74-収穫祭①
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蔵人を連行するだけしておいて放置したレイレはカウンターの奥で頬杖をつき、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら蔵人の前に立った中年ハンターを眺めていた。
そんなレイレを鬱陶しく思いながらも気まずそうな顔をして蔵人に頭を下げた中年ハンターのソリオン・ウリアルテは、シラールたちの叔父である。
「――エスティアの頼みでここに来て、あの女騎士に巻き込まれただけだ」
蔵人は不機嫌そうに言った。
レイレに何も聞かされずに連行されたことやバニスがしたり顔でこちらを見ていることが気に入らないわけではない。いや、それも気に入らないのだが、何よりバニスに『軽い』と言われたことが喉に刺さった魚の小骨のように気になっていた。
何も自分の剣が軽いと言われたことを気に病んでいるのではない。蔵人は一般人であり、雪白たちと屈服せずに生きることこそが一番重いのだから、立場も思想も持ちうる力も違う人間に力の使い方を重いだの軽いだの言われても、それはモグラに空を飛ぶ鳥の、海を泳ぐ魚の覚悟を理解しろというようなものである。
では何に苛立っているのか。
蔵人はそれが分からず、苛立ち、不機嫌そうにしているのだった。
ソリオンは蔵人の言葉に顔を顰め、むぅと唸るような声を漏らした。
以前に、そして普段からソリオンはエスティアを裏切り者呼ばわりしていた。いまさら全てはエスティアのお陰だと言われてもどんな顔をしていいかわからなかった。
レイレはカウンターの奥からソリオンの顔を見て、さらに面白そうにニヤニヤと笑う。
「あの女騎士さんにも礼は言わせてもらった。だが、あの女は……」
「あんたの事情など知らない。俺がこの地にいて、そしてあの依頼を受けたのは少なからずエスティアの頼みが影響していたのは確かだ」
蔵人が一度は敵対したシラールの頼みを聞いたのはバニスの脅迫まがいの協力要請とバルークでハンターをして欲しいというエスティアの頼み、あとは誘拐された娘へのわずかばかりの同情である。シラールが頭を下げたことは蔵人の気持ちをシラールに襲われる前の状態に近づけたという程度の効果でしかない。
こんなやりたくもなかったことで礼を言われても、蔵人としてもどんな顔をしたらいいかわからなかった。
「……わかった。エスティアに礼を言っておいてくれ」
ソリオンは何やら考え込んでいたようだが最後にはシラールとよく似たバツの悪そうな顔をすると頭を下げ、足早に酒場を出ていった。
面倒くさい。一体何事だ。
蔵人にそんな目を向けられたレイレは頬杖をついたままくっくと笑う。
「エスティアのことは本人に聞くんだね。でも、ソリオンのあんな顔はしばらくぶりだね」
レイレの茶化すような笑みは懐かしそうなものにかわった。
蔵人は話す気のなさそうなレイレから事情を聞きだすことを諦め、酒のつまみである木の実を乱暴に口に放り込んだ。
「バニスさんがご迷惑をおかけしました」
蔵人が酒場で酒も飲まずに、苛立ち紛れに木の実をポリポリポリポリしているとバニスと同じテーブルにいたアキカワが蔵人のいるカウンターにやってきた。
当のバニスはアキカワの元いたテーブルでハンターらしきゴツイ男と飲み比べをしているようだった。
「そう思うなら止めろよ」
「すいません、無理です」
即答するアキカワ。
あまりの回答の速さに蔵人は呆れる。
「……もしかしてずっとか?」
「えっ、ま、まあ二日に一回や二回くらいは」
「……ほとんど毎日だな。ご愁傷さまで」
バニスのごり押しを止めなかったアキカワ。
いや、止められなかったと言った方が正しいかもしれない。
今回に限って言えば人命にかかわっているのだからアキカワとしても否やもないのだろうが、ほぼ毎日こんな調子では気の休まる日もないではないだろうか。
そう思って蔵人がアキカワを見ると、心なしか召喚前に見たよりも頭部が薄くなっている気がした。
「……あんたも大変そうだな」
あははとどことなく遠い目をしながら力なく笑うアキカワ。
蔵人は五十を超えて三十にも満たない女に振り回されるアキカワに同情しまあ呑め、とレイレに奢られはしたが自分が呑みもしなかった安酒を木のコップに注いでから冷やし、アキカワの前に置いた。
アキカワもあ、すいませんと言いながらそれを受け取り、口をつけた。
「……今回の誘拐は恭順派の犯行ではなく、恭順派を装った独立派の犯行だったようですよ」
ウリアルテ家が交渉を拒絶するなら娘を殺して恭順派への敵意を煽ることが出来るし、要求をのむようなら独立派がウリアルテ家の前で娘を救い独立派の名を上げることが出来る。身代金を払うなら今後の活動の糧になる。
だが失敗したときのことを考えていない辺り、大した組織ではないのだろう。
「そうですね。完全に逆効果です」
「まあ、俺にはどうでもいいことだが」
「……はぁ」
アキカワはバニスをちらりと見てため息を漏らした。
「あんたも大変だな」
「えっ、そ、そんなことはありませんよ。ええ、ほんのちょっとしんどいだけで」
蔵人はなんとなくアキカワが哀れに見えて、また酒を注いでやった。
白月の十五日、蔵人は雪白とアズロナを先に竜山に帰らせ、自分はエスティアの元にいた。
消化しきれない苛立ちを解消したかったのかもしれない。
蔵人はバルークのことを報告する前に、苛立ちをぶつけるようにエスティアを抱いた。
「今日は随分と乱暴なのね」
エスティアはベッドで毛布を被ったまま、少し責めるような声色で言った。
蔵人はベッドに腰かけ、エスティアに背を向けたまま答える。
「ああ、すまん。色々あってな。それと、約束通り北バルークには行ってきた。バルティスとドノルボ、あと名前は忘れたがもう一か所」
「ええ、ありがとう」
さも知っているとでも言いたげな声色に蔵人は問い返した。
「知ってたのか」
「ふふ、娼婦だからといってあたしは借金で縛られているわけじゃない。それなりに伝手はあるのよ」
「そうか」
「あら、聞かないの?バルティス辺りでは何か言われたと思うんだけど」
「話したいなら耳ぐらいは貸してやるぞ」
エスティアは蔵人の返答を聞くと何やら楽しげにふふっと笑った。
「優しいのね。別に珍しい話じゃないのよ。どこにでもあるような話よ」
エスティアはなんでもないような風に話しだした。
娼婦と客の寝物語。まさにそんな様子で。
エスティアは幼い頃に盗賊によって村を追われ、両親を失いバルティスの親戚の元に身を寄せた。
身を寄せた先の家も決して裕福な家ではなくむしろカツカツであったが、今思えば親戚を含めてバルティスの住民はとても親身になってくれていた。
だがエスティアにはそれが心苦しかった。決して生活は楽じゃないのに自分を引き取ってくれた親戚に申し訳なかった。
早く迷惑をかけないようになりたいと焦っていたのかもしれない。
ある時バルティスを訪れたマルノヴァ人の男を好きになり、何も言わず後足で砂をかけるようにしてバルティスを飛び出しマルノヴァに嫁いだ。
その時にはもうマルノヴァとバルティスの確執は根深く、バルティス人がマルノヴァに嫁ぐなど裏切り以外の何ものでもなかったのだ。
しかし男は一年ほどで死に、帰る場所のない、帰るわけにはいかなかったエスティアはマルノヴァで娼婦として生きることになった。
それでも育ててもらったバルティスになんとか恩を返したくて、エスティアはハンターが客として来るたびにこうして願っているという。
「だから今後も、出来ればバルークでハンターをして欲しいの。もちろん、ハンターをしてくれる限り半値で相手するわ」
「次の龍華国行きの船が出るまでは特に予定もない。それまでなら気が向いたらやるさ」
蔵人はそう言って頭を後ろに倒し、エスティアの膝を枕にした。
「そう、龍華国に行くの。遠いわね。何しに行くか聞いてもいいかしら」
「ん、ああ、サウランの砂漠を見てみたくてな。龍華国は中継地点だ」
「砂漠を見たいなんて考えたこともなかったわ」
「俺には帰る故郷なんてないしな。好きなところに行くさ」
エスティアが身を起こし、蔵人の頭をしっかりと膝に乗せ、猫のような青い目で蔵人の目を見つめる。
「あら、それはあたしに故郷に帰れっていうこと?」
「さあな。帰りたいなら帰ればいい。帰りたくないなら帰らなければいい。帰っても面倒なようなら戻ってくればいい。単純な話だろ」
「……優しくないのね」
エスティアがさっきとは正反対のことを言いながら微笑んだ。
「自分で決めるのが一番後腐れないからな」
そういって蔵人は目を瞑った。
エスティアは眠ってしまった蔵人の髪を撫でながら、しばらくの間、虚空に視線をさまよわせていた。
訳のわからない不快な苛立ちをひとまず心の奥に追いやった蔵人が必要なものを買って竜山に戻ると、隠れ巣にはいつも通りぶすっとして不機嫌そうな雪白と蔵人の帰りを無邪気に喜ぶアズロナが待っていた。
その日一日は雪白とアズロナへの家族サービスに費やされ、蔵人は翌日から絵の準備を始める。
まず白色だが、貝殻を砕いて溶かせば絵に使えるわけではない。
本来は膠だなんだと必要になるのだが、蔵人は大口跳魚の眼球の周りにあった大量のゼラチン状のものを手に入れていた。イラルギ曰く、食べると珍味ではあるが、昔は宮廷画家なんかが買っていったこともあるそうでどうやら膠として使っていそうだと蔵人はアタリをつけていた。
蔵人は食料リュックから取り出した新鮮な白丸貝を一つ一つ剥いていく。
白丸貝の剥き身が気になるのかアズロナがじーとこちらを見上げ、その背後では雪白もちらっちらっとこちらを窺っていた。
イラルギから白丸貝は生でも焼いても食べられると聞いている。
蔵人は拳大の白丸貝から剥き身を一つ取ると雰囲気を察してあーんと口を開けたアズロナに放ってやる。
――バァサッ
という羽ばたきと共にアズロナが跳ねて剥き身をキャッチするも、飛べるわけもなくべちゃと墜落する。しかし痛がる様子はなく頬を膨らませてモグモグと美味そうに白丸貝を頬張っていた。
蔵人はもう一つ剥き身を取りだすと雪白を見る。
女の匂いをさせて帰ってきた蔵人に対し、まだ少し不機嫌な雪白はぷいっとそっぽを向いてお座りしているが、蔵人は無言で剥き身をぽいっと投げてみる。
なっ、と少し驚いたような顔をした雪白はそれでも空中の剥き身を一口にした。
食い意地の張った奴めと蔵人がくっくっと笑うと食べ物に釣られてしまった雪白は悔しげに喉で唸るが、開き直ったのかのそりとアズロナの横に並ぶと口をもごもごさせながら早くよこせ、と催促してきた。
「……焼いてもうまそうだな」
蔵人はそう呟くと石精で石網と土台を作り、そこに火精を具象化する。
貝殻は使うので貝を器に焼くわけにいかず、剥き身を直火で焼いた。
剥き身はジュウジュウと音を立てて踊り、透明から白色へかわっていく。
それをじっと見つめる雪白とアズロナ。
種は違うはずなのだが、似たような表情をしているのだから不思議である。
そして焼き上がりの少し前に蔵人が剥き身に醤を一滴ずつ垂らすと、部屋中に貝と醤、潮の香りが広がった。すると、
雪白が鼻をすぴすぴとさせた。
それを真似しているのかアズロナも鼻先をふすふすといわせる。
雪白がタシンタシンと尻尾で地面を叩いてご飯を要求すると、アズロナもそれを真似してピタンピタンと尾を鳴らした。
やはり良く似た二匹である。
蔵人と生活する内に雪白、そしてアズロナも人の料理というものに完全に適応していた。さらに魔獣は地球の動物などよりもかなり強靭らしく、蔵人が食べてお腹を壊したものでも平然と食べることができ、蔵人は以前にその胃腸の強靭さの違いからトイレの住人になったことがある。
それはともかくとして、食べ物を気にしなくていいというのは蔵人にしても楽であった。
蔵人は似たような動作をしているの二匹の前に土製の皿に貝を取り分けて、置いた。
アズロナは食べていい?という上目遣いで蔵人に問いかける。
基本的に皿で料理が出されると蔵人の合図があるまでは食べてはいけないことになっている。これは蔵人との意思疎通が完璧になり、躾が終わるまでの辛抱であった。
雪白も身をもってそれを知っているためアズロナに付き合っているが口からたらりと涎を垂らしていて、あまり説得力がない。
「食べていいぞ」
蔵人の言葉に二匹は猛然と焼いた剥き身に食いついた。
雪白は熱々の貝をはふはふしながら食べ、まだ食べ方の下手なアズロナは熱い貝を一気に頬張ってしまって熱さにけほっと吐き出して悶え、そして今度はおそるおそるついばむように食べるという微笑ましい光景を繰り広げていた。
蔵人はその間も貝を剥き続け、石網に乗せるだけでなく湯を沸かした石鍋に放り込んだり、酒蒸しのようなものを作ってみたり、ガーリック炒めにしてみたりとまったくもって絵の準備をしているようには見えなかった。
貝を剥き終わった蔵人は白丸貝の貝殻を焦げないように調整しつつ熱風でじっくりと乾燥させ、砕き、水を混ぜてこねて粘土状にしたものを平たく伸ばし、それをまた強制的に乾燥させるとようやく胡粉顔料が完成した。本来は風化させるものらしいが、さすがにそんな暇はなかった。
そしてここからがさらに面倒なところで、白色は絵の具の元となる胡粉顔料に膠、今回は大口の目の周りのコラーゲンを混ぜ、自分の好みに調整しなければならず、手探りで試行錯誤しなくてはならなかった。
「なんだかいい匂いがしているな」
夕飯時、ジーバが女の姿でやってきた。
この寒いのに黒い薄布を一枚羽織っているだけで、色々と透けていた。
その細く薄い身体はまるで肉感的ではないが、戦士としてのジーバのイメージと細く弱そうな身体のアンバランスさが形容しがたい奇妙な魅力となっていた。
「……なんで俺の家が館になってる」
蔵人がジト目でジーバを見る。
「館は重複発動が可能でな、友人宅に行くときは自分の館を発動するのだ。まあ、害になるようなことは一切ない。気になるか?」
「……害がないならいい。食うか?ていうか食えるのか?」
蔵人は遅まきながら夕飯にとっておいた白丸貝のお吸い物、酒蒸し、ガーリック炒め、チャーハンを食べていた。
二匹は既に満足したようで夕飯には大口の肉を焼いたものを食べ、今は寝そべる雪白の尻尾にアズロナがじゃれついて遊んでいた。
「館を発動した状態なら食べられる。というよりもこの状態だと煙が食べられないからな、館の外に行くか、館の発動を停止する。
まあそれで煙でも食べるかと外に出たらいい匂いがしたから来てみた。自分で作るのも面倒でな、遠慮なくいただく」
そういってジーバは蔵人の目など気にした様子もなく薄布一枚で胡坐をかき、色々見せつけるかのような態度でちゃぶ台に乗った料理を食べ始めた。
実際は見せつけるというよりは、ただただ無頓着なだけなのだが。
ジーバが心底楽しむように料理を頬張っている横で、先に食べ終わった蔵人はようやく完成した白色を既に墨である程度描かれている大きめの紙に落としていく。
この蔵人の上半身ほどもある紙はマルノヴァで見つけたもので、蔵人が今まで使っていた大きくともノートほどしかない葉紙よりも大きく、サイズもさまざまにあった。どうもある勇者の発明で量産体制が整ったらしく価格も手ごろであった。
この世界にあった既存の紙よりも質が良く安いため既存の荒い紙は駆逐されるだろうが、さすがに魔木から作られる葉紙よりも安くならず、庶民の普段使いは葉紙、書類や大判紙は新しい紙ということになりそうであった。
蔵人は下着以外で初めて勇者の恩恵に与った気がするなとふと思っていた。
ジーバは久しぶりに人の作った料理を食べ、機嫌がよかった。
塩のスープのようなものは初めて食べたが潮の香りが鼻に抜けて、非常にジーバの舌、というか鼻に合い、他の仲間にも食べさせてやりたいと思うほどであった。
ジーバはこのスープはどうやって作るのかと聞こうとして蔵人が真剣に絵を描く様子に思いとどまり、音もなく立ち上がるとそっと蔵人の絵をのぞきこんだ。
蔵人の墨の濃淡と白で描かれた絵は、人物画や宗教画だけだったミド大陸で様々な画家が出現し始めている現在でさえ見たことのないものだった。龍華国の外国人居留地で物好きな白系人種が買っていた東南人の絵に似ていなくもない。
だがやはりそれとも違う。
背景はぼかされているが何が描かれているかわからないということはなく、その中に組み込まれている細部まで緻密に描かれた女との調和も悪くない。
そして蔵人はその背景に白を、おそらくは絵全体の光を増やすために使っていた。
そう、神秘的であるし、珍しい。
だが、それだけだった。
ジーバは蔵人の絵に空虚を感じた。良い画家に共通してある何かが足りないとでもいうのだろうか。
しかしジーバがそれを蔵人に告げることはなかった。
言う必要もない。
「黒にこだわる必要はあるのか?」
ジーバはそれだけを言った。
そしてどこから取り出したのかいくつかの宝石の原石のようなものを蔵人の横に置いた。
「食事代だ。気が向いたらまた作ってくれ。何、大した石じゃない。昔どこかで絵には宝石を使うこともあると聞いてな」
蔵人はジーバが無造作に置いた宝石を見るとラピスラズリのようなものや、それによく似た色違いのオレンジや赤色の宝石であった。
蔵人は絵に没頭していた。
時たま料理を食べにジーバが来たり、蔵人に構ってもらえなくていじけたアズロナを見かねたジーバがボーンワイバーンのガジアジとアズロナを引き合わせてみたり、なぜか意思の疎通ができたガジアジにアズロナが懐いてガジアジに相談しながら自主的に飛行訓練をしてみたり、アズロナを放っておいたことに怒った雪白が自分の鬱憤ごと蔵人にぶつけたりと色々とあった。
そしてそんなことをしている内に蔵人は、昇格試験をすっぽかした。
絵を八割方完成させたある夕方、何気なくジーバに日にちを聞いた蔵人は白月の三十三日という答えにあっ、とマヌケな声を出すが、次の瞬間にはまあいいかと思い直す。
昇格を急ぐ理由がなかった。
その翌日、大かた絵を描き終えた蔵人は一つ伸びをする。
そしてちらりと不機嫌な顔で寝そべる雪白とかまってほしいといわんばかりに潤んだ瞳で蔵人を見上げるアズロナを見た。
「……狩り(あそび)にでもいくか」
雪白はそんなことで誤魔化されないっとでも言いたげにぷいっと横を向くがどことなくそわそわとし始め、アズロナは素直にぎーぎーと喜びの声を上げて、蔵人に抱っこしてくれと催促する。
「準備してからな」
蔵人は鎧を着込み、武器を装着するとアズロナの尻尾をひょいとつまみあげ、顔の前でぷらんぷらんと揺すってやる。
アズロナはそれだけでも楽しいようでぎっぎっと喜んでいた。
蔵人は背中のフードにアズロナを放り込むと雪白が今か今かと待ち構えている外へと向かった。
竜山を降りて、北バルークで狩り(あそび)を始めた蔵人たち。
狩りのついでに村の依頼を受けたりしながら、誰にも邪魔されることなくのんびりとハンターとして活動していた。
深い森の中の神秘的な湖でアズロナを泳がせてみたり、蔵人が悪戯心に湖を指差してのぞきこんだ雪白を湖に落としてみたり、それに怒った雪白が蔵人を引きずりこんで沈めたり、存外冷たい水に蔵人が凍えたりと色々あり、なんとか雪白とアズロナの不満も解消されたところで蔵人たちは報告がてら一度バルティスに戻ってから、マルノヴァに向かった。
白月の五十日。
マルノヴァは日が暮れると、雪がちらつきだした。
例年よりも少し早めの雪である。
この時期ほとんどの村は収穫を終え、実りへの感謝を込めて収穫祭が行われる。全ての収穫を終えた後のこの時期に行われるのが一般的であった。
マルノヴァもこの辺りで一番、というよりもユーリフランツでも指折りの規模の祭りが行われる。
蔵人はそんな祭りの前のどことなく浮ついた雰囲気のマルノヴァにいた。
今日は珍しく魔獣厩舎に雪白たちを預けた蔵人はマルノヴァで一泊する予定である。
しかしそれはマルノヴァの祭りに参加するためではなく、エスティアの元にレイレの伝言を届けるためであった。
例のごとくエスティアを買って抱いた蔵人は毛布に包まって横たわるエスティアと話をしていた。
「――収穫祭に来ないか、とレイレから伝言を預かった」
蔵人がそう切り出すとエスティアはえっという顔をした。
蔵人は簡単にその時の様子を話しだした。
「――近く収穫祭があるんだけど、そこにエスティアも呼びたいのよ。これは依頼と思ってくれていいわ」
レイレはそう言ってしわくちゃの十ルッツ紙幣を十枚置いた。
百ルッツとはいえ今のバルティスではそれなりの金額であろうことは北バルークで依頼をこなしていた蔵人には良く分かった。
蔵人が確認するように酒場を見渡すとエカイツは当然だというように頷き、エスティアを裏切り者と罵った中年ハンターのソリオンも思うところがあるのかそれを拒否するようなことを言わなかった。
「エスティアが来るかどうかまでは保障できないぞ?」
「構わないよ」
蔵人は紙幣を受け取り、依頼を受けた。
どうせマルノヴァに行くのだからそのついでである。
「――あんたも来るんだよ。それも依頼の内さ」
蔵人は微妙な顔をして酒場を後にした。
話を聞いたエスティアはどうしたらいいかわからないようで、返答しなかった。
あとはエスティア次第である。蔵人は目を瞑って毛布を引き上げた。
翌朝、というよりももう太陽は中天に近い頃であった。
蔵人はのろのろと身体を起こし着替えたが、ふとエスティアがいないことに気づく。
はてと思いながらもいつものように金を置き、帰ろうとして出入口のドアを開くとそこにエスティアがいた。
いつも部屋の中で見る煽情的な格好ではなく、ブラウスにスカートというどこにでもいそうな街娘のような格好をしており、蔵人の目にはそれが妙に新鮮であった。
「あら、おはよう。随分気持ち良さそうに眠っていたから起こさなかったのだけれど」
「……おはよう。金は置いてある」
「あら、そう」
じゃあなと蔵人がエスティアに背を向けると、パタパタという慌ただしい足音が背後で聞こえた。
そして蔵人が建物の外に出ると、エスティアが小走りに追いついてきた。
「足りなかったか?」
「買い物よ。一緒に行ってもいいかしら?」
蔵人が特に用事もないので頷くとエスティアは蔵人の横について歩き出した。
他愛のない日々の買い物であった。
肉、野菜、パンなどおそらくは一般人よりも多少裕福であろうが、エスティアはそれほど高価な買い物をしているわけではなかった。
「けっこう食べるんだな」
「なんだかんだで肉体労働だから」
「……確かに」
「それで収穫祭だけど、行くわ」
エスティアは何気なく、本当に何気ない様子でそう言った。
おそらくはそのためについてきたのだろう。
「そうか。なら三日後にまた会うことになるだろうな」
「あなたもいくの?」
「レイレに呼ばれてるからな。ああ、そういや手ぶらで行くわけにもいかないな。これで土産でも選んでくれ。俺には何がいいかさっぱりわからないからな」
蔵人はしわくちゃの十ルッツ紙幣を十枚、エスティアに渡した。
それからしばらくしてエスティアが買い物を終えると二人は別れた。
蔵人はエスティアと別れてから協会を訪れ、龍華国行きの船の様子とついでに行くかどうかもわからない次の試験日を聞いた。
船は今のところ予定通り蒼月の一日頃に龍華国に出発できそうとのこと。
次の試験日は白月の六十五日だった。
蔵人は発売されたばかりの新聞を協会内の売店で買い、協会の隅にあるテーブルに陣取ると、店員に適当に注文してから新聞を広げた。
『勇者の活躍により、アンクワールでの同時多発的大規模魔獣災害は沈静化の方向に向かい始め~』
という一面から始まり、
『怪盗スケルトンの予告状がマルノヴァの国営商会に届けられ~』
『ドノルボにて海賊が捕縛され~』
『勇者によって組織された『国境なき癒し』がアンクワールで活躍し~』
『エルロドリアナの狩猟隊『白槍』の新隊長がようやく決まり~』
『異世界の歌を歌う勇者が主要都市を巡る計画を発表し~』
『北バルークの狂信的独立派が無辜の市民を誘拐し~』
『異世界ファッションがアルバウムから流行の兆し。議員、旧貴族、富裕層を中心に~』
いくつかの記事の中から蔵人は不意にジーバの正体を知ることになった。
怪盗スケルトン。
それこそがジーバの公の姿なのだろう。
そして怪盗ならば絵の材料等も知っているかもしれないと注文したパスタモドキを食べながら渡された宝石のことを思い出していた。
収穫祭当日。
小雪がちらつく中、魔獣車に乗ったエスティアが昼過ぎにバルティスに到着し、レイレの酒場に向かう。
街は収穫祭が既に始まっており、エスティアは貧しいままの自分がいた頃とそれほどかわらない街と祭りを懐かしく感じていた。
そしてそれだけに、第二の故郷とも呼べる場所を飛び出してしまったことに対して負い目があった。
それでもエスティアは何気ない風に、レイレの酒場のドアを引く。
行きたいから来ただけ。何かあれば帰ればいいのだ。
自分がしでかしたことである。
罵られてもそれが当然なのだから。
そんな単純なことを思いながら、酒場に足を踏み入れた。
エスティアは視線が集まっているのを肌で感じていた。
エスティアを知る者の目。
そして娼婦を見る目。
娼婦がどう見られるかは知っている。
それが分かっているからエスティアは人目のあるところでお客と腕を組んだり、抱きついたりと馴れ馴れしくすることはほとんどなかった。
だが、娼婦としての自分に後ろめたいことなどない。
エスティアはいつものように胸を張って、進んでいった。
レイレが何も言わず、エスティアに抱きついた。
恰幅のいいレイレに埋もれるエスティア。
「よく帰って来たね」
エスティアはもごもごと何かを言っているようだが、レイレに埋もれて言葉になっていない。
エスティアを引き取ってくれた親戚も亡くなっており、レイレは親戚に引き取られた時からなにくれとなく面倒を見てくれた、いわば母のようなものであった。そんなレイレによく帰ってきたといわれて嬉しくないわけがない。
「あらごめんよ」
「いえ。……あの」
「よう戻った」
エカイツの懐かしい声だった。
エスティアはレイレに抱かれたまま、エカイツを見て、それからおそるおそる酒場を見渡した。
昔はもう少し若かったソリオンがばつの悪そうな顔をしながらももっていた酒瓶を掲げて歓迎してくれ、昔近所に住んでいたウルおじさんもアンデールも笑っていた。
「――何も言わずに飛び出してごめんなさい」
エスティアはレイレに抱かれたままそう言って涙を流した。
収穫祭はエスティアにとって転機となった。
エスティアはエカイツやソリオン、街の知り合いに囲まれて久しぶりに心の底から温かい笑みを浮かべていた。
みなエスティアがマルノヴァの娼婦と知っていたが今のバルティスは貧しく、生きる苦しさを全員が共感しており、表立って責めるものはいなかった。
この辺りが娼婦に対しては厳しいサンドラ教のマルノヴァと相容れない部分でもあるのかもしれなかった。
酒場は温かな笑みに包まれていた。
蔵人は酒場の隅でそれを確かめると、こっそりと店を後にした。
エスティアは歓迎されて上手くいっているようだが、蔵人は警戒を余儀なくされていた。
収穫祭には月の女神の付き人、バニス、アキカワ、そしてジョゼフとファンフも招待されていた。
ファンフもジョゼフの監視のもとに奉仕活動の一環として北バルークでハンターをしていたのだ。
レイレとしてはハンターの少ない北バルークでハンターとして貢献してくれた彼らを招待するのは当たり前のことである。
夕方ごろから広場で火が焚かれ始めた。
木組みを組んだそれに火がつけられ、街の者たちがそれ囲み、思い思いに飲み、歌い、踊る。
それは月の女神の付き人とて例外ではなく、女たちは楽しそうに街の人と交流を深めていた。
ちらちらと雪が降り、寒いといってもよかったが、街の者たちはそんなものを気にも留めていないようだった。
蔵人は遠巻きに炎を見つめていた。
こういう場で踊るようなことはできず、どちらかといえばそれを眺めて楽しんでいるほうであった。
「――声でもかけてくれたらいいのに」
エスティアが背後から蔵人に声をかけた。
「娼婦のプライベートに首を突っ込む客なんて無粋だろ」
「そう」
エスティアはそれ以上何も言わず、蔵人と適度な距離を保ったまま、炎を見つめた。
ちょうどその時、燃え上がる火を挟んで蔵人は視界にひっかかりを覚える。
ジョゼフ、そしてファンフである。
ほんの一時、炎を挟んで視線は交わるがファンフはすぐに目を伏せ、ジョゼフはそんなファンフを気遣って視線を切った。
バルティスに来てから月の女神の付き人、ジョゼフ、ファンフとの関係はお互いに黙殺といったところだろうか。
何もないならそれでいいと蔵人はその場を後にしようとした。
――ウオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!
どこからか、けたたましい叫びが上がった。
収穫祭は異常な喧騒に包まれていた。
バルティスの街に正体不明の賊が流れ込んでいた。
蔵人は後で知ることだが、急進的な独立派が恭順派を装って行った先日の誘拐が蔵人たちに阻止されたことにより、彼らは北バルークでの立場をなくして追い詰められ、組織として分裂し始めていた。
その内の一部が誘拐を阻止したウリアルテ家を逆恨みし、食いつめてほとんど賊となっていた元村人をバルティスこそが裏切りものだなんだと口車でたきつけ、まるで計画性のない暴走のようなものを引き起こしたのだった。
だが賊たちにとっては不運であり、バルティスの者にとって幸運だったのは今この場に収穫祭に招待された月の女神の付き人、ジョゼフ、ファンフ、バニス、アキカワ、そして蔵人たちがいたことだろう。
羽毛のような雪が舞い散る夜を火球が、雷撃が、氷杭が飛び交う。
うす汚れた格好をした男やそして女までもが剣、槍、そして武器ともいえぬような棒や農具をもって、血走った目をして街に襲いかかっていた。
だが広場になだれこむ賊に対しバニスが盾と長剣を振るって吹き飛ばし、ダウィが大曲刀を文字通り縦横無尽に薙ぎ払い、そして回復阻害、障壁減衰の効果を持つ刀にも似た魔曲刀を振るうジョゼフが瞬く間に敵を制圧していく。
殺すまでもなく、全員が一撃で意識を刈り取っていた。
残りの月の女神の付き人たちは街の人を近くの家にどんどん押しこみ、その周囲を重点的に守りつつ、前線で戦う者たちを援護射撃した。
蔵人も賊の中に飛び込んだ三人のすぐ後ろで、後衛へ敵が漏れることのないようにククリ刀を振るい、土杭や氷壁で行動を阻害した。
そして口笛で雪白を呼び寄せ、ドノルボの二の舞にならぬように不埒な真似に及ぼうとする賊を優先的に制圧してもらうように頼んでいた。
敵は数こそ多かったが個々の力など一般人そのものであり、統率すらとれていなかった。
時間こそかかるが鎮圧することはそれほど難しいことではなかった。
ジョゼフが広場でとすんと腰を落とし、そこにファンフが駆け寄った。
「……もう歳だのぉ」
動いている賊はもういなかった。
バニスが周囲を見渡しながら蔵人を見つけ、よくやったとでも言わんばかりの笑みを見せ、ダウィですらこの時ばかりは蔵人と目があっても軽く睨むだけで、敵意を飛ばしてこなかった。
広場は死んではいないが、死屍累々と言いたくなるありさまであった。
蔵人たちが広場に転がっている賊を縛り、手足を凍らせたりなどして拘束し始めると、避難していた街の人たちが広場に戻り、戦った者たちへ口々にお礼を言い始めた。
深々と頭を下げる者、抱きつく者、なんども手を握ってお礼を言う者。
賊を拘束している蔵人もまたレイレやエカイツなどから一通り礼を受け、最後のほうになって遠慮するようにエスティアが近づいてきた。
「ありがとう――」
エスティアがそう言ったきり、えっという顔をした。
突然の賊の来襲に、このときばかりは蔵人も月の女神の付き人も確執をいったん忘れて、一致団結して街を守ったのだ。
よもやファンフが、ジョゼフが腰を下ろして手から放していた魔曲刀を一挙動で抜き、エスティアごと蔵人を突き刺すとは誰も思わなかった。
その刹那、二人は火波にのみ込まれた。