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用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第五章 砂漠と荒野の境界で

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106-よく似た日々

 遅くなりました<(_ _)>
「――おっさん、どっかの王族の隠し子だったりしないか?」
 紅蓮飛竜の命精石を真紅の環に嵌める加工を依頼をしたあと、協会を出たファルシャが声をひそめて言った。
「ん?」
「だってよ、あれを売れば当分どころか数年はカネに困らないだろ?」
 なにもあの命精石の分け前がもらえなくて拗ねているわけではない。あれは雪白の獲物であることはファルシャも理解していた。
「王族が船賃稼ぐのにちまちま依頼を受けるか?」
「ほら、道楽ハンターとかたまにきくじゃん」
「……確かにこの世界でまともに生きてる奴らからしたら道楽かもしれんな。まあ、現金を持ち歩くよりは貴金属で、しかもそれを雪白が持ってるんだから安心できる。ただそれだけのことだ。いつ『流れる』か分からないからな」
「ああ、それもそうか」
 その筋の者が黄金のネックレスとか時計とかを好むのは、突発的に逃亡生活に入った時に金ならば現金に変えやすいから、というのと同じである。たとえがあれであるが、魔獣と山で生活しながらハンターをするなどマトモとは言えない。それくらいの自覚は蔵人にもあった。


 家の直近にある南門が見えた時のことだった。
 突如、蔵人たちの目の前を火球が横切った。
「――あつっ」
 火球がどこかの家の土壁に当って焦げ跡を作り、飛び散った火花にファルシャが尻尾をピンと伸ばして身構える。蔵人もそれに習うが、敵ではなかった。
 人が、暴れていた。
 南門にある借家の周囲は流れのハンターや二級市民が多く住んでいる。一級市民や富裕層の多い東側と違い、ケイグバード時代の古い家屋が多く残る地区であった。
 暴れている褐色の肌をした粗末な身なりの男もおそらくは近隣の住人であろうが今は、尋常ではない様子で叫んでいた。若くもないが中年ともいえない、そんな年頃の男である。
「オレはっ、オレはっ、裏切り者じゃねええええええええええっ、――ぐぇっ」
 無差別に放たれた火精魔法は二発のみで、即座に門番に取り押さえられる。
「……なんだ、あれは」
「頭がイカレて使いもんにならなくなった二級市民さ。戦争から帰ってきた奴らの中にたまにいるんだ」
 兵役として戦争に行った二級市民。完全な戦時というわけではないため死亡率こそ高くないが、かつての同胞や同胞たちの子孫、同じアスハム教徒に剣を向け、さらには殺したことにより心的外傷後(PT)ストレス障害(SD)等を発症していた。
 ただ、この世界ではそれがまだ病気だとは認識されておらず、家族が世話をするしかない。よって、暴れている男のように、世話をする者がいなければこうして外で暴れしまうこともあった。
 ファルシャは無言で歩きだした。レシハームに住む者にとってこれは日常の風景である。
 蔵人も視線を切り、ファルシャに続いた。

 蔵人の家の内部は至って簡素なものである。
 手前の部屋は居間で、奥の部屋は寝床であり、絵を描く場所でもある。
 奥の部屋にあるのは絵を描く道具で、手前の部屋にはテーブルとイス、棚くらい。非常に殺風景な部屋であった。
 ぐぅ。
 ファルシャの腹が鳴った。その音に反応したのか奥の部屋から雪白とアズロナが姿を見せた。
「何か食うか」
「……食う」
――がう
――ぎゃう
 最近のファルシャは雪白の訓練で気絶していることが多く、ほとんど蔵人の家に泊まっているようなものであった。
「とりあえず、燻製肉でも……ってお前は食えないんだったな」
 精霊教徒は竜種の肉を食べることができない。精霊教の掟であり、理由は定かではない。
 蔵人は適当な肉を食料リュックから取り出し、テーブルと椅子を避けてどっかと座りこむと、下準備を始めた。
 厳格な精霊教徒であれば調理の仕方一つとっても面倒な決まりごとがあるが、ファルシャはそこまで気にしてはいない。食べてはいけないものを食べないという程度であったし、そうでなければ貧しい地域でハンターなどやっていけないとも言える。
 蔵人は下準備をしながらも、ちらと横に座ったファルシャの様子を窺う。
 あの門での騒動から随分と大人しかった。
 ただ肉に興味はあるのか、蔵人が肉を切ったり、串に刺したりする音に反応して虎耳がぴくり、ぴくりと動いていた。肉を焼き始めると、その匂いに鼻をくんくんとさせている。
 雪白に良く似ていた。仕草も、その良く動く耳も。
 だから、つい撫でていた。
 なんとなく慰めのつもりだったが、慣れないことはするものではかった。

 ファルシャは頭に置かれた蔵人の手をパッと振り払うと距離をとり、牙を剥いて睨んだ。
「――馬鹿にすんなっ」
 シャーッ
 フーッ
 まるで怒った猫である。
 突然の怒りに蔵人は戸惑うも、どうにか話しかける。
「落ち着け。何かしたなら、すまん。ただ、俺はこの大陸の常識に疎い。なにが悪かったのか、教えてくれ」
 蔵人の言葉と、のそりと間に入った雪白の姿にファルシャはどうにか気をおさめる。
「……二度とすんなよ。髪は精霊の寝床だ。だから精霊教徒はたくさん精霊に休んでもらえるように男も女も髪を伸ばす。それを撫でるのは精霊を振り払うのと同じだ。絶対にするなよ。いいか、男ならまだ、まだなんとかなるが、女なら本当にやばいからな」
 髪を伸ばす意味までは知っていたが、それ以外は蔵人の知らないことであった。
 ある程度調べたはずの蔵人が知らなかったのは、これは厳密に言えば宗教教義というよりも精霊の民の風俗、習慣だからである。ただし、すでに宗教と合体し、宗教行為となってしまっている。そのため、明文化されたものがなく、蔵人の調査に引っかからなかったといえた。もっとも蔵人とて全てを調査できているわけもなく、調査漏れということも十分にあり得るのだが。
「すまんな」
 もちろん実際に髪に精霊が集まっているという事実はない。ないが、精霊の民が精霊を感じ取れなかった頃からの習慣であった。

 あっさりと謝ってしまう蔵人に、ファルシャは戸惑う。
 大人がこんなにあっさりと謝るものなのかと。いや、蔵人だから、異教徒だからこうなのだと思うことにする。リヴカにも先導者は精霊教徒ではないと言われていたのを思い出した。
「……あと、父ちゃんが言ってたけど、アスハム教徒の頭も撫でるなよ。頭を撫でていいのは神様だけだってよ。……まだ自治区に行くみたいだから先に言っておく」
「わかった」
「たくっ、本当に分かってんのかな」
「……まあ、食え」
 蔵人はずいっと串に刺さった肉を二本差し出す。
 蔵人の料理は絶品というわけではない。だが、日本での独身生活で基本的な自炊能力があり、さらにこの世界では色々な地方を渡り歩いて、さまざまなものを集めていた。
「くっ、ず、ずるいぞっ」
 ファルシャの嗅覚をくすぐる香ばしい匂い。
 焼け溶けた砂糖と醤石のあまじょっぱい香りと、焼けた塩や胡椒の香ばしい匂い。そこに焦げた脂の匂いが混じる。
 そう、焼き鳥である。それもタレと塩の二種類。
 蔵人は調味料だけは充実させていた。なんせ主食は肉である。毎日ではさすがに飽きる。
 レシハームでは海から取れる塩や栽培している砂糖、そしてサウランに自生する野趣あふれる香辛料以外は調味料など贅沢品である。塩や砂糖にしたところで、そう豊富に使えるものではない。
 だが蔵人の作る料理は現代日本の濃い目の味付けであることも多い。
 ファルシャが蔵人の家に半ば居候しているのは、訓練で気絶し孤児院に帰る暇がないということもあったが、蔵人の食事に大いに期待を寄せているという部分が大きかった。

 ぐぬぬと唸りながらも、やはり食欲に負けたファルシャ。
 ひったくるようにして焼き鳥を受け取り頬張った。
 悔しいが美味い。
 しばらく無心で肉を頬張っていると、ようやく怒りもおさまり、ふと気づく。
 蔵人は小さな石の杭に刺した焼き鳥を同時に三十も火の回りで回転させている。正確には大きな肉を二つと串焼きを二十八の合計三十だが。
「……おっさん、増えてないか?」
「ん?」
「いや、確か同時に二十くらいだったような」
 蔵人の精霊魔法をしこたま食らったゆえに蔵人の同時行使の限界数をおおよそ察していたファルシャ。ニキが二つ、魔法を主に使う他のベテランハンターも三つほどである。
「ああ、そのことか。別に全力だったわけじゃないし、俺だって訓練くらいはする。純粋な筋力は年齢のせいかあまり伸びなくなったが、魔力や精霊魔法は年齢や肉体の衰えにあまり関係ないからな。精霊と対話して、魔力を限界まで使えば多少なりとも伸びていく」
 対話といっても言葉や感情を変えて精霊に意思を伝え、魔法を行使するという意味である。それを繰り返すことで行使する魔法の強弱や最大力などを計り、習熟度も高めていく。
「……まじかよ。まだ増えるのか」
 雪白相手の絶え間ない格闘戦と精霊魔法による蔵人の容赦ない魔法攻撃。
 これがファルシャの主な訓練である。一見するとイジメにも見えるが、ファルシャが拒否しない。ファルシャが一度でも拒否したらやめようと思っているが、気絶するまで戦うのだからその意思だけは蔵人も舌を巻いていた。

 お腹が一杯になると、まったりとした時間が流れる。夜までしばし時間があった。
 ふと、蔵人が鼻をひくつかせる。
「……洗うか」
 不穏な気配を察したファルシャだったが時すでに遅し。
 雪白も匂いが気になっていたのか、ファルシャの胴回りに尻尾を巻きつけた。
「ちなみに、精霊教徒は風呂に入ったらダメとか、水浴びがダメとか、そんなこきたない教義はあるのか?」
「ば、馬鹿にすんなっ、あるわけな――あっ」
 球体のぬるま湯に包まれるファルシャ。逃げようにも雪白の尻尾が邪魔をしている。どうにか息を止めるので精いっぱいであった。
 ぬるま湯に石鹸を放り込んで丸洗い。一度呼吸を挟んで、それを二度も行った。
「ぶはっ」
 三十秒を二回、およそ一分ほどで水から解放されたファルシャに、温風が吹きつけられた。

 ぶすっとしたファルシャ。
「いくぞ」
 洗浄のあとに昼寝を挟み、ときは夕暮れとなっていた。
 受けた依頼をこなしてから、いつものように訓練である。
「……どうせ汚れるのになんで洗わなくちゃならないんだ」
「今度から気絶してるときに洗ってやるよ」
 蔵人の言葉にファルシャは嫌そうな顔をするが、気絶してる間のことなど覚えているわけもなく、唸ることしかできなかった。



 翌朝。
 半ば気絶しているファルシャを小脇に抱えて協会を訪れた蔵人。
 到着するなり蔵人を待っていたらしいラロが声をかけてきた。受付へ向かいながら話をする。
「討伐はもう少し先のことだが、募集がかかってる。どうだ?」
 国の依頼を受けたクランが中心となって行われる、とある高位魔獣の討伐依頼だった。
「……いや、遠慮しておく」
 ファルシャもいるし、自治区にも行く必要がある。そもそも高位魔獣がどんな生物なのかもわからないのに安請け合いはできなかった。
「……依頼を選り好みするのもいいが、仕事がなくなるぞ?」
「かもしれんが、誰が俺を守ってくれるわけでもないからな。そもそもよっぽどのことがなければ雪白を戦力として考えてないからな。ランク違いの依頼を受ける時は必要に迫られてか、現物ありの後受けがほとんどだ。七つ星は七つ星らしく、な」
「……そうか。しょうがないな、ハンナとしっぽりやろう」
「えっ、えっ」
 ちょうど受付に到着して、いきなりそう言われたラロの担当であるハンナは戸惑う。頬を赤く染めているあたり、まんざらでもないようだが。
「不謹慎です。どこか見えないところでやってください。ただし、責任を取る気があるなら、ですが」
 横の受付にいたリヴカの冷たい視線にラロは肩を竦め、ハンナが期待するようにラロを見つめた。

 蔵人はラロとの話を切り上げ、リヴカに依頼の報告をするためファルシャを起こすと、さらに新しい依頼を選ばせる。
「……これで」
 ファルシャが差し出す依頼書に目を通してから、リヴカに渡す。
 依頼は逃げた家畜を探してくれ、というものであった。
「……そうですね。問題はありませんが、どこまでいくつもりですか?」
「ガリヤ湖の手前まで。それ以上はダメだって父ちゃんにも言われた」
「他のハンターが行っているとは考えませんでしたか?」
「……逃げたのは最近らしいからまだ見つかりきってないと思う。それに、逃げた家畜は精霊への捧げ物って言うこともあるから精霊教徒はあんまり受けないような気がする。報酬も安いし。この依頼の依頼人はアスハム教徒だから依頼したんだろうけど」
 魔獣が跋扈する山野に逃げた家畜を追うなど徒労ということだろう。
「よく考えていますね。わかりました。それではよろしくお願いします」
 リヴカに褒められ、そっぽを向いて照れるファルシャ。
 ファルシャは身の丈にあった依頼を選んだ。
 猫を被っているだけかもしれないが、それを選ぶ能力自体は得たということである。あとは、現地でどういう行動をとるか、である。


 一度家に帰り、夕暮れの少し前に再び動き出した蔵人たち。
 ファルシャが受けた依頼は、魔獣の襲撃を受けて逃げてしまった、乳を出す家畜を探すというものである。何匹生きているか分からないが、見つけたら保護することで、一匹につき百シークが支払われるという。
 四匹捕まえてようやく宿代くらいにしかならないのだから、依頼人もあまり期待していないか、そもそも貧しいかである。
「貧乏なんだよ。この家畜の乳は他の大陸から来たやつらはあまり飲まないからな。ほとんどは貧しいアスハム教徒が買うから、儲けも大してないんだ」
「……詳しいな」
「父ちゃんの友達が同じ商売をしてたんだよ……もう、死んじまったけどな」
「……食うか?」
 反応に困ったらとりあえず食い物、という行動に出る蔵人。
 ダメな大人だな、という目をしながらもそれを受け取るファルシャ。
 横ではアズロナが羨ましそうに見ており、それに気づいたファルシャは半分を食いちぎって、残りをアズロナに差し出した。
 ぱくんと飛び上がって食いつく、アズロナ。
 二人は仲良く干し肉を噛み締めていたが、それを呑み込んだところで、雪白の尻尾が二人を叩く。
「……姐御も食べたかったのか?」
 違うっ、食ったら走れ、日が暮れる。そう言いたげに喉奥で唸った。

 ガリヤ湖。
 東端の街ナザレアと首都ベレツの中間点から北上したところにある森の中の湖である。普通は魔獣車で移動し、決して徒歩で、それも二日程度で辿りつけるような距離ではない、はずだった。
 蔵人たちは湖のある森の手前に到着していたが、地面には二つの大きな塊が這いつくばっていた。
「はっ、くそっ、この、はっ――」
 完全に息が上がり、地面に倒れ込んだファルシャとアズロナ。
 蔵人たちはいつものように走って移動したが、雪白は当然ケロッとした顔で、蔵人も多少息は上がっているが動けなくなるほどではない。
 アズロナは走るのではなく、飛んだ。いや、飛ばされたというべきか。雪白が尻尾で勢い放り投げ、アズロナはそのまま風を掴んで直進する。それを繰り返していた。
 どうせうまく飛べないなら、せめてまっすぐくらいは高速で飛べるようになれ、ということらしい。
「……そうだよな。これが普通だ」
 すっかり雪白に毒されていたことを認識した蔵人は土小屋を作り、動けないファルシャとアズロナを丸洗いにして乾かしてから、そこに放り込んだ。
 雪白が猫のように背筋を伸ばすと、一つ鳴いてから、どこかへ消えた。獲物を探しにいったようである。



「こっち、かな?」
 日も昇らぬ、朝靄の漂う灰色の早朝。
 ファルシャは鼻を利かせ、耳を澄ませて森の中を探索していた。人には出来ない、聴覚や嗅覚に優れた獣人種だからできる方法である。
 蔵人たちはそれを後ろから見つめながら、久しぶりに森の雰囲気を楽しんでいた。
「……そういえば、親和性はなにが高い?」
 はなっから精霊魔法という選択肢を考えていなかった蔵人は、今さらながらに聞いてみた。
「……土だけさ。戦闘では壁くらいにしか役に立たないけどな」
「震動を探知したりはしないのか? それにおまえの耳ならかなり遠くまで音も拾えそうじゃないか……」
 震動での探知は蔵人も行っているが、範囲はそれほど広くない。
 ファルシャが耳をぴくりと動かし、じっと考えてから地面に耳をつけた。
 この方法自体は父親から聞いたことがあった。戦争で馬の蹄の音からおおよその数と位置を割り出したと。
 だがそれに土精魔法を使うことまでは考えなかった。しかし――。
「……やっぱ、わかんねえや」
 そんなものである。精霊魔法よりも身体強化を得意とする獣人種、それも精霊魔法の苦手なファルシャが言ってすぐにできるわけもない。

 それからしばらく探索するも、家畜は見つからなかった。
 木々の隙間からガリヤ湖見えた。
 ファルシャは悔しげに引き返そうとするが――。
 空気を引き裂き、鼓膜から心臓にまで伝わるような不快な轟音。
 湖に太い雷が落ちたのだ。
 蔵人たちは即座に身を伏せて周囲を索敵する。だが、そんな必要はなかった。

 感電し、驚きのあまり湖から飛び出す大きな影。
 そこへ、矢と魔法が降りそそいだ。

 水手蛞蝓(ラーヤグ)
 名前のとおり、大きなナメクジであるが湖など水中に住む。強い酸性の触手をもち、水中で見るとまるで水の手のようにもみえることからこの名がついたと言われる。
 見た目は非常にグロテスクだがその身は薬となり、サウラン大陸では古くから珍重されていた。

 矢が突き刺さり、炎や雷でその身を焼かれて身を捩る水手蛞蝓。
 水中に戻ろうにもいつのまにか湖面は凍りついていた。
 全身からいくつもの触手を伸ばすが、水中では見にくい水手も陸上であれば良く見える。そのことごくが雷を纏った矢に貫かれ、火波にまとめて焼き尽くされた。
 水手蛞蝓の動きが鈍ると、木々の合間からハンターが飛びだす。
 水精魔法と氷精魔法によっていつのまにか陸上に押し出されていた水手蛞蝓に逃げる場所はもうなかった。
 何本もの槍で貫かれ、雷に感電し、ついに触手もぱたりと力を失った。
 ハンターたちはさらに何度か槍を突き刺して水手蛞蝓の死を確認すると、木々に向かって手を振る。すると、木々の合間からぞろぞろと他のハンターたちが姿を現した。

「……あいつ」
 ハンターの狩り風景をじっと見つめていたファルシャが小さく零した。
 水手蛞蝓を倒したのは『ショシャナーの娘子』だった。いずれパーティを組むであろうニキと、協会で蔵人に突っかかってきたラケルもいる。
 ニキの顔は上気し、どこか興奮しているようにも見え、今の狩りに参加していたことは明らかであった。
 ラケルが何かに気づいたように、木々の合間に隠れる蔵人たちの方向を睨むと、ショシャナーの娘子たちもそれに気づいて身構える。
 横取りのハンターか、盗賊、他の魔獣を警戒してのことである。
 誤解させるのもまずいと蔵人はゆっくりと立ち上がり、木々の合間から両手の掌を見せるように軽く手を上げた。

 それを見たラケルが嫌そうな顔をしながらも、顔見知りだと周囲に説明しようとするが、蔵人の横から雪白がぬっと顔を出した。
 ラケルたちはぎょっとする。
 見たこともない大型魔獣に緊張が走るが、横にいた蔵人が雪白の小耳を撫でたことで、疑いながらも僅かに緊張を緩めた。だがラケルは、蔵人をキッと睨んだままである。
 蔵人とラケルのやり取りに気づいたニキは雪白の姿に驚きながらも、その背後にいるファルシャを見つけ、どう? とでも言うように自慢げにその薄い胸を張った。

 後ろにいて無言のやり取りを見ていた『ショシャナーの娘子』のメンバーたちは苦笑しながら何か小声で話していた。蔵人とラケルの騒動を知っている者たちがいるようである。
 だがそこに蔵人たちへの反感はなく、直情的な部隊長がまたなんかやってる、という風であった。
 しかも、一部の猫科に属する獣人種たちは雪白を見て喜んだり、慄いたり、神に祈って問い合わせたりと忙しそうですらある。同じように女だけの狩猟集団である月の女神の付き人とはまるで違う雰囲気であった。

 大物狩りに参加し、誇らしげなニキ。
 その姿を見たファルシャは唇を噛み締めた。口の端から突き出た小さな牙、尻尾が小さく震えていた。
 ニキは一足先に大物を狩った。手伝いとはいえ置いていかれているような気がしていた。だが――。
 くるりと背を向けるファルシャ。
 蔵人と雪白も無言のまま、ファルシャの背を追いかけた。


 無言で依頼の家畜を探し始めるファルシャ。
 じりじりと気温が上がるが、それもお構いなしである。砂漠から遠いため極端に暑いわけではないが、汗はだらだらと流れてくる。
 それでもファルシャは嗅覚と聴覚を研ぎ澄ませて、探索を続けた。
 すると、その執念が身を結ぶ。
 どうにか一頭の家畜を見つけることに成功した。

 乳大鼠(シルダフ)
 大きな豚ほどもある鼠で、乳をだす。基本的に雑食でなんでも食べるため、このサウランでは古くから重宝されていた魔獣である。ただ、ネズミを不浄のものとして見るミド大陸の者たちはあまり好まず、主に古くからサウランに住む者たちの貴重な食料となっていた。

 泥にまみれて隠れていた乳大鼠はファルシャに見つけられると大人しく従った。しかし、今はびくびくと怯えている。
 原因は雪白、そしてアズロナである。
 飛雪豹(イルニーク)にしろ、緑鬣飛竜(ベルネーラワイヴン)にしろ、自然界でいえばどちらも天敵である。
 ファルシャはどうにか乳大鼠を宥めながら引っ張っていた。
 ニキのことがあるせいか満面の笑顔というほどではないが、それでも依頼を無事に終えることができた安堵が見て取れた。
 乳大鼠を宥めるファルシャの姿を、蔵人はじっと見つめていた。



「ほ、ほんとかっ?」
 それから数日を経て、蔵人はファルシャの独り立ちを認めた。リヴカとも話し合って合意している。
「あとは好きにしろ。最低限ハンターとしてはやっていけるはずだ」
 受付に座るリヴカも頷いた。
 蔵人の報告である程度自制心があることが確認された。父親がいた頃にも自制心はあったのだろうが、父親といるときにしか使えない自制心では本人やパーティを危険にさらすだけである。
 最低限死なないだけの知識と自制心がある。十つ星としてはそれで十分である。強くすることが蔵人の仕事ではない。

 蔵人はさらに、リヴカから二振りの剣を受け取り、その一つをファルシャに手渡した。もう一つはさっさと自分の腰に差し込んでしまう。
「……最初に奢ってやれなかった酒のかわりだ」
 先導者は強い酒を一杯奢るという古い習慣である。ただ最近はナイフを送ったりすることもあるから、蔵人が剣を送ったとしても不思議なことではない。

 本来は十つ星になったときに父親からもらうはずだったが、その父親は死んでしまった。もうもらえないと思っていた。
 これは蔵人が調達したものだろうが、それでも嬉しかった。
「……抜いていいか?」
 ファルシャは蔵人、そしてリヴカを見る。許可がなければ協会内での抜剣は禁止である。
 リヴカが頷くと、ファルシャは鞘から剣をゆっくりと引き抜いた。
 それはククリ刀に似た、少し曲がった剣だった。
 元は蔵人が持っていた三剣角鹿のブーメランの一つである。ブーメランソードとでも呼べばいいか。
 蔵人は月の女神の付き人のグェンドリンに頼んでブーメランの握り部分を紅蓮飛竜の骨で作り、刃は剣として利用できるように研いでもらった。それが数日前に協会に届いたのだ。
 高価な三剣角鹿の角にも見えず、少し年季の入った、人からのもらいもので十分に通じるものである。そもそもこのあたりに三剣角鹿はいない。

 ファルシャはなんと言っていいか分からず、蔵人を凝視した。 
 未だに蔵人のことはよく分からない。
 ほとんど怒ったりすることはない。殴ることなんて訓練以外ではまったくない。むしろ雪白のほうが過激である。
 だからといって厳しくないかといえばそうではなく、ファルシャが選んだ依頼を容赦なく却下した。
 強引に丸洗いするが、食事はたらふく食わせてくれる。絵など描いており、色々物知りな部分もあるが、常識的なことになるととんと疎い。
 その戦闘力も分からない。
 自分より強いのは分かる。だが、どれくらい強いかと言われると分からない。ショシャナーの娘子の部隊長であるラケルほどではない。だけど蔵人単体がラケルと命を賭けて戦ったとき、負ける姿が想像できない。だからといって、勝てるかと言われるとそれも想像できない。
 結局のところ、やっぱり良く分からない奴だった。

「……ありがとう」
 ファルシャは小さく言った。
 自分の先導者は良く分からない奴だった。そんな笑い話が一つくらいあってもいいだろう。

「――さあ、勝負よっ」

 後ろから、ニキが叫んだ。



 街の外で睨み合うファルシャとニキ。
 少し離れたところに、ファルシャと組む他のパーティメンバーやニキの先導者であったラケル、そして蔵人もいた。さっさと帰るつもりだったのだが、先導者なら最後まで見届けていきな、というラケルに引っ張られてここまで来たのである。

 ファルシャとニキの間合いは、ニ十メートル以上離れている
 ニキの武器は弓と魔法。ファルシャの武器は剣であるため、こういう形となった。
 両者の武器は木剣と木の鏃。精霊魔法も使用するが、殺しは禁止である。
 一応審判として蔵人とラケルがいるが、お互いが納得するまで戦いは行われる。

「――始めっ」
 ラケルの声に、ファルシャが放たれた矢のように飛び出す。
 ニキは即座に弓をつがえながら、土精魔法でもってファルシャの足元を乱した。
 突然足元が不安定になるも、ファルシャは止まらず、跳ねるように直進する。地面が波打っていたとしても、地面を蹴る瞬間さえ気をつけていればいい。まるで雪白のような駆け方である。
 ニキは驚きながらも、矢を放つ。
 同時に三本。
 しかしファルシャはそれも打ち落とし、さらに速度を上げた。三本程度の攻撃など蔵人の精霊魔法に比べればどうってことはない。
 ニキは焦った。
 少し前と動きがまったく違う。速度自体はさほど変わっていないが、動きに無駄がなくなっていた。無駄がなくなった分だけ体感的に速く感じた。
 それでも、ニキは矢を五本抜いて弓につがえ、同時に風精魔法の風球を三つ、行使する。ニキは獣人種にしては珍しく精霊魔法が得意であった。

 ニキとて時間を無駄にしていたわけではない。
 ファルシャが迫る中、ニキは冷静に五本の矢と風球を三つ、放った。
 それを見て、ファルシャは土壁を展開する。
 その瞬間、ニキは吹っ飛ぶファルシャを想像した。風球は見えない。精霊魔法の苦手なファルシャの土壁程度ならばぶち抜く威力がある。
 そして想像どおり、土壁は木っ端みじんに弾け飛んだ。だが――。
 ファルシャがいない。

「――あっ……」

 ニキの首筋に木剣が添えられていた。しかもどこに隠しもっていたのか短い木剣も使って、両方の首筋に。
 ファルシャは土壁が破壊される僅かな間を利用して、後先考えない身体強化で一気に速度を上げると、ニキの背後に回り込んだのだ。二剣を使ったのは、障壁を砕く分を考えてのことである。

「……あたしの、負けね。あんたがリーダーよ」

 だが、ファルシャは首を横に振った。
「リーダーはお前でいい。俺は一番前で戦ってるほうが性に合ってる」
 ニキは少し考えてから、言った。
「……それなら指揮はあたしがする。でも、リーダーはあんたがやりなさい」
 ニキも獣人種。強さというものを無視はできなかった。
 駆け寄ってきたパーティメンバーもそれでいいと頷く。
「わかった」
「……ふん、こき使ってあげるから覚悟しなさい」
「はっ、リーダー権限で全部拒否してやるさ」
「そんなことしたらパーティが崩壊するじゃないっ、このあほちんっ」
「あほちん言うなっ、この犬っころっ」
 前途多難である。

 そんな光景をじっと見ている蔵人にラケルが声をかけた。
「……あんた、何したんだい? この間まではほとんど互角だったのに、今じゃ歴戦、っての言い過ぎだけど、戦い慣れ過ぎてるだろ」
「ほぼ毎日、雪白と戦ってれば嫌でも戦い慣れる。俺もそうだったしな。精霊魔法は俺が目一杯撃ち込んでやった。まあ、あんなもんだろ。あれ以上は、時間がかかる」
「……まあ、そうだね」

 確かにファルシャは強くなった。
 ただそれは、現状の技術と身体能力、そして強化具合がしっかりと噛みあい、最適化されたに過ぎない。
 短期間で力をつけさせる方法など蔵人は知らないし、実のところファルシャに特別な才能はない。少なくとも蔵人はそう感じたし、雪白の感想も似たようなものであった。
 子供とはいえ獣人種だけに身体能力は高いが、それはあくまでも人種と比べたときのことであり、獣人種としては普通だ。現状の技術もセンスもかつて戦った孔雀系鳥人種のファンフに劣り、身体能力もヨビに劣る。というよりヨビが異常だった。おそらくは両親である陸亀系獣人種の腕力が受け継がれている。蝙蝠系獣人種としては少し馬力があり過ぎた。

 これは、ファルシャに先導者がつかなかった一因でもあった。
 レシハームに帰化するために改宗した牙虎族の子供。そんな不利な立場に目を瞑るほどの将来性を誰も感じなかった。誰しもただただ面倒なだけの子供を相手にするのはご免であろう。自らが帰属する社会、世間があるのなら余計に。
 蔵人とてたまたまイライダに拾われた。ハンターの流儀だと言って。
 だから、ファルシャを拾ったに過ぎない。
 蔵人自身、この社会になんのしがらみもないからできたことである。

 仕事は終わったとばかりに、ぎゃいぎゃいとパーティで騒いでいるファルシャ達に背を向け、蔵人は家に戻っていった。

 


 家に帰ると蔵人は雪白を枕に横になった。
 いつもとどこか様子の違う蔵人に雪白は黙っていた。アズロナはいつものように蔵人の膝の上に顔を乗せる。
 いつもならファルシャがいた。少し離れたところで一人眠っていたが、ファルシャが眠ると雪白が尻尾で近くに運んできた。
 うるさい子供がいない。
 それだけでどこか部屋は広々としていた。
 正直なところ、手のかかる子供がいないことで内心安堵もしていたのだが、どこかさびしいような気もしてくるから不思議である。
 アズロナも兄弟分がいなくなって、寂しげであった。



 その夜、蔵人たちが気晴らしに出かけようとすると、隣の家に見知らぬ男が入っていこうとしていた。大荷物を抱え、まるで引越しのようでもある。
 確か、ジオンというハンターが住んでいたはずだが、別の男であった。
「ちょっといいか? 隣に住んでるクランドだ。……ジオンって人の知り合いか?」
「ああん? ああ、アンタはしばらくいなかったか。ちょっと前からここに住むことになったアークだ。前に住んでた奴は死んだってよ。依頼中に北の盗賊に殺されたとかなんとか」
「……そうか」
 不意の言葉に耳を疑いながらも、どうにか答えた蔵人。
「明日は我が身ってね、まあこれもハンターの宿命みたいなもんだな。……って随分でかい猟獣だな」
「ああ、ほとんど言葉は通じてる。へんなことしなきゃ襲うことはほとんどない」
「おう、そうか。よろしくな」
 アークは雪白とアズロナに声をかけた。それがまるでジオンのようでもあった。
 雪白とアズロナがそそれぞれ唸って返すと、アークは目を丸くしたあとに手をひらひらとふって家へと入っていった。 


 ハンターなのだから当たり前で、この世界でもこれが日常である。
 昨日生きていた者が、翌日には死んでいる。
 人の世界を遠ざけていた蔵人にはそれに直面する機会がそれほどなかったに過ぎない。自分の知らないところで、自分の知らない内に、ちょっとした知り合いが死んでいく。
「……ああ、そうか」
 蔵人はこれが人の世界に生きるということだと思い出していた。
 昨日までは元気に口煩かった階下の婆さんが、突然事故で死んだ。
 極端に悲しかったわけではない。
 だが、何か呑み込めないものを強引に口に入れられたときのような不快感があった。
 雪白は蔵人の心を察してか、顔をこすりつけてくる。
 ジオンには顔を伸ばされたりしたが別に嫌いではない。むしろ、面白いやつだと思っていた。それでも人は死んでしまう。簡単に。
 それが雪白には哀しかった。
 アズロナもどこかしょんぼりとしていた。



 蔵人はしばらく仕事も受けず、雪白たちと共に森や荒野をかけたあと、絵を描いた。まるで何かを拒絶するように。だから人の社会は嫌なんだ、とでも言うように。
 数日後。
 蔵人の家の前にリヴカがいた。
「わざわざ届けなくてもいいだろうに。しかもこんな暑い最中に」
 リヴカの護衛だと言って勝手についてきたラケルが言う。
「だからといって夜に行くのもはしたないですし、朝は仕事があります。それに高価な品ですからね。あまり協会にも置いておきたくはありません。協会も相応に儲けさせていただきましたから、これくらいは……」
「だけど――」
「――クランドさんはいらっしゃいますかっ?」
 ラケルの言葉を遮って、リヴカが声を上げた。
 しばらくすると、キィという音を立ててドアが開かれる。
「あの――」
 リヴカ、そしてラケルまでもが身体を硬直させた。
 薄暗い室内で灰金色に鈍く光る、不機嫌そうな二つの瞳。
 雪白であった。
「ゆ、雪白さん、いつかお約束したお詫びを持ってきました」
「ア、アタシも」
 雪白を門近くとはいえ街に入れるようにするために、リヴカは雪白を攻撃したことがあった。お詫びとはそのことで、リヴカは肉を持ってきた。
 ラケルも一応は人の家に行くと言うことで手土産の酒を。ショシャナーの娘子の部隊長ともあろう者が手ぶらで行くなぞもっての外だと、他のメンバーに持たされたのだ。
 雪白はくんくんと匂いを嗅ぐと、ドアを大きく開いて二人を招き入れた。
 日中は暑さで不機嫌な雪白だったが肉と酒が舞い込んできたとあっては歓迎する他ない。


 蔵人は奥の部屋にいたが、リヴカたちにも気づかず、絵に没頭していた。
 描かれた絵が壁中に張られている。
「……女ばっか」
 ラケルがうんざりしたように呟くも、どこか恥ずかしそうにしている。リヴカもいつものように気まじめそうにしているが、やはり頬が赤い。
 女一人でなければ男性の家に入っても問題ないとはいえ、これは予想外だった。
 絵から目を逸らすように、蔵人の背中を見るリヴカ。
 不思議であった。
 何故かその背中が、寂しげに見えた。
 いや、蔵人の足元で寂しそうに丸まっているアズロナを、かまいもしない蔵人がいつもと違うように見えたのかもしれない。

「――まったく、客が来たんだから挨拶くらいしたらどうだいっ」

 ラケルの叱声、さらに雪白の尻尾に後頭部をぺしぺしされ、蔵人はようやく気づいて振り返った。
「ん? ああ、すまん」
「例の猟獣用の識別具を持ってきました」
「わざわざすまん」
 蔵人は立ち上がって居間に行き、龍華国のお茶を人数分、土の湯飲み茶碗に入れて、テーブルに置いた。
 三人が椅子に座ると、リヴカがまず真紅の環を置いた。
 蔵人がそれを受け取り、雪白に視線をやると雪白は面倒くさそうにしながら近寄ってきて、蔵人の膝の上にその丸っこく大きな足を置く。
 古い真紅の環を外し、金色にも似たメタリックオレンジの命精石が嵌めこまれた新しい真紅の環を装着する。
「これは」
「こちらで回収いたします」
 そう言ってリヴカは古い真紅の環を受け取ると、今度は持ってきた肉を置いた。ラケルもそれに習い、どんと酒壺を置く。
「一応、手土産だ。それじゃあ――」
「――注意してくださいね。この絵が一枚でも外に出たら確実に捕まります。か、官能的過ぎます」
 立ち上がろうとするラケルの出鼻を挫くように、リヴカが叱る。
「……わかった」
 否やはない。裸婦画や女性画を純然たる芸術の結晶などとのたまう気はない。よほどの芸術好きでもない限りは、多くの者にとってエロである。少なくともエロを内包するものであることは否定できない。

「それに、ちゃんと食べてますか? 頬が少しこけてますよ? ハンターは総じて良く食べますが、それだけ身体の維持に必要なんです」
「そうだな」
「あと、アズロナさんをかまってあげてください、寂しそうにしてますよ? 雪白さんは……」 
 余計なことを言うなとでも言うようにリヴカの顔を尻尾でぽふぽふする雪白。
 リヴカは雪白に目で謝ってから、ごほんと咳払いする。
 別に口やかましくしたいわけではなく、ハンターの生活環境を改善し、その能力を一定に保つのも担当の仕事だというだけである。

 蔵人が足元を見るとアズロナがしょんぼりと丸まっていた。
 あちゃーと頭を掻く蔵人。
 丸くなっているとはいえ一抱えほどもあるそれを持ち上げ、膝に乗せた。
 拗ねているらしく、丸まったままであるが、蔵人はそのまま鬣を掻くようにして撫でた。
「……それと、自治区の申請が通りました。明日の夕方から入区が可能です」
 蔵人が頷く。
 リヴカがお茶に口をつける。
 少しだけ口を付けて、帰るつもりだった。
「……はぁ」
 思いの外美味しかったお茶を飲むと、自然と溜め息がでてきた。
「……あんたも疲れてそうだな」
 担当制度のあるレシハームの協会職員は激務である。ハンターだけではなく、職員同士も色々と調整しなければならないため、ストレスが溜まる。
「えっ、いや、これは」
 自分でも思ってもいなかったことにうろたえるリヴカ。気まじめゆえに、ストレスというものを自覚していなかった。仕事をして当たり前、疲れるのも当たり前。そう思っていた。
 恥ずかしそうに顔を俯かせるリヴカ。
 にやにやと笑う蔵人。
「――ふんっ」
 ラケルがお茶を一気に飲み干し、そのお茶の美味しさに少しだけ毒気を抜かれながらも立ち上がり、リヴカの腕を取った。
「そろそろ行くよ」
 リヴカも予定より長いをしてしまったことに気づき、ラケルに引っ張られるまま家を出ていった。

「……さて、食うか?」
 呑むっとばかりに雪白が土産物の酒壺を尻尾でつつく。
 食うっと首をもたげたのは、幾分機嫌のよくなったアズロナであった。



 リヴカたちが帰り、蔵人は奥の部屋で明日の準備を整えている。
 雪白はようやく機嫌を治したアズロナの落ち着いた寝息と外の強い風の音に、耳を澄ませていた。
「――ちょっと、いいかしらっ」
 また雌か、と雪白は少しイラッとしながらも、ドアを開けた。人の社会で生きる以上は無視するわけにもいかない。
 小さな雌がいた。
 小人種のナダーラ・ヤグであるが、雪白は知らない。
 ナダーラが不機嫌そうに言い放つ。
「こんな風の強い日に女を吹きさらしにしておくとか、どういう了見かしらって、……魔獣?」
 面倒くさそうな雌だった。
 イライダやヨビ、ジーバのようにすっきりした雌のほうが付き合いやすい。
 ただ、魔獣と気づいてなお、怯えていないのは評価に値するが、鼻のむずがゆくなるような匂いはいただけない。
「ここに、クランドっていうハンターがいると聞いたのだけど」
 雪白は思案する。
 とりあえず、追い返してしまおうか、と。
「……誰かお客か?」
 奥の部屋から蔵人が声を張り上げた。
 空気を読まない男だと雪白は喉奥でぐるると唸った。
「あの声は……なんだいるじゃない。……どきなさいよ」
 態度のでかい小さな雌である。
 雪白は尻尾であしらうことにした。
 顔をぺふぺふされ、苛立つナダーラ。
「この、えい、どきなさい」
 右に左にとその小さな身体を生かして家に入ろうとするナダーラだったが、そのことごとくを雪白に阻まれる。
 眉間のしわが深くなっていくナダーラ。
 ふふんと鼻を鳴らす雪白。

「ん、ああ、すまんな」
 そこへようやくとばかりに蔵人が姿を見せた。
 空気を読めっとばかりに雪白が尻尾で蔵人を攻撃するも、蔵人は数発目でそれを受け止め、撫でた。
「入るわよ」
 そのまま当然とばかり椅子に座る小さな女。
 そして足を組んで、その脚を見せつけながら蔵人に甘ったるい声で囁く。
「――素敵な宝石を手に入れたとか?」
 協会や骨人種が情報を流したわけではなく、蔵人が最初に協会で命精石をだしたときにそれを目撃していた男が情報源である。

 蔵人は吸い寄せられるようにその脚に目がいきそうになるが、捕えていた雪白の尻尾に目つぶしされる。毛が眼球に突き刺さり、存外痛い。
「……宝石? ああ、それか」
 涙の滲む目を押さえながら、雪白の前脚を指す蔵人。
 魔獣に希少な命精石を与えるなんて、と驚きながらもナダーラは訴える。
「――わたしにくれない?」
 脚を組みかえ、雪白を無視して蔵人に上目遣いをするが――。
「雪白に聞いてくれ。元々雪白のもんだ」
 ちらっと雪白を見るナダーラ。
 ぷいっとそっぽを向く雪白。
 雪白はこの真紅の環を存外気に入っていた。ましてや、この態度の大きな雌に譲る気はなかった。
 ナダーラは無理に作った笑顔が崩れそうになるが、今は我慢と話を変えた。
「……ふーん」
 視線の先にあるのは、ナダーラを描いた絵であった。
 蔵人が描き散らし、壁に張ってある白と黒の濃淡で描かれた絵。


 女は上半身裸で鏡台の前に座り、背中を向けている。
 ロングワンピースのようなドレスは、だらしなく腰までしか穿いていない。
 口には髪紐を咥え、両腕は後ろ手にその長く多い髪をまとめていた。
 腋をとおして乳房の輪郭がしっかりと見えているが、顔は見えない。正面にある鏡にも映っていない。
 周囲に散乱するハイヒールやバッグ、アクセサリー。
 鏡台の上には香水や化粧瓶に混じって、火のついた細めの煙木に灰皿、酒の入ったグラスが置いてある。


 どこか退廃的で、刹那的な女の姿が描かれていた。
 だが背景となっている部屋は妙な遠近法で描かれており、モデルである小人種のナダーラがあたかもエルフ、もしくはハーフエルフのように見えなくもない。
 小人種を描きながらも、これは小人種ではないとも言い張れる絵。奔放な小人種への反感を感じさせずに、小人種の女の美を表現しようとしていた。

「――アハハハハハハハッ」

 ナダーラの笑い声。
 そう、これは失敗作であった。
 それがナダーラっぽいという勝手な想像の末に描かれた勝手な絵。
 妙な遠近法で小人種なのか、ハーフエルフなのか分かり辛くしてあるのは、これはナダーラを描いたわけではないからもう破かないでくれ、という蔵人の願いでもあった。
 才能も積み重ねもない蔵人の絵など、情の交わりがなければこんなものである。
「でもこれじゃあ、なにも言えないわ。ふふ、ああ、おかしい」
 だがナダーラは前回のように燃やすことなく、絵をひらりとテーブルに落とした。
 そして懐から煙木を出すと、火をつけた。
「灰皿はある?」
「それくらい自分でやれ」
「やーよ、面倒だもの」
 蔵人は溜め息をつきながら、土精魔法で灰皿を作ってやった。
 絵を描けなかったことに、いや逃げを見抜かれたことに羞恥を感じていたのかもしれない。
 女に甘いだけだ、という雪白のジトっとした目をどうにか無視する蔵人。
「精霊教徒のとこだと煙木を吸えないから、窮屈なのよね」
 ナダーラは美味そうに煙木の煙を吸って、ゆっくりと吐き出した。
「お酒はある? ……あら、残念」
 雪白が威嚇するように一つ唸ると、ナダーラはあっさりと撤回した。

「情を移しすぎよ」
 ナダーラが机に落とした自分の絵をちらりと見ながら言うと、蔵人は不服そうな顔をする。
「あら、別に悪いなんて言ってないわよ。親、兄弟、友人、祖父母、あとは隣人愛に同胞愛、無償の愛なんてのもあるかしら。だから、そもそも愛は一つじゃないわ。異性愛が一つや二つ多くたっていいじゃない。だけど情が多過ぎると結局自己満足に走るから、相手を無視した絵になる。まあ、いいわ。今度会うことがあれば、もう少しましな絵を見せてちょうだい」
 そして煙木の火を消し、立ち去ろうとして、雪白を見た。

「――それ、譲ってくれない?」
 雪白はぷいっとそっぽを向き、ナダーラの顔を尻尾でぺしぺし叩いた。
 イラッとした顔をするナダーラ。
「お、覚えてなさいっ」
 そう言って、ドアを乱暴に開けて、去っていった。
 突風のような女だか、どことなく憎めない。
 だがやはり、蔵人にはよく分からない女でもあった。おそらく、一生描けないような気もしていたが、その容姿だけは描かずにいられない美しさがあった。
 いや、根拠はまるでないが、勝手に想像した自由なその生き方にどこか惹かれているのかもしれない。

 疲れたような様子で、蔵人は椅子に腰かける。
 ナダーラを含めて、色々とあった。 
 ファルシャの先導をしたり、隣人が死んだり、ナダーラが襲来したり。
 面倒だったり、哀しかったり、騒々しかったり、悔しかったり。
 だが全てひっくるめて、こんなものだ、という自分がいた。
 ほとんど面倒なことばかりだが、ときに楽しかったり、ときに哀しかったりする。
 それが人としての生活だった。
 面倒事を押し付けられ、船賃や生活費に頭を悩まし、くだらないことに一喜一憂する。
 それが、蔵人にとっての他愛のない日々の生活であった。
 誰かの思惑に翻弄されることを考えれば、よっぽどまともな生活である。
 かつて疎みながらも愛した真っ当な日々。
 日本にいた頃はここまで騒々しくはなかったが、よく似ていた。



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 風の強い夜道をナダーラは歩いていた。
 蔵人の命精石はちょっとしたつまみ食いのつもりだった。
 ちょっと小耳に挟んだから、という程度のものである。
「面倒なことになる前に……」
 潮時であった。
 レシハーム、賢者、政府、ギディオン、ラザラス、協会。
 表向きは普段と変わらないが、水面下では複雑な力関係が蠢き始めていた。
 巻き込まれる前に、取れる物はとってずらかる。
 それがナダーラの生き方であった。
 ナダーラ・ヤグ。
 小人種の老人の仕事である卵守のつけた名前の由来は『恐れない・炎』。
 生まれて間もなく、瞬きもせずに焚き火の炎を近くで見つめていたことからそう名付けられたとか。
 確かにナダーラは恐れない。
 奔放に、自由に、自らの心のままに生きていた。
 女優という立場も、ラザラスの情婦という立場も、気が向いたからやっていたに過ぎない。
 もしかすると、明日にはハンターになっているかもしれない。
 自らの心と目的が合致したならば、なんでもする。
 それがナダーラと言う女だった。

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