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用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第七章 舞い上がる砂塵

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128-月は巡り、砂は流れる

 


 月の色が蒼から黄、朱へと変わっていくにつれ、蔵人たちもウバールでの生活に馴染んでいった。
 蔵人たちの主な収入は蔵人の呪術、そして通訳であった。
 このウバールは、北部を支配するアルワラ族に従わない南部の部族が交易に集まっている。
 当然のことながら、それぞれの部族の言語は共通言語ではなかった。
 もちろん交渉にはそれぞれの部族から言語に長ける者が出張るが、それ以外の生活の細かな部分で大なり小なりトラブルは尽きない。
 そこで蔵人の翻訳能力が生きた。
 異種族奴隷のちょっとした揉め事や族長の手を煩わさない程度のご近所トラブル、さらには先祖の残した読めない石碑の解読まで、蔵人は請け負った。
 過剰な報酬を求めない事に加え、同盟者であり後ろ盾でもあるバーイェグ族の信用と雪白の圧倒的な武力、蔵人の呪術にイライダやヨビのコミュニケーション能力も加わり、どの部族にも荷担しない中立的な独立勢力としての立場を十分に生かすことで生計を成り立たせていた。


 日も明け切らぬ早朝から、蔵人たちはもはや日課となりつつあった朝の修練に汗を流していた。
 イライダは『星槍(セレ)』を振い、ヨビも竜血鋼の星球で恐ろしい風切り音を鳴らす。雪白はアズロナを限界まで追い込み、蔵人はようやく完成した魔法式の最後の見直しを行っていた。
 それからしばらくして、太陽がちょうど地平線に半分ほど顔を出した頃。
 イライダは星槍を砂地に突き立て、勇者たちから買っておいたタオルで汗を拭う。
 胸の谷間に溜まった汗を拭う姿に、蔵人がちらりと目を向けると、イライダはむしろ見せつけるようにして、面白がるように話し掛けた。
「まさかクランドの世話になるとはね。アタシら二人はアンタの奥さんらしいけど、アタシもご主人様、いや旦那様って言ったほうがいいかい?」

 実際のところは、妻ということにしておいたほうが色々と面倒な事が起こりにくいというだけで、蔵人とイライダ、ヨビはそんな関係になってはいない。三人とも割り切った関係が出来る者たちであるが、痴情のもつれでギクシャクするのも面倒臭いと一定の距離を保っていた。長期遠征中のハンターの習慣ともいえるし、見るだけでも比較的満足できてしまう蔵人の特殊な習性ともいえた。
「残念ながら二人も養う甲斐性はないな。それに今のところ俺の収入がちょっと多いだけだ。いつまでこんな生活が続くかわからないが、東と本格的な交易が始まれば、俺の稼ぎなんざイライダならすぐにぶち抜くだろ」
 いわゆる東端、サウラン砂漠東部を開拓しているミド大陸諸国との交流が深まれば、高名な三つ星ハンターであり、この砂漠をよく知るイライダは重宝される。今とて無駄飯食らいとはほど遠く、さまざまな部族とコネクションを築き、言葉を覚え、積極的に魔獣を狩っていた。呪術だけでは生計に不安があった蔵人に、翻訳能力を生かしたらどうだと勧めたのもイライダであった。
 ヨビはヨビで空を飛ぶという特性を活かしてグーラの採取などを手伝い、そのついでに近所の奥さんや奴隷たちとも親しくなった。自らの出産経験と蔵人のうろ覚えの日本の知識を生かして子育てや出産の手伝いも行っている。
 イライダとヨビ。東端で随一のハンターと称えられるのもそう遠くないことであろう。
 ようするに、今現在一番大きく稼いでいるのが蔵人というだけのことで、誰もが無収入ではなかった。

「仮に養うことになってもかまいませんよ?」
 ヨビの冗談とも本気ともつかない言葉に、汗を拭くヨビの姿を横目にしながら、蔵人は小さくノーコメントと答えた。
 それが聞こえたのか、イライダとヨビがくすくすと笑う。
「ああ、そういえば。ついに来たみたいだよ?」
 五隻の浮艦が北の迂回路を通ったという噂。
 噂がこのウバールに到達するまで相当の時間はかかっているため、浮艦が通ったのは黄月の半ばから終わり頃だという話であった。
 他にも浮艦が一隻遭難したという噂やどこかの部族が浮艦を襲ったのだという噂、さらにバーイェグ族がそれに介入して救助した噂もあったが、真偽は一切不明である。
「北の迂回路で襲撃するなんてアルワラ族くらいだろ……ん? アルワラ族とミド大陸の連中はそれなりに上手くやってるんじゃないのか?」
「表向きはね。浮艦はアルワラ族に通行料を払って安全を買ってる。だが連中は顔を隠して、浮艦を襲ってるようだね。まあ、証拠はないけど。東端へも何度か略奪に行って追い返されたって話さ。……まあ、ミド大陸の連中もこそこそやってるみたいだけどね。……って、やるのかい?」
「ああ、頼むよ。たぶん、倒れる」

 何度も見直していた魔法式。あいにくと新しい自律魔法を生み出したなどという大発見ではなかった。
 蔵人は魔導書を左手に開きながら砂の球壁を形成し、球壁内で詠唱を始める。
 そして、魔方式が発動した。

 ――。

「……確かに最上級、いやそれ以上と言ってもいいかもしれないけど……」
 イライダがそう零しながら、蔵人が開発した魔法式の結果をちらりと見てから、ヨビと共に蔵人の下へ向った。
 魔法式の一撃は、球壁の周囲にあった砂をごっそりと削り取り、大きな扇状の津波となった。それは発動した瞬間は女の手のようでもあったが、その威力はそんなに生易しいものではない。
 まるで大波が時を止めて形を残したように、砂がそそり立っていた。
 だが、イライダの顔色は優れなかった。
 イライダは蔵人の入っている球壁を破壊し、球壁に身体を預けて気絶している蔵人を介抱する。
「気絶するんじゃあ、使いもんにならないよ」
 至極まっとうな意見であった。


 昼過ぎになって、蔵人は目を覚ました。
 イライダもヨビもいない。おそらくは何か手伝いか仕事にいったのだと蔵人は察したが、少し寂しい、などと思っている暇はなかった。
 神経に触れるようなきりきりとした腹痛。
 一刻の猶予もなかった。
 蔵人は慌てて、トイレに駆け込んだ。
 魔力枯渇症状であった。
 穴を空けただけの和式トイレにしゃがみ込み、蔵人はほっと一息つく。
 オアシスの水源を汚染しないようにと、底も見えないほどに深く掘った穴をトイレとしていたが、そんな粗末なトイレにも関わらず、蔵人の心は軽かった。なんせ石で尻を拭く必要がなく、何かが噛みついてくることもないのだから。

 出すものを出してすっきりした蔵人は、未だしくしくと痛む腹部に今日は働く気もおきず、ゆらゆらと揺らめいていた雪白の尻尾を抱き寄せて、共有スペースにごろりと横になる。
「……ん? なにやってんだ?」
 蔵人の問いに、雪白の背がびくりと跳ねる。
 いつもならば驚くことなどないし、勝手に尻尾を枕にしたら抗議の一つや二つするのが雪白であるが、今日は違っていた。
 なんでもないとそっぽを向いて、口笛でも吹いていそうですらあった。
 まあ、いいか、と蔵人はそのまま眠った。

 蔵人はそのまま日暮れまで眠り、イライダやヨビが帰ってきたところで目を覚ました。
 雪白は夜遊びに行ったらしく、もういなかったが、そこに思わぬ来客があった。
「――初めまして、じゃないかもしれませんが、初めまして。コースケ・サトーです。アルバウム王国特務官として働いています」
 蔵人は咄嗟に身構えるが、コースケは戦意など微塵も滲ませることなく、来訪の理由を告げた。
 今朝方、とある理由から同僚の女性を捜しているところで、偶然蔵人を『見つけた』、と。



*****



「――どうして放っておくんですかっ」
 『氷姫』の加護を持つリサ・ハヤカワが、ラファルの部屋にある机に身を乗り出し、詰め寄っていた。
 先日、移民の第一陣を乗せた五隻の浮艦が東端に到達した。本来六隻であったところ、途中砂嵐に遭って一隻がはぐれ、そのまま行方知れずとなっていた。
 だが、リサが問題としているのはそれではなく、勇者たちが乗っていた浮艦以外の内部規律の問題であった。
「私が今どういう状況にあるか、わからないわけではあるまい」
 憤懣やるかたないといった様子のリサを不機嫌そうに睨むラファル。
「それはっ……わ、わかってる。でも、だからといっても暴力やレ、レイプを放っておいていいわけない。それも仕事じゃないでしょうっ?!」
 東の地への移民は、その多くが一攫千金を求める困窮者であった。決して品行方正な者たちとはいえない彼らは、東端への長い旅路と浮艦という閉鎖環境、死の砂漠を進むというストレスに耐えきれず、勇者たちの同乗していなかった浮艦で女性への暴力やレイプを行ってしまった。
 船という閉鎖環境で男たちに暴動を起こさせるのも面倒だと、各船の艦長はある程度黙認していた。
 これはスラムに近しいところに住む者たちを蔑視していたり、女性に対する人権意識の低さが大きく影響しているのだが、比較的当たり前のことというこの世界の現状を示してもいた。
「一つ、それが起こったのは他国の事だ。二つ、私には本国から命じられた仕事がある。三つ、気になるなら自分でやれ。最初から人に頼るな」
「だ、だけど、あたしじゃあ……」
「なら力をつけろ。できないなら諦めろ」
 冷たいラファル、いやゴウダの言葉にリサは部屋を飛びだした。
 確かにリサは憧れていたタジマではなく、ゴウダを選んだ。だが、タジマの生き方、思想までを否定していたわけではなかった。


 そのときコースケは東地に作られた監視塔にいた。
 北の迂回路から東端へと繋がるルートには簡易な砦が急ピッチで造成されていたが、南の迂回路ルートには敵対部族がいないため、まずはこの監視塔が建てられた。
 そこでコースケは『大地の眼』を用い、南の迂回路の地形や気候、時間経過による変化を記録する任務についていた。北の迂回路周辺を支配するアルワラ族と決裂したときのために、新規ルートを開拓するというのがアルバウム政府の目論みであった。
 そこでコースケの『眼』は、リサの姿を見つけた。

『氷姫』の加護を用いて作った氷のサーフボードに立ち、砂漠方面へと向う姿を。
 すぐさまリサが移動する軌跡を記憶するが、いかんせん遠く、速い。
 一瞬任務のことが頭にちらついたが、ままよと超小型の浮艦ともいえる浮艇(フローター)に飛び乗って追跡するが、速度の差を覆すことはできず、いつしか完全に見失ってしまった。
 確かに砂漠、黒竜の断崖方面へと行ったはずだが、断崖と東端の間には森がある。今は黒竜こそいないが、その森は深く、調査も及んでいない。
 仕方ないと『大地の眼』で魔獣を避けながら森を抜け、浮艇から下りて岩山を登り、断崖の天辺に立つが、やはり誰もいない。
 そこから『大地の眼』で手当たり次第に周囲を『見続ける』と、とんでもないものを見つけてしまった。


 一方のラファルはリサを追うこともなく、そのまま寝台に横たわり、『分体(クローン)』の一つに接続する。
 すると、ラファルの前にニハーファの中立部分である交易地が視界に広がった。
 適当な部族に純金を掴ませて家を一つ借り受け、分体を潜ませておいたのである。
 ラファルは深々とローブを着込み、バスイットの下へと向った。
 なぜ今、リサを追うことなく、バスイットの下に向うのか。それは五隻の浮艦に乗って派遣されてきた東部総督の命令であり、ラファルの所属する派閥の思惑でもあった。



******



「――遭難した浮艦の行方を探せ。それ以外の任務はこちらで引き継ぐ。余計なことはするな」
 五隻の浮艦に乗ってやってきた東部総督は、まるで小間使いに命じるかのようにそう告げた。
 この東部総督とラファルが敵対する派閥同士の関係であったことが原因であろうが、死の砂漠とまで言われるサウラン砂漠を横断し、現地部族と穏便に交渉、ハヤトたちを出し抜いて東端へ先んじたラファルにするような命令ではない。
 これだけで終わっていればラファルもやりようがあったのだが、そこへラファルの所属する派閥が寄越した使いの者が現れる。
 東部総督の目を盗んでこっそりと接触してきたそいつは、ラファルへ八つ当たりするように、怒鳴り散らす。
「……まだ調査が終わってないだと? 流民のお前をここまで取り立ててやったのは誰だ? 奴らの思うようにはさせるな。早く砂流航路の地図と技術を探り出せ。しょせんは未開の部族だ、多少強引な手を使ってもかまわん。なぜいち早くお前を派遣したのか理由がわからんわけではあるまいっ」
 東端の確保と陣地造営、周辺部族との折衝に、南迂回路の調査。砂流の地図や知識どころか、彼らが求める利権の遺跡や鉱山を調査する時間などあるわけもない。



******



 そんな本国の派閥争いの延長線上でラファルはこうしてバスイットに会いに来たわけである。
「やれやれ、なんの先触れもなく現れるとはな。アルバウム王国は礼儀もない野蛮な国のようだ」
 突然天幕を訪れたラファルをさんざん待たせた挙げ句のバスイットの台詞であったが、ラファルはすぐに本題を切り出した。
「聞きたいことは一つだけだ。浮艦が一隻遭難した。どこかで見ていないか?」
「知るわけなかろう。砂流のことなどさっぱりだ。腰抜け同士仲が良いのだろう? 奴らに聞いたらどうだ。そもそも、本当に遭難したのか? 難癖をつけるつもりならばこちらにも考えがあるぞ」
「一定距離ならば浮艦の位置がわかるようになっている。いや、知らないのならばいい。この土地の支配者が知らないのならば、我らが探したところで無駄だ」
 バスイットの言った『砂流』という部分を収穫に、ラファルはバスイットを煽てた。

「ふんっ、貴様らがバーイェグ族と接触したことは知っているぞ。事と次第によっては通行料を上げねばなるまい」
「奴らに遭難船の救助を求めただけだ。まあ、相互不可侵と砂流の領有の禁止を突きつけられたがな。それと今後の友好関係次第では、互いに友好使節の常駐までいくかもしれん」
 弁解するようなラファルの言葉に、バスイットは眉間の皺を深くした。
 砂流の領有禁止を突きつけた。つまりは砂流の支配者であるとバーイェグ族が明言したに等しい。それに加え、友好使節の常駐ともなれば、あの呪術をバーイェグ族が手に入れる可能性がある。いや、すでに蔵人という西外人が共に暮らしている以上、すでに手にしているかもしれない。
 バスイットにとってそれは看過できる問題ではなかった。
「……ふんっ、まあいい。用が済んだらとっとと出て行け」
 言われなくともそのつもりだと言わんばかりに、ラファルはさっさとバスイットの天幕を出た。
 そのあとすぐ尾行者の存在に気づくが、ラファルはクックッと声を低くして笑い、交易地の雑踏に紛れていった。



******



「――ちっ、腰抜けの西外人めが」
 尾行していたラファルに逃げられた。日が暮れるまで追い続けたが、いつのまにかラファルの着ていたローブだけが残っていたという。まるで砂幻に惑わされたようであったらしい。
「……戦ですか?」
 天幕の外でバスイットとラファルの会話を聞いていたハイサムが気乗りしない様子で続ける。
「連中の呪術に若衆が二の足を踏んでます」
「貴様らが逃げ帰るから舐められるのだ。呪術に当たるなど、いつからそんなノロマになった」
 浮艦や東地への襲撃はすべて失敗していた。
 表面上は虚勢を張っているが、この地の呪術とは違う強力な術をほぼすべての者たちが用いることに若衆は恐れていた。それに略奪ができないことで、貧しい氏族の者たちのやる気はなくなっていた。
 だが、そんなことを言えば、バスイットは激高するだけである。
 ハイサムは黙ってバスイットの罵倒を受け入れた。
「ふんっ、兄弟たちに伝えろ、『大会合』を行うとな。儂は連中に聞かねばならんことがある」
「……連中とは?」
「まだ知る必要はない」
 そう言ってバスイットはそのまま天幕を出て行ってしまった。
 残されたハイサムは溜め息をつきながら、自分の天幕に戻る。
 バスイットの言う兄弟とは北部の各地を力で抑え込んでいる者たちの事で、その力はバーイェグ族の船頭にも匹敵する。そんな彼らを呼ぶということは、大規模な戦が控えているということに他ならなかった。
 そうすると相手はアルバウム王国とバーイェグ族、そのどちらか、もしくは両方ということになる。
 東の地を得たアルバウム王国とは表面上良好な関係を保っているが、アルワラ族が得ているのは通行料の純金だけ。それとて南の迂回路を使われてしまえば、それで終わりである。
 ほとんどの黒竜が消えた今、東の地にある緑地は純金以上の価値があった。
 だからこそ、何度も浮艦に襲撃をかけ、東の地へ向おうとしたが、すべて撃退されてしまった。
 だが何度も撃退されることで、ハイサムには一つの疑念が生まれていた。

 呪術は誰でも覚えることができるのではないか。

 現在砂漠にいる呪術師をすべて合わせた以上に、アルバウム王国は呪術師を揃えている。しかも一見して戦士ではない、女衆と見紛うばかりの者たちすらも使用していた。
 覇気も殺気も感じられない輩が、若衆とはいえ容易に蹴散らす様は異常の一言に尽きた。
 であれば、西外人である蔵人を匿っていたバーイェグ族はすでに呪術を手にしているのではないか。調停者ぶった顔をしながら、その力を隠しているのではないか。遥かかつての栄光を取り戻そうと考えるのではないか。
 そう考えるのはなんらおかしなことではない。
 事実、ラファルはそれを裏付けるようなことを言っていた。その真意はわからないが、バーイェグ族に聞けばわかるような嘘をつくとも思えない。いや、そもそもバーイェグ族の言葉をアルワラ族が信じないというところまで織り込み済みなのかもしれない。

 あの呪術はバーイェグ族の数の少なさを容易に補う。
 そしてバーイェグ族が決起すれば、これまでアナヒタが施してきた恩によっていくつもの部族が呼応する。砂流の奥で、別の部族と結託していた、なんて可能性も大いにある。
 その証拠に見たこともないような素材をバーイェグ族が交易地に流していた。

 若衆たちをなんなく撃退する力をバーイェグ族が手に入れる。
 それはかつてバーイェグ族が黒賢王に仕えていた時代の伝説に重なった。
 素早い身のこなしと強大な呪術でもって四天王の一人にも数えられていた存在。
 ハイサムですらそれを想像すると、身震いしてしまった。
 今のところ、バーイェグ族とはバスイットとバスイットの兄弟たちの武力で拮抗し、部族の数の分こちらが圧倒していたが、それが覆る可能性があった。
 ハイサムは天を仰ぎ、大きく一つ溜め息をついた。



 アルワラ族の奴隷となっていたラロの元にバスイットが姿を見せた。
 媚びへつらうように見上げるラロにバスイットは侮蔑の視線を投げかける。
「呪術、いや、炎や砂、風を操る方法を知っているか?」
 ラロは内心の憎悪を押し隠し、絞り出すように、できるだけ丁寧に答える。
「……俺を解放してくれ。そうすれば東の地へ行ってそれを調べることもできるだろう。同じアルバウム出身だ、不信に思う奴はいない」
「自分の立場がわかっているのか? 別にお前じゃなくとも一人や二人攫ってくればそれで済む話だ」
「……ならせめて、奴隷から解放してくれ」
 ラロがそう言った瞬間、バスイットは無言で殴りつけた。
 首から上が吹き飛ぶかのような威力に、ラロはかつて巨人種の男と酒場と喧嘩したときのことを思い出す。
「――儂に嘘をつくな。貴様、呪術の覚え方を知っているな?」
 ラロは媚びへつらった目のまま、しかし頷くことはしなかった。
「ふんっ、よかろう。奴隷からは解放してやる」
「……わかり、ました。お教えします」
「西外人は全員が覚えているのか」
「はい。教えることができるかどうかは人によりますが、全員使用することは可能です」
 ラロは精霊魔法の覚え方を伝え、あまり戦力にならない女や若衆から精霊魔法を覚醒させていくことになった。

 そのあと、確かに奴隷からは解放された。
 爺や婆の相手をしなくとも済んだ。
 だが、それだけだった。
 精霊魔法を覚醒させる以外は、寂れた天幕に幽閉され、来る日も来る日も精霊魔法の覚醒を行わされた。
 稀に覚醒に失敗し、部族の者が死んでしまうと、死ぬ寸前まで殴られた。
 スラムに住んでいたラロはまっとうな教育を受けたわけではない。ハンターになり、日々をどうにか暮らし、その間に精霊魔法を経験則的に学んだに過ぎない。協会においてある本などまったく理解できなかった。それでも教えることができたのは、ラファルが大きく関わっていた。




 分体を解除して、ローブだけを残して消えたラファル、いやゴウダであったが、もう一つ潜ませていた分体でラロにひっそりと接触していた。
「――もし精霊魔法を教えるようなことになったら、初級精霊魔法だけを教えてやれ。それ以外は裏切りと見なし殺す」
「……なあ、あんた、ラファルだろ? アルバウムのスラムにいた」
 今のラファルはローブを深々と被っていたが、最初にラファルがアルワラ族に接触した日に、ラロは一瞬だけラファルを目にしていた。
 一瞬のことで、すぐには思い出せなかったが、よくよく思い返してみれば、それは確かにかつてアルバウムのスラムにいたラファルであった。
 それほど深い仲ではなかったが、所属するグループが同じであり、見間違えようはずもない。所属していたグループがスラムの抗争で壊滅し、ほとんどの者は死んだか官憲に捕まったはずであった。
「……だったら、どうした。もうお前とはなんの関係もない」
 ゴウダは、アルバウムのスラムで死んだラファルに成り代わっていた。当然、ラロのことなど知らない。
「なあ、頼むよ。どうにかここから出してくれ。なんでも協力する」
 ゴウダはしばらく思案し、そしてラロと協力することを決めた。
「ならば――」



*****




 蔵人はウバールにいる間、龍華風の外套の上に、黒布を羽織っていた。
 今朝の訓練でも同じように黒布を被り、いかにも呪術師然とした格好で魔法式を使用したのだが、もしかすると倒れたあと、介抱されたときに多少は黒布がめくれてしまったかもしれない。
 だが、仮にそうだとしても、まっとうな、というより普通の視力で見えるものではない。
 それこそ日本で蔵人の顔を一度は見たことがあり、なおかつ『大地の眼(ユニバースアイ)』などという規格外の視力を有しているコースケだからこそ見えたに他ならなかった。

「――申し訳ありませんでした。我が身可愛さに、ハヤトの罪を見て見ぬふりし、探すこともしませんでした。本来であれば、接触も控えたほうが良かったのかもしれませんが、今後のこと、そして自分の気持ちがどうしても収まらず、こうしてお伺いさせていただきました」
 軍の制服を隠すように、現地で手に入れたらしいローブを羽織ったコースケが深々と頭を下げた。
 囲炉裏に揺らめく炎を挟んで相対する蔵人であったが、少しばかり顔を顰めていた。
 一度も会った事のない勇者に会うたびに、こんなことをするのだろうかと蔵人は少しげんなりしながらも、されなければされないで腹も立つかと思って、コースケに返答する。
「これまでどおり、秘密にしておいてくれればそれでいい。同じ召喚者を含めてな。あんたが追っていたらしい女にも上司にも秘密だ。ハヤトたちともそう約束した」
「わかりました」
 蔵人にそう言われ、コースケは頭を上げた。

「……それにしてもどうしてこんなところに? 支部(はせべ)さんは移民ではないですよね?」
「雪山に召喚されて、そのまま旅して、砂漠で遭難して、なんだかんだでこんなところにいる」
 あまりにも簡潔な説明であったが、それだけで蔵人の異世界生活の過酷さを想像したらしく、コースケは気の毒そうな顔をした。
「……って、なんで名字を知ってる。ハヤトたちと話でもしたか?」
 蔵人の名字は支部であるが、この世界ではほとんど名乗っていない。
「いえ。日本にいた頃にどこかで見た覚えがありまして。それにハヤトたちとは会っていません。レシハームで出し抜かれたきり、今はどこにいるのかもわかりません」
「蔵人でいい。ここでは名前しか名乗ってない。ハヤトたちがいない?」
「ええ、黒竜を撃退したあと、しばらくは東端にいたようですが、今はいませんね。それに僕は一度レシハームに戻っているのですが、本国にいた他の召喚者たちも、アルバウムに帰属した者を残して消えてしまったそうです」
 同じ召喚者であるはずのコースケも知らない何かを、ハヤトたちはやっているということになる。

「……余計なことかもしれないが、あんたはいいのか?」
 コースケはきっぱりと言い切った。
「日本に帰るまでは、僕の国はアルバウムです。一度そう決めたなら、都合良く帰属を変えるわけにはいきません。別に奴隷のように扱われているわけではありませんしね」
「――それなら、俺の情報はアルバウムにさぞ高く売れるんじゃないか?」
 蔵人の言葉に、コースケは首を横に振った。
「もし仮にアルバウムが知っていることを洗いざらい話せと命じたとしても、話す気はありません。それを話したところで国益に繋がるとも思えませんし、何より蔵人さんがそんなことを希望していない。ある特定の人が喜ぶだけで、誰も幸せになりません。いくら自分の国とはいえ、そんな人道に反することをする気はありません……と言いたいところですが、もしどうしようもなくなったら言ってしまうかもしれません」
 嘘をついているようには見えなかった。
 どちらにしても、殺すわけにいかない以上、その言葉を信じるしかない。
「死んでも守れとは言わない。ただ、そのときは逃げる時間くらいはくれ」
「もちろん、というのも変ですね」
 コースケは曖昧に苦笑した。

 蔵人にはそれがどうしようもなく日本人を感じた。そのことに心のどこかで懐かしさを感じながらも、日本人が組織に入って生計を立てているということの意味も忘れるわけにはいかなかった。
――グォンッ
 狼の遠吠えよりも恐ろしげな咆哮とその存在感に、コースケは瞬時に身構える。
 その訓練された動きに内心で感嘆しながらも、蔵人はコースケを手で制した。
「うちの女王さまだ。話は通じる。何があろうと、手を出さないでくれ。危害は加えない」
 だがなぜ入って来ないのかと蔵人は訝しがりながらも、コースケと一緒に岩穴を出て、出迎える。
 外は暗く、蔵人が囲炉裏から持ってきた炎が周囲を照らした。
 真っ暗な宵闇に、雪白の白毛が浮かび上がる。
 蔵人の後ろにいたコースケであるが、その巨大な雪豹とでも言うべき雪白の姿に息を呑み、そしてその背にいる女を見つけて、思わず叫んだ。
「――リサっ」



*****



 日が暮れる前に雪白は散歩に出かけた。
 雪白にとって凍てつく砂漠の夜を散歩しながら縄張りを巡回することは最も楽しいことの一つであったが、最近は別のことに凝っている。
 黒竜の断崖。
 そこを登り切った先には岩山、森、草原が広がっている。
 半分以上が岩山と森林であるが、平野部には人が住み着き、日ごと建物が増えていく。
 そのさまを見るのも雪白の楽しみの一つであったが、それ以上に楽しいものがここにはあった。
 かつて黒竜の群れが住んでいたという岩山には、主を失った巣が残されていた。
 その中にはきらきら光る石や金属、果ては古ぼけた剣や槍、鏃なんかも隠されていた。あまりに古いそれらはほとんどガラクタであるが、雪白には輝いて見えた。

 だから雪白はそれを探し当て、お気に入りを岩穴に持ち帰っていた。
 蔵人が目を覚ましたときはこれを鑑賞していたわけである。
 蔵人に教える気はなかった。
 これは宝物である。誰にもあげない。
 雪白はそんな風に思っていた。
 アズロナがようやく若竜になって手が離れたことで、少し暇のできた雪白はなぜか収集癖に目覚めていた。雪白とてまだ生まれて三年ほど。普段は押し隠しているが好奇心は旺盛である。
 そんなわけで、今日も今日とて雪白はわくわくしながら宝物を探していたわけだが、そこで遭遇した。
 とある岩穴の隅で蹲る一人の女。
 岩穴の入り口に雪白が立つと、女は顔を上げ、そして雪白を見るなり、いきなり氷槍を放った。
 なぜかその氷槍には、氷精が存在(・・・・・)していなかった(・・・・・・・)

 雪白が知る限り、これと同じ現象はアナヒタ、そしてハヤトの連れが用いた雷撃のみである。
――グルッ
 だが、雪白にしてみれば氷精がいようがいまいが氷は氷である。
 強弓に放たれた矢のような氷槍を、雪白を口で受け止め、噛み砕いた。
 それを見た女はさらに無数の氷槍を放つが、雪白にとってはなにほどのものではない。火精竜に火炎がまったく効かないように、雪白にもまた氷というものはほとんど通用しない。
 鬱陶しいハエを払うように尻尾で氷槍をあしらっていく。

 雪白は反撃しなかった。
 氷槍はまったく脅威ではなかったし、安易に人を傷つけると蔵人が困るかもしれない。そんな意識もあった。だが、なにより女には殺気がなかった。それどころか、どこかやけくそ感すら漂っていた。
 現に、目には涙を溜めている。
 そして何故かそのまま泣き崩れ、喚きだした。
「もう好きにしてよっ! なんなのよっ、なんで、なんで……」
 なぜ逆ギレされねばならないのかと雪白は首を捻る。
 とはいえ、こんな女を殺す気にもなれず、さりとてこんなところに放っておくわけにもいかず、とりあえず運んでどこかに捨てようと近づくと、捕まった。
 さらにはわんわんと泣かれ、鼻水と涙で毛をどろどろにされ、その内に抱きついて眠ってしまった。



******



 そんなことがあって雪白はリサを連れてきたわけだが、当然蔵人はそこまで察することはできない。
「……誘拐か? 食べるのか?」
 食べるというあたりでコースケが狼狽する。
 雪白は違うと尻尾でぺしぺしと蔵人に抗議しながら、ちらりと蔵人の後ろにいるコースケに目をやった。
 びくりっ、とまるで上官、それも遥か雲の上にいるような相手と遭遇したかのように、背筋を伸ばすコースケ。
 一目見た瞬間から逆らう気など起こらなかった。
「――お初にお目にかかります。コースケ・サトーと申します。そ、そちらの背にいるのはリサ・ハヤカワと申しまして、私の同僚となります。もし差し支えなければこちらで預からせていただきたいと思いますが、どうでしょうか」
 極限まで緊張したコースケを上から下まで舐めるように見定めた雪白は、リサに尻尾を巻きつけて背中から下ろすと、そのままコースケに差し出した。
 コースケはそれを受け取り、浮艇の助手席にリサを乗せると、雪白、そして蔵人に頭を下げた。
「リサが目を覚ますとご面倒をおかけすることになると思いますので、今日のところは帰らせていただきます。ですが、このお礼は後日必ずさせていただきます。それでは失礼致します」
「いや、もう来な――」
 蔵人の返答も聞かずに、そのまま浮艇で逃げるように去ってしまった。
 蔵人は雪白と顔を見合わせ、肩を竦めて岩穴に戻っていった。

 それから数日して、蔵人たちが早朝の訓練をしているときのこと。
 コースケは本当にお礼をしにやってきてしまった。

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