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用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第五章 砂漠と荒野の境界で

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108-勇ましき者

 少し長いです(二万字ほど)

 それと、少し遅くなりましたが、書きためができました。
 おそらくはロンファ・アフターまで毎週更新できるかと思います。
 よろしくお願いいたします<(_ _)>


 あらすじ:認知症となっていたサディの依頼を継続することを決めた蔵人。サディの親族であるアドの報復を予測し、雪白と共にリヴカをこっそりと護衛した、のだが……。
 一方で勇者であり賢者でもあるトールはレシハームの闇との暗闘を水面下で繰り広げていた。
 

 黄月の百一日を迎え、明日はもう朱月であった。
 地域によって差はあるが、サウラン大陸は朱月の中頃に暑さのピークを迎え、そこから緩やかに下降していく。砂漠に近いほど暑いままといっても過言ではないが、港のある西側では氷点下近くまで下がることもあった。
「――昨日は暴漢を追い払っていただいたようで、ありがとうございます」
 こっそりと動いていたつもりであった蔵人だったが、リヴカにはしっかりとばれていたようである。
 どことなく気まずい蔵人。
 理由があったとはいえ、過剰戦力である雪白を街中に入れたことについてお説教されるのではないかとすでに腰が引けていたが、リヴカの口から放たれた言葉は違っていた。

「――『甘き祝祭(マトゥラ)』に行きませんか?」

「……まとぅら?」
 蔵人が問い返すとリヴカはバカにするようなことなく、いつものように説明を始めた。
 精霊教ではちょうどこの時期、黄月と朱月の変わり目に大規模な祭りが開かれることになっていた。サウラン大陸に戻ってきた精霊教徒たちが甘いサボテン、マーナカクタスを与えてくれた精霊神に感謝を捧げるとともに、朱月の中頃から始まるマーナカクタス収穫が無事に終わるようにという願いを兼ねた祝いであった。
 本来は黄色から朱色に月の色が変わることは、精霊教徒を守護する精霊が土精から火精に変わるためだと考えられており、去っていく土精への感謝と来てくれる火精を出迎える儀式だけがひっそりと行われていたが、そこに甘き祝祭を重ねて同時に行うようになったというわけである。
 この日は会堂などで精霊教の儀式が厳かに行われるが、会堂の外ではこの日のために集まった精霊教徒の商人たちが露天市を開く。精霊教の決まりで多くの者たちは仕事を休むのだが、商人や一部の者たちは当日に半日休むか、もしくはほかの日を休みに当てるという形でも許されていた。

 リヴカとしては、この国のことをよく知らない蔵人を案内し、先日のお礼はそのときにと考えていた。雪白を街に入れてしまったのは減点対象だが、助けられたのは事実である。ほかにも少しばかり理由はあったが、深い意味はない。
 むろん蔵人に断る理由などなく、同行を了承した。


「……なんでアンタがいるのさ」
 一度家に帰り、雪白とアズロナを説得し、お土産の約束をさせられて協会に戻ってきた蔵人をラケルが気に入らないという風に睨みつけた。
「リヴカに誘われたからに決まってるだろ。あんたは?」
「昨日の今日だからね、用心棒さ。もともと約束もしてたしね」
 リヴカを襲撃しそうになっていたサディの親族であるアドたちは、協会を通して国から厳重注意を受けた。一応未遂であったことから罰金と一年間の奉仕活動、リヴカへの接近禁止処分ということに留まったが、次に何か起こせば重罪、さらにはリヴカに近づいたことが判明するだけでも罰せられることになっている。
 そんなことがあっため、ラケルはリヴカの用心棒を買って出たらしい。
「お待たせして申し訳ありません。ラケルもわざわざすみませんね」
 ラケルがいることを特に気にした様子のないリヴカ。デートだのなんだのという理由は一切なく、本当に祝祭を祝おうという気しかないのだから当然である。
 蔵人もリヴカの性格は知っている。リヴカのプライベートを見て楽しもうという気はあっても、なにか期待しているということはなかった。
 単純に祭りを楽しむ女が、見たかっただけである。

 ラケルはいつもどおりのリヴカをちらりと見て、諦めた。
「だけどあんた……もう少しなんとかならなかったのかい?」
 明らかな駄目男である蔵人とリヴカがくっつくのは気に入らないが、男と出かけるというのに化粧の一つ、装飾具の一つもつけていないリヴカにラケルが呆れた顔をする。
「礼拝に行くのが本来の目的なのですから、過度な装飾は不要です」
 至極真面目な顔でそう言うものだから、ラケルはそれ以上何も言えなくなってしまった。駄目男に引っかかり難くなるのはいいが、これではいい男も引っかからずに行き遅れてしまう。
 だがラケルにはそんなことを言う資格は本来なかった。リヴカよりも年上で、独身なのだから。

 空があかね色に染まる日暮れの少し前。まだまだ昼間の灼熱が漂っているが、しばらくすればそれもおさまっていく。
 そんな時間帯を三人が連れ立って歩いていた。
 リヴカは地味な街娘といった姿で、ラケルはその護衛であるため簡素なハンター装備一式をつけている。当然ほかの服などない蔵人もハンターの姿のまま。盾とハンマーは家に置いてきているが、猫じゃらしとブーメランソード、それに魔導書は持ってきていた。
「ではまず、会堂に行きます」
「……俺が行ってもいいのか? まあ極端な礼拝でなければかまわないが……」
 蔵人は精霊教徒ではないが、アスハム教徒が行う土下座に近い礼拝方法以外ならば付き合ってもいいと思っていた。見知らぬ神を相手に地べたに頭をこすりつけるレベルの土下座は心理的に抵抗感があるが、それにしたところで正座して、手をついて頭を下げる程度ならば正月の挨拶のようなものであると思えばいいだけのこと。
 宗教国にいるのだからそれくらいの心構えはあった。
「……無理に合わせていただかなくても大丈夫ですよ。そんなに長くかかるものではないので、申し訳ないですが会堂の外で待っていてください」
 さすがに異教徒が会堂に入ることはできない。リヴカは直接的にはそうは言わなかったが、蔵人もそれくらいは察する。
 だが蔵人としてもそのほうが面倒がなくていい。
 露店市で雪白たちのお土産を買って待っていようか、そんなことを考えていた。

 会堂は夕日に染まり始めていた。
 石造りの厳かな建物にはミド大陸風のものであったが、随所にステンドグラスの嵌められた円形の窓や精緻な装飾が施された石のアーチがある。円は精霊を、アーチはその通り道を示しているという。
 蔵人はそこへ入っていく二人を見送り、しばらくその厳かな姿を眺めてから道を引き返し、露店市に向かった。

「……おぉ」
 突然の感動に、蔵人は知らず知らずのうちに唸っていた。
 目の前には、かつて蔵人が想像していたような砂漠のバザールといってもいいような露店市の姿があった。
 会堂から続く太い道の両端には土や石で造った建物がみっしりと並んでいるが、その軒先では無数の商人たちが食べ物からガラクタまで様々なものを広げて売っている。
 見たこともないような魔獣の肉が一頭丸々吊されていたり、たくさんの香辛料がうず高く積まれていたり、怪しげな道具類が無造作に並べられていた。
 道を外れて少し路地を覗けば、もっと怪しげな店や辻占いの老婆がちらほらと見受けられる。
 それを楽しげに見て歩く人々は長い髪を銀環でまとめた男たちのほかにも、長い髪を頭に巻いて様々な飾り紐や装飾具で着飾る女たちもいる。リヴカの言うように礼拝目的なのだから決して着飾らないというわけではないらしい。

 蔵人はようやく、自分が想像していた砂漠にいるようが気がしていた。
 だが、バザールの雑踏を見て楽しんでばかりもいられない。
 雪白たちのお土産を買わねばならない。
 蔵人は香辛料や肉を買い込んではこっそりと食料リュックに詰めながら露天市を巡った。
 すると、とある路地を入ってすぐのところで怪しげな道具屋を見つける。
「……これは?」
 腕が四本ある土偶、錆びた刃が欠けたナイフ、ガラスが割れている眼鏡、腕輪、首輪、鼻輪等々、形容しがたいものも数多くあった。
 蔵人はこれはなんだとどことなく怪しげな店主に尋ねた。
「……彷徨遺跡や古い建物なんかで見つかったガラクタだ。ただし、今のところ何も分からないからガラクタというだけで、のちのちどうなるかはわからんがな。実は稀少な魔法具だったってことも……稀にないこともない」
 みすぼらしいローブを着た爺さんが迂遠な言い回しでそう言った。
 彷徨遺跡とは、通常の遺跡とは違って突如として現れ、そしてある一定期間を過ぎると消え去る遺跡のことをいう。サウラン砂漠はこの彷徨遺跡が多く出現し、北部列強がこの大陸を求めた理由の一つでもあった。
「へぇ……」
 値段などあってないようなものでこういう店での買い物は苦手であったが、見ているだけならばこんな道具屋も嫌いではない。
 蔵人はしばらくの間、じっと怪しげなガラクタを見つめていた。

「……アンタ、なにしてんだい?」
 ラケルの声だった。
「ん? ああ、すまん。もう終わったのか?」
 蔵人はガラクタから視線を切り、ラケルとリヴカに合流する。
「はい。お待たせして申し訳ありません」
「雪白のお土産とか買ってたからそれはいいんだが、どこかほかに行く予定は?」
「いえ、あとは露店巡りするだけです……なんですか?」
 蔵人が珍しいものでも見るような目でリヴカをまじまじと見つめていた。
「いや、あんたの口から露店巡りなんて言葉がでてくると新鮮でな」
 その言葉にラケルがくっくっと笑い、リヴカが面白くなさそうな顔をする。
「私だって露店巡りくらいしますよ」
 そう言ってぷいっと路地を戻り、露店の並ぶ太い道に行ってしまう。
 蔵人とラケルは慌ててそれを追いかけた。

 それからすぐに機嫌を直したリヴカ。そもそも大して怒っていない。周囲に生真面目な人間だと思われているのは知っているし、それでもからかってくれる二人には感謝している。だが、無抵抗というのは癪に障ったので怒ったふりをしていたに過ぎない。
 そのあとはあっちへふらふら、こっちへふらふらする蔵人をリヴカとラケルが呆れながらコントロールしつつ、三人は祝祭を巡った。
 軽食屋でリヴカが先日のお礼として蔵人に奢ったり、そのときに雪白を街に入れたお説教をして蔵人が予想外のことに顔を引きつらせていたり、蔵人が露店に並んでいた貧乏画家の絵を眺めたり、ラケルが怪しげな道具屋で魔法の鏃を見つけたりといろいろとあったが、とある店の前でラケルが蔵人に言い放った。

「――どうだい? まさかこんなことですら嫌だというんじゃないだろうね?」
 挑発的な笑みを浮かべるラケルに、蔵人は肩を竦めた。
「……吠え面かくなよ?」
「はっ、こっちのセリフさ」
 二人は白線に並ぶ。それをリヴカが呆れたように眺めていた。
「――いらっしゃい。一回百シークだ。杖や弓での補助は禁止。何も使わずに指先から、ナッツほどの土精魔法で的を倒せば景品はあんたのもんだ」
 精霊魔法の射的場であった。一回あたり宿の食事と同じ金額というのが高いが、一番小さな的に当てれば使い捨ての護身用魔法具や豚一頭ほどもある肉をもらえるのだから当然といえば当然かもしれない。
「一発勝負だ」
「……なにも賭けないのか?」
「はん、そんなことしたらアンタは逃げちまうだろ?」
 蔵人のことをよくわかっているらしい。
「まずはアタシがやるよ。アンタは初めてだろうしね」
 ラケルの本職は後衛の魔法弓士。弓も杖もないとはいえ、精霊魔法はお手のもので、しかも小さな頃から祝祭となれば的当てをしていた。

 三メートルほど先に色も大きさも様々な的が並んでいて、一見すると縁日の射的場である。
 この距離ならばそう難しいことではない、蔵人もラケルもそう踏んでいたのだが――。
 ラケルの指先から、ひゅんっと風を切って跳ぶ土の塊。
 しかし、無情にも土の塊は僅かに曲がってもっとも小さい黒い的を外し、もっとも大きな青い的に当たってしまった。
「なっ」
「おめでとう」
 ラケルが驚いた顔で親父から景品のガラクタを受け取っているが、蔵人はゆっくりと狙いを定める。
 狙うのは二番目に大きな赤い的。
 景品は横の屋台の串焼き一本と収支的にはマイナスだが、勝負には勝てる。相変わらずセコイがそれが蔵人のやり方であった。
 そして、放つ。
 だがそれを見るラケルの顔はどこか余裕がある。
 そしてラケルの予想が当たるように、蔵人の放った土の塊は不自然に大きく曲がって的を外した。

「……っ、おい」
 蔵人は店主を睨むが、店主は涼しい顔をしている。
「なにもしちゃいねえよ? たまたま精霊の嫌う土でも混ざってたんじゃねえのか?」
 この射的場全体に精霊魔法を少しばかり狂わすしかけがあった。
 ある意味で最先端の技術ともいえるし、古い技術ともいえる。長くミド大陸を流れてきた精霊教徒の古い知恵であり、公式に発表できるほどの研究成果がないものも多かった。ようするに迷信や知恵を集めるだけ集めてこの射的場に詰め込んだというわけである。
「射的場のせいにするなんてハンターの風上にもおけないねえ。まあ、私の勝ちは勝ちさ」
 五十歩百歩のくせにそんなことを言った。ラケルはもちろん知っていた。ゆえに妨害方法を読めていたはずなのだが、知らない仕掛けがあったらしい。
「……ちっ」
 祭りのクジだの射的はそんなものである。
 的が重くて倒れない。倒し方が悪いから景品はやれない。そんなことがまかりとおるのだから、諦めるほかない。
「……では私も」
 リヴカがなにげない風に指を構え、あっさりと放った。
 ひゅんっと明後日の方に飛んだ小さな塊は急激な弧を描いて、見事に一番小さな黒い的を倒す。
 射的場の親父どころか、蔵人とラケルも大きく目を見開いた。周囲で観戦していた祭りの客たちも驚きにざわめいている。
「私の勝ちですね。……ではそのお肉を」
 リヴカは真面目な顔で、豚ほどもあるお肉をぶんどっていった。

「……精霊の悪戯をちょっとだけ誘発すると言われる酔石や精霊が眠りにつくと言われる古木、あとはラケルが気づかなかったのは精霊が幻覚を見ると言われる香りですね。まあ、精霊が香りを感じるかどうかすらわかりませんし、そもそもその文献だってかなり古いものですから、しかたありません」
 肉をもらってほくほくのリヴカに感心するような射的場の親父。レシハーム人は勉強好きなものが多く、若いのによく勉強しているリヴカに感心しているようだった。
「……」
「……」
 揃って負け犬となったのは、悔しげなラケルと蔵人である。
 戦闘員でもない協会職員であるリヴカに負けた。
 少なからず後衛としての自負があった二人には衝撃的な出来事である。
「これが学びの力です。ラケルはさぼりすぎですよ」
「うっ……」
 知識とカネは裏切らない。ゆえに真面目な精霊教徒は毎日勉強していたが、ラケルはハンター稼業を口実にサボっていた。
 ラケルは悔し紛れに景品のガラクタ、罅の入った眼鏡らしきものを射的屋の親父につっかえそうとする。魔法具の機能を完全に失い、修理のしようもないものである。持っていても仕方ない。
 だが、それを蔵人が止めた。
「そんなものをどうするんですか?」
「少しいじれば使えそうだからな」
「……目でも悪いのか?」
「いや。悪戯半分だ」
 蔵人の言葉にラケルが困った奴だと咎める。
「……あんまり猟獣をおちょくるなよ?」
 蔵人はにやっと笑ったまま、それには答えなかった。


 日が暮れて肌寒く成った頃、蔵人たちは祝祭をあとにして、そのまま蔵人の家を訪れていた。
 リヴカとラケルが蔵人を借りたお礼にと、雪白たちに祝祭のお土産を渡したいということだった。
 リヴカの発案だが、あの雪白を見てしまえばラケルにも否やはない。ハンターとして絶対に敵対したくない魔獣であり、ご機嫌をとっておいて損はない相手である。ハンターとして、雪白に興味があったというのも理由の一つである。
 リヴカは景品のお肉を、ラケルは酒を露店で買ってきた。

 ドアを開けると、鬱陶しい暑さから解放されて機嫌もよくなった雪白が、外へでるために今か今かとドアのすぐ近くに座って待っていた。
 その姿に蔵人以外の二人が驚きで固まる。
 薄暗い室内で雪白の全身が揺らめくような金色に染まり、両の目がひときわ強く灰金色に光っていた。
 やる気は十分、といったところである。
 だが、その双眸の持ち主は鼻をひくつかせると、すぐに道を譲って、臨戦態勢を解いた。
 どうやら姉姑のお眼鏡にかなったらしい。
 雪白は二人に尻尾を絡ませて歓迎する。
「先日はありがとうございました」
 街に入れたのは蔵人の責任。自分のために護衛してくれたのは雪白の厚意と考え、リヴカは礼を言った。
 気にしないで。肉をくれればいいの、そう言いたげに雪白はリヴカを歓迎する。
 反対にラケルは未だに慣れないらしい。その彼我の力量の差を肌で感じることができるゆえに、全身は緊張して固まっている。

 リヴカは雪白の尻尾のふわふわ具合を密かに楽しむ程度には慣れていたが、ラケルは顔を引きつらせながら家の中へと入っていった。
 ぽつんと残された蔵人。
 雪白が首だけ蔵人に向けて、早く肉を焼けと言わんばかりに一つ唸った。
 少しだけいらっとする蔵人。
 いつかその長い尻尾をリード代わりにしてやる、とかなわぬ邪念を胸中に灯していたが、そそくさと家に入り、肉を焼く準備を始めた。

 蔵人が肉を焼く間、女性二人は何をしていたかと思えば、アズロナと遊んでいた。
 別に二人が料理ができないとかそういうことではなく、単純に蔵人の家には調理器具がまったくないということと、蔵人が買ってきたお土産の多くが調理を必要としなかったということであった。
「すみません」
 一抱え以上もあるアズロナを膝に乗せてテーブルにつき、その口に食べ物を運ぶリヴカ。横からラケルもおっかなびっくりに焼いたソーセージなんかを差し出している。アズロナがパクンと食いつくたびに、びくっと驚いているところを見ると、どうやらレシハーム人にありがちな飛竜を苦手とするタイプらしい。
 調理を手伝えないことを謝るリヴカに、精霊魔法の同時行使で調理していた蔵人は手をひらひらとさせる。
「どうせ焼くだけだ。アズロナと遊んでやってくれ」
 蔵人はそう言うが、雪白はぺしぺしする。
 焼くだけじゃない。表面はこんがりと香ばしく、中は血も滴るほどに。それが重要なんだ、とグルメ気取りである。
 蔵人はそこまで料理に命を賭けておらず、肉が焼けるのを待つ間に壊れた眼鏡をいじりだした。
「……雪白、ココ、半分に切ってくれ」
 都合の良いときだけ頼ってからに、と雪白はますます尻尾でぺしぺしするが、尻尾とは裏腹にその前脚の爪は蔵人の言うとおりに眼鏡を切った。それはもう見事にすっぱりと。
「……工具いらずだな。どっかの工場でも働けそうだ」
 食えもしないカネのために働くなどまっぴらごめんだ、と雪白はぷいっとそっぽを向き、蔵人が火にかけていた肉の一つを勝手に貪りだした。
 雪白は幼かった頃、寝物語に蔵人の世界の話を聞いている。戦闘に利用できることもあったが、蔵人から聞かされた工場の派遣労働の話などはまったく理解できなかった。そんなことをするなら外で狩りでもしていたほうがいいと思っていた。

「……おし、できた」
 蔵人は眼鏡を、ずいとリヴカに差し出した。
「えっ? 私に、ですか? 目は悪くありません」
 アズロナの鬣をくすぐりながら、自分もお土産をつまんでいたリヴカが目を白黒させる。
「このレンズはただのガラスだ。……元々は魔法具だったのかもしれんがな」
「……それはわかりますが、目が悪くないのに眼鏡なんてしませんよ?」
「飾り眼鏡だ」
 目も悪くないのに、眼鏡をする。
 未だ眼鏡が高価なこの世界では贅沢であり、そんなことをする酔狂な者はほとんどいない。
「あんた、なんのつもりだい?」
 蔵人とリヴカがくっつくことを警戒するラケルが間に入る。
 若干腰が引けているのはアズロナを間に挟んでいるせいであった。獲物としての飛竜ならば戦えばいいだけのことだが、猟獣でしかも人なつっこいとなれば、どうしていいかわからず、こんな風に情けない感じになっていた。
「あんたも言ってただろ? もう少し着飾れって」
「……それはそうだが、なんであんたが」
「単純に描きたいからだ。ちょうどここに眼鏡がある。なら、渡すしかないだろ?」
 堂々とした蔵人の言葉に、ラケルもリヴカも恥ずかしそうな顔をした。
「だ、だめだ、だめだ。あんな卑猥な絵っ」
「私もちょっとああいうのは……」
「……わかってる。普通の絵だ」
 すると二人は、何か珍妙な生き物を見るような目で蔵人を見つめた。
「……なんか悪いモノでも食べたいかい?」
「何か心配事でもあるのですか? 少しならば相談に乗れないこともないですよ?」
「……描いたら駄目なのか良いのかはっきりしてくれよ」
 二人のあんまりな反応に蔵人がそう言うと、二人は顔を見合わせて苦笑した。
「とりあえずかけてみてくれ」
 リヴカは意を決して、それを受け取り、鼻にかけた。日本にある一般的な耳掛け眼鏡ではなく、この世界で一般的な鼻に掛けるタイプのものである。
 楕円のレンズを半分に切った、赤い縁の眼鏡をつけたリヴカ。
 どことなく女教師か家庭教師を思わせる。
「……想像どおりだな」
「……どんな想像してたんだか」
「いや、教師っぽいなと」
 蔵人の言葉にラケルがああと相づちをうった。
「女の教師なんて少ないけど……確かにこんな感じだったような気がするね」
 よく分からない蔵人たちの評価に、リヴカはアズロナを下ろして水瓶まで行き、その水面に写った自分を見つめた。
「……なんとなく、言いたいことは分かりますが」
 釈然としない。そんな感じである。

 人から贈られた物を突っ返すのはさすがに礼儀に反すると、赤い鼻掛け半円眼鏡を受け取りはしたがつけなかったリヴカ。
 別にそれで蔵人が腹を立てることもない。
「……そんな残念そうな顔で見ないでください」
 この世界に眼鏡女子などほとんどいない。蔵人としては残念でならなかった。
「駄目だ。こいつはやっぱり変態だ。ほら、帰るよ、なにされるかわかりゃしない」
 ラケルが心底呆れたという顔をして、リヴカの手を引いた。
 日こそ跨いでないが、深夜近くといってもいい時間であるとリヴカも気づいた。二人とはいえ未婚の女が独身の男の家にいるような時間とは言い難い。
「それでは、また」
 そう言って二人は帰っていった。
 蔵人はそれを見送りながら大きく欠伸をして、家の中に戻ろうとした。
 だが、それを雪白の尻尾が止める。
 外に行く。
 肉も酒もたらふく食って飲んだ白黒の魔獣は、食後の運動がしたいらしい。
 雪白の酒をちろりと舐めたアズロナはすでにいい気分で眠っているが、置いていくわけにもいかない。
 蔵人はため息をつきながらアズロナを背負い、街の外に向かった。



 それから幾日か経ち、蔵人は再び自治区へ入った。
 保証人としてのサディはもういないが、今回限りということで月の女神の付き人の女官長ソフィリスと二級市民の付き人に保証人になってもらった。
 最初から月の女神の付き人に頼んでおけばよかった思うが、そもそも月の女神の付き人がこの自治区にいることも知らなければ、アガサやダウィとの関係で警戒していたのだからそれは無理な話である。
 ソフィリスやグウェンドリン、付き人たちに認知症になったサディのことを話すと、皆一様に首を傾げ、蔵人と同じように狐につままれたような顔をした。
「……よくわかりませんが、そういうこともあるでしょう」
「そうだねー。今度お見舞いに行ってみようっ。サディさん、覚えてくれてるかな?」
 なんともおおらかな反応であるが、人知を超えた出来事など都市はともかくとしても辺境ならざらである。基本的に辺境にいることの多い月の女神の付き人たちはさほど気にしていなかった。

 紅蓮飛竜狩り自体は、滞りなく終えた。
 むろん雪白が、である。報復行動を起こさずに紅蓮飛竜を狩るというのはそれくらいに難しいものであった。
 その帰りにソフィリスの元に行って保証人になってもらった礼を言い、バムダドと職人から紅蓮飛竜で作ってもらった革鎧などを受け取ってきた。合計で五頭も狩っているが、バムダドやグウェンドリン、さらに保証人になってもらった礼などもしているため、それほど多くの革があるわけではない。
 それでもアズロナの腹鎧とファルシャの革鎧、そして蔵人の革鎧の補修分くらいは十分にあった。
 紅蓮飛竜狩りと補修待ちで、今回の自治区入りはぎりぎりの時間になったといえる。

 アズロナは楽しくてしかたなかった。
 お腹を覆う鎧のお陰で地面が暑くない上に、腹鎧についている車輪が移動速度を格段に向上させていた。
 翼腕の爪で地面を蹴り、その反動で車輪を動かす。
 地面を蹴るごとにスピードが上がっていく。
 まるで雪白の尻尾に投げ飛ばされたときのような速度である。
 アズロナは夢中で地面を蹴った、が――。
――ぎゅべっ
 荒野とはいえ真っ平らではない。
 岩に車輪を躓かせたアズロナは見事に顔面を強打する。
 目に涙を溜めて起き上がるが、すぐにまた駆けだした。
 大好きな雪白のように大地を駆け回っている気分であった。泣くのは相応しくない、アズロナはそんな風に思っていた。
 それを雪白や蔵人、鎧を手がけた職人と車輪の仕組みを担当したグウェンドリンが見つめていた。
「なかなかいいね。……足を無くしたハンターとかにも使わせたいけど、高いんだよねぇ」
 蔵人は紅蓮飛竜の素材と引き替えに作ってもらったが、人の使う車いすともなれば一般庶民にはなかなか高価な代物だというのがこの世界の現状だった。
 蔵人は曖昧に相づちを打ちながら、グウェンドリンの愚痴らしきものを聞き続けた。



 そうして蔵人が東端の街ナザレアに戻ってきたのは朱月の十五日のことだった。
「……そうですか。無事に終わってなによりです」
 協会へ報告に戻ると、リヴカの顔がどことなく浮かない。
 リヴカが飾り眼鏡はかけていないことを少し残念に思いながら、蔵人はそんなリヴカ、そして協会の様子の変化に内心で首を捻った。
 この協会に入ったときから協会全体がどこかざわついていて、慌ただしかった。
 だがいくら考えても理由などわかるわけもなく、蔵人は依頼完了の手続きをして、サディの依頼の報酬である宝石、正確には黒く輝く宝石の嵌まった指輪を受け取る。
 色の濃い黒いダイヤモンドでカット面は多くないが、とても美しいものだった。
「アスハム教をレシハーム語で訳すと黒賢教というのですが、その名のとおり黒い色を尊びます。アスハム教徒の女性が被る黒い薄布もそのあたりからきているようでして、その宝石も彼らの間ではとても珍重されています。少し型が古いのですが、カットのし直しなどはどういたしますか? レシハームはそちらの面でも高い技術を有していますが」
「いや、このままでいい」
 蔵人は首にかけているハンタータグのついた鎖に指輪をつけて、再び首にかけた。船賃をどうにか貯め終えた今、形を変える気にも売る気にもなれない。
 なんとなく狐に化かされたような気もするが、こういう化かされ方は不快ではなかった。
 その記念にしばらくもっているつもりである。

 そんな蔵人を見て、リヴカはそうですかと言って少しだけ表情を緩めた。
 しかし、すぐに顔は引き締められる。いつもの生真面目な、いやいつも以上に真剣な顔をした。
「それでは、これでサディさんの依頼は完了したということで。本来は四つ星以上の、それもパーティ単位を対象にした依頼ですので、評価点は高いかと思います……クランドさんには関係ないかもしれませんが。……今日はほかに依頼を?」
「いや、ないな」
「そうですか。それではまた今度」
「……何かあったのか?」
 どことなく慌ただしい協会の雰囲気。いつも以上に堅いリヴカの表情を見て、蔵人はずっと気になっていたことを尋ねた。
 リヴカは蔵人に話すべきか悩んでいるようであったが、しばらくして言った。
「……例の高位魔獣討伐が失敗し、国から依頼を受けていた『精霊の剣』が壊滅したと報告が入ったのです」
 いつか蔵人がラロに誘われた依頼である。
 『精霊の剣』とはレシハームでも指折りのクランで、レシハームに存在する全ての自治区に自由に出入りすることを許された名門で、政府からの信用も厚い。
「……そうか。ラロは参加してたのか?」
 いつかラロに誘われた依頼であった。
「いえ。蔵人さんが断られたときに参加を断念したようです。ただ……ファルシャさんが帰還していません」
 躊躇いがちに言ったリヴカの言葉に、蔵人は耳を疑った。

「なんであいつが。ランクが、いやそもそもクランに入ってないだろ」
「一般募集していた荷物持ちとして参加したようです」
 荷物持ちは討伐した魔獣の素材を運ぶだけでなく、野営設営といった後方支援を行ったりもする。
「……止められなかったのか?」
 なにかを押し殺したような蔵人の声。
「正確に言うと、私の担当ではないのです。ベレツの職員から先導者はいないかと相談を受けただけなので、彼の依頼をどうこうする権利は私にはありませんでした。彼が依頼を受けたと知ったのも、未帰還者になってからです」
 表向きは差別を禁止している協会職員といえど、無意識の差別意識は当然ある。
 低ランクの、改宗した牙虎族の少年がどうなろうとあまり関心を払わない。好きな依頼を受けさせ、勝手にさせる。業務としてはそれで間違っているわけでもなく、それを差別というは難しい。

 そんな輩がいるからこそ、リヴカは厳しくした。適当に適当な先導者をあてがい、適当なところで独り立ちさせても誰も文句は言わないだろうが、父親を亡くして性急に強さを求めていたファルシャを死なせたくなかった。
「そうだったのか。……なんでファルシャは参加したんだ?」
 荷物持ちとはいえ、そもそもなぜそんな高位魔獣の討伐などに参加したのか。雪白という高位魔獣の存在を知っていたはずであるし、蔵人も引き際だけは嫌というほど仕込んだ。蔵人が教えられることなどそれくらいだったともいえるが、先行しすぎるきらいのあるファルシャにはそれでちょうどよかった。
「……おそらくは父親の仇を討つためではないかと。彼の父親は前回の討伐隊で命を落としていますので……これはどうにか無事に帰還できたニキさんの報告書に書かれていたのですが……」
 リヴカはそう前置きして、ファルシャの最後を語り始めた。



******



 ファルシャたちのパーティは荷物持ちとして、戦闘が行われる場所の遙か後方で待機していた。
 ファルシャとて雪白という高位魔獣を知る以上は闇雲に突撃してパーティを危機に晒す気はなかった。ただ、何かをしたかった。だから、荷物持ちで参加した。
 精霊の剣は前回の討伐記録を十分に検討し、実地調査も十分にした。準備も万端で、レシハームの専狩猟者を始めとして多くの高位ハンターが参加していた。雪白を知るファルシャから見ても、今回の討伐は成功するだろうと思わせるものだった。
 戦いは三日三晩に及んだ。
 だがついに、戦線が崩壊。慌ただしく撤退が始まった。
 ファルシャたちのいる場所は遙か後方であり、そもそも戦地になるような場所ではない。敗走の連絡がかなり遅くになって届けられたが、それでもほとんど心配などするような場所ではなかった。
 ファルシャたちは高位魔獣の姿を見ることなく、撤退し、それで終わるはずだった。

 だが高位魔獣は思いの外、速く、執念深かった。
 逃げるハンターを追って、高位魔獣の赤き大蛇がファルシャたちの前に姿を見せた。
 『赤月長蛇(アフマハーバ)』。ケイグバードの時代から存在する高位魔獣で、旧ケイグバード民からは悪戯をする子供を叱るときにその名を出すほどの畏怖の象徴であった。
 ゆえに、その姿を見ただけで、ファルシャたちは射すくめられたように動けなくなった。
 いや、雪白のプレッシャーに慣れたファルシャだけが、どうにか動けた。
 ファルシャが瞬時に覚悟を決め、叫んだ。

「――いけっ、おれが時間を稼ぐっ」

 ここで立ち向かわなければ、全滅する。
「ば、バカファルシャっ、あんたが残ったところで――」
 動けるハンターは突然のことにちりぢりになって逃げてしまい、動けない低ランクのハンター、つまりは荷物持ちだけが残されていた。
「――そんなことは知ってるっ。リーダー命令だ」
 そう叫び、ファルシャは迫る赤月長蛇を見据えた。
 蔵人からもらったブーメランソードを一本を両手で持ち、肩にかけて構える。
 するとどうしたことか、赤月長蛇はファルシャの前で止まった。
 来い、と誘っているようでもある。
「父ちゃんの仇だっ――」
 ファルシャは火中の栗が弾けるように、跳び出した。
 構えて、振り下ろす。
 蔵人の全力の一撃にも似たそれは当然のことながら、赤月長蛇の堅い鱗で止められ、ブーメランソードもその一撃で折れ飛んだ。

 しかし、その鱗に僅かばかり罅が入っていた。

 ニキたちは動くこともできず、その場に足を震わせていた。呆然とファルシャの後ろ姿を見つめるしかなかった。
 赤月長蛇がその目前でファルシャを一呑みにしても、悠然と後ろ姿を見せて去っていっても動けなかった。
 ニキたちはその現実感のない、信じたくない光景をただただ見つめていることしかできなかった。
 解放された安堵、赤月長蛇への怒りや恐怖、ファルシャへの悲しみ。
 そんな感情がすべてを呑み込む砂嵐のようにニキの心に押し寄せ、しばらくの間、呆然としていた。
 ニキが動き出せたのは自分の頬を伝う涙の感触に気づいたとき。随分と長く感じたがほんの数分の出来事であった。



*****



「……じゃあ、ファルシャはもう」
「まだ生死は不明ですので……」
 二人は黙り込んだ。
 リヴカは生死不明と言いながらも、もう生きてはいまいと思っていたし、蔵人もそうであった。
 だがそれとは別に、蔵人は何かに引っかかっていた。何か違和感があるが、何が違和感なのか分からない。
「……大規模狩猟に参加したことがないからわからないんだが、荷物持ちも前線も責任は一緒か?」
 一瞬、言い回しの意味が分からずに問い返そうとしたリヴカだったが、すぐに蔵人が言いたいことに気づく。
「はい。荷物持ちとは言え、誰かが守ってくれるわけではありませんし、自分の身は自分で守るのが普通です。……ただ、クラン以外の外部から集められた荷物持ちなどはいざというときは見捨てられることがあります。それが正しいとはいえませんが、同じクランの人員を優先的に助けたいという気持ちはを否定もできません。ファルシャさんもそれを分かっていて受けたのだと思いますが……」
 荷物持ちとはいえハンターとして扱われる。お客様ではない。自分の身を最低限に守れて、その上での荷物持ちである。ゆえに危険度の高い討伐の荷物持ちほど、その報酬も高い。
 とはいえ、クランの見習いなどを同行させることもよくあり、九割方は安全という考え方が一般的である。これが探索者だとまた違うのだが、ハンターの場合はそうであった。

 蔵人はリヴカの話を考えながら、少しずつ違和感の正体に気づきつつあった。
「……そうか。何かわかったら連絡をくれ。ああ、そうだ」
 蔵人は余計なことは言わずに、紅蓮飛竜の革で作られたファルシャの鎧をカウンターに置いた。
 赤黒い革鎧。
「……形は古いですが、いい鎧です。これは?」
「元々はファルシャにやるつもりだったんだが、使う当てがなくなった。生き残ったファルシャのパーティメンバーにでもやってくれ」
 リヴカは革鎧を見つめ、そして蔵人を見上げた。
 だが、すでに蔵人は背中を向けていた。どこか寂しげな背中が協会を出て行こうとしていた。
 リヴカはかける言葉も見つからず、その背中を見送ることしかできなかった。


 家に戻った蔵人はファルシャのことを報告するとともに、雪白にとある相談をした。
 すると雪白は好戦的な笑みを浮かべ、了承してくれた。
 ふと見るとアズロナは自分の革鎧をしょんぼりと見つめている。
――アズロナと一緒だなっ。
 鎧を作ってもらうとき、ファルシャがそう言って笑っていたことを思いだして、悲しくなったのである。
 蔵人が慰めるようにその鬣を軽く掻く。
 アズロナは鳴き声も上げずに、蔵人の手に顔をこすりつけた。

 その夜、蔵人たちは荒野に出た。
 そして雪白の背に乗りベレツまで最高速度で到達すると、そこでいったん雪白と別れる。
 蔵人はベレツ近くで土小屋を作り、待ち続けた。
 日が昇っても雪白は帰らなかった。
 蔵人とアズロナは心配などこれっぽちもせずに、肉を焼いて待ち続ける。
 雪白への絶対の信頼がそこにはあった。
 そしてその夜、雪白が戻ってきた。

 折れたブーメランソードをその口に咥えて。

 全身を赤く染め、ところどころの毛と皮膚が剥がれ、爪が折れていたりするが、悲壮な様子はなく、満足げな顔すらしていた。
「……やりすぎだ」
 蔵人が折れたブーメランソードを受け取り、治癒をしようとその身体に触れると、雪白は拒否するとことなく横たわり、焼いてあった肉にかぶりついた。
 いつもは蔵人の手を煩わせることなく勝手に治してしまうのだが、今回は違っていた。
 身体構造の違いゆえに治癒の効率は悪かったが、雪白の体力もあってか傷は瞬く間に癒え、爪や白毛は生え替わっていった。

「で、どうだった?」
 一昼夜かけて雪白の治療を終えると、蔵人は聞いた。
――ぐるぅっ
 雪白が喉奥で短く唸ると、尻尾で背中に乗れと促す。
「……そうか」
 蔵人はアズロナを抱え、完全装備に身を包んで雪白の背中に乗った。
 雪白は一気に跳躍する。

 半日ほどでたどり着いたのは、ベレツの南にある岩場であった。
――グオオォンッ
 その背から蔵人たちを降ろすと、雪白が咆哮する。
 すると蔵人の目の前で、音もなく、大地が隆起した。
 違う。蛇である。
 人など三人まとめて丸呑みにできそうな赤い大蛇が鎌首をもたげて、目の前にそびえ立っていた。
 ルビーのような鱗は名工の造った剣のように鋭く、長い牙は血が固まったかのように赤い。銀色の縦長の瞳はこの世のものとは思えぬほどに美しいが、睨まれてしまえば二度と動けなくなるような根源的な畏怖があった。精霊すらも怯えているようで、反応が鈍い。
『……キサマが、手のかかる相棒とやらカ』
 直接脳に響くような厳かな声に、蔵人はさすがに驚く。
 そして本気の雪白以上の気迫と殺気、重圧に膝を屈しそうになった。
――がうっ
『わかっておル。まったく、嬢は短気すぎル』
 不意に、重圧が消える。
 蔵人は高位魔獣が稀に操るといわれている、念話だとようやく気づいた。
 理解できれば冷静にもなれる。蔵人は大きく息を吐き出して、どうにか声を絞り出した。
「……初めまして。蔵人、です。こっちは雪白、背中にへばりついてるのはアズロナ」
 アズロナは最初の脅しで完全に怯えてしまっていた。蔵人も似たり寄ったりであるが、サレハドにいた頃にはイライダが本気の殺気を放って訓練してくれ、それ以降は雪白が、さらには今まで経験してきた修羅場がどうにか蔵人の意識を保っていた。

『ほう。手のかかる相棒という割には肝が据わっているナ。なに、嬢と同じように接してくれて構わんヨ』
 気安げにそう言うが、声色に好戦的な匂いを漂わす。
「勘弁してくれ。五分、いや五秒ともたない」
 雪白がいる。雪白との交渉が成立している。
 だからこそ蔵人はこうして平然と魔獣に話しかけていた。そうでなければこんな化け物に関わることなどない。
『……身の程は知っている、カ。少々つまらんが、まあよイ。なにか用があるという話だガ?』
「聞きたいことがいくつか」
『……我の討伐はよいのか? レシハームの者どもは躍起になっておるぞ?』
「身の程は知ってるからな」
 ほんの僅かにあった戦意など、さきほどの重圧で霧散していた。ファルシャには申し訳ないが、勝てる可能性などまるで感じられない相手であった。

「聞きたいのは、牙虎族のファルシャというハンターのことだ」
 蔵人はこれを聞くために、雪白に頼んで赤月長蛇との仲介役を頼んだのだ。
 同じ高位魔獣ならコミュニケーションもとれるだろうという算段だった。だめそうなら、危険そうなら近づく気はないとも伝えたが、雪白は嬉々として赤月長蛇を探しだし、こうして交渉ができるようにしてくれた。
 いつものことながら、雪白には感謝してもしきれなかった。


 雪白としても、別に嫌なことではなかった。
 おそらくファルシャは死んだ。だが、ファルシャは自ら狩りに赴き、死んだに過ぎない。すべてはファルシャの決めたことで、勝てない相手に挑んだのも無謀で愚かなことであった。
 それでも、群れの仲間を逃がすために死んだのだから、あの子虎にしては上出来である。
 だからその死に様くらいは知りたかったし、何度も人を返り討ちにしている高位魔獣という存在も気になった。
 そうして探し当てたら、どこかの高慢ちきな黒狐よりはよっぽど話のわかる爺だった。
 だから少しはっちゃけてしまったが、爺は楽しげに応じた。
 なんの憂いもなく本気を出すことができたのは久しぶり、いや初めてのことでそれは望外の喜びであった。
 まだまだ強くなれる。
 そうすれば蔵人を、アズロナを守れる。
 そんなことを蔵人に悟らせることはないが、雪白はそれが何よりも嬉しかった。


『……はてナ。人の名前など知らヌ』
「……おそらく、最後にあんたの前に立った少年だ」
『おお、それなら覚えておル。まだ幼さを残した顔で勇敢にも我の前に立ち、その一撃で我が鱗に罅を入れタ。その勇気に免じて仲間は見逃してやったが、無事に帰り着いたカ?』
「ああ、無事だった。そのときの詳しい状況を知りたい」
『そうカ。……状況もなにも寝ている我に攻撃を仕掛けてきた奴らを蹴散らし、追い回した末にそのファルシャという少年がいたに過ぎなイ』
「……つまり、とあるハンターを追いかけていたら、ファルシャに行き着いた、ということだな?」
『そうダ。ああ、思いだしタ。妙にすばっしっこい奴だったナ』
「そうか。ありがとう」
 ようやく違和感が、しっかりとした形を成した。

『逃げるハンターを追って、高位魔獣の赤き大蛇がファルシャたちの前に姿を見せた』

 これがニキの証言であるらしいのだが、どうして遙か後方にいた荷物持ちのところに最前線のハンターが逃げ込まなくてはならないのか。
 ニキたちが嘘をついていないと仮定したうえで、考えられる理由は二つ。
 一つは無我夢中で逃げた結果。
 そしてもう一つが、『なすりつけ』である。赤月長蛇の追撃から逃れるために、ファルシャたちを囮にしたということだ。
 うがち過ぎかもしれない。
 だが、どうしてもそうは思わずにいられなかった。
 証拠などない。
 赤月長蛇の証言など証拠にならないのだからどうにもならない。
 真実の片鱗は掴んだ。
 だがそこで、壁に突き当たった。
 蔵人は礼を言って、去ろうとした。
『……本当にそれだけを聞きに来たのだナ』
 懐かしさを漂わせて赤月長蛇はそう零した。蔵人の姿に人と魔獣が共存していた古き良き時代を思い出していた。
 蔵人は立ち止まる。
「……狩った狩られたはハンターの常だ。ファルシャもそれくらいは覚悟していたはずだ。……ただどうせなら、ついでにファルシャを見逃してくれていたらと思わなくもない」
 赤月長蛇は人と同程度かそれ以上の知能を持つ高位魔獣である。自分の縄張りを主張しているだけであって、街を襲ったりはしていない。
 ただそこに存在するだけで、レシハーム人の生活にとって邪魔であるという理由で、討伐隊を何度も組まれているに過ぎなかった。
 しかし、人を襲った魔獣とハンターの関係も敵対以外になく、ましてやファルシャを食った相手である。仲良しこよしとはいかない。

『あの者は勇者ダ。自らの命を賭し、父の仇だと叫んで我に一撃を入れタ。それに本気で応じなければ彼の者の誇りを汚すことになル。それに、かの者の願いには仲間を守りたいという意思はあったが、己の命乞いは一切なかっタ。であれば、それを尊重するのが同じ戦士としてできることダ』
 人とはかけ離れているが、高位魔獣には高位魔獣なりの倫理や誇りがある。
 そしてファルシャにももちろんそれがあった。
 だからこれ以上蔵人が口を挟むことはできない。するべきではない。
 ジーバにもあるサウランの『戦士』の精神性。
 蔵人はそれが嫌いではなくむしろ憧れすら抱いていたが、今はそれが恨めしかった。

 情報は知れた。あとは速やかに去るだけである。
 雪白はもう一戦するらしく、赤月長蛇と向かい合っていた。
 お互いに気兼ねなく全力で戦える相手である。いや、正確にいえばまだ雪白のほうが弱いだろうが、それでも人なんかよりは全力で殺し合える相手である。殺し合ってなお死なないのだから、楽しくてしようがないのだろう。
 蔵人が立ち去ると、それを合図に雪白と赤月長蛇は戦い始めた。
 雪白の求めることを蔵人が阻害することはない。
 仮に蔵人が、死んでしまったら困る。だから雪白は戦わないで欲しいなどと言えば、雪白は蔵人を軽蔑するであろう。
 だから、蔵人は何も言わない。

 雪白たちの戦闘音を背中に聞きながら、蔵人は歩き続けた。
 赤月長蛇の鱗を割った一撃は、自分が教えた全力の一撃であろうと推測していた。
 無論、いくら獣人種とはいえすぐに使えるようになるものではないが、ファルシャの性に合っていたということかもしれない。
 だがそれ以上に逃げ方も教えたはずだが、ファルシャは逃げなかった。
 そもそも、危険には近づくなと依頼の選び方も教えたはずだった。
 だがファルシャが選んだのは、戦うことだった。
 父親の仇。
 蔵人もこれまで仇を討つ手伝いから、自分が仇になったこともあった。
 それを初めて、外から見るだけの傍観者になった。
 妙な気分だった。
 勝手なことをという気持ちもあるし、寂しいという気持ちもある。よくやったという気持ちも僅かながらあるが、大部分は喪失感であった。エスティアを失ったときの気持ちにも似ている。永遠に埋まらないパズルのピースがまた一つ増えてしまった。
 なぜ一言言わなかった、そんな気持ちになりかけるが、あれだけ安全策を説いていればファルシャもそんなことを言い出せなかったのは想像に難くない。

 結局の所、ファルシャは自らの意思で狩りにいって、そして返り討ちにあった。
 それだけのことである。
 それで赤月長蛇を恨むのはお門違いである。
 むろん怒りはあるが、それに従ってしまえば正当な報復ではなくなる。ファルシャもその父親も自ら相手を殺しに行ったのだから。その上、依頼を受けていない以上は仕事ですらない。
 いや、勝てないから戦わなかっただけだ。
 あんなものに勝てるはずがないと報復を諦める理屈を並び立てているだけなのかもしれない。そんな気持ちがないといえば、それも嘘になるだろう。
 そんな風に気持ちは堂々巡りをしていたが、蔵人には一つだけ気に入らないことがあった。
 『なすりつけ』をしたらしい、『精霊の剣』のハンターである。
 なすりつけたのかどうかすらはっきりしないが、もし本当になすりつけたのだとしたら、それこそが許されないだろう。一緒に戦うならまだしも、逃げろと叫ぶならまだしも、逃げて荷物持ちになすりつけるなど、卑怯というほかない。
 自らの命が大事であった。だから、なすりつけた。
 分からなくもないが、それで納得できる者などいるわけがない。
 だがこれ以上どうすればいいかが、蔵人にはわからなかった。



 何日かして、久しぶりに蔵人が協会に顔を出した。
 どことなく険しい顔で、そしてそれ以上に哀しみを纏わせて。
 リヴカはそれを見て、なぜか胸が締めつけられるような気がした。
「……どうかされましたか?」
「いや、例の討伐について何か新しい情報はあったか?」
「……『精霊の剣』は半壊。おもだった幹部とハンターの半数が死傷し、クランとして活動するのは当面難しいかと思います」
「……そうか」
 蔵人はそれを聞いて、依頼も受けずに帰っていった。
 どうしたら真相がわかるか、どうしたらそれを公にできるか、ずっとそれを考えていた。



 そのあと。仕事のほとんどない最も暑い日中に、リヴカは蔵人の家を訪れた。
 今日は一人であったが、あまり心配はしていない。蔵人が強姦に及ぶことはないことも知っていたし、実はラケルが遠くから見張っている。
 過保護にもほどがあるが、両親を亡くした頃からの付き合いである。姉妹というのは言い過ぎだが、一種の腐れ縁のようなもので、その気持ちは分からないでもない。ラケルほどのことをする気はないが、リヴカもラケルに男ができたらそれなりに調べたりするだろう。
「……ああ、あんたか」
 蔵人はそれだけ言って、リヴカを中に招き入れた。
 いつもと変わらない蔵人の家であったが、家の中はどことなく暗かった。



******



 ベレツにある賢者の家の地下室に、トール・ハギリ、そして影なき牙の姿があった。
「……全員無事なのですね?」
 トールは先の赤月長蛇討伐に参加せざるを得なかった、精霊の剣に潜入していた諜報員の安否をまず気にした。
「はい、幸いにも無事でした。しかし、そのどさくさのお陰で色々と探ることができました」
 精霊の剣は半壊し、その後処理のどたばたで精霊の剣とギディオンの関係を探る隙ができた。
「不謹慎ですよ。死者も多かったと聞いています」
「申し訳ありません。しかし、これで間に合います」
 トールは沈痛な面持ちで、しかし小さく息を吐いた。
「そう、ですか。だめならばマーナカクタスの件だけでもと思いましたが、どうにかなりそうですね」
 トールの手には怪盗スケルトンことジーバから受け取った魔封じの聖杖の売買契約書や、影なき牙たちが探り当てた数々の書類が握られていた。
「これで後顧の憂いなく、横断に専念できます」
 これで、準備は全て整った。


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