短編:芸女と悪女
短編です(四千字ほど)
夕暮れ時。
ふさふさとした二本の大きな尻尾と雪白にも劣らない体躯を持つ黒天千尾狐の黒陽を連れた宵児は、いつものように外国人居留地の門を潜り、インステカの商館長、カルロス・カルティージョの下へと向かっていた。
男性が着るようなミド大陸風の無骨な外套を羽織り、二弓二胡を背負って歩く宵児の姿は颯爽としていて、門番や商人、船乗りの視線を集めている。
だが、宵児も黒陽もそれらを一顧だにしない。
少しくらいは愛想でも振りまけというのは新参者、もう何度も見ている男たちはその媚びない凜とした姿に見惚れている。そんな男たちにとっては、常に一緒にいる黒陽という恐ろしい魔獣ですら、宵児の魅力の一つに過ぎなかった。
宵児が商館に到着すると、カルロスはいつものように宵児と黒陽を出迎えるが、宵児にはどことなくいつもと様子が違うに見えた。何がと言われれば明言はし難いのだが、なんとなく焦っているようである。
本国にいる奥さんにばれたか、などとよくあるお客の事情かと考えながら、宵児はカルロスのあとに続いた。
石造りの壁に赤い絨毯、頭上にはシャンデリアがきらめくミド大陸風の広間に通されると、数人の男たち、顔なじみの商館長たちがいた。
宵児はいつものように外套を脱いで商館の召使いに渡す。
露わになった宵児の姿に、商館長たちはほぅと息を吐いた。
詰め襟と腰に巻いて垂らした帯、服の合わせが肩にある服はモンゴルの民族衣装にも似ているが、それよりもシルエットは細く、身体のラインがはっきりと浮き出ている。
起伏のない体つきは幼いようにも見えるが、怜悧で美麗な容姿がそれを妖しい魅力へと変じさせていた。宵児自体がまだ成長期の途上ということもあって、女好きたちはその変化を密かに楽しんでいた。
もっとも、宵児にほとんど成長らしい成長はないようであるが。
「――宵児にございます。今宵もよしなに」
宵児はそれだけ言うと、まずは一曲と身の丈ほどもある二弓二胡をかき鳴らす宵児。
その間に、召使いたちが商館長たちの前にあるテーブルに料理や酒を並べていく。
「――あら、演奏家? 娼婦?」
宵児が一曲を終えたところで、小さな女が現れた。
鮮やかなピンクの髪は普通の人種よりも遥かに多く、長い。小柄ではあるが、その顔は決して幼くはなく、一見するとエルフをそのまま縮小したようにも見えるが、エルフほど超然としてはおらず、肉感的で官能的。そういう意味ではハーフエルフを小さくしたようであった。小人種のナダーラ・ヤグであった。
娼婦と言ったところに蔑む意味は無く、ただ事実を聞いたという感じであった。
察しの良い宵児は先刻の様子と、僅かばかり動揺しつつあるカルロスを見て、納得した。
カルロスとなにやら深い仲であるらしい女がいて、その女に芸女にはまっているなど知られれば面倒なことになることを恐れていたのだ。
侠帯芸女の宵児にとってはどうということではないのだが、男というものは違うらしい。
やれやれと宵児が小さくため息を吐くと、それを見たカルロスは表情こそ変えなかったが、その視線は宵児とナダーラの間を行ったりきたりしている。大魔似の厳つい顔にはじんわりと汗が滲んでいた。
ナダーラとはミド大陸にいたときからの仲である。いわゆる大人の関係である。
今回はナダーラがレシハームのごたごたから逃れてきたらしく、一時の間匿っていた。突然の来訪で、場所を変える暇もなかったのである。
「――芸女の宵児です。よしなに」
娼婦という言葉をしっかりと訂正する宵児に、ナダーラはふーんと鼻を鳴らす。
「あら、ごめんなさい。どっちも同じようなものかと。ナダーラ・ヤグよ」
宵児の怜悧な視線とナダーラの挑発的な視線がぶつかり合う。
それを見てカルロスは焦りながらも、遊び人たる己の矜持の下にどうにか場を治めようとする。
「ナダーラは古い友人でね。世界を旅している。――宵児は最近よく呼ばせてもらっている。侠帯芸女といって身体は売らずに、芸だけを売――」
「――あら、素敵じゃない。芸の腕だけで食べていけるなんて」
ただ言葉とは裏腹にナダーラの視線は宵児の扁平な身体に向けられていた。まるで、それじゃあ買い手はいないだろうねと言わんばかりに。
ナダーラより背が高い宵児であるが、各部のパーツの発育はナダーラのほうが断然上であった。
「――ええ、本当にありがたいことです」
わざわざナダーラと張り合う気も、意味もないとさらりと受け流す宵児。女相手ならばいつも他の芸女相手にやり合っている。慣れたものであった。
まるで妖艶さの漂う肉感的な妖精と、怜悧な眼差しの小柄な雪女の共演に商館長たちは楽しげに二人のやりとりを見つめている。
一人、カルロスだけがどうにか外面を取り繕いながらも、背中にはびっしりと汗を掻いていた。
「ふん、まあいいわ……」
ナダーラも別に嫉妬していたわけではない。からかったら面白そう、という程度のであった。
宵児を見つめていたその目は、次にその背後にいる黒陽に向かった。
だが、黒陽はしかめ面をしてふいっと顔を背ける。ナダーラの身体に僅かに残った蔵人、いや雪白の匂いをしっかりと嗅ぎ取ったのである。
雪白たちが無事であったことは嬉しいが、それを素直に現わす黒陽ではない。
まして黒陽のことなど何も知らないナダーラではわかりようはずもない。
「愛想のない魔獣ね。白くて大きいのも気が利かなかったけど、あんたも同じようなもんね」
それでようやく宵児も黒陽の反応の意味に気づいた。
このナダーラという女と蔵人たちがどこかで接触したのだと。
宵児は蔵人が生きているということに安堵するも、こんな女にも引っかかるなんてと少しばかり立腹し、しかし相変わらずかと呆れてもいた。
「なによ?」
ナダーラが腰に手を当てて、不満そうに宵児を見る。
だがそんな高慢な態度も、蔵人たちの安否を教えてくれたと思えばあまり気にならなくなっていた。宵児は苛立ち始めた黒陽を抑えつつ、ナダーラに答える。
「いえ。ナダーラさまも聞いていってくださいな」
つんけんしていた宵児の態度が急に柔らかくなったことにナダーラは不審がりながらも、カルロスの横にどんと座る。まるで聞いていってやると言わんばかりであった。
商館長たちはさらなる修羅場を期待していたが、宴は無事に、何事もなく終わった。カルロスの胃以外は。
「ふんっ、いい音出してるじゃない。どっかの下手な絵とは大違いね」
ちょうど雪白を思い出したこともあって、ナダーラはそんな風に宵児を評した。
宵児にはその言葉が妙におかしくて、くすくすと笑ってしまった。
門が閉まる前に白霧山遺跡に戻ってきた宵児は、黒陽と共にいつもの夜店を訪れていた。
ことあるごとに大星が宴会をする店であり、最後に蔵人と飲んだ店でもあった。
夜店の店主はいつものように何も言わず、黒酒を酒杯に一杯だし、つまみを一つ二つ置いていく。
仕事のあとはいつもここで一杯やるのが、宵児の楽しみになっていた。
「――やはりここにいましたか」
しばらく何をするわけでもなくぼぅと飲んでいたのだが、聞き間違うはずもない師、美児の声に宵児は顔を上げた。
美児、そして大星と玉英が並んで立っていた。
「戻っていたのですか。あ、どうぞ」
仕事を終えた宵児はわずかばかりあった愛想の欠片すら感じさせぬ素っ気ない言い方で、しかし親しげに席を詰める。
「元気そうで何よりだ」
大星は宵児、そして黒陽を見ながら朗らかに言い、玉英は宵児に軽く手を挙げるだけで、黒陽に突撃していった。
黒陽も玉英のことは諦めているのか、抱きついてくる玉英を適当に尻尾であしらいながら、宵児に分けてもらった黒酒をちびちびと舐めていた。
店主はやはり無言で酒とつまみを出し、大星たちもいつものように酒を飲み始める。
「またすぐに出るのですか?」
耶律と手を組んだ大星は、耶律に翻弄されながらも商売人として大成しつつあった。今はほとんどこのあたりにはおらず、大陸中を駆け回っている。
「いえ、とても重要な仕事があって、……今度、大星を代表に友好使節団の随行員としてレシハームに行くことになりました」
鎖国している龍華国が使節団とはいえ外国と交流を始める。
「すごいですね。おめでとうございます」
「それで、貴女にも一緒に来てもらいたいと思っています。どうでしょうか?」
侠帯芸女という龍華国の文化を紹介する者として。そして珍しい魔獣を従えている者として。黒陽については護衛という意味合いも大いにあった。
これは耶律の背後にいる何番目かの皇子からの依頼であり、断ることはもちろん可能である。ただ、基本的には極めて名誉なことで、断る者などいなかった。
宵児にとって皇子などどうでもよかったが、師であり、母であり、姉でもある美児の頼みを断れるわけもないし、そんな気もなかった。
「姐様がそうおっしゃるなら、同行させていただきます」
その言葉に、美児は嬉しそうに顔を綻ばせる。
宵児はその商売っ気のない無邪気な微笑みを嬉しく思う一方で、北部随一とまで呼ばれた芸女を辞めてしまった師を惜しく思い、つい憎まれ口を叩く。
「姐様はしばらく弓を握っていないでしょう? 大丈夫ですか?」
宵児の挑発的な物言いにを頼もしく思いながらも、師として弟子には負けられないと、美児も艶然と微笑みながら返す。
「ふふ、大星についていくと見るもの聞くもの珍しくて、むしろ世界が広がりました。それに旅先でも弾いていましたしね」
二人は弓を取り、競うように弾き始める。
その夜、安酒屋の軒先に久方ぶりの二重奏が響き渡ることになった。
用務員さんは勇者じゃありませんので、第6巻、本日発売です<(_ _)>
何卒、よろしくお願い致します<(_ _)><(_ _)><(_ _)>
すでに買っていただいた方もいらっしゃるようで、本当にありがとうございます<(_ _)>