短編:アカリの歩み
6巻発売記念、というわけでもないですが。
四千字弱ほどです<(_ _)>
アカリ・フジシロはかつて濡れ衣を着せられるも、事実の審判で潔白を証明し、月の女神の付き人に出家した。
そのあとの生活はといえば、宗教組織らしく清貧という言葉に相応しいもので、筆頭女官長が行う訓練にしても決して運動神経が優れているとはいえないアカリにとっては生き地獄にも等しかった。
ゆえに、『神の加護』への理解を深める瞑想へと逃避したのも致し方ないことといえよう。
『神の加護』とは、初期段階においては朧気な使い方がなんとなくわかるというものでしかない。そのせいでアカリの加護は使えないという烙印を押されたのだが、色々と加護について調べてくれたオーフィアの指導の下で瞑想、つまりは加護への理解を深めることで、アンクワールで発生した大規模魔獣災害において、アカリはその加護の力を発揮するに至った。
他にも生存術の訓練という名の下にほとんど着の身着のままで深い森へ放り込まれ、規定数の緑魔や豚魔を狩りながら生き残るなどというほぼ極限状況下での訓練も、『不安定な地図と索敵』というアカリの力を高めることになったのだが、アカリは努めて思い出さないようにしていた。二度とやりたくないのである。
「ずるいにゃ。ずるいにゃ。ずるいにゃ」
アカリが座禅を組んで瞑想をしていると、どこからともなく現れたマーニャがその周りをぐるぐると回り始めた。
身体的にはともかくとして、年齢的にはかなり年下で本能のままに行動しているように見える猫系獣人種のマーニャであるが、妙に大人びた部分もあって、アカリと行動を共にすることが多い。
だが、やはり子供の部分も多く、ときおりこうして瞑想の邪魔をする。マーニャのほうが地獄の訓練時間が長いのだから気持ちはわからなくも無いが、元少女兵だったマーニャと同じ訓練などアカリについて行けるわけがない。
アカリはマーニャを無視して、心の奥深くにある加護へと意識を降ろしていく。
が、アカリは小さく息を漏らす。
「はぅ……っ」
マーニャはアカリが目を瞑っているのをいいことに、耳に小さく息を吹きかけたのである。
マーニャは敵ではない。ゆえに、アカリの加護は反応しない。
それがわかっていて、ちょっかいをかけていた。マーニャの速度を持ってすればアカリが目を開いたあとに反撃をもらうことなどないし、アカリに気配を悟られるようなのろまでもない。
現実的な戦力の差に歯噛みしながらも、アカリはくすぐったさを堪え、瞑想を続けた。
マーニャの行動はエスカレートしていく。
アカリの鼻を豚魔のようにしてみたり、尻尾でくすぐったり、首裏や座禅を組んだ太腿をさわさわと尻尾で撫でてみたりとやりたい放題である。
そんなマーニャの行動に、アカリの眉間がぴくぴくと蠢く。そして――。
「――にぎゃぁっ!」
鈍い音とほぼ同時に、まるで尻尾を踏まれた猫のような絶叫がマーニャの口から飛びだした。
ゆっくりと目を開き、頭を押さえて這いつくばるマーニャを横目に満足げな笑みを浮かべるアカリ。
マーニャに反撃したい一心で、加護をまた一段深めたのである。
敵では無いマーニャの『害意』を加護で察知し、その頭に氷精魔法でボーリング玉ほどの氷の塊を落としてやったのである。ただ落としただけではあるが、咄嗟に強化したらしいマーニャはうずくまって尻尾がへたりこんでいた。
「――やりすぎにゃーっ」
マーニャが飛び起きた。
「マーニャが訓練をサボって邪魔するから悪いんだよっ」
「さ、さ、サボってないにゃっ、濡れ衣にゃっ。こ、これはアカリの手伝いをし――」
だがそこまで言って、マーニャは息を呑んだ。耳は折れ、尻尾はへにゃりと垂れ下がる。
「こんなところにいましたか。いきますよ、マーニャ」
オーフィアである。エルフの老淑女といった穏やかな雰囲気を纏っているが、なにやら焦げ臭い。オーフィアの怒りに呼応した火精が空気を炙っているらしい。
それを嗅ぎ取ったマーニャはがっくりとうなだれ、大人しく連行される。
まるで売られていく子牛のようだと悲しげな歌を思い出すアカリであったが、オーフィアの目はアカリにも向けられていた。
「上手くいったようですね。その感覚を忘れないうちに森に篭もりましょう」
アカリの目尻にじわっと涙が溜まる。ほとんど条件反射のようなもので、自分の涙腺の脆さが嘆かわしい。いや、実際に泣きたい気分ではあるが。
「大丈夫ですよ。このあたりの緑魔や豚魔はあらかた狩り尽くしてしまいましたから。それほど難しくありませんよ。森の中で付き人たちが終始貴女を狙い続けるというだけですから」
どこから見ていたのか、アカリの修行の成果をしっかりと把握していたらしいオーフィアの言葉に、アカリは絶句した。全然大丈夫ではない。
「会得した技術は身体に覚えさせる必要がありますからね。頭だけでは咄嗟のときにどうしても反応できません」
言っていることはごもっともであるが、喜んで、というわけにもいかない。
アカリはマーニャと同じようにがっくりとうなだれて、連行されていった。
こうしてアカリとマーニャは揃って森に放り込まれ、四六時中付き人たちに狙われることとなった。
「な、納得いかないにゃああああああああああああっ」
月の女神の付き人としての活動と訓練漬けの日々は唐突に中断された。
サウラン砂漠横断である。
二番隊のアガサとダウィの処置を見届けたアカリはマーニャと共にアルバウムの東港ニルレアンに向かった。
ニルレアンでは同郷の者たちと旧交を温め、アルバウム王国が開いたサウラン横断の壮行会に参加した。
パーティーが始まった途端、猛烈な勢いで料理を食べ始めるマーニャの横で苦笑いしながら、アカリも豪華な料理をせっせと口に運ぶ。なんせ月の女神の付き人の食事は決して派手なものではない。『料理人』という加護を持つ召喚者の料理など本当に久しぶりであった。
「マーニャ、それ私のっ」
「早い者勝ちにゃ。ノロマは狼に食われてしまえにゃっ」
「ひどっ。――なら、これもらうね」
うにゃぁっとマーニャが悲鳴を上げたところで、ハヤトの仲間であるカエデが近づいてきて、アカリに声をかけた。
「――久しぶりだ。よく来てくれたね」
「お、お久しぶりです、カエデさん」
アカリはマーニャから奪ったパイを慌てて飲み下してから答えた。
「私たちとしては君の加護は横断に不可欠だと思っている。歓迎するよ。……ただ、君はハヤトに反感を持っていたと思うのだが」
どことなく武士然としたカエデとその背後にいる武人然とした白虎系獣人種のフォンに目を向けながら、アカリははっきりと答えた。
「私は月の女神の付き人として行くつもりでいます。かつてあったレシハームやアルバウムの暴挙をオーフィア様が見つめたように、何が出来なくとも、目を逸らすことだけはしないようにとここへ来ました。
――私も一つ質問があるのですが、例の件も含めて、決してハヤトさんが正しいとは思えません。この国が裏で何をやっているか、知らないわけではありませんが、それでもです。なぜ諫めもせずに共にいるのですが?」
これほど強い目をする子だっただろうかと、カエデはアカリの反応に驚きつつも迷いなく答えた。
「ハヤトの罪と、ハヤトへの恩は別物だ。彼に言い訳はしない。ハヤトが地獄の果てに行くのなら、私はどこまででもそれに従おう」
かつて奴隷にされそうなところを救われたフォンも小さく頷いた。
生き方が違うと言ってしまえばそれまでのことであるが、アカリには納得しがたい。ただ、それがなんなのかはまだはっきりとはわからなかった。
「……子どもと一緒にゃ。育ててもらったから、何があっても親から離れようとしない。たとえそれがどんな親であったとしてもにゃ」
パーティの料理を貪っていたマーニャが小さく呟いた。マーニャはかつて少女兵であった過去を持つ。自らがそうであったがゆえの言葉であったのかもしれない。
「えっ、マーニャ――」
「――あ、アカリ、久しぶりっ。なんか出家しちゃったんだって?」
かつての友人がなんとも脳天気に話し掛けてきて、カエデとアカリの話はそれで終わった。
ただ耳の良いフォンだけはマーニャの呟きを聞き取っていたが、何も言い返さなかった。やはり生き方が違う、と思っていたのかも知れない。
こうして思い思いにパーティの夜は更けていき、翌朝、ハヤトたち横断組はその家族や残留組、政府関係者に見送られて、レシハームに旅立った。
用務員さんは勇者じゃありませんので、第6巻、よろしくお願い致します<(_ _)>