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用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第六章 砂塵の向こうで

118/141

113-ダークエルフ

更新日程が遅れましたこと、お詫び申し上げます<(_ _)>
予定では、今章の最後まで毎週更新ができるかと思います。(予定外のことがなければ)

★注意
『112-女神像』の後半、迷路遺跡から再び砂漠に放り出されたあたりを少し改変しております。
 お手数ですが、そちらから見ていただければと思います<(_ _)>


 ローブを着込んだニルーファルの身体のラインを、どうにかして見れないものかと蔵人が目を凝らしながらそついて行った先には、まさしく打ち上げられたというに相応しい小舟があった。
 船底が平らで、表面には赤茶色の魔獣の革を張ってあるが、船尾には小さな帆、舟の中頃には船室もあり、小さな漁船といっても過言ではない。
「――バーイェグ族とは砂舟を征く者を意味する。いかにこの砂漠が広しといえど、この砂舟を自由に扱える者は我らの他におらん。……紹介しよう、兄者のファルードと女衆のマルヤムだ」
 舟の両脇に立ってニルーファルと蔵人の様子を見守っていた男女を、ニルーファルが紹介した。
「蔵人だ。こっちのでかいのは雪白、そっちがアズロナだ」
「……四番舟副船頭、ファルードだ」
 ニルーファルに兄者と呼ばれた男がぼそりとそう言った。
 ファルードはニルーファルよりも黒に近いグレーの体色で、顔を含む半身にまるで砂嵐のような螺旋を描く白い刺青が彫り込まれている。編み込まれた長い髪は荒々しく頭部に巻かれており、目つきは鋭く、背も高い。まるで槍のような痩身だが、無駄に肥大した筋肉などは一切無く、それでいて隙間無く鍛え込まれていた。

「グーダルズが娘、マルヤムと申します……アズとユキも、よろしくっ」
 名乗りだけは育ちの良さを感じさせたが、あっという間に本性を現した。
 マルヤムと名乗った女はニルーファルよりも若干薄い体色で、髪の巻き方はどこか女性的、刺青はなく、頭には大きな花の布飾り、首元にはネックレスもかけている。ニルーファルと同じようにエルフに類するダークエルフなだけあって極端に整った容姿をしているが、その突拍子もない言動が影響して表情にも隙があり、ニルーファルやファルードのような取っつきづらさはまったくない。
 行動もそのとおりのようで、蔵人に名乗っただけですぐにアズロナに駆け寄り、下手な子供よりも大きくなりつつあるアズロナを、翼腕の脇から手を差し込んで抱き上げた。
「むふっ。つるつるで、ひんやりしてる」
 ニルーファルは呆れたような目でマルヤムを見てから、申し訳なさそうに蔵人を見た。
「……本人、というかアズロナが嫌がらないなら好きにしてくれていい。話せばわかるから、なにかしでかしたときは人と同じようにやってくれれば理解する」
 蔵人の言葉を聞いたニルーファルはアズロナ、そして雪白をちらりと見てから、小さく頷いた。
「乗ってくれ。まずは我らの家に案内しよう」

 船首にはニルーファル、その後ろに蔵人。蔵人の盾を奪った雪白とアズロナは舟にある小屋のような船室に、マルヤムとともにおり、ファルードは船尾に陣取っていた。
 実のところ、これで定員一杯、どころか雪白の重さの分で重量オーバーしているのだが、そこはニルーファルとファルードが持ち前の操船技術でカバーしている。
 ニルーファルが背に背負っていた櫂剣(かいけん)、柄と刃が五分五分に近い異形の大剣を砂漠、いや、砂流(さりゅう)に突き刺し、切り払い、砂舟は加速する。
 所変われば品変わるというが、さすがに砂の上を舟が進む様に蔵人は目を見張った。
 聞けば、この砂漠には通常の砂漠地帯と今いる砂流地帯の二つがあるという。
 砂漠は通常の砂の大地。そして砂流は、まるで川のような砂の流れのことで、この地では北部の砂漠と南部の砂流で大きく二つに分かれているらしい。

 そんなニルーファルの説明を聞きながら、蔵人は緊張こそ切らしてはいなかったが、内心では安堵していた。
 舟が、揺れなかったから。
 こんなに小さな舟なのに、まるで貨客船(フェリー)に乗っているときのようで、酔わなかった。
 砂舟は海の船と違って砂流に乗っているだけ、というのが揺れ難い理由のようである。


 十数分で舟は目的地らしい場所へと到着したのだが、蔵人とアズロナ、そして雪白すらも目を丸くして、見上げた。
 砂舟の集合体。舟団ともいえるそれは、一つの巨大な船のようにも見えた。
 それがなんの脈絡もなく、砂漠にぽつんと鎮座しているのだから、驚きもする。
 舟団の舟も蔵人が乗ってきた小舟と同じく船底は平らで、中心の一番大きな船でも二階建ての家ほど、そこに平屋建ての一軒家くらいある中舟や小屋くらいの小舟が連結している。
 なぜ砂漠に船が、とぽかんと口を開けて、蔵人たちが揃って船を見上げていると、一度先に舟団に連絡にいったニルーファルが戻ってきて告げた。
「――我らの故郷だ。我らはここで産まれ、巡り、そして死ぬ」
 ニルーファルの誇らしげな様子に、最近少しばかり里心がついている蔵人は羨ましかった。船とはいえ、故郷と呼べるものがあり、帰る場所があるのだから。

「さて、汝さえよければこの舟で生活してもらうが、それにはいくつか約束してもらうことがある。それでもよければ、我らは汝を客人として歓迎しよう」
 それを聞いた蔵人が、舟から視線をニルーファルへと変えて言った。
「……本来ならこちらから頼みたいくらいだが、その約束事や掟というものの内容による。拾ってもらってあれだが、横暴なことは受け入れられない」
 聞きようによっては尊大ともとれる蔵人の言葉であったが、ニルーファルは気にした様子はなく、むしろ当然だという風な顔をした。
「まず十日ほど、船団の一番外側にある小舟で生活してもらう。他の舟への移動は禁止だが、食事などはこちらで用意しよう。それ以外は特にない。掟としては殺し、犯し、盗みなど他の部族内でも禁止されていることは禁止だ。細かなことはいくつもあるが、客人に何かを強いることはない。それにもし、ここにいるのが嫌になったのであれば、近くの街に送ることも可能だ。そのときにはあの斧も返却しよう。そもそも砂漠で難儀する旅人から対価を得ようとは思っていない。あれは、汝らがこの砂漠で生きるために必要になる各部族への税に使用する予定であった」

 蔵人はその言葉をしばらく勘案したあと、雪白とアズロナをちらと確認してから、頷いた。
「よろしく頼む。船に酔わなければできることなら手伝おう」
「そうか……ならばまずは十日ほど我慢してくれ。それと、個人的に一つ頼みがある。もちろん断ってもなんら不都合なことはない」
 きたか、と蔵人が身構えるが、ニルーファルは思いがけないことを告げた。
「守護魔獣殿、いやユキシロ殿に手合わせをお願いしたい」
 守護魔獣という聞き慣れない言葉と意外な頼みに蔵人は返答に詰まってしまったが、当の雪白は鷹揚に頷く。
「……かたじけない。今からでもかまわないだろうか?」
 雪白に異論などあろうはずもない。それに蔵人がいつものビョーキを発症している相手であり、これから世話になるかもしれない相手でもある。断る理由はどこにもなかった。
「では兄者、あとのことは頼みます」
 ニルーファルはそれだけ言うと、雪白を伴って広々とした砂漠のほうに行ってしまった。
 残されたのは蔵人と、いつのまにかファルードの後ろに控えていたバーイェグ族の男たちだった。彼らは一様に背筋が伸びており、ファルードほどではないにしても鍛え込まれた体つきをしている。
 蔵人が油断したかと身構えそうになるが、それより前にファルードが告げた。

「……お前の力を知りたい」
「……??」
 この男は口数が少なすぎる、と突然の展開に戸惑う蔵人がどうにか聞き出すと、どうやら客人を受け入れる通過儀礼という建前のもとで、蔵人の力を把握するために戦いたいということであった。
「……ルールは?」
 蔵人もこのコミュニティに入れてもらうのだから戦闘が嫌いだ、などとは言えなかった。いやなら他の集落へということも考えられるが、おそらくはどこも五十歩百歩、何もわからないなら、少なからず信用できそうなバーイェグ族たちのところにいるほうがいい、と。ほぼエルフと同義であるダークエルフの女たちが気になった、ということも影響している。
「……全力で」
 これが蔵人には一番困る。おそらくは致死的な攻撃手段を用いずに全力を振るえ、ということなのだろうが、戦闘経験の浅い蔵人にはそんな器用な真似はできない。殺す術しか知らないのだから。
 それでも、それがルールならと毒や自律魔法を使わない、いわゆる初見殺しをしない方向で、どうにか力を見せようと決め、戦闘を了承した。

 蔵人はふとファルードが歩き出すその背を追おうとして、アズロナはどこにいったと視線を巡らすとマルヤムに両脇を抱えられ、楽しそうにしているアズロナを見つけた。
 蔵人の視線に気づいたのか、マルヤムはアズロナの翼腕を持ってこちらに手を振り、アズロナも無邪気に喜んでいる。
 蔵人はその姿にひとまず安心し、ファルードについていった。

 ついた先では、すでに雪白とニルーファルが対峙していた。
 ニルーファルはローブを脱ぎ捨て、櫂剣を肩に担いで構えているが、全身は砂だらけで、この短い間に何度も雪白に破れているであろうことは察せられた。
 蔵人はそこで初めてみるニルーファルの顔と極端に肉感的な肢体に目を奪われてしまった。
 黒紫の瞳の目尻には涙にも似た三角形の刺青が三つ彫られており、垂れ目がちなこともあってまるで泣いているようすらあった。編み込まれた紫色の長い髪は頭部に巻かれ、その髪の合間から尖った耳がぴんと伸びている。日没間際の薄闇のようなダークグレーの肌と、豹のようにしなやかでありながらも極端なまでに肉感的な肢体は蔵人の目を釘付けにした。

 そんな蔵人の視線の先で、小さく、砂煙が舞い上がった。
 蔵人に視認できたのはそれだけで、次に起こったことは雪白がその大剣を爪で受け止め、ニルーファルが横に吹っ飛んだ姿だけであった。
「……ニルの櫂剣を無傷で」
 ファルードは何か納得したように呟く。
 その視線の先では砂に顔面から突っ込んでいたニルーファルがむくりと起き上がり、なにやらさっぱりした顔で起き上がると、脱ぎ捨てたローブを拾い上げて、雪白に頭を下げた。
「とても参考になった。よければ、ここに滞在している間も手合わせしてほしい」
 礼儀正しいニルーファルの様子に雪白はぽいっと櫂剣を投げ渡すと、暇なときにね、という風に頷き、櫂剣を軽々と受け取ったニルーファルと並んで蔵人たちの元に戻ってくる。
 それがまるで心を通わせた師匠と弟子のようにも見えて、蔵人にはおかしいような、嬉しいような、なんとも形容しがたい感情が込み上げていた。

 ニルーファルはファルードに気づくと軽く頷き、ファルードもそれに応えながら自分の櫂剣をニルーファルに渡して、つい先ほどまで雪白たちが戦っていた場所に足を向けた。
 蔵人の身長の倍ほどに間合いを空けて向かい合う蔵人とファルード。
「……いつでも来い」
 ファルードは拳を握り、それしか言わない。
 どうやら素手でやるつもりらしい。蔵人は基本的な戦闘能力を示せば良いという程度のつもりで、石精魔法を準備する。砂は石、であれば土精魔法で大ざっぱに行使するよりも、石精魔法を行使したほうが効率的である。
 だが、蔵人はその感触に戸惑った。
 精霊の反応が『重く』、『鈍い』。
 ミド大陸の精霊とはもはや別物というレベルで、意思を伝えたときに返ってくる感触が違う。
 さらに何度か魔力を渡そうと試みて、蔵人は気づく。頼み方も、渡す魔力の量も違う。つまりは本当に別物なのだと。
 頼みの綱である精霊魔法にハンデを抱えてしまった蔵人であるが、今は精霊と語り合う暇などないと魔力任せに石精魔法を行使し、ファルードの四方に砂杭を発生させた。

「……砂の呪術師だったか」
 ファルードは初見のはずの砂杭をあっさりと避けながら、ぼそりと呟く。
 蔵人はそこへさらに、砂球を放つ。数はおよそ十。
 だがファルードはそれすらも易々と躱し、躱しきれないものは、――素手で殴り砕いた。
 蔵人は喉から出かかった動揺を呑み込む。
 四つの砂球を殴り散らした力を見て、ようやくファルードが極めて自然に発動している身体強化を感じ取った蔵人は、龍華国の大星たちを思い出していた。
 大星たち武芸者は意識的な命精魔法を使うことができないが、その鍛錬によって恒常的に身体強化魔法や治癒魔法を発動している天然の命精強化者、ミド大陸でいうところの『英雄』であった。
 かつて意識的な命精魔法のなかったミド大陸で、戦乱や魔獣災害で名を挙げた天然の命精強化者。その槍の一突きは兵士を五人貫き、その鋼の肉体は魔獣の牙をもとおさないと伝わっている。

 命精魔法が開発されて広まってからはミド大陸にほとんど生まれることのなかった『英雄』であるが、今それが蔵人の前にいた。ファルード、そしてニルーファルである。 
 バーイェグ族の全員がこんなことができるのかと、観戦している男たちをちらりと見ると、男たちは憧れや尊敬の眼差しでファルードを見つめていた。
 できる者は存在するが、それほど多くない、というところだろうか。
 ただ他の男たちとて、精霊魔法の一つや二つ避けるくらいならできそうだなと、蔵人はあまりの戦闘民族さ加減にげんなりしてしまった。

 蔵人はそのあとも精霊魔法の感触を試しながら、砂杭や砂球を放ちまくるが、そのすべては躱され、殴られ、蹴られ、直撃するものは一つもない。
 氷精魔法や闇精魔法を使おうにも、まだ日中で精霊の影も形もない。ましてファルードの体術を見て、わざわざ不得意な近接戦に持ち込もうなどという気にもなれなかった。
「――殺すつもりでこいっ!」
 そんな蔵人の苦悩をよそに、本気を見せろと叫ぶファルード。
 蔵人の中で苛立ちが首をもたげる。
 こちらの気も知らないで勝手な事ばかり言いやがって、と蔵人はその衝動のままに石精魔法を放った。
 砂杭と砂球が十ずつ、殺気を伴ってファルードに襲いかかる。
 ファルードはさきほどと同じように、躱し、殴り砕くが、突然その視界を砂塵に覆われ、鼓膜を爆音が貫いた。
 しかしそれでもなおファルードは、見えていないはずの砂球や砂杭を迎撃する。間断なく放たれる砂球と砂杭、砂塵をものともしない。
 さらにファルードは、爆音に耳を潰され、砂塵に視界を奪われているにも関わらず、『勘』だけを頼りにソレ(・・)を避けた。
 しかし避けたはずのソレ、透明な大爪は引き戻されながら、ぱっくりと大きく爪を開いてその足元を狙う。
 ファルードは躊躇なく大爪を蹴り飛ばすも、そこにブーメランソードを振りかぶって跳び上がった蔵人が突っ込んだ。
 だが、太陽を背にして身体ごと一直線に振り下ろされたブーメランソードを、ファルードは易々と殴り飛ばす。
 柄尻を殴られてすっぽ抜けるブーメランソード。
 蔵人はそのままどさりと地面に着地するも、さらにそこから『全力の一撃』を放った。
 同時行使できる最大数の砂球と砂杭、爆音、砂塵と用い、さらには大爪、ブーメランソードを囮に『全力の一撃』を放った。近接戦での技術も駆け引きもない蔵人の、正々堂々とした奇襲であった。

 が、それはファルードの脇腹一歩手前で、その両手に阻まれていた。
「……よくわかった」
 ファルードのその言葉を最後に、蔵人の意識は途切れ途切れになる。
 肉体の耐久度や精霊魔法や命精魔法での防御は念入りに鍛えた。巻角大蜥蜴や緑鬣飛竜、紅蓮飛竜の革を使った『混合革鎧』も着ていたし、『飛竜の双盾』だって直撃の寸前で構えた。
 だがファルードの拳の前に、そんなものはあっという間に無力化された。
 どうにか構えた盾は一撃で弾かれ、低位混合障壁の魔法具『守護星Ⅰ』や自律魔法の物理障壁も粉砕された。常時発動している命精魔法の物理障壁『対物障壁』も易々と貫通し、その重い拳が蔵人の腹を抉る。
 革鎧越しでなお、その拳は蔵人に深々と突き刺さり、その喉から嗚咽を吐き出させる。
 それでもどうにか『飛竜の双盾』を構え、不可視のスパイクニードルを発現させるも、ファルードの拳に軽傷を与えるだけ。それに軽傷とはいっても、ファルードはスパイクニードルに拳を当てた直後にそれに気づいて引っ込めているため、傷と呼べるようなものでもなく、あまつさえ同じスパイクニードルには二度と拳を当てない。他のスパイクニードルが攻略されるのもそれほど時はかからなかった。
 ファルードは止まらない。
 まるで刃を潰した槍のように重く鋭い拳は、張り直そうとした『対物障壁』や砂壁が完全な状態になる前に破壊してしまう。
 もはや打つ手などなく、こんなもんさ、と蔵人はあっさり意識を手放した。
 蔵人の身体から力が抜ける。
 するとファルードは蔵人に直撃する寸前で拳を止めた。
 無防備にどさりと砂の上に横たわる蔵人だったが、日頃の雪白との格闘訓練もあってすぐに意識を取り戻す。だが、起き上がることはできず、流れる汗もそのままに、大の字になって荒い息を繰り返した。

 ファルードは荒く息をする蔵人を見下ろしながら、その戦い方に『重装呪術師』という見たことも聞いたこともない兵種を思い浮かべていた。
 戦闘を通して、蔵人の性根を知るつもりであったが、なんとも摩訶不思議な戦い方をする蔵人に興味を持った。
「……戦いが嫌いなようだな」
 その端的な言葉に、蔵人は荒い息が邪魔して答えられなかったが、ファルードは確信していた。
 最後の奇襲じみた攻撃には焦りがあった。早く戦闘を終えたいという投げやりな気持ちが感じられた。だが、防御は固かった。装備も防御に偏重しており、その肉体も耐久度に重きが置かれている。呪術もこの地にいるどんな呪術師よりも手数が多い。おそらくは威力も上げられるはず。
 ファルードは雪白をちらりと見る。
 くわぁっと欠伸などしているが、戦いの間はずっと、あんまりやり過ぎてくれるなよ、とファルードへ視線を飛ばしていた。
 雪白が縦横無尽に前で好き放題に戦い、蔵人がそれを後ろから援護しながら身を守る。そういう形で戦うからこそ『重装呪術師』などという戦い方が生まれたのだろう、とファルードは推測した。
 もう一度へたばった蔵人を見つめてから、ファルードはニルーファルに目をやって、頷く。
 ニルーファルはそれを受けて、宣言した。
「――掟どおり、まずは十日間、旅人を客人として受け入れるっ」
 ニルーファルの宣言に蔵人は鈍痛まみれの身体を起こし、立ち上がった。
「……案内しよう」
 蔵人はファルードに案内され、砂舟の舟団に足を踏み入れた。

「ここだ。この小舟の中ならば移動してかまわない。何かあれば、声をあげてくれ。誰かかしら気づくはずだ」
 ニルーファルとファルード、そしてアズロナを抱きかかえているマルヤムとともに、蔵人は舟団の最後尾近くにある小舟に案内された。
 部屋に入ってすぐの右手には水瓶、床には絨毯、隅には夜具の毛皮が壁に引っかけられているだけ。船内は四畳半ほどであるが、小舟自体は小さな甲板と船尾を含めるともう少し広い。蔵人と雪白、アズロナで生活するならばまったく問題はなさそうだった。
「詳しいことは兄者に聞いてくれ、男同士のほうが気楽だろう」
 ニルーファルはそう行って立ち去ろうとするが、立ち去る気配すらない困ったやつを見つけて立ち止まる。
「……マーヤ、行くぞ」
 マルヤムはまるで今生の別れであるかのような情けない顔をして抱えていたアズロナを差し出し、蔵人がそれを受け取ると叫んだ。
「……十日後もここに残ってっ。いえ、その子とあの子だけでもいいからっ」
 突然、あの子と呼ばれた雪白が目を丸くしている。まったく接触がなかったのだから当然であろう。
「……え、縁があればな」
 エルフじみた美貌を持ち、さらには肉感的な肢体を持つマルヤムに迫られ、さすがに蔵人もどぎまぎし、なんと答えていいかわからず、適当に言葉を濁すが――。
「――『運命』ならきっとあるっ。今結んだ、たった今結んだからっ。きっと残ってね」
 『縁』という言葉が『運命』という言葉に翻訳されたらしく、マルヤムは必死になって言い返すが、ニルーファルに強引に腕を取られ、引きずられてしまう。
「……ニルはいいよね、いっぱい遊んだもんね」
 そんな恨みがましい声が遠ざかっていった。

「……不浄に案内しよう」
 ファルードがマルヤムの事などなかったかのように、蔵人を案内する。
 不浄、つまりトイレは部屋と船尾の中間にある小さな物置小屋の中にあり、中を覗くと床に蓋がある。そしてそれを開くと、砂が見えた。
「……素早くな。……たまに、噛みつかれる」
 ただ穴を空けただけの垂れ流しに、蔵人は固まってしまった。
 蔵人とて現代日本から雪山に召喚され、精霊魔法の使えない内は苦労したし、人には決していえないような恥ずかしい状況に陥ったこともある。それも精霊魔法が使えるようになってからは快適になったのだが、残念なことにここには昼夜を問わず、水精が存在しない。
 水精どころか氷精もいない。『飛竜の双盾』に棲む氷精もいくら魔力を渡そうとも、一歩も盾から出ようとしなかった。
「……まず、噛みつくってなんだ?」
「……跳躍百足(ハシュラ)甲殻蛇(ザッハ)だ。捕まえれば食えるぞ?」
 色々と言いたいことを飲み込んで、蔵人はもう一つ尋ねる。
「……その石はなんだ?」
 穴の横に細長い石が小さく積まれていた。
「……尻を、拭く。使い終わったら捨てろ」
 蔵人、そして綺麗好きな雪白が背後で絶句していた。アズロナはよくわかっていないようで、首を傾げている。
「あとは……」
 そんな蔵人と雪白の軽い絶望などに気づくこともなく、ファルードは船室に戻ると、入り口近くにあった水瓶の蓋を取り、蓋の上に置いてあった金属を荒く叩いて作ったらしいカップに水を酌んだ。
「……赤いな」
 トイレのことはいったん忘れ、差し出された水を何気なくのぞき込んだ蔵人は驚いてしまった。
 この水はうっすらと赤いばかりではなく、水精がまったく存在していない。こんなことはこの世界に来て初めてのことであった。
「……赤いが、普通の水だ」
 ファルードはそう言って、水をごくりと飲み込んだ。
 蔵人は確認するように雪白を見るが、匂いを嗅いだ雪白は問題ないと頷く。
「……あとは十日後に」
 ファルードはそう言い残して去ろうとするが、蔵人がその肩を引いて止める。
 何故止める? と不思議そうに見つめてくるファルード。
「あんな戦いでわかるわけないだろ?」
「……もう一度やるか? 」
 決して嫌そうではないファルードに、蔵人はげんなりする。
「なんでそうなる。俺はそんな脳筋じゃない。殴り合いじゃあ、なんにもわからないんだよ。この部族、バーイェグ族のことを色々教えてくれ」
 ファルードは言葉の意味を理解したようで、若干嫌そうな顔をする。ファルード自身、話すのが苦手であることは自覚していた。うまく説明できるとは思えなかった。
 蔵人としてはいつもならハンター協会の資料室で調べるが、それができない今、ファルードから情報を得るしかない。ニルーファルに聞こうにも、もうどこかに行ってしまった。
「……それは十日後にニルが――」
「まさか、人のことを強引に試しておいて、こっちが知りたいときには逃げる、なんてことはないよな?」
 灼熱の日中でも汗をかいていなかったファルードの額に、うっすらと汗が浮かび、目は蔵人から逃れて泳ぎに泳いでいたが、蔵人に容赦はなかった。
 それから、蔵人の質問攻めは夜通し続き、ファルードが解放されたのは翌朝の気温が高くなった頃であった。
 口下手であることと、十日後まではどうしても言えないことがあったため、多少要領を得ない部分もあったが、蔵人はこの地とバーイェグ族の概要くらいは理解することができた。
 その代償として、ファルードが頭をふらふらさせながら小舟を去っていったのだが、蔵人も拳でふらふらにさせられたのだからと、罪悪感など微塵もなかった。

 外は熱した鉄板の上のように暑く、いや熱くなっていた。
 小舟の中では雪白とアズロナが飛竜の双盾を蔵人から奪い、それぞれに涼んでいる。昼間は水精、そして氷精も存在しないため、盾に引きこもっている氷精は貴重な冷房扱いである。ちなみに、一昼夜生活してわかったことは、夜には火精もいないということであった。

 一方の蔵人は龍華風の外套を羽織り、雪白たちが涼んでいるおこぼれを感じながら寝そべって、うつらうつらしている。遺跡脱出からの戦闘、そして徹夜がさすがに堪えていた。
 そこに、硬質な金属音が二度響く。最初は軽やかな、次いで重々しい音。
 突然の来客に熱い空気が入ってくると雪白たちが嫌そうな顔をしているが、蔵人は昨夜聞いたばかりのバーイェグ族の慣習を思い出し、のろのろと身体を起こして身だしなみをざっくり整え、来客を迎え入れた。軽やかな金属音は女性の来訪を、重々しい金属音は男の来訪を示していた。
 来訪者は、先刻出て行ったばかりのファルード、そしてその後ろにマルヤムがいた。ファルードは櫂剣を頭上に掲げ、直射日光を防いでいる。
 マルヤムはあくまでも建前という風にバーイェグ族の丁寧な挨拶をすると、すぐに本性を現す。
「――ん? なんか少しだけ涼しいね」
 そう言いながらもアズロナ、そして雪白の元にするりと近づき、躊躇なく混ざってしまった。
 雪白に対してもまったく尻込みすることなく近づいていくが、当然のように雪白の尻尾で頭を押さえられそうになる。が、マルヤムは素早くその尻尾を掴むと、頬ずりした。
 なっ、と予想を上回るマルヤムの手さばきに驚いて雪白は慌てて尻尾を引き抜くが、マルヤムは少しばかり残念そうな顔をしながらも、再び接近する。
 それを何度か繰り返すと、さらに上昇した気温とマルヤムの執念にうんざりした雪白が仕方ない、という風にマルヤムの接触を許した。
 するとマルヤムは喜んで雪白に抱きつき、そして背中を預けると、いつの間にか捕獲していたアズロナを抱っこして、そのまま楽しそうに何事かを話し始めた。

「……何しにきたんだ? まあ、入れよ」
 その様子を見ていた蔵人は、質問攻めにうんざりして出ていったはずのファルードに事情を聞こうとすると、ファルードは櫂剣を外に置いて中に入り、疲れた様子でぽつりと零す。
「……客人とは言え、男の下に女を一人でやるわけにはいかない」
 ようするに、雪白たちを気に入ったマルヤムに強引に押し切られて、蔵人のいる舟に同行することになった、ということらしい。
「……あとは、食事だ」
 四畳半に蔵人と雪白、アズロナ、さらにマルヤムとファルードが入るともうぎりぎりで、辛うじて包みを中心に車座になる。
 ファルードの持っていた風呂敷は開くとランチョンマットのようにもなる薄手の絨毯であったが、それよりもそこから出て来た『食事』に、蔵人は目が点になる。衝撃の大きさでいえば、トイレのときよりも大きい。
 匂いだけは塩茹でしたエビのようで、その匂いに釣られた雪白がソレをのぞき込んだ。
 そして、蔵人と同じように表情をなくす。
「……ユキシロ殿とアズロナには別に肉塊を用意してある」
 それを聞くと、雪白はほっと安堵した。
「……食えるのか? 」
 蔵人が失礼を承知で尋ねると、ファルードが頷く。
「どうやって? 」
 するとマルヤムがアズロナを抱えたままにゅっと腕を伸ばし、大皿に乗ったソレを掴むと、無造作に頭部をへし折った。さらに残った胴体の殻と脚を剥いて、蔵人の前に差し出した。
 ぷるんとした剥き身。だが、乾いた血のように赤黒い。
 これだけ出されたならば知らずに食べていたかもしれないが、大皿に乗ったソレを見てしまうと、蔵人は口に入れることを躊躇してしまった。
 大皿にこんもりと盛られているのは、どこからどうみても『ムカデ』だった。但し長さは三十センチ定規ほどあり、長剣の柄ほども太い。口元の牙がやけに凶悪で、脚も妙に節くれ立っている。
 蔵人はふとここへ来る前に討伐した魔虫を思い出すも、あれは討伐するものであり、食えと言われると躊躇ってしまう。
 蔵人はこの世界に来てから、どうにか虫食だけはしないで済んできた。さすがに虫を食べるというのは抵抗があった。
 雪白も以前食べていた『砂潜虫(サラーム)』などまったく虫を食べないということはないが、この百足のような魔虫はダメらしい。
 蔵人は恐る恐るマルヤムから剥き身を受け取るが、どうしても口元に運べない。
 そんな蔵人の様子にファルードもマルヤムも不思議そうな顔をしている。
 食べなければ二人は気を悪くするかもしれないが、食べたくはない。でも……、と蔵人は久しぶりの対人生活にそんな日本人らしい葛藤を生じさせていた。
「……どうかしたか?」
 ファルードは口数こそ少ないが、その目力は強い。いや、それはファルードだけでなくバーイェグ族全体にいえることで、横でこちらを見つめてくるマルヤムも同様であった。
 蔵人はゆっくりと、ムカデの剥き身を口に運ぼうとするが、その寸前で止まってしまう。
 すると、パクンッとアズロナが食いついた。
 跳びあがって食いつき、口の端からムカデの尾を垂らしながら、うまそうに目を細める。
 でかしたっ、と蔵人は内心で歓喜の声を上げるが、ふと見ると大皿にはへし折られたムカデの頭部が無残に散乱し、残りの剥き身が綺麗に並んでいた。
「まだ正式な歓迎ができないから心苦しいのだけど、これで我慢してね。みんなが旅人さんへって持ち寄ってくれたんだ」
 すべてのムカデを剥いてくれたらしいマルヤムが、汚れた手を布で拭きながら誇らしげに言う。
 このムカデは『千年万足(ヘザルパ)』といって大きいほど狩猟は難しいが、小さいのは見つけるのが非常に手間という代物で、このサイズのものは祝い事に扱われることが多く、一族総出で捕まえるのだとか。
 当然蔵人はそんなことを知らない。知らないが、二人の言葉の端々からそれに近いことは想像した。
 想像できてしまえば食べないという選択肢はなく、蔵人はどうにかこうにか腹を据えて、『千年万足』の剥き身を口に運んだ。

 蔵人が食事を終え、マルヤムが雪白たちを一時間ほど堪能すると、二人は舟を出ていった。
 帰り際に、ファルードが日暮れに出航すると教えてくれたのだが、蔵人はそれをすっかり聞き流してしまう。
 そのときはまだ、口の中にムカデの味がしているような気がしていた。食感はねっとりとしており、味は油っぽい生カニと表現するのが一番近く、おいしいと言えなくもない。
 だが、口の中に残った味をムカデだと思ってしまうと、胃のあたりがゾワゾワしてしまって、気もそぞろになっていた。
 だが濃密すぎる時間を過ごした蔵人の疲労はたまりにたまっていたらしく、蔵人はムカデの後味に悩まされながらも、いつのまにか眠っていた。

 蔵人は微かな揺れに目を覚ます。
 雪白はすでに目覚めているようで、横たわって蔵人の枕になりながらも、慌ただしい外の物音に耳を忙しなく動かしている。
 寝ぼけ眼の蔵人が身体を起こして立ち上がると、蔵人が知らぬうちにその膝に頭を乗せて眠っていたアズロナの顎が、ごちんと床にぶつかった。飛行訓練でよく失敗しているせいか、また落ちたっ、と寝ぼけながら驚いている。
 それを脇目に蔵人は寝ぼけ眼のままドアを開くと、舟の外に景色が変わっていた。
 風の中に、砂舟がいた。
 見渡す限りの砂漠が、夕暮れに朱く染まっている。
 蔵人は帰り際のファルードの言葉を思い出し、砂舟が動きだしたのだと悟った。

 赤い砂漠を、舟団が走る。
 その舟団を縦横無尽に動き回って、いや跳び回って操船するバーイェグ族たち。
 ときおり荒々しげな声に、ニルーファルの凜々しい声が混じる。
 日本にいては、いやミド大陸にいては見られなかっただろう光景に、蔵人は見入ってしまった。
 すると、雪白が蔵人の背中を頭でのそりと押しのけて顔を出し、砂舟が生み出す風にまんざらでもなさそうに目を細める。ようやくはっきりと目覚めたアズロナも足元から顔を出して、移りゆく砂漠の風景を楽しんでいた。

 蔵人は小舟の船尾に移り、舟団で言えばその最後尾に当たる場所から、砂舟と砂漠を眺めた。
 朱い砂漠は日没とともに紫、紺、そして黒へと景色を変え、気温も急激に下降していく。
 蔵人は船室から夜具であろう何かの毛皮を引っ張り出して羽織ると、再び船尾から舟団を見つめる。雪白は気温が下がるほどに機嫌を良くし、アズロナもまだ余裕そうであった。
 出航間際は慌ただしかった砂舟も、今では落ち着きを取り戻していた。舟団を縦横無尽に跳び回っていた男たちは警戒を残して舟の中へと戻っていく。
 たまに外に出てくる男や女たちは寒さ対策であろう毛皮と、そして頭部に巻いていた髪を今ではマフラーのように首に巻きつけていた。
 煮炊きの音や匂い、子供の泣き声や笑い声、それぞれの舟から微かに漏れる生活の明かり。
 蔵人はここでようやく、肩から力が抜けた。
 わざわざ戦えぬ女子供に近づけてまで、襲うこともあるまい、と。もちろん、雪白の力を示してあるという事実も大きく、その二つでもって、ようやく蔵人は人の街にいるような安心感を得た。
――ぎうっ
 さすがに寒くなったのか、蔵人が羽織る毛皮にアズロナが強引に身体を突っ込んだ。
 生活の音が少しずつ減っていき、気温はさらに下がっていた。昼間との気温差は百度近くありそうだと、蔵人はでたらめな気候に舌を巻く。
 逆に雪白は歓喜し、流れているようには見えない砂流に尻尾を垂らして、やはり流れているのを確認しながら、砂流でどうすれば自由に動けるかを思案しているようであった。
 蔵人はアズロナと身を寄せながらも無意識の内に雑記帳を取り出していたが、気づく。墨を溶かす水も凍ってしまうことに。
 明日は煤でも用意するか、と蔵人は考えながら、雑記帳をしまい、それから夜が明けるまで船尾に座って、砂漠と舟団を見つめ続けた。




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