不気味がられていたアズロナも、いつのまにかよその家の子になって、ゴツイ水夫や傭兵に可愛がられていた。

 蔵人はその様子を時折振りかえっては、眺めていた。
 雪白とアズロナが受け入れられている光景を見るだけで十分に楽しめた。船酔いがなければ一杯ひっかけていたかもしれない。
 くんっ、と糸が引っ張られる。
 蔵人は反射的に糸を引いた。
 釣りのコツなど知る由もなく、力づくで糸を引いていった。

 硬質な音を立てて、甲板に獲物が引き揚げられる。
 目の錯覚かと思えるほどの大きな青いエビが糸に絡みついていた。パンっと孟宗竹を折るような音をさせながら何度も跳ねて、転がるエビ。

「――ほう、尾鎚蝦(マルベロ)か。焼いて食べるとうまいぞ」

 酒を持って現れた『鎖なき錨』の傭兵隊長オヴィディオが蔵人の手元を覗き込みながら言う。
 確かに弓なりになった胴体の先に、金づちのよう形の尾があった。
 船酔いに悩まされがちな蔵人は、全身に強化魔法を施して船酔いを抑え込んだ夜しかまともに食事を楽しめない。
 うまいとなればと、いそいそと食べる準備を始め、悪戦苦闘しながらも尾鎚蝦から絡んだ糸を外したところで――。

 ――ひょいと目の前から尾鎚蝦が攫われる。

 蔵人は恨みがましい目で獲物を奪った犯人を睨むが、尻尾で尾鎚蝦を回収した雪白は蔵人の抗議など知ったことかと、アズロナの前に奪った尾鎚蝦を置いた。
 アズロナにやるのなら、と蔵人は諦めかけるが、どうも様子が違う。

 そこで蔵人はふと、アズロナの姿に違和感を感じた。
 甲板に漂う光精の灯。そこに照らしだされた尾鎚蝦の大きさは三十センチを超えていた。
 それに比べてアズロナは、胴体と頭だけで尾鎚蝦と同じくらいの大きさがあった。
 船に乗る前、いや、リュージに絡まれた以前と比べるとひと回りほど大きくなっているように見えた。翼腕にある三爪や腹部を除いた全身に生える蒼い鱗も光沢を帯びてはっきりと形を成しつつあり、尻尾に至っては緑鬣飛竜(ベルネーラワイヴン)の基本形より若干長い。
 蔵人がリュージとの戦いに没頭し、それが終わってからは船酔いに悩まされていた間に、アズロナはすくすくと育っていたようだ。
 生存すら危ぶまれたアズロナの成長を確かめながら、同時にそんなことにも気付かないくらいリュージの存在が負担になっていたのだと、蔵人は終わったことながらホッと息をついた。
 人を、それも同じ日本人を殺したことに罪悪感がないわけではないが、それよりも今そこにある何気ない日常や自由を失わずに済んだことが、罪悪感を捩じ伏せて自らの行動を肯定していた。

 蔵人が嬉しいような哀しいような感慨に浸っていると、アズロナに動きがあった。
 身を低くし、左右の翼腕にある小さな爪を甲板に突き立てて構えていたアズロナが、尾鎚蝦に跳びかかった。
 尻尾と全身のうねりを利用し、甲板に突き立てた翼爪で力一杯跳びかかったアズロナは、獲物に襲い掛かる雪白を彷彿とさせる姿で尾鎚蝦に噛みつこうとする。
 ――クルリ
 尾鎚蝦が前転する。
 ――ぎゅぺっ
 尾鎚蝦の前転尾撃を真っ向から受けたアズロナは、べちんと顔から甲板に叩きつけられた。なんとも微妙な鳴き声が漏れる。
 アズロナは本能的に追撃を警戒してすぐに身を起こすが、尾鎚蝦の金づちのような硬い尾を受けた頭はふらふらと定まらず、若干涙目でもある。

 尾鎚蝦の追撃、など雪白が許すはずもなく、ハラハラしながら見守っていた蔵人よりも速く、長い尻尾が尾鎚蝦を捕えて、その場から離した。


 雪白の前でしょぼんとうなだれるアズロナ。
 しかし雪白は叱ることなく尻尾をくねくねと動かし、がうがう唸っている。
 アズロナは涙をこらえながら、ぎぎう?と首を傾げたり、素直にふんふん頷いたりしていた。

 雪白は本格的にアズロナの訓練を始めたらしい。
 蔵人もそれなら仕方ないかと尾鎚蝦を諦めたが、諦めきれない男たちがいた。
 といっても尾鎚蝦を食べたかったわけではない。いつのまにかアズロナと尾鎚蝦で賭けを始めていた水夫や傭兵たちである。
「くそっ、なんだそりゃっ」
「乱入なんざありかよっ。ちくしょうっ」
「ば、馬鹿いうな。今のはなしだっ」
「不測の事態も賭けの内だぜっ、おらっ、とっととよこせっ!」
 酔っ払い共による賭けが紛糾していた。
 船上の娯楽は少ない。トランプくらいならば近いものがあるし、チェスに似たものもある。チェスは地球にもあった基本の形に任意で精霊魔法士を加えるものだ。八種の精霊魔法士の中から二つ選び、その相性によって強弱が決まっていたりする。
 だが、トランプは飽きられ、揺れる船上でチェスはあまり人気がなかった。

 剣呑な雰囲気が漂ってきた。一部では胸倉を掴み合っている者までいる。
 ただ、それは酔っ払いたちだけでなく、雪白もである。
 あまりの騒々しさにアズロナへの訓練を邪魔され、雪白が鬱陶しそうに睨んでいる。が、酔いと賭けの熱狂で頭のねじがふっ飛んでしまった奴らは気づかない。
 ああ、終わった。
 蔵人はつい水夫たちの冥福を祈りそうになるも、さすがにそれはマズイと口を挟もうとする。

「――ばかたれがっ!」

 そこへ傭兵団『鎖なき錨』の三番隊隊長オヴィディオが一喝した。そしてさらに、

「さっきのは無効にして賭け直せっ。飛竜の仔の勝ち負けだけじゃなく、でかい猟獣の仲裁にも賭ければいいだろうが。まったく、ちったあ頭を使えっ!」

 水夫や傭兵たちはその言葉に睨み合いをやめ、お互いに胸倉を放す。
「隊長頭いいっ!」
「さすがだせっ!」
 オヴィディオが恥ずかしそうに頭を掻く。
「やめろ、馬鹿共が、恥ずかしいっ! こんなことも思いつかないお前らの頭がわりいんだよっ!」
 そして賭けが再開される。
 明らかに戦闘慣れしていない様子が見て取れたアズロナ。しかし、小さくとも飛竜の仔である。
 対して尾鎚蝦は大きさからいって人には大きな脅威にならないが、油断していれば足の甲や指の骨を折られる程度には注意しなければいけない。甲殻も飛竜の仔では歯が立たないくらいには硬い。
 そんな酔っ払い共の推測や憶測の果てに、賭けで優勢になったのは雪白の仲裁と尾鎚蝦の勝利であった。
 もう何戦かすれば飛竜の仔が戦い方を学習するかもしれないが、次戦はまだまだ敵わない、というのがおおかたの見方だった。

 アズロナがフンスと気合を入れ、身を低くして構える。
 雪白は少し離れた場所に、尻尾で捕えていた尾鎚蝦を置いた。
 ゆっくりとアズロナが間合いを詰める
 そして自分の間合いで、先程と同じように全身を使って跳びかかった。
 変化のない尾鎚蝦の硬い表情は、馬鹿の一つ覚えしかできないのかね、とでも言いたげにも見えて、小憎らしい。
 尾鎚蝦が回る。

 ――小気味いい音が響く。

 甲板を叩いた尾鎚蝦の尾。
 勢いをつけて低空で飛びかかったアズロナだが、翼腕を大きく開いて急制動をかけ、尾鎚蝦の一撃をかわした。
 酔っ払いたちのどよめきが起こる。
 失速したアズロナは着地するも、間髪いれずに二度目の突撃を敢行した。
 迎撃に失敗した尾鎚蝦は腹を晒しており、アズロナはそこに噛みつく、かと思われた。
 しかし目測を誤ったのかアズロナは尾鎚蝦の上を通り過ぎてしまう。
 その隙に回転して体勢を立て直す尾鎚蝦。
 しかしその頭にはアズロナの尻尾が巻きつき、翼腕は金づちのような尾の根元を抱え込んでいた。人でいえば完全に背後をとった形である。

 目が点になる酔っ払いたち。無論、蔵人もである。
 雪白だけが満足げであった。
 アズロナは尾鎚蝦の上を通り過ぎる瞬間に翼腕で急制動をかけ、尾鎚蝦の頭に尻尾を巻きつけると、元に戻ろうとする尾鎚蝦の動きを利用し、そのまま尾鎚蝦の尾を抱え込んだ。
 アズロナは尾鎚蝦の背後を取ったまま、ゴロンと横倒しになる。そして渾身の力で、

 ――翼腕と尻尾をぐいと逸らした。

 小さくとも飛竜である。
 そして尾鎚蝦も甲殻があるとはいえその背には蝦のような節が幾重にもある。
 硬質な破砕音。
 尾鎚蝦はアズロナの渾身の力に見事に背筋を伸ばされ、絶命した。捥げて転がる尾鎚蝦の変わらない表情は、世の無常を悟っているように見えなくもなかった。

「――うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 酔っ払いたちが騒ぎたてる。
「きたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
くそっ(ヴァッファン)たれめっ!(クーロッ!)
「うへ、うへへへへへへへへへへへっ」
「くっ、飛竜の仔とはいえまだ子供の変異種があんなに強いわけが……」
「嘘だろ、おいっ! ちくしょうっ!(カッツォッ!)

 蔵人は一人、苦笑いを浮かべていた。
 完全に関節技(サブミッション)だった。
 アズロナの身体は柔らかい。翼と頭と尻尾の位置が失敗した福笑いのようにも見える酷い寝相からもそれがよく分かる。そしてそこに飛竜としての馬力が合わさり、あんなことを可能にしたのだと推測は出来た。
 しかし、あまりにも飛竜らしからぬ戦い方。よもやアズロナが本能的に関節技を知っているわけもない。飛竜が組み技、関節技を使うなど聞いたこともない。
 普通なら飛ぶ。
 そして噛みつくか、尾で打つ。
 だが初めて飛んだとき以来、アズロナの飛行は一向に上達していなかった。よたよたと飛び上がり、ふらふらとゆっくり飛ぶことしか出来ない。ゆえに、飛ぶという選択肢はない。

 では誰が戦い方、関節技を教えたかといえば、蔵人が教えていないのだから、雪白しかいない。
 それにアズロナも相当に筋が良い。雪白の助言があったとはいえ、一度で相手の行動に順応して見せたのだから。
 はしゃぐアズロナを見る雪白の表情は優しげで、蔵人が向けられたような憐れむ視線など微塵もない。
 蔵人が最初に狩りをしたときなどは何度も潜り兎に逃げられ、体当たりされ、ふっ飛んだ記憶しかない。雪白にはいつも憐れむような視線を向けられていた。対人戦にしても今思えば大したことのないチンピラハンターの威嚇に硬直して無様に殴られた。
 それを思えば、アズロナは自分よりもよほど優秀な生徒であろう。
 なんとも規格外な魔獣たちだと、蔵人は悟ったような溜め息をついた。

 と、他人事のように扱っているが、そもそもの原因は蔵人にあった。
 雪白が幼獣の頃、つまりアレルドゥリア山脈で生き抜くために蔵人が自重など考えもしなかった頃。その蔵人の知識や思考を身近に知り得た雪白。そして成長してからもじゃれあいで必死になって抵抗する蔵人が雪白に用いたあやふやな関節技。
 それをアズロナに教えようという思考、素直にそれを学ぼうという思考そのものが魔獣らしくなく、間違いなく蔵人の影響であった。


 アズロナはへし折った尾鎚蝦の尾を抱き込み、その硬い殻に噛みついて殻を剥こうとしていた。
 むぎーっと力一杯甲殻を引っ張り、悪戦苦闘している。
 だがそうしてなんとか殻を剥くと、おおよそ三等分にしてまず近くにいた雪白に差し出した。
 雪白はアズロナの頭を尻尾で撫でてから、初めてあんたが仕留めた獲物だ、あんたが食べなとでもいうように優しく蝦の剥き身を返した。
 するとアズロナはきょろきょろと周囲を見渡し、そして蔵人を見つけると分けた剥き身を咥え、翼腕を使ってアザラシのように這い寄って来る。
 蔵人の前に剥き身を置くと、蔵人を見上げた。
 大きな一つ目はどこか誇らしげであった。
 蔵人は首回りの鬣を撫でてやり、全部食べていいぞ、と促した。


 斑海蛇の肉や尾鎚蝦の身を食べて、ぷっくりお腹を膨らませたアズロナ。
 お腹一杯で動けないのか甲板に寝転がり、コロコロしている。
 無論、転がしているのは蔵人である。
 雪白はその後ろで蔵人に非難がましい目を向けていた。 
「――おう、すまねえな」
 勝手に賭けの対象にしたことをオヴィディオが詫びた。
「こっちに影響ないならどうでもいい」
「しかしまあ、とんでもねえ猟獣だな。変異種だから姿(なり)が違うのは分かるが、あんな組み技まで使うとはな」
「後ろの姐さんがスパルタでな」
 オヴィディオはちらりと雪白に目をやった。
 大きな魔獣である。強さも賢さもある。だが種族違いの魔獣に『技術』を教えることが出来るだろうか。飼い主の親馬鹿と断じてしまってもいいのだが、この魔獣を見ているとそうとも言えないような気がしてくるから不思議である。

「それはそうと、協会の女にえれえ目で睨まれてるが、あんたなんかしたのかい? 尻でも触ったか? マルノヴァ女にそんなことするたぁな、尻の毛まで抜かれるぞ?」
 蔵人はうんざりして顔を横に振った。
「まさか。マルノヴァで色々と絡まれてな。で、この船で偶然嬉しくもない再会をしたわけだが、その時に船酔いの苛立ちもあって、つい左遷かって言っただけだ」
 オヴィディオはあちゃーと額に手をやった。
龍華国(ロンファ)の居留地はまあ協会職員にとっちゃあ左遷地みたいなもんだ。ハンターの仕事はほとんどねえから人の出入りも少ない。当然、協会職員の仕事もない。あそこに独り身で放り込まれたら、生き埋めにされたようなもんだ、なんて酒場で叫んでた奴もいる」
 図星だったか。蔵人はぎぷーと眠りだしたアズロナを抱きかかえた。
 しかしそれを、ひょいと雪白の尻尾に奪われてしまう。
「まあそれでもやれることがないわけでもないんだがな。他国にコネを作ろうと思えば作れるし、学ぼうと思えばいくらでも時間はある。本人のやる気次第だな」



 女職員、カミッラ・パルヴィスは眉間に深く皺を寄せ、蔵人を睨みつけていた。
 あの流民は、釣った魔獣を猟獣と戦わせ、あまつさえ賭けの対象としている。悪趣味というほかないだろう。
 どこまでいっても愚鈍で身の程知らずな流民。
 目障りで仕方がなかった。
 そんな奴のせいで左遷されるなどあってはならない。
 自分のせいではない。
 あいつのせいだ。
 運が悪かっただけだなのだ。

 協会の買取価格よりも、ハンターの持ち込んだ獲物の買取価格を若干低くすることでその差額を礼金として受け取り、それと引き換えに僅かばかり便宜を図ったりすることは誰でもやっていた。
 全てではないがマルノヴァ人が人種差別的であるのも、マルノヴァ女が多少居丈高で我儘であるのも周知の事実である。『人の口は精霊でも閉ざせない』とは言ったもので、他人の、ましてや流民の情報を吹聴するなど同じ街に住む者ならば世間話でしかない。
 あの流民が、悪目立ちしたせいである。
 マルノヴァに到着するなり鳥人種の少女との決闘をし、剣聖と女官長に誓約書を突きつけた。腕があるのかと思いきや一度昇格試験に落ち、だが分不相応な魔獣を猟獣としている。
 そんな蔵人を支部長が調査してしまい、偶然蔵人に絡む形になったカミッラがたまたま支部長の目にとまったに過ぎない。

 協会の基本方針は差別禁止である。
 もちろん地元に根づいたハンターなどへの優遇はあるが、ハンターを種族や身分で差別することは許されていない。それも当然の話で、協会全体でみれば様々な種族が登録しており、協会が種で差別するなど協会の根幹にかかわることである。
 だが、そんなものは建前である。差別など掃いて捨てるほど、世の中にはある。
 ようするに、見せしめに過ぎない。
 服務規程違反、協会内情報の秘密保持違反、人種差別。
 差別禁止は建前であるが、建前を厳守していると対外的に示すために、カミッラが生贄になったようなものである。自分以外はほぼ処分されていないことから考えて、カミッラはそう結論付けていた。

 どこからか、血の匂いの混じった風がカミッラの脇を抜けていった。
 カミッラはその不気味さすらも蔵人のせいだとばかりに、ふるりと身を震わせる。
 視界の端に存在することすら腹が立つと、カミッラは船室に戻っていった。



 さらに二十日ほどが経過し、船はついに龍華国外国人居留地に到着した。ほぼ予定どおり、蒼月の五十一日の早朝のことだった。
 蔵人の乗る大型船は居留地からほど近い沖に停泊し、龍華国に行く者は迎えにきた小型船に乗り込む。大型船で直接乗りつけられないようになっているらしい。
 早く着けとばかりに、蔵人が熱烈な視線を居留地に向けた。
 十分ほど船に揺られると、蔵人はようやく大地に降り立った。およそ五十日ぶりのことであった。
 忙しない荷降ろし場の喧騒の端っこで、蔵人は救われたような気持で大地に立ち尽くしていた。
 早朝特有の澄んだ空気に、潮風と柔らかな春風が混じっていた。
 船に乗っていたせいか、足元が揺れている。
 しかし今はそれらすらも、心地よかった。
 少しばかり、酔いそうになっていたが。

 居留地は荷降ろし場以外を石壁に囲まれており、その内側はまるでミド大陸北部の街並みをそのまま移築したようであった。
 アルバウム王国、ユーリフランツ共和国、エルロドリアナ連合王国、そしていくつかの小国の領事館や商館、倉庫、水夫小屋等の生活建物があり、その威容を競い合っている。

 ミド大陸とはかけ離れた文化を持つ東南大陸に来たという実感の湧かないまま、蔵人は歩きだした。
 蔵人の首にはアズロナが巻きつくように座っており、雪白はいつものように足音もなく、しかし存在感たっぷりに悠々と闊歩する。
 居留地では猟獣を連れ歩くことが許可されており、道はかなり大きく取られていた。馬車が二台すれ違っても余裕がある。
 そんな蔵人、いや雪白の姿をちらちらと見つめる視線が道端や窓から投げかけられる。嫌悪というよりは好奇心が強い。
 蔵人たちはいくつもの視線に晒されながらもどんどん進む。
 ハンター協会、をも通り越し、居留地と東南大陸をつなぐ唯一の一本道に辿り着いた。
「――目的地は?」
 門の出入りを取り締まる警備兵が雪白を気にしながら蔵人に問う。

「――遺跡へ」

 蔵人はそれだけ言った。

『そもそも流民がハンターをやるのが間違いなのよ。品性の欠片もない探索者にでもなって、一生遺跡に篭ってなさい。殺した魔獣の数と発掘品の多寡でちやほやされるんだから、責任感の欠片もない流民にはちょうどいいんじゃないかしら。化物みたいな猟獣や不気味な飛竜を連れ歩くあなたにはお似合いよ』

 気に食わない女職員の言葉であるが、一理あった。
 ハンターとして嫌な出会いばかりではなかったものの、探索者という極めて利己的な職業は義務と善意と差別の板挟みを回避するにはいいかもしれない。
 船が荷を下ろし、東南大陸の商売人と交渉や取引をし、新たな荷を船に積んでサウランに出航するまで三十日ほど。探索者になって、遺跡のさわりくらいは体験してみるのもいい、蔵人はそんな風に考えていた。

「そうか。遺跡内から先、龍華国に抜けるのは禁止だ。破れば龍華国の法律で裁かれる。斬首か強制労働か、まあ二度とこちら側に返ってくることはできないから気をつけてくれ」
 警備兵はそれだけ言って、蔵人を通した。

 船着き場からも見えていた。
 海をかき分けて存在する一本道の中ほどに、岩山が一つ、不自然なまでに隆起し、立ち塞がっていた。
 本来であれば道の先には龍華国側の関所があり、その両脇には剥きだしの鋭い岩山が連なっている。白い岩肌に生える松や漂う霧、漁民が小舟に乗って細々と漁をする様は名所と謳われていたという。
 だが、ある日突然海中から隆起した岩山、『白霧山(バイウーシャン)遺跡』がそれを覆い隠してしまった。龍華国と外国人居留地を分ける境界線を監視する天然の砦であるかのように。

 蔵人は岩山の根元に一か所だけある門をくぐった。
 そこには世界でも数少ない遺跡内都市があった。出入りが厳しく制限された外国人居留地と龍華国で唯一交流が可能となる街である。
 一言で言えば、混沌。
 北部の建物と龍華国の建物が入り混じり、融合している建物すらあった。
 片言の様々な言語が飛び交い、食べ物の匂いが漂っていた。
 獣人種が多く、人種は少ない。服装を見ると分かりやすいが、居留地から入ってくる者はそう多くなく、龍華国側からのほうが多いようだ。

 食べ物の匂いに釣られそうになっている雪白とアズロナを宥め、蔵人は探索者ギルドに向かった。

 まるで監獄のような重厚な建物の探索者ギルドに足を踏み入れると、ぎょっとしたような視線が向けられる。
 いつものことだと、蔵人は受付カウンターに進んだ。
「ご用件は」
 受付は、白系人種の女性職員であった。
「登録したいんだが」
「身分証もしくは推薦状はありますか」
 蔵人はタグを渡す。
「……分かりました。七つ星ということで、技能試験免除と十級免除で九級からスタートとなります。それと、そちらの大きな猟獣はハンター協会で登録なさっているようですが、そちらの飛竜の変異種はされていませんね? 遺跡では登録することをお勧めしますが」
「なぜだ?」
「遺跡内は基本的な法律こそ適用されることになっていますが、遺跡の性質上、完全に法が守られているとは言えません。登録してある猟獣ならともかく、登録していない猟獣は遺跡の魔獣として誤認され、討伐されてしまっても、討伐した者に責任はありません。それを狙って、猟獣を殺すという者がいないとは限らないのです」

「……なるほどな。なら頼む」
 蔵人はアズロナを首から降ろす。
 カウンターの上で首を傾げて女性職員を見上げるアズロナ。
 女性職員はその様子を見て、少し雰囲気を柔らかくした。一つ目の奇形が気にならないようである。
「まだ幼竜ですから仮登録になります。成竜になったときにもう一度受けて下さい。成竜になって手に負えなくなった、という者もおりますので。では何か命じて見て下さい」

 蔵人が簡単な命令を出し、アズロナは難なくそれに従った。
 伏せ、お手、おかわり。
 それを見て納得した女性職員がアズロナの首に真っ赤な革の首輪を巻いた。
「まだまだ成長するでしょうし、首輪で我慢してください」
 雪白と同じ深紅の環ではなかったことにどこかしょんぼりしているアズロナを見て、女性職員は申し訳なさそうに言って、最後にアズロナの喉元を一つ撫でた。

 いくつか説明を受ける。
 発見した魔法具は一度全て探索者ギルドに引き渡すこと。多くはそのまま返却されるが、希少な魔法具や危険物に指定されている魔法具は国の買い上げとなる。

 魔獣素材や宝飾品、魔法具ではない武具、精霊球、命精石等は自由にしてよいが、算定評価額の数パーセントを税金や遺跡の入場料として支払わなければならない。

 ランクアップは魔法具の買取総額、魔獣の討伐数、依頼の達成数等によって決まる。討伐数は討伐証明部位をギルドに提出しなければ討伐したと判定されないため注意が必要とのことだった。

「それと、この『白霧山遺跡』は探索者ギルドが龍華国から使用を許可されています。特殊な税金などがかかるのはこのせいですね。
 あちらの国の人も潜っていますが、おそらく言葉は通じないかと思いますので十分に注意してください。何かトラブルがあればギルドを頼ってくださって構いません。決して短絡的な行動をしないように。基本的には殺すな、盗むな、犯すなを守っていただければ結構かと思います」
「わかった」
「本日から潜られますか?」
「浅い層ならさして問題もないだろ」
 蔵人はともかく、雪白が退屈そうにしていた。
 斑海蛇以降は魔獣に襲われることのない順調な船旅であった。それだけに雪白のすることなど船酔いに苦しむ蔵人の介抱とアズロナの子守りくらいであった。

「そうですか。では案内人はどう致しますか? 今からとなりますとご希望通りの人材というわけにも参りませんが」
「案内人?」
 遺跡内とそれ以外では同種の魔獣でも強さや習性が違った。それを知らずに遺跡に潜って行方不明となるハンターや傭兵が多くいたため、基礎知識を教える案内人制度が作られた。
 このサービスを受けられるのは旧冒険者三種の七級相当からで、それ以下も受けられるが割高になる。十級からスタートする者たちは新人講習などを受けることもあるが、これは探索者ギルドのある国の方針によってかわった。手厚い補助もあれば、何もないところもあった。
 蔵人は当然遺跡の知識などまったくないため、頼むことにする。
「それでいい」


 しばらく待っていると、一人の男がやってきた。
 朴訥な北部人といった感じであまり特徴がない。体格が良く、背丈の高い者が多い北部人の中では珍しく蔵人と同じ程度なのが特徴といえば特徴に当たる。
 金属の胸甲板と革鎧という複合鎧を見につけ、片手剣と丸盾をつけた一般的な探索者である。
「……フランコ・サンタマリア、六級だ」
 無駄口など叩く気はない、という雰囲気を全身から醸し出していた。
蔵人(クランド)、七つ星。探索者としては九級だ」
「いくぞ」
 フランコはギルドの奥に行ってしまう。
 蔵人はそれについて行きながら、フランコが雪白を必要以上に警戒しなかったことに思い至り、腕は悪くないのかもしれないとフランコの背中を観察していた。

 フランコが足を止めた。
 前方には分厚い扉があり、その手前にギルド職員が大きな机を置いて待ち構えていた。
「潜行日数の届出と手荷物の登録はここで致します」
 フランコはすでに登録を終えているのか、扉の前で蔵人を待っていたが、蔵人はそれに構わず職員に聞いた。
「登録?」
「はい。発見された魔法具と探索者の持ち込む魔法具を区別するためです。記入忘れなどないようにしてください。帰還の際に、記入忘れの魔法具だとしても発見された魔法具と一緒に回収させていただきますのでご注意ください」
 蔵人は面倒だと思いつつも、飛竜の双盾、大爪のハンマー、三連式魔銃、革鎧一式を職員に見せながら記入していく。食料リュックは他人にはなんの変哲もないリュックにしか見えないため登録する必要はなかった。
 こんなもので持ち出しを規制できるのか不思議であったが、自動筆記の魔法具を使って、持ち込みの魔法具の姿形を描き残しているため十分に規制できているらしい。

 登録を終えて、さらに重厚な扉を五つくぐり抜けると、ぼっかりと大穴があった。
 迷路のような洞窟が続く、白霧山遺跡は極々オーソドックスな遺跡だという。
 一層では龍華人が小鬼と呼ぶ緑魔(ゴブリン)の亜種、それと悪戯鬼と呼ばれる罠魔(トラッパー)が出没するらしい。

 が、いくら歩いても、出会わない。
 歩いても歩いても、遭遇しない。
 一層は見習い探索者や貧民街の住人が日銭を稼ぐために乱獲しているため、魔獣とは遭遇し辛く、ここで魔獣に襲われて死ぬようなことは滅多にないらしい。

 蔵人に説明しながら、迷うことなく迷路のような洞窟を進むフランコ。
「よく迷わないな」
 雪白がいるため早々迷うことはないだろうが、蔵人一人ならばいつ迷子になってもおかしくない。
「自分でマッピングするか、それとも外でマップを買うかしろ」
 遺跡は定期的に改変されるが、地図屋と呼ばれる者たちがそのたびに競って階層ごとのマップを作り、ギルドに売るという。
「何層くらいま――」

「――助けてくれぇえええええええええええええええええええええっ!」

 さらに質問しようとした蔵人を遮って、悲鳴が響き渡った。
 蔵人が悲鳴の方角に顔を向けると、
「放っておけ。おおかた新人狙いの騙りだ」 
 浅い層では魔獣による人死に少ないが、人による襲撃はたまにあるらしい。むしろ被害的にはそちらのほうが多いらしい。
「見捨てるのか?」
「基本的には自己責任だ。法律はあるが、そんなものは建前にすぎん。善意で助けて、背中からぐさり、なんていうのはお前らみたいな元はハンターって奴らが多いな」

「だれかぁああああああああああああああああああああああああっ!」

 悲鳴が蔵人の心をざわつかせる。
 敵対者ならば無視しても心は痛まないが、なんの関わりも持たない者だからこそ、助けられるものを無視するのは気分が悪い。
 蔵人は雪白に目をやり、駆けだした。
「――助けてやるつもりならこっそりやれ。こんな浅い層ならそう難しくないはずだ」
 フランコは止めることなく、助言をした。
 蔵人はそれを背に聞きながら、あっという間に自分を追い越した雪白の背を追った。

 洞窟の先の開けた小部屋で、十歳ほどの男の子が三匹のゴブリンに囲まれていた。
 足元には折れた小剣が転がっており、足と腕から血を流し、小さな盾を構えてなんとかゴブリンの棍棒を凌いでいる状態だった。格好からすると龍華人であるようだ。
 ストレス発散とばかりに飛びかかろうとする雪白を宥め、蔵人はフランコの言葉どおり、小部屋の入口の影から土精魔法を放った。
 三本の土の杭は、ゴブリンたちが察する間もなく股間から首を串刺しにした。
 蔵人は近づかず、それとなく子供を見る。
 盾を構えていた子供は、しばらくすると怪我などなかったように立ち上がる。

「――チッ。小鬼を探すのも楽じゃねえってのに」

 龍華語で小さく悪態をつき、ゴブリンの角を折れた剣の根元でへし折ってから、足早に去っていった。
 なんとも言えない顔で子供の背を見送る蔵人。
 わざわざゴブリンを探し、あえて襲われながら獲物を待つ。おそらくは言葉もそのために学んだのだろう。悲鳴はほとんど違和感なく聞こえた。翻訳能力のせいで言語を聞いて何語だと判断することはできないが、下手な言葉ならば片言として聞こえるはずであった。
 ふと見ると、雪白は不快そうな顔をしている。
 アズロナは何があったのか、まだ分かっていないようだった。

「――同業者といえども油断するな。ましてや言葉の通じない龍華人はなおさらだ」

 蔵人の背中にフランコの言葉が突き刺さる。
「どうしても助けたいなら、身を隠せ。それなら騙されることはない。感謝されるより、騙されないことのほうが大事だからな。
 とはいえ、下に降りれば降りるほど、人よりも魔獣のほうが厄介になる。人同士で敵対などしていられない。その辺りのさじ加減が難しいとも言えるが、基本的には助けなくても誰かに責められることはない。さっきも言ったようにここに潜ることは自己責任だ、誰かの命を簡単に背負えるような場所じゃない。面倒事が嫌なら覚えておくといい」
 来た道を引き返していくフランコ。
 蔵人たちは大人しくそれに従った。

「外のゴブリンより、遺跡のゴブリンのほうが強いんだが、問題ないようだな」
「初めてゴブリンを見たから分からん」
 蔵人たちは帰還しようとしていた。
「そうか。パーティは組むつもりなのか?」
「いや、船が出るまでの時間潰しだ」
「単独か。……潜れば潜るほど食料も必要になり、野営の回数も増える。長く潜るなら『荷物持ち(ポーター)』を雇うといい」
 蔵人にとってどちらも必要なかった。
 食料は食料リュックに、野営の見張りには雪白がいる。
「おおむね問題なさそうだな。時間つぶしなら無理などしないことだ。お前が死ねば、オレの評価にも少しだが影響するからな」
 いつのまにか、出入口の大きな穴に戻ってきていた。

 協会に納めるものもない。扉の前で身体検査を受け、蔵人はフランコと別れてギルドを出ようとする。
 ふとギルドのロビーにある大時計を見ると、十八時を大きく越えていた。
 思いの外、潜っていたらしい。

「――へい、フランコ! 仕事は終わっただろ? 呑もうぜっ!」

 探索者っぽい奴が近づいてきた。
 服装からすると龍華人であるが、話しているユーリフランツ語は流暢である。
 フランコに声を掛けてから蔵人に気づくが、屈託なく蔵人にも声をかけた。

「――見慣れない顔だな。あの船で来たのかい? いいね、外の話を聞かせてくれよ。おれは大星(ダーシン)、見てのとおり龍華人だ。上陸祝いにあんたも呑もうぜ。……なに、呑めない? なら食えばいいんだ。呑めない奴はいても食えない奴はいないだろ?」

 大星と名乗った男は邪気のない笑顔でそう言った。
<(_ _)>
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ