挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第六章 砂塵の向こうで

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

119/142

114-十日後

ちょっと長いです。(二万字ほど)


 それから十日の間、マルヤム、その付き添いのファルードが毎日蔵人の小舟を訪れ、蔵人は二人と親しくなるが、ニルーファルと顔を合わすことはほとんどなかった。
 四番舟船頭という現場責任者のような立場で忙しいということもあるが、単純に蔵人に興味がないようで、蔵人たちに関わるのは一日に一度だけ、それも手合わせをする雪白とであった。
 だが、蔵人としてはそれに不満はない。もう少しよく見てみたいという気はしていたが、それは毎日のように訪れるマルヤムで満たされることであった。

 それよりも、蔵人はバーイェグ族の生活に興味を持っていた。
 ダークエルフは、バーイェグ族は精霊魔法を使えない。かつて魔王に従ったエルフは、魔王が討伐されると精霊魔法を失ってダークエルフと呼ばれるようになったというミド大陸の神話はあるが、その話の真偽は別としても、バーイェグ族が精霊魔法を使えないというのは本当のことであった。
 水はあの赤い水を用い、煮炊きは日中の灼熱を利用している。氷精魔法で肉を保存しているような気配はなく、明かりは特殊な鉱石の行灯よりも淡い光を用いていた。操船に風精や土精を用いているわけでもない。
 日常生活のすべてを精霊魔法で行えるほどの魔力がないミド大陸の一般人でさえ、日常生活のどこかかしらに精霊魔法が根づいていたが、ここにはその気配はまったくなかった。
 それが蔵人には日本を思わせた。かつて見て、同じように惹かれた骨人種の生活とも重なった。
 いかに蔵人がぎりぎりの生活を送っていたとはいえ、冷蔵庫やパソコンがなかったわけではないが、それでも魔法はない。その魔法がないという一点が、砂舟と日本の生活をだぶらせた。

 もちろん尻を拭く石やムカデには今でも慣れないし、粒子のような細かい砂の混じった風も鬱陶しい。食生活もレパートリーに乏しく塩味のみで、昼夜の寒暖の差が激しすぎるし、絵以外の娯楽がないといえばない。一日をとおして水精はいないし、そのせいなのか夜に氷も作れない。氷精は存在するが、冷気しか操れなかった。もし冷気が操れなかったら、氷精魔法も使えなかったと考えると蔵人はぞっとした。
 それにファルードは相変わらず口数が少なすぎるし、ニルーファルには若干存在を忘れられているし、バーイェグ族に受け入れられたとはまったくいえない。

 それでも揺れない砂舟や砂漠の風景、美しいダークエルフたちを描くのは心が躍った。
 かつて蔵人が夢見た砂漠の風景がそこにはあった。蔵人の幻想を満たす世界がそこにはあった。
 雪白たちも昼間は不機嫌な様子で飛竜の双盾にかじりついているが、夜になると楽しげで、バーイェグ族からも嫌われてはいない。
 どうせ行く当てもない、ミド大陸への戻り方もわからない。
 ここから出ようにも、水を手に入れるのがそもそも難しい。ここ以外で水を手に入れるには、オアシスに行くしかないが、オアシスには大抵有力部族がいる。それなら、まだここのほうがいいような気がした。
 蔵人はしばらくの間は、ここで厄介になろうかと考えていた。



 そんな風に蔵人たちがバーイェグ族に拾われて十日が経ち、砂舟の舟団は砂漠の街エグバタに到着した。
 バーイェグ族は何故か日も明けぬ早朝から慌ただしくしているが、目下最後尾の砂舟に居候しているだけの蔵人は暇を持て余している。
 蔵人たちは何が始まるのだと、街の裏手に横着けした船団から街の者やバーイェグ族が忙しくしているのを見つめていた。

 いつのまにか粗末な服を着た獣人種や肌の色が薄緑や薄紫といった人種らしき者が、ぽつりぽつりと街から現れ、大きな水瓶のようなものを抱えたり、頭に乗せたりして、砂舟に列をなし始めた。
 すると、その周囲に何故か緊張感を漂わせたバーイェグ族が立ち始める。
 しばらくして列が街と砂舟をつなぐほどになると、汽笛の音にも似た角笛の音が三度響き渡り、小柄な老女がニルーファルやバーイェグ族の男たちに付き添われて砂舟から姿を現した。

 老女は、どことなく月の女神の女官長であるオーフィアを思わせるダークエルフであるが、それよりも小柄で、醸し出す雰囲気も柔和そのものといった感じである。
 舟を降りきったダークエルフの老女は街の顔役らしき者と一言二言何かを話してから、列をなしている者たちの前に立ち、そして列の先頭の者が持つ瓶へとそっと指先を向ける。
 そして、水を、『赤い水』を放出した。
 蔵人は息を呑み、老女を注視した。
 老女が『赤い水』を放出する姿は、まるで水精魔法を行使しているかのような光景である。
 確認するように雪白を見ると、雪白も少しばかり驚いたような顔をしていた。
 老女が水精魔法を用いて水を出しているのならば、蔵人や雪白も驚かない。単純にダークエルフが精霊魔法を使えないなど迷信だったと思うだけである。
 だが、老女からは水精魔法の気配はまったくなく、放出された赤い水にもその気配はない。ましてや自律魔法の気配もなければ、魔法具らしきものも見当たらない。

 何の脈絡も前兆もなしに、『赤い水』を『生み出して』いた。

 この世界の常識に慣れつつあった蔵人はしばらくこの現象に頭を悩ませていたが、ここは異世界で、さらには前人未踏の地であることを思い出した。
 そんなこともあるだろう、と蔵人はすぐに驚愕から立ち直る。なんせ元々地球には精霊魔法などないのだ、この世界に未だ知られていない精霊魔法よりも不思議なことがあってもなんらおかしくない。

 だが、もし蔵人が生粋のミド大陸人だとしたら、この光景はそれこそ驚天動地で、神の御業か、魔王の手下かと疑ってかかるほどの出来事である。たとえエルフであろうが、どんな種族であろうが、この世界の水に水精が存在しないなど、ただ一つの例外を除いて、あり得ないことなのだから。
 それからしばらく蔵人は老女を眺めていたのだが、どうやら老女は極めて安い値段で赤い水を売り、時には肉や木の実といった物々交換も行っている。
 水を買った者の嬉しそうな顔を見れば、それが法外な値段ではないのだと察せられた。
 そんな老女の水売りは、雪白が顔を顰めて早く中へと蔵人を急かすほど気温が上がっても続いていたが、バーイェグ族の警戒のお陰か、それとも水を売ってもらう者たちの自制なのか、何か騒動が起こるようなことは一切なかった。


 その夜のことである。
 蔵人たちが昼寝を終え、防寒を兼ねて装備を着込み、そろそろ食事を持ったファルードが来る頃だなと、すっかり思考までもがろくでもない居候に成り果てようとしていたとき、重い金属音が二度鳴らされる。
 蔵人が出迎えると、そこにファルードが立っており、いつものように招き入れようとするが、ファルードは首を横に振った。
「……一つだけ、問う。これより先も我らの客人としてここに滞在するか? 」
 様子見ともいえる掟の十日間が経過し、ようやくなんらかの反応があるらしい、と蔵人は察した。
「……迷惑じゃなければ。できることであれば手伝うが、俺たちを支配しようとするならどこかで適当に降ろしてくれ」
「……問題ない。ついてきてくれ」
 雪白とアズロナも一緒でかまわないらしく、蔵人たちは言われるままにファルードについていった。
 最後尾の蔵人が住んでいる小舟から、それに繋がるいくつかの小舟を経由し、中舟、そして舟団の中心にある大舟に蔵人は案内された。
 そこは中舟までにあった生活感が薄れ、神聖な空気の漂う場所で、蔵人たちは珍しげに舟内を見回してしまう。
「……あまり、見るな」
 どことなくぴりぴりしだしたファルードを珍しく思いながらも、蔵人はそれに従うが、一つ尋ねる。
「昼間の水を出す婆さまが、ファルードたちの大事なもんなのか? 」
 ファルードがピタリと歩みを止めて振り返り、真剣な目をした。
「……アナヒタ様こそが、我らの誇りだ」
 それだけしか言わずに再び歩き始めるファルードであったが、誇らしげな背中が心底からその言葉を言ったのだと雄弁に語っていた。



******



 砂舟がエグバタの街に到着する前日、蔵人が拾われた九日後の事であった。
 ファルードがアナヒタと呼んだダークエルフの老女、族長、氏族長、長老衆、さらには一番舟から四番舟までの船頭、副船頭が大船に集まり、蔵人たちの受け入れに関する臨時会合を開いていた。
 成り行きで蔵人の面倒を見ていた四番舟副船頭のファルードは、蔵人との手合わせによる私見、蔵人の小舟での生活態度を報告した。
「……問題ないかと思います」
 ファルードは口下手ながらも、簡潔に、ありのままを伝えたつもりだった。
「――クランドと申す旅人を受け入れた場合、アルワラ族を警戒させぬか? 」
 長老衆の一人が率直に危惧を漏らすが、ファルードの隣にいたニルーファルが答える。蔵人を助け、受け入れを提案したのはニルーファルであり、擁護すべきなのもまたニルーファルであった。
「その可能性は否定できません。しかし、砂漠に迷う旅人を見捨てることがあっては砂漠の民の名折れです」
 アルワラ族とは北部の砂漠を支配する有力部族で、近年急速に力をつけて成り上がり、虎視眈々とアナヒタ、そしてバーイェグ族の砂流知識を狙っていた。
「我らにとってそれが二の次であることは、お前が一番わかっているであろう? それにの、一度は手助けしたのじゃ、すでに義務は果たしたと思うがな」
「しかし、初代族長の遺言の一つにこうあります。西の果てより、黒髪黒瞳の人間が訪れたならば大いに歓待せよ。それが黒賢王様の願いである、と」
 黒賢王とは一万年ほどまえにバーイェグ族たちを救い、東に去った偉大な王とされている。残っている記録の中では最も古い記録であるが、部族に伝わる魔法具にそれはしっかりと記録され、この舟にもそれを複写した文書が保管されていた。
「……もはや他の砂漠の民どころか、儂ですら忘れかけていた記録をよくぞ覚えておるの」
 船頭の任をまっとうするため、ニルーファルはこつこつと勉強していた。
「――だが、それですらアナヒタ様の安全にはかえられぬ」
「かまいませぬよ。我が身が黒賢王様の願いに優先するなど不敬にもほどがありましょう」
 アナヒタが穏やかな口調でそう告げた。
「とはいえ、実際に対処することになるのは貴方たちですからね、可能な範囲でお願い致します」
「わかりました。しかし、やはりアナヒタ様を最優先に考えるのが我らの務めにございますゆえ……」
 異論を唱えた長老がなおもアナヒタにそう答えるが、アナヒタは微笑んだまま、それを否定しなかった。

 また別の長老が意見した。
「では、他の部族の内通者、もしくは暗殺者ということはあり得ぬか?」
「――ないと思われます。あれほどの守護魔獣と契約し、誰かの走狗になるとは考えられません。それにやつらが『角無し』を潜入させるとも思えませぬ」
「それだけの気概、そして力ならば、我らを、アナヒタ様を力尽くで奪うということも考えられよう」
「――すべてを晒したわけではないでしょうが、『呪い』を扱うような呪術師ではないようですし、その力も充分に対処可能です」
「守護魔獣殿はどうだな」
「……我では五合と持ちますまい。この舟団の総力を用いてどうにか撃退できる、というところではないでしょうか。その場合は本舟が壊滅する可能性もあります。そもそも相対してしまった時点で終わりと考えるべきです。そして現状、ユキシロにその意思は見られません」
 ニルーファルは何度も雪白と戦っている内に、良好な関係を築き、呼び捨てにするまでになっていた。
「……アルワラ族への対抗に用いるつもりか? 」
 族長がニルーファルを見据えた。
「そんなことをすれば、反感を買いましょう。もしそんなことが可能ならばアナヒタ様の安全は確固としたものになるでしょうが、我々の掟をすべて呑めるとは考えられません。ユキシロはクランドと共にあるのであって、我らと共にあるわけではないですから」
「……だからこそ、守護魔獣殿に手合わせ願ったということか」
 雪白を利用するのではなく、雪白と戦って自らを鍛える。ニルーファルはその道を選んだ。
 そのあと族長は何も言わず、他の会合の面々から次々に意見が飛ぶが、ニルーファルはそれにしっかりと返していった。

「――我らの総意として、西外の流れ人クランド、その守護魔獣であるユキシロ、養い子であるアズロナを受け入れ、状況如何では希望する土地に送り届けることとする」
 議論の末に族長がそう宣言すると、氏族長や長老衆、船頭衆から異論はでなかった。危険性の主張こそしたが、彼らとて砂漠の民。遭難していた蔵人を再び砂漠に放り出すほど非情ではない。
 だが、これで正式に蔵人の受け入れが決まったわけではなかった。
 当日に、アナヒタ自身が見極めるのである。



******



 蔵人がファルードに案内された部屋は、仄赤い明かりにぼんやりと照らされていた。
 入ってすぐに目についたのは正面、一番離れたところで色とりどりの絨毯の上にちょこんと座るダークエルフの老女、アナヒタである。そして、その両脇に付き人らしき女が二人。さらにずらりと男、老人、ニルーファルが座っている。ファルードも末席、蔵人から最も近い場所に座っていた。
 だが、彼らの表情に蔵人を助けたときのような友好さはなく、厳格な番人のような雰囲気を漂わせている。アナヒタに指一本触れさせない、そんな決意が感じられた。
「――座られよ」
 蔵人は言われるまま、周りと同じように胡座をかいて座る。雪白とアズロナはその後ろに陣取った。
「――エルィオァル氏族が長にして族長、総船頭グーダルズが汝に問うっ」
 なんの説明もないままに、付き人以外ではアナヒタの最も近くに座るグーダルズと名乗った壮年の美丈夫が厳かに告げた。
「――汝はいづこから来たか」
 蔵人は僅かな戸惑いのあと、答えた。
「……西から。海を越え、この大陸の砂漠を見物に来たのですが、狩人としての仕事の最中にアンデッドの大軍に襲われ、遺跡に呑まれました。そのあと雪白に遺跡を踏破してもらい、どうにか脱出したのですが、そこは見たこともない砂漠で、途方に暮れそうになっているところを、ニルーファル、さんに拾われました」
 日本人であるということを隠すために敬語は使わないようにしてきたが、この空気の中で敬語を使わないわけにもいかず、蔵人は忘れかけていた敬語をどうにか絞り出した。

「――あいわかった」
 グーダルズは周囲に目配せしてから、上座に座るアナヒタへと目を向けてから、再び告げた。
「――こちらが水の御子であらせられるアナヒタ様である。アナヒタ様はオアシスを除けば、この水の乏しい地に水をもたらす唯一無二の存在である。我らバーイェグ族はアナヒタ様を守護し、その御心のままに砂漠を共に巡る。無用の争いも、野心も許されぬ。
 ――汝はそれでも客人としてここに滞在することを求めるか」
「……もう少し詳しく教えて欲しい」
「我らバーイェグ族は砂漠を巡りながら、水を取引している。だが、その水で暴利を得ることはない。集落ごとに可能な範囲での取引だ。オアシスの水と比べれば安価といってもいい。だが、それでいいのだ。水を巡っての争いを極力減らし、砂漠に大乱を起こさせないことが重要なのだ。この世に理想郷などないが、争いを減らすことはできる。我らは可能な範囲で、それを実行している。が、アナヒタ様のお陰で他の遊牧民のように略奪などをせずに狩りで生活が成り立っているが、当然、アナヒタ様を狙う部族もいる。有力部族のアルワラ族などがそれにあたる」
 そもそも、この砂漠で敵対部族のいない部族など存在しない。
 中世どころかそれ以前の、法があるかないかのような世界なのだから、当然といえば当然であった。
 だが、略奪をしない、というのは蔵人も心惹かれた。
「定住民も略奪はしないが、略奪される側になってしまうだろう。それに余所者を嫌うという性質もある。ここが気に入らないのであれば、そちらを紹介してもかまわない」
 ミド大陸でもそうであったが、街が大きくなるほどに雪白たちは窮屈になる。それは蔵人の本意ではなかった。

「……私と雪白、アズロナの生命と自由を脅かさないのなら、ご厄介になりたいと思っています」
「――汝の自由とはなんだ?」
「身を守る自由と信心の自由、そしてここを去る自由です」
「我が部族の主な掟はアナヒタ様のご意思を尊重し、守護することである。汝がそれを守るならば、我らは客人を歓迎し、その自由を阻まない。去る場合も、最低限の面倒を見させてもらう」
 掟の中身が問題であるが、正式に客人となればファルードも掟とやらの全貌をすべて話せるだろうと蔵人は考え、頷いた。去る自由があるのだから、なんの問題もない。

「――汝が我らに求めることはあるか?」
「……取り返しのつかないことを除いて、どんなことでも一度は許してください。私はバーイェグ族についても、アナヒタ、様についても何も知らない。それどころかこの砂漠のこともわからない。だからきっとあなたたちの勘に触るようなこともすると思います。だからその最初の一度について、可能な限り許してほしい」
「客人の無知を笑うようなことはせぬが、我らの掟を無視されるのは困る」
「先の自由が守られる限り、こちらの掟も可能な限り守ります」
 グーダルズが再び周囲に目配せし、最後にアナヒタに目をやった。
 するとオーフィアとよく似た雰囲気のアナヒタは蔵人、雪白、アズロナをじっと見て、微笑んだ。
「此度は災難でしたね」
 たった一言であるが、蔵人は心の底から安堵するような気持ちになる。突然厳格な儀式に放り込まれ、性根をのぞき込まれるような場所での問答で全身に入っていた力が抜けていくようであった。

 すると、今までじっと我慢していたアズロナがついに好奇心を爆発させ、ひょこひょことアナヒタに近づいていってしまう。優しげなアナヒタが気になっているらしかった。
 蔵人や周囲の男たちが制止しようとしたが、アナヒタがそれを止め、這い寄ってきたアズロナの頭を膝に乗せると、その鬣を優しく撫でた。
「お利口さんね。……男の子? それとも女の子?」
 アズロナに話し掛けながらも、アナヒタはそう尋ねるが、蔵人は答えに窮した。
「……身体はオスですが、心はメスのようです」
 性同一性障害、ましてや男の娘など認識されていないこの世界、その未踏地ともなれば性差についてさらに後進的であろうことは予想に難くない。
 案の定、周囲の者たちは首を傾げている。

 だが、アナヒタは違った。
 アズロナの額を自分の額にあて、そしてのほほんと言った。
「まあまあ、変わった子ねぇ。……それにそっちの大きい娘も、とても強いけれど、とても優しい。人と暮らすなんて、大変なことばかりでしょうに」
 アナヒタはそんな容姿も中身も異形といってもいいアズロナをまったく気にすることなく撫で続け、さらにはまるで見てきたように雪白のことを見抜き、褒め称えた。
 蔵人は雪白がメスだとは告げていない。アズロナに額を合わせたことから考えるに、物事を感じ取る感覚もしくは勘を持っているのかもしれない。自然と調和してきたエルフの名残か、それとも『赤い水』を生み出す力の関わりか。
 そんなアナヒタに、さすがの雪白も毒気を抜かれたようで、周囲の警戒もよそにのそりとアナヒタに近づくと目の前に横たわり、蔵人に敵対しないならあなたにも敵対しない、とでも言うように身を晒す。
「こちらこそ、よろしくね。よければみんなを守ってくれると嬉しいわ」
 アズロナの頭部を膝に乗せ、雪白の大きな背を撫でるアナヒタの姿は、縁側に座って猫を撫でる老女を思わせた。
 それでようやくアナヒタの様子を見ていた周囲の緊張がほぐれると、族長のグーダルズが宣言した。
「――これより、西外の流れ人であるクランド、その守護魔獣であるユキシロ殿、養い子であるアズロナを我らが客人として遇する」
 すると、この場にいるバーイェグ族が野太い声で一斉に応じた。


 蔵人たちの受け入れが正式に決定すると、大舟の甲板で歓迎の宴が開かれた。蔵人はそこでバーイェグ族に紹介され、次から次へと現れるダークエルフたちに歓迎された。
 蔵人が住む最後尾の小舟近くに舟を持つ者はすでに知っていたが、ほかの者は外から流れてきた蔵人に興味津々といった様子である。
 雪白やアズロナの存在ももの珍しいらしく、蔵人以上に人が集っている。
 蔵人は人の群れに気疲れしながらも雪白たちが歓迎される様を楽しげに見つめた。

 質素ながらもほぼこの船団にいるほぼすべてのバーイェグ族による盛大な宴が終わると、すでに夜も深くなっていた。
 雪白に背を預けて、いつのまにか眠っていた子供たちを父親や母親が雪白に礼を言って受け取って、自らの舟に戻っていく。
 蔵人もファルードとニルーファル、マルヤムに案内され自分の舟に戻ったのだが、蔵人は去ろうとしたファルードの肩を掴んで、引き留めた。
 いつもは無口であまり表情に変化のないファルードも、今日の宴が楽しかったらしく少しばかり上気した様子で肩を掴んだ蔵人を見る。
「――これで十日の掟を終えたんだ、もっと詳しくファルードたちのことを教えてくれるよな? 」
 ファルードはその言葉に、あの夜通しの質問攻めを思い出して無意識の内に後退るが、蔵人の手がしっかりとそれを押さえてしまう。
 ファルードは助けを求めるように妹であるニルーファルやマルヤムを見るのだが――。
「そのほうがいいか。兄者、今日の夜間警戒は我がかわっておきますので、客人への説明をお願いします」
 ニルーファルの宣告にファルードは愕然としてしまう。さらにはマルヤムもがんばってねとでも言うように微笑むと、雪白とアズロナに挨拶をしてニルーファルとともに帰ってしまった。
 ファルードはまるで売られていく子牛のような目で、蔵人の部屋に連行され、再び夜通しで質問を浴びせられることになる。

 蔵人はこれでようやくバーイェグ族の全貌をおおよそ知る事ができた。
 バーイェグ族はアナヒタと共にオアシスの乏しい集落を巡り、各地に水をもたらしていた。水が黄金に並ぶ、いや黄金以上の価値を持つこの砂漠では、過去にアナヒタをめぐって砂漠全土が長い戦いに明け暮れ、とりあえずの平和が続く今なおアナヒタを狙う野心家もいる。
 そんな者たちからアナヒタを守り、それでいてアナヒタを独占せず、可能な限り広い範囲に水の恩恵をもたらし、砂漠の平穏を願うのがバーイェグ族であるということだった。
 いくつか危惧はある。だが、そんなものはどんな社会集団にもあることで、それでここを去る理由にはならない、とそのときの蔵人はそう思っていた。


 翌日、蔵人はニルーファル率いる四番舟の男衆と何人かの女衆と共に、初めて砂漠の街へと足を踏み入れた。雪白とアズロナは日中の暑さを嫌って留守番しているが、せっかく追い求めた砂漠とその文化圏がそこにあるのだからと蔵人は同行を決めた。
 直前に青い石のついた組紐をニルーファルに渡され、こう言われる。
「それは我らの客人である証だ。それを外から見える場所につけておけばおそらくは何も問題はない。だから、問題は起こすな。我らから離れないのが一番だが、何かあれば我らにすぐ言ってくれ。あとは、明確に助力を求められない限り、決して戦うな。可能な限り、戦いは避けてくれ」
 ニルーファルの懇願するようにも、諭すようにも聞こえるその言葉に、蔵人は戸惑う。
「……こちらに非がない場合に襲われてもか? 」
「このあたりに呪術師などいないし、兄者に匹敵するような手練れもいない。汝の呪術ならば大抵の相手から無傷で逃げられるだろう。そのあとで我らに言ってくれ。必ず、汝の誇りは守ると誓う。だから堪えてくれ。いくら兄者から説明を受けたとはいえ、この地のすべてを聞き出し、理解したわけではあるまい?」
 蔵人はなんとなく納得はいかないものの、同意した。
 行き交う多種多様な遊牧民やバザールの喧騒が待っている。多少の制限はあっても仕方ないと、そのときは割り切った。

 しかしこの砂漠の街エグバタを見れば見るほどに、蔵人が思うようなものはどこにもないと知った。小さな市場はあれども喧噪というにはほど遠く、生き生きとした多種多様な遊牧民などは存在せず、みすぼらしい格好をした多種多様な種族の奴隷がいるだけであった。
 この地には奴隷がいる。それもラッタナ王国のような制度的に整った奴隷ではなく、略奪物としての奴隷が公に存在していた。
 この砂漠で最も大きな勢力を誇っているのは人種ではなく、薄赤い肌と角を持つ有角種と呼ばれる者たちであるが、角を切られて奴隷にされる有角種もいる。そのほかにも獣人種や鳥人種、そして人種もいた。

 この街に存在する奴隷の数自体が多くはないようだが、この炎天下で黙々と仕事をし、ときおり主人らしき者に鞭で打たれたり、砂を押し固めたような四角い家が建ち並ぶその家と家の隙間で粗末な食事らしきものを食べていたりと、まさに奴隷らしい奴隷というべきものがそこにいた。
 主の信頼を得て、それなりに待遇の良い奴隷もいるようだが、今ここにいる奴隷のほとんどは死んだ魚のような目で、生きている。
 ファルードから聞いていたが、実際に見てみると気分が良いものではない。
 バーイェグ族は部族の理念や実質的な問題から奴隷は一切扱っていないが、それは部族の理念の違いということに過ぎない。バーイェグ族にとっては全面的に肯定するものではないものの、だからといってどうすることもできないというのが現状であるらしかった。

 蔵人はあまりの文化、いや時代の違いに目を瞑りたくなるが、これが砂漠の現実である。もちろんアンクワールでも解放奴隷の命を使い捨てるなどの問題はあったが、それでもまだ制度的に洗練されていた。
 だが、ここでは奴隷は所有物でしかない。
 水や食料、そして土地が十分に行き渡っておらず、部族間や氏族間での対立も絶えず、略奪が発生する。すると人が浚われたり、部族が滅んだりでして人が余り、それが奴隷となる。奴隷とならねば死ぬしかないのだから、奴隷にされた者も奴隷に甘んじる。ただそれだけのことであった。
 蔵人も理屈としては理解できないこともないが、許容はしづらかった。
 かつて蔵人も奴隷を、ヨビを買ったが、それは本人の願いであり、その関係もほぼ雇用者と被雇用者というものであった。
 決して奴隷制度が正しいと受け入れたわけではない。自分が奴隷にされたらと考えれば、肯定などできようもない。

 だからといって乱世の雄や救世主のように社会を変革して奴隷をなくすような力がないことも、嫌というほど自覚している。
 日本にも不幸な境遇の人々はいた。もしかすると、その浅い部分に己も入っていたかもしれない。だが、世界は回っていた。蔵人もそれを解消するために何らかの活動はしなかったし、社会もそれほど大きくは動かなかった。改善された部分もあったが、むしろ悪化していた部分もあったはずである。
 奴隷もそれと同じで、蔵人の手ではどうにもできない現実であった。
 どうにもできない現実で生きねばならないとき、蔵人は自分の中にルールを作る。これまでも殺人であったり、報復であったりと行ってきたことである。

 奴隷など自分には必要ない。

 蔵人はそれを原則とした。ヨビのような例外はあるかもしれないが、それを明確に、己のルールとした。
 何もできないが、奴隷をそのまま受け入れもしない。
 蔵人ができるのは、いつものようにそれだけだった。
 だが、そんな風にどうにかこうにか自分と現実に折り合いをつけ、目の前の現実とその社会に生きる者たちに失望しないようにしていると、蔵人はいつのまにかはぐれてしまっていた。
 あちゃあと思いながらも、街の中からでも見える砂舟に向かって歩き出す。はぐれたときはこうしろとニルーファルに言われていた。

 しかし蔵人は立ち止まる。
 遠くから異音が響き、人の恐怖を煽るような獣じみた雄叫びが轟いた。
 すぐに家の物陰に身を伏せるも、混乱を押し殺したような街の者たちの気配しか感じられず、ときおり剣戟の音や怒号、そして悲鳴が響き渡るのみ。
 このあたりはまだ大丈夫そうだと判断した蔵人は物陰から一直線に砂舟へと駆けだした。
 だが、砂舟に到着する前に蔵人の歩みは止まる。
 瘤蜥蜴に乗った男たちが騎乗したまま駆け抜けて人を浚い、瘤蜥蜴から降りた者は家に勝手に入り込んで手当たり次第に奪っていた。
『――可能な限り戦いは避けてくれ。汝の誇りは守る。だから、堪えてくれ』
 蔵人は事前にニルーファルから言われたことを思い出し、どうにか介入を踏みとどまった。不思議なことに誰も蔵人に助けてくれとは言わないのだから、それも介入を躊躇う理由となった。
 略奪を続ける男たちと奪われる街の者、そして多くの者が抵抗も空しく略奪者たちに倒される。誰も死んではいないようだが、子供と女は浚われ、食料や貴重品が略奪されていた。
 降り注ぐ灼熱の日光の下で、蔵人はただそれを見つめることしかできなかった。

 だがそこに、一本の矢が飛んだ。
 矢は蔵人の障壁に弾かれて砂地に突き刺さったが、それが蔵人に口実を与えた。
「……これは、自衛だろ」
 そう言いながらも手首に巻いてあった青い石の組紐を引きちぎって懐に入れ、革兜を被ってフェイスガードをすると、他人の家に押し入って略奪に夢中になっている略奪者を背後から蹴り飛ばし、砂地に埋めた。
 殺さないし、可能な限り血も流さない。
 それはファルードから聞いていたことだった。砂漠の男は仇を決して許さない。砂漠の果てまでも追い詰めて、報復する。それが、砂漠の男の流儀であるという。バーイェグ族以外の遊牧民はもれなくそうなんだとか。ゆえに、殺せば面倒だし、尾を引くような怪我もさせられない。
 苦手なんだがな、と思いながらも、蔵人はもう退けなかった。
 目の前で、誰かが、不当に傷つけられている。奪われている。
 それを自分に置き換えたとき、それを見過ごすことなどできなかった。力がなかったなら、躊躇いなく逃げていただろう。だが、今はどうにかできる、できてしまう程度には力があった。最悪、雪白もいる。
 これで、見て見ぬふりをすれば、どう生きていけばいいかわからなくなりそうだった。

 ただ、一応は聞くべき事は聞いておかなくてはならない。
 まずは略奪され、家と家の狭間で小さくなっている人種、いや角を断ち切られた跡がある薄緑色の肌の老人に尋ねた。
「あんたら、こいつらから何か奪ったか? 」
「……いつものことさ。私らはなにもしちゃいない。やつらはいつも奪っていく」
 略奪者を蹴り飛ばした蔵人にすら怯えているようで、ぼそりとしか答えなかった。その声色は諦めているようであるが、怒りも滲んでいた。

 それを聞いた蔵人は先程の家に戻り、今度は家の中の地面に埋めている略奪者に話し掛ける。外に埋めたら、その間に死んでしまう。
「なぜこんなことを? 報復か? 」
 頭部に巻いたターバンらしきものの隙間から二本の角が生えた、薄赤い肌の有角種の男であった。
「なんだお前は、旅人か? ふん、まあいい。……我が子を、家族を飢えさせるわけにはいかぬ。当たり前であろう」
 砂漠という土地柄、どこでも穀物や野菜が手に入るわけではない。遊牧民は奪うしかないのである。略奪は暴力行為というよりは、生きるための手段であった。
「なら、人を浚う理由は? 」
「人? 奴隷は財産だ。それに、子を増やさねばいつか部族は滅んでしまうではないか」
 父親が部族の男で、その子が優秀ならば、奴隷の子といえども部族に迎え入れられた。
「……」
「最低限生活できる分は残してやってる。あとは定住民どもがどうなろうと知ったことではない」
「なぜこの街を?」
「知らぬ。氏族長の決めたことだ」
 蔵人はそこで問答を打ち切り、男を埋めたままにした。
 男との問答に、この砂漠の事情というやつが少しばかり垣間見えた気がしたが、そんなことは蔵人にとっては関係がなかった。

「殴られたら、殴り返すよな……」
 蔵人がそうぼそりと零すと、埋められた男が答える。
「如何にも。『角無し』の呪術師の割には勇敢ではないか。それでこそ、砂漠の男よ。だが、我が部族の血を流してみよ、地の果てまで追って貴様を殺す。その家族も、仲間もな」
 男は否定しなかったが、部族を、家族を殺せば、こちらを皆殺しにするとのたまう。
「奪われたくないなら、奪うなよ」
「奪わねば食えぬ」
 どうにも微妙に話が食い違うことに蔵人は困惑する。
 略奪の肯定、報復の肯定、逆恨みに報復対象の拡大。共感できるものもあれば、気に入らないものもあった。

 蔵人はそこで男との話を切り上げ、家を出ようとして、足を止めた。
 自分への攻撃、目の前の暴挙を放っておくわけにはいかない。
 だが、バーイェグ族に迷惑をかけるのも問題であった。
「……ああ、あれでいくか」
 探索者でやったときのように、こっそり助ければいい。
 そう決めて、蔵人は周囲を確認してから、家を出た。

 砂舟へ向かってこっそり移動していると、瘤蜥蜴(ディノ)に乗った略奪者が浚った女児を小わきに抱えて、走り去ろうとしていた。その後ろでは、娘を浚われた男が地面に這いつくばりながらも何かを叫んでいる。
 略奪者の表情には先程の男とは違い、嗜虐的で享楽的な笑みが浮かんでいた。
 蔵人は瘤蜥蜴を止めるべく、砂壁を進行方向に形成、その速度が緩んだところで瘤蜥蜴をその足先から砂で捕えていく。
「――くそっ、なんだっ! 呪術師がいるなんて聞いてねえぞっ」
 略奪者は瘤蜥蜴から飛び降りながら悪態をつくが、自らの四方も砂壁に囲まれて、狼狽する。
「ひ、卑怯者めっ、姿を見せろ。オレたちがアルワラ族ファラハーン氏族と知っての――」
 言い切る前に背後に忍び寄っていた蔵人によって蹴られ、家の物陰の砂地に埋められた。
 精霊魔法士と戦士の相性の悪さも手伝ってか、蔵人はあっさりと略奪者を砂に埋める。略奪者の攻撃は蔵人には届かず、蔵人の攻撃のみが略奪者に届いた。
 これこそがミド大陸を精霊魔法と命精魔法が席巻した理由である。英雄ほどにもなれば先のファルードのように蔵人をねじ伏せることも容易いが、それとて中堅魔法士を集めれば、倒せないこともない。英雄の希少性を考えれば、誰でも覚えやすい精霊魔法が大陸を変えたのも当然と言えた。

 助けられた子供は何がなんだかわからない様子であったが、父親を見つけると慌てて駆け寄った。
 蔵人はそれを影からちらと見つめてから、砂で囲った男を見る。むろん、砂で囲って見えるわけもないが、略奪時の男の表情に納得していなかった。
「……楽しそうだな」
「誰だ、てめぇっ。この街の人間じゃねえな。……ああ、楽しいね。だからよ、アンタもやらねえか? 見たところ旅人だろ? こっちにつくなら部族を挙げて歓迎するぜ? 」
 蔵人はそれを聞いた直後に背を向け、男の下卑た声を無視した。おそらく男が言っていることに嘘はない。ないが、だからといって受け入れられることでもない。
 人によって話が違うことに、蔵人はさらに困惑していた。先程の男もこの男も嘘を言っているようには見えない。生きるための略奪か、楽しむための略奪か。

 それから砂舟へ戻る途中で蔵人を襲った、もしくは誰かを襲っているという者を二人ほど密かに埋めたあと、街の出口まで行って、蔵人の歩みは止まった。
 いかに英雄ほどの手練れがいないとはいえ、略奪者たちも英雄の道の途上にある者たちである。密かに動いていた蔵人の存在に気づかないほど感覚が鈍いわけではない。
 蔵人はいつのまにか彼らに囲まれていた。
「――我らをアルワラ……」
 リーダーらしき男がなにやら叫んでいる内にと蔵人は躊躇なく指笛を吹き、雪白を呼んだ。
 指笛から一拍か二拍ほどで、不機嫌そうな雪白が尻尾にアズロナを巻きつけて、口には飛竜の双盾をしっかりと咥えて、到着する。
 飛竜の双盾で少しばかり涼んでいるとはいえ、この炎天下の中では焼け石に水。雪白は暑い暑い暑い暑い熱いっと、明らかに苛立っていた。
 突然現れた魔獣に略奪者たちは戸惑うが、勇猛を誉れとする砂漠の男たちは退けない。
 略奪者たちは口上を上げることさえ忘れて、じっと雪白の姿を見つめ、略奪者たちが退いてくれさえすればあとはどうでもいい蔵人も無言で睨みつける。

 革鎧の中でだらだらと流れる汗が鬱陶しいと蔵人が思い始めた頃、空気が変わった。
「――バーイェグ族四番舟船頭ニルーファルだっ。我らに仲裁をさせてもらいたいっ」
 蔵人と略奪者たちがにらみ合うそのただ中に、蔵人の呪術の気配と雪白の駆ける姿を目撃して駆けつけたニルーファルと、四番舟の男衆たちが現れた。
「……受け入れるっ」
 雪白の力を恐れた略奪者のリーダーの同意に、その場はどうにかおさまった。


 アルワラ族ファラハーン氏族の略奪者たちは一宿一飯の恩義に立ち上がった旅人の気概とアナヒタの名を立てて、退いてくれた。この砂漠で最も力があるアルワラ族の中では傍系氏族らしく、本流のアヴァガン氏族とは付き合いも悪いようで、その本流と決して仲が良いとはいえないバーイェグ族を好ましく思っていたらしい。
 もちろん略奪したものを返すことはなかったが、蔵人やバーイェグ族になにか要求することもなかった。
 それに蔵人が誰も殺していないどころか、目立つような傷を与えなかったこと、それでいて雪白という圧倒的な力を保持していたこと、さらに組紐を隠したことで誰の庇護下にもない旅人と認められたこと等、いくつかの要因が重なって部族間紛争には発展しなかった。

 蔵人が頭を下げた。納得はいかないが、こうしなければおさまらない。
「すまなかった」
「なに、気にするな。世情に疎い旅人、流れ人なら仕方あるまい。……それにな、呪術師とはいえその勇敢さには感服した。なんの繋がりもないこの街のために力を振るう義勇は呪術師にしておくのは勿体ない」
 最後に蔵人が頭を下げ、略奪者たちのリーダーがそれを許したことで、すべては終わった。

 瘤蜥蜴に乗って走り去る略奪者たちを見送り、蔵人は自分の砂舟に戻ったが、船室に入る前にニルーファルが強い口調で詰め寄った。
「――なぜ介入したっ。誰も汝に助けは求めなかったはずだっ」
 今回の略奪者がすでに蔵人が砂舟の客人となっている事を知っていたら、もっと面倒な事になっていたはずである。四番舟を預かるニルーファルとしては言わないではいられなかった。
「……矢が障壁を掠めた。自衛だ。それに目の前で人が浚われるのを見逃すことはできない」
「傷もない輩の言葉を誰が信じるっ。それに浚われていたのは奴隷だ、殺されることはないっ。ユキシロをあてにしているようだが、すぐ力に頼るなっ。報復したそのあとのことを考えろっ」
 蔵人にとって障壁へ攻撃は宣戦布告であるが、略奪者にとって、この地の人々にとって明らかに『無傷』にしか見えない蔵人の介入は許されない。
 加えて『奴隷』は人ではなく所有物であり、略奪対象である。同じ部族の者が浚われたり、殺されたりすれば血の報復をしなければならないが、奴隷ではそこまでのことにはならない。
 これはこの地に共通する『常識』であるが、蔵人にはひどくわかりづらいものであった。所有者に信用された首輪のない奴隷と現地民の区別もつかなかった。
「……なら、大人しく射殺されていろと? 雪白に頼ってないとは言わないが、やり返さなければますます相手は奪いにくる。それに、犯罪を見過ごせというのはおかしいだろ」

「――これは戦争だっ。汝はそこに介入する覚悟はあるのかっ」

 その言葉に、蔵人は虚を突かれた。言い返そうとして、言葉が見つからない。戦争と言うにはあまりに規模は小さく、蔵人の知る戦争という様相からはかけ離れていた。
「略奪せねば生きられぬ者もいる。だから、慣習という最低限の掟がある。ただの皆殺しの略奪なら我らとて見過ごしはしないっ。だが慣習に倣った今回の略奪はこのエグバタと奴らの問題だ」
 ニルーファルとて納得はしてない。だが、解決策もない。最低限のルールを徹底させて、黙認するしかない。奴隷や略奪、それを全面否定するには、まだこの砂漠の社会は成熟していなかった。

 個人の強盗、グループの強盗、組織的な強盗、そして戦争。部族内の略奪や盗みは禁止で、部族間の略奪は流儀に則っていれば正しい。
 どこから線引きするのが正しいのか、何が正しいのか蔵人はわからなくなってきた。
「……知るかっ。だが、生きるための略奪だけじゃない、遊びでやっているやつだっていた。それはどうなんだっ。それにな、黙って見ていたとして、俺も捕まって奴隷に落とされないとなぜ言えるっ」
「部族には不心得者の一人や二人はいる。それを一緒くたにするなっ。それに、客人を奴隷にするなど我らが許すと思うか。なぜ我らを信じられなかったっ」
「部族や御子さんのためにあんたらが俺を見捨てないなどなぜ言えるっ」
 売り言葉に買い言葉であるが、バーイェグ族のことを知らされ、このように危惧しなかったわけではない。だから、蔵人は自衛した、とも言えた。
 ニルーファルはぎりっと奥歯を噛みしめた。
 蔵人の言い分がわからないわけではないし、蔵人の疑念も当然のものだと思っている。だが、バーイェグ族の船頭としてそれを認めるわけにはいかない。
 蔵人もまた退けない。この地に奴隷や略奪という慣習があることも、バーイェグ族が奴隷を扱ってはいないとはいえ奴隷の存在を認めていることも、時代と文化の違いだろうと呑み込んだ。
 だが、多少建前じみているとはいえ蔵人に流れ矢が刺さりそうになったことも、奴隷とはいえ人が目の前で浚われたことも、愉悦混じりの略奪者がいるのも事実である。
 それを頭から否定されるのは、気に入らなかった。

 怒声と怒号を聞きつけ、ファルード、そしてマルヤムがやってきた。
 蔵人とニルーファルが鼻先を突き合わせて怒鳴り合っている姿に二人揃って顔を見合わせる。
 船頭という立場上、大勢の目の前で蔵人に注意をしてそのメンツを潰すわけにはいかなかったニルーファルが、こうして蔵人に与えた小舟で注意しているのは予想できたが、ここまでの事態になっているとは想像できなかった。
 ファルードは困ったように頭を掻く。
 ニルーファルは激怒しているが、ファルード、いやバーイェグ族の男衆は今回の蔵人の行動をさほど責めてはいなかった。むしろ砂漠の男の本来の気質から考えれば、あの略奪者のリーダーが言ったことに内心で同意していた。

 部族以外の何者にも従わず、部族のために生きる。血には血を、報復しない男など男ではない。 

 それが砂漠の男である。
 だが、ニルーファルの立場ではそれを認めるわけにはいかないことも男たちは知っており、表だって蔵人をかばうこともなかった。
 それにバーイェグ族の男たちは砂漠の男であるが、それ以上にアナヒタを守ることを至上とするバーイェグ族である。蔵人の立場は男としては理解できるが、バーイェグ族としては怒りを感じる、蔵人の行動はそういうものであった。
 さて、どう止めようかと生来の口下手なファルードは怒鳴り合う二人を前に迷っていたが、その脇をマルヤムがスタスタと抜けていった。
「――ニルっ、最初の過ちは許す約束じゃなかったのっ」
 族長で総船頭でもあるグーダルズの娘であるマルヤムは父からそのことを聞いていた。
「あれは取り返しのつかないことに――」
「――現にこうしてあるべき鞘に納まったじゃない。それにクランドの言い分も理解できるでしょう? 」
 マルヤムの正論にニルーファルはぐっと押し黙る。

 そしてマルヤムは蔵人にもその矛先を向けた。
「――あなたの言いたいことはわかるけど、一歩間違えればどうなっていたかはわかってるわよね? 」
 この短い間で蔵人の性格を掴んだマルヤムは口調を荒げることなく、簡潔に告げた。
 蔵人が身を守り、そして周囲の者を助けるために力を振るった結果、バーイェグ族に危機を招きかねなかった。その一事のみをマルヤムは指摘した。
 もちろん蔵人が身を守ることも正しいし、知らなかったがゆえに周囲の者を助けようとしたことに間違いはない。しかし、そうして助けた結果、己どころか他の者が危機に陥ってしまうのは本末転倒ではないか、とマルヤムは言っているのだ。
「……それは、わかってる。すまなかった」
「――はいっ、これでこの話は終わりっ。じゃ、そういうことで」
 パンッと一つ手を打って、そのまま自分の舟に戻るのかと思いきや蔵人の小舟に突入し、蔵人とニルーファルの喧嘩を欠伸しながら眺めていた雪白と、オロオロしていたアズロナの元に飛び込んだ。
 突然のことに雪白は鬱陶しそうにするも、この短い間で嫌というほどマルヤムのしつこさを知ったゆえに気のない様子で適当に尻尾であしらう。蔵人とニルーファルの喧嘩を止めたマルヤムをきらきらとした憧れの目で見るアズロナは喜んでマルヤムに遊んでもらいはじめた。
 そんないつもの光景に毒気を抜かれたニルーファルは蔵人を一瞥だけして、去っていった。
 蔵人はその背を睨みつけていた。
 ただそれはニルーファルへの反発だけではなく、この砂漠への反発、そしてこの砂漠をうまく捉えきれない己への苛立ちからだった。



******



 一方、オアシスで奴隷にされたラロはというと、運良く善良な主に買われる、などということもなく、その物珍しさから一日貸し出しの奴隷として、この砂漠で最大勢力を誇るというアルワラ族の族長に使役されていた。
 当然、そこに人権などあるわけもなく、男女問わずの性奴隷のような扱いをされてどうにか生きていた。『角無し』と侮蔑される非力な人種であるが、それなりに整った容姿を持ち、不思議な呪術を用いるという部分を気に入られたようである。
 だがたとえ元流民であったラロとはいえ、いや元流民であったラロであるからこそ、そんな扱いに反感や憎しみを募らせていた。
 ラロはいつか皆殺しにしてやるという思いを胸に秘め、歯を食いしばっていた。

「――入れ」
 そんなある日、ラロは族長のバスイットに連れられ、途方もなく大きな天幕に足を踏み入れた。
 只一人、族長のバスイットだけが特殊な魔法具でラロと会話することが出来た。そのことにラロはほっとするが、同時に今己を奴隷として扱っているのがバスイットであるということに、よりいっそうの憎悪がわき上がる。
 だが、ラロは入った瞬間から腰が抜けそうになる。バスイットへの憎悪など、一瞬で忘れた。

 それは、燃え盛る火炎のような堂々たる鬣を靡かせた紅蓮の雄獅子であった。
 血晶獅子(ソルラーン)。雪白よりも一回り以上大きな体躯に、血を固めたような鋭い結晶が連なった尻尾や爪、なにより隠そうともせずに周囲にまき散らしている殺気や暴力的な雰囲気は決して穏健な存在ではない。
 ああ、これは死んだな、と奴隷になってなお、この砂漠への怨嗟と生への執着から生きようとしていたラロに生存を諦めさせるほどのものであった。
「……ほう、ジャムシド様を見ても平然としているとは……角無しの割に肝が据わっている」
 バスイットがそう言うが、ラロとしては同じ高位魔獣である雪白を知るが故に多少慣れているだけで、今すぐ逃げ出したかった。
「ジャムシド様は私が契約させていただいているとはいえ、我が部族の守護魔獣であらせられる。粗相のないように、お前の知る話を語るがよい。ジャムシド様が楽しんでおられる間は、生きていられるだろう。」
 これは希望なのか、絶望なのか。
 確かこんな昔話がアスハム教にあると聞いたことがあるが、その話の結末のように暴君が良心に目覚めるなど、目の前の高位魔獣を見ても思えなかった。
 だがラロはほんの小さな希望をたぐり寄せるように、話し始めた。
 いつか自分を奴隷に落としたやつらを八つ裂きにしてやる、それだけを心に秘めて。

 その数日後。
 バスイットが天幕を覗くと、ラロは殺されていなかった。
「今回は少しは持ちそうだな。……なんだ? 」
 そこに部族の中で間者の取りまとめをさせている男が報告に来た。
 バスイットは天幕から視線を外し、男に向き直ると、男は小声で話し始める。

 話はアヴァガン氏族とは距離を置く傍系のファラハーン氏族の略奪を妨害した者がおり、その仲裁をバーイェグ族が行った、というものであった。
「相変わらずの調停者気取りか。だが……」
 バスイットは忌々しげに呟く。
 この砂漠の北部一帯を支配するアルワラ族に決して従わず、砂流を巡ってオアシスの乏しい地域に水を施すアナヒタとバーイェグ族は、アルワラ族にとって目の上のたんこぶであった。
 アナヒタが水を渡さねばアルワラ族に従うしかない部族も、アナヒタが水を施すことでアルワラ族に支配されることを拒んでいる。
 さらにうざったいことに、それでその部族を支配することはなく、砂漠の平穏などと謳っているのだから目障り極まりない。

 だが、それが気に入らないからといってバーイェグ族を滅ぼそうにも、バーイェグ族は数こそ少ないが一騎当千、その上で砂流に逃げ込まれては手の打ちようがなかった。
 千年以上前には略奪を行う遊牧民であったが、今では略奪をせず、水の分配と砂流での狩りで生き、和平を求める遊牧民とも定住民とも言い難いバーイェグ族。
 かつては遊牧民であり、定住してなお遊牧民の倫理に生き、この砂漠で覇を唱えんとするアルワラ族。
 過去の歴史や小競り合い、何よりも理念の違いからどちらか一方がその支配を許すことはない。

 近年、バスイットがジャムシドと契約し、ジャムシドはアルワラ族の守護魔獣となった。
 守護魔獣。雪白も呼ばれたように、この砂漠では人と共にある高位魔獣をそう呼んでいる。バスイットはこの砂漠で唯一、ジャムシドと契約した者として、ジャムシドの言葉を理解することができた。
 アルワラ族はジャムシドの力を背景に、支配地域をあっという間に広げ、バーイェグ族との力関係も大きく変わると思われたが、アルワラ族が期待するほどの変化はなかった。
 確かに砂漠地帯でのごり押しは利くようになったが、ジャムシドもさすがに砂流を自由自在に動き回ることはできなかった。

 ジャムシドの性格にも大きな原因がある。
 気まぐれで、残虐。契約こそしているが、バスイットの言うことなど聞いてはくれない。逆に生贄なども要求はされないが、勘気に触れた奴隷が食い殺されることはたまにある。
 それでもバスイットが契約をしたのは、支配地のオアシスを守ってくれるからであった。ジャムシドとしてはただ己の寝床を荒らされるのが気に入らない、水場は全て自分のもの、というだけのことだが、それで充分だった。
 本拠地の防衛に戦力を裂かなくていいのなら攻勢に出ることも容易く、ジャムシドがいることでほかの魔獣が近づくことが激減し、放牧や農作も安定する。現にたった一つの大きなオアシスを支配するだけだったアルワラ族が、今では北部一帯を支配するに至っている。

 しかしそれではジャムシドの利益などないようにも思えるのだが、ジャムシドに言わせればアルワラ族が支配地域を広げれば広げるほど、自分の縄張りも広がり、その管理もアルワラ族に丸投げできるのだから、手間が省けて良い。人の生み出す天幕や絨毯、脂ののった家畜もお気に入りだとのことである。
 この気まぐれで横暴だがとてつもなく強い守護魔獣は、アルワラ族にとって存外悪い取引相手ではなく、むしろ砂漠の男を体現するような存在としてアルワラ族の男たちの畏敬を集めていた。
 『角を持つ炎』とはアルワラ族を意味する言葉でもあるが、その始祖とされる魔神の名でもある。ジャムシドが戦うときに纏う血のような色をした紅水晶の角が、その魔神と重なったということも大きな理由の一つであった。

「……問題は、正体不明の魔獣と呪術師か」
 妨害者の正体がまったくわからない。
「……だが、うまく使えば」
 いかにアナヒタやバーイェグ族が平穏を望もうとも、砂漠の民はその魂までも染められない。
 それがわかっているからこそ、バーイェグ族は一定の略奪や因習を黙認している。部族以外の何者にも従わないという砂漠の民の気性を抑えつけることなどできなかったのである。
 だが今回は、殺さない、奴隷以外は攫わない、最低限生活できる物資は残す、という慣習に則った略奪を何者かが妨害し、それをバーイェグ族が仲裁した。
 たとえば、その何者かがバーイェグ族と繋がっていたとしたら、砂漠の民は反発する。生きるために略奪する遊牧民は水を得るためだけに表ではいい顔をするが、心は離れていく。
 逆に脆弱な定住民は歓迎するかもしれないが、それならそれでかまわない。立場が鮮明になってやりやすくなる。定住民と遊牧民の確執は根深く、バーイェグ族が定住民に味方するなら、遊牧民は揃って敵対するだけである。
 その何者かが実際に繋がっているかどうかなどどうでもいい。そういう話があるだけでいいのだ。
 バスイットはそれほど焦ってはない。
 一つずつ、力を削いでいけばいいと思っていた。

 不意に、後ろの天幕が揺れた。
 バスイットが振り返り、そしてもう一度前を向いたときに確認できたのは、舞い上がった砂塵と、南の方へと駆けていく赤い点のみであった。
 何が起こったのか。
 ちらと見ると、天幕に残された角なしの奴隷がほっと安堵している。
 バスイットはまた気まぐれか、と深いため息をつきながらも、天幕に入り、

「――ジャムシド様に何を話したのか、聞かせてもらうぞ」

 そう言った。





蔵人の略奪妨害のシーン、少し改変しました<(_ _)>
大筋に変更はありません。

ラロの言語の件、ご指摘をいただき修正しました。すっかり言語のことを忘れていました<(_ _)>
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ