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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第三章 船を待つ日々/前月
70/144

69-骨人種とは

 酒と温泉にのぼせた頭で判断してはロクなことにならない。

 蔵人はざばっと立ち上がった。勿論、腰に布を巻いて。 

「中で話すか」

 そういって雪白の頭に乗ってうつらうつらしているアズロナをつまみ上げ、部屋に向かった。


 雪白が蔵人の前にのそりと横たわってブラッシングを堪能するその向こう側。つまり火精の揺らめく囲炉裏の対面には、幾多の布を巻きつけて羽織ったジーバが胡坐をかいて座りながら、もの珍しそうに部屋を眺めていた。

 温泉ではすでに眠たそうにしていたアズロナはふわふわした雪白の尻尾をベッドにコックリコックリと舟を漕ぎながらも、珍客の話を聞こうと必死にその一つしかない大きな目蓋を開けたり、閉めたりしていた。

 蔵人がブラッシングの手を止めずに話を聞く。

「なんで家が必要なんだ?」

「……やはり、世事に疎いと見えるな」

 骸骨はどこか呆れているように見えた。

「それはよく言われる」

「……ワタシから頼んでおいてあれだが、まず一つだけ先に聞かせてくれ。オマエは北部三国、アルバウムやエルロドリアナ、ユーリフランツをどう思う」

 唐突な質問に蔵人は怪訝そうな顔をする。

「何か関係あるのか?」

「それによっては頼みを撤回しなくてはならなくなる、勝手な話だがな」

「俺が嘘をついていないとどうやって判断するんだ」

「こんな飛竜のウヨウヨいる竜山に、イルニークや飛竜の変異種の仔と住んでいるんだ、一般的な社会とは距離を置いているのだろうことは想像に難くない。世捨て人とまでは言えないようだがな。

 あとは、オマエの言葉を聞いて判断すればいいだけのこと」

 自分の立場を聞かれたところで困るような相手でもないかと蔵人は判断する。

「アルバウムは気に入らないし、例外を除けば勇者とかいう輩にも関わりたくない。エルロドリアナやユーリフランツにはこれといって良いも悪いも感じていないが……白系人種の独善的で差別的なところが気に入らない。

 まあそこに俺に対して非友好的じゃない社会があるから利用させてもらっているという感じが一番近いだろうな」

 サレハドの支部長やザウル、ラッタナでのアルバウムの影、それにジョゼフやアガサなどを思い返せば良い感情を抱いているとはいえなかった。

 とはいえそれは目の前にいたら目障りだというレベルであり、どうしても殺したい、壊したいというほどでもない。

 ジーバはじっと蔵人を見つめ、そして何かを決めたように話し出した。

「そうか。なら、まずはワタシたち骨人種のことを話さねばならないな。――吸っても?」

 蔵人はジーバの問いに、その場で灰皿を作ってやることで答えた。

 ジーバは囲炉裏の火精から煙木に火をつけると美味そうに吸いだす。骸骨の顔は非常に分かりにくいのだが、微妙なニュアンスだけはなんとなく分かるようだった。


≪これから語ることに嘘はない。ワタシの知る限りに置いて、全て真実だ≫


 厳かな言葉がジーバから発せられた。

 侵してはならない静謐を、蔵人はその言葉から感じた。

「……この間も使っていたが、その言葉はなんなんだ」

 ジーバは少し驚いたような顔をした。

「……この言葉は『真言(ペィマン)』といってワタシたち骨人種の力の根源だ。この言葉で誓ったことは、決して破れない」

「そんなものがあるのか?」

 この世界に魔法的拘束力のある契約というものは存在しない。例外としてそれに近いものとして勇者の持つ加護があるが、それ以外はないとされていた。

「ワタシたちは精霊魔法を使えないかわりに、二つの力を持っている。その内の一つが『死霊交渉(マァズモゥダ)』だ。死霊と交渉し、その死霊を骨に憑依させて力を借りることができる。ガジアジも元はサウランに長く生きた飛竜の主だった」

「死体を操るのか?」

「違う。あくまで死霊と交渉し、力を貸してもらう。そしてそのための言葉がさっき使った『真言』だ。幼い頃より生活の中でのどんな些細な約束事だとしてもこの言葉を使い、この言葉を使った者は決して約束を違えてはならない。そうすることで死霊との交渉時もこの言葉を使い、信じてもらう。

 真言を使って一度でも約束を違えてしまったならば、二度と死霊はその人物を信じなくなる。死霊に信じてもらうための言葉が『真言』なのだ。骨人種が真言の力を失って死霊交渉が出来なくなれば、命精魔法が使えるただの堅い骨でしかなくなってしまう」

「……人の死霊との交渉は可能なのか?」

「正確に言うなら、出来るが、しない。

 能力的には可能だ。だが、骨人種はケイグバードに住んでいた他人種以外からは嫌われている。死んで死体になったところで協力はしてくれない。

 それにある意味でアンデッドになるわけだから、生前の力がそのまま使えるわけでもない。精霊魔法なんかは使えなくなるな。ワタシたちにしても無限に死霊と契約できるわけでもないからな、わざわざ弱い他人種の死霊と交渉する意味もない。

 強制的に死霊を使役して物量で押すことが出来ればケイグバードから奴らを追い出すのも容易なんだがね、残念ながらそれはできないというわけだ」

 蔵人はもう一つ、と前置いてから、悪気ない風に言った。

「……つまり一度ならば、そして死霊交渉を失っていれば嘘はつけるんだな」

 ジーバはその遠慮のない物言いにかすかな笑みを浮かべ、おもむろにその白い骨の指先で幾重にも着込んだ幾何学模様の布の内側を漁った。

 シュルリとジーバの袖口から白い何かが抜け出てくる。

 それは、骨の蛇であった。

 未だジーバの着る布の下に身体があることからその全長は計り知れない。

 骨蛇の出現に反応して雪白の小耳がぴくっと立ち上がるが、威嚇したり身構えることまではせず、小耳を立たせたままで蔵人のブラッシングに身を任せている。

 その雪白の尻尾に包まれているアズロナはというとついに睡魔に屈し、そのやわらかな白毛に抱きついて気持ち良さそうに眠っていた。

 ジーバは骨蛇を片手で弄ぶ。

「元は飛槍雷蛇(バルム・トゥバ)と呼ばれる魔獣で、今の名はイルル。確かに力を失うことを覚悟すれば嘘をつけるが、真言で嘘をつけばイルルは即座にワタシを見限って、ただの骨になるだろうな」

 ジーバの言う全てが嘘、という可能性もある。

 しかし、たかだか家を作るだけでそこまでの嘘をつくこともない。

 蔵人が納得したのを感じ取ったのか、ジーバは淡々と話し出した。

 時折紫煙を吐きだし、灰皿に灰を落とし、そしてまた淡々と骨人種の境遇を語るが、蔵人は聞くほどに自然と眉を顰めていった。


 ジーバたち骨人種はサウラン大陸の西に大きく突き出た半島に住んでいたという。ケイグバードというその地は、砂漠に覆われたサウラン大陸で知られている限り、大きな意味での人種が住める唯一の土地と言われていた。

 骨人種以外にも獣人種や地人種、少数の褐色系人種も住み、全ての種が相手を尊重しながら、時に争いながらもなんとか生きていた。

 しかし、魔法革命による植民地独立などが巻き起こった後期混乱期、北部三国と言われるアルバウムやエルロドリアナ、ユーリフランツは精霊教を信奉する『精霊の民』を『古の約定』を果たすためと主張し、突然ケイグバードに侵攻、数十万人とも呼べるケイグバードの民を軍事拠点が判然としないという理由のもと無差別攻撃して主要都市を奪取。そこに精霊教国レシハームを建国させた。

 後にケイグバード侵攻に参加していなかった国々や月の女神の付き人(マルゥナ・ニュゥム)によって、ケイグバードに僅かばかりの自治区を置き、停戦が成立した。

 しかし今もレシハームの経済封鎖や工作活動、停戦破りの唐突な攻撃、もしくは自治区側からの攻撃によって停戦状態とは言い難い状況が続いていた。


「勇者ミドによる魔王討伐は神話とも一万年以上昔だとも言われているが、それが史実であったという証拠はなにもない。

 勇者や聖女と共に魔王を倒したとされる賢者レシハームが魔王の復活を監視するために建国したと言われているだけの、姿も形もなかった国を取り返すとのたまって、勇者ミドと賢者レシハームが交わしたとされる相互協力の約定の元に北部三国はケイグバードを蹂躙した。

 奴らにとってワタシたちは精霊に見放された化け物らしいからな、女子供関係なく均等に燃やし、壊し、殺していった」

 ジーバのぽっかりと空いた眼窩はどこまでも深く、暗い。

 アルバウムやエルロドリアナ、ユーリフランツは自らの国を、一万年前に勇者ミドがミド大陸に建国したとされる大国、神聖アルバウム王国の系譜にあるとし、それを根拠に勇者ミドの盟友であったレシハームの遺志を継ぐ精霊の民を後押した。

 サンドラ教に伝わっている当時の聖女ウェンディが書いたとされている『魔王討伐記録』によれば、勇者ミドのパーティはサウラン大陸に追い詰めた魔王をケイグバードで討ち果たし、そこで魔王によって封じられていた太陽神サンドラを解放したとされる。また賢者レシハームが残したとされる、精霊教に伝わる教書『精霊神典』では彼らが魔王を討伐すると、封じられていた精霊神が解放されたとも言われている。

 お互いの聖地であり、古の約定もあるという建前の元、北部の国々と一部の精霊の民はケイグバードに侵攻したのだった。


「長命と言われるある高位竜種すらケイグバードにレシハームの国があったことを知らぬというのにな。

 だが古の約定だのなんだのと言っているが、結局のところ奴らが欲したのはサウラン砂漠とその先だった。

 主要都市を制圧した後、北部三国の連合軍はサウラン砂漠に侵入した。

 結果として、九割の兵を失い、北部の国は逃げ帰ったがね」

 ジーバは暗い表情のまま笑みを浮かべているようだった。

 サウラン砂漠は地元の住民から『星の落ちた地(セレ・ヘザール)』と言われ、飢えや乾きに強い骨人種ですら浅い部分までしか出入りの出来ない過酷な土地であった。

 しかし北部三国では魔王の残した宝物が残る地であり、数多くの遺跡の眠る地、未踏大陸への玄関口とも言われており、彼らは古い伝書や調査によって、サウラン砂漠の先があると判断し、その橋頭保としてサウラン大陸唯一の玄関口であるケイグバード侵攻に踏み切ったらしい。

「北部の奴らは逃げ帰ったが、レシハームは今も存続し、北部三国も未だにレシハームを支援している。

 そしてワタシは、そんな北部三国とレシハームに対して敵対している。この大陸では魔獣扱いで、家を作ってくれるような奴はいない。

 そんなワタシにオマエは家を作ってくれるのか?」

 願うようなジーバの声色だが、それほど感情を込めていないようにも見える。

 長く迫害されてきたならば、期待というものもしないようにしているのだろう。


 蔵人はおおよそジーバのいうことを信じていた。

 歴史は双方の言い分があるだろうが、蔵人の判断基準は簡単だった。

 誰が、誰に、どんな理由で、喧嘩を吹っ掛けたか。

 その上でもし肩入れすることになったなら、いわれのない不利益を被った方だ。

 それ以外は判断しようもないし、当事者でもない蔵人には理解できない。

 これを調べるのは容易だろうし、想像するのも難しくない。もし調べることに障害があるのなら、それこそ何か別の力が働いているということになる。

 一万年以上手つかずだった土地に、北部三国と精霊の民がいきなり侵攻し、言いがかりで国を作った。

 骨人種からすれば、それが事実であり、他の事情など彼らにとって斟酌するに値しない。

 サウラン砂漠が誰のものでもなく、その先に大きな利益があろうとも、北部三国がより大きな何かに脅かされた結果の苦肉の行動だとしても、北部三国がそれをしなければ滅んだとしても、ケイグバードに住んでいた者たちには何の関係もない。

 ましてや、ただただより大きな利益、欲望のために侵攻したのだから、北部三国にほとんど縁のない蔵人には、北部三国の肩をもつ理由はなかった。

 仮に一万年以上前のことが真実だとしても、それを根拠に侵略が許されるならば、古の魔王が復活し、過去にこの世界を支配していたのだから、この世界は俺のものだといって世界征服するのも許されることになる。

 もしこれらが全て嘘ならば作った家を破壊するか、別の場所にまた隠れ巣を作ればいい。それでも、もしジーバが敵対するならば、例え勝てないとしても、戦うしかないだろう。

 蔵人がすることは、ただ家を作ることだけなのだから。

「たとえ、あんたがテロリストだろうと犯罪者だろうと、俺と俺の周囲を巻き込まなければ、害さなければそれでいい」

 結局のところ、蔵人のスタンスはそうなる。

 帰属する土地、母国がないのだからそれも仕方なかった。

 ジーバはじっと蔵人を見つめた。

「ほう、ワタシが北部三国やレシハームで罪もない一般人を殺していたとしても、か?」

「北部三国にしろ、レシハームにしろ、当時はすでに民主国家だったはず。多数決とはいえレシハーム侵攻は国民の総意で決めたことなんだろう?それなら、あんたたちにとっては罪もない一般人ってわけでもない。戦時と考えればおかしくもなんともない。それも少数が多数に戦いを挑んで、なおかつ勝たなければならないならやり方など選んでいられないだろうしな。

 まあ、しょせん俺は帰属のない流民で、当事者じゃないからな。当事者ならまた違ってあんたを責めたかもしれない」

「……そうか。ワタシが何をしているのか、教えないことにする。知らなければ問題にならないこともある。まあ、街で少しでも情報を集めれば、なんとなく察しはつくだろうが」

「ああ、そうしてくれ。ただし、俺を巻き込む恐れがあるなら、家を作ってやることはできない。俺は――」


≪――約束しよう。決してクランドたちを巻き込むことはない。クランドが敵対しない限り、クランドと敵対することはない。クランドの立場を利用することはない。クランドとは純粋に良き隣人でいると誓おう≫

 

 ジーバは蔵人の言葉を遮って、そう誓った。

 何があろうと巻き込むことはない。

 偶然であろうが、不可抗力であろうが、意図的であろうが、その全てに置いて誓いを守ると。

 逆にいえば、その全てを跳ね除ける力を有しているということでもあった。

 雪白が警戒するほどの、そしておそらく雪白の手にも余るような強者。

 そしてこの大陸を支配する社会の外側にいる存在。

 蔵人にはそういう存在とつながりを作っておいてもいいだろうという打算もあった。

 サレハドでは誰も信用せず『詰み』かけてしまった。

 そんなことには二度とならないようにしたかった。

 そういう意味では社会の外側に生きている強者との繋がりは、信用があるなら持っておくべきだった。

 日本にいたならばこんな選択はしなかっただろう。

 ヤクザかテロリストに協力するようなものなのだから。

 だだ、この世界では蔵人が異物なのだ。相応の保険はかけておきたかった。

 そして何より、この骨は信用できそうな気がした。

 おそらくそう思わせるために、あけっぴろげともいえるほどに情報を明かしているのだろうが。


「だが、たかだか家を作るというだけのために、会って間もない俺を信用し、なぜここまで情報を開示する?」

 それが蔵人にはわからなかった。

 どこまでが希少な情報であるかは分からなかったが、明らかにジーバにとっての不利益な情報も含まれているからだ。

「それはオマエがワタシたち骨人種にとっての家というものの重要性を分かっていないということと、仮にもしオマエがワタシに敵対してもどうにでも出来るという自信があるからだ」

 ジーバは不敵に笑った。

 その挑発的な言葉に雪白がジーバに顔を向け、灰金色の双眸を細めて睨みつけるが、ジーバはそれを悠然と受け止めた。

 やるならやるぞ、という空気が流れる。

 主に馬鹿でかい猫と動く骨から。

「後でやってくれよ。――で、あんたらにとって『家』とはなんなんだ?」

 心底あとにしてくれと言わんばかりの蔵人に、雪白はフンと鼻を鳴らしてブラッシングを催促し、ジーバは魔獣相手に張り合った自分を自嘲するように苦笑した。

「ワタシたちにとって家は特別なものだ。そこには安寧と繁栄があり、家がなければ、種としても絶えてしまうといっていい。それほどに重要なものなのだ。

 だからレシハームの奴らはケイグバードにあった見える限りの家という家を焼き払い、今も家を作らせないように監視している」

「……分かりやすく言ってくれ」

「簡単にいえば生殖と精神の保全だ」

 蔵人ははっ?という疑問を口にした。

 ジーバはカッカッと笑う。

「骨人種のもう一つの力が『館』と言われるものでな、条件を満たした建造物そのものを『館』という領域で塗り替えるように展開する。

 骨人種の女はこの館の中で男と生殖活動を行い、子を産む。大概の種と子を成せると言われているが、生まれる子は両親どちらかの種になる。そして子を産む場合、どんな種の子だろうと子が腹にいる間は産むまで一歩たりとも館の外に出てはならず、その間は夫がせっせと妻を養うのだよ。

 とはいえ当然ワタシの目的はそちらではなく、精神の保全のほうだ。基本的にワタシたちは他人種から見て骨だ。実際、煙木の煙を吸って栄養とするだけでよく、飢えや渇き、そして痛みにも強い。

 だがこれらは、ある意味で世界に対して鈍感とも言える。

 それがよくない。人としての精神を忘れてしまう。弱さに不寛容になる。他者への思いやりがなくなる。精神が平坦になり過ぎて、感動そのものがなくなり、ただの動く骨に成り果てる。

 それでは、味気ないし、生きているとは言い難い。人とはいえないだろう。だから、ワタシたちの祖先は長い年月を重ねて『館』を作りだし、あえて弱体化の道を選んだ、のではないかと言われている。それこそ骨人種が『館』なしで子を産んだのは神話の話だから、確認のしようもないがね。

 レシハームとの戦争初期、長い間『館』に入ることが出来なかった同胞は、ただただレシハーム人を狩るだけの狂戦士になり、ついには虚ろなただの骨に成り果てて元に戻ることはなかった。

 だから、ワタシの命のために家を作ってくれないか。報酬も相応のものを支払う」

 


 その二日後、蔵人はこの世界で初めて、ご近所さんというものを得た。

 隣というほど近くもないが、歩いてすぐのところである。

 山の構造上、ジーバの家は地下ではなく二階建ての構造となったが、それ以外はほとんど蔵人の隠れ巣と変わらない。

 それぞれの部屋は、骨人種の生活様式とジーバが求めた蔵人の部屋の構造を混ぜ合わせたものになった。居間には囲炉裏、その壁際には壁と接した机にスツール、螺旋階段を上がった二階には研究室に簡易ベッド。温泉を引いた内風呂はあるが、ガジアジを洗えるほど大きな露天風呂はさすがに手間だったので、隠れ巣にあるものを共有することになった。

 蔵人の隠れ巣と違う点は、縦穴を掘って作ったガジアジが住むための洞窟のような空間と出入口のドアだった。

 ジーバは土精魔法が使えないため、出入口のドアには大きな岩を置きそれを『移動』の自律魔法具で動かすことにした。

 ジーバは二日ほどで出来てしまった家を楽しげに、隅々まで見て回った。

「館の条件は出入口があること、それに浴室、寝室があり、生活する上で不自由がないことだ。……二日で作ったとは思えない出来だ、やはり精霊魔法は便利だな」

 居間の中央に立つジーバ。

 そして小さな声で何かを短く唱えた。

 見えない何かが、ジーバを中心にして波紋のように広がった。

 害は、ない。

 だが蔵人の目の前で、信じがたいことが起こる。

 一瞬だった。

 骨が、人になっていた。


 金色の入り混じったダークブラウンの髪はベリーショートとショートヘアの中間ほどの長さで、適当に撫でつけられていた。

 鼻が高く、輪郭や目つきも非常に鋭いが、それゆえに赤黒いワインレッドの瞳は猛獣のような恐ろしくも美しい光を放っていた。

 肌は白いとも言えないが、かといって褐色ともいえない。

 背は蔵人よりも僅かに高く、肩幅も白系人種程度にはあるが、全体的に痩せていると言っていいだろう。

 なにより、


「……女、か?」


 蔵人は無意識の内にそう呟いていた。

 ジーバは呆れたようにいう。

「何を驚いている?骨格カラダを見れば分かるだろうに」

 確かに絵を描くために骨格なども勉強したが、人の骨をまじまじと見るわけがない。

 蔵人はふと温泉を思い出して、複雑な気持ちになる。

 全裸だと思えば勿体なかったような、だがあれはやはり骨でしかなく、しかし……。

 蔵人はジーバを視界におさめながらも、そんなしょうもないことを考えていた。

 ジーバはそんな蔵人を放って、鬱陶しいとばかりに幾重にも羽織っていた布を脱ぎ去り、黒い大きな布を一枚だけ羽織った姿になる。

 そしてそのまま胡坐をかいて囲炉裏の前に座ると、煙木に魔法具で火をつけ、美味そうにそれを吸って、吐きだし、のんびりとその煙の行く先を見つめていた。

 黒い布の隙間から、薄っぺらな胸の先端や胸よりも幾分豊かな腰回りが見えそうになっているがまったくお構いなしである。

 周囲の目を気にしないその姿は未だ戦い続けている兵士としてのならいであろうが、どれだけ楽しげに見えても生きてきた環境のせいかどこか暗い雰囲気は拭えなかった。


「――さて、報酬だが、何か欲しいものはあるか?」

 蔵人は当然のように、ジーバを飽きるまで見ていた。

 描く対象として、女として。

 それで何かをするわけではないが、男の、蔵人のさがというものであった。何か言われればチラ見する程度におさめるが、言われないなら遠慮はいらないと開き直っていた。

 ジーバも蔵人の俗っぽいような、観察するような視線に気づいていたが、特に気にしていない。戦士として長く戦う過程で、羞恥心はとうの昔に忘れていた。

「……考えてなかったな。だが別にこれといって欲しいものもないな」

「……富も力も、女もいらないと?」

 遠まわしにカラダで払ってもいいと言うジーバ。

 蔵人の選択から、蔵人の本質そのものを観察するような目であった。この男はどういう男で、どういう趣向をし、どういう生き方をしているのか。

 だがそれで報酬を反故にする気もない。関わり方が変化するだけである。


 蔵人もジーバの言葉の意味を悟って多少なりとも疼くものはあったが、それはなんだかつまらないなとも感じていた。

 こと男女関係においてどこか屈折している蔵人にとって、対象となる女はそれぞれがそれぞれに、関わり方が違うものだと考えていた。

 仮にアカリならば用務員と生徒として、イライダならハンターとハンターとして、ヨビとはある意味で主従関係として、エスティアとは娼婦と客として。

 もしその延長線上に何かあるならそれを拒むことはないが、なければないでよかった。

 娼婦を買うことに抵抗がなくなった今、ことさら性欲にこだわる気がなくなっていたともいえる。

 ジーバとの関係はまだ掴めていないが、ここでカラダを要求するのは何か違う、つまらない、そんな気がしていた。

 自分自身とジーバが一緒に描かれた絵に対して、それは相応しくないと。

「……確かに、強さは欲しいな」

 何気ない風にポツリとこぼしたが、蔵人にとってはそれが一番必要だった。

 いつ何がどうなるか分からない。

 この世界では、容易に『詰む』。

 そんな恐怖がいつも蔵人のどこかにつきまとっていた。

 しかしそれをジーバが提供できると思っておらず、最初に要求しなかった。

 蔵人の言葉を聞いてジーバは煙木を囲炉裏に置き、脱いだ布を集めた。

「ワタシがオマエを鍛えることは出来ない。骨人種は特殊だ。魔力こそエルフに匹敵するが精霊魔法は使えず、腕力は人種よりもないだろうな。光や聖が効かない、ただ硬いアンデッドといってもいいだろう。

 ゆえにレシハーム侵攻以来、ワタシたちは力を求めたが、皮肉なことに行きついたのは人種の作りだした自律魔法だった。この布には一枚一枚に自律魔法の魔法陣が書き込んである」

 そういって躊躇いもなく集めた布を蔵人の前に置く。

「ここから三枚選ぶといい。その魔法陣に対応した原典オリジンが報酬だ。ここにある原典についてワタシには対抗策があるが、出来れば誰にも教えないでくれ」

 これだけの原典を使いこなしているのだとしたら、ジーバの魔力量は計り知れない。

 自律魔法は非効率と言われるほど魔力を必要とする。当然、複数の自律魔法を使うとなると一般的な魔法士では魔力が足りなかった。

 それを苦もなく発動するのだとしたら、例え精霊魔法が使えないとしてもジーバの実力は想像通り、凄まじいものであろう。

 そんなことを考えながら、蔵人はしっかりと頷いた。

「どんな自律魔法があるんだ?」

 蔵人の問いにジーバは楽しげな笑みを浮かべる。

「それは秘密だ。役に立たないものはないということだけは断言しよう」

 蔵人は十数枚の布をじっと見つめるが、魔法陣は裏に描かれていてどんな原典なのかはさっぱりわからない。魔法陣を見れば、多少魔法の傾向などが分かるのだが、こういう方式をとる以上そうさせる気はないということだろう。

 原典は希少だ。多くは未だに旧特権階級が握っているか、国家が管理している。

 家を作ったくらいで三つも報酬にもらえるのなら破格であった。

 ジーバは余興のように秘密だと言っているが、実際のところ原典を持っていることは秘匿するべきことである。原典を盗もうとする輩は少なくないし、どんな自律魔法を持っているかが知られるだけで、対応策を取られてしまう可能性もある。

 そういう意味も含めて、くじ引きのような形をとっているのはおかしいことでもなんでもなかった。

 蔵人も自律魔法を人前で使わないようにしているし、闇精を用いての自律魔法発動なども秘匿していた。

 それでも十分に魅力的な報酬だった。

 そもそもどうすれば強くなれるかを自分でもわかっていないのだから、運に任せるのもいいだろう。

 蔵人は手近な三枚をさっと抜いて、ジーバに渡した。

 ジーバはそれを見て、

「……『(ネット)』、『捩じる(クロチャーシ)』、『依頼変更(タリルダーン)』か」

 そう呟いて、約束通り、蔵人に原典を一つ一つ丁寧に教え始めた。

 自律魔法といえど原典を知り、その発動条件を備えたところですぐに発動できるものばかりではない。『網』や『捩じる』は原典を知っていれば発動のしやすいタイプであったが、『依頼変更』は非常に繊細な魔法技術を必要とした。

 当然、蔵人も苦戦したがジーバは苛立つことなく懇切丁寧に教えてくれた。


「――『網』は一定の大きさまで自由に不可視の魔力網を作り、射出することが出来るが強度は普通の網と考えてくれ。

 『捩じる』は視界内の対象物を握力と同程度に捩じるものだ。まあ、なんだ、相手の鼻を捩じっておちょくってもいいし、相手が全裸の男なら局所を捩じってやるのも面白いぞ」

 くっくっと何かを思い出したように嗤うジーバ。

 ダークな笑みに蔵人はコメントを差し控えた。局所が縮こまっているような気もした。

「そして『依頼変更』だが、実はワタシが発見したんだ」


 新しい自律魔法の開発は、発見といわれる。

 膨大な試行錯誤と偶然が必要なそれは、まるで宝探しのようであることから自律魔法の開発者は新しい自律魔法の開発を、発見と呼んだ。

「レシハームの奴らの精霊魔法が鬱陶しくてな。

 文字通りこれは発動直前の精霊魔法に割り込んで、精霊への依頼を変更するものだ。ただ予定では違う依頼に変更させるはずが、他人の魔力では精霊に命令できないことがわかってな、中断させることくらいしかできない。他人種にも試してもらったから間違いない。自分の魔力なら当然扱えるが、使い道がない。

 その上、『網』や『捩じる』と違って条件もタイミングもシビアで、発動にもコツがいる。

 だがそれでも、使いこなすことができれば、未だ精霊魔法偏重になりがちな人種には効果的だ」

 精霊魔法に対する自律魔法は多くない。

 精霊魔法の出現の後しばらく自律魔法が衰退したということもあるが、精霊魔法のない時代に作られたのが自律魔法であり、なかったものに対応することができないのは当然だった。

 こうして蔵人は、リスクといえなくもない若干危険な交友関係を経て、魔導書に三ページ、自律魔法を追加することが出来た。


 それから数日後。

 ジーバの家の細かな部分の修正や買ってきた物の整理、竜山の素材や自律魔法の研究、ご近所付き合いなど忙しくしていたが、蔵人は一度山を降りて、バルーク自治区のバルティスに向かうことにした。


 娼婦の、エスティアの依頼を果たすために。

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自立魔法、ゲットだぜ!
[一言] 「こんな飛竜のウヨウヨいる竜山に、イルニークや飛竜の変異種の仔と住んでいるんだ、一般的な社会とは距離を置いているのだろうことは想像に難くない。世捨て人とまでは言えないようだがな。  あとは…
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