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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第六章 砂塵の向こうで
123/144

118-悪魔は蘇る

約一万二千字ほど。


10月25日、『用務員さんは勇者じゃありませんので』6巻が発売予定です。近々表紙は公開されると思います。よろしくお願い致します<(_ _)>

 舟団がニハーファというオアシスへ向けて出発した日の夕方頃に散歩へ出かけた雪白が、翌日の朝方に帰ってきた。

 だが、蔵人が出迎えると、何か雪白の挙動がおかしい。

 ただいま、といつものように舟の中へと入ろうとしているが、歩幅小さく、全体が縮んでいるようにも見える。

 妊婦のようにも見えるのだが、よもや一日でここまで大きくなることなどないだろうし、と蔵人は怪訝な顔をした。

――……にぅ

 すれ違いざまに、小さな鳴き声を聞いた気がした。

 やはり子供か? と蔵人が尋ねてみると、失敬なっと雪白が睨む。

 だが、やはりなんとなく様子がおかしい。

「……本当に子供じゃないのか? いるならいるで教えてくれれば協力もする」

 魔獣の妊娠期間など知らない蔵人はもしかしたらともう一度聞いた。

 違うっ、と雪白が唸ろうとすると、

――にゃうっ

 ぽろりと雪白の腹から何かが落ちた。

 体長の割には長い耳、牙も口の端から見える程度には長い。尻尾も長く、体色こそ雪白に似ても似つかぬ砂色だが、雪白の子供と言われればそうかもしれないと思う程度には猫科であった。


「おまえ、やっぱり……」

 ちーがーうーっ、と雪白が勢いよく蔵人に詰め寄ろうとするも、ころりころりと腹から猫が落ちる。

 その数は十を超えて、まだ増えていた。

 さすがにこの数はちょっと多すぎると、蔵人は雪白の子供説を捨て、じっと雪白を見た。

 雪白も何か後ろめたいことがあるのか、うっと怯み、さっと目を逸らしてしまう。

 まるで捨て猫を拾ってきた子供だな、と子供を持ったこともないのにそんなことを想像して、蔵人はハッとした。

「……お前まさか、拾ってきたのか? 」

 雪白はそれで観念したのか、コクリと頷いた。

 蔵人もアズロナを拾った口である。雪白に強いことはいえない。だが、この数はない。

 その数なんと五十匹。

 今は雪白の尻尾にじゃれついたり、寝そべっていたアズロナに興味を持ってふんふんと鼻を寄せていたりする。

「返し――」

「ユキ、今日はニルと訓練しないの? 探して――」

 返してこいと蔵人が言おうとして、ファルードを連れたマルヤムが来訪してそれを遮る。が、途中で喉を詰まらせ、叫んだ。

「――ユ、ユキがいっぱいいるっ」

 案の定、マルヤムは突撃してしまった。


 ファルードに事情を説明したあと、この猫について聞いてみると答えが返ってきた。

「……『耳長牙猫(ミルオールベ)』、のはず」

 耳長牙猫。普通は牙猫(オールベ)耳長(ミル)と呼ばれるが、滅多に人前に姿を現さない。普段は砂漠の砂の中で生活し、砂流の緩やかなところで千年万足の小さなもの狙って食べるという。魔虫どころかなんでも食べるが、身体よりも大きなものは狙わない。

 飢えにも渇きにも強く、飢餓状態が続くと群れの仲間の血を僅かずつ吸い合い、飢餓に耐え続けるという奇怪な生態を持つ。その小さな牙は血を吸うときに用いるものであった。


 大人の猫ほどの大きさが十匹ほどで、他はすべて仔猫のようにも見えるが、すべて成体らしい。耳長という割に耳が長くない個体や、耳が欠けている個体もおり、他には尻尾が二股に別れていたり、尻尾が短かったりと、どうやら血が濃くなりすぎて奇形を発症しているようであった。

 蔵人は雪白に聞く。

 聞くと言っても、蔵人が事情を予測し、雪白がそれを肯定するか否定するというものである。

「……飼いたいのか? 」

 雪白は首を横に振る。

「ということは共生か……」

 雪白が肯定した。

 まるで群れを丸ごと引き連れてきたようであるが、なぜこんなことになったのか想像も出来ない。だが、さすがに数が多すぎた。

 ちらと見ると、マルヤムが何匹も抱えてにこにこと笑っている。その様子を見たアズロナが寂しそうにしているのを見つけると、その姿にもきゅんとしたらしく、アズロナにも抱きついていた。

 抱えられていた牙猫は威嚇するようにアズロナの鼻先をぺちんっと引っぱたくが、アズロナがうるっとした目を見せると、しょうがないと許すほかなく、今では揃ってマルヤムにかまわれている。

 牙猫たちは静かに佇んでいるファルードの肩や頭にもよじ登るが、ファルードが気にした様子はまったくない。


 つられて、蔵人も少し手を伸ばしてみた。

 雪白やアズロナを拾い、蔵人は少しばかり勘違いしていた。もしかしたら、自分は魔獣に懐かれやすいのではないか、と。

 だがそんな幻想は、目の前の牙猫に噛みつかれ、引っかかれた瞬間に霧散した。

 物理障壁を貫通するほどではなかったが、その完全な拒絶に蔵人は明確な敵意を感じる。

 睨み合う蔵人と牙猫。

 だが、雪白が連れてきた以上は、多少なりとも身の振り方を考えてやらなくてはならない。

「……ここで受け入れることは可能か?」

 蔵人が聞くと、マルヤムは当然受け入れるという顔をした。

「……躾と餌さえどうにかなるなら、あとはアナヒタ様に伺わねば」

 ファルードの言葉に、雪白は牙猫たちを招集。

 即座に排泄の躾、攻撃の禁止などを徹底して仕込む。

 牙猫たちもボスと認めた雪白に、素直に従った。

 見てのとおり、群れには奇形が増え、子供がいない。血が濃くなりすぎたのである。ゆえに、それを本能で察した牙猫たちは砂漠で雪白に出会ったことで、群れの未来をかけた。砂舟で砂流を巡り、別の群れを探すために。

 

 その夜、蔵人はアナヒタに謁見した。

 これほど早く面会が実現したのは、族長の娘であるマルヤムが極めて迅速に、最大限コネを利用したためである。

 今、あの仄かな朱い明かりの中で、アナヒタと付き人の二人、蔵人と牙猫のみしかいなかった。

 外に護衛はいるが、完全に蔵人を信用したということである。

 五十匹の牙猫はアナヒタの前にずらりと並び、大人しくしている。

 そしてアナヒタはあらあらといいながらも、まったく困った様子には見えず、無防備に手を伸ばそうとすらしている。

 付き人の二人がおろおろと心配そうにしているが、それは杞憂であった。

 アナヒタの伸ばした指先に、一匹の牙猫が近寄るとぺろりと舐めた。

「あら? お水が欲しいの? 」

 アナヒタはなんとなく感じたままに、水を指先に生んでみると、牙猫はそれを激しく舐めた。水の赤さなど気にもしていないようである。

「水は用意できるけど、餌が大変よね? いつまでも雪白さんがいるとは限らないし」

 アナヒタの言葉に反応したのか、牙猫が舐めるのをやめてじっとアナヒタを見上げた。

「……水だけでいいの? 」

 アナヒタがその勘の良さを発揮してそう尋ねると、牙猫たちがにゃーと一斉に鳴く。

 牙猫たちはほぼ水だけでも生きられる。さらにはいえば超小食であるが悪食で、なんでも食べる。

「頭が良いのね。そう、ならここにいてもいいわ。でも、おイタしちゃだめですからね? 」

 アナヒタが許可すると、牙猫たちは歓喜し、アナヒタ、そして付き人の二人にも駆け寄った。

 雪白の躾が上手くいったのか、アナヒタに乱暴することなく、水をおねだりし、その膝の上で丸くなる。付き人の二人も最初は戸惑っていたが、すぐに順応し、牙猫たちを可愛がり始めた。

 ちなみに、蔵人の下には一匹たりともいない。

 もはや完全に縁側に座る猫と老人になったアナヒタが、蔵人を見つめ、頭を下げた。

「夜にも凍らない強いお酒、そしてパビル族の事、どうもありがとう」

 突然礼を言われて戸惑う蔵人だったが、どうにか敬語を絞り出す。

「いえ、ただの思いつきですから。上手くいったのなら、よかったです」

 蔵人の拙い答えに、頭を上げたアナヒタはふふっと微笑んだ。




 牙猫たちはあっという間に、バーイェグ族に受け入れられた。今では舟団の至る所にその姿がある。

 子供たちと遊んだり、あしらったり、女衆に可愛がられたり、意外と男衆たちからも評判は良かった。夜警中の手慰みにいいという。

 蔵人は牙猫が受け入れられたことにほっとするも、同時に釈然としない思いを抱えていた。

 牙猫たちはバーイェグ族の男衆や女衆に愛嬌を振りまく。

 夜間警戒中のニルーファルの身体を駆け上がる怖いもの知らずまで現れたが、ニルーファルは怒るどころか一つだけ撫でて、警戒を続けた。その牙猫もそれ以上は邪魔をせず、自分も群れのために警戒しているつもりなのか、ニルーファルの肩に乗ったまま、夜を見つめていた。


 だが、である。

 蔵人には一向に懐かなかった。今も、絵を描く蔵人の邪魔をしている。

 絵に飛び乗ったり、腕にぶら下がったり、煤をひっくり返し、紙の代わりの帆布をしっちゃかめっちゃかにする始末。

 それでいて蔵人が触れようとすると、シャーと全身と尻尾を膨らませて威嚇するのだから憎たらしい。

 雪白は細かな統率はする気がないらしく、集中力が足りないんじゃないか、と蔵人のほうが悪いかのような目をしている。

 何度も何度も邪魔され、ついに蔵人は筆を置いた。

 そしてゆらりと、それを抜く。

 悪魔の兵器、いや巨大ねこじゃらしであった。

 雪白があの夜の屈辱を思い出しながらもぴくりと反応し、自分たちの身の丈ほどありそうなそれに牙猫たちも何故か反応した。

 

 ひゅんと揺れる。

 すると牙猫たちも、一斉にそちらへ飛びかかる。

 それを巧妙に躱した猫じゃらしが、また振られる。

 次第に牙猫たちのボルテージが上がっていく。

 野生の本能を剥きだしに、巨大猫じゃらしを追うが、さすがに蔵人が振るうほうが速い。

 小さな狩猟者たちは、蔵人に馬鹿にされていることも忘れ、夢中で巨大猫じゃらしを追いかけた。


――ベシッ


 不穏な音が響く。

 雪白は我慢に我慢を重ねていた。

 あの緑色の悪魔を見まいと目を瞑り、音を聞くまいと耳を倒す。 

 だが、蔵人の鬱陶しいまでの気配は無視できない。

 そして、反応してしまった。

 以前とは違い一撃で屠ったことに満足する一方で、いたたまれなかった。


 雪白の前脚の下で、巨大猫じゃらしが、折れていた。

 

 牙猫たちが不満げに鳴いている。

 ボスとして、どうにも立つ瀬がない。

 だが、この緑色の悪魔は気に入らない。

 直せとも、直すなとも言えず、雪白は八つ当たりするように、蔵人へ尻尾を振るおうとした。

 

 そこで、蔵人と目が合った。合ってしまった。

 どことなく勝ち誇っているように見える蔵人。実際は牙猫たちへ向けたものであるが、一瞬で込み上げた羞恥に、雪白は気づかなかった。

 雪白は拭いがたい屈辱にぎらりと蔵人を睨みつけ、飛びかかる。

 小さな舟でどたんばたんと蔵人と雪白が取っ組み合った。

「おお、お前ぎゃ、悪いんだろうがっ」

 違う、お前が舐められているのが悪いんだっ、と雪白は肉球で蔵人の顔を潰す。

 蔵人が力いっぱい尻尾を引っ張ると、雪白はさらにぐりぐりと前脚に力を込めた。

 肉球に押しつぶされ、ろくに呼吸もできなくなった蔵人は、牙猫どもへの怨嗟を胸に募らせたまま、意識をなくしていった。

 それを見た牙猫たちはやはり、という思いを抱いていたとか。

 雪白は親分、自分たちはその子分、そして蔵人はそのさらに下の子分なのだと。




 蔵人は折れてしまった巨大猫じゃらしを見つめていた。

 これでは対雪白の武器がない。

 雪白は蔵人の後ろでそんなもんいらん、と言いたげにつーんとそっぽを向いているが、耳は蔵人のほうを向いていた。なんだかんだで気になっているらしい。

「ん? なにそれ?」

 そこへファルードを伴ったマルヤムが姿を見せた。

「牙猫が反応する玩具だ。本当ならこれより小さいのが普通なんだが、これは雪白のだしな」

 違う、お前が勝手に作ったんだっ、と雪白は蔵人の後頭部をぺしぺしと叩く。

「へぇ、どんな風に動くの?」

 蔵人は腕を折れた柄の部分に見立て、振った。

 ぴくりと僅かばかり雪白が反応し、それが屈辱であったのか、僅かに蔵人を叩く尻尾の力が強くなる。

「ん~、なんかその動き見たことがあるような……ああっ」

 記憶を探っていたマルヤムはタターとどこかへ走り去り、しばらくして戻ってきた。

 その手には、蔵人の腕ほどの長さもある、でろんとした何か。

「……それはあれか?」

「そう。千年万足(ヘザルパ)の干したやつ。こうなると食べられないんだけど、舟と舟の間の緩衝材に使ったりするのよ」

 マルヤムが干した千年万足の片方を持ち、揺すると、それはまるでゴムのようにみょんみょんとしなった。

「牙と脚を落とせば使えるでしょ?」

 マルヤムの言うように、乾燥して縮んだ千年万足は牙と脚さえなければ節のある木材に見えないこともない。

「へえ、使ってもいいのか?」

「ふふ、いいわよ。そのかわり、小さいのも作ってね」

 マルヤムは小さな干し千年万足を蔵人へどさりと手渡した。

「……貴重品じゃなかったのか?」

「色んなことに使えるから、食べる分にはなかなか回せないのよ。これはかなり古くなったやつだからね、父上からぶんどっ……おねだりしたのよ」

 蔵人は頭をかりかりと掻く。

 先端の毛の部分はどうするか、ちらりと雪白を見て、ブラシを取り出した。

「……いろいろ持ってるのね」

「こっちのブラシはそうそう作れない。毛を持ってくるなら作れるがな」

 蔵人がそう言うと、マルヤムは無言でどこかへ駆けだした。


 猫じゃらし、そして牙猫用のブラシを作ることが確定した蔵人は、ずっと喋らなかったファルードを見る。あわよくば巻き込んでやろうという気であったが、ファルードは気まずそうについと目を逸らした。

 絶望的に不器用らしい。

 蔵人は一つため息をついてから、まずはとばかりに雪白とアズロナのブラッシングに取りかかる。

 無論、猫じゃらし用の毛を採取するためである。牙猫用ならば、二人のものでも十分に足りる。

 

 


 巨大猫じゃらしが、しなり、振われ、雪白の目の前を通過していった。

 しなりが良くなり、速度も上がった。緑鬣飛竜の鬣と相性が良かったのか、僅かに幻影すら生んでいる。さらに苛立つことに、乾燥する前は食べられるものであったせいか、前よりも妙に存在感を増している。これではもはや魔法具といっても過言ではない。

 緑色の悪魔が、復活、いや再誕してしまった。

 そのことに無性に苛立ちながらも、雪白は目の前で追いかけっこをする牙猫たちを見つめて、頬を緩めた。


――テシッ


 だが、やはり気に入らない。

 見事に逃げ切った悪魔の気配に苛立ちながら、雪白はそれを振るった蔵人をぎらりと睨みつけた。


 マルヤムはその近くで蔵人に作らせた小さな猫じゃらしを使って、牙猫と遊んでいた。無論、アズロナが寂しがらないように抱き抱え、空いた手で牙猫たちを翻弄していた。

 猫じゃらし。そしてブラシ。

 これは少しずつバーイェグ族に行き渡った。

 実のところ、牙猫たちを歓迎していない者もいた。だが、牙猫たちがそれとなく子供たちのお守りをし、さらにはバーイェグ族ですら見逃すような小さな魔虫、赤子の耳をかじってしまうような害虫を捕え、舟団内の衛生状態改善に少しばかり貢献したことで、それも自然となくなった。

 むしろ、牙猫たちと上手くやっていくために、猫じゃらしとブラシの需要が少しずつ増えていくほどであった。



 ひゅんと振われる小さな猫じゃらし。

 それにじゃれつく牙猫。

 時はもう夕暮れであったが、マルヤムは楽しそうに、飽きることなく遊んでいた。

「なんだか小さい頃を思い出すね」

 マルヤムの横で牙猫たちによじ登られるままになっているファルードが答える。

「……四翼鷲(グラフ)のことか」

 六十年以上も昔、マルヤムもファルードも小さかった頃、四翼鷲という魔鳥が翼を痛めて舟団に落ちてきた。二人とニルーファルはそれをこっそりと治療し、自分たちの食事を分けた。

 最初は警戒していた若い四翼鷲も、三人の献身的な姿に警戒を解き、最後はマルヤムの腕に乗るまでに馴れ、回復した。

 だがある日飛び立って、帰ってこなかった。

 無事に回復して、旅立った。

 そのことが誇らしくて、そして同時に悲しかった。

 牙猫たちを見て、マルヤムはそれを思い出していた。マルヤムがアズロナをかまい倒すのも、同じような飛行生物ということが影響しているのかもしれない。

「……あれが四翼鷲の性分だ」

 四翼鷲は巣立ったあと、繁殖以外では巣を持たない。生きていく大部分を大空で過ごす。それが彼らの生き方であった。

「そうだね。それぞれに生き方があるもんね」

 二人とじゃれつく牙猫の影はしばらくの間、砂舟の甲板に伸びていた。




************




 アルワラ族族長のバスイットは使者の情報を受けた『風』からの報告を聞きながら、己の眉間に深々と溝が刻まれるのを感じていた。

 本来であれば、砂舟の到着よりも速くこの情報を得ることなど不可能であるが、バーイェグ族対策の『風』ならば別である。足の速い瘤蜥蜴をオアシスで乗り換え、砂舟よりも速く情報を伝達させることを可能にした。砂漠限定ではあるが。


 舟団へ使者をやり、ガズランで略奪もやらせた。ファラハーン氏族の略奪を妨害した白い守護魔獣連れの旅人が、現在どこまでバーイェグ族の影響下にあるかということを試すつもりであった。

 だが、状況は面白くない。 

 以前、略奪妨害をした守護魔獣を連れた旅人であるが、今回の略奪には介入しなかった。

 ラロという奴隷の話から察するに、極めて高尚な精神の持ち主であるらしいが、それが介入しなかったとなると、想像以上にバーイェグ族の影響下にあると言える。

 バスイットは眉間の皺をゆっくりと解し、瞑目する。

 また支配が一つ遠のいた。

 積年の夢である砂漠と砂流の統一。かつての黒賢王の後継としての野望。

 アナヒタと砂流の知識を占有するバーイェグ族こそがそのカギであった。砂流さえ支配できれば、すべてを支配することになるのだから。


 だがバーイェグ族にもジャムシドと対等に渡り合える守護魔獣がいるとなれば、そう易々とはいかない。

 今しばらく、様子を見るほかない。それはジャムシドと契約する前に戻るというだけのことであるが、そうなると男衆の気を逸らす必要があった。

 略奪にはアルワラ族の男衆の息抜きという意味合いがある。血気盛んなアルワラ族の男たちは部族の決定には絶対に従うが、だからといって鬱憤がたまらないわけではない。なぜジャムシドがいるのにバーイェグ族を力尽くで従わせないのか、と思わないわけがない。

 溜まった鬱憤は奴隷の扱いや周辺の治安にも影響を及ぼすだろう。

 ときたま略奪で息を抜かせるのも族長の仕事である。今さら略奪などしなくても生きてはいけるが、略奪はすでに習慣となっている。禁止させることもできない。

「……少し東へ伸ばすか」

 黒竜の縄張りぎりぎりまで、東へ遠征し、支配地を広げるしかなかった。



 


「くそっ……」

 ラロの口から、力ない悪態が零れた。

 顔にこそ傷はなかったが、その全身には殴られた後があり、尻は激痛を発している。

 何かしら鬱憤の溜まっているらしい族長の長男マフムードや他の男衆には殴られ、蹴られ、族長の血筋にある老齢の男にはたまに犯されていた。

 バスイット、そしてジャムシドは知っていて、何も言わない。バスイットにとっては叔父にあたる人物であってその行動に多少は目こぼししなければならず、ジャムシドはただそれが楽しいというだけの理由である。

 ラロの憎悪はたまる一方であった。

 

「……どうぞ」

 薄汚れた天幕で這いつくばっていたラロに、女が水差しを差し出しながら声をかけた。

 同じ奴隷であるイスラであった。小柄な身体に、薄緑色の肌、断ち切られた頭部の角。アルワラ族に破れた有角種は奴隷になると同時に角を切られて生きていくことになる。

 そのため、『角無し』というのは有角種が用いる場合には侮辱する言葉であり、有角種以外がこの言葉を用いる場合は通常の人種を指すことが多かった。

 同じ奴隷とはいっても、イスラはハイサムの奴隷で扱いは良く、自分とは雲泥の差がある。

 だからといって、奴隷とはいえ女のイスラにラロが強く当たるわけもない。

「助かる……だが、もう近づくな」

 奴隷が奴隷に情を寄せても、ろくな事になるわけがない。社会の底辺を渡ってきたラロにはそれがよくわかっていた。

 もちろんそれはラロ自身のことである。優しくされれば絆される。それがいつか傷になる。

 イスラは痛ましそうな顔をしながら、天幕から出ていった。


 その夜、ラロはいつものようにジャムシドに話していた。

 マフムードたちの暴力、爺どもの陵辱、それよりも神経を削る。一つ間違えば、首と胴体が一瞬で泣き別れになるのだから。

 しかし、話すことが無限にあるわけでもない。もはやあることないこと、話し続けていた。


『――もう少しで、奴らが来る』

 珍しく、ジャムシドが意思を発した。

 そして、ジャムシドの計画ともいえない計画が告げられ、ラロはこのとき初めて、蔵人の生存を知った。ジャムシドやバスイットはラロから話を聞くだけで、何も言わないのだから知りようもない。

 ラロはジャムシドの話を聞いて、しばらく考え込んだ。生きるため、今のラロにはそれしかない。


 ジャムシドとしては、雪白の事を知るラロに話せば何か起こりそうだ、という程度のことであった。

 西から続く因果、アルワラ族とバーイェグ族の諍い、そして雪白。

 愉快なことばかりであった。

「――もう一人、巻き込んだ方がいい、です。クランドやバーイェグ族の事を考えるとこのままでは、マフムードの独り相撲になる可能性があります」

『ほう』

 ジャムシドはこちらの様子を窺っているラロに続きを促した。





 それから数日後。

 ラロはふと最近、イスラを見ていないことに気づいた。

 最近の荒れ気味なマフムードたちやアルワラ族の様子に、なんとなく気になったラロはいつも自分を犯す爺にそれとなく聞いてみた。

「ああ、それか。奴隷を何人か、若い奴らにくれてやったからな」

 予想できたことで、ラロもそれほど衝撃は受けなかった。

 だが、確かな喪失感は深く深く憎悪にこびりついた。





*******



 


 十日後、舟団はニハーファという街に辿り着いた。

 ニハーファは蔵人が見た中でも一番大きな街で、中心の大きなオアシスから東西南北に広く街が続いている。

 ここはアルワラ族の支配地であるが、同時に砂漠と砂流の交わる一大交易拠点であり、街の西部は有力部族たちの取り決めによって中立地帯となっていた。


 砂舟での立ち位置が客人でしかない蔵人にはなぜこの街に来たのかなど知らされていないが、何か部族間の難しい問題があるのだろうと勝手に納得している。

 現に昨夕から族長や長老衆がアルワラ族との会合に赴き、空が白んできた現在まで帰っていない。

 そのため、一番舟から四番舟までの船頭、副船頭が総出でアナヒタの守りにつき、一番舟と二番舟、三番舟と四番舟の男衆が昼夜交代で警戒に当たっていた。


 他のマルヤムを含む女衆や男衆たちは買い出しに行っている。

 なにやら近々祝い事があるらしいというのは雰囲気で察したが、蔵人には知らされていない。いや、そもそも一般の男衆や女衆も祝い事があるということだけ知っているようであった。

 そんな中、蔵人はといえば、舟団で留守番である。

 砂流の流れが変わり次第、アルワラ族とは関わらないような土地に移住することが決まっているため、わざわざアルワラ族が多くいる街へ赴いてトラブルを招くこともない、という判断であった。


 蔵人たちは舟団の最後尾からニハーファを眺めていた。

 そこにはいつか蔵人が夢想したような砂漠の街があったが、その内情をある程度知った今となっては、美しき砂漠と人の営み、などと美化することもできない。

 ただただぼんやりと見つめるだけであった。

 さすがに今日はニルーファルとの訓練がなかったらしく、雪白は蔵人の背もたれとなっており、アズロナも近寄ってきた牙猫を頭に乗せて、楽しそうにしている。

 

 すると、日が半分ほど顔を出した頃、ニハーファが騒がしくなった。

 ニハーファの東、街の奥から砂煙が上がり、街の中からも砂塵が舞い上がっている。

 よくよく目をこらすと、鳥と蜥蜴が爆走していた。家畜として飼われている瘤蜥蜴と毛長大鳥である。

 街の外で飼われていたもの、そして街の中で売買されていたものの両方が、なぜか狂騒状態となって暴走しているようであった。

 瘤蜥蜴はともかく、クジャクとダチョウとニワトリを足したような大きな鳥が羽根を広げて爆走し、それに追い立てられる街の者はひどく滑稽である。アルワラ族や他の部族の戦士たちもどうにか宥めているが、あまりにも数が違っていた。部族の財産であるため傷つけるわけにもいかず四苦八苦している。

 魔獣の暴走(スタンピード)という感じではない。

 

 蔵人は馬鹿でかい鶏顔のダチョウにはね飛ばされているアルワラ族を眺めながら、精霊魔法や雪白が動けば楽なんだがな、と思っていると、そこにニルーファルがやってきた。

「協力してくれ。すぐに街を抜けてこちらに来る」

 来たとしても砂流へ落ちておしまいだろうが、それを見て見ぬふりをするわけにもいかないらしい。

「すまん、ユキシロは遠慮してくれ。アルワラ族や他の部族を刺激したくない」

 過剰な戦力といっても過言ではない雪白が動けば他の部族はバーイェグ族の野心を疑う。

 そう言われてしまった雪白であるが、食べていいならともかく、捕まえるだけならめんどいとばかりに大欠伸をしていた。


「……蔵人が頑張れば一頭くらいはお礼にもらえるだろう」

 ニルーファルがそう言うと、途端に目を輝かせた雪白が蔵人をせき立てる。

「わかった、行く、行くから。……ていうか、行っていいのか?」

 一応略奪妨害という前科がある以上はアルワラ族に近づいていいのか迷う蔵人。

「この騒動に乗じてアナヒタ様を狙う者がいないとは限らない。汝を都合良く使うようで悪いが、今は協力してくれると助かる」

 思ったよりも、面倒な事態になっているらしい。

「何か気をつけることは? 殺さない以外に何かあるか?」

「瘤蜥蜴は尾を、毛長大鳥は足を傷つけないようにしてくれ。あとは多少の傷ならば問題ない。街の者への連絡に関してはこちらでやっておくから呪術も好きに使っていい」


 それなら、と蔵人は装備を着込んで、舟団から飛び降りた。

 舞い上がった砂煙から、もうすぐ家畜の群れが街を飛びだしてくるのがわかる。

 蔵人は急いで、街を出てすぐの場所に砂壁を形成していく。

 安易には飛び越せない程度の高さがあり、それでいて怪我をしないだけの広さである。さらに漁網のように一度入れば出て行きづらい構造で、競馬場のように循環しているため、暴走している家畜はぐるぐる同じ場所を駆け回ることになった。


 そこまでやって、蔵人はようやく一息つく。

 あとはのんびり捕まえればいい。

 いきなり形成された砂の迷路に驚いていた街の者やアルワラ族たちも、中の家畜が無事だとわかると、そこで安堵した。

 あとは大人しくなってから捕まえればいいと、まずは街の中でまだ暴走している家畜を捕まえようと戻っていく。

 蔵人も、街に行ったきりのマルヤムたちが心配になって少しばかり街の入り口から覗いたのが、満面の笑みのマルヤムがすぐに見つかった。

 暴走した毛長大鳥を捕まえて抱きつき、ご満悦である。毛長大鳥はダチョウのような巨躯で暴れるが、マルヤムは首回りに飛びついてがっしと抱きついたまま、放さない。それどころか、相当に力が入っているらしく、鶏にも似た頭部が苦しげに鳴き声を上げ、クジャクにも似た華麗な羽根をばたばたさせている。


――ごけぇ……


 あれは死ぬんじゃないか、と蔵人が思いながら、他のバーイェグ族を探すと、買い出しに行った人数よりも少なくなっていることに気づいた。おそらくはこの騒動ではぐれたのだろう。

 バーイェグ族の男衆は入り口近くにいる蔵人を見つけると、瘤蜥蜴を捕まえながら軽く手を挙げた。

 蔵人もそれに応えて手を挙げ、街の入り口に向かってきていた一頭の瘤蜥蜴の首回りに抱きつき、力尽くで押さえ込む。雪白に比べればどうってことはないが、無傷で押さえ込むために身体強化を最大にした。

 毛長大鳥よりも、騎乗動物でもある瘤蜥蜴のほうが馬力はある。

 どうにかこうにか瘤蜥蜴を押さえ込む蔵人であったが、そこで異音を聞きつけた。

 

「……きゃっ」


 ほんの微かに、マルヤムの悲鳴を聞いた気がして、蔵人は慌てて声のほうを振り返った。


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