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用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第七章 舞い上がる砂塵

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129-三角関係

 
 コースケの他に同行者はなく、周辺には誰かが潜んでいる気配もない。
「南迂回路の周辺調査という建て前で来てますので、誰かが不審に思うこともないかと思います。それと、これはリサを見つけてくれたお礼です」
 そう言って、ミド大陸の酒が入った樽を差し出した。
 即座に雪白の尻尾が翻り、酒をかっさらう。
「だが――」
「――大丈夫です。艦長が秘蔵してい……おっと、まあ、その辺はお気になさらず。本当に、ただのお礼です。他意はありません」
「……いや、それはまずいだろ。人のもんを」
「みんなやってますからね。艦長も黙認しています。本当に秘蔵したいお酒はしっかり隠しているようですし。それではこれで」
 コースケの目的は本当にお礼だけだったようで、そのまま背を向けた。

 蔵人は雪白に尾行を頼もうとして目を向けるが、雪白はなぜか面倒臭そうな表情でコースケのほうを見つめている。
 その表情に嫌な予感を感じつつも、蔵人は立ち去ったはずのコースケを見ると、いつのまに現れたのか、瘤蜥蜴に跨がったハイサムと相対していた。
 アルバウム王国のコースケとアルワラ族のハイサム。
 両者は表向き上手くいっているように見えるが、決してそれだけではないとつい先日イライダに教えられたばかりである。
 蔵人は雪白と同じように億劫そうな溜め息をつき、表面上は友好的に接しながらも、何か腹を探り合っているような二人の下へと向った。こんなところに二人が居座っては、色々と面倒なことになる。特に、ご近所づきあい的な意味で。

「何しに来た」
 アルワラ族とバーイェグ族は、マルヤムの政略結婚とジャムシドとの決闘で、手打ちになっている。歓迎したい相手でもないが、手ひどく扱うわけにもいかない。
「おお、いたか。なに、バーイェグ族に伝言があってな。下手に探し回るよりも、オマエのところなら確実にいつかは来るだろう? ああ、安心してくれ、ここでうちが略奪する気はないし、バーイェグ族に難癖をつける気もない。で、いつ頃来そうだ?」
 他の男衆はウバール近くのモロに天幕を張って、バーイェグ族を待っているという。
「マルヤムは無事か? ジャムシドはどうなった」
 蔵人はハイサムの質問には答えなかった。そもそも蔵人はいつバーイェグ族が来るかを知らなかった。
「無事かって、オレは生贄を要求する黒竜か。まったく。ああ、元気にやってるよ。……あの魔獣への傾倒はちょっと理解できないがな。ジャムシド様は……いつも唸ってるよ。だから北部には来るな。面倒事をこれ以上増やさないでくれ」
 ハイサムはそんな蔵人の反応を気にした様子もなく、蔵人の問いに答えた。
「面倒なのはあいつだ。……見ろよ、名前を聞いただけで不愉快そうにしてるぞ」
 雪白が鼻先に深々と溝を刻み、ハイサムを睨んでいた。

「これは、失礼した。それより、クランドはこいつらの国の人間なのか?」
 ハイサムはコースケに目をやった。
 もし蔵人がアルバウムと関係があるとすれば、アルワラ族にとっては一大事である。
「ミド大陸の北にある山で暮らしていた少数部族の生き残りだ。アルバウムとは一切関係ない」
「奴らの手先じゃないならそれでいい。今のところ、オレたちはクランドと敵対する気はない。色々とあったが、今後はよろしく頼む。これは手土産だ」
 コースケを牽制しつつ、ハイサムが卵乳酒(アルクス)の酒樽を押しつけた。
 蔵人は受け取る気はなかったのだが、ここでもやはり雪白が受け取ってしまう。
――グルッ
 これで手打ちにしてやる、と雪白が一つ唸ると、ハイサムも頷いた。
 もっともその手打ちにジャムシドは入っていないが。
 そのあたりはハイサムも承知している。というよりも、ジャムシドが手打ちなどするわけがない。だからこそジャムシドの感知範囲である北部に近づくなと蔵人に忠告したのである。

「――北部一帯で随分と活動されているようですが、何を企んでいるんです?」
 蔵人とハイサムの関係を観察していたコースケがハイサムに探りを入れる。
 北部の部族間で小規模な衝突が頻発しているのは事実であった。
「なんだまだいたのか。活発もなにも、いつものことだ。それがこの砂漠だろ」
「血には血を、でしたか。それくらいは調査済みです。ですが、最近はあまりにも多い。北部の重要拠点で次々と略奪が起こっています。そう、まるで重石が取れたかのように」
 ラファルはこの地の奴隷を買い上げ、そこから穏便に情報を収集した。
 さらに奴隷から解放し、給与を与え、東部の開拓をさせた。奴隷の代金はその給与から天引きするが、返済してしまえばあとは自由にしていいことになっている。
 そうして短期間でこの地の情報と労力を集めたのであった。

「ほう。随分と長い手を持っているようだな。だが、いつものことだ」
「いえいえ、あなたの部族に吹く『風』ほどではありませんよ」
 『風』とはアルワラ族が各地に配した間者であり、高速の連絡手段のことである。
 右手で握手しながら、左手で殴り合っているとはこの事かと、蔵人は二人の器用さを羨ましく思いながらも、朝っぱらから煩わしいと何度目かの溜め息をついた。
「二人とも用が済んだのなら帰れ。狐と狸の化かし合いは余所でやってくれ。うちはでかい化け猫で手一杯だ」
 ば、化け猫なんかと一緒にするなっと雪白は蔵人の背中にゴスゴスと頭突きをかます。
「……そうですね。朝から失礼致しました。それではまた」
 コースケはそう言って浮艇に乗り込み、ハイサムもじゃあなとだけ残して瘤蜥蜴に跨がった。
 二人が去ると、蔵人はどっと疲れが押し寄せてきたが、雪白にコースケの尾行を頼む。
「終わったら好きなだけ呑むといい。というか、全部呑んでしまってくれ」
 暑いからヤダと言いたげであった雪白であったが、仕方ないという風にコースケを追った。

 結局、コースケは誰かと合流することもなく、東端へ帰って行ったらしい。
「信用できるかどうかはわからないけど、律儀で真面目な男だね」
 蔵人とハイサム、コースケという妙な取り合わせを、訓練の手を止めて面白そうに眺めていたイライダ。律儀というのはコースケへの評価であった。
「俺が生まれた国の男の多くはあんな感じだと思うぞ」
 イライダ、そしてヨビがなにか言いたげにまじまじと蔵人を見る。
「……俺はあまり出来の良いほうじゃなかったからな」
「出来不出来というより、性根の問題だと思うよ」
「……ですが、根っこのところは近いような気がしますよ」
 ヨビが心底からそう言って微笑むと、蔵人は面映ゆさから岩穴へと逃げ出した。
「ああやってすぐ逃げるところは可愛いんだけどねえ」
 普段がどうしようもないというイライダの揶揄に雪白はうんうんと頷き、ヨビもそうですねえと微笑んだ。

 それから何度か岩穴にコースケが訪れたり、ハイサムが訪れたり、さらには両方が訪れたりと、なんとも奇妙な事になってしまった。
 コースケにしてもハイサムにしても、蔵人との関係を修復したい。雪白と対立したくないという思いがあったことは否定していない。
 それに加えて、お互いに蔵人たちがどちらか一方の組織に組み込まれてしまうと困るという思惑もあって、腹を探り合っているようであった。
 蔵人がほぼ独立勢力であるという事や、雪白という強大な力の下ではお互いに強引な手段を取れないという状況で、どうにか蔵人たちとの良好な関係を築き、あわよくば情報を手に入れようとしていた。
 だがお互いに、蔵人たちとの接触は族長や上司には秘密であった。
 ここで国や部族のやり方を用いれば、蔵人との関係が崩壊しかねないと気づいていたのである。


 その日も昼日中から、岩穴にはコースケとハイサムが訪れていた。
 外は灼熱という言葉が相応しい暑さが支配している。
 岩穴の中は普段は随分と涼しいのだが、それでも外気温は六十度に迫っているせいか、真夏の日本くらいには暑かった。
 そんな灼熱から逃げるようにコースケとハイサムは相次いで岩穴を訪問したのだが、そこで蔵人が食べているものに目を丸くする。
「……それは、氷か?」
 昼間は灼熱であるが、砂漠の夜は寒い。当然水瓶の水は凍ってしまうため、ハイサムも氷の存在は知っていた。
 だが、砂漠の昼は暑く、氷など残らない。まして蔵人のように、氷を細かく砕いて食べるような習慣などあるわけもない。
「どこからどう見ても氷だろ」
「いいですねえ、かき氷。よかったら分けてくれませんか?」
「自分で作れ」
「いやあ、氷精の適性が低いんですよ。それにここでは日中氷精がいないじゃないですか。精霊球もすぐ駄目になっちゃいますし」
「おいおい、西じゃあそんなもんを食うのかよ。氷に味なんてないだろ」
「シロップをかけて食べるんですよ……あれ? シロップなんてあるんですか?」

「……食ったら出てけよ」
 蔵人は説明するのも面倒になって、それぞれにかき氷を作ってやり、赤椰子酒の水割りをそこにぶっかけた。
「えっ……」
「それなら悪くないな」
 ハイサムは嬉々として、コースケは戸惑いながらかき氷を口にする。
 味は苦みも炭酸もないほんのり甘いビールをかき氷にかけたようなもので、口にしたコースケが首を傾げている。
「……なんか違うような」
「雪白は喜んで食べてるぞ?」
 雪白は山盛りにしたかき氷に赤椰子酒の原酒をかけて、もしゃもしゃと食べている。アズロナはただの氷を美味しそうに食べているが、ときおり頭がきーんと痛むのか、身体をくねらせて悶絶していた。
「赤椰子酒があるなら、グーラも……」
「干したものしかない」
 赤椰子の実である鶏卵ほどのグーラは確かに甘みがあるが、保存食にするために乾燥させると甘みが減少する。今現在、時期的にあるのはその乾燥させたグーラだけであった。

「甘いものが好きとはな。西の連中の舌は随分と驕ってるようだ」
「あっちじゃあそんなに珍しいもんじゃないんですよ」
 ハイサムとコースケはまたちくちくと腹の探り合いを始めようとしていた。
 だがこの暑さに苛立っていた雪白がうるさいっとぶち切れ、岩穴から追い出される。
 三人とも。
「なんで俺まで……」
 蔵人が戻ろうとすると、来るなとばかりに黒布をぶつけ、尻尾を乱舞させるのだから手に追えない。
「……更年期障害か、それともヒステリーか」
 岩穴の奥からびゅんと雪白の尻尾が伸びてきて、蔵人は砂漠に顔から突っ込んだ。
「――熱っっつ!」
 熱砂に跳び上がる蔵人をコースケとハイサムが恐れおののくように見つめていた。

「……なんでついてくんだよ。お前らがいたら誰も逃げ込ませてくれないだろ」
 龍華風の外套にククリ鉈、その上から黒布を纏う、といういつもの格好をした蔵人だけならば、ウバールの者たちは手伝いついでに匿ってもくれようが、悪名高きアルワラ族のハイサムと東の地を占領した余所者であるアルバウム王国のコースケがいてはそうもいかない。
「まあ、そう言うなよ。俺もウバールはあまり知らないんだ」
 モロに天幕を張ってバーイェグ族を待つハイサムであるが、面倒事を避けて蔵人の岩穴にしか近づいていなかった。
「ウバールに馴染んでいる蔵人さんといたほうが安全ですし」
 コースケはこの砂漠で手に入れた大布を制服の上から羽織っているが、やはりそこは余所者。この地の族長たちに話こそ通しているが、大手を振って街を歩くのは難しい。

 ハイサムの身体能力とコースケの『眼』からは逃れられまいと、蔵人は諦めて適当にぶらついた。
 とはいえ街中は閑散としている。
 早朝や夕方ならば定住民と遊牧民が入り乱れ、活発な物々交換が繰り広げられているが、一般的な砂漠の民はこの昼日中の殺人的な灼熱を避けて、蔵人たちのようにぶらつくことなどしない。
「――ところで、同居している女二人はオマエの妻か?」
 突然の問いに蔵人はぶっと吹き出した。
「あっ、それは僕も気になります。『蜂撃(ほうげき)』のイライダと『星撃(せいげき)』のヨビといったら、あのアンクワールの大規模魔獣災害で名を売り、そのあと『砂漠へ』というパーティを組んでからも各地で活躍した有名な二人組じゃないですか。いったいどんな関係なんです?」
 イライダと行動を共にする内に、ヨビは『星撃』という仇名を得ていた。空中から降り注ぐ星球が魔獣を撃つ砕く様と、相棒であるイライダの仇名である『蜂撃』に関連して名づけられたものであった。

 蔵人は仇名をつけられるまでになったヨビに感心していた。
 もっとも、本人たちは鬱陶しがるだろうが。
 仇名とは文字どおり仇名(かたきな)。二つ名や異名、通り名と言われることもあるが、本来は同名の他者と区別するために、他者が勝手に名づけるものである。名を上げるという意味合いの良い区別ともいえるが、巨人種にとってはそれよりも、狙われ安くなる、多数に狙われているという悪い区別の意味合いが強かった。
 仇名があまり好きではないイライダを師とするヨビも、当然嫌であろうと蔵人は想像したのである。

「……好きなように考えてくれ。俺から言えることはなにもない」
 ここで妻じゃないなどといえば、ハイサムから真実が漏れて、周囲がうるさくなる。それで移住当初は随分と面倒なことになった。
「オマエも随分と砂漠の男らしくなったな」
 力のある男は妻を何人も娶る。それは繋がりという力であり、それだけの者を養えるという力の誇示でもある。ハイサムはまだマルヤム一人であるが、族長のバスイットには十人以上の妻がいる。
「……蔵人さんもハーレムですか。まあ、それについては個人の自由ですが、よく身体と精神が持ちますね。僕は一人いれば十分です」
「……『も』ってなんだよ」
「いや、ハヤトとか、トールとか。まあ、トールの場合は押しつけられてって感じで背中に哀愁が漂ってましたが」
 ハイサムが鼻を鳴らす。
「甲斐性のない男だ」
「節操のない男よりもマシですよ」
 またちくちくとやり合い始めた二人を尻目に、蔵人は立ち止まった。

 そこは小さな天幕の露店。やる気のなさそうな老人がガラクタを広げていた。
 その中にある『草臥れた筆』が、蔵人は妙に気になった。
「ん? なんでここに筆があるんだ?」
 この砂漠で一般に使われているのは羽根ペンであるが、識字率が低いためにそれほど多く出回っているものではない。物々交換とはいえ交易が成立しているため、算数は発達しているが、暗算か、砂に書いて、それでおしまいである。
「ご老人、それを交換してほしいが、塩との交換でどうだろうか」
 眠たそうな老人は、蔵人の塩という言葉に反応して、じろりと見上げた。
「……その小袋一つとならいいじゃろう」
「それは多すぎる。どうせ使い道もない遺跡のガラクタだろ。一つまみでどうだ?」
「ガラクタでも試練の口から持ち帰ったもんじゃ。戦士の誇りを軽んじるわけにはいかん」
 蔵人とて二季ほどもこのウバールで揉まれている。多少の値引き交渉はできるようになっていた。

 何度かやり取りして、小袋半分の塩と交換、ということになりかけたのだが、そこにハイサムが口を挟んだ。
「そんなものは試練の口でも入り口近くに落ちてるもんだ。子供でも持ち帰れる。二つまみだな」
 老人はハイサムの顔をまじまじと見つめてから、あっさりと頷いた。
 交換を終えてその場を離れると、コースケが不快そうな顔で呟いた。
「人を見て商売するとは、さすがとしかいいようがありませんね」
 ハイサムが口を挟んだことで、相手はすぐに値を下げた。アルワラ族ということをすぐに理解したのだろう。アルワラ族は気に入らないが、弱小部族ではどうにもならない。法外な交換比率を提示すれば、それが噂となってしまうかもしれない。老人はそれを避けたらしい。
「ふんっ、キサマらの商人ほど悪辣なことはしてないさ。ぼられるほうが悪いとも言えるがな」
「それは僕じゃないので知りませんよ。なんの保障もなく勝手にやっているだけです。煮るなり焼くなり好きにしたらいいじゃないですか。略奪はお得意でしょう?」

 何かにつけてやり合う二人に溜め息をつきながら、蔵人は口を挟んだ。
「さっきの爺さんとは小袋半分の塩と交換した」
 ハイサム、そしてコースケまでが呆れたような顔をして蔵人を見た。
「……税金みたいなもんだ。相手を見て商売をする。確かに最初は腹が立つこともあったが、理由がないわけじゃない」
 交換する相手の部族は実際それほど裕福ではない。
 交換の基準は、まず部族内での需要が高ければ高いほど、等価交換もしくは赤字覚悟で交換してくれる。
そこから関係の深い部族には割安で、関係の浅い部族には割高で交換する。そのほかにも自分の部族に対する相手の部族の力や財力、そういったものを考慮しているようであった。
 最終的に部族の総支出を見た場合、決して一人勝ちなどしていないのである。

 蔵人もイライダやヨビが絶妙なコミュニケーション能力を発揮してそれに気づき、教えてもらってなお、納得するのに一季以上もかかった。この砂漠で生きていこうとして初めてわかることであった。
 力ですべてをねじ伏せている大部族のハイサムや、東端にアルバウム王国を作ろうとしているコースケではわかり得ないことである。
「そこまで考慮するのですか?」
 蔵人は頷く。
 身も蓋もない言い方をしてしまえば、安全保障上の問題である。雪白がいる以上は負けないが、住むところがなければ雪白も困る。
 もちろんそれが法外なものであれば蔵人も二度と取引はしないが、許容範囲に収まっているならば多少高くなるのは致し方ないと考えていた。蔵人たちが塩に困っていないという事情も大きかったが。
「俺はここに住んでいるからな。郷に入れば郷に従えっていうだろ。……まあ、常にそうできているわけじゃないがな」
 バーイェグ族と一緒にいたときに、略奪や誘拐婚を阻止してきたように、どう考えても許容できないことは決して譲らなかった。
 もっとも、これはこの地に住む必要のない人間には考慮する必要のないことで、蔵人もそれをハイサムやコースケに押しつける気は毛頭無かった。

 またやいのやいのと言い合いながら三人で歩き出すが、今度はハイサムが立ち止まる。
 そこはとある遊牧民族の天幕であったが、中にいるのは神官であった。
 炎の揺らめきが刺繍された朱金の縁取りのある白い神官服を着たサンドラ教の神官は、ウバールの男たちを相手に諭すように話し掛けていた。 
『――黒竜が消えたのも太陽神サンドラの神炎に恐れをなしたからにほかならないのです』
 決して嘘ではない。炎の勇者も横断の際は東端で黒竜と戦っている。多くの黒竜はハヤトたちのほうへ行ったというだけで、アルバウム王国の浮艦が戦っていないというわけではなかった。

 ただ十人ほどいる聴衆の大半は若い男で、ほとんどが日中の暇つぶしに聞いているだけ。話半分に聞いているよりもまだ態度は悪いが、それでも、この正義も悪も部族と共にある砂漠では異質なことであった。
「……勇者、だよな?」
 あまりにも流暢な言葉と日本人らしい顔つきに、蔵人は勇者ではないかとコースケに尋ねた。いくら用務員をしていたからといって、すべての生徒を覚えているわけではない。
「ええ、進藤卓也といって、見たとおりサンドラ教の神官です」
 『業火の弓』という加護を持つ進藤卓也ことタクヤ・シンドー。
 この世界に拉致同然で召喚されてから、周囲の思惑に翻弄され、どうしようもなく追い詰められてしまった。そんなときサンドラ教に救われ、入信し、神官となったのだという。

「事実の審判のアオイ・ゴウトクジとかと一緒か?」
「少し立場は違います。言い方は悪いですが、アオイさんは自分の加護を生かすためにサンドラ教を利用しました。タクヤはサンドラ教の教義を信仰するために神官となりました」
『――神は貴方たちと共にあります。いつでも貴方たちを救うでしょう。そのために、勇者である私がここへやってきたのです』
 タクヤが説教を終えると、今度はタクヤのパーティメンバーの一人が話し始めた。ウバールでは一般的な言語を流暢に話している。
「暗黒の時代を抜け出すためにも、東の地で再出発してはどうでしょうか。アルバウム王国は皆様を歓迎致します」
 サンドラ教はアルバウムの協力で東端へ行き、サンドラ教はそこでアルバウムの支援をする。そういう仕組みが出来上がっていた。
 東端の支配を知らしめること。東端の開拓を行うために出稼ぎを募集すること。働き次第では開拓した土地を己のものとすることができること。
 砂漠の民による略奪や占有を防ぐために東の地へ入ることこそ制限をかけているが、アルバウム王国は決して彼らを排除することなく、開拓を進めていた。

「……」
 ハイサムが今にも跳びかかって殺してしまいそうな鋭い眼差しを神官へと向けていた。
「……族長や強き戦士たちは歯牙にもかけていないが、あれは危うい」
 ハイサムは北部でも何度かサンドラ教の説教を聞き、その教義に惹かれた。連綿と繋がる血の報復はやはり非生産的だと思わざるを得なかった。救われるような気すらした。
 だが、だからこそ気づいた。
 サンドラ教の教義は神と個人が結びつき、連綿と続いてきた部族と個人を断絶するものなのだと。正義も悪も神が決め、部族の正義と悪を否定する。そうして部族の連帯を破壊することこそが、サンドラ教、いやアルバウム王国の目的だと確信していた。

 生とは何か、死とは何か。己も自らが略奪した相手のように屍を晒すのか。そうしたあとはどうなるのか。
 大半の若衆がそんな根源的な疑問をどこかに持っている。どんな勇猛な男であっても、年若い頃の不安定なときというものはあった。
 本来であれば、それはすべて部族の定めとして教わり、この砂漠で生きていく内に体感していくものだが、サンドラ教はそれに一定の答えを『すぐ』に出してくれる。
 もしそれが部族の中から出てくるのならば、ハイサムもそれほど大きな危機感は覚えなかったかもしれない。
 だが現実には、強大な力と勢力を誇る余所者が持ち込んでしまった。
 余所者が持ち込んだ神がすべての正義と悪を決め、それを信じる者が増えるほどに、部族は割れる。割れるどころか、自壊する。
 確かにまだほとんどの者が与太話と笑っているが、今後どうなるかはわからない。
 呪術は危険だが、ハイサムはサンドラ教のほうを危険視していた。

「アルバウムの方針は侵略ではありません。布教もこの街の有力者から許可されたものですので、この地を力で支配しようとしているアルワラ族に非難する資格はありませんよ。それに、力のあるものがすべて正しいのなら、あなたの邪推するようにアルバウム王国が何かしていたのだとしてもなんら問題はないと思いますが」
「だが、少なくともキサマらは余所者だ。それにな、オマエの上司は部族間衝突を煽ろうとしている節がある。何か企んでいると思ってもなんらおかしくはない」
「……そもそも血で血を洗う抗争を繰り返し、人心を荒廃させているのはあなた方だ。ただ力で抑えつけ、殺し、奴隷とする。そんな生活に疲れ、助けを求めるのは当然です。もし本当にこの砂漠が素晴らしいものならば、誰もサンドラ教徒になどなりませんし、東の開拓に手を貸そうとも思いません。もし仮に、彼らが戻ってきたとき、あなた方に牙を向けるのだとしたら、それは自業自得です」
「弱みにつけ込んで、救世主気取りで砂漠に火種を持ち込んでいるのはどこのどいつだ。放っておけよ。殺し合おうが、奴隷にしようが、それはこの砂漠の問題だ。この砂漠で屍を晒す気がない余所者は首を突っ込むな」
「首なんて突っ込みませんよ。僕たちは東の地があって、砂漠を安全に航行出来ればそれでいいんです。むしろあなたたちが襲撃しているのでしょう」
「知らんな。仮にそうだとしても、それがこの砂漠の流儀だ」

 蔵人は複雑な思いで二人の言い合いを聞いていた。
 略奪や誘拐婚の妨害など、蔵人も似たようなことをやってきた。
 もちろんこの砂漠を支配しようなどという思惑はないし、大国や大組織の後ろ盾もない。その意図はかなり違うものであると自分でもわかっている。
 それでも受け取る側にはあまり関係がないのではないかとも感じていた。
 その上で思うことは、やはりミド大陸側のやっていることは許容できないというものであった。同時に気まぐれな暴力で支配しようしているアルワラ族のハイサムも肯定できない。

 ミド大陸では宗教と魔法が、日本でいうところの科学や哲学である。
 しかし文明の未発達なこの砂漠では、土着の緩やかな信仰に基づく部族の意志がそれに当たる。
 ミド大陸やこの砂漠ではそれらが信じるべき真実であり、それは科学で証明されることがほぼ真実であると信じる日本の感覚と同じであった。
 だからこそ、この世界の人は宗教を、部族を信じる。信じざるを得ない。

 アルバウムはそれを利用しているというハイサムの言葉は決して間違いとはいえない。だがハイサムも暴力でこの砂漠を支配しようとしている部族の一員である。やっていることにはそれほど違いがない。
 ゆえに蔵人はどちらの話も理解できるが、どちらも許容はできなかった。
 突き詰めれば、立場の違いというところに行き止まる。
 コースケとハイサムも、二人の言い合いに加わろうとしない蔵人が別の考えを持っていると気づいた。
 ハイサムはさもあらんと納得しており、コースケもそれが帰属する先を決めたか決めていないかの違いだろうと察して、何も言えなかった。
 三人はそれきり岩穴に戻ることなく、そのまま別れることとなった。


 日が暮れ始めた頃、蔵人が岩穴に帰るとまだ雪白がいた。
 誰かいないと泥棒が入るじゃないかと雪白は蔵人を責めるが、そもそも追い出したのは雪白である。蔵人は雪白が溜め込んでいる『宝物』など知らないのだから仕方ない。
 蔵人はなんとなく納得いかないまま、囲炉裏に座ると、露店で手に入れた筆を取り出した。
 筆先を洗い、毛先をナイフで整えると、何か蠢く感触が返ってくる。
「やっぱ魔法具か……」
 一人でそんなことを呟きながら、呪いがないか確認し、魔力を流すが……起動せず。
「……」
 壊れていると判断した蔵人は、壊れていようが筆は筆と墨をつけて、試し書きをしようとするが――。

 ――『跳ねた』。

 筆はいそいそと出かけようとしていた雪白の背に飛んでいくと、さらさらと何かを書いていく。
 それは見たこともないような文字であったが、翻訳能力がある蔵人には読むことが出来た。

『愚か者なり。傲慢にして奔放なる悪女よ。我の怒りを思い知れ――』

 そのあとはもはや聞くに堪えないような罵詈雑言の羅列であった。
「おかしいな。呪いじゃないはずなんだが……」
 魔法教本を引っ張り出して調べ出す蔵人であったが、雪白がゆらりと振り返った。
 筆は今なお動き続け、雪白の顔にまで悪戯書きをしている始末。筆は雪白の尻尾を巧妙に避け、なおも描き続ける。
――ガルッ
 死ね、と一言だけ唸り、雪白は蔵人に飛びかかった。
「こ、壊れてるんだよ、しょうがないだろっ」
 理不尽の仕返しだと言わんばかりに、蔵人がくっくっとほくそ笑んでいたのもまずかった。
 雪白は報復とばかりに蔵人をマルカジリにした。
「――相変わらず仲が良いね。ぷっ」
 そこへイライダとヨビ、アズロナが帰ってきた。
 まるでパンダのような落書きを描かれた雪白を見て、イライダが噴き出し、ヨビとアズロナが笑いを堪えるように口を押さえていた。

 イライダとヨビはそのまま私室で着替え、戻ってきた。
 ヨビはバーイェグ族風、イライダはレシハームの巨人種風の普段着。ヨビのものはバーイェグ族から、イライダのものは母ヨランダから譲り受けたものである。
「何があったか知らないけど、早く身体洗っておいで」
 イライダが交換してきた酒壺を揺すると、雪白は呆気なく蔵人を投げ捨て、浴室へ飛び込んだ。
 すぐに戻ってきた雪白はイライダと早速飲み始め、その横でヨビが食事の準備を始めた。
 蔵人は頭部の噛み傷を治しながら、囲炉裏に座り込む。
「すぐ出来ますので、少し待っていてくださいね」
 食事は当番制で、今日はヨビの番であった。結婚していたこともあり、ヨビの料理が一番うまい。
「ツマミも頼むよ」
 ヨビが手早く肉を切り、串に刺して囲炉裏に立てると、肉の匂いに誘われてアズロナも囲炉裏に陣取った。

 蔵人は囓られた頭をさすりながら、その様子をぼぅと眺めていた。
 イライダとヨビ。確かに美人で、気立ても良い。生活能力もあれば、戦闘能力も高い。
 手の届くところにある花に近づきたくなることもあるが、蔵人は今の関係で十分であった。
 気の良い女たちを見て、描く。
 軽口を叩き、飲み明かす。
 友人ともいえるニルーファルやファルードとも親密な関係を築いている。
 ウバールに住む人々とも、余所者なりに良い付き合い方が出来ている。なにより、雪白やアズロナが受け入れられている。
 日本にいたとき、ミド大陸にいたときからは考えられないような状況であった。
 いや、似たような状況はあったかもしれない。だが、蔵人自身の気持ちが違っていた。

 確かにここは過酷な地である。
 ひとたび飢饉が起きれば部族衝突が起き、一気に血が流れる。
 日本にいたときならば、こんな物騒な場所で生きることは決して選ばない。旅行すらしたいと思わないだろう。
 だが今は、ここで生きることが何より、自分が自分でいられた。
 やり方次第ではどうにか手に負える問題が多い。敵が、少ない。
 その実感は何よりも得がたいもので、蔵人の気持ちを安定させた。
 似たような状況であっても、見えるものがまるで違っていた。



******



 その夜、雪白は再び黒竜の断崖で宝探しをしようとしていた。
 雪白もまたほろ酔い気分で、ご機嫌であった。
 互角に飲み交わす相手がいて、心根の悪くない女が蔵人たちの面倒を見てくれる。
 なにより、人が魔獣と近かった。ミド大陸にいたときとは違って力さえ示せば、人に対して一方的に譲歩する必要がない。それが何より、楽であった。

「……この間はごめんなさい」
 小さな岩穴に頭を突っ込んで戦利品を探していた雪白の背に、リサが謝った。
 気配には気づいていたが、面倒で無視していたのだが、声までかけてきた。
 雪白はなんの用だと不機嫌そうに睨むが、リサはまったく怯えない。
「……通じるわけないか。でも、ありがとう」
 コースケが話したわけでもなさそうなのに、何故かお礼を言われてしまう。
 雪白は目を白黒させ、困惑する。
「わたし、決めたの。移民協会を作るって」
 移民協会を設立し、女たちを守る。同時に倫理観とルールも決めていく。勇者の権威だってなんだって使ってやる。もう迷わない。
「……きっとタジマ先生ならこうすると思うんだ」
 ゴウダを選んだ弱さは自覚しているが、今でもタジマは尊敬していた。
 こんな世界でも毅然と己を貫く。戦う。その姿が格好良かった。
 自分もそうなりたいと思った。
「ふふ、まったく関係ないのに、ごめんなさい。でも、あの夜のあなたがタジマ先生と重なった。汚れのないその白さが思い出させてくれた。だから、ありがとう」
 そうしてリサは去っていった。
 雪白は終始首を傾げていた。
 いったいなんなんだと。



*****



 リサはそのままラファルの元へ向った。
「――移民協会を設立します」
 ラファルはそうか、とだけしか言わないが、小さく笑みを浮かべていた。
 リサはその笑みが好きだった。
 少しでもラファルの、いやゴウダの横に立つに相応しくなれただろうか。
 リサは今日ばかりは甘えることなく、ラファルの部屋を出ようとする。やるべきことはたくさんあるのだから。
「……どうしようもなくなったら言え。少しくらいは手を貸してやる」
 リサはそんなラファルの言葉にやっぱり我慢できなくなり、満面の笑みでラファルに飛びついて、キスをした。

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