127-赤き渓谷のオアシス
すごく遅くなりました<(_ _)>
以下、あらすじ。
マルヤムが政略結婚したあとも、蔵人たちの砂漠での日常は同じように続いていた。
そこに勇者の船が舟団に接触する。
そこにはハヤトやトール、アカリ、そしてイライダやヨビもいた。
勇者たちとしばらく同道したあと、イライダとヨビが残り、イライダの目的である母捜しをすることに。
だが、バーイェグ族に保護されていた母親となんかんだであっさりと再会。
そのあと、イライダとヨビも一緒に舟団で砂漠を巡ることになる。
途中、アルバウム王国の横断隊が接触したりすることもあったが、バーイェグ族は無事に年越しの儀を終えた。
そこで蔵人たちはかねてから予定していた移住地へと向うことに。
「……時代の流れも読めない馬鹿どもが」
バーイェグ族との最初の交渉を終え、浮艦にある私室に戻ってきた特務監察官のラファルは革張りの椅子に腰掛け、考え込むように肘をついて顎を置いた。
交渉は、交渉とも呼べないような一方的なものであった。
他部族からの侵攻を受けないよう長く砂漠に接岸しているわけにはいかないと、交渉は短時間で区切られ、こちらの要求はほとんど受け付けず、提示された条件を呑むことしかできなかった。
遭難船の救助部隊を作るという要求は却下され、舟団が遭難船と遭遇した場合にのみ救助する。その場合の船上での法や規則はすべてバーイェグ族のものに準拠し、最悪の場合は処刑もあり得た。
他にもいくつか条件が提示されたが、未開の部族では想定し得ないような条件が盛り込まれており、先に接触したハヤトたちと協力関係にあることが窺われた。
通行料をその都度請求しながら、顔を隠して浮艦を襲撃するアルワラ族ほど強欲ではないが、砂流の権益を一切他者に公開しない閉鎖的な部族というのもやりづらい。
交渉を一切する気がないということと、先に接触したハヤトたちと協力関係にあるということがわかったことが、収穫ともいえないような収穫といえるだろう。
そもそもアルバウム政府にとって東端はさらなる東への橋頭堡に過ぎず、そのためには砂漠航路の安定が急務であり、現地の民とは極力事を荒立てない方針であった。
そういう意味では最低限の条件は達成していたが、それでは子供の使いである。
他にも噂の白い高位魔獣や西外人とやらを確認しておきたかったが、姿を見せなかった。一緒にいたコースケに聞いても、白や蒼の毛は落ちていたが、それ以外は影すらも確認できない。
手間ばかりかかるな、とラファルは無意識の内に指でコツコツと机を叩く。
すると、その音に重なるように私室のドアが三度ノックされ、ラファルが思考に没頭して返答しないでいると、ドアが小さく開かれた。
「……入っても、いいですか?」
コースケと同じ灰色の特務官服を着た女が小さく顔をのぞかせた。
ラファルは眉間に皺を寄せたまま、しかし女を、リサを見ることもなく軽く頷いた。
「……ふふ、セーンセっ」
リサ・ハヤカワ。日本名を早川理沙といって、『氷姫』という加護を持つアルバウムの勇者であった。気の強そうなつり目に、下がり眉、背中まで伸ばした長い黒髪、一般的な日本人風の顔つきである。ただ普段は非常に刺々しい雰囲気を纏っており、男女を問わず、寄せ付けない。
しかし今は違っていた。
まるで安心しきった子供のような表情で小走りにラファルへ抱きつき、熱っぽい目でラファルを見つめている。
「ここではラファルと呼べと言ったはずだ」
ラファルはそんなリサに表情を変えること無くぴしゃりと言い放った。
リサはあっと零し、ラファルの耳元で囁くように謝った。
ラファルの正体は、ゴウダの加護が変身の魔法具で姿を変えたものであった。
日本にいた頃は体育教師であった郷田征一は、自分の分身を作る『双身』という加護を遠隔通信として用いることでアルバウムに雇われている。現在はアルバウムに本体が、そして分身はアルバウムの西にある半植民地のインステカにある。インステカは現在いくつかの内憂を抱えており、サウラン横断にゴウダの分身を派遣できない状態にある、とされていた。
しかし、実際のゴウダの力は『双身』ではなく、『分体』。
自分とそれ以外にもう一体の自分を作ることができるどころか、それ以上の数を生み出すことができた。もっとも単一的な作業ならともかく、同時に三体以上を動かすことはさすがに出来ず、分体の力も分体を増やすほどに低下した。そもそも二分の一の分身でさえ十分の一以下の力しかないのだから、戦闘力など皆無に等しかった。
ゆえにゴウダは『分体』の力を『双身』と偽って隠蔽しながら、他方では変身の魔法具を用いてラファルというアルバウムの現地人を生み出し、アルバウムから動くことができない自分に代わって行動していた。
これを知る者は、今目の前にいるリサしか存在しない。
まるで子供のようにゴウダに懐いているリサを背中で感じながら、ラファルはあやすように問う。
「お前は良かったのか?」
「んぅ?」
「連中だけじゃない、タジマも消えた」
ラファルの問いに、リサは少し驚いてから、すぐに情けない笑みを浮かべた。
「……ラファルさんがいる場所が、わたしの居場所」
リサはラファルにしがみつくように、強く抱きしめた。
勇者たちが消えた。
東端からだけではなく、アルバウムからも。
ラファルたちアルバウム王国の横断隊は、ハヤトたちに先んじて東端に到達した。
ハヤトたちが南の迂回路から黒竜の巣がある東地に突入し、黒竜を相手取っている隙をついて、北の迂回路から東の地に突入し、一気に東端へと到達したのである。
そのあと、ハヤトたちも黒竜を振り切って東端に到達したようであるが、それ以後、さっぱりと動きがなくなった。南の迂回路を確保するように東の地の一部に結界を張ると、それきり表立っての接触も、潜ませた内通者からの連絡も途絶する。
それからしばらくして、アルバウムでも勇者たちが消えた。定期的に行われていた勇者たちのミーティングに合わせ、厳重な警護という名の監視を欺き、勇者とその家族たちは見事に脱出してのけた。
この事を現在東端で知る者は、アルバウムにいてそれを知ることができたゴウダ、つまりその分体であるラファルしか知らないことであった。
「いつまで抱きついているつもりだ。いい加減に離せ」
「……寂しい」
「どうせすぐ戻ってくるだろ」
あと五日もすればリサは一旦レシハームの租借地グァザに戻る。準備や人員募集など長く見ても往復で二百日もあれば戻ってくることになっていた。
「それでもっ、あっ――」
強引に引き剥がされたリサが寂しげな声を漏らすが、すぐに抱き抱えられたことでそれは喜びにかわった。
翌朝、リサはご機嫌な様子で、しかし少しだけ寂しげな顔をしながらラファルの部屋を出た。
そんなリサを、ラファルに報告にきたコースケが切なそうな顔で、背中が見えなくなるまで見つめていた。
言いたいことがないわけではない。
そもそも特務監察官とは、『特務官』という特権的な役職に就いている勇者たちの暴走を危惧したアルバウム議員によって創設された役職で、特務官の監視を主な職務としている。
だが、浮艦の最大戦力である勇者を監視するという役目を十分に果たすため、大きな権限が与えられた結果、浮艦の艦長という横断隊の最高責任者よりも大きな権限を持つことになり、浮艦の中はともかくとしても、現地民との交渉、つまり今後の東部開拓のための交渉はすべてラファルが行うことになっていた。
艦長自身は艦の内部で強権を振るいさえしなければと何も言わず、ラファルもそのあたりのことはわかっているのか、艦長の権限を無駄に奪うようなことはしなかった。
職権濫用。
そんな言葉が思い浮かぶが、リサの表情を見ればそうではないことがわかってしまい、それでもなお騒ぎ立てれば自分がピエロなだけだとコースケは悟っていた。
それから、しばらく時間を空けてから、ラファルの部屋のドアを叩いた。
「――昨夜も襲撃がありました。こちらの損害は軽微です」
「またか。どこの部族かわかるか?」
「いえ、撃退はしましたが、逃げられてしまいました。顔も隠していたようです」
「そうか。わかった」
他にもいくつか報告をしてから、コースケは部屋を退出した。
ラファルは思案を巡らす。
おそらく襲撃者はアルワラ族。もう何度目かわからない。
鬱陶しいなと思う反面、つけいる隙もあると確信していた。
ラファルには政府の方針以外に、ラファルが所属する派閥の秘密命令のようなものがあった。
砂漠の航行とサウラン大陸東端に関しての利権を掌握すること。
極めて漠然としているが、リアルタイム通信などないのだから命令の形はこうなる他ない。
ハンター協会や探索者ギルド、北部三国のような大国には秘匿された遠隔通信方法があるのだが、相当のタイムログが発生する代物で、しかも設置には非常に手間が必要とされた。
加えて、ラファルがゴウダの加護であるということを知る者もアルバウム政府中枢には存在していないため、ゴウダを通して命令するということもできない。
「……奴隷か」
この砂漠には奴隷がいる。ならばそこから情報をとも考えたが、アルワラ族や他の部族もバーイェグ族の砂流の知識を求めている。渡すわけもないし、これまでそう考えなかった者がいないはずがない。実際問題として、バーイェグ族の奴隷など存在すらしていない。
暴力が支配するこんな土地で、バーイェグ族は砂流の知識と地図を一切流出させていないのだ。そう易々と手に入るものではない。
だがそれを手に入れることができれば、このサウラン大陸東部の開拓事業において、莫大な権益を握ることが可能になる。
多少、政府の方針とは違っていたとしても、これを逃す手はなかった。
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無事に年越しを終えたバーイェグ族はドゥオフの里を経由してから、南の迂回路への分岐点にある集落モロに接岸した。
かつて勇者たちと別れた場所で、あれからもう一季半ほども経過していた。
ここで蔵人たちとイライダ、ヨビは舟団を下り、モロの背後の巨大な砂丘を越えたところにあるオアシスの街ウバールに向う。
「――あの国の影響を調べておきたい。それに、汝らをウバールの族長たちに紹介する必要もある」
ウバールにはニルーファルを筆頭にファルードと四番舟の男衆が同行することが決まった。
巨大な砂丘を大きく迂回して進む。
ほどなく、蔵人の目には別世界が飛び込んで来た。
砂漠の中に突如として姿を見せた、グランドキャニオンを思わせる巨大な渓谷。
その谷間にある大きなオアシスには緑や赤といった草木が繁っており、その周囲を砂の家や天幕が数え切れないほどに点在している。
赤茶けた渓谷のさらに奥へと進むと、そこには断崖絶壁がそびえ立っていた。
「手前に見えるのがウバール、渓谷を進んだ先にある絶壁が『黒竜の断崖』だ」
断崖との距離は遠く、黒竜がオアシスを襲うことはほぼないという。
「ウバールは北部のアルワラ族に従わない者たちが集うオアシスだ。かつては争いが絶えなかったが、今はアルワラ族の脅威からいくつかの定住民と遊牧民が微妙な均衡の元に共存している」
ニルーファルの説明をまだ言葉に不自由なイライダとヨビに翻訳しながら、蔵人たちはウバールへと近づいていった。
蜂の巣にも似た木の実が垂れ下がる真っ赤な椰子の大木がいくつも乱立し、その合間を縫うようにして奴隷たちが働き、薄緑色の肌に二本の角を持つ数人がそれを監督していた。
そんな赤い椰子畑に大きな天幕が一つあった。
「――久方ぶりだな、ファルードよ」
薄緑色の肌をした鬼人族、カルーフ族の族長ヴァファはファルードと挨拶を交わしたが、その目はファルードの後ろに立つ同行者へと注がれていた。
皮膚の色以外はアルワラ族とよく似ているが、その服装は随分と違っていた。ヴァファは白い貫頭着を着飾るように貴金属や宝石を身につけ、腰に差した剣にも精緻な細工がされている。
天幕の中も珍奇な物が飾られており、カルーフ族の裕福さが窺えた。
「……彼等をここに住まわせてほしい」
ファルードは世間話などすることなくそう言って、持ってきていた純金の小袋を差し出した。
「ファルードよ。お前が無駄口を叩かない偉大な戦士であるのは承知しているが、それではわからん。外にいる白き守護魔獣についても説明してくれ」
なぜわからんという顔をしているファルードの後ろに控えるニルーファルを見て、ヴァファは説明を求めた。
「兄者にかわり、我が説明させてもらってもいいだろうか」
ファルードに断りを入れてから、ニルーファルはヴァファにそう申し出た。
最初からこうすればよかったのだが、バーイェグ族と懇意ではない部族の下へ赴いた場合、緊急時以外の交渉は男でなくてはならない。それはバーイェグ族の常識というよりも、この砂漠の礼儀であった。
ヴァファが鷹揚に頷いて見せると、ニルーファルが前に出て蔵人たちを紹介する。
「右からクランド、ヨビ、イライダ。外にいるのはジャムシドを倒したユキシロに、その養い子であるアズロナだ。我らの同盟者として扱ってくれ」
バーイェグ族と完全に同格であると言い切ったニルーファルにヴァファは驚き、蔵人たちを見た。
ひょろい男に巨人族と蝙蝠族の女。しかし、女たちのほうが強い。
一見するとそうとしかヴァファには見えなかったが、それぞれ身につけているものが尋常なものではない。
武具はその者の力を現わす。
未だ物々交換が主流であるこの砂漠では、強力な魔獣の武具など滅多に出回らない。多くが自分の部族のために、その力を周囲に示すために、族長や戦士たちが身に纏う。
特に、イライダたちの武具は一新されたばかりで、余計に際立った。
イライダは遺跡で手に入れた『虹弓』と『星槍』を背負い、その身はイライダたちが倒した植物系の番人の素材と道中の魔獣素材を組み合わせた革鎧を着込んでいる。赤と黒を基調とし、肩と胸元を大きく露出した基本デザインはより野性的なものへと変化していた。
ヨビもイライダと同じ素材の革鎧を着込んでいるが、腋から脇腹までを大きく露出したデザインは相変わらずかわらない。ただ膝から下は、かつてジャムシドがまき散らしていった『紅晶片』を素材にした『紅晶靴』を履いていた。
ちなみに蔵人もニルーファルに渡したブーメランソードのかわりに、ククリ刀を一本ドゥオフに作ってもらっていた。ただ、ククリ刀というには刀身は分厚く、切れ味は鈍い。どちらかといえばククリ鉈とでもいうべきもので、蔵人自身も今後再び山で生活する可能性も考えて、草木を払ったり、薪を割ったりできるようにしたものである。剣術など知らず、振り下ろすか、薙ぎ払う、切り上げるという単純な用い方しかしない、敵の武器を正面から受け止めるという偏執的な防御思考が大きく影響していた。
奇怪ともいえる格好の者もいるが、三人それぞれ族長クラスが身につけるような武具を纏い、そこにジャムシドを撃退したという守護魔獣と若き飛竜の変異種が控えているのだから、侮ることなどできるはずもなかった。
「どこに住むつもりだ。守護魔獣、殿が住むような上等な場所はねえぞ」
ニルーファルから蔵人たちのことを聞いたヴァファは平静を装いながら、ようやくそう絞り出した。
バーイェグ族の同盟者というのならば信用はできる。だが、このオアシスには余所者に渡していい土地などなかった。
「街のどこかに家でも貸してやってほしい。兄者が渡そうとした純金にはその分も入っている」
「ダメだ。どうしてもと言うなら街の外に天幕を張れ。天幕なら譲ってやる」
ニルーファルは眉間に皺を寄せながらも、このあたりが落としどころかと頷こうとした。
「――あのオアシスに隣り合う岩壁はダメか?」
そこで蔵人が口を挟んだ。
蔵人がこの地の言葉を流暢に話したことに驚きながらも、ヴァファは蔵人を睨みつける。
「小僧、名乗りもしねえで口を挟むなっ」
「すまん。蔵人だ。だが、これでも精霊魔法、いや呪術師でな」
「けっ、腰抜けか。だがな、あの岩壁は固い。うちの呪術師でも表面を磨くことしかできねえ。それをお前がやれるとでも?」
蔵人が少し自信なさげにたぶんと返すと、ヴァファは喉の血管を浮き出させながら怒鳴り散らす。
「男のくせに覇気のねえ奴だっ。けっ、他の連中が許すならかまわねえ、やってみやがれ。だがな、できなきゃ砂漠に放り出すからなっ」
蔵人たちは追い出されるようにして、カルーフ族の天幕をあとにした。
「大丈夫なのか」
次の部族の下へと向いながら、ニルーファルが蔵人に問いかける。
「たぶんな。まあ、最悪雪白にやってもらうさ」
かつて雪山で見せた親魔獣の洞窟拡張術を思い出しながら蔵人がそう言うと、上がってきた気温にうんざりし始めていた雪白は、アテにするなっと叱るように尻尾で蔵人の後頭部をぺしぺしと打つ。
「すまぬ。あと三つほど回る必要があるのだ」
雪白の不機嫌な理由を察したニルーファルが申し訳なさそうにそう言うと、雪白は鼻に皺を寄せて嫌そうな顔をするが、すぐに蔵人から氷鵺の双盾をぶんどり、頭に乗せて涼み始めた。
蔵人は同じように暑そうにしていたアズロナの頭にも氷鵺の双盾を乗せてやると、アズロナが嬉しそうにする。
「この時期が一番過ごしやすいんだがな。我らにとっては涼しいくらいだ」
日常的に日中が五十度を越えて六十度にも達しかねないこの地では、四十度以下になることすらある蒼月はこの砂漠の民にとって過ごしやすい時期であった。
それから残り三つの部族を回り、カルーフ族と同じ条件で移住の同意を取り付けた蔵人たちは、オアシスのすぐ近くにある岩壁へと向った。
赤茶けた岩が続く渓谷は、舟団が一つどころか二つ三つと並んで航行出来るほどに広大であるが、その両端には岩壁がそびえ立っていた。
蔵人が住むと言った岩壁はオアシスにほど近い場所にあり、岩壁を掘削できるならばこれ以上ないほど良好な移住場所であろう。
だが、蔵人の提案を受けた四部族はそんなことができるなど、微塵も信じていなかった。バーイェグ族の頼みであり、力ある守護魔獣である雪白の顔を立てただけのこと。
カルーフ族の族長は出来なければ砂漠に放り出すと脅かしていたが、実際にそれを実行する気はなく、その賭けを撤回して蔵人たちを歓待し、客分として受け入れ、家を提供することでバーイェグ族と雪白に恩を売るつもりであった。
それは他の三部族も同じで、移住予定地の岩壁にはすでに四部族が揃い、牽制し合っていた。
元遊牧民で今は定住民となった、薄緑色の肌と鬼のような角が特徴のカルーフ族。
ミノタウロスと見紛うばかりの特徴を持ちながら、生粋の定住民として生きるスワドル族。
そして、有力な遊牧民である狼の特徴を持つ獣人種のヴォルド族と蜥蜴の特徴を持つアズレヤ族。
元々この四部族は南部の有力部族であったが、台頭するアルワラ族に対抗して連合を結成。しかしすぐ瓦解してしまう。再びかつてのような報復合戦に陥ろうとしたところでバーイェグ族が間に入り、このウバールに微妙な均衡が生まれ、栄えることとなる。
砂漠の地形が若干変化し、アルワラ族の南下が難しくなったという地理的な要因もあったが、バーイェグ族が砂漠を巡るからこそ、このオアシスの価値が軽減され、致命的な争いが減ったという面は計り知れなかった。
だからこそ、四部族はバーイェグ族の同盟者である蔵人に恩を売ろうと画策していたのだが――。
蔵人は至極あっさりと、岩壁を削ってしまった。
岩壁に穴をあけ、自身の身長ほどの通路を作っていく。
「それじゃあ、腰を曲げなきゃ通れないよ」
通路は雪白も通れるほどに幅があったが、イライダが通るには高さが足りなかった。
蔵人はすまんと謝りながら、すぐに通路を拡張し、さらに奥へと進んでいった。
「あれが、呪術師だと?……」
四部族ともに、唖然として賞賛することすら忘れてしまった。
どの部族も呪術に特化した氏族を抱えてはいたが、これほどほいほいと呪術を使う呪術師を知らなかった。
守護魔獣のオマケじゃないのか、と族長たちは予想外の展開にゴニョゴニョと相談を始め、結果として、蔵人たちの移住は認められることになった。
いくつか条件はあったが、どれもまっとうなもので、蔵人としては受け入れた。
そして蔵人側の要求もまた、受け入れられることになる。
四部族が去ったあと、岩壁を掘削し、ざっくりと通路、共有スペース、それぞれの個室を作ったところで蔵人は一旦掘削をやめた。
共有スペースに蔵人たちとイライダ、ヨビ、ニルーファル、ファルードが車座になる。
他の男衆や女衆は先に舟団に帰ったのだという。
「思いのほか上手くいったが、よかったのか?」
「どうせ仕事は必要だからな。交換条件に毛皮や絨毯、食料がもらえるなら十分だ」
移住条件には呪術を用いての各部族への貢献というものがあった。貢献とはいえ、物々交換扱いで日用品が手に入るのだから申し分はない。
「ならばいい。それにしても、随分と西の国の影響があったな」
ニルーファルは渋い顔をした。
族長たちは西の国で作られた美しい細工物や貴金属で着飾り、子供騙しのような魔法具を喜色満面で天幕に飾っていた。
「細工物はともかく、あの魔法具はね。あんな子供の玩具と翡翠金や琥珀金は釣り合いが取れないよ」
蔵人の持つ魔法教本にも描かれている、公開された自律魔法を用いた魔法具は国の規制を受けないため、少し高価な子供用の玩具として都会では売られている。
「珍しい物を持つということはそれだけで富と力を示すことができるからな。我らは汝やハヤトたちから西の事を教えてもらったが、奴らは知らぬ。致し方なかろう」
「誰が売ったのか、どういう意図で売ったのか、それが知りたいですね」
ラッタナ王国でもカジノという地球の知識が猛威を振ったことをヨビは忘れていなかった。
「フードを被っていてわからなかったようだ。ただ、言葉は流暢に話していたらしい」
勇者か、それとも稀少な翻訳の魔法具を使ったアルバウム人か。どちらも可能性はある。
だが、誰であったとしても、交換自体を止めることはできない。今のところ、という但し書きはつくが、今の砂漠では確かに価値があるのだから。
「蔵人たちも気をつけてくれ。いかに西の国とのトラブルを生む可能性があるからといって、それを真っ正直話しても、奴らは承服しない。まずは信用、そして利を説かねばならん」
ニルーファルはそう注意したあと、いくつかこの地で生活するにあたっての注意事項を蔵人たちに説明していった。
岩穴の入り口に夕日が差し込み出した頃、ニルーファルたちは舟団に戻っていった。
「くれぐれも軽率な行動は取らないように。ここで話せるのは汝しかいないのだからな」
帰る直前に蔵人はニルーファルからそう言われ、いくつの生活物資を貰った。
大量の塩と水、ミミズ。そして防寒具にも寝具にも使える毛皮。塩と水、食料に関しては、すでに男衆によって運び込まれていた。
「ではな。次いつ来るかは言えぬが、必ず様子は見に来る」
蔵人はニルーファルたちの後ろ姿を見送ってから岩穴に戻り、精霊魔法が得意ではないというイライダやヨビにかわって内部を微調整する。そこで、気づいた。
「……あっ、置きっ放しだったか」
蔵人は忘れ物に気づくも、まあいいか、と次回会ったときに回収しようとして、そのまま忘れてしまった。
「じゃあ、呑むよっ」
いつのまにかイライダが、どこか部族と交換してきたらしい大きな革袋を取り出し、共有スペースにある囲炉裏に座る。言葉が通じないというのにわざわざ身振り手振りで交換してきたらしい。。
イライダたちもミド大陸から持ち込んだ貴金属類を持ってきており、しばらくは生活に困るということはない。
「……銀色だな」
蔵人の作った石の酒杯に革袋から酒が注がれる。
凝縮した甘い匂いと強い酒精の香り。そしてなぜかどろりとして、まさしく水銀のようである。
「――乾杯っ」
蔵人の戸惑いなど知ったことではないと、イライダと雪白が石の酒杯を呷る。
蔵人とヨビはお互いに顔を見合わせてから、軽く口に含んだ。
舌が焼けつき、口内が甘く爛れる。
悶絶しそうな味に蔵人はすぐに石のジョッキを作り出し、そこへ酒を入れて、水で割り、冷やす。
すると、炭酸のない甘いビールのような何かになって、どうにか呑める代物になった。
ふと見ると、口元を抑えたヨビが懇願するような眼差しを向けている。
「ちょっと甘いね」
イライダがそう言うと、雪白がうんうんと頷いているが、そんな生易しいものではない。
赤椰子酒というこの土地では一般的な果実酒であるが、酒精が高すぎる。ウォッカどころではない。アズロナは少し舐めただけで、ヘロヘロとダウンしてしまった。
「そっちのほうが良さそうだ。すぐに無くなっちまうからね」
そう言って、蔵人が用意した水壺からイライダが水を酌み、それで酒を割る。
雪白がそれを冷やして、イライダと一緒にぐびぐびと飲み始めた。
「……長くなりそうだな」
蔵人とヨビは顔を見合わせ、しょうがないかと小さく笑った。
ウバールの岩壁に移住した翌朝。
日も明け切らぬ内から、オアシスのほとりでアズロナが羽ばたいていた。
蔵人に拾われてから一年と少しが経過しており、アズロナの身体も随分大きくなっていた。
翼腕を除けば人種の成人ほどで、もう若竜である。大きな単眼は幼竜だった頃の可愛らしさを残しているが、成長した身体の鱗はしっかりと硬質化して、鬣はさらに長く雄獅子のようになっていた。
ただ、成長してなお空を飛ぶのが苦手ということもあって、こうして特訓していた。
アズロナはよたよたとホバリングしながら、『紅骨の突撃鎧』の骨たちに意思を伝えようとする。
が、くるりと横に一回転してしまった。
「――右が少し強いですよ」
見守っていたヨビが声をかける。
だがまた、くるり。
「今度は反対が強く、ああっ」
一気に加速し、べしゃっと砂漠に頭から突っ込んだ。
涙目で起き上がるアズロナに、ヨビは手を貸さなかった。これもアズロナのためである。
アズロナは頑張ってまたホバリングを始めた。
そこへ気怠そうな様子で岩穴から出て来た蔵人であったが、頑張っているアズロナの姿を見て、ヨビに目だけで合図をしてから出かけた。
呪詛を吐くほどではないものの、昨夜の酒の名残を身体に感じながら岩穴を出た蔵人は、薄緑色の肌と角を持つカルーフ族の元を訪れていた。
族長のヴァファはまだ寝ているらしく、蔵人への依頼もまだ指示されていないということで、蔵人はヴァファが起きるまで、赤椰子畑を見せてもらった。
あれが昨夜の酒の原料か、と真っ赤な椰子畑を眺めながら足を踏み入れ、咄嗟に足を引く。
妙に柔らかいその感触は、砂地の上に敷き詰められた枯れた赤椰子の葉であった。
そのまま赤椰子畑に入ると、今日も奴隷たちが働いていた。
まるで大木のような椰子の木の頂点から、まるで蜂の巣のように赤椰子の実が垂れ下がっている。この赤椰子の実はブドウのように房となっており、鶏卵ほどの実一つでグーラと呼ばれていた。
それをカルーフ族の男が柄の長い草刈り鎌で切り落とし、奴隷たちがそれを運ぶ。落ちた瞬間にばらけたグーラや自然落下したグーラも集めていた。
かつて略奪を防いだときに見た奴隷のような悲壮さは微塵もない。
もちろん笑顔とは言えないが、それは蔵人が日本で働いていたときと同じである。生きるために仕事をする、使われる。七割方は楽しいとはいえないが、苦役というほどでもない。そんなものである。
変えられない現実として奴隷がそこにあることを否定できないでいた蔵人は、生まれついての不遇の中で生き抜く彼らの姿をじっと見つめ続けた。
「――まったく昨日の今日で来るとは、せっかちな奴だ」
カルーフ族族長ヴァファの不快そうなだみ声に、蔵人は振り返る。
「早いほうがいいだろ。あんたのところだけじゃないしな」
あの岩穴に居住する条件の一つが、呪術による協力であった。
「ちっ、まあいい。やってもらいたいのは昨日と同じだ。万が一のときのために女子供を隠しておける岩穴を作ってくれ。たぶん、スワドルの奴らも同じだろうよ」
「大きさは? どれくらいいるか知らないが、すべての女子供を隠せる穴となると一日ではキツイ」
「そうだな……女一人分の大きさを削るごとに、グーラを十でどうだ?」
「わかった」
蔵人が言い値で頷くと、ヴァファはしてやったと歪んだ笑みを浮かべた。
だが、後ろに控えていた息子らしき若者が耳打ちすると、面白くなさそうにする。
「……ちっ、言い値で頷くんじゃねえよ。くそっ、てめえがファルとニルの盟友じゃなきゃ、このままこき使ってやれんのによっ」
そう言われ、しかし蔵人は少し申し訳なさを感じていた。
おそらくはファルードかニルーファルがそう言ってくれたのであろうが、そこまでのことをなにかしただろうかと思ってしまう。
「いや、今回はそれでいい。そのかわりといってはなんだが、このあたりのことを教えてくれ」
「……そんなんでいいのかよ。ふんっ、好きにしな」
もう少し交渉でごねるかと思ったが、すんなりいったことに蔵人は少し驚いていた。
ファルードやニルーファルのお陰ともいえるが、移住許可の件やこの件からもアルワラ族ほどの強欲さや猛々しさは感じられなかった。どちらかといえば商人くさいともいえるが、暴力的なことを遠ざけているようにも感じられた。平和的というよりは厭世的とでもいうのだろうか。
そんなことを感じながら、蔵人は岩壁に十人分ほどの穴を空けながらヴァファを質問攻めにして、ヴァファが逃げ出したところでその息子から報酬を貰って、次の部族へと向った。
その頃のイライダと雪白が何をしていたかといえば、寝床で悶えていた。
昨夜は自分の部屋に戻らず、そのまま雪白と飲み明かしたイライダであったが、最後のほうは赤椰子酒を原酒でぐびぐび呑んで、潰れた。
そして昼過ぎ、目を覚ますと、二日酔いになっていたというわけである。七十度を越える高い酒精の赤椰子酒を原酒で呑んでいたのだから当然と言えば当然であった。
赤椰子酒はグーラを醸造して作られるのだが、原酒の段階で蒸留などする必要がないほどに酒精が高いという代物であった。
「゛あ゛あ゛ぁ~、久しぶりにやらかしたねぇ……」
――ぐぉおおるるるっ
イライダと雪白は乙女らしからぬ呻き声を上げながら、苦悶の表情を浮かべた。
「大丈夫ですか? お水です」
―ぎぅぎぅっ
訓練を切り上げたヨビが水を渡すと、身を起こした二人は一息に飲み干す。
「んっぷ、ん? クランドはどうした?」
「カルーフ族の下へお手伝いに。時間があれば他も回ってくるそうです」
「……そうかい。アタシはもう少し寝させてもらうよ」
そう言うと、雪白の尻尾を借りて枕にして、再びごろりと横になる。
雪白も一つ大欠伸をしてから、目を瞑った。
ヨビはそれから荷物を整理したり、寝床を整えたりしながら夕暮れまで家事をして、再びアズロナの特訓を始めた。
だがやはりくるりくるりと回ってしまうアズロナ。こればかりは慣れるしかないとはいえ、次第にアズロナの気力も萎えていった。
――ぎぃぅ……
しょぼんと俯いて水辺を見つめるアズロナ。
そんなアズロナの鬣をヨビが撫でてやるのだが、慰められたことでアズロナはさらに泣きそうになってしまう。
「……泳ぎましょうか。好きなのでしょう?」
いいの? とヨビを見上げるアズロナに、ヨビは頷いた。
汚しさえしなければ、泳ぐくらいはかまわないと言われている。というよりも、それが蔵人の求めた条件であった。
アズロナは身体の砂をぶるりと払ってから、オアシスの湖に飛び込み、ヨビもまたそれに続いた。
アズロナの首に腕を絡ませ、ヨビはアズロナと一緒になって泳いだ。
アンクワールの大規模魔獣災害で、種族特性の『反響定位』を用いて水中での索敵も行っている。ヨビにとって水中はまったく苦にならない。
まるで水を得た魚のように、水中を泳ぎ、ヨビの回りをくるくると回るアズロナ。
そこへちょうど蔵人が帰宅し、立ち止まる。
茜色に染まったオアシスで、アズロナとその首に手を回したヨビがイルカのように跳び上がる。
その姿は例えようもなく幻想的で、蔵人は無意識の内に雑記帳を取り出す。
そして二人が泳ぐのを止めるまで、絵を描き続けていた。
こうして何事もなく、ウバールでの生活は始まったのであった。
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三季ほども蔵人が暮らしていた小舟。そこに住む者はもういない。
不埒な目つきをした男。何を考えているかわからないような顔をしているくせに、酷く感情的だった。納得するまで反論を繰り返し、それでもなお納得し切れていないような、まっとうな男だった。
そんな蔵人を決して見捨てず、守護する雪白。素直で人懐っこいアズロナ。
イライダやヨビも気の良い女たちだった。立場に気兼ねする必要のない付き合いはマルヤム以来で、いつのまにか肩の力が抜けていた。
「……駄目だな。弛んでる」
少しばかり感傷的になっていることに気づき、気を引き締める。
ふと部屋の隅を見ると、小舟の壁に肩幅ほどの絵が一枚残っていた。
朝焼けの砂漠。
描かれているのはそれだけ。
蔵人がこの景色を好んでいたのはニルーファルも知っていたが、女がいない。例外除いて、蔵人は女しか描かない。景色を描いても、そのどこかには女がいる。
いくら考えてもこの砂漠の意図するところがわからなかったが、さすがに絵を捨てる気にもなれず、そのまま自分の舟に持ち帰った。
持ち帰った絵は適当に丸めて置いておいたのだが、いつのまにかファルードが、その絵を壁に飾っていた。
ファルードは殊の外気に入った様子で、珍しく相好を崩し、じっとそれを見つめている。
兄であるファルードが気に入ったのなら剥がす必要もないと、ニルーファルとファルードの舟には二枚の絵が飾られることになった。
朝焼けの砂漠の絵と、小舟に座るマルヤムと船頭として立つニルーファルの後ろ姿の絵が。
おそらく、毎週更新できると思います<(_ _)>