挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第六章 砂塵の向こうで

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

125/142

120-奥の手

前話、蔵人たちがジャムシドとの決闘を提案される場面から、改変しております<(_ _)>
お手数ですが、そちらから読んでいただければ、と思います<(_ _)>
(ストーリー的に差異はありませんが、結構変っておりますゆえ)



 ラロが提案したもう一人の協力者とは、ハイサムのことであった。
 絶妙といえるようなタイミングでハイサムが介入できたのは、事前にマフムードの行動がわかっていたからに他ならない。
 ハイサムは昨夜、突然ジャムシドに語りかけられ、マフムードの計画を知った。家畜で騒動を起こし、バーイェグ族のマルヤムを浚う、と。
 当然ハイサムは止めようとしたが、ジャムシドに阻止も口外も禁止されては動きようもなく、さらにはマフムードが失敗したときはその尻ぬぐいをし、ジャムシドの希望に沿うような方向に話を転がせとも命じられたのである。
 ジャムシドから話を聞いたラロはマフムードが高確率で失敗すると思い、ハイサムを巻き込んだ。
 バーイェグ族という腰抜けで軟弱と言われる部族が、決してそうではないのだとも察していたから。でなければ、この力のみが支配する砂漠で生き残れるはずがない、と。知恵も武力もそれなりに備えているから、生き残っているに他ならない。
 だからこそ、マフムードの失敗をハイサムに利用させた。当然、ジャムシドに協力したことを他のアルワラ族は知らない。知られてしまえば、ただの奴隷など密かに葬られてしまうかもしれないのだから。
 アルワラ族に知られずに、ジャムシドのご機嫌が取れる。
 ラロにあるのは、ただそれだけであった。




 砂舟とニハーファから等しく離れた砂漠に、強大な力を持つ魔獣たちが睨み合っていた。
 ジャムシドは血晶を肥大させて爪や四肢に生やし、さらには全身に炎と雷を纏い、雪白を見て舌なめずりする。
 雪白はただ戦って勝つだけでは屈服しない。蔵人を浚ったところで、意にも介さず戦い、そのあとは勝敗に関わらず自害するくらいはしかねない雌である。
 アルワラ族の間者の話を聞くに、そもそも蔵人を浚うところからして面倒で、偏執的なまでに防御に特化した呪術師としての腕と、危機に陥る前に躊躇なく雪白を呼ぶ性格もあって、雪白に気づかれずに浚うことも難しい。バーイェグ族と共にいるならばなおさらである。

 だからこそジャムシドは、雪白の誇り高さを利用することを思いついた。
 決闘という形を取ることで、屈服させることができる。誇り高いがゆえに、約定を破ることを良しとしない。嫌々ながらも、屈服する。
 ただそのために、現状の快適な生活を崩壊させるのは面白くなく、マフムードなどという小物を煽ることになった。族長のバスイットでは慎重すぎて、ハイサムでは頭が良すぎて使えない。
 マフムードでは失敗する可能性があったのは想定していたが、ラロという奴隷が予想外に人というものを理解していた。
 ジャムシドも社会構造を理解してはいたが、人の精神を深く理解することまではできていない。脆弱な人というものに類する者たちとはあらゆる面で根本的に違い過ぎていたのである。ラロとて極端に知恵が回るわけではないが、それでもジャムシドよりはマフムードがどう動き、バーイェグ族がどう決断し、どのような結末になるかを想像することはできた。

 雪白は今度こそもいでやると意気込み、ジャムシドを睨みつけていた。
 全力の臨戦態勢になったことで、その全身はうっすらと金色に輝く。腕輪に嵌まった命精石の影響で、炎と雷を若干軽減する。さらに雷避けの砂蛇を周囲に巡らせる。

 雪白とジャムシドは円を描くように、お互いの隙を窺う。
 ――初撃は、頭突きだった。
 雪白とジャムシドの額が衝突し、鈍く硬質な轟音が響き渡る。
 その衝撃は見えない波となって離れたところで見つめる蔵人たちにまで伝わるが、雪白たちは至近距離で睨み合ったまま。
 ジャムシドがまき散らす雷が雪白の砂の蛇をとおって放電され、迸る炎も雪白が風で逸らし、残りは砂でかき消した。
 氷も闇も使えない雪白は全力を出せているとは言い難かったが、蔵人との生活で得た知識と道具がそれを補っていた。
 雪白は炎を散らしたついでに巻き上げた砂を、ジャムシドの目に放ち、死角になったそこを爪で抉る。
 だがジャムシドはそれに反応して肥大させた紅晶の爪で受け止め、反対の爪を猛然と振るった。
 雪白はそれを受け止め、両者は一瞬両前脚を合わせたまま、半立ち状態になる。
 純粋な力では分が悪いと、雪白はジャムシドの力を利用して右に流し、すれ違う。
 そこで、二つの尻尾が交錯した。

 連なる刃のようなジャムシドの紅晶の尾と、砂を纏った鑢のような雪白の尻尾が、まるで金属製の鞭を勢いよくぶつけ合ったときのような甲高い音をかき鳴らす。
 尻尾の長さと速度でジャムシドの力に拮抗した雪白は、すれ違ったままに加速する。
 ジャムシドが振り返ったときには、すでにその視界から雪白は消え失せていた。
 だがジャムシドは焦りなどなくむしろ楽しげに笑みを見せ、全身の炎を爆発させた。
 爆炎は背後から迫っていた雪白を呑み込むが、爆炎が食らったのは金色の残像のみ。
 瞬時に砂中に潜っていた雪白は、ジャムシドの真下から腹に食らいついた。

 だが、噛み切ったのは僅かな肉のみ。直後に発せられた雷撃の束に顎が痺れ、雪白は再び砂中を抜けてジャムシドの正面に立った。
 ジャムシドは腹に僅かな傷のみ、対して雪白は身体のところどころを焦し、顎の一部にひどい雷撃傷があった。
『――屈しろ。我が子を、孕め』
 雪白にだけ聞こえる意思を、ジャムシドは込めた。
――グォンッ
 その目障りなブツを噛みきってやる、と雪白が牙を剥く。
 先刻抉ったジャムシドの腹は、本来なら尻尾の付け根にあるブツを狙ったものだったが、ジャムシドに避けられたのである。
 両者は話しながらも傷を治し、雪白の咆哮を合図に再び動いた。
 爪と爪が鎬を削り、二つの尾がぶつかり合う。
 そのたびに砂塵が舞い上がるが、ジャムシドの炎に焼かれて黒く染まり、雪白の風に払われる。
 ときにジャムシドが纏った硬質な血晶の一撃を、雪白が牙で受け止め、噛み砕く。
 だが即座に修復する血晶は炎と雷を纏って、雪白の白毛を貫き、肉を焼いた。

 雪白は苛立つ。
 ジャムシドの力は速度と技でいなし、炎と雷は砂と風で耐えているが、どうしても血晶の堅さと再生力が崩せない。決定打がない。
 雪白は次第に傷を増やしていく。傷を負う頻度が増えていき、治癒が追いつかない。
 ジャムシドは手を抜いているわけではない。全力で戦い、殺さないようにしているだけ。
 ほんの僅かにジャムシドのほうが地力に勝っていた。
『――屈せよ。跪け』
 炎天下の中ではこれが限界か、雪白の手の内をおおよそ把握したジャムシドが、意思を発した。
 これだけで人は愚か魔獣も屈服させてきた。かつては小さいながらも巨兵すら屠ってきた。

――グルァアアアアアアッ
 だが雪白の意思は屈しない。白毛を黒く焦し、赤く染めても、その灰金色の双眸は揺るがない。
 後ろ脚がぎちりと盛り上がり、前脚の爪が僅かに砂地を握り込む。そしてなぜか、全身から金色が抜けていった。
 一撃に賭ける。
 そんな意思を感じ取り、ジャムシドはここで初めて、鼻先に深く皺を寄せた。
 ときおり雪白のようなものが現れる。人と交わりすぎて、獣の本能をなくしてしまった者が。力の差を感じる能力を失い、死ぬまでそのことに気づかない。
 だが、とジャムシドは思い直す。
 そんな者を矯正するのも一興だと。
 何度でも這いつくばらせてやる、とジャムシドは新しい楽しみを見いだし、雪白を見据えた。

 雪白とジャムシドは一転して、静かに睨み合う。
 だが空気だけは張り詰めていき、見ている蔵人たちは息苦しさすら感じていた。
 今までは太陽に熱せられた砂と風が、強弱の差こそあれど常に吹いていた。
 それが、不意にやむ。

 砂が、微かに舞った。

 後ろ脚の力を解放した雪白は、一気にトップスピードまで加速する。
 ジャムシドも雪白ほどではないにしろ、駆ける。
 速度では勝てないものの、雪白の一撃は致命傷にならない。それに気づいていたジャムシドは最高速度まで加速した雪白がさらにフェイントを仕掛けようとも、焦らなかった。
 下、右、左と白い残像が走る。
 下か、いや本当の狙いは喉笛だとジャムシドは直感した。
 ゆえに喉笛を晒すと見せかけ、上から抑えつける。そうしてそのまま孕ましてやろう、と下卑た期待に下半身を膨らませた。

 だが雪白はそこからさらに、加速。
 少しばかり目算の狂ったジャムシドは一度飛び越して仕切り直すことに。
 白と赤が、交錯した。
 ジャムシドは喉笛を狙った一撃を避けるしか出来なかったことに内心で歯噛みしながら、雪白の追撃に備えて、振り返る。
 不思議なことに雪白は追撃することなく、その場にいた。
 ジャムシドはついに力の差を理解したかと思うも、雪白の足元になにやら見慣れた、そして決してそこにあってはならないものを見つけて、硬直する。

 ――睾丸。

 正確には生殖器のすべてを、雪白が足蹴にしていた。
 そして、ようやく目障りな物を掃除できるとばかりに、踏みつぶした。

――ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!

 傷自体は深くない。だが、生殖器を目の前で踏みつぶされたことでジャムシドは激しい幻痛に襲われた。
 あまりに綺麗に切り取られたため実際には痛みなどなかったが、その衝撃の事実に脳が錯覚を起こした。いかに高位魔獣といえど、失ったものは治せない。生やすことなどできないのだから。
 睾丸への痛みは言語に絶するが、強いて例えるなら、根深い虫歯に渾身の力で五寸釘を打ち込むと、いうのに似ているかもしれない。ジャムシドの場合、そこにさらに喪失感や怒りなども加わって、無意識の内に咆哮するほどであった。

 それは、ほんの僅かな隙だった。
 しかし雪白がそれを逃すはずもなく、一瞬にしてジャムシドと交錯した。
 腐ってもジャムシドである。動揺していても爪や尻尾は受け止め、避けた。
 だが、なぜかジャムシドの全身は切り刻まれた。
 傷こそ深いが致命傷ではない。しかしジャムシドはその攻撃が理解できなかった。そもそもなぜブツが切り落とされたのかすら理解できていなかった。

 雪白がさらにもう一度、全速で駆ける。
 するといくつかの攻防とは別に、またジャムシドの全身が幾重にも深く切り裂かれた。
 おまけに雪白は戻ってくるなり、切り落として踏みにじったブツを、さらに切り刻み、踏みにじり、砂に混ぜ込んで、前脚で払った。まるで汚いとでもいうかのように。孕ませるという言葉が心底気に入らなかったらしい。

 屈辱、激痛、理解不能、……そして、恐れ。
 ジャムシドは生まれて始めての感情に、いやかつて幼獣の頃に一度だけ感じた父であるオスの恐怖を思い出して、――逃げた。
 爆炎と雷撃をまき散らし、纏った血晶を全身から射出して。
 雪白はそれを追おうとするが、ガクンと後ろ脚の力が抜けてしまう。
 追えないと判断した雪白は、迫り来る爆炎と雷撃を風と砂の蛇で散らし、爆散して勢いよく飛来する血晶の刃をことごとく尻尾で叩き落とす。
 炎と雷、血晶による裂傷で満身創痍。さらには蔵人の『全力の一撃』を真似た加速によって、脚の力が著しく低下していた。全身から金色が抜けたのは、一撃に注ぎ込んだがゆえ。戻ってきてブツを掃除したのは、身体を休めるのを気づかれないようにするためであった。
 あっという間に赤い点となって逃げていったジャムシドを見て、雪白は悔しげに舌打ちした。

 ジャムシドは逃げおおせた。
 血晶を強引に引きちぎって射出した最後の一撃で自らをも傷ついたが、そんなものは治せばいい。
 だが、失った生殖器は戻らない。
 その怒りが、今になって雪白へ恐れを上回った。いや、逃げ延びることができたからこそ、その恐れからも解放された。
 その事実が、なによりジャムシドには屈辱だった。
 孕ませたいという欲求は消え失せ、そのかわりに殺したいという欲望だけが肥大した。
 雪白への執着が、憎悪へと変わっていった。



 まるで侍同士の果たし合いのような、一瞬の交錯だった。
 あの瞬間、雪白は今まで見たこともないような速度まで加速し、フェイントを混ぜ、すれ違いざまにジャムシドの生殖器を切り落とした。
 蔵人は雪白の姿を目で追うことは出来なかったが、何をしたかは理解していた。
 アレルドゥリア山脈にいた頃から、避雷針として用いていた蛇にも似た砂の循環。
 しかしそれは蔵人の現代知識と雪白の密かな修練により、『砂鎖鋸(チェーンソー)』へと変貌した。
 砂は一見するとなんら変化したようには見えないが、実際は超高速度で循環しており、鋭利な刃となっていた。
 雪白は寒い地域では無類の強さを発揮するが、暑い場所では戦力が低下する。それを克服するために開発した雪白専用の技であった。
 蔵人が使おうにも、おそらく雪白は砂の他にも風を用いているため、使えない。そんな代物であった。

 悠然と戻ってくる雪白は蔵人の姿を見ると、なぜかぷいっとそっぽを向き、アズロナやジャムシドの威圧から解放されたマルヤムのほうへと行ってしまう。
 そこにはニルーファルやファルード、他のバーイェグ族もいて、雪白の勝利に安堵していた。もちろん、雪白が無事に帰ったという意味である。
 雪白が蔵人を避けたのは、恥ずかしかったから。
 『砂鎖鋸』はともかく、『全力の一撃』は完全に蔵人の模倣であり、蔵人の保護者を自認する雪白はどうしても素直になれなかった、というのが真相であった。
 そんなことを知らない蔵人は、反抗期か、はたまた更年期障害か、などと雪白に気づかれればお仕置き確定なことを思い巡らしていた。

「――死ねぇええええええええええええッ」
 そこへ、マフムードが突然雄叫びを上げ、蔵人に剣を振りかざした。
 これだけの醜態を晒したなら、もはや族長どころかその立場もない。ジャムシドも破れ、もはや進退窮まった。
 ならばせめて、砂漠の男の矜持を示そうとした。いや、縋った。
 勝者こそすべてを得る。
 特殊な慣習を除けば、砂漠の掟とはこの一言に尽きる。ゆえに、マフムードは勝ってすべてを得ようとした。仮に勝てなくても、砂漠の男の矜持を示せるはずだと。
 だが、蔵人はこれをあっさりと砂壁で受け止め、その足元を崩す。
 かつて油断が一人の娼婦の命を奪った。だから二度と、同じようなことを起こさせる気もなかった。
 ずぶりと砂に埋まりそうになるマフムードであったが、マフムードとて未熟とはいえ、こと戦闘においては天性の勘を持ち、修羅場もくぐっている。
 自ら振り下ろした剣の勢いを殺さぬまま、身体を前倒しにして前転し、蔵人の横を通り過ぎる。そしてすぐに反転し、蔵人に向き直るが、そこで愕然とした。

 蔵人は厳重に砂壁を形成し、それ以上戦う気配を見せず、雪白に助けを求めていた。
 ジャムシドの敗北はさすがにハイサムも予想できずしばし呆然としてしまったが、マフムードの最期の意地、そしてそれに対する蔵人の行動にようやく動きを見せた。
「……さすがにそれはないだろ」
 今戦った雪白に、さらに助けを求める。そして雪白もそれに応じようとしている。
 ハイサムの呆れ声に、蔵人がうんざりしたように答えた。
「……もう終わりだろ? 殺せば恨まれ、逃げれば臆病者。なら臆病者でいい」
 蔵人のこれまでの経験、そしてこの砂漠の文化を考慮しての答えだった。
「……できれば、戦ってやってほしい。こんなことをオレから言われれば屈辱だろうが、兄上にはもう一族での立場がない。はっきりといえば、独断専行が過ぎた。結果を出していれば父上、いや族長も目こぼししてくれただろうが、ここまでの事態になってしまえば族長の命令を無視したに等しい。せめて最後くらいは誇りを立たせてやってくれないか?」
「戦って殺せば、いや殺さなくともお前らに恨まれる」
「兄上を放っておいても、結局オマエが恨まれるがな」
 まさに退くも地獄、進むも地獄。ハイサムは続けて言った。
「それがこの砂漠の宿命さ。無限に続く報復の連鎖。それが嫌ならそこのバーイェグ族のようになるしかない。オレは性分に合わないからゴメンだがな。ただまあ、兄上と戦ってくれれば、多少オレの心象が良くなってうちの者を抑えておこうという気にはなる。抑えきれると約束はできんがな」
「その手の約束は信じないことにしてる。恨むなら恨めよ」
 そうして蔵人は雪白に守られ、十分な距離を取り、それを見たマフムードは膝から崩れ落ちた。

 ハイサムはそれ以上なにも言わず、去ろうとした。そこへ、蔵人が一声かけた。
「――だが、次に手を出したなら、アルワラ族を皆殺しにしてやる……雪白がな。もちろん俺も行くが」
 少しばかり情けないが、それが事実なので仕方ない。
「……奴らがそれを許すのか?」
 蔵人は嗤った。何をとち狂ったことを言っているのだとでも言うように。
「あいつらは気に入ってる。だが、俺の、いや俺たちの自由を縛るまで許したわけじゃない。俺はこの砂漠のパワーバランスなんて知らん。だから、俺と俺の関係者に手を出せば、戦うし、殺す」
「その関係者にはバーイェグ族は含まれるのか?」
「当たり前だろ。雪白は砂流も砂漠も関係なく渡れる。どこにいても、いつでも殺れる」
 その事実はハイサムに衝撃を与えた。
 ジャムシドですら、砂流の浅いところまでしか動けない。
「……それでもなお、野心はないと」
「――お前らを従える価値なんてあるのか? ないだろ。俺たちは静かに暮らしたいだけだ。だから気をつけろよ? 俺はバーイェグ族ほど強くない。やるときは、一人ずつやるし、寝首もかく。正面からは絶対に戦ってやらない」
 ゲリラ宣言である。
 雪白がバーイェグ族の後ろ盾、というような形になったが、それも今さらだ。
 関わる気はない。
 だが張り子の虎でもないよりはマシ。これで少しはこの砂漠も生きやすくなると思えば上出来である。
「それを信じろ、と?」
 雪白とバーイェグ族が手を組み、砂漠に覇を唱える。そうなれば、いやそう思われれば他の部族も黙ってはいない。手を組んで、大連合で攻めてくる可能性もある。
「――信じろよ。ここでお前ら全員皆殺しにすることだってできるんだ」
 ジャムシドがいない今、形勢は完全に逆転している。時間が経てばジャムシドも復活してしまうが、今なら、アルワラ族を葬り去ることができる。
 だが、それをしない。蔵人はその意味を考えろとハイサムに告げていた。
 無論、蔵人がそれをしないのはバーイェグ族との繋がりゆえであるが、もしアルワラ族がまだ手を出して来るようなら、本当にゲリラ戦をしたっていいと考えていた。それにさすがに正面切って敵対していない女子供を殺すのも気が引けた。

 ハイサムは今度こそ他のアルワラ族の戦士をまとめ、引き揚げようとした。
「――わたしはっ、マフムードとかいう男は知らなかった。あれはただの誘拐よ」
 マルヤムがようやく言いたいことを言えたと、胸を張った。
 事情はどうあれ、真実を言っておきたかった。事実をねじ曲げられないために。
「ここの女はでしゃばりだな。……まあ、オレは嫌いじゃないがね」
 マルヤムの言葉にいきり立つ戦士たちを鎮め、ハイサムは今度こそ引き返していった。
 約束は守る、と確かに言い残し。


「――恩に着る」
 暑い暑いとぶーたれだした雪白と、マルヤムに捕獲されたアズロナと共に舟団へ戻ろうとしていた蔵人に、ニルーファルがそう声をかけた。
 蔵人はあの場でバーイェグ族を見捨てたってよかったのだ。
 略奪を見過ごしてきた、見捨ててきたバーイェグ族にはそれを責める資格などない。共闘ですら、本来であればする必要のないこと。
 ニルーファルが部族のためにそう決断しただけで、それに蔵人が協力する必要などまったくない。
「さあな。これからどうなるかわからないからな」
 蔵人には最初に拾ってもらった恩、生活の面倒を見てもらった恩があった。そのあとでミスを犯し、危機を招き入れた。
 負い目はあった。略奪を見過ごすことに納得がいくかどうかは別として、危機を招いた、それは確かな負い目であった。
 だが何より、見捨てたくなどなかった。略奪に介入したのと同じである。
 しかし蔵人はこの砂漠の政治バランスに疎い。とりあえず身に迫った危機を、雪白が払っただけ。少しばかり威嚇してみただけ。
 出来るのはそれだけで、世の中にはそんなことでは治まらない現実は多々ある。
 蔵人は数日後、それを実感することになった。




「――それは事実かっ? 」
 夜間警備中にとある噂話をしていた男衆に詰め寄り、詳しい話を聞き出した蔵人。
 その足で、まっすぐにニルーファルの下に向かった。
 舟団の先頭には他にもファルードやマルヤムがいたが、蔵人はかまわずにニルーファルに詰問した。
「――マルヤムが嫁に行くらしいなっ。あんたはそれでいいのか? 」
 蔵人の言いたいことを察したニルーファルは、ああ、としか言わない。
「おい、正気か? ならあれは無駄なことだったか? あのまま誘拐されてたほうが、手間が省けたんじゃないか?」
 ニルーファルは唇を引き結んだまま答えず、かわりにマルヤムが答えた。
「――それは違う。誘拐されていればわたしは略奪品扱いだった。何をされるかわからないような、身分の低い妻になるところだった。でも政略結婚なら、ちゃんとした妻、第一婦人として扱われる。助けてくれたことが無駄なんて言わないで」

 マルヤムの政略結婚。それがニルーファルへと怒鳴り込んだ蔵人の理由だった。
 それも政略結婚相手は、あのハイサムである。
 本来であれば、アルワラ族族長の長男であるマフムードがマルヤムの相手であったのだが、先日の失態により次男のハイサムに変更されたのだとか。
 蔵人が無駄と言ったのは、誘拐婚も政略結婚も相手が一緒なら同じ事だ、という意味であった。
 すでに政略結婚を受け入れているらしいマルヤム、そしてそれを否定しないニルーファルやファルードが、蔵人には理解できなかった。
「……元々話自体はあったのだけど、急に話が決まってしまって。ほら、ガズランから急にニハーファに移動したでしょ? あれはアルワラ族に嫁いでいたジラさんが亡くなったっていう連絡だったのよ」
 政略結婚していた者が死に、新しく政略結婚を結ぶためにマルヤムが行くという。

 だがそんなことを言われて蔵人が納得できるわけもなく、いつものようにニルーファルに噛みついた。自由意志と行動を他者が勝手に決める。それは蔵人がもっとも嫌いなことだった。
「……あんたは本当に認めたのか」
「――待って。これは族長、いえ父が決めたことなの。ニルにはなんの権限もないし、責任もない」
 マルヤムがそう言って蔵人を制すが、蔵人の目はじっとニルーファルを見つめていた。
 許嫁と両親を亡くし、いままた親友を政略結婚で失おうとしている。
 だというのに、ニルーファルもファルードも、何も言わない。蔵人にはそれが歯痒かった。
「……そうか。そんなものだったのか」
 蔵人は本気で舟を降りようかと考えた。
 アルワラ族のいない場所まで待つ必要などない。いや、雪白が勝った以上は、どこへ行っても多少の融通はつくだろう。そうなれば当然別の責任が生まれるだろうが、致し方ない。
 衝動的なものかもしれないが、ここにいるのは気分が悪かった。自分が昨日マルヤムを助けたという事実が、政略結婚であっさりと奪われたように感じてしまったのかもしれない。

「……いいわけない」
 そこで微かにニルーファルの感情が漏れた。
 いつも掟の外から批判し続けてきた蔵人の言葉は、ニルーファルの頑な心にほんの僅かな疑念を抱かせ、それが積み重なって、今まさに小さな穴を空けた。
「――いいわけないっ! だけど、どうすればいいっ、どうしたらマーヤを行かさずに済むっ。この地で再び血で染めるかっ、それともマーヤを浚ってあとはどこかに隠れ潜むかっ。それが正しいとでもいうのかっ!」
 一度漏れてしまえば、感情の決壊は呆気なかった。それだけ、ニルーファルがバーイェグ族の掟の中で耐え忍び、溜め込んでいたということでもある。溜まれば溜まるほど、決壊したときは一気に流れ出す。
 それを見て、蔵人もまた言葉を失った。そして同時に、納得した。
 雪白は確かに勝った。だがそれは辛勝である。日中ならジャムシド、夜間ならば雪白、ようやく力が拮抗しただけで。それにいつまで雪白がこの砂漠にいるのかもわからない。
 政略結婚とは、バーイェグ族が雪白を当てにしていない、その証明であった。確かに共闘は協力したが、それとて恒久的なものではないと考えての上層部の判断である。マフムードの暴挙で拗れた両者の関係を修復するという意味合いもあった。

 小競り合いこそあれど、大局的には、この砂漠が安定している。
 それは同時に、バーイェグ族にとって最も安定した生き残りの道でもあった。
 寿命は長いが、出生率の低いダークエルフでは砂漠の全域を支配するほどの力はなく、仮に支配したとしても滅びも早い。この砂漠は隠れ住んで長く生きられるほど容易くはなく、そもそもすでに血が危うかった。
 エルフは五百年生きると言われているが、この地のダークエルフは三百年しか生きられない。かつては五百年生きたと言われるが、それは五千年以上も前のことだった。
 すでに身内だけでは限界が来ている。今でさえ、相手を選んでいるため少しずつしか改善していないのだ、引きこもってしまえば早晩自然消滅してしまう。
 だからこそ、バーイェグ族はこの砂漠で、上手く立ち回るしかなかった。奴隷にも家畜にもならずに、部族を守るために。

 だが蔵人が納得したのは、そんな部族の事情ではなく、ニルーファルの感情だった。
 ニルーファルとて苦しい、納得していない、それを聞きたかった。それは蔵人の自己満足ともいえたが、それを聞かずして、ここにいることはできなかった。
 情の欠片もない者たちと一緒にいることなど、できなかった。
 ニルーファル、蔵人、ファルードの間に重苦しい空気が流れ始めるが、そこでマルヤムが毅然とした声で言い放った。
「――これは、わたしの戦いなの。見くびらないで。先祖が、父が、そしてあなたたちが血を流して、満身創痍で戦っている。だから、わたしも戦う。わたしもみんなと同じように、これまでの女たちと同じように戦場に向かうだけ」
 蔵人たちはマルヤムに気圧された。
 確かに、政略結婚したのはマルヤムだけではない。いくつかの有力な部族にバーイェグ族は嫁いでいる。
 アナヒタという水の御子の存在、そして高い戦闘能力と砂流を行き来する能力を持つバーイェグ族の後ろ盾。それに加えて、エルフほどではないとはいえ長命で、美しく、野心もない。子供は少ないが、普通は他種族同士で結婚するとどちらかの種族が産まれるところ、バーイェグ族の女は何故か嫁いだ先の種族しか生まないため、政略結婚の相手としては申し分がない。

「――わたしを憐れまないで」
 蔵人はバーイェグ族の女のたくましさに、瞠目した。
「……それにね、これが今生の別れじゃない。会おうと思えば、ニルとなら会える」
 さすがに人妻が男である蔵人やファルードと会うことなどできないが、船頭であるとはいえニルーファルならば問題はない。
「でもクランドにはもう会えないかもしれない。だから、お願いがあるの」
 マルヤムの願いを、蔵人は快諾した。



 蔵人とニルーファルが再び夜間警戒に戻り、ファルードがマルヤムを送っていった。
 それはマルヤムが望んだことでもあった。
 砂舟の上を歩く二人。
「……色々と、世話になった」
 ファルードがいつものように言葉少なに、それでいて万感を込めるように言った。
 許嫁を亡くし、両親を亡くしたファルードとニルーファル。それからはファルードが親代わりとなってニルーファルを見守ってきたが、男のファルードでは分らないことも多く、そのたびにマルヤムに相談に乗ってもらっていた。もちろんバーイェグ族は同じ舟に乗る者すべてが大きな家族ともいえるため、他の女衆もなにくれとなく面倒を見てくれたが、やはり近しい者は必要であった。
「お互いさまよ。でもニルの花嫁衣装は見たかったんだけどなぁ」
「……」
 ファルードは返答に詰まってしまう。許嫁を失った直後ならばまだそれもあったかもしれないが、両親を失ってからのニルーファルを思うと、そんなことは無いと思っていた。
 事実、同じ舟の男衆はニルーファルをそういう目では見れないし、ニルーファルは船頭になってしまったため、安易に外へ出すわけにもいかない。その戦闘力も貴重であるし、さらに普通の女衆と違って砂流や砂舟の事を熟知してしまっている。操船技術の流出という点で見ても、ニルーファルが嫁に行くというのは考えにくかった。

「ファルがそんなんじゃだめじゃない。ニルだって女の子よ? ……確かになさそうだけどね」
 ちらと蔵人のことが脳裏をよぎったが、まだまだそんな関係にはなりそうにない。そもそも蔵人がこの先どう生きていくのかもわからない。
 バーイェグ族はその寿命も相まって奥手。さらには純情であるものだから気長に見守るしかない。幼い頃に許嫁を決めてしまうのもそういう意識を育むという意味合いもある。
 希望があるとすれば、ニルーファル自身が自らを男衆として扱っていることだ。戦友から何かの拍子に恋仲に転がるかもしれない。もっとも恋仲というより信頼関係であろうが。
「あれ? わたしの中でニルーファルがどんどん男前になっていくんだけど……」
 船頭として働きながら、ほんのいっとき男に甘え、また戦場へ行ってしまう。男の部分を女に変えると、典型的なバーイェグ族である。いや、ほんのいっときである分、男よりも刹那的だ。
「……ニルは強い」
「そうだろうけど。きっと長老衆や他の舟の男どもがうるさいわよ」
「……ニルは頑固」
 ニルーファルは部族のために外に嫁ぐなら、おそらくは行く。だが、バーイェグ族内にいる限りは、ニルーファルは結婚について容易に了承しない。今さら女衆として生きることもできないし、部族を守るという強い使命感がある。実際この舟の上でニルーファルより確かに強い者など族長とあとは一人か二人くらいであろう。ファルードとて絶対に勝てるとは言えなかった。
「そうだね……ねえ、ファルはどうするの? 」
 ファルードにも許嫁はいなかった。族長たちがいくら勧めても、許嫁を持とうとしなかった。
「……」
「知ってる? ほんとにちょっとした冗談みたいな話だったけど、わたし、ファルのところに嫁ぐ可能性もあったんだよ?」
「……」
「ほんっと、小さい頃の話だけどね」
 だがすぐにそれは撤回された。マルヤムはかつて蔵人に許嫁がいないのかと聞かれ、自らを奥の手と言ったのは、政略結婚のために身を空けていたからである。幼い頃から、政略結婚は決められていたことであった。
 それっきり、二人の間に沈黙が入り込む。
 お互いに少しだけ、惹かれていた。だけど、その距離を縮めることもしなかった。できなかった。
「……ファルにももう会えなくなる。一つだけ、お願いがあるんだけどな」
 マルヤムがぽつりと零した。
「……出来ることなら」
「そこはなんでもっていってほしかったな。まあ、いいや。――手を握ってほしい。なんにも考えなくてよかった、あの頃みたいに」
 ファルードは少し困って、そして手を差し出した。
 マルヤムははにかみながら、それを握る。
 二人はしばらくの間、そうして手を握っていた。
 決してそれ以上近づくことも、離れることもなく。

 だが、舟団の上とはいえ、そんな二人が目につかないわけがない。貞操観念の厳しい場所である、ましてマルヤムは政略結婚する身である。軽々に許されることではない。
 だが、二人の姿が誰かに見られることはなかった。月の光すら届かなかった。
 砂漠の夜の帳以外の闇が、二人を包み込んでいたのだから。二人の邪魔をすることなく、二人を誰にも見えないように、覆っていた。

 少し離れた舟の物陰に闇精魔法を行使した蔵人と雪白、アズロナの影が伸びていた。
 よくやったとでもいうように、どこかでにゃぁと牙猫が鳴いていた。
 10月25日、『用務員さんは勇者じゃありませんので』第6巻が発売予定となっております。
 公開されている表紙と共にあらすじが載っていておわかりかと思いますが、時系列がかなり違います。
 そのため展開が少し違っています。具体的には、ハイサムやマフムード、イスラといった面々との絡みが強くなっております。(龍華編は外伝扱いとなっておりますので、もし機会があれば、という形でしょうか)
 かなり違った角度からの話となりますので、ウェブ版とは違った楽しみがある、はずです(汗
 話的には最初の数十ページは完全に書き下ろしとなっていますし、『悪魔は蘇る』にかわって『悪魔の呪法』があったりも……。
 もしお財布に余裕がありましたなら、お手にとっていただければ幸いです<(_ _)>

 
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ