122-いくつかの再会
遅くなって申し訳ありません<(_ _)>
(約一万五千字)
マルヤムが嫁ぎ、バーイェグ族はいつもの日常に戻った。
蔵人もまた、すでにいつもの日常とまで呼べる程度には習慣化した日常を送っていた。昼間は眠り、夕暮れの少し前から置きだして自律魔法の研究や毒の整理、日課である反復訓練。そして夜になれば夜警をこなし、夜が明ける前後にぼぅとそれを見つめながら、絵を描く。
そんな日々の中、砂漠の向こうに帆船が見えた。
暑い日とすごく暑い日以外、季節の変化というものに乏しいらしいこの砂漠に来てから、明確な日付を数えてはいなかった蔵人。せいぜいが月の色の変りで大ざっぱに認識するだけで、今日が何日かなど覚えてはいなかった。
先日、月の色変わりがあったことを考えればサウラン砂漠で遭難してから百日前後、マルヤムの結婚から十日ほどは経過した日のことであった。
どんどんと近づいてくる帆船。
当然蔵人以上に視力のあるバーイェグ族がそれを見逃すはずもなく、舟団はにわかに騒然となった。
砂漠を進む帆船。
砂舟以外にもそんな船があるんだなと蔵人は呑気に帆船を見つめていたが、帆船があるところまで近づくと、その目が点になった。
なぜ、こんなところで、遭遇するのか。
帆船の甲板にハヤトがいた。
本当に小さくしか見えていないが、それは確かにハヤトで、他にもトンガリ帽子を被ったアリスや頭上の兎耳が目立つクーもいる。
だがそれと同時に、蔵人は甲板にいる別の人物も見つけた。
こんなところまで来たのか。
ヨビ、そしてイライダであった。
バーイェグ族は厳戒態勢へと移行しつつあった。舟団は静まり返っているが、その内部の騒然とした気配は僅かに漏れ出している。
銀色の船体を持つ大型帆船。
未知の存在であった。
バーイェグ族が操る砂舟以外、この砂流を進む船などこれまで存在していなかった。加えて言うならば、その船は砂流の流れに逆らって進んでいた。
引き離して逃げようにも、船が舟団を目指している限り、いつかは追いつかれるのは明白であった。
ゆえに、迎え撃つ態勢ととっていた。
バーイェグ族の緊張を肌で感じながら、蔵人は一旦絵をしまい込み、ニルーファルの下へと向う。
自分の素性と、これから来る者たちの素性を知らせるために。
事ここに至れば、無視しているわけにもいかない。
すでに蔵人の肉眼で甲板の人間が判別可能な位置にまで帆船は近づいていた。それでも相当な距離はあるが、アカリのような索敵系の加護が他にいないという保障はなく、甲板にいたハヤトの加護、精霊の最愛で捕捉されている可能性も高い。精霊と会話できるのだから、普通ならばできない精霊による個人特定も可能で有るかもしれない。
なにより、イライダとヨビがいるというのに隠れているわけにもいかない。通訳の約束もしてあったし、ヨビの面倒を無責任にもイライダに放り投げてきたという自覚もある。
蔵人は帆船の一挙手一投足を睨むように見つめるニルーファルに、事情を手短に話した。
「わかった。一緒に来い」
それを聞いたニルーファルは疑うことなく蔵人の言葉を信じ、その場をファルードに任せ、族長の下に向う。
「……いや、それは無理だろう」
不安定な舟団の上を飛び跳ねるように駆けるニルーファルに、いまだ船上での移動に難がある蔵人が情けなくそう呟く。
すると、黙って蔵人の後ろにいた雪白がため息をつきつつも、蔵人を尻尾で掴んで、ニルーファルの後を追った。
――ぎぅ?
尻尾で運ばれる蔵人の隣には、同じようにいつも雪白に運ばれているアズロナがいて、なにやら楽しそうに首を傾げている。
雪白にとって蔵人もアズロナも似たようなもの。
そんな風に感じて、密かに情けない気分を味わっていた蔵人であったが、飛竜の変異種であるアズロナと同じくらいなら上等かと思い直し、楽しげにしているアズロナの鬣を両手でもしゃもしゃとくすぐってやった。
それにしてもそれなりに長くいるが、アズロナ共々尻尾で運ばれたのは初めてだな、と妙な感慨に耽りながら、蔵人はアズロナのついでとばかりに雪白の尻尾を撫で、ふにふにと揉みしだいた。
――ぐるぁあっ!?
そんな雪白の動揺の唸りなど知ってか知らずか、蔵人はそのまま運ばれていった。
族長の船に到着したときに、案の定蔵人は勢いよく尻尾で引っぱたかれたが、それを見たニルーファル、それどころか族長ですらいつものことか、とさらりと流されたのは蔵人がバーイェグ族に馴染んだ証拠といえる、かもしれない。
銀色の帆船と舟団が一定距離を保って併走する。
帆船はまるで外輪船とホバークラフトを足したような奇妙な形をしていた。船体の横にある水車のような外輪と船尾の巨大なプロペラによって推進力を得ていた。地球のホバークラフトやこの世界の浮艦のように地面から浮き上がっているわけではない。
『帆船創造』という加護が生み出した船に、『傀儡創造』の加護持ちが生み出した外輪とプロペラを装着したものである。不格好ではあるが、シンプルな構造であるほど加護を発動している勇者に負担が少ないため、横断中に試行錯誤し、こういう形に落ち着いたのである。
「――ハヤト・イチカワだ。この大陸の東端を目指している。敵対意思はない、情報交換がしたいっ」
併走する大型帆船の甲板に立つハヤトが声を張り上げた。
「エルィオァル氏族が長にして、バーイェグ族が族長、総船頭グーダルズだ。我が部族でないものを舟団に入れるわけにはいかぬ――」
壮年の美丈夫であるグーダルズが低いが良く通る声で応える。
イライダやヨビ、それ以外にトールやアカリなど、何人もの勇者やそのパーティが甲板から二人のやりとりを見つめていた。
「――だがっ、そちらの船で話すのであれば、話し合いには応じよう」
これがバーイェグ族上層部の答えだった。蔵人の話と自分たちの掟、未知の船。それらを勘案してのことである。
敵地である船に乗り込んで話し合う。
そのあまりに剛毅な提案をハヤトも予想していなかったのか、少しばかり驚いたような顔をしていたが、ニッと笑った。
「――承知した」
そのまま甲板でいくつかの条件が話し合われ、何人かの長老衆と一番舟の船頭、副船頭が勇者たちの船に跳び移っていた。バーイェグ族において長老衆とはふんぞり返っている存在ではなく、最前線で交渉する存在であった。もし何かあってもアナヒタと族長、そして若衆がいれば部族は滅びない。
対部族において一番最初に死ぬかも知れない役目を負うのがバーイェグ族の長老衆の役目であった。
それから日が暮れるまで緊張をはらんだまま帆船と舟団は併走していたが、両者の話し合いが終わり、一時的な協力体制が敷かれると、警戒態勢こそ解かないが、極端な緊張状態は解消されていった。
一方その間、蔵人は何をしていたかといえば、自分の小舟に引きこもっていた。
昼間はほとんど眠っている雪白やそれに付き合って眠っているアズロナを横目に、いつものように絵を描いていたのである。
どのみち、今は自由な交流などできなければ、積極的に勇者たちに関わる気もない。ただ、どうすればいいかわからないというのも素直な感想で、思考放棄していたと言われれば否定もできなかった。
甲高い金属音が鳴らされる。
それはすでに交渉が終わり、極端な緊張状態が解消されたときのことであった。
蔵人が来訪を示す金属音を聞いて小舟の戸を開くと、ニルーファルが立っていた。さらに――。
「――久しぶりだね」
イライダがそう声をかけ、その後ろではヨビが小さく頭を下げた。
「……久しぶりだな。アンクワール以来か」
蔵人は素っ気なくそう答えた。
だが、イライダとヨビをこちらに連れて来られないかとニルーファルに無理を言ったのは蔵人である。決して会いたくなかったなどということはない。
「相変わらずだね。おっ、久しぶり」
そんな蔵人を押しのけて、雪白がにゅっと戸口から首を出し、鼻をひくつかせた。
「数が多い。我の舟の来るといい」
一応監視という名目で立ち会う必要があるニルーファルにそう提案され、蔵人はそちらに向った。
ニルーファルの舟にはファルードもいたが、いつものように言葉少なに挨拶するのみ。
蔵人たちは案内されるままに車座に座る。舟内が思いのほか温かったのか、イライダとヨビは著ていた防寒具を脱ぎ始めた。
こうして改めて二人を見ると、蔵人にも懐かしさが込み上げてきた。
蔵人に比べると頭一つどころか二つ以上大きな巨人種のイライダ。褐色の肌に鋭く精悍な顔立ち、ちりち
りとしたライオンのような赤毛を乱暴にひとくくりにしているが、野性的な美は決して損なわれていない。特に胸元と肩回りが大きく露出した革鎧姿は蔵人の目を引きつけてならなかった。
蔵人はそれでもどうにか視線をうつし、今度はヨビを見る。
蝙蝠系獣人種のヨビはイライダとは対象的に、肌は白く、細面で、儚げですらある。舟内の乏しい明かりと腰まである灰色の髪も相まって、夜火という名のとおり、灯火のような女である。
だが、すらりとした身体のわりには革鎧に包まれた胸は大きく、腕にある翼膜の関係で脇から腹筋まで大きく露出している部分から僅かにはみ出してすらいた。
二人ともここに来る条件として武器は持ってきていないようである。
そうして車座になった全員が顔を見合わせたところで、先程言葉を交わさなかったヨビが何気ない様子で話し始めた。
「――お久しぶりです、ご主人様。今度こそ、ご恩を返させてもらいます」
どうということもない挨拶、ヨビのこれまでを考えれば可笑しな言葉ではない。
幸いにもニル-ファルとファルードはヨビの言葉がわからないらしく特に反応はないが、もし言葉を理解していたなら重大な誤解を抱くところであろう。
それに気づいた蔵人が嫌そうな顔をして制止しようとするが、さらにイライダが続いた。
「――通訳してくれるんだろう、ご主人様?」
まさかのイライダの言葉に、蔵人はぎょっとして、言いかけた言葉を詰まらせる。
「……勘弁してくれ」
それだけをどうにか絞り出すと、イライダとヨビはしてやったとばかりに顔を見合わせ、笑みを浮かべた。
「できればこちらにもわかるように通訳してくれ。一応、監視という名目だ」
蔵人たちのやりとりに首を傾げていたニルーファルがそう言うと、蔵人は少し嫌そうな顔をしながらも今のやり取りを説明した。もちろんしっかりと、ヨビとの事情やイライダの性格なども捕捉して。
蔵人がニルーファルとファルードに説明する間、イライダとヨビは改めて雪白に声をかけていた。
だが、蔵人の後ろにいた雪白はすっと立ち上がると、イライダの身体に身を寄せて、まとわりつく。
美女と豹。実に絵になる二人である。巨人種であるイライダだからこそ、普通の美女と豹に見えているのであるが。
イライダは一瞬キョトンとしてしまうが、すぐにその理由を察してニッと笑い、腰元につけていたスキットルを取り出す。
「ふふ、匂いを嗅ぎつけたね」
それを見た雪白は目を輝かせた。そして改めて飲んべえ友達に顔を擦りつけて挨拶をした。
ヨビはヨビでアズロナと顔を合わせていた。
じっと見つめ合うヨビとアズロナ。
アズロナはヨビの腕にある翼膜が気になるらしく、同じなのかな? と興味津々でヨビに近寄る。
ヨビは単眼で足のない飛竜であるアズロナを恐れることなく、その鬣を撫でた。
人懐っこいアズロナはそれだけで敵ではないと判断して、嬉しげに飛びついた。同種と勘違いして興奮したらしい。
「あっ、おい……」
ニルーファルたちに色々と細かな説明をしていた蔵人が、アズロナを制止しようとした。
アズロナはマルヤムを背中に乗せて飛べるくらいには成長している。多少マルヤムがはみ出しているが、普通の人種では抱き留められないほどには大きくなっている。
だが、蔵人の危惧は無用であった。
ヨビがあっさりとアズロナを抱き留める様子に、蔵人はヨビの腕力を思いだし、再びニルーファルたちに向き直った。
「困った仔ですね」
そう言いながらもヨビはアズロナを抱き留めたまま微笑み、まるで子供をあやすようにぽんぽんと背中を撫でる。
雪白や蔵人とは違う、なんとも柔らかな雰囲気と声にアズロナはなぜか安心しきった子供のように、ヨビに懐いてしまった。
イライダと雪白。
ヨビとアズロナ。
ニルーファルたちへの説明を終えた蔵人はなぜか二人の傍を離れない雪白とアズロナの様子に、内心で首を傾げた。どことなく疎外感を感じていたともいえる。
「で、何しにここまで来たんだ? あいつらの横断を手伝ってるのか?」
すでにスキットルの小さな蓋で雪白とささやかな酒盛りを始めていたイライダは、改めて蔵人のほうを向いた。
「たまたま横断するっていうからね、訓練と引き替えに乗せてもらっただけさ。そうでもしないとこっちにはこれなかったしね」
イライダはそこで一旦切り、少し気恥ずかしそうな顔をしながらも続けた。
「――母親を探しに来たんだよ。名はヨランダ。レシハームで調べたら、骨人種の王女と共に砂漠へ逃亡したという噂があってね」
「噂でここまで来たのか?」
「半分はね。もう半分は龍華国に流れたか、それとも死んだか」
母親を探しているという割りにはイライダの声色に悲しみは感じられない。
「砂漠で遭難したってアンタの話も聞いたからさ。ほら、あの眼鏡の協会職員に」
不意にリヴカの話が出て、蔵人は懐かしさと少しばかりの感傷を思い出した。
「心配してたよ、って言っても、ここに流されたんじゃあどうしようもないね」
蔵人はイライダからヨビに目を向ける。
こんなところまで来てどうするつもりだという蔵人の視線に、ヨビは抱いていたアズロナを膝の上に乗せ、蔵人を見つめた。
「ご恩返しに。微力ながらこれまで面倒を見てくださったイライダさんに同行させていただきました。そしてあなたがここにいるかもしれない、いたならば今度こそご恩返しに、と。……ですが、それは半分くらいです。もうどこへ行っても生きていけます。だから、来たいからここへ来たのです」
その言葉を聞けただけで、蔵人はなぜか満足感があった。かつて骨董屋で色あせていた古絵が、人の手によって修復されて蘇り、名画となって輝きを取り戻したかのように見えた。
無論、ここまで磨き上げたのはイライダで、自分はちょっとしたきっかけでしかないない。だが、それだけでも満足感を感じる資格くらいはあるはずだと。
それからいくつか話をして、イライダたちとは一旦別れた。掟なのだからしょうがない。
イライダたちを送り、戻ってきたニルーファルに、蔵人は先程のイライダたちとのやり取りを語った。別に隠すものなどなく、すべてを明かした。
「……巨人族のヨランダとやんごとなき骨人族か」
「知ってるのか?」
「心当たりはあるが、軽々に話せることでもない。いくつか確認すべきこともある。族長にも相談せねばならん」
ニルーファルがそう言って、その日の話は終わった。
そうして十日が経過した。
明日には東端への分岐点に到着するが、その前に歓迎の宴と相成った。
情報交換の結果、バーイェグ族は横断への協力は保留にしつつも、西外人を歓待せよという黒賢王の遺言に従い、東端への迂回路、その分岐点まで同道することを決めた。砂漠を巡るついで、ともいえる。
黒竜の断崖。
砂漠を東へ進むと唐突に現れる、そびえ立つ断崖絶壁。そこから先は黒竜の巣であり、東に消えたとされる黒賢王以外、行った者はいないとされていた。黒竜はほとんど精霊と言っても過言ではない精霊竜よりも弱いとはいえ、飛竜の頂点と言われる紅蓮飛竜などとは比べものにならない強さを誇る。
ゆえに、東端への道は南北の迂回路しかなく、バーイェグ族は砂流にある南の迂回路まで勇者たちを案内することにしたのであった。
十日の間、勇者たちとバーイェグ族の間には積極的な交流はなかった。ハヤトやトールなどの代表者と、バーイェグ族が意見交換、情報交換を行っただけ。
蔵人のときと同じように、それが掟である。ファルードとの手合わせやアナヒタとの面会がないのは、舟団の内に迎え入れられるわけではないためであった。
ただし、イライダとヨビは東端まで行かずにバーイェグ族に厄介になるため、近日中に力試しの儀を行い、アナヒタとも面会する。
交流こそなかったが、道中、勇者たちは驚いていた。
これまで横断してきた砂漠と砂流に比べれば平坦にも感じる砂流に、バーイェグ族の知識と技術がいかに優れているかを体感した。
舟団と帆船は砂漠に鎖付の錨を何本も打ち込んで停泊した。
バーイェグ族と勇者たちはその船の影で、歓迎の宴を始める。砂漠で宴を開いたのはお互いの舟に立ち入らないという配慮であった。砂や風は『結界師』が遮断しているため、問題にはならなかった。
もっとも、蔵人は当然とばかりに宴には参加しなかったのだが、ニルーファルとイライダに案内されて、アカリが蔵人の小舟にやってきたことで事情がかわる。
「――は・じ・め・ま・し・てっ」
蔵人は久しぶりに見るアカリを眺めた。
ショートカットの黒髪、小柄で華奢な体つきをしている。以前は少し自信なさげにしていたのだが、今は溌剌とした表情をしていた。以前と違うのは深緑色のローブを着ていることであろうか。
どうやら怒っているらしい。甲板にいるのは見えていたのに、イライダたちのように呼ばなかったのが原因であろうか。初めましてと言っているのは、一応初対面を装っている、いや、ただ単にアカリなりの皮肉か、と蔵人は苦笑する。
「……小さくて見えなかったんだ、すまん」
だが、火に油を注ぐ蔵人。どうにもアカリを見るとからかいたくなるらしい。
「ち、小さくありませんっ。ちょっと大きくなりましたからっ」
一センチほど、と聞き取れないような小声で付け足すアカリ。
「……一センチも大きくなったか?」
しかしそれをしっかりと聞き取った蔵人はさらにからかう。
アカリは蔵人の視線が頭ではなく、自分の胸に向けられていることに気づき、わなわなと震え出した。同時にあの雪山での蔵人の暴挙も思いだし、赤面する。
「――そっちはかわりないにゃ。身長も夜になったら縮んでるにゃ」
アカリの背後からぴょこんと顔を出したのは、猫系獣人種のマーニャであった。
ちなみに身長は朝と夜で誤差があり、朝のほうが高く、夜のほうが低くなる。つまり、アカリの身長は変化していないということであった。
怒りと羞恥にぷるぷると震えるアカリ。
もちろん蔵人が自分を呼ばなかった意味はわかっている。
ハンターのクランドではなく、加護無し勇者である支部蔵人の存在を知らないことになっているアカリが、蔵人と親しくしているのを他の勇者たちに知られるのはまずいだろうということは。
だが、わかっていても、久しぶりなのにあんまりではないか、と。
それでもどうにか怒りを堪え、いや、なかったことにし、蔵人をまっすぐ見た。
「本当に、お久しぶりです」
「久しぶりだな。で、こんなところまで何しにきた?」
聞きようによっては歓迎していない風にも取れる蔵人の言葉に、サレハドにいた頃と変らないなと懐かしく思いながらも、アカリは本題を話し始める。
「用務、いえ蔵人さんの姿を何人かが甲板から目撃していました。あのときから、船は蔵人さんの噂で持ちきりです」
魔物使いが使役する鳥や飛行鎧や重装鎧、帆船創造に備わった単純な遠視能力、単純に視力を強化した結果。あの距離からでも蔵人の存在はしっかりと目撃されていたという。
このまま放置しては、話に尾ヒレがつき、不特定多数に蔵人の存在がばれる可能性がある、ということをアカリは知らせにきたようであった。
蔵人に呼び出されたようにしか見えなかったイライダに頼んでまで。
「私たちはアルバウムの要請、いえ半ば脅迫でサウラン砂漠を横断し、この大陸の東端へ向っています。ですので、船の中にアルバウムに内通している者がいないとは言えません。いえ、おそらくはいるかと思います。それが積極的なものか、脅迫されてのものか、それとも無自覚なのかはわかりませんが」
「……ようするに、ここできちんと姿を見せて、口止めしたほうがいいということか」
アカリが神妙な顔で頷いた。
内通者に口止めしたところで無意味であるが、内通者以外の口止めに成功したならば、情報の流出経路が判明しやすい。そうなれば打つ手もある、という意味であろう。
「……わかった」
帆船と舟団の影で開かれている宴は日が暮れても盛り上がりを見せていた。
勇者たちによって周囲はライトアップされ、宴で提供される料理も勇者たちによるものであった。
珍しい西外人に珍しい料理、商人じみた勇者による即売会。盛り上がらないわけがない。特に密かに売買された下着の類はバーイェグ族の女衆に大人気となった。
売買方式は物々交換であったが、ミド大陸では誰も見たことのない翡翠金などの鉱物である。勇者たちにも損は無かった。
「うひひひひ」
とだらしなく笑うのは勇者というより商売人といったほうが近い勇者である。
ぼったくっているわけではもちろんない。今後の商売もかかっているのだから、そんな馬鹿なことをする気はなかった。それでも、十分な利益が見込めるのだからだらしなく笑ってしまうのも致し方ない。
もちろんバーイェグ族も祝い事では定番である、例のムカデ、千年万足が提供された。しかも雪白が捕えてきたらしく、小舟よりも大きな千年万足が砂漠に敷いた絨毯の上にでろんと鎮座していた。
最初は誰も近づかなかったのだが、アカリとマーニャがちょこちょこと近づき、バーイェグ族の女衆から手渡されたそれをなんの躊躇いもなくパクリといった。
「ちょっと脂っぽいけど、ほとんどカニと同じだね」
「うまいにゃ」
蔵人があれほど躊躇ったものをあっさりと食べてしまったアカリ。伊達に森の奥深くに置き去りにされたわけではない。ただのタンパク質という意味合いしかもたない緑魔などとは比べものにならないくらいにおいしいのだから、なんの問題もなかった。
小柄で可愛らしいアカリやマーニャがぱくぱくと食べる様子にバーイェグ族も嬉しそうな顔をし、それをきっかけに他の勇者たちもムカデ喰いに挑戦していった。
そんな賑やかな宴の中で、蔵人が登場した。
ひょいと舟団から降りた蔵人と雪白、アズロナを見た勇者は食べていたものを喉に詰まらせた。ある者はおしゃべりをやめ、ある者はじっと蔵人を見つめた。
蔵人が宴の中心に近づくほどに、静けさも増していった。
「好きに食っていいってよ」
蔵人がそう言うと、雪白はのしのしと周囲の視線を気にすることなどなく絨毯に広げられた料理に近づいていく。料理を配っていた勇者のパーティはぎょっとしながらも、雪白が尻尾で指示する料理を取り分けていく。
その後ろではアズロナが飛ぶわけにもいかず、ひょこひょこと砂漠を這って雪白を追いかけていたが、それ見かねたヨビが抱き上げようと近づいた。が、ちらりと雪白に視線を送られて、手を止めた。
そしてアズロナの横に立ち、アズロナの這う速度に合わせて歩き出した。
アズロナも嬉しそうにヨビと共に宴を楽しみ始めた。
蔵人も手近にあった小ぶりの千年万足を掴み、頭部をもぎ取る。そして殻を剥いて、かじりついた。もうムカデにも慣れたものである。
砂舟を背に、ぼーと宴を眺めていた蔵人。
そこへ、ハヤトが近づいた。
「初めまして、ハヤト・イチカワだ」
初対面では無いが、初対面を装う必要がある。蔵人も名乗り返すと、ハヤトが深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ないことをしました」
アレルドゥリア山脈の洞窟で謝罪は受けた。初対面を装う上で改めて謝ったのだろうと蔵人は推測した。
だが、ハヤトには他にも理由は多々あった。加護を盗んだ事だけではない。サレハドで仲間たちを御せなかった事、仲間たちを想うあまり暴走した事、仲間が決闘に介入した事、その償いが中途半端になってしまった事、今後接触しないという約束を守れなかった事。
だが、それをこの場で言うことはできなかった。
場はシンっと静まり返ったまま、バーイェグ族は何が起こっているのかわからず不思議そうな顔をしている。
誰もが様子を窺っていた。
蔵人が加護を盗まれたことを知っており、なおかつそれを黙っていた者。
蔵人が加護を盗まれたことは知らなかったが、自分たちのことで手一杯で蔵人のことを探さなかった者。
蔵人が加護を盗まれた事もこちらに来ていることすら知らなかった者。
それぞれがハヤトの謝罪に、己はどうするべきかと改めて考えていた。
「……あとでもう一度、仲間と一緒に顔をだす。……会ってくれるならば」
ハヤトはそう言い残し、立ち去った。
それと入れ替わるように、アカリとトール、その友人たちが蔵人の前に立つ。
「アカリ・フジシロです。何も言えず、探すこともなく、ごめんなさい」
「トール・ハギリです。知らなかったとはいえ、調べることすらしませんでした。実はレシハームに入った段階でようやく気づくことが出来ていたのですが、こちらで勝手に判断し、接触を控えていました。本当に申し訳ない」
「ごめんなさいっ」
最初はアカリ、次に『精霊召喚』の羽切亨が頭を下げると、帆船創造の名波大和、『有限収納』の五十嵐響、『魔力譲渡』の五十嵐奏、『演算』の赤川雪子、『劣化模倣』の新條晶が揃って謝罪した。
アカリはかつてアレルドゥリア山脈で話したように、蔵人が加護を盗まれた事は知っていたが、こちらの世界に来ているかどうかわからず、そのまま自分のことだけで手一杯となってしまった。加えて、まるで蔵人が存在しないかのような空気も相まって、探すこともしなかったことを謝った。
トールたちは加護を盗まれたことも、蔵人がこちらへ来ていることすらも知らなかったが、可能性としてはあり得たことを調べずにいたこと、接触を勝手な解釈で控えたことを謝った。
かつてと同じように、こうもあっさりと謝られては、責めることなど出来ようはずもない。それに積極的に何かをしたというわけではない相手への反感など、蔵人には元々ほとんどなかった。
「……ああ。もう今さらの話だ。こうして謝ってももらった。それでいい。ついでに、今までどおり俺の存在自体を隠しておいてくれればそれでいい」
蔵人がそう告げると、一様にほっとした様子を浮かべる召喚者たち。
それを皮切りに、蔵人に罪悪感を持っていた者たちがそろりと近づいてきた。
それに気づいたトールがもう一度小さく頭を下げてから、
「……あとでお話したいことがあります」
そう言って、召喚者たちの後ろに回った。
それぞれの立場で謝っていく勇者たち。もちろん、自分には関係ないと蔵人に謝らない者もいるが、蔵人としてはどうでもよかった。トールたちのように、まったく知らなかったのに謝る必要などないだろうとも思っている。
「――今後も俺の存在を黙っておいてくれ。俺は俺、あんたらはあんたらで生きていけばいい。むしろ、黙っていてくれないと困る。それはお互い様だと思うがな。そして、このことを知るやつは少ない。もし漏れたときはそっちから漏れたと考える。以上だ」
あらかたの勇者が謝罪を終えたところで、蔵人はそう告げた。
今のところ、この世界の住人で蔵人が召喚者だと知っている者は少ない。そしてその知っているであろう者たちの口は堅いと蔵人は思っている。これまでばれなかったのだから、信用してもいいだろう、と。
僅かに勇者たちがざわつくが、反論させるのも面倒で、蔵人はさらに告げた。
「それと、でっかいのは雪白、小さいほうがアズロナだ。どっちも頭はいい。話せば理解するし、人の社会も理解している。ただ、どういう方法であれ攻撃をされれば当然反撃する。……特に雪白は敏感だ、気をつけてくれ。あとは話し合ってどうにかしてくれ。話し合っている限り、雪白やアズロナが敵対することはない」
蔵人がそう言うなり、アカリがぴゅーと走って行き、かつてもふもふさせてもらえなかったリベンジとばかりに交渉を始めた。最初に小舟で見かけたときからウズウズしていたようである。
数分後。
挨拶から始まったアカリと雪白の交渉であるが、やはりというか、雪白は以前と同じように長い尻尾でアカリの顔をぼふぼふと叩くだけ。
だが交渉が決裂し、少しばかり残念そうなアカリであったが、尻尾のぼふぼふ加減を顔面で堪能し、落ち込みながらニヤニヤするという奇妙な表情をしていた。
一方、マーニャもかつてと同じように抱きつくべく襲いかかるが、高速で翻った尻尾にあしらわれ、転がされる始末。
「なんでにゃーーーっ」
蔵人はまるでアレルドゥリア山脈に戻ったような光景に、少しばかり頬を緩めた。
ハヤト、トール、そしてアカリが率先して謝り、雪白に話し掛けたお陰で、召喚者たちとの間にあった隔たりが少しだけ緩和した。
イイ女になりつつあるようで、なによりだ。
アカリに対してそんな感慨を抱くと同時に、翻って自分はどうなのだと考えると、苦笑いしか浮かばない。四捨五入したらもう三十。そうそう変わるものでもないか、と蔵人は一つため息をついた。
「――これより、受け入れの儀を始めるっ」
召喚者たちの謝罪が終わった頃合いで、族長のグーダルズが声を張り上げた。
少しばかり離れたところにはニルーファルとイライダが、武器を持たずに対峙している。
かつて蔵人が行った力試しの儀であるが、それを宴の余興にしようということらしい。
イライダとヨビは、砂舟に残ることが確定していた。
イライダの母に心当たりはあるが、今はまだ事情があって言えない。受け入れの手順を踏んで欲しい、というバーイェグ族から要望をイライダたちが呑んだ形になった。
どうせなら宴の余興にしようと言ったのはイライダであったらしい。
「本当に手加減なしでいいのかい?」
イライダが獰猛な笑みを浮かべる。巨人種どころか他人種と比べても極めて理性的であるイライダであるが、そこは巨人種、戦闘が嫌いなわけではない。それも素手での腕試しとあれば、巨人種として負けるわけにもいかない。
「汝の知るためのものだ、思うままにするといい。ただ、我も手加減できそうにない」
ニルーファルもいつものように、しかしどこか高揚した様子で応えた。ニルーファルとて毎日雪白と手合わせするほどに戦闘は嫌いではない。拳でわかり合えばいいと黙して語るファルードを兄に持つのだから、当然とも言えるかもしれない。
「――始めっ」
グーダルズの合図と共に、両者は砂地を蹴った。
そして正面から、拳を振う。
ずんっと山でも動いたかのような衝撃音。それと同時、二人の足元が僅かばかり砂地に埋まる。
お互いの拳が、お互いの頬に突き刺さっていた。
二人は楽しげに目を交わし、さらに猛然と拳を重ねた。
ずしんずしんとまるで山が歩いているかのような音に、勇者たちどころか、バーイェグ族すらも唖然とする。
単純な技術でいえばハヤトやトールでさえ凌駕するあのイライダと、殴り合いが成立している。
あの超重量を誇る櫂剣を振い、族長にすら迫る力を持つあのニルーファルと、殴り合いが成立している。
しかもお互いに楽しそうに。
ミド大陸出身者にとっても、日本出身者にとっても、そしてバーイェグ族にとってもそれは衝撃的な出来事だった。
蔵人はちらりとヨビを見た。これが終われば、次はヨビの番である。
ヨビは蔵人の視線に気づき、苦笑して首を横に振った。
あれは無理です。
そう言わんばかりの表情に、蔵人もさもあらんと頷き返した。
それが常識というものだろう、と。
そんな風に蔵人とヨビが密かに共感し合っていると、蔵人の下に一人の女が近づいた。
「――初めまして、クリス・フロレンスと申します。少しよろしいですか?」
見覚えは無いが、おそらくは他の勇者たちのパーティであろうと蔵人は推測した。
今なおイライダとニルーファルの戦闘が続いている中、クリスは続きを促す蔵人の表情を読み取り、話し始める。
「不躾で申し訳ありませんが、お願いしたいことがあります。イライダさんたちに東端への横断に協力してくれるよう説得してくれませんか?」
ここまで道程、無体なこともなかったし、ハヤトやトールの指揮力にも不安はなかった。それでも女であるイライダたちにしか話せないこと、理解できないことも多かったのである。
蔵人はああそういうことかと納得した。十日ほどの間にどんなに鈍くても気づける程度にはイライダたちと蔵人は親しげであった。ヨビにいたってはときおりご主人様と言っていたのだから。
「――本人が決めることだ」
にべもない返事であるが、蔵人にはこうとしかいえなかった。
たとえこれまでくる間、彼らにとってどれだけイライダが頼もしくても、蔵人にイライダたちの目的をかえる資格はない。
「怒っているのですか? 確かに貴方も大変だったかもしれませんが、彼らも大変だったのですよ?」
このパーティメンバーに近しい勇者は蔵人が加護を盗まれた事も、こちらに来ている事も知らなかったようである。蔵人に対して負い目もなければ、遠慮もなかった。
「俺の感情はまったく関係ないだろ? イライダたちの生き方は、イライダたちが決めることだ。それを変えたいなら自分で説得するべきだ」
聞きようによっては怒っているようにも聞こえるが、蔵人にはまったくそんな気はなかった。
だが、それがクリスに通じるかどうかは別である。
「……わかりました。それなら、ダークエルフたちのことを教えてくれませんか?」
協力は得られそうにないと判断したクリスは話を変えた。
「本人たちに聞け。なんでも教えてくれる。俺ではあんたに教えていいことかどうか判断がつかない」
蔵人にも知識はあるが、それを教えていいかどうかわからない。だから本人に聞けばいいと言っただけ。それだけである。
「……そのあたりはハヤト様やトール様から聞かされました。しかし風習とかそういうことではなく、どうしたら協力してくれるか、という点についてです」
蔵人がバーイェグ族から妙に信頼を得ているのは見ていればクリスにもわかった。だからこそ、こうして頼んだ。
勇者たちも必死なら、そのパーティメンバーも必死だった。ここに来るまでに、国造りを聞かされ、全員がそれぞれに決意を固めたところである。元々勇者がいなければ底辺を這いつくばっていたのだ、こうなればどこまでも勇者たちについていくまで。
であれば、バーイェグ族の協力が得られれば、横断は格段に容易になるはずと、蔵人の協力を仰ぎにきたのである。
ああ、と蔵人は察した。
どうやら東端への道案内にバーイェグ族の協力を取り付けることができないでいるらしい。ここまで来るのにも苦労したことはイライダを頼る言葉から察することはできるし、舟団と同道する砂流がなだらかでそれが勇者たちにとって奇跡にも見えることは、この十日に甲板から上がっていた歓声で察することができた。
こいつらも苦労してんだな、と思いながら、蔵人は返答する。
「それもあいつらが決めることだ。俺が口を出していいことじゃない。……ああ、そういう事か。安心しろ。あんたたちについてはざっくりとしたことしか伝えてない」
加護を盗まれた事も、襲われた事もまだ告げていなかった。
蔵人が勇者について知っていることは少ない。この世界に来てからの勇者たちの功績など知る由も無い。そんな状態で情報を提供すれば、恨み辛みしか伝わらないような気がした。それによって、バーイェグ族の方針に影響を与えるのはさすがに責任を追いきれない。
だから、召喚された経緯とその力のみを伝えた。おいおい何があったかも告げるつもりであるが、それは方針が決まったあとのことである。
「……そうですか。すみません、無理を言いました」
そう言われ、これは脈が無いと察したクリスは大人しく立ち去った。
蔵人は再び、イライダとニルーファルの楽しげな殴り合いに目を向けた。
一方で、蔵人とクリスの会話を聞いていたとあるエルフが、パーティメンバーに小声で囁く。
「……ダークエルフなんかと一緒にいる男をあてにするなんて」
神話から地続きの歴史を持つがゆえの、拒絶感であった。勇者たちにはないものである。
ダークエルフは魔王に従い、元は仲間であったはずのエルフを残忍な方法で殺したという生々しい歴史が言い伝えられてきた。
長寿のエルフと人種の歴史感覚は違っている。
それでも一万年前というのは長いのだが、先祖の口伝を重んじるエルフにとっては歴史的な事実であり、ダークエルフは魔王に組みした裏切り者でしかなかった。
「赤い水なんて飲めるわけないだろ」
そんなエルフの愚痴に触発されて、同じパーティのアルバウム人が補給として提供されたバーイェグ族の水、今はコップに入って目の前にあるそれを横目にそう言った。
かつて世界が闇に覆われたとき、水は赤く染まったとされ、サンドラ教徒にとって赤い水は不吉そのものであった。
しかし心酔する勇者たちが決めたことであり、騒ぎを起こす気は毛頭なかった。大事の前の小事とも言う、ここで騒ぎを起こすわけにはいかないと、エルフもアルバウム人もじっと堪えていた。
一週間ほど前のものですが、活動報告にお知らせがあります。目を通していただければ幸いです。
ラインのスタンプとか、このラノについて、ちょっこり報告させていただきました<(_ _)>