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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第七章 舞い上がる砂塵
138/144

130-大会合

 



 ハンターや傭兵に守られた商人の姿がちらほらと見受けられるようになり、少しずつミド大陸からの物品が見受けられるようになっていた。

「――モロに舟団が来てるみたいだね」

 仕事先から帰ってきたイライダがゴクリゴクリと赤椰子酒の冷水割りを飲み干してから、そんなことを言った。

 早朝からアルバウム人の案内と護衛をしていたイライダは、この仕事上がりのキンキンに冷えた一杯をとても気に入っていた。

「あいつらにも仕事があるだろうし、迎えに行く必要もないだろ」

 もっとも一杯で終わることはなく、今も蔵人に冷やしてくれと石のジョッキを渡して着替えにいったが。

蔵人はいつものように冷水割りを作り、ついでとばかりにヨビにも渡した。

「ありがとうございます。……ウバールに移住したとき以来ですから二季半ぶりくらいでしょうか」

 ヨビは蔵人にお礼を言いながら受け取り、コクコクと喉を鳴らして飲み干した。

 そんなヨビにおかえり~とアズロナが這っていく。

 ちなみに雪白はというと、囲炉裏にかけた無数の焼き鳥をじっと見つめて、焼き加減を吟味していた。その目はまさしく職人であり、実際肉を焼くことに関しては一番上手かった。


「もうそんなに経つのか……」

 ニルーファルたちが来るのは年に一度か二度ほどというところかもしれない。

 だがそれから二日、三日とニルーファルは姿を見せず、蔵人がこちらから行くかなと思った頃。

 夕方、岩穴にニルーファルが来訪した。

 すでにモロで水を配り、ウバールの族長たちと面会して、街の様子も調べてきたという。

「久しぶりという気はあまりしないものだが……アズロナは立派になったな」

 いらっしゃいませとばかりに出迎えたアズロナの鬣をニルーファルが撫でる。

「まあ、座んなよ」

 イライダに勧められるままに、ニルーファルは囲炉裏回りに敷かれた毛皮に胡座をかいて座る。

 蔵人がいつものように赤椰子酒の冷水割りを配り、ヨビが囲炉裏の上で煮込んでいた汁物をそれぞれに渡していく。雪白もアズロナも大人しく囲炉裏回りに座っていた。


 バーイェグ族の風習とも砂漠の民の風習とも違う晩餐の姿であったが、悪くないとニルーファルは僅かに相好を崩した。

「いつまでいるんだい? そう長くないんだろ」

 食事が行き渡る間に、イライダがニルーファルに尋ねた。

「明日の日暮れには出発する。……それでだ、その、どうだろうか。一晩泊めてほしいのだが」

 ニルーファルはイライダ、ヨビ、雪白たち、そして蔵人を窺うようにおずおずと言った。

 なんの用事もなく、人の家に宿泊するなどニルーファルは子供のとき以外にしたことがなく、そんなことを言ってもいいのだろうか、我が儘ではないだろうかと戸惑っていた。

 聞くに、ファルードが言い出したことだという。情報収集という名目で滞在し、四番舟のことはファルードが代行してくれるという。

「俺はかまわないが……」

 蔵人の返答に、全員が同意した。

 

 食事が全員に行き渡ると、それぞれに食べ始める。

 ニルーファルはいつもの習慣なのか、食事中は話すことなくぺろりと平らげた。

 蔵人たちは食事の間も話をするのだが、ニルーファルは蔵人たちが食事を終えるのを待ってから、話し始めた。

「それで、ここでの生活は上手くいっているか?」

「まあ、ぼちぼちな」

 蔵人の返答にイライダが含み笑いを漏らすが、口は挟まなかった。

「そうか。しかし、しばらく見ないうちにここは随分と変わったな。ウバールの族長たちとも話をしたが、ミド大陸の影響がこれほど早いとは思わなかった」

「東の開拓で人を集めているせいもある。ハイサムはそのあたりを随分と警戒していた。今のところアルバウムは武力でどうこうする気はないみたいだが」

 蔵人がハイサムやコースケと会って知り得たことをいくつか話すと、ニルーファルは少し眉間に皺を寄せた。

「だが、どうにもアルバウムという国はきな臭い。先日もラファルという男が舟団に接触して、遭難した浮艦の捜索を頼みに来たが、それとなくアルワラ族の無法を訴えていた」

「……もしかするとアルワラ族と衝突でもあるのかもしれない。もう何度か小競り合いはあったようだし、支配地域の北部も荒れているらしい」

「北部が荒れている? いや、確かにそれもあり得るが……」

 ニルーファルが腕を前に組んで、考え込む。


「何かあったのかい?」

「……ああ、モロには二日ほど前から到着していたんだが、到着してすぐにアルワラ族の使者が来た。そこで『大会合(ディヴァーム)』を開くことを提案されたんだ」

 『大会合』とは黒賢王の時代から続くとされる由緒正しき部族間会合である。

 通常の部族間会合のように半定期的に行われるようなものではなく、部族単位では手に負えない危機が迫ったときのみ開かれるものであった。

 もっとも最近に行われたのはニルーファルが生まれる少し前、今から百年ほど前のことで、そのときは黒竜の変異種である『悪魔竜(ドヴァーク)』が砂漠で殺戮の限りを尽くしたときであった。


「今回の大会合の目的は、東の地を占拠した西の国々にどう対抗していくかというものでな。それ自体は我らも危惧していたので、良い機会と開催に同意したが……」

 北部一帯がなぜ荒れているのか、そのあたりがわからないという。

「普通に考えれば、ジャムシドという強力な後ろ盾が雪白に負けて、アルバウムとの小競り合いの影響でアルワラ族が求心力を失ったというのが妥当なんだろうけど……」

 この砂漠の全体像を明確に把握しているとは言い難いイライダは珍しく歯切れが悪い。

「我々もそう考えている。とすると、アルワラ族は大会合で部族連合を組むよう求めてくると考えられるのだが、奴らがそんなことをするとは思えん」

「大会合はどこでやるのでしょうか?」

「半季後、ウバールとニハーファのちょうど中間にあるガズランで行う。ガズランはアルワラ族の支配地に隣接している大きなオアシスだが、いまだその支配に屈することなく抵抗している中立勢力だ」


 ガズランという名前に蔵人は苦い記憶が蘇る。

 マルヤムが政略結婚する少し前、ガズランは略奪にあったのだが、当時の蔵人はそれをただ見ていることしかできなかった。

「まあ、いくら考えてもわかんないねえ」

「そこで、頼みがある。東の地に行って西の国がどうなっているのか、調べてきてくれないだろうか。もちろん祖国を裏切るようなことはしなくてかまわない。そのあたりの判断はすべて任せる」

 イライダがヨビを見ると、ヨビは頷いた。

「それはかまわないけど、いいのかい? 何かあれば事だろう? 手伝うよ」

「いや、仮に何かあったとき、イライダやヨビがいれば関与を疑われるだろう。祖国に対する裏切りになるかもしれない。それは避けたい。それに、東の地の事は我らでは調べようがなくてな」

「わかったよ。で、クランドはどうするんだい?」

「……俺は残る。所詮は流民の七つ星ハンターだ。大したことが出来るわけでもない。それに少しやりたいこともある」


 ガズランの略奪を考えていた蔵人であったが、きっぱりとそう答えた。

 当面の目的が定まったところで、ニルーファルたちは別のことを話し始めた。

「ところで、蔵人はちゃんとやっていたか?」

「そうだねえ。あれはここに来たばかりの頃のことなんだけどね。クッド族ってところの男がヨビを見初めてここに来たんだよ。嫁にくれってね」

「……クッド族か。あまり表には出てこないが、確かヨビと同種だな?」

「翼膜の色が少し違いますが、たぶんそうだと思います。実はその前に、アズロナと飛行訓練していたときに会ったことがあったんです。私は両親と種が違いますので、初めての同種に少し舞い上がってしまって、勘違いをさせてしまったかもしれません」

 蔵人はこの時点で嫌な予感がして、そそくさと私室に逃げ込んだ。


 イライダはそんな蔵人の様子に気づきながらも、酔ったふりをして蔵人の私室に聞こえる声で話を続ける。

「クランドはきっぱり断ったんだよ。そうしたら、相手が怒ってね。新参者がとか、女の意思がどうこうとか言ってたね」

「……だが、それでは」

「そうなんだよ。相手の部族と険悪になりかけたんだけどね、クランドはそのまま岩穴の出入り口を塞いで閉じ込めちまってね。一昼夜説得し続けて、相手のほうが先に音を上げたよ」

 からからと笑うイライダに申し訳なさそうな顔をしているヨビ、そしてニルーファルは呆れていた。

「兄者が質問攻めにあって頭から湯気を出していたが、それで説得したのか……」

 蔵人にしてみれば、人の目のあるところで何かあればもはや面倒事は避けられず、さりとてヨビが嫌だということをするわけにもいかない。結局、雪白の武力を背に逃がさないようにして、懇々と説得し続けるしかなかった。半ば軟禁とはいえど、食べ物も風呂も睡眠も提供したのだから問題はなかったはずである。

「いやいや、話はここからでね。実はクランドのところにも嫁の話が……」

 そのあたりで蔵人は強引に魔力を使い切って、気絶、もとい眠った。

 女三人の姦しい話は夜遅くまで続き、その間は雪白も遊びに行かずにうんうんと蔵人の失敗に相槌を打ち、アズロナはヨビの膝の上に頭を乗せてうつらうつらしていた。



 翌朝、蔵人が目を覚ますとイライダとヨビはすでに仕事に行ってしまったらしく、ニルーファルもどこかで鍛錬をしているのか見当たらない。

 朝といってもすでに随分遅かったが、蔵人は今日の仕事はないしなと共有スペースで眠っている雪白とアズロナと一緒になって、雪白を枕に二度寝、三度寝を貪っていた。

 そこへ戻ってきたニルーファルは、だらしなく眠る蔵人の姿を見て、眉間に皺を寄せる。

 だが、すぐにそれは緩んだ。

 ニルーファルはしょうがない奴だと小さく呟きながら、ヨビが蔵人たちの朝食か昼食にと準備していった食材を調理し始める。

 その匂いにまずはアズロナ、そして雪白が動き出すと、蔵人もようやく起きる気になった。

「仕事がなかろうとも規則正しい生活をしたほうがいい」

 そんなお小言を頂戴しながら、乾燥させたグーラを砕いて、水と混ぜて練って焼いた、ほんのり甘いナンモドキ、グナムをニルーファルから受け取った蔵人はもそもそと口にした。

 雪白とアズロナには焼いた肉をグナムで挟んだものが渡された。

「あ、……すまん。食事の支度をさせる気はなかったんだが」

 寝過ぎで寝惚けていた蔵人の今さらな言葉に、ニルーファルは首を横に振る。

「性分だ。何もやらないでいたほうが気疲れする」

 それにこんな呑気な日も悪くない、とニルーファルは思っていた。

 夕方、ニルーファルは舟団へと戻っていった。

 そしてイライダとヨビも、東端へと出発した。

 



*****


 


 アルワラ族族長バスイットは大柄な瘤蜥蜴に跨がった四人の兄弟を出迎えた。

 四人共にバスイットの異母兄弟であるが、母親はすべて奴隷であり、バスイットの腹心となるべく育てられた者たちである。

「兄弟たちよ、壮健そうでなによりだ」

 バスイットが全員と親しげに耳を合わせ、親愛を示した。バスイットがこれをするのは、この兄弟たちだけで、息子たちにすらしない。この事だけでどれだけで四人を信頼しているのか知れるというものである。

「族長も鈍ってはいないようだな。安心したぜ。で、他の連中はどうだ」

「感触は悪くない。それより北は大丈夫か、随分と荒れたようだが」

「あれはオレたちがニハーファに行くと知ったいくつかの部族が反乱を起こしてな。すぐに引き返して、叩きのめしてやった。しばらくは逆らわんだろ。それより、随分と大きな獲物を得たと聞いたぞ」

「なかなか思うように調教できないが、まあどうにか使えそうだ」

 四人の男たちは親しげにバスイットと言葉を交わし、獰猛な笑みを浮かべている。

 ジャムシドが抑止力だとすれば、兄弟たちは強力な実行力であった。


 バスイットと四人の兄弟たちが親しげに天幕に入っていくのを見送り、ハイサムは肩の力を抜いてほっと一息つく。

 四人の兄弟たちは次期族長候補といわれているハイサムを一顧だにしなかった。彼らの忠誠はすべてバスイットと部族に向けられている。

 彼らが生きている間にハイサムが族長を継ぐには、彼らに認められなければならなかった。

 自分の天幕に戻ったハイサムは、深々と溜め息をつく。

「あれが族長のご兄弟ですか……。前途多難ですねえ」

 まるで妻とは思えないマルヤムの言葉にハイサムは苦笑する。人柄だろうか、マルヤムにそう言われても怒りは湧かなかった。

「勝てないわけじゃないが、正面からやって勝てる気はしないな」

 あらゆる手段を講じれば倒せないわけではない。だが、それでは部族が納得しない。

 正々堂々戦い、誰よりも強い者が族長になる。

 次期族長候補などという肩書きは族長であるバスイットの特権からくる付属品なのであって、ハイサム個人でみれば、他者より少しマシな位置にいるという程度でしかない。


「族長になりたいわけではないのでしたら、あまり無理する必要もないのではないですか?」

 足元にじゃれつく牙猫を抱え上げながら言ったマルヤムに、ハイサムは少しばかり反応が遅れた。

「……なぜそう思った」

 マルヤムは小首を傾げる。

「略奪も乗り気じゃない。東の地への野心もない。そんな人が族長になれるのですか?」

 無遠慮な言葉であるが、まさか見抜かれているとはハイサムも思っていなかった。いや、マルヤムを魔獣狂いなだけの奇妙な女と見くびっていた。

「……なりたくないわけじゃないさ。だが、東の地に手を出さず、バーイェグ族とも完全に和睦する。人質も無くす。緩やかな部族連合を組んで、西の国と対抗する力をつける……そんな臆病を部族は許さない」

 砂漠の男としての矜持はある。

 だが、砂漠の風習に抗いながらも砂漠に居続ける蔵人に接し、コースケを通して西の国を肌で感じたことで、このままの部族ならば明日はないとも感じていた。

 だがそれでも砂漠の男として、部族を見捨てることもできなかった。バスイットに反旗を翻すような力もなかった。

「……大会合の支度で忙しくなる。あまり目立つようなことはするなよ」

 アルワラ族の女衆に多少は馴染んでいるが、まだ妊娠はしていない。魔獣狂いというだけで悪目立ちしていた。

 ハイサムはそれだけ言って、天幕を出て行った。




*****




 半季後。

 ガズランの街の外には無数の天幕が立ち並んでいた。

 そこへやってきた砂舟の舟団は族長と長老衆、一番舟の男衆、そしてファルードを下ろすとすぐに離岸して、十分に距離をとってから停泊した。

 普段ならばそこでバーイェグ族の雰囲気に当てられて空気が張り詰めるのだが、ガズランの入り口はすでに一触即発の状態に陥っていた。

「――余所者が大会合に参加するなど、世迷い言をほざくなっ」

 アルワラ族の長老衆らしき屈強な老人が腰の剣に手をかける。

「そう怒らないでくれ。口を出す気は一切ない。ただ、参加、いや見学させてくれるだけでいい」

 老人を宥めながらそう言ったのは、蔵人であった。その後ろには雪白とアズロナの姿がある。イライダやヨビはまだ東端から帰っていなかった。

 老人は蔵人たちの後ろからやってきたバーイェグ族をギロリと睨むが、族長のグーダルズは首を横に振る。

「一切関知していない」

「当たり前だ。ウバールから自力で来たんだ」

 老人が舌打ちするも、蔵人はさらに続けた。

「どうする? 認めないようならこっちもそれなりの対処をする必要があるが……」

 そんなことをする気はないが、それくらい言わなければ雪白の力を誇示できない。

 現にそれを聞いた老人は苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。

 雪白の力を背景にした要求を断れる者などいない。


 これは、蔵人なりの決断だった。

 自分がどこまでいっても部外者だというのは自覚している。ここに帰属したい、だからここの人間だなどと言って、はいそうですかと了承する者は少ない。蔵人自身もこの砂漠の行方を左右する会議にずけずけと口を挟む気はない。

 ただ、この砂漠の行く末を、自分の目で見定めたかった。

 この砂漠で納得して生きていくために。


――グガぁッ!


 短くも怨嗟に満ちた咆哮が轟く。

 雪白は忌々しげな顔をしながらも飛びだした。


 直後、空中で激突する赤と白。


 衝突の余波に周囲の天幕は横薙ぎに揺られ、砂塵が舞い上がる。

 雪白との決闘で生殖器を失ったジャムシドであった。

 雪白は蔵人に一瞬目配せして、ガズラン、そして舟団からジャムシドを遠ざけるように戦い始めた。

 ジャムシドが雪白を引き受けたことに老人は意気を盛り返す、が――。

「貴様が勝手に来たのだ。ジャムシド様に関して我らは一切――」

「で、参加させるのか? どうするんだ?」

 老人の言葉を遮った蔵人の言葉は酷く好戦的だった。

 後ろに控えていたアズロナも牙を剥き出しにして精一杯威嚇している。

 もうすぐ夜になる。そうなれば雪白が優位に立つはずだと蔵人は信じ、老人に決断を迫った。

 臆病者の腰抜け。守護魔獣の後ろに隠れている卑怯者。

 老人が聞いていた蔵人の人物像はそれであったが、あまりの違いに迷った。

 雪白をジャムシドが迎え撃ってなお、老人は強気になれない。ジャムシドは一度敗れている。もしもう一度敗れれば、雪白の力がアルワラ族に向くのは必定。だが、由緒正しき大会合に余所者を入れるなどできない相談であった。


「――入れてやってくれ。族長たちの許可は得ている」

 そこに現れたのはハイサムであった。

「……それは真か?」

「爺さんを謀るほど血迷ってないさ。なんなら確認するか?」

 まだ迷う老人を見て、ハイサムは蔵人に問うた。

「許可がない限り、口を挟むことは許さん」

「俺は最初からそう言ってる」

 その蔵人の言葉に老人はついに折れた。

「では案内しよう。グーダルズ殿、こちらだ」

 ハイサムはもう蔵人など見ることなく、グーダルズのみに告げた。

 ついてくるなら勝手について来い、ハイサムの意図をそう理解した蔵人は、遠ざかっていく雪白を一度見上げてから、ハイサムのあとを追った。

 その間、ハイサムはおろかグーダルズすらも蔵人に話し掛けることはなかった。

 

 ガズランの街の中央にあるオアシス、その横に大きな天幕があった。

 そこにはアルワラ族の族長バスイットやバーイェグ族族長グーダルズ、ウバールの族長たちなどそうそうたる面々が車座になって胡座をかいていた。

「――これより大会合を始めるっ」

 ガズランを支配するグランプ族の族長メルガドが野太い声で開幕を告げた。




******




 砂流の只中に停泊する舟団では、ニルーファルが睨むようにガズランを見据えていた。

 ガズランには族長と長老衆、一番舟の男衆、そしてファルードがついて行っている。

 舟団は砂漠から離れて砂流に停泊することで安全を担保しつつ、二番舟から四番舟、そしてどうにか今日までに合流できた八番舟が備えていた。

 五番舟から十番舟は舟団と離れて砂漠を巡っている。バーイェグ族全体としてのリスクを分散しながら、それぞれに鉄を採掘したり、魔獣を討伐して保存食を作ったりと日々舟団を支える活動をしている。

 四番舟所属のファルードは本来なら舟団に残るのだが、嫌な予感がすると自ら志願して大会合へ同行したのだが、ある意味でその勘は間違っていなかった。


 ガズランに同行した一番隊の男衆が一人戻ってきて現状報告していったのだが、そこに驚くべき話があった。

「……クランドめ」

 大会合に余所者である蔵人が飛び入り参加するなど、誰が思うだろうか。この砂漠に根を下ろしている全部族の神経を逆なでしたと言っても過言ではなかった。

 ニルーファルは顔を顰めたまま、大会合が終わるまではと私情を抑え込む。

(おいおい、今日の船頭は機嫌が悪いぞ)

 四番舟の男衆が警戒しながらも、声を潜めて噂する。

(クランドがまたやらかしたからな)

(まったく。大会合に参加させろなんて、俺なら口が裂けても言えねえ)

(まあでもあれは、ある意味じゃあ砂漠の男らしいといえば男らしいよな)

 確かに、部族のためという一点がないことを除けば、自分のやりたいように力を振るう、という蔵人の自由闊達な姿は砂漠の男の憧れそのものであった。

 たとえそれが雪白という強大な後ろ盾を持つことからきているのだとしても、その強大な後ろ盾から全幅の信頼を得ているのは蔵人という個人である。

 それに強大な後ろ盾が卑怯というのならば、部族という強大な後ろ盾のあるすべての男が卑怯ということになってしまう。


 一年弱ほど一緒に生活した蔵人には迷惑もかけられたが、許婚の絵を描いてもらったり、許婚が気に入っている牙猫を連れてきてくれたり、何よりも苦楽をともにした。

 バーイェグ族の男衆は砂漠の男でありながら、慈悲深いアナヒタを守る戦士である。

 蔵人が持ち続けている正義感と、この砂漠の厳しい現実との葛藤は、若い時分に誰もが一度は通る道であった。略奪、誘拐婚、政略結婚と因習を通してそれを共有したことは、彼らにとって蔵人はもはやただの客人ではないことを意味していた。

「――右舷に浮艦っ」

 見張りの鋭い声に、男衆らはピタリと囁きを止め、右舷を見つめた。

 そこには後部甲板の半ばを沈没させつつも、よたよたと進む浮艦の姿があった。

 岩混じりの砂嵐に巻き込まれたのか、至る所に穴が空いており、救助を求める白旗も振っている。

 ニルーファルは総船頭代理と他の船頭とも相談し、協定どおりに救助を決めた。

 次第に近づいていく舟団と浮艦。

 しかし、二番舟船頭が異変に気づいた。

「――回避用意っ! 加速してるぞっ」

 突然の事態にも男衆は即座に対応を始めるが、予想外の事態に舟団の空気は一気に張り詰めた。




******




「――奴らの目的はこの砂漠の秩序を崩壊させ、我らの財を奪うことに他ならぬ。そのような愚か者どもに東の地は渡せぬ。あの地は黒賢王様が我々に残した最後の聖域、我らこそが継承者である。そうではないかっ」

 バスイットがそう告げると、半分以上の部族が同意の声を上げる。それでこそ砂漠の男だという声が相次いだ。

 これに異を唱えているのがグーダルズである。

「だが何度も言っているように、奴らは手強い。多くの呪術師を持ち、戦士としても侮れない。それにもし本格的な戦となったならば、あの浮艦が少なくとも五隻は襲いかかってくる。安易に敵対するべきではない。むしろ、東の地と積極的に交易して食料を手に入れ、学ぶべきだ。幸いにも西の国ではこの砂漠で産出する金や銀、鉱物は特殊で価値があるという。力を蓄えることは可能だ」

 これにウバールやガズラン、定住民の族長たちが同意の声を上げた。だが、割合としては全体の三割ほどで、分が悪い。

 略奪を是とする砂漠の男に略奪は禁ずることはできず、グーダルズは別の利益を提案することで、東の地への手出しを抑えようとしていた。


「それでは遅い、遅すぎる。その間にも奴らは準備を整え、南北の迂回路に砦を築いてしまう。そうなってしまえばいかに我らが勇敢な砂漠の男であろうとも厳しい戦いになるであろう。だからこそ我らは今ここで手を結び、奴らが態勢を整える前に東の地を奪い返し、これ以上西から来れぬように砂漠と砂流の両面で見張ればいいのだ」

 何度も撃退されて追い返されているではないかと言い返せば、メンツを潰すことになる。

「……具体的にはどうするつもりだ?」

「我らはアナヒタ様に敬意を払っている。それは他の部族でも同じであろう?」

 バスイットが車座になった族長たちを見回すと、全員が頷いた。

 水をほぼ無限に生み出す水の御子、アナヒタを手に入れたいとほとんどの部族が思っている。それを敬意というのも決して間違ってはいなかった。


「――アナヒタ様の下で、黒賢王様以来の『連合(タルフ)』を結ぶ。その力で東の地を奪還する」

 連合という言葉に場がどよめいた。

 あのアルワラ族が連合を求めるということにグーダルズは驚くが、それだけバスイットも西の国々を警戒しているのだと察した。

「連合には賛成だ。連合の方針を合議制にし、東の地への進出をしばらく控えるというのであれば」

「いや連合の長はガズランの長、グランプ族の族長メルガド殿に任せたいと思う。中立的なメルガド殿であれば我らにも異存はない」

 中立といえば聞こえはいいが、実際はアルワラ族にもバーイェグ族にも旗色をはっきりさせない風見鶏のような部族である。

 だが、略奪派の族長たちは一斉に同意し、中立部族の長たちは予想外の人選に損得勘定を始めた。


 略奪派のすべてが中立的な、どちらかといえば略奪に否定的なグランプ族族長を選ぶはずがないのだが、現実には選んでいる。

 グーダルズはここに至ってガズランがすでにアルワラ族の手にあることを悟るが、手遅れであった。

「――私情でアナヒタ様を独占するな。時代は刻一刻と変わっているのだ。それとも何か、西の国々と勝手に協定を結び、砂流を我が物として扱っているそうだが、よもや西の国々に靡き、我らに剣を向ける気ではあるまいな? それにウバールの族長たちの姿はなんだ? 西の富に砂漠の男の誇りを売り払ったかっ」

 さらにバスイットが場を揺さぶった。

「言いがかりをつけるのはやめろ。道中で遭難船を見つけた場合にのみ救助する。協定はそれだけだ。砂流の領有禁止は西の国相手には必要なことだ。我らの物としたわけではなく、どの国も領有を禁止するというだけのこと。そうでなければ奴らは我が物顔で砂流を己の物とするだろう」


 グーダルズはそれでも動揺することなく答え、さらに刃を返す。

「では貴殿らの法外な通行料はいかがする? 奴隷の取引も行っているそうではないか。それこそ西の国に資する行為であろう。アルバウムという国の使者とも頻繁に会っていると聞いているぞ」

「そのとおりだ。我らは正当な取引で財貨を得ているが、貴様のやっていることは西との共謀ともとれる。南の迂回路を通ってもいいはずだが、奴らが来ないのはその証拠ではないか」

 カルーフ族のヴァファが、グーダルズに追従した。

「敵を知らずば討つこともできまい。会っているのはそのためよ。通行料も奴隷の利益も奴らを討つために必要なものだ。敵の財貨で敵を討つ、痛快ではないか。それに奴らは奴隷を奴隷として扱わず、解放しているそうだ。敵の足手まといを増やしていると考えればそう悪い策ではない」


 バーイェグ族の性質上、どうしても後手に回らざるを得ないが、今回は致命的であった。すでに場の主導権をバスイットに握られてしまっている。

「……性急に過ぎる。我らは承服しかねる。まずは緩やかに合議制とし、それぞれに理解を深め、力をつけてからでも遅くはない。でなければ、即座にこの連合は瓦解する。かつて小規模ながらも連合を組んだ――」

「――黙れ! 貴殿らこそがアナヒタ様と砂流の利益を独占し、力を蓄え、この砂漠に覇を唱えようとする裏切り者よっ」

 バスイットが激しい言葉でグーダルズの言葉を遮った。

 その直後、天幕の外から怒号が轟いた。

 それが合図であったかのように、バスイットが告げる。

「もうよかろう。言葉は尽くした。アナヒタ様を差し出せ」

 バスイットが立ち上がると、他の族長たちも立ち上がる。

 様子の変化を敏感に察したグーダルズたちも身構えるが、すでに大勢は決まっていた。

 バスイットを筆頭に敵意を剥き出しにした族長たちが六割、どちらにも組みしないと一歩退いたのが二割、そしてグーダルズとウバールの者たちで二割。


「――断る」


 多勢に無勢であろうとグーダルズが折れることはあり得ない。それはこの場に同行していた長老衆やファルードも同じであった。

「助けは来ぬぞ」

 耳を澄ませば、天幕の外から剣戟の音が響いていた。万が一のときのためにと、舟団とのつなぎ役や族長たちの護衛を行うはずの一番舟の男衆たちが戦っているようである。

「だとしても答えは変わらぬ。我らが我らのままでは西の国々に対抗することはできぬ。そのためには時間と資源が必要だ」

 ミド大陸の歴史と地球の歴史を知り、グーダルズは部族社会の限界を知った。部族のままでは部族のことしか考えることはできず、連合ですら即座に瓦解する。

 だからこそ、恨みを薄める時間が必要だった。そのためならば、最大限協力し、バーイェグ族の名すら無くなっても良いと考えていた。

「これでもそう言えるか?」

 バスイットが召使いに声をかけると、縄に縛られたマルヤムが天幕に引き出された。

 天幕の外からはマルヤムが連れてきた愛する魔獣たちの悲しげな鳴き声が微かに響いていた。


 だが、グーダルズの顔にはいささかの動揺もない。さらに――。

「――エルィオァル氏族、族長グーダルズが娘マルヤム。たとえこの身が引き裂かれようとも、命乞いなどするものか」

 政略結婚という戦場で一人果敢に戦っていたマルヤムの覚悟であった。

「まあ、よい。アナヒタ様連れてくるまで、しばらくはここにいてもらおう。動くなよ?」

 バスイットが剣を抜き、マルヤムの首に添えた。

 グーダルズもファルードも、ウバールの族長たちも動けない。

 敵に回った族長たちも強力であるが、なによりバスイットが問題だった。

 北部一帯を支配するアルワラ族の族長バスイット。まさしく彼こそが、最強の戦士であった。マルヤムに剣を突きつけてなお、そこに隙は無い。


 グーダルズはファルードを見て、そして一つだけ頷いた。

 ファルードはグーダルズを影に、蔵人の肩に手を置いて、己の耳と蔵人の耳を合わせ、囁いた。

 それは親愛を示す作法で、傍目には今生の別れをしているようにも見える。

「……頼む」

 それだけでファルードたちが何を求めているのか蔵人は察するが、躊躇った。

 だが、ファルードの手が重い。その目は懇願するようでもあった。

 大会合で何が起き、どうなったか、それを舟団に伝えてほしい。

 伝えるべきことは理解している。だが、いまここを離れれば、まさしく今生の別れになるかもしれない。

 蔵人はちらりとマルヤムを見ると、なぜか目が合った。

 それはファルードと同じ目、すべてを決めてしまった者の揺るぎない眼差しであった。


「…………わかった」

 蔵人は決断するや否や、アズロナに跨がる。

「――動くなっ」

 バスイットの制止に蔵人は動きを止めた。

「貴様は余所者だ。だがだからこそ、敵対しないのであれば見逃そう。ここに残っていれば、悪いようにはしない」

「……ジャムシドはどうすんだ」

「あれはもうダメだ。煮るなり焼くなり好きにするがよい。そもそもここに貴様がいる予定ではなかったのだ。あれをもってして敵対と取られるのは本意ではない」

 雪白の力。その一点だけで、バスイットの言葉が本気であるとわかる。

 だが、蔵人はバスイットの警告を無視し、頭上に砂槍を放って、天幕をぶち抜いた。

「――動けば殺すっ」

 グーダルズたちを抑える必要があるのだからそんなことはできないと、蔵人はアズロナに乗って飛び立った。

 下から族長たちの怒号が飛び、即座に対応したらしいアルワラ族の矢が飛んでくるが、蔵人は振り返りたい気持ちを抑え込んで、アズロナを高く、高く飛ばした。

 そして高空へ上がると、舟団へ向けて、一直線にアズロナを加速させた。


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