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用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第六章 砂塵の向こうで

126/141

121-涙は流れずとも

 10月25日、『用務員さんは勇者じゃありませんので』第6巻が発売予定となっております。
 6巻、具体的にはスタートから60pほどが書き下ろしで、文中にも差異がございます<(_ _)>
 イラストは今回も素晴らしく、特にニルーファルのサウナシーンがっ。牙猫もありますよっ。
 アズロナや蔵人の新武装が少し違っていたり、戦闘時雪白の色がちょっと違っていたり、悪魔の呪法があったり(笑)。
 お手にとっていただければ幸いです<(_ _)>

(約一万四千字)
 
 ジャムシドが敗れた。
 今は傷を癒やすために、族長もラロも寄せ付けずに天幕に篭もっている。
 だが、ラロにとってはどうでもいいことである。
 ジャムシドのご機嫌一つで死ぬことはなくなったが、雪白が勝ったとて、奴隷から解放されるわけでもない。
 ラロのくそったれな日々は続く。
 そしてラロの憎悪もますます募っていくばかりであった。





 蔵人がマルヤムの政略結婚を知った翌朝。ニハーファの郊外にある砂漠に、蔵人と雪白、アズロナ、そして牙猫を連れたマルヤムの姿があった。
 『紅骨の突撃鎧』を着込んだアズロナの背にはマルヤムがしがみついている。
 アズロナの背からマルヤムがはみ出していて少し、いやかなり無理があるのだが、これがマルヤムの願いであった。どうしてもダメなら雪白という手もあるが、マルヤムはアズロナに乗りたいらしい。
 アズロナの背に乗って、空を飛びたい。
 これが一つ目のマルヤムの願いだった。
「まあ、落ちても気にするな」
 下は砂流ではなく砂漠で、いつでも蔵人が受け止めることができる。それに雪白も警戒してくれているため、危険な魔獣もすぐに屠る用意があった。

――ぎうっ
 蔵人を背に乗せることが夢のアズロナであるが、これを予行練習と捉えて気合いを入れていた。
「ふふ、よろしくね」
 アズロナがばさりと翼腕を振るう。何度か羽ばたいて、まずは離陸した。
「うひゃあっ」
 ばさり、ばさりとアズロナが羽ばたき、ふらふらしながらも飛んでいることにマルヤムが嬉しそうな声を出す。
 アズロナはぷくっと頬を膨らまし、渾身の力でさらに羽ばたいた。
 ふらっ、ふらっと上昇を続け、ゆっくりとだが斜め上へ進むアズロナ。マルヤムは女で軽いことも幸いして、どうにかぎりぎりといったところか。端から見れば今にも墜落しそうではあるが。
 そうしておぼつかない飛び方でふらり、ふらりと、空へと上昇を続けるアズロナ。
 次第に広がっていく視界に、アズロナの首にしがみついているマルヤム呆然としてしまった。

 それは見慣れた、そして見知らぬ風景だった。
 懐かしさと目新しさの混在する奇妙な感覚を覚えながらも、マルヤムはその風景に見入った。
 果てしなく、本当に果てしなく広がる砂漠と砂流。こうしてみると、境の見分けなどつかない。
 振り返れば、少しだけ角度の違う街や砂舟が見える。
 砂舟に乗ってあの砂流を進んだのだなと思ったり、あの街でニルーファルやファルードと買い物をしたのだなと思ったり、あの砂舟で生まれたのだなと実感した。

 アズロナは冷たい何かを感じて、背に乗せたマルヤムをちらりと仰ぐ。
 マルヤムはぽろり、ぽろりと涙を流していた。
 何か悲しいことでもあったのか、まだ政略結婚のことなどあまり理解できていないアズロナにはわからなかった。
 そんなアズロナの視線を感じたマルヤムは涙を拭い、アズロナに言った。
「もう少し、早く飛べるかな?」
――ぎうっ
 アズロナは真面目である。今まで自分がお世話になったし、可愛がってもらったのだから、できる限り、人の願いを叶えてあげたいという欲求があった。
 だから、発動した。
 突然、『紅骨の突撃鎧』から骸骨たちが現れ、マルヤムはぎょっとする。
 だが、骸骨たちから悪意も敵意も感じないことに気づくと、今度は興味深げに見つめる。
 その視線に骸骨たちは照れた様子を見せながらも、アズロナが一つ羽ばたくごとに、その力をせっせと倍加させていった。
 最初は少し早いかな、というくらいであった。
 しかし、あっという間に加速。止める間もなかった。
 風を切るように、砂漠の空を飛ぶアズロナ。
 マルヤムは引き剥がされそうな勢いに驚いていた。バーイェグ族の怪力でなければ、最初に振り落とされていたかもしれない。
 予想外の速さに、マルヤムは少し早まったかななど考えていたが、時すでに遅し。アズロナに声をかけようと顔をのぞき込むと、大きな一つ目が涙目になっていた。
 アズロナは一直線に、ぶっ飛んだ。

――ギィャヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤッ
「――んきゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」

 奇しくも飛竜らしい咆哮、いや悲鳴を上げるアズロナ。そして絶叫するマルヤム。
 下から見ていた蔵人はまるでミサイルだなと呑気に思いながらそれを見つめ、雪白は修行が足りないなと次なる訓練を心に決める。
 そのあと蔵人は雪白に跨がって追跡し、アズロナの墜落しそうな場所で砂を操り、何層もの砂でクッションでアズロナを段階的に速度を落として不時着させた。

 砂まみれのアズロナとマルヤムが揃って目を回し、砂漠に横たわっている。
 だがそれゆえに、マルヤムの涙は蔵人に知られることはなかった。
 いじめんなっとばかりに地上に置いていかれ、雪白の尻尾に捕まってここまで一緒に来た牙猫が、蔵人に噛みつこうとするが、蔵人の障壁をさすがに破れない。
 障壁にじゃれつく牙猫を蔵人は鬱陶しげにつまみ上げ、目を回しているマルヤムに放り投げた。
 ちなみにこの牙猫はマルヤムに懐いていて、アルワラ族の下へ一緒に行くことになっている。繁殖のことや部族のことなど考えずに、好きな者についていくという変わり者はどこにでもいるようである。
 実のところ、牙猫たちがあれほどあっさり受け入れられたのも、実は近く政略結婚をすることになるであろうマルヤムの願いを、族長である父がかなえてやりたかったからだとか。
 アズロナにしがみついたまま目を回しているマルヤムと、心配げにその頬を舐める牙猫を見つめながら、蔵人はどうしようもないやるせなさを感じていた。



 それから十数日後、マルヤムはアルワラ族の下に嫁いでいった。
 他部族への嫁入りには、一つの儀式があった。
 それゆえ、バーイェグ族はニハーファから少し遠くに、舟団を停泊させていた。常に流れる砂流では、流れに逆らって停泊するのは極めて難しいのだが、バーイェグ族の男たちはそれを容易にこなしていた。
 その停泊した舟団の脇に、小さな砂舟が一艘ある。
 そこには色とりどりの花嫁衣装を着たマルヤムが腰掛け、その船首にはニルーファルが文字どおりの船頭として立っていた。
 ニルーファルが櫂剣を砂流に突き刺し、舟を漕ぎ出す。
 砂舟は舟団をゆっくりと一周し、船縁に並ぶ男衆や女衆に祝福される。最後はアナヒタと族長に見送られて、マルヤムは舟団を離れていった。
 舟団から離れてニハーファに向かう小さな舟をバーイェグ族は総出で見送った。

 その後、舟団は再びニハーファに接岸し、盛大な婚礼が始まる。
 アルワラ族、特にマルヤムを娶ったハイサムの氏族、アヴァガンはその富と力を示すために、この日から五日間、宴を催すことになる。
 ある部族はキャラバンを伴い、ある部族は瘤蜥蜴に乗って、そして中には舟団から分離した砂舟によって送迎されて参加する者もおり、この日ばかりはアルワラ族もバーイェグ族も諍いを起こすことなく、一族総出で忙しくしている。バーイェグ族の他の舟団に関しては、砂漠の奥地に散っているため、今回の婚礼には間に合わなかった。

 そんな中、蔵人たちはすっかり小さくなってしまった舟団で留守番をしていた。
 蔵人以外には警戒の者が数名いるだけで、いつもはなんだかんだと賑やかな舟団も静まり返っている。だが反対に目の前のニハーファは、日が暮れたにも関わらず、街に篝火が灯され、宴は最高潮に達しようとしていた。
 蔵人はいつものように周囲を索敵しながら、絵を描き続けていた。
 マルヤムの政略結婚に納得していないから、こうして拗ねて舟団に引きこもっているわけではない。
 そもそも蔵人は余所者である。それに元々、華々しい席が苦手で、こうして遠くから眺めているほうが好きだった。
 いや、やはりまだ、納得していないだけかもしれない。
 蔵人はいつまでたっても往生際の悪い自分に辟易しながら、絵を描き続けた。

 しばらくすると、蔵人は煤を置いて、立ち上がる。
 誰か来た、と闇精魔法が告げていた。
 蔵人は居残った数名のバーイェグ族の男衆に目配せして、こちらに任せろ、と合図を送る。
 男衆はあっさりとそれを了承し、警戒に戻っていった。
 万が一のことがあってもジャムシドに勝った雪白がいる、慎重すぎるほどの蔵人がいる。それが大きな信頼となっていた。
「周りに誰かいないか探ってくれ。誰かいれば無傷で眠らせてくれると助かる」
 精霊からの漠然とした索敵結果であったが、蔵人は相手が誰かなんとなく予感していた。ゆえに雪白にそう頼んだ。
 それを聞いて、自分で飛ぶっ、とアズロナがホバリングするが、遅いっ、とでも言わんばかりに雪白がその尻尾を己の尻尾で捕獲し、アズロナを空中に置いたまま闇の中に飛び込んでいった、ホバリングしたまま引きずられるアズロナが憐れであったが、おそらくはすぐに楽しんでしまうであろう。


「――砂漠の男ってのも面倒だな」
 舟から飛び降り、舟団に近づく影の前に立ちながら蔵人がそう言った。
「……ここにいたか。探したぞ」
 暗闇の中から現れたのは、憑きものが落ちたような顔をしたマフムードだった。婚礼の宴のどさくさで街を抜け出したようである。
 だが微かに、血わずらいの気配が漂っている。
 マフムードはすでにアルワラ族で最大のアヴァガン氏族、その族長候補ではない。公に罰せられる事こそ無いが、あとは生涯飼い殺しにされるだけである。ハイサムがこのまま族長になることがあれば、どこかの傍系氏族の婿に出されるか、それとも暗殺されるか、そのどちらかであろう。
 心身に手ひどい傷を負ったジャムシドは、あれ以来引きこもってしまっている。天幕に篭もり、誰も寄せ付けず、ときおり怖ろしげな唸り声が聞こえているが、表に出てくることはなく、当然マフムードを庇うこともなかった。

「で、なんの用だ、と聞くのも間抜けな話か」
 マフムードは完全武装で盾と剣をすでに構えている。戦いに来たという以外には何もない。
「もはや砂漠の男ではない。戦士としての矜持に縋りつくことしかできない道化よ」
 ジャムシドに踊らされたマフムードは、砂漠の男にあるまじき己を恥じていた。ジャムシドの強烈な武力と声に魅せられ、信じてしまったことに。
 マルヤムと誘拐婚すれば、第一婦人の座が空く。そこに他の有力部族の妻を娶ればハイサムに差をつけることができる。族長になったあとも、その婚姻は大きな意味を持つ。ゆえにマルヤムを奪おうとした。そのこと自体には、悔いはない。
 だがそれはジャムシドに、他者に踊らされた結果であってはならない。
 部族が行く道ならば、正義も悪もなす。
 すべては部族のために。自分が部族の長に立てばより部族がより大きく強くなると確信しての行いであるべきであった。断じて、他者の意思であってはならない。部族以外の誰かに判断を委ねる、縋る、頼る。それは最も恥ずべきことであった。
 ジャムシドに見放されたことで疑い、ジャムシドが敗北したことで目が覚めた。ジャムシドに守護魔獣としての自覚などなかったのだ。
 己の愚かさを笑うしかない。
 自らの行いを否定する気は毛頭無い。今でも己が族長に立てば、部族はより大きく強くなると確信している。
 だが、その過程が間違っていた。それでは同胞の信は得られない。見捨てられても致し方ない。
 ゆえに今、マフムードは最後に残った戦士としての矜持でここに立っていた。
「……いや、もうよくわからんな。だが、こうせねばならない気がした。だから、おれと戦え」
 マフムードは生来の単純さで、決断した。難しいことはどうでもいい。戦って、勝てばいい。まずは、それである。そのあとのことは、もう考えないことにした。

 本来、こんな戦いを蔵人が受ける意味はない。
「ここに来ることを誰かに話したか?」
「話せばお前はおれと戦わない。だから誰にも話していない。もっとも、もはやおれのことなど誰も見ておらんがな」
 戦う意味はないが、蔵人はここに一人で立った。
 すでにフル装備を身につけ、その両腕には新しく生まれ変わった盾、ダークドワーフのドグラスが命名したところの『氷鵺の(ナルダ・)双盾(キマイラ)』がしっかりと握り込まれている。
 全体的に少し長くなり、表面は竜の鱗のように荒々しいが、一見すると名前ほどに変ったようには見えない。
 実のところ、ドグラスは最初、『凍てつく(ダルシュ・)混沌獣の(マンティコア・)二つ盾(ナル・デルゥ)』などという長ったらしい名前をつけようとしたが、蔵人がもっと短くと要求した。
 名付けも怪物の武具を改造するための儀式に含まれるため、名付けないというわけにもいかず、ドグラスは渋々今の名前をつけた。それでも一万年も前の古い言葉や黒賢王関連の資料を引っ張り出して、数時間も名前をこねくり回していたのだが。


「……お前らは身内には甘そうだが」
 部族のために、ということが行動原理ならば、当然同じ部族への対応は緩くなってもおかしくはない。
「……だからこそ、やつの風下に立つ気はない」
 恥を晒した長男が、次期族長となるであろう次男に面倒を見てもらうわけにはいかない、というのがマフムードの気持ちであった。

 だが、本来ならば蔵人はそんなことを考慮などしない。文化の違いといえど、略奪も誘拐もなんの瑕疵もない者から奪うことで、許容できることではない。
 しかし蔵人はこうしてマフムードの前に立っている。
 蔵人はただ、解消しきれない苛立ちをぶつけたかっただけだったのかもしれない。
 他に理由を挙げるなら、誰にも知られずに始末できる、という点であろうか。こちらから襲う気はなかったが、相手が襲ってくるというのであれば、これを機会にこっそりと報復の連鎖を断ち切るまで。
 ここで終わらせなければ、マフムード、そしてマフムードの意思以外のところで恨みが利用される。憎しみの継承と拡大、それがこの砂漠の宿命であるらしい。
 だからこそ、雪白に周囲を警戒してもらっている。誰にも見られぬように。
 勝てる、というほどのものがあるわけではない。だが、負ける気もほとんどなかった。
 それは自信というよりも、相性の問題だった。

「――ゆくぞっ」
 マフムードが砂地を蹴った。
「ぬっ」
 が、すぐに減速する。
 蔵人がマフムードの進行する周辺の砂をいじったのである。落とし穴というほどのものではなく、砂の起伏を変化させたり、マフムードの足の下の砂を動かしたというだけのこと。
 同じように精霊魔法を扱うならば、容易に防ぐことが出来ても、精霊魔法を知らない『英雄』、いや『準英雄』程度では防ぎようもない。
 そもそもファルードくらいでなければ、呪術師、いや精霊魔法士には勝てない。そのファルードとて正面から正々堂々と戦えば、中堅の精霊魔法士が二十人もいれば敗北する。でなければ、ミド大陸で精霊魔法が世の中を席巻しようはずもない。
 もちろん砂漠にも呪術師という、天然の精霊魔法士は存在する。だがそれは天性の才能を持った者が、一族に伝わる難解で迷信じみた技術を仕込まれ、一属性のみを極めたものに過ぎない。しかも体系的に学んでいるわけではないため魔力効率も悪く、威力こそあれど数発が限界で、『英雄』どころか『準英雄』程度でも耐えることが出来てしまうものだった。

 それほど、精霊魔法士と戦士の相性は良くない。だからこそ、蔵人にも余裕があった。
 まだ間合いの外だというのに、蔵人は右の盾を虚空に薙ぐ。
 バランスを崩していたマフムードは蔵人の理解不能の行動を無視し、力尽くで柔らかい砂を脱出し、今度こそ蔵人を切り伏せようとした。が、剣を握る手が何か硬質なものに噛みつかれる。
 傷になるようなものではないが、ぐいっと引きずられそうになって、慌てて剣の柄を手放した。
「――何をしたっ」
 しかし当然蔵人が返事をするはずもない。
 これはかつての大爪が氷鵺の双盾に取り込まれた結果生まれた、不可視の『大鋏(シザース)』である。盾の表面に発生するスパイクシールドと同質の強度を誇り、握り込んだときの大爪と同じように不可視、さらには不可視の糸に繋がっている。
 蔵人はマフムードが捨てた剣を引き寄せ、そのまま後方へと放り投げてしまう。ずさりと砂漠に落ちた剣は大鋏に冷やされ、白く凍えていた。
 蔵人が任意で発生させることができる透明な大爪は、冷気をも纏うことが可能であった。

 マフムードはなんら理解できぬまま、腰の短剣を抜き払い、盾を構えて突進。ファルードほどではないにしろ、天然の命精強化者である。その力と早さは蔵人の身体強化の比ではない。
 だが、蔵人は迎え撃つように右腕を振り上げるのみ。その手にあるのは氷鵺の双盾だけである。
 マフムードは意味のわからない蔵人の行動を無視し、速度に任せて一気に肉薄するが、殺気を感じて咄嗟に盾を頭上に構えた。
 その瞬間、構えた盾が一瞬で押し込まれ、マフムードの頭部を強打する。
 怪力を誇るバーイェグ族の一撃にも匹敵するかのような一撃に、マフムードは一瞬意識を飛ばしかけるが、頭部から流れてきた血が額の辺りで凍りつくと、目の色が完全に変った。

 かつて狂戦士のようになったバーイェグ族のように、血によって目覚め、獣気が満ちる。
「――オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ」
 雄叫びを上げ、マフムードが加速する。
 蔵人は咄嗟に反対の盾を構えると、そこへマムフードの短剣が突き刺さる。
 盾の表面に形成された透明なスパイクシールドにより、逆にマフムードの手が傷つくも、マフムードはそんな傷などかまわずに切りつけ、突き刺す。
 まるで防御など捨てた攻撃であったが、氷鵺の双盾や混合革の鎧、さらには障壁魔法具や障壁魔法を重ねている蔵人には届かず、むしろ巨人の手袋に盾を握り込んだ蔵人の愚直なだけの拳の餌食となる。

 技法も何もない、ただ正拳突きを積み重ねただけの攻撃であったが、威力は充分。それを受けたマフムードは防御を捨てて突貫していたこともあって、数メートルを勢いよく後退る。
 それでも、退く気はないらしく、再度突貫を試みようとした。
 すると、蔵人が再び盾を握った右腕を振り上げる。
 明らかに距離が遠かった。
 マフムードは知ったことかと突っ込むも、先刻の経験からか、獣じみた勘で横に跳んだ。

 ちょうどマフムードが避けた砂に、まっすぐな砂の溝が勢いよく生まれた。
 マフムードの頬をかすったそれに、マフムードは足を止め、流れる血が夜気に凍りつくのもそのままに、じっと蔵人を観察し、そして虚空に自らの血が浮いているのを見とった。
「……見えない剣、いや斧か」
 正確には先端の鋭くなった不可視の三日月斧、『戦斧(アックス)』である。これはアズロナの鎧に使って残った部分の『狂戦士の斧』を取り込んだ結果の得物で、実際のハルバードくらいから片手斧ほどまで大きさは伸縮自在、さらには冷気を纏わすことも可能であった。

 じりじりと動きながら、蔵人の様子を窺うマフムード。得体の知れない戦い方ばかりで、さすがに警戒感が先に立った。
 蔵人はその場から動くことなく、盾を手前に構える。
 それに警戒して盾を持つ手を強く握るが、マフムードの予想を裏切る衝撃。
 構えた盾に、小さいが強く、執拗な攻撃が繰り返される。間合いは遠く、届くはずもない。見えない斧が届くような間合いでもない。マフムードの混乱はさらに深まった。
 小刻みな打突は盾に間断なく攻撃を加え続け、マフムードの足元には蔵人の放った石の弾丸が散らばっているのだが、気づかない。
 これも盾に三連式魔銃が取り込まれた結果の産物であった。構造的に魔銃が取り込まれただけで、蔵人が精霊魔法を用いなければならないのは同じであったが、魔銃をいちいち抜く必要もなくなり、盾を構えたまま撃つことができる。さらには、外部からは魔銃を持っているなどとはわからないのが利点であった。
 付け加えると、盾全体の強度も増している。蔵人は知らぬことであるが、三連式魔銃はそもそもアンデッドドラゴンの骨で作られている。アンデッドとはいえドラゴンはドラゴンである。その強度は計り知れない。さらに双頭鉄亀の甲羅という強固な素材も加わり、純金という最高の媒介を用いたことで、蔵人とドグラスが想定した以上の盾へと変貌を遂げていた。
 もっとも、氷精が棲んでいるという部分にはなんの強化もないため、冷気の使用は外的要因に大きく作用される。とはいえ、今は最も氷精が活発になるときである。冷気は申し分のないほどに発揮されていた。

「……そろそろか」
 蔵人の呟きに、様子を窺っていたマフムードが首を傾げ、そして膝をついた。
「なっ……毒か」
 蔵人の常套手段である毒ももちろん使用可能で、すべての不可視の武装に毒を流し込むことができた。マフムードの頬を掠めた『戦斧』にももちろん仕込まれていた。
 あえて優位である精霊魔法を多用しなかったのは、目立たないため。精霊魔法にばかり頼っていられないといった理由や、新しい武装を試すためといえなくもないが、それよりも毒を用いて、静かにマフムードを倒したかった。

 だがマフムードは、卑怯とは言わなかった。
 褒められる手段ではない。だが今は勝てばいいのだ。毒を使わなかった己のほうが甘いのである。
「……負けた。好きにしろ」
 マフムードは負けを認めた。
 蔵人は『戦斧』を構える。そして――。



 蔵人は婚礼の儀の最終日まで、絵を描き続けた。夜は何度も煤で下絵をとり、墨の凍らない暑苦しい炎天下には汗を流しながら筆を動かした。
 ただ途中で、ほんの少しだけ、遠くから覗き見たマルヤムの表情には、決して幸せなどなかった。だが、絶望もない。戦場へ赴く毅然とした戦士の顔がそこにはあった。
「――帰りの舟に紛れさせて無事に送った」
 婚礼の間の僅かばかりの休息を抜けてきたニルーファルが、蔵人の背中に告げた。
「ばれなかったか?」
「無論だ。もう自力では戻ってこれないだろう」
 蔵人はマフムードを殺さなかった。
 あのあと密かにニルーファルに相談して、マフムードをバーイェグ族でなければ出入りの出来ない砂漠の孤島に島流しした。そこは僅かばかりの少数種族が住む小さな集落で、生活は厳しい。もしかすると一年もたないかもしれない。

 つまりは、ただ殺さなかっただけともいえた。
 バーイェグ族の流儀に倣った。マルヤムの婚礼という大事を血で染めるわけにもいかなかった。そもそもアルワラ族に知られていないため殺さなくとも恨みを残さない。理由はいくつかあった。
 不安がないとはいえないが、この決断に後悔はなかった。
 元々殺すことが好きなわけではない。だが殺すことに躊躇いもない。それでも、殺さずにすむ方法があるのなら、それに越したことはない。それが蔵人の今のスタンスだった。
 もしニルーファルたちがいなければ、蔵人は躊躇なくこっそり殺し、砂流に流していたに違いない。
「我らの流儀を尊重してくれたこと、感謝する」
 ニルーファルの言葉に蔵人は軽く頷き、再び絵に目を落とした。
 それはいつもと同じく墨と白の濃淡で描かれた絵であった。

「――一枚、くれないか? 」
 蔵人の絵を後ろからのぞき込んでいたニルーファルが、躊躇いがちに言った。
 蔵人が了承すると、ニルーファルはすっと一枚を抜き取る。
 横から見たものや、前から見たもの、俯瞰したものなど絵は何枚かあるにも関わらず、ニルーファルは蔵人が会心の出来だと思うものを選んだ。

 夜明け前の、薄暗い砂漠が広がっていた。
 そこに、ぽつんと小さな砂舟が浮いている。
 そこには櫂剣を砂に立てて佇む船頭と、腰掛けた花嫁の背があった。
 砂舟は砂にかすかな尾をひいて、その先にある大きな街へと向かっていた。

 マルヤムの背を、後ろ姿を描いたのは、どうしても手の届かない現実を描いてやりたかったから。誰に見せるわけでもないのに、蔵人は誰かに突きつけたかった。
 己を含めた現実とやらに。
 どうしようもないような、やるせなさに突き動かされて。

 この絵をニルーファルが選んだのも、もしかすると蔵人と同じ理由だったのかもしれない。
 ニルーファルはじっと絵を見つめていた。
 そんなニルーファルを見て、一匹の牙猫が身体を駆け上がり、その頬に顔を擦りつけた。
 ニルーファルはそんな牙猫を一つ撫でて、絵をしまう。
「……こんなときに涙の一つもでないとは」
 それは本人ですら意識しないままに零れた、小さな呟きであった。
 決壊した心を再び修復してなお漏れた、マルヤムへの想いであった。
 政略結婚とは、まさしく戦いである。それはバーイェグ族に生まれたからには覚悟していることではある。
 だが、好きでもない男に身体を委ね、子を孕む。つまるところそれは強姦、レイプを『自ら』招き入れるという自分たちが持つ倫理と矛盾した行動である。
 かつて戦いに赴く父を見送る母は、父の前でこそ涙を見せなかったが、隠れて涙していた。
 それを思えば涙の一滴もでない己はなんと薄情なことかと、ニルーファルは自嘲する。
 許嫁、そして両親を失ったとき、もう決して泣かないと決め、船頭を目指した。船頭になることは仮にとはいえ男衆にもなることを意味し、刺青を入れる必要があった。
 だから、もう泣かないと決めて、涙型の刺青を入れた。死んだ三人へ流す涙のかわりとして。
 その強固な決意は、いまこのときもニルーファルに涙を許さなかった。

「……常に泣いてるようなもんだろ。情の深い女だと思うがな」

 仮初めの涙も、本当の涙も同じようなもんだと、蔵人は思っていた。
 それを聞いたか聞かぬか、ニルーファルは何も言わずふいっと背中を向けて、立ち去った。
 目尻の刺青を、指先で一つ拭いながら。




 蔵人はマルヤムにもう一つ、願い事をされていた。
 それはバーイェグ族の全員を描いた、集合写真のような絵であった。
 蔵人は男を描かないという癖をどうにか押さえ込んで、描いて、贈った。雪白とアズロナ、そして男という範疇に当然入る自画像も嫌いであったのだが、自分も描いた。それがマルヤムの望みだった。
 マルヤムはさもそれを嬉しそうに受け取った。
 そしてそれを、アナヒタに別れの挨拶したときに見せたらしい。
 すると、それをアナヒタも欲しいという。
 ゆえに今、蔵人はアナヒタに絵を渡していた。
 とても大きな帆布に描かれたそれを、あの薄朱い明かりの中で、アナヒタはじっと見つめていた。
「……みんなに恋しているみたいね」
 無論、女衆の部分を見て、アナヒタはそう言ったのである。
 蔵人としては否定する気にもならない。かつて小人種の奔放な女、ナダーラにも似たようなことを言われたが、それはある意味で事実だった。
 ダークエルフは容姿に優れ、気立てもいい。ある一定の年齢ならば未婚の女も、人妻も、未亡人も蔵人にとってはそういう対象になりえ、そして絵以上には踏み込むこともない。他の女と同じように、永遠の憧れ、とでもいうような目で見て、描いた。

 アナヒタもそれを察しているからこそ、咎めなかった。
 いや、むしろ心苦しかった。
 情が深ければ深いほど、自分たち、バーイェグ族と関わることはつらくなる。
 バーイェグ族はこれからも自縄自縛で生きていく。歪な掟を後生大事に抱えて。
 自分がその一因であるのは、アナヒタも痛いほど自覚していた。
 だがそうでなくては砂舟の部族は滅んでいたともいえる。この一万年を遡れば、野心を持ってアナヒタを用い、バーイェグ族を率いた者もいたが、一時の隆盛だけで、最期はその数を半分以下に減らし、命からがら逃げ延びた。完全に隠棲したこともあったが、そのせいで血が濃くなり、寿命を削った。
 奪わず、奪われないために、歪な掟があり、政略結婚でぎりぎりの平穏を保つ。
 小競り合いや慣習に則った略奪や因習に目を瞑ることで、完全な平和とは言い難いが、平穏を保っていた。結果としてバーイェグ族の数は一定数を保ち、寿命も三百年ほどを保っている。

 アナヒタは絵を見つめたまま、ぽつりと零した。
「……マーヤには次の水の御子を譲ろうと、思っていたのだけど。こんな私たちを軽蔑するかしら」
 それは蔵人に言ったのか、それともマルヤムか。それとも、今まで政略結婚をしていった女たちにか。
 水の御子としての力は、死の間際に譲ることが出来る。なんらかの事情でできないときは、次に生まれるバーイェグ族の子に宿る。かつてたった一度だけ、外に嫁いだバーイェグ族の女の子供に、水の御子としての力が宿り、それが元で大乱が起こったこともある。
 だがだからこそ、政略結婚を希望する者たちがいるというのは皮肉な話であった。
 もっとも他種族に嫁いだバーイェグ族はダークエルフを産まない。つまりかつて一度だけ外で産まれた水の御子というのはダークエルフで、ようするに政略結婚時にはすでに妊娠していたのである。
 その事実はもう風化した歴史であるが、そんなことを知らない他種族は万が一を狙って、政略結婚をするのである。
 この歪にも見える安定は、バーイェグ族の男の血と女の涙、そして無数の屍の上で、危ういバランスを保っていた。
 アナヒタにも自由はないが、それでも血族に囲まれて生きていける。ゆえに、それを安定と言ってしまうことに強い抵抗はあったが、それ以外にやり方が分らなかった。
「……ニルーファルには色々言ってしまったのですが、俺にはわかりません。ただ、納得もできません。もっとも、部外者の俺が何を言っても無責任でしかないですが」
 それでも言わずにはいられなかった。
「……そう。出て行ってしまうの?」
 アナヒタが沈痛な面持ちで蔵人にそう問うた。
 戦力として当てにしているという部分がないわけではない。だが、それならば政略結婚などせず、蔵人たちと協力して、この砂漠を統一するのがおそらくは最善である。だがそれでは、雪白が死ねば、すべては瓦解する。今回のジャムシドのように。永遠に生きる者などいないのだから。
 ただ単純に、別れが悲しいというだけのことである。
 一緒にいればつらくなるのがわかっていても、別れは悲しい。矛盾であるが、それだけのものを蔵人とバーイェグ族は積み重ねてきた。恩もあだも、衝突も和解も乗り越えて、ここまで来たのである。
 もっとも、それを直接、アナヒタが言うことはなかったが。




 こうしてマルヤムはアルワラ族に嫁いでいった。
 蔵人はその翌日からいつものように、夜間警戒に当たっていた。
 他のバーイェグ族も同じように、また日常を始めた。
 索敵して、絵を描いて、夜明けを迎える。
 いつものことであったが、それはもう何も変わらない蔵人の日常となっていた。
 マルヤムが嫁いだことは、この砂漠の日常である。略奪を見ながら助けることができないのも、いつかバーイェグ族の男衆がパビル族との戦いで死んだのも、やはりこの砂漠の日常であった。
 蔵人がいようがいまいが、砂漠の日常はなんら変わらない。過酷な現実が無造作に転がっている。
 バーイェグ族はそんな砂漠の日常を、アルワラ族のようになることを否定して生きていた。

 だからこそ蔵人の心はバーイェグ族に傾いていた。純情な男衆やたくましい女衆。そしてマルヤム、ファルード、ニルーファル。いけすかない牙猫も。
 彼らは砂漠の宿命を受け入れながら、憎しみを押し殺し、耐え忍んで生きている。
 蔵人はある意味で、憎しみや報復を肯定してこの世界を生き抜いてきた。
 正反対である。
 ゆえにそんなバーイェグ族の姿に苛立ち、ニルーファルと衝突した。
 正反対であるがゆえに、苛立つ。しかし同時に、ほんの少しだけ似ているから、歯痒い。

 バーイェグ族の生き方は、日本で暮らしていた頃のことを思い出させた。
 あの頃は蔵人だけじゃない、それと同じような境遇の者が社会にたくさんいた。会ったことも見たこともなかったが、いなかったなどとは口が裂けてもいえない。そんな社会状況であった。
 何かを押し殺し、よくいえば現状維持、しかし実際には緩慢に下降しながら生きることを自覚した者たちが。生活と誇りを天秤にかけ、それでも他者を蹴落とすことができなかった者たちが。普通からほんの少し、こぼれ落ちた者たちが。それでも生きようと、足掻いていた。
 砂漠の残酷な現実に耐え、忍び、そして抗っている者たちが、彼らに、そして自分にほんの少しだけ重なった。状況も違う。比べようもないとは分っているが、重ねずにはいられなかった。

 ほんの少しだけ。ここで生きて、ここで死ぬのも悪くない。蔵人はそう思い始めていた。
 どんな国にも悪しき慣習はあるし、法律も一皮剥いてしまえば大差ない。ミド大陸もそうだったし、レシハームでもそうだった。
 確かに、バーイェグ族とは一緒にいることは難しい。文化が、精神が違い過ぎた。
 だが、遠くから見ることは出来る気がした。
 レシハームのリヴカたちと同じように、まずは隣人から始めてもいい。
 隣人なら、自己責任において、ぶん殴ってもかまわないのだから。略奪を妨害するのも、誰かに組みするのも自由である。ミド大陸のように国家が出張ってくることも、その影に怯えることもない。
 だから、アナヒタにもはっきりとは答えられなかった。
 一緒にいるわけではないが、別れるわけでもない。
 なんとも曖昧な答えであった。
 蔵人は船尾に座って、砂漠を見つめた。

 果てしなく広がる深く青暗い空と砂漠。
 なだらかな砂丘と砂に走る風紋。
 そして遠くの空に金色の一本線が引かれ、群青色の空に白が混じり、太陽がその姿を現した。

 サウラン大陸に来てから何度も見た景色であるが、この景色は気に入っていた。
 砂漠と荒野の境界線から見た風景と似ているが、それよりも妙にしっくりくる、何故か懐かしいとさえ思える風景だった。
 だから、いつものように、絵筆を握って、描き始めていた。
 それが蔵人の日常である。
 何度も絵と景色を行き来した。

 どれほどそれを繰り返したか、ふと、遠くに船を見つけた。
 近づくほどに、蔵人は無意識のうちに眉根を寄せる。
 それは話に聞くほかの舟団、見慣れた赤茶色の砂舟ではない。銀色に光る船だった。
 近づくほどに、はっきりしていく。
 それは勇者たちの、召喚者たちの船であった。
 船の甲板に見覚えのある勇者たちがいた。
 そしてそこにはなぜかイライダやヨビの姿もあった。
次は『レシハーム・アフター』となります<(_ _)>
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