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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第六章 砂塵の向こうで
122/144

117-略奪者

◎アナヒタの戦闘能力について変更。

 昼間はかろうじて自衛出来る程度、夜は無力。(前話修正済)

 大筋に変更はなし。

 <(_ _)>


◎一万二千字。

いつもより少し短いです<(_ _)>

 


 インフルエンザじみた高熱に浮かされて横になっていた蔵人の耳にも、けたたましい雄叫びが聞こえた。

 だが、何故かバーイェグ族はその声に取り合わず、物音はひどくなるばかり。

 しまいにはニルーファルや男衆の咆哮まで聞こえてきた。

 何が何だかわからなかったが、放ってもおけず、蔵人はアズロナの制止を押しとどめて、叫んでいた。

「――水をやれっ」

 蔵人の声は戦場と化した舟団に轟く。風精魔法によって大ざっぱに拡声され、壊れかけのラジオのようにかすれていたが、その人知を超えた大声にバーイェグ族、そして半蠍までもが動きを止めた。精霊魔法に馴染みが薄いのだから驚くのも無理はない。

 

 だが、それ以上に半蠍が驚くように目を丸くしていた。

 そんな半蠍に熱に朦朧とする頭と節々の痛みに耐えていた蔵人が言い放つ。

「――いきなり襲うな」

 もっともなことであるが、半蠍とバーイェグ族はこの砂漠で何度も殺し合ってきた間柄である。今さら交渉もくそもない。

 ひときわ大きな半蠍がその無感情な瞳を蔵人に向け、あのしぃしぃという空気が漏れる音と破裂音を発する。

『言葉、わかるのか?』

「そんだけ叫べば聞こえる」

 半蠍の言語は独特で、強引に日本語の発音に近いものをあげるならば、『し』と『ぱ』に類する単語が多く使われており、語彙も少なかった。そのせいで、魔獣の鳴き声にしか聞こえなかった。

「――おいっ、汝は何を言ってる。半蠍の真似事などしている場合かっ」

 なぜか蔵人が半蠍と話しているように見えて、そのあまりに非常識な出来事に、ニルーファルは血わずらいも忘れて、蔵人に詰め寄った。

「うるさいっ」

 立っているのもやっとの状態で、ニルーファルの小言は煩わしかった。

「いいから答えよっ」

「見ればわかるだろっ」

 ニルーファルは言葉を失った。

 蔵人の声は、全体へ向けた怒鳴り声は半蠍には半蠍の言語に、バーイェグ族にはバーイェグ族の言語に聞こえていた。そしてそのあとの言葉は半蠍にのみ向けていたため、ニルーファルたちにとっては蔵人が半蠍の鳴き声の真似をしているようにしか聞こえなかった。


「……つまり、汝は半蠍の言葉が理解できる、と考えていいんだな? 」

「そうだ」

 どうやら蔵人の翻訳能力は半蠍を人に近い者、と判断したらしい。

「それで奴らは、水が欲しいと言ってるんだな? それ以外はなにかあるのか?」

 蔵人は半蠍に目を向けた。

「あんたらは水をもらったらどうする? まだやるか? それともまだなにか欲しいのか? 」

『水、あればいい。もう、戦いたくない』

「対価、いやそうだな、水のかわりに何かくれるか? 」

『食べ物、少ない。でも、誇り、なら、やれる』

「誇り? 」

『強そうな角、綺麗な鱗、大きな牙』

「――水が欲しいなら絶対にお前は動くな。それと手下を退かせろ。まだ戦うというなら、俺も戦う」

 半蠍を見上げながら、蔵人は鈍い感覚を強引に魔力でもって補って砂を周囲に浮かせる。

 精一杯の見栄を張って、隣にいるアズロナの鬣も撫でた。

『約束』

 蠍混じりの人と言えなくもない半蠍は、表情もないままに八つの目でじっと蔵人を見つめた。


 蔵人はすぐに返事をせず、ニル―ファルを見る。

「水だけでいいそうだ。戦いたくもない。あと水の対価にたぶん魔獣の素材なら譲れるらしい。それと、もう戦わないと約束するなら、手下を退かせるとさ」

 まるで通訳のような蔵人に、ニルーファルは大きく息を吐いた。死んだサハドの顔が浮かんだが、すまぬと謝りながら心の奥に封じ込める。

「手を出さないと誓おう。……あとでなぜ言葉がわかるのか教えてもらうからな」

 ニルーファルはそれだけ言い残し、櫂剣を背中に戻すと、族長に報告するためにひょいと跳んだ。

 蔵人は半蠍の八つの目をしっかりと見返した。

「約束だ」

 すると半蠍は、あっさりと手下を退かせた。

 そこまでいけばバーイェグ族も半蠍の言葉を信じるほかなく、こうして明け方に始まったバーイェグ族と半蠍の戦いは幕を引いた。




 半蠍たちには『パビル族』という部族名があるという。『黒い甲殻を持つ者』という意味であるとか。

 下半身はほぼ完全な蠍であるが、上半身は乳房を露出した女性である。ただし、その顔には切れ長であるが無感情な一対の目と、三対の小さな側眼があり、頬から首にかけて硬質な表皮もある。下半身には蠍らしく大きな鋏や蠍の尻尾もあるが、毒はない。感情の起伏にも乏しく、それゆえか表情というものもほとんどない。

 このパビル族に限って言えば、雌しか存在せず、子供を作る場合は同種の雄集団又は他の種族の男の下に出向いて子種をもらい、戻ってくるという。

 だが、なぜ言葉を話すほどの文化があるというのに、交渉を試みなかったのか。

 無ければ、奪えばいい。

 それが彼らの信条であった。ただ、定期的に水を分けてくれるのなら、長年その強さを嫌というほど思い知らされたバーイェグ族とは敵対したくない、というのも本音であった。


 

 その後、蔵人がふらふらになりながらも通訳を務め、年に一度、アナヒタが水を、パビル族が砂漠の奥地にしか存在しない稀少な魔獣の素材や鉱物を提供することで和睦した。

 お互いに賠償などは求めなかった。

 バーイェグ族は涙を呑んで恨みを押し殺し、パビル族はそもそもがそういう感覚に乏しいようである。これから水を得られるようになれば一族は自然と増えていく。それでいい、という感覚らしい。

 バーイェグ族とパビル族。あまりにも文化も食性も違うが、これから『水』という一点で付き合っていくことになる。もっとも、この交流がきっかけでパビル族も食人に類する文化を見直すことになるのだが、それはまだ先の話であった。


 通訳として二つの部族の間を取り持った蔵人であったが、見事に病を悪化させつつあった。しかし死んだバーイェグ族の男たちの弔いには無理を押して参加した。

 バーイェグ族のすべての者が大舟と中舟の甲板に集まっている。アナヒタを含めた全員が黒い布を頭から被り、パビル族から返還された男衆、サハドとアスランの遺骸を見つめていた。

 遺骸は黒い布に包まれ、顔しか見えない。だが蔵人は知っていた。その黒い布の下、遺骸の胸の上には蔵人が小さな甲殻に描いてやった許婚や妻の絵があることを。

 相方のいるほとんどの男女に描いてやったのだから当然であるとはいえ、それが己との確かな繋がりを示しているようで、蔵人は小さな喪失感を感じていた。サハドもアスランもどんなやつであったか、ほとんど覚えていないというのに。


 蔵人にはいまだにあのまま戦っていたほうが良かったのではないかという思いがある。

 そうすれば恨みを一方的に呑み込ませる必要などなかった、と。自分ならばきっと、戦って仇を討ちたいと思うだろう。少なくともなんの賠償も求めないということはありえない。

 だが、それでは犠牲者が増えていたかもしれないし、賠償を取れば今後の関係が拗れる可能性もある。

 蔵人は自分が当事者であったならどうすればよかったのかと自問しながら、バーイェグ族の弔いを見つめていた。


 「――ザンドが子、サハド。貴方は悪戯ばかりしていましたが、いつも仲間を庇うように戦っていました。バーバクが子、アスラン。貴方は誰にでも優しく、子供たちに慕われていました。わたくしは貴方たちに守られたことを誇りに思います。――祖神の元へお行きなさい」

 目尻に自らが生み出す水と同じ色の、うっすら赤みがかった涙を浮かべたアナヒタがサハドとアスランの遺骸に赤い水を振りまき、黒い布を被せた。

 するとそれを男たちが担ぎ上げ、大舟から中舟、そして先頭の小舟の船首まで運んでいき、そして砂流へと投じる。

 男衆は決して泣かなかった。ニルーファルも仲間と遠縁の一人が死んだというに涙を零さなかった。

 だがその代わりに、女衆が泣いていた。マルヤムが涙を流した。

 夕暮れに染まった砂混じりの風が、女たちの啜り声をさらっていった。


 パビル族は離れたところからバーイェグ族の葬送を見つめていたが、彼らに弔いという概念はなかった。死というものは当たり前で、その死骸すら食料にしなくてはならなかったのだから、そんなことを考える事などなかった。

 ただバーイェグ族を見ていると感じるものがあったのか、ゆらりゆらりと踊り出した。

 パビル族はどんなときにも踊る。わき上がる小さな感情を逃すまいと。


 だがそれは、バーイェグ族には理解不能であった。

「っ、あいつら……」

 サハドやアスランと親しかった男衆たちが特に敏感に反応した。恨みを押し殺したとはいえ、恨みが消え去ったわけではない。

 しかしそれを蔵人が手で制し、ふらふらと船縁に近づくと、じっと彼らの踊りを見つめ、歌とも言えぬような歌に耳を澄ませた。

 そして、バーイェグ族のほうに向き直ると告げる。

「……弔いについてあいつらは理解していない」

 そう言われて納得できる者などいないが、それにかまわず蔵人は続ける。

「ただ、わからないなりに、バーイェグ族の男たちの勇猛さを称え、惜しんでいる。もちろんそこに自分たちの勇猛さを謳う部分もあるが」

 パビル族に好敵手などという考え方は存在せず、これは彼らにとってはある意味で矛盾した感情であった。だが、彼らにとって初めての感情をそのままに、相反するままに歌い、踊りにしているようであった。


 男たちはそれを聞いて、押し黙る。

 こと掟を破りがちな蔵人は、ああ、あの困ったやつか、という風に大多数の者からは苦笑されるような存在となっていた。だがそれだけに、この状況で半蠍を庇うことはない、という不可思議な信用があった。そうでなければ、義憤を起こしてわざわざ略奪に介入はしない、と。

 ゆえに、バーイェグ族は蔵人の言葉を信じた。

「――異種族にすらその勇気を称えられ、弔われた二人を誇りに思いましょう」

 さらにアナヒタがそう言うと、もはや男衆に否やはない。弔いは再び静けさを取り戻した。


 砂流に流れていく黒布に包まれた遺骸。

 パビル族の不思議な歌、すきま風や空気の泡が破裂するような微かな音色と奇妙な踊り。

 地平線の太陽はすでに輪郭だけとなり、夜の闇が砂流ごと遺骸を呑み込むかのように広がっていた。


 アナヒタは何度繰り返したかわからぬその光景に、胸が締めつけられるようだった。

 自分はただ守られるだけ。男衆や女衆、いや家族の死を見つめることしかできない。まるで己が死地へ送っているような気にすらなっていた。

 それを醜いと思わないほど、アナヒタは鈍感ではない。

 だが、バーイェグ族はこういう風にしか生きられなかった。

 アナヒタがいるゆえに水には困らない。生まれつきの力ゆえに武力もある。長い歴史が砂流を乗り越える術を与えた。

 だがそれだけに狙われた。狙われないために、恨みを買わないために、平穏を目指した。融和した。

 しかしそれは、耐え続けることだった。

 アナヒタは深く深く祈りながら、家族の亡骸を見送る。それだけが、唯一出来ることであった。

 



 翌朝、舟団はパビル族の本拠地近くの砂流に停泊し、船頭たちの護衛の元でアナヒタが枯れかかった小さなオアシスに水を注ぎ込んでいた。

 通訳のために病を押して参加していた蔵人であるが、パビル族に伝わる秘薬により、病は治らないまでも、緩和された。

 それでも身体の怠さは抜けないため、大岩の陰で雪白にもたれかかって身体を休ませながら、パビル族を描いていた。

 するとパビル族の女王が近づいてきた。

 女王とはいっても部族社会であるため、酋長や族長といったほうが近い。

「子種、欲しい」

「ん?……ああ、男衆との仲介か。今は、無理だろ」

 強き事を至上とするパビル族にとって、バーイェグ族の強さは十分に婿たり得るだろうと蔵人は察するも、昨日まで殺し合いをしていた間柄でそれは無理であろうと言った。

「違う。お前の」

 蔵人はぽかんとしてしまった。まずもって、初対面の女に一目惚れされたことなどない。

 後ろでは雪白もぽかんとし、アズロナは理解していないのか小さく首を傾げていた。

「白く美しき君が、信頼する者。言葉、まじない」

 白く美しき君とは、雪白のことで、まじないとは精霊魔法のことである。

 雪白は今回、蔵人とアズロナを守りながらの戦いであったために防戦となっていたが、その強さはパビル族を恐れさせたようである。水がなければ死ぬ、という状況でなければ攻撃するなどありえない、と。

 女王の言葉を聞いて、ああと蔵人は納得した。

 愛どころか恋すらも関係ない。徹底した現実主義が、蔵人を選ばせたのだ。自分たちにはない物を持つ男を。

 蔵人としては上半身はともかくとして、下半身が問題である。それに戦争とはいえ、バーイェグ族の男衆を殺したのだ、まだ感情面では半蠍にしこりもあった。

「……無理だな」

「無理? 人の男とも交われる」

 無理という言葉を身体的な無理と解釈したらしく、女王は人の身の上半身と蠍の下半身の接合部より僅か下に手をやり、見せつけた。

 どうやら羞恥というものももまったくないらしい。

「……最低限は隠せよ」

 意味がわからないという顔をする女王。

 アマゾネスといっても過言ではないほどの女系集団ゆえに、羞恥心というものがないのかもしれない。もし蔵人がバーイェグ族の客分ではなく、雪白もいなければ、いろいろな意味でぱっくりいかれていた可能性は十分に高かった。


「日常は最低限隠して、ここぞというときに見せるもんだろ。多少の露出は悪くないが」

 蔵人はそう言いながら、ささっと女王を描き、そこに踊り子風やビキニアーマー風の衣装を書き足して、見せた。

 それをまじまじとのぞき込む女王。

「服? 必要?」

 女王はあまり理解してはいないようであったが、蔵人の微妙な哲学はパビル族の文化に影響を与えた。

 そもそも羞恥心が薄いせいか、これ以後も本当に最低限の衣服、強大な魔獣の素材を身につけた砂漠の踊り子風衣装しか身に纏うことはなかったが、たったそれだけで男の食いつきが良くなったことはパビル族には衝撃的であった。

 パビル族の踊り子。

 百年以上あとにそう謳われるようになる。舞台の上でも、そして寝台の上でも伝説を残したとか。

 



 数日後、砂舟は再び砂流に乗った。

 病もようやく快方に向かい、蔵人は久しぶりに寒気も気だるさもない身体に感謝していた。

 そこで、なんだかんだと蔵人の看病をしてくれた雪白やアズロナに礼を言って、その首や頬を撫でようとしたのだが、雪白たちは近づいた分だけ逃げていく。

「ん? 機嫌が悪いのか?」

 てんで見当外れな答えに雪白は牙を剥いて唸った。

 蔵人は意味もわからず、再び近づいてみるが、雪白たちはそっぽを向いて遠ざかる。


「……ああ、そうか。臭いのか」

 いかに乾燥している砂漠とはいえ、蔵人は十日ほども熱にうなされ、汗をかいている。汗と汚れ、体臭などさまざまな匂いがこびりついていた。多少拭ったところで消えるはずもない。

 蔵人の習慣に付き合って生活してきたため、綺麗好きになった雪白とアズロナにはそれが耐えられないようである。

 そっぽを向く雪白たちを見てそう察した蔵人は、苦笑した。

 雪白が早く行けとばかりに蔵人を追い出しにかかり、万年床と化していた蔵人の寝床を掃除し始める。

 まるでおかんだな、と思いながらも蔵人は追い出されるままに小舟を出て、熱舟(ねっせん)に向かった。

 熱舟とは一隻丸ごとが浴室になっている小舟で、基本的には日中の暑いとき、熱を溜めやすい性質の石でもって熱を溜め、それを夜に取り込み、水をかけてサウナとした舟である。

 加えて、アナヒタがいつも血みどろ汗みずく、砂まみれになっているバーイェグ族の男衆のために、身体を洗う水を用意してくれていた。当然女衆も入ることができるが、混浴の文化などなく、使用する時間は男女で決められている。


「……さぶっ」

 深夜も深夜、最も寒いときである。蔵人は外套の前を合わせ、暗闇の中を精一杯の早足で熱舟に向かう。この時間帯は石も冷えてしまいがちで、人はほとんどおらず、遠慮もいらない。

 久しぶりに身体を流せるとあって、蔵人は暗闇の中で鼻歌など歌いながら脱衣所で作業着を脱ぎ、浴室のドアを開けた。


 先客がいた。


 ほとんど真っ暗闇の状態であったが、ここに来るまでの間にわずかばかり夜目が利くようになっていた蔵人の目には、その輪郭と肌がぼんやりと見えていた。

 薄闇色の肌をした女性らしい曲線と、豹のようなしなやかさが共存する見事な肢体。膂力を魔力で補っているせいか目立つような筋肉はないが、その内に秘められた野性的な力がにじみ出ている。

 ニルーファルであった。

「――もう身体はいいようだな」

 蔵人に見られたことなどまったく気にしていないかのように、ニルーファルは蔵人の身体を気遣った。

 蔵人の目がほとんど利いていないということを知っているとも言えるが、ニルーファルにとって、こんなことは船頭になったときから覚悟していたことであった。女が男の仕事をやろうというのだから、こんなことで恥ずかしいなどとは言ってられない。羞恥心で仲間を殺すことになっては本末転倒である。


 そんな男らしい、いや戦士らしいニルーファルと違い、蔵人は目を逸らすわけでもなく、凝視してしまっていた。それが蔵人らしいといえばらしいのだが、ここまで堂々とされてしまうと、蔵人のほうが卑しく思えてくるのだから、不思議である。

「……すまん」

 蔵人はそう言いながらなんとか目を逸らして出ていこうとするのだが、ニルーファルは手近にあった布で身体を隠しながら、それを止めた。

「病明けだ。身体を洗え。といってももう冷え切っているからな、流すだけにしておけよ」

 すでに熱舟は冷え切っていた。だが、そんな冷え切ったサウナで水浴びをしているニルーファルも無駄に男らしすぎる。

「……たぶん、まだいる。温まっていけばいい」

 このままではさすがに可愛そうだと、蔵人はほとんど熱が逃げてしまっている山積みされた石の中の火精をかろうじて見つけ、過剰といえるほどの魔力を渡して、再び石を熱した。

 精霊が荒々しいとでも表現するしかないこの砂漠で、本来火精のいない夜に火精魔法で石を灼熱にするというのは、蔵人の魔力を持ってしても半分ほども持っていかれてしまう。

 蔵人は熱した山積みの石に、いつもの水をかけ、蒸気を発生させた。


 白煙が一気に噴き上がり、急激に温度の上昇し出した浴室にさすがのニルーファルも目を白黒させた。

「……汝は砂の呪術師ではなかったのか? 」

「ああ、そういえば、ほとんど砂しか使ってないな。使えるか使えないかは別にして、砂以外にも火や風、闇なんかも扱える。戦闘に使えるのは闇と氷と砂くらいだがな」

 浴室の温度が上がりきったことを確認して、蔵人は浴室を出ようとした。いかに蔵人が色情魔の一歩手前といえど、いつまでもここにいるような度胸はない。

「……病がぶり返してもよくない。温まっていけ」

 ニルーファルはもうもうと立ちこめる熱い白煙に紛れながらそう言った。色っぽい話などではなく、ただただそのほうが効率が良いというだけのことである。

 そう言われてしまえば、基本的にだらしのない蔵人が断れるはずもなく、蔵人も水で身体を流してから、布で下半身を隠し、少し離れてニルーファルの隣に座った。


 すぐに、沈黙が流れる。


 サウナで男と女が二人っきり。しかし、いつも衝突する二人では色っぽい展開になろうはずもない。ましてや相手はあのニルーファルである。

「――パビル族とのこと、礼を言わせてもらう」

 蔵人からすれば、サウナで異性が二人っきりになることをニルーファルが許すなど違和感があったが、この言葉で納得した。礼が言いたかったのだと。

「……いや。結局間に合わなかったからな」

 病で寝ていたとはいえ、その間に二人も死んでしまった。

「汝が責任を感じる必要はない。これまでも奴らとは殺し合ってきたのだからな。パビル族との和解は正しかった。でなければ、我らも、そして我らの子孫も同じように、未来永劫殺し合っていたであろう」

 蔵人が言葉を探していると、さらにニルーファルが続けた。

「もし仮に、言葉がわかることを黙っていたなら、我はそれこそを軽蔑する。ああすることこそが、我らの矜持で、生き方なのだ。だからこそ、誰も汝を責めなかった。むしろ誇りに思え。汝は我らの子孫を救ったのだと」

 そうなのかもしれない。本人たちがそう言うならば、それが正しい。


 だが、蔵人には納得できなかった。

「……なんで、そこまで堪える」

「――それが我らの生き方だ」

 あまりにも端的過ぎる言葉に、蔵人はやはり納得しない。

 その気配に気づいたのか、ニル-ファルはさらに続けた。

「アナヒタ様が平穏を望み、我らもまたそれを望んでいる。だが、この砂漠で生きるには、血を流さないわけにはいかない。それを極力減らすために、恨みを呑み込み、堪えるのだ。我らが堪えて、それが幾ばくかの平穏となるならば、それでいい。たとえ、それが危うい均衡の平穏であっても、未来につながる」

 資源の限られたこの砂漠では、話し合いでは治まらないことのほうが多い。部族単位の結びつきが非常に強く、長い歴史に綴られた恨みの連鎖も幾多ある。

 だが、恨みを堪えれば、流れる血が減る。

 水を配れば、資源をめぐっての争いも減る。

 争いが減れば、恨みも自ずと減っていく。

 そんな気の長くなるような考えの元で、アナヒタとバーイェグ族は今の平穏を作り上げていた。無論、自分たちが生き残るためでもあるが、そうして生きていく内にそれが生き方となっていた。


「――ああ、そうだ。もう病は治ったんだ、しっかりと言葉のことを教えてもらうからな」

 最後にそう言って、ニルーファルは熱舟を出ていった。

 暗闇に白煙という極めて視界の悪い中であったが、蔵人はその後ろ姿に見惚れてしまう。

 颯爽としたニルーファルの汗ばんだ背中と臀部。

 こんなときであっても、蔵人の目は、蔵人らしかった。

 しかしそれを見ながらも、蔵人は考えていた。

 作り上げた自分の生き方と、それとは正反対ともいえるニルーファルたち。

 なぜ、バーイェグ族だけが傷つかねばならないのか、納得はいかない。

 だが、ニルーファルの言いたいことはわからないでもなかった。


 


 蔵人は丹念に身体を洗ったあと、夜間警戒をしているニルーファルの横に並び、なぜ己がパビル族の言葉が理解できるかを話した。

 とはいえ、生まれつきそんな能力があった、という程度のことである。わざわざ召喚のことまで話す必要もない。

「このことは、あまり言いふらさないでほしい。何かあるとも思えないが、念のため、な」

 そう言って蔵人が話すと、ニルーファルは少し驚いたような顔をしたが、それだけであった。

「……アナヒタ様と族長にだけは話させてもらおう。……それにしても翻訳能力か」

 言葉がわかれば、未知の種族を相手にしたとしても敵対することなく、共存を模索できる。

 ニルーファルにとってはそれがなにより、羨ましいようである。

「――汝がいる間はパビル族のときのように通訳してくれれば助かる。他の蛮族、いや、部族はまだいくつかいるからな。さて、数日で次の街につく。忙しくなるぞ」




 ニルーファルの言うとおり、数日後にガズランという街に到着する。

 ここは小さなオアシスでありながら、アルワラ族の息がかかっていない交易地であった。

 舟団はここで水を譲ったり、手に入れた珍しい素材を売り払ったり、買い出しをしたりと忙しくなる予定であったのだが、予定は大きく変更された。

 ガズランから砂塵が舞い上がっていた。

 門は開け放たれ、そこから瘤蜥蜴に跨がった略奪者が出入りし、略奪品を運び出している。財宝、食料、そして奴隷。

 悲鳴、怒声、絶叫、雄叫び、瘤蜥蜴の嘶きが街から響いていた。

 だが、バーイェグ族がそれを救出するか否かの相談をするよりも早く、とある部族が接触した。




 目の前で、略奪が行われている。

 蔵人はそれを舟団の上からじっと見つめていた。

 介入は許されなかった。

 まだバーイェグ族の厄介になっている以上は、手を出せない。もう二度目はないのだから。




 舟団に接触した部族は、アルワラ族の使者であった。

 使者は砂漠と砂流の境界に停泊した舟団の前で名乗りを上げた。

「――アルワラ族アヴァガン氏族アフマドが子、ガーフドだ。族長からの伝言があるっ」

 使者はすぐに中舟にとおされ、そこで族長と面会する。

 二人は挨拶もそこそこに話し始めた。

「まず、一つ。あの略奪は慣習に従って、うちがやっている。手出しは無用に願いたい」

 バーイェグ族がこの地を訪れることは日にちに多少のずれがあるとはいえ予測がつくことで、それを待つ間に、暇つぶしがてら略奪した、ということであった。

「……慣習に沿っているなら我らに言うことはない」

 族長のグーダルズは顔色を変えずにそう答えた。ガズラン側からも助けてくれとは言われていない。

 であれば、この砂漠の流儀では介入することはできなかった。無論、感情は別であるが、グーダルズがそれを表に出すことはない。

「話が早くて助かる。では本題といこう。すぐにでもニハーファに来て欲しい。例の件、といえばわかるであろう?」

 それだけでグーダルズには何が起こったかわかった。

「……いつだ」

「二十日ほど前のことだ」

 そうか、と族長は答え、使者と話を詰めていった。




 使者が帰ると、略奪者たちも引き揚げていった。

 バーイェグ族はガズランの救援活動に動き、蔵人もそれについていく。

 何度か治癒を行ってから、精霊魔法で破壊された家に応急処置を施し、略奪の跡を見回した。

 家のドアは開け放たれ、奴隷の母親がすすり泣いている。

 家財を失った老人が呆けたように座り込んでいた。

 今回は運悪く死んだ者がいた。だが、それでも慣習内におさまっているという。実際のところはアルワラ族の力に、この街が報復をしないという判断をしたに過ぎない。

 介入すれば救えたはずで、だからこれは自分の所為、などと過剰に背負う気はない。前回とて、もしかしたら蔵人の知らぬところで誰かが死んでいたかもしれない。

 だが、略奪を見て見ぬふりしたのも事実だった。

 目の前で老人がひったくりにあう、女が襲われそうになっている、子供が子供をいじめている。それを何もせずに、見て見ぬふりしたのと同じである。

 状況が違うとはいえるが、ならばどこからが介入てよくて、どこからが不介入の境界線なのか。


 力が無ければ諦めもつくが、決してそうではない。ジャムシド以外ならば、おそらく蔵人一人でも、正面から戦わずにゲリラ戦は可能である。そんなことをすればバーイェグ族に迷惑がかかってしまうために、できやしないが。

 異境の地で、文化や慣習を無視して我を通そうと思えば、傲慢にも見えることは理解していた。

 ならば、今の自分はどう見えるのか。

 鏡など見たくもなかった。


 そんな蔵人の姿をニルーファルやファルード、マルヤムが見つめていた。

 それでいいんだ、などとは口が裂けても言えない。慣習に沿った略奪ならば介入しない、というのは妥協の産物に過ぎず、ましてアルワラ族アヴァガン氏族は略奪する必要などない。

 介入しなかったこと、それが決して誇れることでもないことはニルーファルたちもわかっていた。

 危うい均衡が保たれた平穏の中で起こる、小競り合い。必要悪。

 そう言えなくもない。

 だが、ニルーファルの許婚もそれで死んでいた。

 必要悪などとは言い切れない。だが、見過ごさなければならない。

 それが、ニルーファルたちにとっての略奪であった。




 舟団は翌朝、ガズランを出発した。

 そんな中、雪白はひらりと舟団から飛び降りる。

 雪白とてあの略奪を見過ごすのは気分が悪かった。

 弱者は死ぬ。

 それが自然の掟であるが、雪白の知る人の社会は、決してそれを良しとするものではなかった。たとえそれが表向きのものだったとしても。もしかするとこれは蔵人の影響であるかもしれないが、雪白はそう思っていた。

 今回は蔵人が堪えた。

 だから雪白も、そしてアズロナも堪えた。

 だが、苛立つのは抑えきれない。

 ようは、ストレス発散であった。

 雪白の速度を持ってすれば、普段の倍以上の速さで進む砂舟にも余裕で追いつくことができる。

 今は砂幻も蜃気楼も克服し、自由に砂流と砂漠の世界へを出入りできるようになっていた。雪白にはジャムシドと違って空を滑空するための皮膜もあれば、砂流の上を数歩ならば駆けることもできる。雪白一人ならば、砂漠と砂流を自由に行き来することができた。

 もっとも、西へ戻ることはできない。さすがの雪白もあの砂嵐を巻き起こした強大な魔獣に勝てるとは思っていなかった。

 

 ジャムシドへの対策を考えたりしながら、雪白は何かおもしろいことはないか、強い魔獣はいないかと砂流を超えて砂漠に向かったのだが、そこで予期せぬ出会いをすることになった。



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