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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第六章 砂塵の向こうで
116/144

112-女神像

 『用務員さんは勇者じゃありませんので』5巻は6月24日に発売予定ですが、一部書店様ではすでに発売されているようなので、こちらをアップさせていただきます<(_ _)>

 ネット版、そしてよろしければ書籍版のほうもよろしくお願い致します。地図や挿絵など私一人では手の回らない部分や、書き下ろし短編(蔵人が現代日本に用務員としていた頃)が掲載されています<(_ _)>

 それでは今後ともよろしくお願い致します<(_ _)>

 

 

 巨大な女神像が発する青白い光が、地下空洞を照らしている。

 迷路遺跡の落とし穴に落ちた蔵人は打ち据えた尻の痛みも忘れ、その光に引きつけられるように女神像を見つめた。


 女神像は周囲の石とは違い、蒼黒い石を彫って作られているようであった。

 足下にまで及んだ長い髪、エルフのような細長い耳、そして前頭部から伸びた剣のような長い一本角。だが、何より特徴的なのは、両腕がないこと。像が壊れたというのではなく、最初から存在しないようであった。

 角、そしてスレンダーな体躯に巻き付いた擦り切れたような長布も相まって、古布の巻かれた槍のような印象の女神像であった。


 蔵人はふと、女神と落とし穴という組み合わせから龍華国のことを思い出しながらも、ぼやーといつものように女神像に見入っていると、ぼふりと雪白の尻尾がその顔面を打った。

 ん? と蔵人が目をやると、早くブラッシングをっ、とこれまたいつもどおりの雪白がぷりぷりした様子で、そばに寝そべった。

 蔵人は苦笑しつつも、大人しく従う。雪白がブラッシングを要求するくらいなのだから危険はないだろうし、龍華国のときのように今は出口もないような気がしていた。

 ちなみにアズロナはというと、腕がない女神の姿に自らの脚がないことを重ねたのか、興味津々な様子で見上げてから、その拙い飛び方でふらふらと上へ向かっていった。


 三種のブラシで毛を梳きながら、同時に弱い雷撃で皮下の筋肉に刺激を与える。

 これが最近のやり方であるが、いつもそればかりでは芸がないな、と蔵人はしばらく考え、そして実行した。

 魔力を流せば鉄のごとき硬度を得る巨人の手袋で、ぐりぐりとマッサージをやってみる。雪白の筋肉を相手にするならば、これくらいしないと効果はないだろうと思ってのことである。

――ぐるあっ!?

 いつもと違う様子に雪白が戸惑うも、蔵人は気づかぬふりをして一心不乱に揉みほぐす。

 一番ブラシでざっくりと毛並みを整えられながら、弱雷撃で筋肉に刺激を与えられたあとに、その筋肉を固く強い指先で丹念にねっとりと揉みほぐされ、さらに毛の先から力が抜けるような二番ブラシ、触れるか触れないかの微妙な触感で皮膚を撫でるかのような三番ブラシをフルコースで味わった雪白。

 しかも、いつもよりも全身がぬくい。

 雪白はまだどうにか動く首を億劫そうにもたげ、蔵人を睨んだ。

「ん? ああ、確か筋肉が冷たいとよくないって聞くからな。ちょっと火精で手袋を温めてみた。熱くない程度だと思うんだが……」

 確かに、揉みしだいていた指先は熱くはない。ぬるい温泉に入っているようで、ちょうど良い。

 いやっ、違う。

 最近になってやっとブラッシングや雷撃にも耐えられるようになったというのに、どうしてこう次から次へと小癪なことを思いつくのか。

 そう思って抗議しようとしたが、狙ったようなタイミングで白毛を撫でていったブラシに、雪白は唸りを上げる間もなく、気が抜けた。



――ごろごろごろごろ……

 いつのまにやら鳴らしていた喉にハッとなるも時すでに遅く、雪白は自分の意思ではどうしようもないほどにリラックスしてしまっていた。

 その姿を見て、蔵人は俄然やる気を起こす。

 相手に何かして、それが気持ちいいのだとわかればやる気になるのが、蔵人、いや男の性である。

 抵抗のない雪白をさらに蹂躙、もといマッサージとブラッシングに集中した。

 雷精を同時にいくつも使って雷撃を循環させ、さらに火精で巨人の手袋を暖める。自身に熱や雷撃がいかないようにしている分を考えると優に十以上は精霊魔法を同時に用いているわけで、こんなマッサージができるものなどそれこそエルフくらいしかいない。

 火精や雷精に親和性のあるエルフが極めて少数であることを考えれば、おそらくはほんの一握りのものしかできない、マッサージであった。

 いかに蔵人の技術が拙いとはいえ、そんなものを味わってしまえば、しかも日に日にその力量が上がり、新たなアイディアを試されてしまっては、雪白の対応能力も追いつかないのも当然であった。 



 つきたての餅のように、びろーんと地面に横たわる雪白。

 もはや動く気などなかった。地面のほどよい冷たさが心地よい。このまま溶けてしまいたい、そんな気持ちである。

 満足げな蔵人の視線が気に入らないが、一歩も動きたくなかった。

――ぎゃうっ

 ふと頭上からアズロナの鳴き声がした。

 正直、こんなだらしない姿は見られたくなかったが、今さらであろう。

 雪白、そして蔵人は鳴き声のほうを見上げた。

 

 巨大な女神像の肩に乗って、すごいでしょ、と胸を張るアズロナがそこにいた。

 

 女神像に悪戯をしているというのに、不思議と嫌な気にさせないのはアズロナの性格ゆえか。

 しかし、と蔵人は手招きする。

 ぱさぱさっと拙い飛行で飛び下り、蔵人の胸元に飛び込むアズロナ。

「おっと。……名前も由来も知らんが、たぶん神さまだからな。あんまり失礼なことをすると、頭からマルカジリにされるかもしれんぞ? あの綺麗な口がぱっくりと大きく開いて、アズロナを丸呑みに……」

 蔵人がそんな風に適当なことを言うと、アズロナはすぐにおろおろとしだし、まるでごめんなさいをするかのように女神像の足下に跪いた。

 効き過ぎたかな、と蔵人が苦笑しかけるが――。


『――かまわぬ。幼子の悪戯など可愛いものだ』


 古くさい口調であるが、柔らかく美しい声が、どこからともなく響いてきた。

 蔵人は咄嗟に身構えようとするが、雪白はつきたての柔らかい餅になったまま動かず、アズロナは聞こえてきた声に反応して、なぜか女神像にすり寄っていた。

 アズロナの様子から察するに、女神像が発した声だとは思われるのだが――。


『――ゴーレムなどではない。神、いや、忘れ去られ、滅びゆくしかない神といったほうが正しいか』

 

 悲しげではあるが、すでに自らの終わりを悟ったような声色であった。

 言葉を放ち、神を自称する、巨大な女神像。

 疑いはいくつも蔵人の中で渦巻いているが、神ではないと証明する手段もない。召喚時に神らしき何かと話した感じからすると、あながち嘘でもないと蔵人は感じていたのだが、そもそも神に詳しくないのだから本物と断ずることもできない。

 蔵人は警戒しながらも、女神像を神様と仮定して、会話をすることにした。

「あ、その、なんだ。いや、なん。……か、神さまが、なにか御用でしょうか?」

 日本人としての匂いを消すため、あえて使わないようにしていた敬語をどうにか思い出しながら、要件を尋ねる。

『理解が早くて助かる。汝に一つ、頼みたいことがあってな』

「……神、さまの力になれるような力などありませんが」

『今の我にはこの世界どころか、汝をどうこうする力もないわ。せいぜいがこの檻に少しばかり手を加えて人を招くくらいよ』

 檻とはこの遺跡のことか、と蔵人は推測する。

「では?」

『――我を描いて、名と姿を残してほしい。我が望むのはそれだけだ。いや、正確にいえば、幾多の遺跡にいる同じような神も描いてほしい。かつて魔獣の神を描いた汝ならば、その意味はわかろう?』

 巨大な女神像はそう言って、詳しい話を始めた。


 女神の名は『セレ』。

 古くは帚星や彗星、流星を意味し、この女神もそれを司るという。かつてジーバがサウラン砂漠のことを『星の落ちた地(セレ・ヘザール)』と呼んでいたが、その『セレ』と同義の古い言葉である。

 かつて流星が尾を引いて夜空に流れる様を見た人々は、善神が悪神や邪神を刺し殺しているのだと考え、流星を信仰した。

 女神の姿に両腕がないのは、頭頂部の角と合わせて全身を一筋の流星、一本の槍と見立てているからだとか。


『そういう風に想像され、信仰されたがゆえに、この姿となったのだ。ゆえに忘れられ、信仰を失えばこの身はなんの意味も持たぬ力の塊となる。この世界は、必要とされなくなった神の力を遺跡の機能として発散させ、神を消すために『遺跡』を生み出した、らしい』

「……?」

『我は今もそしてかつても万能ではない。滅びゆく神のいない遺跡もあるゆえ、我が語る遺跡がすべて真実だとも限らんのだ』

 神というのは、人の想像と信仰から生まれる生き物らしい。

 そして生まれたあとは人の手を離れ、間接的にこの世界に関わっていくものだとか。

「……つまりそれを俺が描くことで、神の延命になる、ということですか?」

『もはや手遅れであろう。もしかしたらという思いはあるが、一人や二人の信仰では大海を薄めようと水を一滴二滴垂らすようなものだ。他意はない。描いて、この世界に残して欲しいだけだ』

 セレという女神像はこの世界に己がいた証が欲しいのだと、訴えた。


「……描かなければ罰がくだるのならば、やるしかないと思うのですが」

 言わずにはいられなかったことが、つい口から漏れてしまう蔵人。

『先ほども言ったが、今の我には汝を罰するような力は無い。それに、神はこの世界に直接的な力を行使できないようになっている』

 ならばなぜ存在するのか。

 蔵人が口にしなかった問いを、表情から読み取ってセレが答えた。

『かつては、降臨したこともあったが、今はもう必要ない。石器しか知らぬ者たちに竜種が倒せると思うか? 無理であろう? ゆえに、弱き者たちが祈り、その祈りから我らが生まれ、そして神器を授け、それぞれが守護する種族を生き残らせた』

「人に類する種にだけ、ですか?」

『竜種は神に祈らんし、人に匹敵するような魔獣も同じだ。が、いなかったわけではないし、今も存在している者もいる。汝が知らんだけでな』

 確かに魔獣に神がいないとは誰も言い切れない。

「本当に直接的に関与はしないのですか?」

 と、蔵人は自分が召喚されたときのことを語った。明らかに、加護を盗んだハヤトがまるでこちらの世界に引っ張られるように、先に消えたのだから。

 蔵人はこの女神像のことを信じてしまっていた。雪白もアズロナも大人しく話を聞いているし、なにより、ここまで壮大な仕掛けに引っかけられたのなら、もうお手上げだという思いもあった。

 それに遺跡で、二度に渡って落とし穴に嵌まり、女神像に出会う。そんな事が続くのはもはや神がかっている、とも。


『……召喚とは、随分と才気に溢れた魔術師がいたものだ。……おそらく、その神は我よりもさらに上の、言うなればまさしく至上の神とでも呼べる存在であろう。人の想念などが原型ではない、唯一無二の存在だ。汝の世界と、こちらの世界に一柱ずつ、もしくはほかの世界にもそんな存在はいるかもしれんがな。

 とはいえ、神には違いない。本来であれば直接的な関与はできない。しかし、召喚ともなれば話は別で、おそらくは世界と世界を跨ぐ、汝らの存在の所有権が曖昧なときだからこそ、直接介入ができたのであろう。おそらくそれ以後、関与はなかったはずだ』

「……神に善悪はないのか?」

 いつのまにか蔵人の口調は戻ってしまっていた。

 加護を盗まれたときのことを思いだして、感情的になっているのかもしれない。

 だがセレはそれを咎めなかった。

『加護を二つもった者など我も聞いたことがない。そんな存在がいれば、欲しがる神がいてもおかしくはないだろう。それにな、誰が唯一絶対なる神の善悪を罰する? 我のようなこの世界の理に縛られてはいない神がなにを怖れる。自らが欲するままに求め、庇護するだけだ』


 そんなものか、と蔵人は妙に納得してしまった。

 人にとって目に見えないような細菌をいくら殺したところで罪悪感が湧くことはなく、ましてや善悪を考えることもない。細菌を生んで、試して、殺す科学者と神の視点は同じようなもの、ということかもしれない。

 神はいる。

 ただし、人という個には無関心で、せいぜいが珍しいコレクションくらいにしか思っていない。もっとも加護をくれた神を思えば、人と同じように神の個性に差はあるようだが。

『ただし、それは至上の神だけだ。我らは関与できないながらも、常に気にしておる。……まあ、己の生死がかかっているからだと言われれば、それまでだがな』

 どこか、そんな無関心な至上の神と一緒にしないでくれ、と言っているようにも聞こえた。

「……本当に描くだけか?」

『そうだ。描かないと言ったところ罰はない。しばらくすれば上に戻してやろう。そして、受けたとしても報酬もない。これはな、我、いや我ら滅びゆく神の懇願なのだ。だからこうして我も女神の姿をして、汝が自発的に描くように誘ったのだ』

「……ん?」

 話が妙な方向に流れ始めた。


『信仰を一つに絞ることなく幾多の神の存在を認め、その上で遺跡を踏破できる力を持ち、かつ我らを正しく描くことができる。そんな者が早々現れるわけもなく、ようやく現れたのが汝だ。ゆえにな、魔獣の神が汝の連れに話を聞いて、汝が女好きだと判明したがゆえに、こうして我は女神像として待っていたのだ』

「……連れ?」

 そう言いながら、蔵人は雪白とアズロナに目を向ける。

 ようやく身体を起こした雪白は、そのとおりでしょ? とどこか呆れを含んだ目で見返してきた。アズロナもうんうんと同意している。もっともアズロナの場合の好きは、自分がみんなを好きなのと同じような意味合いで捉えているのだが。


 蔵人は肩を竦めた。

 否定はしないし、悪い気もしていなかった。

 報酬もないが、罰もない。ただ機会があれば、その姿を書き残してほしいというだけの依頼。

 蔵人はあまりにも正直な、隠すところのない言葉を信用してしまっていた。

 なにより、女神像が美しく官能的なのだから、蔵人としては断る気にもならない。

 あの獣で構成された女神像も美しかったが、この両腕のない女神像とて、両腕がないからこその背徳感が、そして全身を一矢にするという刹那性と苛烈さが、さらにその美貌を際立たせていた。


「……まあ、俺が死ぬまでに、機会があれば、って感じでいいなら」

『かまわんよ。もとより滅びゆく定めだ、少なくとも我らの死は、汝の寿命よりは緩慢であろう』

 セレは即答し、前回蔵人が描いた魔獣の神の名を告げた。

 魔獣の神の名は『混古(フングゥ)』といって、かつて東南大陸にいた蛮族の神らしい。しかしその蛮族は滅び、神の存在も忘れ去られてしまったのだとか。


「……ああ、そういえば。一緒にいたラロや、ほかの調査隊がどうなったかわかるか?」

 神という存在にある種、気圧されていた蔵人は思い出したように尋ねる。

『番人を倒したことでそれぞれに脱出路が出来ておる。ラロというのもすでに脱出路に向かったようだ』

「そうか」

 落とし穴に落ちた以上、死んだと考えるのが普通で、自分たちを探さなかったラロを蔵人は恨んではいない。


 蔵人はそれだけ聞くと、早速懐から絵筆を取り出し、描き始める。

 いつものように、ある種やらしいともいえる視線を女神に向けた。

『……呆れるほど欲求に忠実じゃな。まあそれも、その枠におさまっておるなら害はないがな』

 もう聞いてないよ? と雪白が女神像を見上げる。

『……そのようだな。……ああ、報酬という報酬がないわけでもないか。魔獣の神もくれてやってたようだしな。まあ夢の世界のことだ、現実に一切関わりはないが……』

 女神像がそう雪白に語りかけると、俄然雪白とアズロナが目を輝かせる。

『すでに汝らは活用しているようだな。……肝心のあの男が認識してないようだが、まあ良いか。そんなに女が好きならば、報酬として夢で我らを抱いてもよいのだが……』

「ん?」

 蔵人はその言葉を無意識に聞きつけ、ぴくりっ絵筆を止めて、女神像を見上げようとした。

 聞いていなかったはずなのに、色欲にのみ反応する蔵人を、いっそ見事かと女神は呆れたが――。


 しかし、蔵人が視線を上げる前に、蔵人の持った葉紙の束にぼたぼたぼたぼたと鮮血が落ちた。

 雪白が噛みついていた。

 背後からがっぷりと、蔵人の頭に。アズロナも意味はあまりわかっていなかったが、その真似をして足に噛みついている。


 蔵人はなにがなんだかよくわからなかったが、とりあえず止血をして、再び絵を描き始めた。

『たくましいといえばいいのか、鈍いといえばいいのか……』

 鈍いだけだっ、と雪白が唸る。

 もっともその鈍さが嫌いなわけではない。その鈍さがあるからこそ、人の社会ではなく、雪白たち魔獣の社会に重きを置くことができている。才気と野心に溢れていれば、人の社会を中心に雪白たちと生きようとするだろう。だがそれでは、雪白にとってあまりにも窮屈であった。

 今のバランスが、雪白にとってはちょうどよかった。

『ふむ、なかなか良い関係を築いているようだな。これならば混古が気に入ったのも頷ける……先ほどは随分と気持ちよさそうだったしの』

 その言葉に、雪白の首がぐるんっと勢いよく女神像のほうを向いた。

 だが、違うっ、あれは、そのなんだ……、と言い返すこともできずに唸るばかり。

『そんなに気持ちがよいなら我も……』

 女神の言葉に被せるように、アズもしたいっとアズロナも便乗する。

 いや、あれは奴の邪悪な意思で……と、ごにょごにょとさらに言いよどむ雪白。

『ふむ、他人には味見をさせたくないと……』

 ちがーうっ、と雪白は激しく抗議するも女神は聞き入れず、まあそんなことを言わず少しばかりつまみ食いをさせてくれと交渉を始める始末。

 混古にしろ、このセレという女神にしろ、姿はいくつも持っている。男の姿も、女の姿も。そして獣の姿も。ブラッシングを味わおうと思えば、夢の中ならば可能であった。

 しばらくの間、蔵人が絵を描く側で、女神と飛雪豹と飛竜の仔が姦しく騒いでいた。


 流星と罰を司る、両腕のない女神『セレ』。

 獣と子孫繁栄を司る、全身が幾多の獣で構成された女神『混古』。


 三日後、蔵人はその二柱の神の絵を完成させた。名前と簡単な注釈付きで。

『では、さらばだ』

 女神のあっさりとした言葉に返事をする間もなく、蔵人は飛ばされた。

 ――龍華国の遺跡以来の、逆バンジーで。

「――ぬぉっ」

 突然のことにたたらを踏む蔵人だったが、尻餅をつこうがせり上がる地面が止まるわけもなく、ちらと女神像を見てみれば、なんとなく楽しげに笑っているような気がするのだから腹立たしい。

「……性悪女神めっ――あだっ」

 逆バンジーに耐えながらもそんなことを呟くと、地面の一部がさらに杭のように隆起し、蔵人の言動を窘めるように尻を強打する。当然のように障壁を無視してくるのだから、もはや神というのは確定だろう。少なくとも、遺跡を支配する何か、というのは確かで、そんな存在は蔵人にとって神と同義であった。


 強烈な圧迫感と不快感に耐え、蔵人はようやく迷路遺跡に戻ってきた。横を見ると雪白やアズロナはまったく苦にした様子はなく、むしろ逆バンジーを楽しんでいたようだった。

 蔵人はため息をつきながら立ち上がる。

 まるで狐かなにかに化かされたような気持ちだが、葉紙の束には確かに女神の姿が描かれている。

 現実か、そう思いながら、絵と滅びゆく神のことはいったん忘れ、周囲を見渡した。

 当然のことながら、ラロはいない。

 魔法具の腕輪も、四腕牛魔の死体もなく、あるのは大きく重そうな大斧が三本のみ。

 蔵人はそれを手に取ってみるが、持ち上げることすら危うい。

 勿体ないと思いつつも諦めようとすると、雪白がふんふんと大斧の匂いを嗅ぎ、そしてその内の一本を尻尾で持ち上げた。

 蔵人にはその大斧の効果はわからないが、雪白は良さそうなものを選んだらしい。

 人の社会ではカネがいる。

 それが雪白の学んだことで、魔法具というのはそれなりに高価、つまりはカネになると認識してのことだった。

 

 蔵人はそれを見て、アズロナに手を伸ばす。

 その意図を察知したアズロナは喜んで蔵人の胸に飛び込むと、そこから勝手に蔵人の身体をもぞもぞと這って、背中に張り付いた。

 雪白の尻尾がふさがる以上、アズロナは蔵人が背負うしかない。アズロナの歩行速度は腹鎧を得た今も遅く、飛行速度もそれほど速くない。

 そうしてようやく、蔵人たちは脱出路に向かった。


 先頭は雪白。

 その尻尾に装備した大斧で襲いかかってくる魔獣を一撃で屠っていく。

 蔵人のはそのあとに続きながら、この遺跡の滞在で消費した肉を回収していく。とはいえ多くが魔虫、回収するのは牛魔のみだった。今さら人型の魔獣は食えない、などという神経は蔵人にない。

 雪白に付き合っていれば猿型、犬型、そして人型と食べられそうな肉はほとんど食べてきた。それは、この世界で異常なことというわけではない。都市部ほど忌避し、田舎や辺境では気にしないというレベルのものであった。


「……ラロはどうやって抜けた? いや、そもそもラロが通った道とは違うのか?」

 蔵人はふと、ラロの戦闘の痕跡がないことに気づく。

 三日ほどが経っているとはいえ、まったくないというのも可笑しな話で、それを雪白に聞いてみるが、それらしい気配はないらしい。

 そもそもラロと同じ道を歩いているわけはなく、ラロもすでに脱出したか、死んだかのどちらか。

 そう考えれば納得はいく。

 遺跡ならばそれも仕方ないか、と少しばかり暗鬱な気分になりながらも、蔵人は思考を切り替え、先に進んだ。


 さほど早く進んだわけではないが、一日もかからずに外への出口が見つかる。

 外界との接続は、つまり現実世界との接触であり、出入口に関しては女神も関与できないらしい。それはつまり、迷路遺跡に呑まれたこと自体は偶然であるということだった。

 光が差し込んでいる出口。

 蔵人たちはついにたどり着いた。だが――。


「……また砂漠か。どうなってる?」

 蔵人は皮膚を焼くような日光にうんざりして呟いた。横では雪白たちも嫌そうな顔をしている。

 脱出路は人里近くか、人が多くいる場所に開くと女神から聞いていた。

 だが、目の前に広がるのは砂漠ばかり。

 熱した鉄板の直上にいるかのような気温、細かい砂を運んで吹きつける風、延々と広がる砂漠に蔵人はげんなりする。もはや砂漠に抱いていた憧れなどない。汗と血とともに流れてしまっていた。


 不意に、雪白がぴくりと反応して振り返る。同時に、声がした。

「――ふむ、試練の口かと思いきや、尻とはな」

 蔵人にはまったく気配が感じられなかった。

 即座に振り返り、身構える。

 そこにはすでに迷路遺跡の出口はなく、かわりに身の丈を越える大剣を背負った女が立っていた。その遙か後ろには小舟に乗ったままこちらを見つめている男女もいる。

 だが、蔵人は目の前の女を見て、唖然としてしまった。

――グルルゥッ

 雪白は警戒しているが、敵意を感じないせいか臨戦態勢というわけでもない。アズロナも蔵人の背から、興味深げに女を見つめていた。

「……『角無し』にその肌……『西外の者』か? それでは……言葉はわからんか」

 蔵人たちの反応に、女はそんなことを呟いた。

 そこでようやく蔵人が反応する。

「……いや、言葉はわかる。できれば、ここがどこか教えてくれるとありがたい」


 言葉がわかるというところで、女は驚き、しかし答えた。

「ここは……砂流の西端。まあ、西の果て、といえば大概わかる。未踏地との境と言われるが、砂流もここで途切れてしまっていて詳しいことはわからん」

 仮にここがレシハームの近くだとすれば、西の端は港か、海か、ミド大陸のはずである。

 だが、ここは砂漠だった。

 蔵人は混乱する。

 西? 東ならば、ありえないことだが、まだ意味はわかる。そうサウラン大陸の東側、サウラン砂漠の先ということなのだから。

「……あっ」

 いや、東から見れば、レシハームは西か、と蔵人は思い至った。迷路遺跡の出口が海を越えてミド大陸に到達してはいない、と仮定するならば、ここは――。

「……未踏地か」

 蔵人は知らぬうちに、レシハームや北部列強、そして勇者たちが横断しようとしているサウラン砂漠の未踏地に到着してしまっていた。

 しかしそれならば、目の前の女のことも説明がつく。

 蔵人は改めて目の前の女を見つめた。

「……」

 女は何も言わず、見返してくる。

 蔵人が出会ってからずっと見つめていた存在。

 身の丈を超える大剣を背負ったエルフ。それもダークグレーの肌を持つ、いわゆるダークエルフだった。全身はローブで隠されているが、紫色の髪と黒紫の瞳、そして目尻には涙のような形の刺青が三滴ほど刻まれている。

 ダークエルフは神話にしか存在していない。

 かつて魔王に従ったエルフがダークエルフと言われるようになったが、魔王が勇者に敗れたあとは精霊魔法の力を失い、魔王と共に滅んだとされている種族であった。あくまで、神話であるが。

 

「――我はニルーファル。バーイェグ族の四番舟船頭を任されている」

 ニルーファルと名乗った女は蔵人の視線を意にも介さず、堂々と名乗った。

「……蔵人、ハンター、いや狩人だ。こっちの白くてでかいのが雪白、俺の背にへばりついてるのがアズロナだ。どっちも賢いから、話せば大概わかる」

 雪白がふんっと鼻を鳴らして、早くも鼻の下を伸ばしている蔵人を小突き、蔵人の背にいたアズロナがまるで挨拶するように、翼腕をシュバッと掲げる。

 蔵人は女から視線を逸らさず、さらに頼んだ。

「……よければ、人が生きられる場所に案内してくれると助かる。……礼はできる限りする」

 会ったばかりの者を信用したくはないが、砂漠などという環境を独力でどうこうできるなどとはすでに思っていなかった。


 雪白もさすがにその点は同意なのか、大人しくしていた。

「砂漠に難渋する者を救うのは我らにも異存はないが……」

 ニルーファルの目は雪白の尻尾にある大斧に向けられていた。

 欲しい、というよりは、警戒している風に見えた。

 確かに、遺跡から出て日の光の下で改めてみると、妙に禍々しい大斧である。雪白が持っている以上、呪われているわけではないだろうが、溶けた髑髏のような模様が幾重にも重なっており、正直落ち着かない。

 蔵人が目で問うと、雪白は頷いた。

「ここで生活の目処が立つまで協力してくれるなら、この大斧は報酬として渡す。ついでに色々と教えてくれるとなお助かる」

 蔵人の言葉に、ニルーファルが驚いて、目を見開いた。

「試練を果たした証だろう。……いいのか?」

 正確には迷路遺跡の中央に鎮座していた魔法具ではないが、番人の持っていた武器ならば似たようなものだろう。

 蔵人が頷くと、ニルーファルは雪白から大斧を受け取った。

 蔵人でさえ持てるかどうかという重さの大斧を、まるで普通の斧を扱うかのようにニルーファルはひょいと肩に乗せた。

「わかった。案内しよう。できる限りのことはする。ただ、この地にはこの地のルールがある。外の者には不自由をかけることも面倒なこともあるだろうが。それには従ってくれ」

「俺たちが一方的に割を食ったり、抑圧したりしないなら。それが守られるならば、俺たちも殺し、盗み、犯し、騙すようなことはしないと誓う」

 文化の違う者にもわかりやすいように、蔵人は明快な言葉で誓う。

「――ついてきてくれ。連れを紹介したい」

 ニルーファルは蔵人の目をじっと見つめてからそう言って、くるりと背を向けた。

 蔵人の目に何を見たのか。ニルーファルは無防備ともいえる背中を蔵人たちに向けていた。

 自らの力への自信か、それとも蔵人を信じたのか。

 蔵人はその無防備な後ろ姿を信じることにして、砂漠に伸びるニルーファルの影を追いかけた。




********




 一方、蔵人よりもおよそ三日早く迷路遺跡を脱出したラロは、命からがらとあるオアシスにたどり着いていた。

 迷路遺跡も、そして遺跡を脱出してからの砂漠も、蔵人のように山野で生き延びることに特化しているわけでもないラロには厳しいものであった。

「……ぷはっ、うめぇ」

 水も尽き、水精も砂漠にはいなかった。

 あと一日遅ければ、渇きで死んでいたはずである。それを思えば、このオアシスの水は、ラロにとって命の水だった。だが――。


「――~~~~~~~っ」


 聞いたこともない言語の怒声に、ラロは跳ね起き、身構える。怒声には明らかな殺気が混じっていた。

 足下に突き刺さる矢。

 ラロは二剣を抜き、雷精に魔力を渡そうとするが、力を抜いた。

「……ああ、だめだな、こりゃ」

 明らかに手練れと思われる男たちが十数人、遠巻きにラロを囲んでいた。

 精霊魔法の気配は感じないが、全員から命精魔法の自然な気配を感じる。つまりは全員が、大なり小なり天然の強化魔法の使い手ということだ。

 そしてその姿は、ラロの見たこともない種族であった。

 うっすらと赤い肌は大柄で筋肉質、そして前頭部には大小様々な二本の角があった。

 武具は魔獣素材だが、その加工は洗練されており、魔獣というわけでもない。

 武勇に優れた原住民、というのがラロの見立てであった。

 殺す気ならば、最初の一矢を当てていたはずである。もちろん、一人や二人くらいならどうにかなりそうだが、この人数を相手にするのは難しく、ゆえに抵抗を諦めた。言葉が通じれば交渉のしようもあるのだが、それも無理そうであった。


 武器を取り上げられ、乱暴に砂地に転がされるラロ。

 流民なんてこんなもんさ。

 そんなことを思いながら縛られ、原住民に捕まった。

 命は助かった。

 だが、武具や魔法具はすべて奪われ、ラロは奴隷にされてしまった。


 神のいう報酬、夢の中のことについては、4月1日付けの活動報告の短編が少しばかり関わっています。

 ちなみに、本編とは一切関係ありませんので、お暇があればお読みください<(_ _)>(短いです)


 



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