ロンファ・アフター
少し、短いかもしれません<(_ _)>
遠ざかっていく船尾。
大星は船が見えなくなっても、船の欄干の際でずっと海の向こうを見つめていた。
二度と会えないかもしれない。
一度の別れが今生の別れ。それはたとえ雪白のような強力な魔獣が一緒だとしても、蔵人がどれだけ生存能力に長けていようと、死というものは呆気なく舞い降りる。
武の道に身を置くからこそ、大星は自分よりも遙かに強い武芸者が目の前であっさりと死んでいったのを何度も見たことがあった。
ぽんとカネを出して美児を救ってくれた。
そのカネを返すことすらできなかった。
返す機会はないかもしれないのに、返しきれない恩だけが残ってしまったように大星は感じていた。
「――聞こえたかい? 彼はカネを増やしておいてくれと言っていたよ。まあ、冗談めかしてだけどね」
蔵人と取引して蹄金千枚を用意して蔵人と取引をした耶律巫賢が大星の隣に立ってそう声をかけた。
「……こんな距離から聞こえたと?」
この男は自分の興味が満たされるのならばなんでもやる。美児を借金で絡め取ろうとした王伯よりも、敵か味方か判然としない分、厄介な相手である。
「わたしも君と同じく龍華国の出身でね。皇帝陛下とは比べるのもおこがましいが、これでも竜人族の血を引いているんだよ。だから少しばかり、耳はいいんだ」
大星は耶律を疑わしい目で睨みながら美児に視線を送る。獣人種の美児ならばもしかしたら聞こえていたかもしれないと。
美児は大星の考え事を邪魔しないように口を挟まず、背中に傷を負っていた玉英を蔵人に習った命精魔法でこっそり治癒していたが――。
「おそらくは、そう言っていたと思います」
美児は獣人族の武芸者ほどではないにしろ、鹿人族の芸女としての黄人族の人種よりも優れた聴覚を持ち、さらに水精魔法ほどではないがどうにか使える風精魔法を用いて風の影響を排すことで、蔵人の呟きを聞き取ることができていた。
ほれ見ろ、と耶律が大星を見たが、大星はそんなことはどうでもいいようで、すでに美児の言葉を信じて、なにやら考え始めていた。
手元には蹄金千枚。
借金の期限には間に合わなかったが、耶律の依頼を完遂して手に入れた物である。
これをそのまま渡すことができればよかったのだが、行き違いになってしまったし、直接ハンター協会の蔵人の口座に振り込むこともできなかった。国交の問題や国として大量の金の流出は慎まなくてはならない。
であれば、直接渡すほかない。
しかし、渡す、それも増やして渡すとなれば……。
「――しばらく共闘しようじゃないか。王泊もこれで黙っているなんてことはないだろうし、それに少し面白い話もある。――どうやら、皇帝陛下が限定的ながら外国との国交を始めるらしい」
耶律が軽い口調で言い放った。
だが商売以外ではほとんど鎖国をしている状態の龍華国にとって重大事件である。
「……いいだろう」
大星は商人の顔で即断した。
確かに耶律は信用できない。だが、信用できる相手ばかりが商売の相手ではない。それに、国交が開始されれば蔵人に恩を返せる機会は必ずある。
ゆえに大星は決断した。
大星は貧乏商人ではあるが、それはあえて辺境を回っているということと、根本となる資金のなさゆえである。
蔵人のものであるが資金はできた。それに美児の心配もいらなくなった。玉英や美児の協力、閻老師とその一門の後ろ盾もある。
そう、大星はついに翼を得た。
その名のとおり、夜天に輝く大きな星となるべく、歩みを始めた。
******
黒狐人族の宵児と黒天千尾狐の黒陽は白霧山遺跡のてっぺんから、蔵人の乗った船を見送っていた。
蔵人のやけ酒に付き合ったときには素直に言えなかったが、感謝していた。
それを伝えるかのように、じっと蔵人の乗った船を見つめていた。
そんな宵児の膝の上には、三枚の絵があった。蔵人から絵を預かった、大星の結婚絵画である。
そこに、宵児を描いたものはなかった。
悔しいような気もするが、当然であるような気もしていた。
宵児と蔵人の関係性など、かつて蔵人が語ったように顔くらいしか褒めるところがないほどに薄っぺらい。今ならばそうではないと言い切れるが、それは宵児の心情であって、蔵人が見る宵児のことなど嫌な客のときからそれほど変わっていないだろう。
それに蔵人もそんな短い間に見事に宵児を描くような能力も持ち合わせていないはずである。
だが、宵児は挑戦的な笑みを浮かべていた。
蔵人が描かせてくれと、懇願するような芸女になる。
それでも描けないというなら、理解できるまで芸女としての腕を見せつけてやる。
それが宵児なりの恩の返し方だった。それしか知らないのだから、それで勘弁してもらおう。
宵児はまだ少し、嫌な客としての蔵人がちらつき、素直になれなかった。
ついに蔵人の乗った船が見えなくなる。
宵児は何かを思い出したようにふふっと笑う。
二日酔いで船に乗るなどご愁傷様としか言いようがない。
隣では黒陽が鼻先に皺を寄せて、げんなりした顔をしていた。
蔵人の吐瀉物の匂いを嗅ぎつけてしまったのだが、宵児もさすがにそこまで細かいことはわからない。
「……そんなに雪白が気になるの?」
何を馬鹿なっ、と黒陽が咄嗟に唸る。
あれは天敵である。次会うときは、雌雄を決するときにほかならない。
「よかった。黒陽にも友達ができて」
宵児は素直になれない黒陽をわかっていて、そう言った。
黒陽は決して認めない。
つーんと横を向いてしまった。
こんなところまで自分とよく似ている。
宵児はそんなことを思いながら、しばらくの間、とてもよく似た友人をいじり続けた。
******
大星の乗っていた耶律の船が港に戻っていく。
そこに黒陽が船を揺らすことなく、着地する。その背には何かを抱えた宵児が腰掛けていた。
「もう行ってしまいましたよ?」
美児が呆れたように、独り立ちした弟子に話しかける。
「もう別れは済ませましたので。それより、姐様たちに渡してくれと頼まれました」
宵児は黒陽の背から降りて、蔵人が描いた絵を美児と玉英、そして大星にそれぞれ渡した。
「あれ、あたしにも?」
玉英は依頼中に刺された背中の傷に障らぬようにじっとしつつ、どうにか雪白やアズロナを見送っていたが、宵児に絵を渡されて驚いていた。
渡された絵を見つめる三人。
大星には玉英と美児、大星自身が並んだシンプルな絵。玉英と美児にはそれぞれが大星と並んだツーショットの絵が蔵人から贈られていた。
「結婚絵画と言うそうです」
二人の妻ということでそれぞれさみしいこともあるだろうと、蔵人が葛藤する想いに鈍りそうになる筆をどうにか堪えて大星という男と、その二人の姿をそれぞれ絵にしたらしい。
耶律や閻老師が大星の絵をのぞき込む
「ほう、こんどは一族揃って描いてもらおうか」
「なかなか艶があって……ふむ、わたしの可愛い子ちゃんたちも描いてもらおうか」
「本来男は描かないそうです。……家族全体としてなら描いてくれるかもしれませんが」
閻老師はあの男らしいと呟き、耶律は残念そうにしながらも憤っている。
「……なかなか興味深い男でしたが、少し話し合う必要があるようですね」
耶律の寵愛する者たちの中には男もいる。それを描いてもらえないのが気に入らないらしい。
「それと、新婚旅行なるものの話を聞いたのですが……」
こうして船が港に到着したあとも、大星たちは蔵人の話を肴にいつもの夜店で盛り上がっていた。
死屍累々。
この夜店で呑むといつもこうなると、美児と宵児が酔いつぶれてだらしなく眠る大星や玉英を見つめていた。
「……あなたにもいろいろと迷惑をかけてしまいました。これからこのあたりで仕事をするのは難しいかもしれません」
美児がぽろりと零した。
王泊とは本格的に敵対関係になった。
確かに茶館の主であった林清は失脚したが、だからといってこれまでのようにのらりくらりとできるわけでもない。
「心配しないでください。これでも居留地の商館長からいくつも指名が入ってますから」
外国人居留地での慰労会で名をあげた宵児。
大魔似のインステカ商館長であるカルロスを始めとした何人かの商館長に気に入られていた。
怜悧な美貌に、隙のない侠帯芸女としての立ち居振る舞い、そして芸の腕。
そして、微かな笑みの中にある妖しさや幼さが背筋を振るわすほどに男たちを魅了していた。
ちなみに、カルロスたちは宵児との遊びを機に、東南大陸の文化に傾倒していくこととなる。今までも商売こそしていたが、少なからず精霊魔法も自律魔法もない野蛮な国と龍華国を見下し、その文化に興味を持とうとしていなかったが、それも宵児の客になるまでのことだった。
「……そうですか。短い間に立派になりましたね」
元々芸の腕はあった。美児はそれに少し手を加えただけ。問題の男嫌いもどうにか客商売が成立する範疇に収まった。
寒空の下で黒陽と共に震えていたあの小さかった娘がここまで成長した。
美児には、それが嬉しくもあり、少し寂しくもあった。
のそりと、黒陽が美児の膝に頭を乗せた。
美児はふふっと微笑みながら、黒陽を撫でた。
おそらくはこれが最後の夜になる。
もちろんこれから会うことはあるだろうが、美児は大星と共に商人として駆け回ることになり、会う機会も減る。これまで家族のように過ごしていただけに、別れにも似た気持ちを美児は感じていた。
「……それで、彼はどうでしたか?」
しんみりした空気を振り払うように、美児が話題をかえた。
「姐様に袖にされて、やけ酒をしてましたよ」
意外な攻撃に美児は目を白黒させる。
「姐様はひどい人です。気を持たせるだけ持たせて、蹄金千枚を貢がさせて、最後の最後に人妻だって明かすんですから」
うっと喉を詰まらせる美児。
自覚はあった。
気を持たせているつもりはなかったが、もちろん蔵人の好意にも気づいていた。芸女をしていて男の気持ちに気づかないわけがない。
しかし、よもや蹄金千枚を持ち合わせているなどとは思わない。それに大星の妻になることは隠していたわけではなく、単純に言いそびれただけであった。
「……ふふ、冗談です。初対面で尻尾を触ろうとしてくるあの男にはそれくらいでちょうどいいんです」
宵児は少しだけ、蔵人の代弁をしたつもりだった。
あの男はたぶん何も言わないだろうから。
「……独り立ちした弟子は早くも師匠をいじめるようですよ?」
美児は膝に頭を乗せている黒陽にそう零した。
え、それは、えーと、わたくしに言われても、いや確かに宵児が、しかし、と黒陽は美児と宵児の狭間で困惑する。
「黒陽はわっちの味方ですよね? そう誓いあったじゃないですか」
黒陽が裏切るはずがないと、泣き真似をしだす宵児に黒陽はさらに慌てる。
「いえいえ、寒くて凍えていた二人に暖かい饅頭あげたのはわたしですよ?」
母親のような存在である美児を蔑ろにするわけにもいかない。
黒陽に答えなど出せるわけもない。
ついには美児の膝に頭を乗せたまま、その二本の尻尾で顔を隠して、狸寝入りしてしまった。
そこで二人はふふっと笑いを零す。
「……あなたの独り立ちを祝って」
美児が宵児の酒杯に酒を注いだ。
「姐様の結婚をお祝いして」
宵児が美児の酒杯に酒を注ぎ返し、乾杯した。
とある男の旅路を祈って。
言葉にこそしなかったが、二人の胸中にはそんな想いが確かにあった。
師匠と弟子ゆえか、お互いにそれを察してふふっと笑った。
******
一方のアルバウムでは、ハヤトと左目に大きな傷のある将軍が、アルバウムにあるとあるレストランの個室で、向かい合っていた。
将軍がアンクワールの魔獣災害を依頼したりと、この二人の組み合わせ自体は決して珍しいものではないが、今日ばかりはハヤトの様子が違っていた。
「……どういうつもりなんだ?」
ハヤトは将軍を睨むが、将軍は能面のような顔をはりつけ、何も答えない。
否、答えることができなかった。
ハヤトたちを独裁者の圧政が続く小国に放り込み、精霊の民の現状を知らせれば必ず動く。
それは確かに将軍の思惑どおりにいった。
だがそこから先は将軍の職掌を超えた。そしてハヤトたちも思惑を超えた動きをした。
アルバウム政府は独裁者打倒を支援こそしたが、そのあと自分たちの都合の良いような指導者を見つけ出し、国家元首に据えた。
それは結局、違う立場の独裁者を生み出したに過ぎなかった。
確かに精霊の民への弾圧はなくなったが、かわりに国家に従属しない少数種族への弾圧が始まった。身近にいない種族ゆえに、その被害の実態が民衆に伝わらず、国家に従属しない少数部族への不安だけを煽り立て、差別を助長した。
ハヤトはそれを事細かに調べて、将軍に突きつけたのだ。
今までそんなことはしていなかった。そうするだけの組織がなかった。
ハヤトからしてみれば独裁者打倒を手伝ったのだから、そこには親しくしている者がいる。今現在弾圧されている少数種族の者たちの中にも、独裁者を共に打倒した者がいる。アルバウムのきな臭い噂も耳に入っていた。
ゆえにハヤトは調べた。
これまでの活動、そして共に戦ったレジスタンスたちに通じ、諜報組織を密かに結成して。
結果はこの世界の現実を生々しく突きつけるものだった。
打倒した独裁政権は紛れもなく圧政を行っていた。そこに間違いはない。
だがそのあとでアルバウムがしたことは、その独裁政権とさほど違いはなかった。
「……アルバウムは一切関知していない。国家元首も正当な選挙で選ばれたと聞いている」
それだけ言って、将軍は立ち上がった。
政府の公式見解である建前だけで、ハヤトを丸め込むような言い訳をしなかったことが将軍なりの思いやりだった。
アルバウムとて綺麗事ばかりではない。それが国家というものだ、と。
殺気すらにじませて将軍の背中を睨みつけるハヤトの視線を感じながら、将軍は店を出て行った。
一人残されたハヤトは、じっと虚空を睨みつけて、しばらくの間考え続けていた。
その夜。
ハヤトはアルバウムで自ら買い求めた家の一室で眠れぬ夜を過ごしていた。
手元には何枚もの手紙。
どれも少数民族の古い文字で、その苦境が書かれていた。
なぜこうなったのか。
なぜ市民に裏切られたのか。
アルバウムはどういうつもりなのか。
文字とそれぞれの顔が重なり、ハヤトは拳を握りしめる。
どうすれば、いいか。
『――警告だ』
「誰だっ――」
ハヤトは腰を浮かせて周囲を見渡すも、誰もいない。
『二度は言わない。余計なことを考えずにサウラン横断に専念しろ。すでにこの国に家族を持っている勇者どももいるのだろう? これまでの功績に免じてこうして警告したが、二度目はない』
遠隔通信、いやただ遠くから言葉を届けるだけの自律魔法か。
すぐにそう気づいたが、その言葉どおり、どこからともなく響いた声は二度と話すことはなかった。
残ったのは――。
翌朝見つけた、ドアの前に差し込まれた左向きの馬車、いや左向きの魔獣車の刻印がなされた一枚のカードだけ。メッセージはなく、ただ刻印だけがされていた。
「行商人互助会の紋章、いや、これは……」
ハヤトは知らず知らずの内に顔を顰めていた。
一般人もよく知るのは、右向きの魔獣車の紋章で、決して左向きではない。
左向きの魔獣車の紋章。
『互助会』。
ときおり、その名がちらつくことがあるが、決してその全貌は把握できない。
ミド大陸の暗部とも言えるような、謎の組織の紋章であった。
数日後、アルバウムがミド大陸の東側に唯一持つ港街ニルレアンにハヤトたちはいた。
サウラン横断組とアルバウム残留組、そして横断組の家族が見送りに来ていた。
そこには当然政府側の役人の姿やあの将軍の姿もある。
「――ちょっといい?」
正体不明の脅迫を受けた夜から少しばかりぴりぴりしていたハヤトは、それでも適当に相槌を打ちながら、それぞれの挨拶を聞き流していた。ちょうどそれが途切れたときに、声をかけられた。
アルバウム残留組の召喚者、堂上勇那。こちらではイサナ・ドーガミと呼ばれ、元三年生の中の中心人物の一人である。
三年生はすでに進路を控えていたということもあり例外を除いて比較的独立が早く、元一年生のハヤトや二年生のトールなどのように特別なリーダーというものはいなかった。トールは戦闘系の生徒からは確かに軽んじられているが、そのきめ細やかな配慮と頭脳で、影ながら支持を得ていた。
このイサナという生徒は基本的に怠惰な質で、のんべんだらりと振る舞っている。だが、いつのまにか政府中枢や商業組織とコネクションを作り、このアルバウムでの地位を確立していた。だが具体的な肩書きはなく、深く関係している組織もない。
表だってやったことといえば、ドワーフの奥さんを束ねて女性下着やストッキングを普及させたことくらいで、それ以降は表に出ることなく、商売人として活動していた。ただそのコネクションの広さでは、勇者の中でも一、二を争うと言われていた。
「……なん、ですか?」
一応先輩であるためハヤトも敬語を使うが。
「いいよ、そんなの面倒くさい。まあ、いいや、いろいろあると思うけど頑張って。ブルータスやユダによろしくね?」
ハヤトにブルータスやユダなどという知り合いはいない。
「……なん――」
「――ユダにブルータス、こちらの世界の友人かな?」
金と赤に縁取られた白い神官服を着た男が話に口を挟んだ。
ハヤトには見覚えがなかったが、イサナは違ったようでにこやかな顔をして男を迎えた。
「ええ、以前お世話になった少数種族の人たちです。クーガー大司教、ご無沙汰しております」
サンドラ教組織の中では名目上、勇者はサンドラ教のトップである聖皇と同格とされているが、だからといってそれを真に受けて、この世界で特異な権力を持つ教会関係者を無碍に扱うなどできるわけもない。
ある意味で、教会内部よりも外で強い力を持つのだから、教会の定義する階位とは別に考えるのが無難であった。
イサナの言葉で男の正体を知ったハヤトも、とがめられない程度には畏まった態度を取る。
大司教といえば聖皇に次ぐ地位、実質的に教会を運営する者のトップの一人であった。
「お初にお目にかかります。ハヤト・イチハラと申します」
「そんなに気にしなくていいよ。君たちのほうが私よりも地位としては上だから、むしろ私のほうが失礼にあたるしね。ああ、私はヴェリアス・クーガー。聖皇より大司教に任じられている」
楽しげに笑うこの大司教は若くして現在の地位まで上り詰めた傑物であった。堅苦しい教会の人間の中では型破りな人物として知られ、現に大司教を追いかけてきたほかの神官が苦い顔で勇者と大司教の対面を見つめている。
そこには『事実の大鎌』の加護を持つアオイ・ゴウトクジもいた。ただ彼女はいつもことだという風に肩を竦めていた。事実の審判を受け入れ、その実施までを支援してくれたがゆえに、こういう人だとわかっていたのだ。
「サウラン砂漠横断という偉業をなす勇者を一目見ておこうと思ってね。やや、これはすまない。旧友たちとの邂逅を邪魔してしまったようだね」
クーガー大司教はそう言って気を遣い、アオイを残して去っていった。
確かに、かなり久しぶりに会う勇者もたくさんいる。そして目の前のアオイも――。
「久しぶりだね」
「……お久しぶりです」
アンクワールの魔獣大規模災害に対処するため、超法規的手段で永久監獄に入っていたクーを無断で連れ出すなどした手前、ハヤトとしても気まずい思いはあった。
「いや、今回は出所に関して愚痴りにきたわけじゃない。そもそも永久監獄は店じまいさ」
ハヤトは今回もクーを出所させている。サウラン砂漠という前人未踏の地に足を踏み入れるのだから、信用できる戦力は外せない。
だが、アオイの言葉は予想外だった。
「店じまい?」
「いや、すまない。これでは愚痴になってしまうな。まあ、なんだ。こう何度も出所と入所を繰り返すことができる監獄が永久監獄など名乗るわけにもいかない。前例というものはそれだけ重くてね。それに、サウラン横断によって監獄を運営する召喚者たちを持っていかれては普通の監獄となんら変わらないさ」
前者はハヤトのせいだが、後者はアルバウムのごり押しである。
「なら、アオイ先輩は……」
「安心してくれ、クーガー大司教直々に無役の神官として合法的に暇をもらったから、しばらくはイサナのところで厄介になるよ。なに、私が性急に動きすぎただけのことだ。それにイサナの仕事も手伝う必要があるみたいだからね」
仕事という部分を少しだけ強調していうと、ハヤトは何かに気づくが、目礼するにとどめた。
「帰ってきたら償いはさせてもらう」
ハヤトが殊勝にもそう言って手を差し出すと、アオイは苦笑してそれを握った。
いつまでも恨み言ばかり言っていては、前に進めない。
「――さあ、出航だ」
勇者たちが船に乗り、盛大に見送られて港を離れた。
ハヤトには腹案があった。
一部の勇者にのみ知らせている計画。さきほどの奇妙な会話もそれであった。
『国を造る』
ハヤト、そしてイサナ、アオイ、さらにはこの場にはいないアキカワも含めて、この話はすでに動き始めていた。脅迫よりももっと以前、蔵人と会うよりも以前から計画自体はあった。
それが独裁者打倒の前後から、具体性を帯びてきたというわけである。
馬鹿げた話である。荒唐無稽といってもいい。
ハヤト自身、何度も自分の中で否定したが、どう考えても結局そこにたどり着く。
自分の命を、自分たちが選んだ未来のために使う。
救いたい者を、きっちりと救う。
そのためには、召喚者たちが中心となる国でなければ不可能であった。
力はあった。
自分たちを信用してくれる民、各地で迫害されている民たちもいる。
そして土地も、砂漠の向こうにある。
ハヤトは自分の周りに集まる暁の翼のメンバー、そして黒いローブの女を見つめた。
構想自体は黒いローブの女に会ったときから、いやそれ以前から漠然と存在していた。
だがこの黒いローブの女に会って、馬鹿げた話の中核ができあがった。
「……しかし、ユダにブルータス、か」
ハヤトは独りごちる。
その名に心当たりはない。
ないが、地球の歴史では有名な裏切り者や反旗を翻した者であるということは知っている。
ハヤトは船の上をじっと見渡した。
そこにはアカリ、そしてその付き添いとして猫系獣人種のマーニャが、ほかにも飛行鎧や重装鎧、魔獣使い、千手の癒やし手、千里眼など数多くの勇者が、そのパーティが同乗していた。
この中に裏切り者が、と思うと気が滅入るが、やるしかなかった。
自分たちのために、そして自分を信じてくれる者のためにも。
「なあなあ、あの二人はどうしたんだ? また引っかけたのか?」
いつものように二人連れだってハヤトの前に姿を見せた飛行鎧と重装鎧。計画こそまだ知らないが二人も横断には参加していた。
飛行鎧がこの船に同乗している女性ハンターの二人連れを見て、だらしない顔で聞いた。
「……おれをなんだと思ってるんだか。まあ、否定はしないが、今回は違う。あの二人はニルレアンで船を待っていたところを誘っただけだ。サウランに用事があるらしい」
ハヤトたちの視線の席には、イライダとヨビの姿があった。
********
アルバウム残留組は横断組を見送ると、そこで解散となった。
アオイとイサナは四方山話に花を咲かせながら、イサナの家へと向かっていた。
アルバウムの首都、スリバーニアにあるイサナの家は小さな石造りのアパートにあり、アオイは初めてそこに足を踏み入れた。
アパートの中に、さらに奇妙なドアがあった。家のどこにも接していない、わずかばかりふわりと宙に浮いたドアである。
イサナが入っていくそこに、アオイは躊躇無く続いた。
イサナの加護である『白い家』の入り口であった。
『白い家』。ドアさえ閉めてしまえば武器どころか精霊魔法や自律魔法、そして自然現象すら遮断する鉄壁を誇る無色透明の家を作り出す加護である。収容人数は百名ほど。中に人や物をいれたまま移動することはできないが、イサナのいる場所ならどこでも作り出せるし、イサナが離れても使える。数も最初は一つだったが、今は白い家から面積を分裂させることで、さらに小さなものをいくつかつくることもできた。外からの攻撃を受け付けないかわりに、内側から攻撃することもできない。
ようするにその場に安全地帯を造り出す能力であった。白い家というのはアルバウムの政府関係者が勇者の神聖さを示すために命名したものだが、イサナはアメリカにある大統領の家と同じだ、と面白がってそれを受け入れた。このように加護の名は政府関係者が命名したり、自分で勝手につけたりと様々であった。
「……君はどこでも生きていけそうだね。たくましいから」
加護とその性格を揶揄するようにアオイが言った。
「ひ、ひどい。こんなにかよわい美少女に」
「……もう美少女って年でもないだろ。立派な干物女だよ」
不快ではない程度にだらしない女。それがイサナという女であった。
「ぶー。でもアオイもそうだよね~、しかも無職の干物女とか。ぷっぷくぷー」
「む、む、無職とはなんだっ。まだ一応神官さっ」
「誰も審判に来ないじゃん。監獄もなくなったし」
遠慮のない物言いにアオイはうっとうめく。
事実の審判を始めたのはいいが、あのアカリの審判以降、アルバウム政府の依頼以外で事実の審判を正当に受けようという者は現れなかった。
その土地にあるサンドラ教の教会に駆け込めさえすれば手続きは可能なのだが、そもそもその土地の神官と権力者が癒着しているためうまく機能していない。
ほかにも事実の審判を利用しようとする者たちや脅迫で事実を認定させようとする者まで現れ、それらを精査するだけで手一杯になっていた。
事実の審判を行える者がアオイ一人だけということもあって、どうしても手が足りなくなってくる。
そんなわけで、いくつかの要因が重なって、アオイは絶賛無職といってもいいような状況であった。
「まあ、ちょうどいいさ」
国を造る。
ハヤトだけの構想であれば乗らなかったかもしれないが、アキカワやタジマ、そしてイサナも参加するとあってはある程度の現実味を帯びてくる。
「……ホントはどうでもいいけど、こっちに残されると色々問題がでてくるしねえ。まあ、ハヤトの気持ちは痛いほどわかるし、このままこの国でってわけにもすんなりいかないだろうし」
怠け者ではあるが、コミュニケーション能力に長けているイサナ。
どうにかアルバウムという社会を泳いできたが、それとて運が良く、人に恵まれたからで、一歩間違えれば行方不明者の仲間入りをしていたか、カエデのように必要ないと半ば捨てられてしまったかもしれない。
『白い家』という能力がほとんど隠す必要の無い力だったことも影響している。戦争中ならそれでも危なかったが、さいわいにもアルバウムが表立って行っている戦争はいまのところなかった。
サウラン横断の打診もあったが、戦闘行為が出来ないし、むしろ商売人や交渉役として後方支援のほうが向いている、そう主張すると、今まで築き上げてきた人脈の力もあって、こうして残留組になることができたのだ。
「しかし、私たちが国を造るなんてね、日本にいた頃には考えられないね」
「まあ後出しジャンケンみたいなもんだしね。でもやっぱり、帰りたい人はいるからね。それも考えれば、国というのはいいんじゃないかな。たとえアルバウムの手助けがあって帰還手段が得られたとしても、簡単にそれを教えてくれるとも思えないしね。それでさ――」
そうして二人は、夜遅くまで話し合いを続けた。
途中からは完全に話が脱線していたが。
下着や生理用品の開発から、乙女の秘密の話にまで。
********
マルノヴァからアルバウムの東港であるニルレアンに到着したイライダとヨビ。
協会から蔵人宛てのメッセージを送り、船が来るのを待っていた。
二人の装備は変わっていた。
イライダは胸元や肩周り、ヨビは脇から胸、腹筋にかけてと露出する部分は同じであったが、より強固で、砂漠向きの装備に切り替えていた。武器も金属から魔獣素材の物へと変貌を遂げている。どことなくイライダはより荒っぽく、ヨビはより退廃的になったような感がある。
ただヨビの首に巻かれた黒いチョーカーだけは変わっていなかった。
「それにしてももう五つ星とはね、クランドが泣くんじゃないか?」
協会のカフェで視線を集めながら、そのカウンターに立って酒を呷るイライダがからかうように言った。
「そんな可愛らしい人じゃありませんよ。へぇ、って一言で済ませるはずです」
マルノヴァからニルレアンの道中、はぐれ飛竜の縄張り争いに巻き込まれた魔獣車を助けたイライダとヨビであったが、その魔獣車に乗っていたのが協会の幹部であった。イライダの訓練によってその能力を一気に開花させたヨビの実力を見た協会幹部は、ヨビのランクを鶴の一声で上げてしまったのだ。
確かに今のヨビは以前と変わらぬ細面で儚い美貌の持ち主であるが、イライダと行動を共にすることで蝙蝠系獣人種としての卑屈さが抜け、自信というものが漂い始めていた。
それがその能力と相まって、人の目を引きつけてやまない、イライダと肩を並べていてもおかしくはないハンターに見せていた。
もちろん戦闘面ではイライダに遠く及ばないが、悪条件下での偵察能力ではすでにイライダよりも優れていた。
「違いない。もう少し可愛げってもんがありゃあいいんだけどね。まあ、そのあたりは雪白かマルノヴァで拾ったらしい飛竜の仔の出番かね」
「雪白さんは可愛げというよりも頼もしいというほうが……ということは飛竜の仔だけですね」
「ん~、飛竜も成長は早いからね。会う頃にはあんたと同じくらいにはなってるかもしれないよ」
蔵人そっちのけで、雪白やアズロナに思いをはせる二人。
ちょうどそのとき。
「――アンクワール以来だな」
ハヤトが二人に声をかけた。
アンクワールに残ると言ってハヤトの誘いを断ったヨビがそこにいたが、ハヤトとてそれを責めるようなことはしない。まがりなりにも社長の息子である。社交辞令というものは知っていた。
「おや、久しぶりだね。……ますます腕を上げてるようじゃないか」
イライダが答え、ヨビが目礼した。
ハヤトの装備もアンクワール戦から一新されていた。二本の長剣のうち、一本が魔法具らしき剣に変わっている。全体の色調もより鮮烈な赤と黒のシックな革装備に変貌を遂げていた。
「協会で船待ちをしてる高ランクハンターがいるときいたんだが……」
イライダはちらりとヨビを見ると、ヨビは頷いた。
「ああ、アタシらのことさ。サウラン大陸までちょっと野暮用でね」
「そうか。なら提案なんだが、二、三日したらおれたちは専用の船でサウラン大陸に行く。一緒にどうだ?」
「タダで乗せてくれるってわけじゃないんだろ?」
イライダの言葉にハヤトが苦笑する。
「よければ、でいいんだが、船に乗っている間に少しばかり鍛えてくれないか?」
イライダがうろんな目をしてハヤトを見つめる。
「アンタにそんな必要はなさそうだけど?」
加護を加味すれば、イライダよりも強い。
そんな男の何を鍛えればいいというのか。
「いや、おれじゃない。まあおれも手合わせはしたいが、それよりもあまり戦闘慣れしてない奴らを鍛えて欲しいんだ。特に女性陣をな。何も短期間で強くして欲しいってわけじゃない、万が一のときのための生存術みたいなものを教えて欲しい」
嘘はなさそうであるし、そもそも名の売れたハヤトが無体なことをするとも考えづらい。
イライダは再びヨビに目をやると、ヨビは頷いた。任せます、と。
「そうかい。じゃあ、便乗させてもらおうか」
「よろしくお願いします」
イライダがそう言うと、ヨビがハヤトに頭を下げた。
「こちらこそよろしく。……逃した魚は大きかった、か」
見ただけでヨビの今の力を見抜いたハヤトはそう呟くが、ヨビは素知らぬ顔をしていた。
こうしてイライダとヨビは、勇者の船でサウラン砂漠に向かうことになったのだった。
『用務員さんは勇者じゃありませんので』5巻が6月24日に発売予定です。
余裕がありましたら、お手にとっていただければ幸いです<(_ _)>
表紙はすでに公開されておりますので、MFブックスさまのホームページか、棚花尋平のツイッターを見ていただければと思います<(_ _)> ……表紙には人間バージョンの素敵なジーバさんと、シリアスな蔵人、雪白が描かれています。
よろしくお願い致します<(_ _)>