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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第六章 砂塵の向こうで
124/144

119-誘拐

■2016/10/06 22:50

 後半、蔵人たちがジャムシドとの決闘を受ける辺りを改変しております<(_ _)>


誤字報告等、ありがとうございます<(_ _)>

手をつけることができていませんが、ご容赦ください<(_ _)>


(約一万字)

「……きゃ」

 微かに、聞き覚えのある短い悲鳴が聞こえた気がした。

 蔵人は嫌な予感を覚えながら、先程まで毛長大鳥に抱きつきニマニマしていたマルヤムを見るも、いない。

 だが、蔵人はすぐに近くの路地裏、土を固めて作ったような四角い家と家の狭間に引きずり込まれていくマルヤムを見つけた。 

 黒い覆面をした男たちに口を塞がれ、暴れる手足も押さえ込まれている。いかにマルヤムがダークエルフで普通の男よりも遙かに怪力であるとはいえ、『英雄』を目指して修練と実戦を重ねた他種族の戦士にはかなわない。

 蔵人はすぐにマルヤムを助けようと男衆に目をやるが、何故か動きが鈍い。

 そして同じように、攫われるマルヤムに気づいているであろうバザールの商人や客、そして同じバーイェグ族の女衆にも少し迷いが見えた。いかに家畜が暴れているからといって、気づかないようなものでもないというのに。


 蔵人はなぜという怒りを押し殺し、すぐに街の門をくぐろうとすると、路地裏に連れ去られる寸前のマルヤムと一瞬目が合った。

 その目は確かに、『助けてっ』と懇願していた。

 蔵人は身体強化を最大にし、文字どおり猛然と街に飛び込み、暴れる家畜とそれを抑える者たちを強引にかき分ける。

 そうしてようやく誘拐者たちとマルヤムの全貌を視認するなり、石精魔法を放った。

 すでに路地の奥に入り込もうとしていた誘拐者たちの直下で砂が猛烈に噴き上がり、誘拐者とマルヤムを引き剥がす。誘拐者たちは目に砂が入り込み、衣服の隙間という隙間から砂が入ってまさぐられてはマルヤムを抱え続けられるわけもない。


 蔵人はそのまま、引き剥がしたマルヤムを砂の球体で覆って、打ち上げた。

「――んきゃぁああああああああああああああああああっ」

 砂の球体に覆われたマルヤムは何がなにやらわからぬまま悲鳴を上げて小さな放物線を描き、蔵人の元へと落下を始めると、蔵人はそれを砂で柔らかく受け止める。

 どんな理由があれ相手を傷つけるのはまずいと、蔵人はこんな方法をとるしかなかった。


 すると、マルヤムを奪われた誘拐者たちはさっさと逃げるのかと思いきや、砂球に入ったマルヤムを奪い返そうと向かってくる。

 さらに手回しがいいことに、街の治安維持役らしいアルワラ族の戦士たちも駆けつける。

 前者が敵であることは間違いないが、後者が味方とは蔵人には思えない。

 力ある者の意思が公然とまかりとおるのが、この砂漠の流儀である。アルワラ族の治安維持役など、アルワラ族の手の者に決まっている。ましてマルヤムを浚おうとした黒覆面の男たちの前頭部には赤い角が見えている。治安維持役も敵に回ると考えたほうが自然である。


 このときバーイェグ族の男衆と女衆もようやくマルヤムを助けようと動きだしたが、蔵人は彼らの初動の躊躇いを見ていたために信じることができなかった。

 だから、逃げた。

「――んきゃぁああああああああああああああああああっ」

 ごろんごろんと転がる砂球の中でマルヤムが二度目の悲鳴を上げるも、蔵人は無視し、騒然とするバザールのど真ん中を走って、舟団に向かって駆け出した。


 砂球が転がると、まるで預言者が海を割るように、人々や暴れていた家畜までもが両脇に逃げ惑う。

 それを慌てて追いかける黒覆面の男たちとアルワラ族の戦士たち。

「――待てっ、そこの呪術師っ」

 そんな制止などもはや耳にすら入っていない蔵人は、マルヤムの入った砂球を加速させる。

 砂球の中からもう悲鳴は途絶えたが、たまに嘔吐くような音が聞こえている。蔵人は船酔いを思い出してマルヤムを気の毒に思うが、止めるわけにもいかない。


 あと少し。もう街の外に停泊する舟団を視界に収めていた。

 だが、いつのまにか周囲に人影がなくなり、黒覆面の男たちとアルワラ族の戦士たちが迫る足音だけとなっていた。

 足元に、矢が突き刺さる。

 蔵人は背後も見ないままに、石精魔法で片っ端から砂を浮かせ、盾のようにした。

 そこへ無数の矢が降り注いだ。

 ときおり砂盾や砂壁を抜けてくる矢もあるが、蔵人の盾に払われ、物理障壁に弾かれる。

 街の出入り口から瘤蜥蜴に跨がって乗り込んだアルワラ族の戦士が槍を構えて突撃しようとしても、進路を塞ぐようせり上がる砂壁に邪魔されて思うように攻撃できなかった。


 アルワラ族の男たちは、その鉄壁の守りに舌を巻いた。

「腰抜けの呪術師のくせっ――」

 しかしそんな悪態も、目の前を覆い尽くさんばかりに鎌首をもたげた砂の大波を前にして、それ以上続けることができなかった。

 蔵人は背後で男たちの悲鳴を聞きながら、さらに加速した。

 見もせずに放ったのは砂の大波とは名ばかりの、砂の薄布とも言えるような代物だった。張り子の虎のようなもので、砂を被った者たちもすぐに気づいて追いかけてくるはずである。


 だが、誰も傷つけずに、砂舟に辿り着けさえすればいい。

 蔵人の目的は足止めでしかなかった。

 幸か不幸か、蔵人の磨いてきた力はマルヤムを守り、男たちの攻撃を遮り、追跡の足を止めることに向いていた。偏執的なまでに積み重ねられた防御能力がここで真価を発揮したのである。


 砂舟にだいぶ近づいてきた。

 すでに舟団のほうでも異変を察知しており、砂舟の前にはバーイェグ族やニルーファルの姿も見えていた。族長が不在で、アナヒタを守る必要があり、街へ出張ることができなかった事くらいは、蔵人にも察せられた。

 もうすぐだ、蔵人がそう思った瞬間、蔵人の頭上を巨大な影が覆う。

 真紅が、ジャムシドが立ち塞がっていた。

 蔵人は一瞬の躊躇もなく指笛を吹こうとしたが、その前に雪白がジャムシドと蔵人の間に割って入った。


 すでに太陽は完全に姿を現し、砂の焼けるような匂いが漂い始めていた。

 上昇を続ける気温に雪白は気怠げな様子でジャムシドを睨みつけているが、ジャムシドはむしろそれが心地良いらしく、鋭い眼差しのままニタリと笑みを浮かべている。

 雪白は蔵人たちを背後に庇いながら、ゆっくりと円を描くように立ち位置を変えていく。

 蔵人たちの立ち位置を変えているのだが、ジャムシドはそれすらも楽しむように、雪白に合わせて動く。

 その間に砂舟からはバーイェグ族が、街からは黒覆面の男たちとアルワラ族の戦士たちが集まってくる。

 しばらくすると砂舟を背にバーイェグ族と蔵人、街を背にアルワラ族と黒覆面の男たちがそれぞれ雪白とジャムシドの後ろに位置していた。


 ニルーファルが真っ先に蔵人へと問いただす。後ろにはファルードと他の船頭、居残りの男衆がいた。

「――何が起きたっ」

 蔵人が手短に事情を話していると、蔵人のあとを追う形でアルワラ族の妨害をしていた男衆と女衆もやってきて説明する。申し訳なさそうにしながらも、きっちりと事実のみを話した。

 彼らがマルヤムの救出をほんの一瞬とはいえ躊躇ったのは、誘拐者たちの服装とその赤い角に原因があった。

 まず、黒い覆面姿はこのあたりの風習とも因習ともいえる『誘拐婚』をするときの衣装であった。

 『誘拐婚』とは、文字どおり、男が女を拉致して、結婚を迫るというものである。拉致した女を説得するのはかつて拉致されて嫁に入った女たちで、一度男の家に入ったなら行為はあったと見なすという貞操観念も利用して、誘拐した女を説得し、諦めさせるものである。

 中にはどうしても首を縦に振らない女もいるが、家に帰ることができたとしても部族社会の狭い世間では汚らわしい女と見なされ、一生蔑視されて生きていくことになる。


 もともとは親の決めた許嫁が受け入れられないときに使われた駆け落ちまがいの方法とも、広大な砂漠では他の部族と出会うことがなく、婚姻によって他の血を入れることができないために、たまたま出会うことができた他の部族の女を致し方なく浚ったことで始まった風習だとも言われている。単純に略奪行為の延長線上で生まれ、奴隷にせずに部族間の融和を保つため、という話もある。


 だが、他の遊牧民や砂漠の民とは少しばかり生き方の違うバーイェグ族は略奪と同じように、誘拐婚も禁止していた。

 当然バーイェグ族の男衆が誘拐婚をしたことはない。が、許嫁が嫌で誘拐婚の形をとって出奔した女は僅かながら存在していた。これは女がだらしない、ということではなく、男が女を誘拐してきてもバーイェグ族はそれを嫁とは認めないということはできても、女が誘拐されることを望んで出ていってしまうことまでは阻止できない、という婚姻の構造的な問題のせいであった。


 それゆえに蔵人と一緒にいたバーイェグ族はマルヤムを助けていいのか、一瞬迷ってしまったというわけである。もしかしたらこの誘拐婚はマルヤムが望んだのものかもしれない、と。

 その上、誘拐婚を阻止するためには二本の角を見せた黒覆面の男たち、つまりアルワラ族の誘拐者と対峙しなければならず、もし彼らを傷つけてしまったなら、アルワラ族との関係が悪化してしまうおそれがあった。なんせ相手の誘拐婚はある意味で公に認められている手法で、マルヤムを殺すつもりなど微塵もない。 バーイェグ族にしても、マルヤムが婚姻を望まず、あとで交渉すれば取り返せる可能性とてあったのだから。


 その場にマルヤムのことをよく知るニルーファルやファルード、部族間の機微を知る船頭や副船頭がいなかったことも、影響していた。

 そんな裏事情があったことなど知らない蔵人は、胡散臭そうにバーイェグ族を見ていたが、彼らは素直に蔵人に感謝した。

 そして事情を聞いたニルーファルも、珍しく蔵人を叱らなかった。

「よくやってくれた。……ところで、マルヤムは?」

「……ああ、それなら――」

 と言いかけたところで、覆面を脱ぎ捨てた黒覆面の男がジャムシドの横に立ち、口上を述べた。


「――バスイットが子、マフムードであるっ。我らが支配地内で無法をした呪術師、並びに我が妻となるべきマルヤムをこちらに引き渡していただきたい」


 族長でもある総船頭と長老衆がおらず、一番舟と二番舟の船頭はアナヒタの警護で離れることができないため、ニルーファルが雪白の横に立って口上を返す。三番舟の船頭は、ニルーファルとマルヤムが親しいことを知っていたため、ニルーファルに出番を譲った。


「――四番舟船頭ニルーファルだっ。ここは汝らの支配地であるが、中立地帯でもある。そんな場所で破廉恥にも白昼堂々女衆を拉致しようとする不届き者がおり、たまたま居合わせた客人が女衆を救ったに過ぎない。さらに、族長グーダルズが娘、マルヤムは未婚で、許嫁もおらぬ。――しかし、お互いに勘違いがあったのも事実であろう。ここは後日場所を変えて話し合おうではないか」


 ニルーファルはそう言って穏便にことを済ませようとするが、マフムードはそれを弱腰とみて、要求する。

「――その呪術師が我が部族の者に傷を負わせたがなんとするっ」

「客人の呪術は勇猛なアルワラ族を傷つけるような力を持ち合わせておらぬ。それに、膝をすりむいた程度で泣きわめくような戦士などアルワラ族にはおるまいっ」

「――その呪術師が暴れて破壊した市場をなんとするっ」

「後日、詫びに参り、損害を贖わせてもらおうっ。が、そもそも多くの家畜の暴走を止め、無傷で捕えたのはこの呪術師の手柄である。まさかそれを忘れてはおるまいな」


「ぬぅ……」

 バーイェグ族など部族間紛争を恐れて何もできまいと高をくくっていたマフムードは、存外にうまく言い返すニルーファルに苛立った。

 だが、アルワラ族と正反対といっても過言ではない理念を持つバーイェグ族であるが、だからといってすべてを諦め、耐え、忍んできたわけではない。アナヒタを守り、砂漠に血を流さないために譲歩して損をしつつも、その損をぎりぎりにするように各部族と渡り合ってきたのである。

 いまだ部族間会合に出て来たことすらないマフムードでは相手にならなかった。

「――男と女の逢瀬に口を挟むとは、いささか野暮ではありませんか? 」

 黒覆面を脱ぎ捨て、マフムードの横に立ったのはバスイットの末子、リドワンであった。マフムードの頭に血が昇ってしまっていると見て、口を挟んだ。

「マルヤムに恋人はおらぬゆえ、野暮と言われるようなことは何もない」

「さて、本人に聞いてみたらいかがか? もし何も答えられぬようであれば、助けを求められてもいないのに逢瀬を邪魔したその呪術師の責任は大きく、許されることではない。さらに、それを庇ったバーイェグ族も何らかの罰は受けてもらわねばなりますまい」


 ニルーファルは蔵人を見る。

 蔵人はその視線に、悲鳴も嘔吐きもなくなってすっかり忘れていたマルヤムのことを思い出し、砂球を解除した。

「――こんな運び方はないんじゃないかなっ。なんにも見えないし、頭はがんがんぶつかるし、気持ち悪くなってくるしっ」

 マルヤムは砂球が解除された瞬間に周囲を見渡して蔵人を見つけ、飛びかからんばかりの勢いで詰め寄った。

「お、おう。すまん」

 蔵人があっさり謝ると、それで気が済んだのか、それとも自分の礼儀知らずな行動に気がついたのか、すぐに姿勢を正して蔵人をまっすぐ見た。

「でも、ありがとう」

「――マルヤム、浚おうとした男たちは知り合いか?」

 マルヤムが落ち着いた頃を見計らって尋ねたニルーファルの言葉に、マルヤムはマフムードとリドワンを睨みつけて糾弾する。

「まったく、これっぽっちも知――」

 だが、それ以上は言えなかった。

 それはマルヤムだけではなく、すべてのバーイェグ族が身体を硬直させていた。


 ジャムシドがニタリと嗤い、リドワンがいやらしくのたまう。

「これだから女は困る。嫌というのは態度だけで、本心では強き者に組み敷かれることを望んでいる。いや、この場合は何も言わないのだから、素直なものか」

 リドワン、そしてマフムードがにやにやと笑みを浮かべていた。

 ジャムシドの威圧で、マルヤムの言葉を封じた。

 ジャムシドの威圧などわからない他のアルワラ族の戦士にしてみれば、マルヤムが何も言えないのだから二人は想い合っている。やはり、マフムードの言っていることが正しいのだ、と考え、意思を確かにする。


「――砂漠の男は誇り高いと聞いていたが、脳みそと下半身は随分と卑しいようだな」

 ジャムシドの威圧に唯一耐えることができた蔵人が、ニルーファルが硬直したのだから仕方ないと、マフムードとリドワン、さらには砂漠の文化そのものを痛烈に批判した。

 ジャムシドの威圧など、訓練で日常的に浴びせられる雪白の威圧となんら変わらず、耐えることは容易であった。

 蔵人の暴言にマフムードや他のアルワラ族は顔を真っ赤にするが、リドワンはさらりと言い返す。

「事実は事実でしょう? その女が答えられない限り、お前は二人の逢瀬を邪魔して、ボクの同胞を傷つけた大罪人。そうなったら、バーイェグ族も庇いきれませんよ」

「なら、これからお前らが俺の質問に答えられないなら、俺の言ったことは事実になるか」

「は? なにを言――」

 蔵人が目配せする前に、ジャムシドの不快な視線と威圧に苛立っていた雪白が威圧を放ってしまった。

 まるで凍りついたようにその場に硬直する誘拐者たち。腕っ節の弱いリドワンなどは全身を震わせてしまっている。

「少し早い。まだ約束を取り付けてない」

 蔵人の言葉に頬を膨らませて不満げな顔をした雪白は、渋々威圧を解除する。


「――そ、そ、そ、そんなことは、しょ、しょう、証拠に……」

 リドワンが震え声でなんとか言い返そうとするも言葉にならない。かわりにマフムードが口を開く。

「ふんっ、知ったことか。確認が取れない以上は――」

「――誘拐には失敗した。ただそれだけだろ? 砂漠の男なら潔く退けよ、見苦しい」

 だが不作法にも蔵人が言葉を遮り、侮辱した。

 慣習を知らない客人ではない、砂漠の男を知る者が正面から誇りをこき下ろしたことで、マフムードの怒りは一気に頂点に達した。

「……貴様、覚悟はできているんだろうな」

「その前に威圧をとけよ。そうしたら嫌でも真実はわかる。ああ、砂漠の男はお守りの獣に威圧させてからじゃないと女も抱けない腰抜けだったか」

 そこまで言われてはアルワラ族とて黙ってはいられないが、何故かジャムシドは威圧を解く気配はない。


 奇妙な間ができた。

 マフムードは威圧を解かせようともしなければ、実力行使にも移らない。

 蔵人もマフムードが実力行使に移らないために、攻撃しない。そして――。

「――提案がある」

 マフムードがなにやらジャムシドを見ながら小さく呟いてから、蔵人を見て告げた。

「我らの守護魔獣であるジャムシド様と、そちらの守護魔獣が戦い、勝った方がすべてを得る。ジャムシド様が勝てばマルヤムと貴様の身柄、そして守護魔獣をいただく。それ以外はなにも追求せぬ。そして、もし万が一にもそちらの守護魔獣が勝てば、我らは退く。今回の件に関しては、一切を不問にする」

「アホか。なんでそん、ぶっ――」

 あまりにも一方的な要求を、蔵人はいつものようにあっさり蹴ろうとするが、雪白の尻尾がそれを塞いでしまった。

 まさかと思いながら雪白を見ると、目を爛々と輝かせ、戦わせろと要求していた。

 が、さすがに蔵人の一存で決められることではない。

 蔵人はいまだジャムシドの威圧がとけないマルヤムやニルーファルを見た。


 まず、苦しげな顔をしたマルヤムがそれでもどうにか頷いた。

 蔵人はそれを見て驚くが、ニルーファルもそうであったらしく眉間に皺を寄せ、全身に力を込める。

 そんなことはさせないとばかりに、ジャムシドの威圧を跳ね返し、宣言した。


「――断る」


 短期間とはいえ、雪白と手合わせし続けた結果である。そしてそれにつられるように血わずらいの気配を漂わせた他の男衆も次々と威圧を破っていくが、さすがに女衆は破れなかった。

「……正気か?」

「何があろうと、誰も引き渡さぬ。それでも気に入らぬというのであれば、受けて立つ。――クランド、協力してくれるか?」

 ニルーファルは決断し、蔵人を見つめた。

 雪白が戦いに勝てば、確かにまったく問題はない。だが、万が一雪白が負ければ、アルワラ族はさらに増長する。しかし話を断っても、アルワラ族がただで退くわけもない。

 どう転がるにせよ、アルワラ族との衝突は避けられない。部族のことを考えれば、雪白の勝ちに賭ける、などという不確かな選択肢は選べなかった。

 ならば、決闘は断り、今ここで蔵人たちと共に戦うほうを選んだ方がいい。これならばマフムードの強引な誘拐が引き起こした衝突でしかなく、落としどころもある。

 だが、そのためには蔵人と雪白の協力は必須であった。雪白がジャムシドを抑え、残りをバーイェグ族と蔵人が打倒すれば、あとはマフムードの暴走という形で落ち着くのだから。今ここにいる人数だけならば、どうにかなる。


 蔵人にはそういった難しい部族間のパワーバランスはわからなかったが、バーイェグ族に協力してくれと言われれば、それが筋さえ違えていないことならば快諾するくらいには彼らを気に入っているし、迷惑をかけた自覚もある。そしてそれは雪白やアズロナも同じであった。

「そこまで言われて、俺が逃げるわけにはいかないだろ」

 蔵人がそう答えると、雪白も同意するようにニルーファルを見つめた。どのみち、ジャムシドと戦うのだから、雪白に否やはない。


「――そういうわけだが、そちらはどうする」

 覚悟を決めたニルーファルの目に、逆にマフムードが狼狽えた。

 実のところ、マフムードにバーイェグ族と事を構える権限などない。族長の方針は、少なくとも全面抗争を許してはいない。まして大義名分もない戦いなど許されるわけもない。

 マフムードはただ、ジャムシドに言われるまま行動し、男たちを煽り、女を誘拐しただけである。

 アナヒタという力をろくに扱えず、支配も報復もしない。いつも弱腰のバーイェグ族ならば、アルワラ族と事を荒立てるはずがないとマフムードは思い込んでいた。

 

 マフムードは縋るような目でジャムシドを見るが、ジャムシドはつまらなそう目をマフムードに向ける。もはや興味を失っているようで、ただただ酷薄で無情な瞳がマフムードを見下ろしていた。

「――く、くそっ、やってしまえっ」

 マフムードは自暴自棄になって、叫んでいた。これだけの失態を父が許すわけもなく、もはや族長の目はない。

 成り行きを見守っていたアルワラ族の戦士たちは、マフムードの言葉に従って、剣を抜いた。次期族長候補、さらにはジャムシドまでいる。善だろうが悪だろうが部族の決定に従うのが、砂漠の男の生き方である。

「――それまでだっ」

 そこへ、戦装束のハイサムが戦士たちの後ろから声を上げた。


「――オレは族長の名代として来た。戦士たちよ、道を空けろっ」

 バスイットの次男であるハイサムの声は不思議と響きが良く、戦士たちは戸惑いながらも道を空ける。

 呆然とハイサムを見つめるマフムードとリドワン。族長の名代という言葉に、なにも言えなくなってしまっていた。

 ハイサムは二人には目もくれず、ニルーファルを見据えた。

「――事情は聞いている。だがな、いくら愚かとはいえ身内の顔を潰されてはこちらも退けぬ。どうだ、ここは先ほどのジャムシド様の提案に乗ってみては」

 ニルーファルが今さら何をという顔をした。

「無論、条件は変えよう。ジャムシド様が勝てば、そっちの守護魔獣殿はジャムシド様のもの、そして呪術師と飛竜の身柄はこちらで預かる。それですべて忘れよう。そしてもし万が一にもジャムシド様が負ければ、今回の件は何もなかった事にするし、こちらから詫び金も支払う。それで終わりだ。お互いに遺恨は残さない。これは族長の提案でもある」

 ハイサムはそう要求した。

 一見するとほとんど違いなどないように見える条件であるが、この取引の嫌なところは問題の波及が雪白と蔵人のみに絞られていて、勝とうが負けようがバーイェグ族にはなんの影響も残さないところである。

 だが受けなければ、ジャムシドがまた何かやろうとするかもしれないし、いまここで全面衝突も起こりうる。

 蔵人も事ここに至り、ジャムシドが雪白への欲望を滾らせていることは気づいていた。なぜ興味を抱いたのかなど知らないが、蔵人たちが到着し、都合良く家畜が暴走し、都合良く誘拐が起こり、都合良くこんな状況になるわけがない。

 ジャムシドが雪白を得るためにアルワラ族、マフムードを煽った、と考えたほうが自然であった。

 つまり、ジャムシドを放っておくわけにはいかないのである。自分たちのために、そしてバーイェグ族に迷惑をかけないため。この条件ならば、後腐れはない。


 蔵人はニルーファルやマルヤムを一度も見なかった。

 これは自分たちの問題である。バーイェグ族への恩や負い目はある。全面衝突を避けるために戦うという意味合いもないわけではない。だが、それよりもジャムシドとの縁を断ち切るというほうが遙かに大きかった。それに――。

 蔵人は確かめるように雪白を見ると、雪白はさっきと同じように目を爛々と輝かせて、頷いた。

 雪白が戦いたいというのに、蔵人が拒否するのも可笑しな話であった。あくまで蔵人と雪白は個として対等なのである。


「――わかった。受けよう」


 ジャムシドが禍々しく笑った。

 雪白はようやく潰せるとばかりに、ジャムシドを睨みつける。

 その横で蔵人は雪白の横腹をぽんぽんと何度か叩き、後方へ退いた。

 雪白が勝てば、おおよそ終わる。そうすれば、バーイェグ族とは離れて生活することになる。

 それでいい、と蔵人は思っていた。


 雪白たちと共に山野で生き、好きなだけ絵を描き、ときおり街の雑踏に紛れ込む。


 そんな風に平和に生きていけたなら、それが一番良いと気づいた。いや、思い出した。

 荒野と砂漠の境界で迷い、レシハームで生活して、異文化に困惑して、砂漠に紛れ込んで、慣習と衝突して、自分の生き方をずっと考えていたが、結局それしかなかった。それしかできなかった。

 日本でもそうしていた。食べていけるだけの収入を稼ぎ、そして死ぬまで絵を描き続ける。就職できずに生まれた偏狭な思考かもしれないが、それでいいと思っていた。

 砂漠を訪れて途方に暮れ、砂漠の奥で自らの根幹を再確認するとは皮肉なものだが、精霊教徒の考え方にも、力こそすべてで勝者が丸ごとすべてを得るという砂漠の考え方にも馴染むことができなかった。

 ただ、個人で生きるなら、この砂漠は都合が良かった。

 雪白すらも屠ることが可能な国家という巨大な敵や勇者という面倒な存在がいるミド大陸よりも、個人の力でどうにかできそうなこの砂漠のほうが蔵人なりに生きる余地はあった。もちろん雪白の力というものをあてにしていないといえば嘘になるが、逆を言えば雪白の力をあてにすればどうにか生きられる世界ということでもある。


 もちろんバーイェグ族と一緒にはいられない。

 蔵人と雪白、アズロナという三人きりの勢力で生きていく、ということである。それならば、すべての責任は自分たちにあるのだから。

 砂流と砂漠の行き来は雪白が可能にした。水はバーイェグ族と取引で得たっていい。戻れるようになったなら、こっそりレシハームに行ってみるのも面白いかもしれない。

 雪白たちと砂漠で生き、好きなだけ絵を描き、ときおりバーイェグ族や他の部族と関わる。通訳くらいならしたっていい。

 蔵人は自分たちの将来図をそんな風に描き始めていた。



 


 蔵人がそんな決断をしていた時、ニルーファルたちは何かを押し殺したような顔でそれを見つめていた。

 それは略奪を見過ごさねばならないとき、仲間の仇を討つことを堪えるときと同じ顔であった。

 蔵人は確かに色々と迷惑をかけたが、同時に与えてもくれた。

 ゆえにもはや、貸しも借りもない。むしろマルヤムの分、借りがあるくらいであった。

 なのに、蔵人、いや雪白は戦うという。自分たちのために戦うのかもしれないが、確かにアルワラ族とバーイェグ族の全面衝突を避ける意味もある。

 蔵人は戦いを好まない。自由意思を抑圧され、原理原則を歪めるようなやり方を嫌うこともしばらく生活していれば理解できた。だから、こういう賭け事じみた戦いも嫌いだろうと察せられた。

 それでも蔵人たちは戦おうとしている。

 それが誰のためなのかわからないニルーファルたちではない。もちろん、蔵人自身のためという部分はあるのだろうが、それだけならば自分たちと共闘すればいいだけのことであり、賭けに乗る必要などない。

 全幅の信頼を込めて雪白を一つ二つ叩いて退く蔵人の背を見て、ニルーファルには一つの問いが生まれていた。己への、問いである。


 略奪を見過ごしてきたバーイェグ族に、これを甘受する資格があるのだろうか、と。


 自分たちと同じように、蔵人たちもまたバーイェグ族とアルワラ族の全面衝突を見過ごしたっていいのだから。






用務員さんは勇者じゃありませんので、第6巻。10月25日、発売予定です。

こちらにて、表紙が公開されております<(_ _)>

http://mfbooks.jp/new/


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