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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第五章 砂漠と荒野の境界で
108/144

105-二度目の自治区

……長くなってしまいました<(_ _)>



「――おれも行くっ」

 

 十つ星相当の依頼、雪白のスパルタ訓練、食事、睡眠。

 そんなルーティンのような日々が続いたある日。ようやく自治区への入区申請の許可が降り、蔵人は協会でサディと合流し、自治区へ向かう相談をしていた。

 当然ファルシャは連れて行かないつもりだったのだが、それに気づいたファルシャがいつものように強気で考えなしな発言をかましたのだ。だが――。

「駄目に決まってるだろ」

「駄目です」

 当然のように蔵人とリヴカにばっさりと却下されてしまった。


 その横でサディは困ったような顔で、しかし微笑ましそうにファルシャを見つめている。元はアスハム教徒ということで孫のように見えているのかもしれない。

「ま、なんでだよっ」

 早くハンターになりたいという思いもあったが、かつて祖父が懐かしむように語っていたケイグバードの元同胞たちに会ってみたかった。レシハームの影響の薄い、ケイグバード本来の匂いを知りたかった。

 リヴカがいつものように気まじめに説明する。

「いいですか。やむにやまれぬ事情があったとはいえ、あなたとあなたのお父上はレシハームに帰属し、改宗も済ませました。ですがだからこそ、危険なのです」

 ファルシャは幼い頃に魔獣災害によって住んでいた自治区が壊滅し、父親と共にアスハム教から改宗した精霊教徒であった。

 しかしアスハム教は本来棄教を禁じており、ファルシャが自治区に入ることはサディよりもさらに裏切り者扱いされ、一歩間違えれば殺されてしまう。

 ファルシャが精霊教徒になったと知られなければ良いことだが、ファルシャの事情を知る者がこれから向かう自治区に身を寄せていないとも限らない。

  

「……頼むよ。おれは昔のケイグバードのことを知らない。別にいまさらそっちに行きたいわけじゃない。父ちゃんやじいちゃんが見ていた景色をおれは見たことがない。だから、見てみたいんだ」

 蔵人とリヴカは顔を見合わせ、溜め息をついた。

「……何があっても俺の指示に従えるか?」

「もちろんっ」

「雪白とも約束できるか?」

 うっと怯むファルシャ。

「あ、姐御……で、できるさっ」

 ファルシャはなぜか雪白を姐御と呼び、慕うようになっていた。アズロナはほぼ同格の弟分のようなもので、蔵人は兄貴分と言ったところか。もちろん、雪白が一番上だ。


 蔵人が確認するようにサディを見ると、サディは黒い薄布の下で微笑みながら頷いた。

 サディもアスハム教徒であるが、ファルシャに対して思うところはない。父親の決断に従って改宗しただけであり、罪に問うべきではないと思っている。

「なら連れて行ってやる。そのかわり、指示に従わなかったら自治区にいる間中、ずっと眠っててもらうからな」

「お、おう。……おっさん、珍しく荒っぽいな」

 ファルシャからしてみればすぐに手がでる父親や同じ牙虎族の男たち、叱るときは容赦なく尻尾が飛んでくる雪白と比べれば、蔵人はほとんど手をあげない。唯一の例外は最初の戦いと訓練時だけである。

「それだけ危険なんだ、ろ?」

 蔵人は知識として知っているが、実際のところは知らない。

 ちょっと自信なさげにリヴカを見ると、リヴカは溜め息をつきながら頷いた。




 自治区に滞在できる時間は短い。

 蔵人たちは気温が落ち始める夕方からすぐに自治区に入れるようにと、自治区を囲う壁にある検問所の近くで、小さな小屋を立てて待っていた。

「……行くか」

 雪白とアズロナが嫌そうな顔をする。

 ようやく気温が下降してきただけであり、まだまだ暑い。

 だが今回ばかりはのんびりともしていられない。

 蔵人は雪白とアズロナを宥めながら、自治区入りした。ファルシャは事前の予定にはなかったが、『赤』とはいえ二級市民で精霊教徒、年齢も幼く、蔵人という先導者がいるため通行を許可された。


「サディさ~ん」

 蔵人たちが検問所を抜けてすぐ、深緑のローブの上に革鎧を装備した、とても小柄な月の女神の付き人がぶんぶんと手を振って近づいてきた。

 自治区で便宜を図るという約束を忘れてはいなかったようである。

「グウェンドリン、お久しぶりですね」

 蔵人よりも頭一つ小さなサディよりもさらに小さな女。そうドワーフである。

 焦げ茶色の癖っ毛に平らな身体。だが身体付きは女性にしてはがっしりとしている。顔立ちはそれほど子供っぽくはないのだが、どこか幼げな雰囲気がある。ただ小人種の女優であるナダーラ・ヤグと違って妖しい雰囲気はなく、働き者の田舎娘という感じであった。


 お互いに簡素な自己紹介を終えると、グウェンドリンがファルシャを見る。

「ところで、この子はどこの子かな?」

 女官長から聞いていたメンバーにはいなかった。

「今ちょうど先導者をしててな」

 蔵人が目をやるとファルシャが名乗る。

「――牙虎族のシャムシドが子、ファルシャだっ」

「おっ、元気良いねぇ」

 グウェンドリンが手を差し出し、レシハーム流に握手を求めた。

 ファルシャは若干面食らいながらもそれに応じると、握った瞬間に尻尾をピンっとさせた。

 そしてグウェンドリンが何事もなく手を離すと、その手をまじまじと見つめる。想像以上の握力だった。


「――何かついてる?」

 じっとグウェンドリンを観察していた蔵人。

「……いや、ラッタナの鍛冶屋でエーリルっていう元気なおばさんと知り合ってな。どうやったら、あんたがああなるのかと不思議に思ってたんだ」

 少々失礼な物言いであるが、蔵人にとっては非常に気になる問題であった。成長過程がどうにも想像がつかない。

「ああ、それね。エルフほどじゃないけどドワーフも長寿なんだ。成長の仕方はどっちかというと人種に近いかな? 十年いや二十年ごとくらいに絵でも描いて並べてみたらよく分かるはずだよっ」

 人種の老け方を三倍近くに引き伸ばしたような形らしい。

「それにしても、女官長には聞いてたんだけど、本当にあたしみたいな田舎くさいドワーフでもじっと見るんだね。まあ、あたしや女官長はいいけど、分神殿にいる他の娘には遠慮してよ? 男が苦手な子もいるんだからねっ」

「ぬぅっ、すまん」

「よし。じゃあ、どこに行くつもりかな?」

 蔵人たちはグウエンドリンの自治区最新情報を踏まえて、計画を立て始めた。




 どことなくもへっとした顔の、鹿を横に引き伸ばしたような骨が箱馬車のような魔獣車を曳いていた。グウェンドリンが手配した魔獣車である。

 雪白を恐れない、というより極めて鈍いようである。

 アズロナは面白がってその背中に飛び乗り、顔真似のつもりなのかもへっとした顔をしている。魔獣車を曳き、なおかつ全長でいえばファルシャほどもあるアズロナを乗せてもびくともしないのだから、見た目に相応しい馬力を持つようであった。

「バムダド導師(イーフ)の死霊でね、快く貸してくれたんだ。便宜を図る約束だから気にするなってさ」

 骨になる前は砂切大羚羊(ラムティバ)

 サーベルのような長い角が四本あり、全体の雰囲気はオリックスに似ている。だが、スマートさとは無縁の、まるでサイのような体躯の持ち主である。

 のんびりした顔や鈍重な体躯にしては軽快に走り、そのうえ力も強い。足元の土を走りやすいように変化させていると言われているが、目撃例は少なく、希少な魔獣とされていた。


「じゃあいくよ。よろしく、ペペプ」

 鞭を打つ必要などはなく、御者台に座ったグウェンドリンの声掛けだけで歩きだすペペプと呼ばれた砂切大羚羊の骨。ゴッゴッと骨特有の音を鳴らしながら、次第に速度をあげていった。




 魔獣車酔いでグロッキー気味の蔵人が、魔獣車の御者台の横から外に顔を出していた。

「……おっさん、なんかハンターらしくないよな」

「……ほっといてくれ」

 なんとも情けない先導者の様子にファルシャが呆れたような顔をする。流れのハンターが魔獣車に酔うなど聞いたことがなかった。

 先程まで蔵人を乗せて並走していた雪白はいない。

 身軽さを重視して食料を持参していない蔵人たちのために、食料となる魔獣を狩りにいっていた。

 外は夜で、風は頬が赤くなるほどに冷たいが、酔いに苦しむ蔵人にとってはちょうどいい。

 冷たい風にどうにか酔いを紛らわせていると、変わり映えのしない薄暗い荒野に、赤色混じりの緑葉のついた白く丸い根が微かにその姿をのぞかせていた。

 蔵人が御者台に座るグウェンドリンに尋ねる。

「まだ必要なのか?」

 近くの畑には他の作物が実りつつあった。

「そうだね、もう必要ない。ただ勇者、いや賢者様が、自分が奨励したんだからと今期の分は買い取ってくれるらしくて、潰さずに育ててるんだよ。偉いよねー、自分の提案だから最後まで面倒を見るって、レシハームや自治区の上層部も見習ってほしいね」

「……へぇ」

 さも感心しているという風に振る舞う蔵人。

 そんな蔵人の様子に気づかず、グウエンドリンが続けた。

「明日にはつくと思うけど、もう一度言っておくね。絶対に諍いは起こさないでほしい。なにかあっても我慢してね」

「隣の集落がうるさいんだろ? 分かってる」

 出発前に相談したことである。

 向かう集落は自治区の真ん中ほどにある。

 本当ならばサディは砂漠により近い、辺境の集落に行って欲しかったらしいが、八日の内に行って、調査して、狩って、帰って来なくてはならない。そのため今回の集落となった。

 距離の関係で決まった目的地であるが、その集落も先日の『岩の雨』から立ち直っていない。グウェンドリンはサディの護衛兼案内人であるが、集落の視察と復興の手伝いという名目上の目的もあった。

 問題点は一つ。

 集落は二つあり、蔵人たちが向かう集落のほど近くにある別の集落が、極めて閉鎖的で、外部の者のことをよく思っていなかった。



 その顔に似合わず、ペペプは速い。さらには夜目も利くため夜どおし走ることが可能であった。

 そんなわけで、およそ二日ほどで自治区の真ん中ほどにある集落の一つ、バウフムに到着する。

 いそいそと黒い薄布を被るグウェンドリン。

「ん? ああこれ。骨人種だけの集落なら被らなくてもいいんだけど、それ以外が混じるとどこに厳格なアスハム教徒がいるか分からないからねえ」

 グウェンドリンが御者台を降りて、集落の門へ向かい、話をつけに行く。

 しばらくすると話がついたらしく、この集落に滞在する三名の月の女神の付き人を連れたグウェンドリンが大きな声でペペプを呼び、ペペプはのしのしとそちら歩きだした。


 ちょうど早朝ということもあり、人影は多い。

 骨人種の他にも獣人種、そして人種もいた。骨人種は他種族との間にも子をもうけることができるため、違う種も当然いる。

 ペペプと共に集落に入った蔵人たち。

「よし、あたしは大岩をかたづけに行ってくるよ。サディさんも一緒にいてくれるといいな」

「……手伝うか?」

 一つだけ家よりも大きな岩があった。もともとそれを家に利用していたのが崩れたのか、それともその大岩が飛んで来たのかは定かではない。

「あたしはドワーフだからね。土精魔法はお手の物さ。それより、サウラン語は話せるんだっけ?」

 ナザレアにほど近いあの集落で蔵人が言葉を交わしたのはバムダド導師のみ。だがバムダドはレシハーム語を話し、サディもソフィリスもみんなレシハーム語を話していた。

 蔵人はしれっと頷く。

「ん、ああ、外国語を覚えるのは得意でな。耳で覚えた」

 最初の集落で一般的な骨人種の小声や歌を聞いて覚えた、と言っているのだが、相当無理がある。

 レシハーム語はミド大陸でも勉強できないことはないが、サウラン語はそれも難しい。

 だからといって勇者の翻訳能力とも言えないし、怪盗スケルトンであるジーバに習ったなんていうのも難しい。結局のところ、こう言うしかない。


「ふーん、まあ喋れるならなんでもいいや。あっちで村の男衆を治療してくれない?」

「はっ?」

 思わぬことを押しつけられた。

 どうもアスハム教の男を女が治療するのは問題があるらしく、手がつけられなかったらしい。

「……俺は絶対にアスハム教徒にはなれないな。いや、なりたくないな」

「だろうねー。なったらなったで、三日もかからず首が飛んじゃうよ。あっ、暑くなってきたら切り上げていいからね」

 すでに治療は確定らしい。

「……部外者の俺がやって問題はないのか?」

「言ってあるから大丈夫。外の人が嫌な人は近づかないよ」

「治療を失敗したらどうする」

「失敗? 治癒に失敗なんてあるの? 治せないか、治せるか、どっちかじゃない? ああ、いや、うん。まあ、大丈夫。どうせ人手は足りないし、完璧を求めてたら何もできないよ。ここは本当になんにもないからねっ」

 どうにもアンクワールのエーリルおばさんを思わせて断り辛い。大岩を動かす仕事を手伝うと言ったが、手伝うと言ったことにかわりはなく、前言を翻すのもどうかという話である。

 

 そんなわけで、蔵人は集落の外れで治療を開始した。

 簡単に土で田舎のバス停風味な小屋を作り、患者らしき男たちを迎える。

 男骨、男骨、若骨、若者、老骨、おっさん、若骨、老骨。

 わかってはいたが全て男であり、なんとも色気のない光景である。

 骨人種のほうが蔵人に対する反感は少ないようで、他の種族となると年齢が上がるほどに蔵人の元には来ない。怪我をするのが若い方が多いというのも事実であるが。

 雪白とアズロナは小屋の横で早朝の日差しで日光浴をしているが、雪白はファルシャを尻尾であしらっていた。

 ファルシャは果敢に拳で攻撃しようするが、まるで八方向から同時に飛んでくるようにしか見えない雪白の尻尾に劣勢どころか袋叩きにあっている。

 そんな様子をおっかなびっくりながらも興味津々な様子でバウフムの子供たちが遠巻きに見つめているが、親たちが近づかせないようにしていた。


 蔵人の治療を待つ間に並んでいる男たちはなにやら話している。

「おまえんとこの畑、やっぱり無理そうか?」

「ああ、検問所の兵士どもが通してくれねえ。いたんじまうよ」

「このままじゃあ収穫もどうなることやら。食う分はどうにかなるが、稼ぎがなぁ」

「アルのやつのところは調査のためだと数日村を空けろと命令されて、帰ってきたらそこに壁と入植者だ。一家離散だってよ」

「たまんねえなあ。サハドの奴は狩りにいって、例のクランの奴らに獲物もろとも魔法でふっとばされたとよ」

「ハディの女房は岩の雨で子供が流れたらしい……」

「それは……つれえなぁ」


 どこもかしこも厳しいらしい。

 蔵人はそんな話に耳を澄ませながらも、せっせと治療していく。

 骨人種の治療は少々戸惑ったが、骨折の治癒をイメージでいいらしい。他はほとんど人と構造は変わらない。

 だが、獣耳の切り傷や半ばから切れかけた尻尾など、こんなものを素人が治療してもいいのかと思う。

「……完全にちぎれてないからくっつけることは出来るような気がする。ただ、そのあとどうなるか、ちょっとわからない」

「……やっぱりそうか」

「ああ。いや、ちょっと待ってくれ」

 まだ傷の新しいちぎれかけの狼尻尾を見せる狼耳の男に待っていてもらい、蔵人は立ち上がった。


 大岩をどう動かして、どの角度で置き直すべきかと思案しているグウェンドリンに、蔵人は声をかけた。

「ちょっといいか?」

「ん?」

「尻尾って、治療でくっつくか? 無いものはちょっと想像し辛い」

「ん、ああ、そうか。そうだねえ、普通ならすごく難しいんだよ。切れてから時間が経ってたらもうダメだし……ん~、あっ、ちょうど良いところに」

 グウェンドリンは狼に似た魔獣を狩って帰ってきたらしい骨人種の狩人から、その尻尾を譲り受けて蔵人の元に戻ってくると、その尻尾を腰のナイフで縦に切り裂いた。

「こんな感じだね。獣人種もほとんど同じさ。でも、やっぱり難しいと思うよ」

 蔵人はジッと見てから、ササッとメモに描いて構造を覚えていく。

「おお、上手いねっ。……でも、アスハム教徒の女性は描いちゃだめだよっ。薄布の上から描くなら問題ないけど、個人が特定ができたり、身体の線がはっきりしてる、ようするにエッチぃのは絶対にダメだからねっ」

 蔵人は指を止め、呟いた

「……俺は絶対にアスハム教徒にはなれないな」

 あははと笑いながらグウェンドリンは作業に戻っていった。


「……そういうわけで難しい。だけど、もしかしたら治るかもしれん。どうする?」

 グウェンドリンの話を蔵人がそのまま説明すると、狼耳の男は頷く。

「どうせなくなるなら、やってくれ」

「わかった。ただ、もし痛んだり、熱をもったり、どんな違和感でもいいからあったら言ってくれ。必ず」

「なんだよ、面倒臭えな」

「腐ったら全部なくなるぞ? 最悪命にも関わる。そういう意味ではいっそ切ってしまったほうが安全かもしれない」

 せいぜいが水で洗うくらいで、消毒液などない。ドノルボの治療師であるイラルギに習った薬はあるものの、蔵人自身に医療知識はない。ただ身体の構造を多少知っているだけの、ヤブ医者以下の、なんちゃって治療師である。

「わ、わかったよ。なくなると困るんだよ。女にモテなくなるし、バランスもとり辛い。それに何かと不便だしな」


 蔵人が薬を取り出すと、男は慌てて腰を浮かす。だが切れかけた尻尾を動かしてしまい、盛大に顔を顰めた。

「な、なんだ、その薬。カネでもとるつもりかっ」

「大したもんじゃない。あんたらのとこでも古くから使うような薬草だ。魔力消費の節約と治癒促進だな。なにカネなんてとらないさ、こっちもいい経験になる。雪白やアズロナの尻尾が切れたときとかに――ぶっ」

 そんなマヌケじゃないっ、とファルシャをあしらっていた雪白の尻尾が見事なまでに蔵人の頬に突き刺さる。一方でアズロナは、自分の尻尾を手繰り寄せて、じっと見つめていた。


 その様子を見て、毒気の抜かれたような顔をする狼耳の男。

「……ほんとか?」

「なんならグウェンドリンを連れてきてもいいが。――ファルシャ」

 雪白の猛攻から解放されたファルシャが蔵人の声に振り向くも、狼耳の男が遮った。

「いや、いい。やってくれ。ロスタムの爺様も治療してもらったしな」

 狼男の視線を辿ると、先に治療した骨人種の爺さんがカタカタと指を震わせながらもこちらを見つめていた。

「ん? ああ、おれの母親の父親の父親の父親の兄弟だ」

「…………とりあえず血縁だってことはわかった」

 何度か聞かないと分かりそうになく、長命種を親族にもつと大変だなと思う蔵人。 

「じゃあ、やるぞ」

 蔵人はまず水球を空中に維持。そこにイラルギ直伝の薬を溶かして、尻尾の傷口を洗う。

 狼耳の男は痛みに顔を顰めるも、それだけで呻きもしない。日本でも昔は痛みに強い人が多かったというが、それと同じようなもかもしれない。

 そして尻尾の接続面を十分に確認しながら、治癒を発動させた。

 難しいという割に、蔵人のイメージどおりみるみる内に繋がっていく尻尾。切断面の綺麗さ、蔵人の知識とイメージ、それに尻尾の構造がそれほど複雑ではないがゆえのことなのだが――。


「……曲がっとるの」

 ロスタムの爺様と呼ばれた骨人種の老人が、いつのまにか覗き込んでぽつりと呟いた。

 尻尾は動く。

 だが、曲がっていた。猫でいうところのカギ尻尾というやつである。

 狼耳の男はどことなく納得のいかないような顔をする。

「す、いや、そのなんだ」

 失敗ではない。だが成功とも言えない。こういうときは謝った方がいいのか、それともサディが言うように謝らないほうがいいのか。かなり微妙なところで、蔵人としては判断にに困る事態であった。だがしかしそれでも――。

「すま――」

「――『曲がり尻尾は幸運の証』、なんていうこともある、よかったの」

「……聞いたことはないが、爺様がそう言うならそうなんだろうな」

 ロスタムの爺様がそう言うと、狼耳の男はあっさりと納得し、礼を言って去っていった。

 蔵人が助かったという思いでロスタムの爺様を見ると、ウインクしている。いや、目蓋がないため、そういうニュアンスが伝わってきたということである。


 つまり、そんな話はないらしい。ただ長く生きた爺さんの言葉だからもしかしたらそんなこともあるかもしれないと狼耳の男は納得しただけであった。

「……あれは本来なら切るしかないからの。つながっただけでも恩の字じゃ。わしからも礼を言わせてもらう。ありがとう」

「いや、気にしないでくれ。俺もそこまでのことができたわけじゃない」

「いやいや、いまどき我らの、それも女の強い『親愛』の匂いを耳からさせている人種など珍しいからの。……昔はいたんだがのお」

 ロスタムの爺様はどこか懐かしそうな目をして、震える手で蔵人の肩をポンポンと叩いて去っていった。

 なおこの日から、『曲がり尻尾は幸運の証』という噂がどこからともなく流れたとか。ちょうど同じころに偶然にも曲がり尻尾となった狼耳の男が嫁を迎えたせいか、余計に真実味が増したらしい。

 何かと暗い自治区で、人々は小さな幸運を求めていたのかもしれない。



 どっと汗をかいた蔵人は、本格的に汗が噴き出してきたことに気づき、治療を切り上げる。照りつけるような太陽が妙に眩しかった。

「なんだか変なコネがあるみたいだねっ」

 そこにグウェンドリンが姿を見せた。蔵人の治療が心配で見に来ていたらしい。

「……もう治療はしないぞ」

「えー、曲がってたけど、あれは結構すごいことだよっ。オーフィア女官長並みとまではいかないけど、少なくともあたしより上手いしっ」

「訴えられるとかないのか?」

「今回は本当に切るしかないからね。レシハームに行けば別だけど、法外な治療費がとられるし、大丈夫。なにかあったらあたしが責任を持つからっ」

「……まあ、出来る範囲でな」

 どうにも度量の大きな女に弱いらしい。

 蔵人はグウェンドリンと別れ、雪白達を探すもいない。

 雪白達はすでにこんもりとした穴の中に籠ってしまっていた。

 蔵人は雪白やアズロナ、果てはファルシャもぶーぶーと文句を言う中で穴に入り込み、すぐにその穴を閉じて眠りについた。



 その夜、蔵人たちは紅蓮飛竜の調査に向かった。

 まずは紅蓮飛竜そのものを探さねばならない。グウェンドリンから在る程度情報はもらっているとはいえ、空を飛ぶ飛竜を探すのはなかなかに骨が折れる。

 結局、紅蓮飛竜の姿は確認できず、朝方に帰ってきた。

 そんな風に調査、復興の手伝い、睡眠、また調査と日々は進んだが、やはりぽっと行って、ぽっと狩れるほど紅蓮飛竜は簡単に狩れる相手ではない。報復行動が起こるくらいなら狩らないほうがいいと言われるくらいである。

 だが、仕事は仕事。滞在時間も短い。

 蔵人は滞在五日目の夜に決断した。できれば避けたかった手段である。

 移動を考えれば狩りの最終日。紅蓮飛竜の存在も確認している。だが蔵人では手が出せなかった。

 

「――頼めるか?」

 蔵人が頼むと、雪白は任せろと頼もしげに唸った。

 魔獣である雪白が紅蓮飛竜を狩るならば報復行動は起こりようがない。それも雪白が単独で暗殺じみた狩りを行い、蔵人たちとのつながりがわからないように戻ってくるのだから、なおさらである。

 今までこれをしなかったのは蔵人のプライドだった。

 雪白も、もし蔵人が安易に頼るようならオシオキをフルコースで喰らわせていたところだが、事情も事情である。


 さすがのファルシャも不満はない。

 サウランに住む者にとって紅蓮飛竜は脅威である。蔵人の決断が間違っているとは思えなかった。




 雪白はあっさりと紅蓮飛竜を狩ってきた。

 それも二匹。

 蔵人がしたことは、狩った紅蓮飛竜の匂いが漏れないように氷で閉じ込めて隠蔽することのみ。

 雪白はもはや普通のイルニークではなかった。大きさこそまだ飛雪豹の通常個体と同じであるが、確実にあの親魔獣への道を進んでいた。

 雪白とて遊んでいたわけではない。

 蔵人の知識、鍛錬。それを自分のものにしている。それにあの特異個体である親魔獣の血をひいている。普通の成長を遂げるはずがなかった。


 翌早朝。

 どこか呆れたような視線に見送られ、蔵人たちは集落を後にする。

 一頭は雪白が咥えて先に運んでいる。もう一頭は魔獣車の後ろにロープでくくってあり、ペペプが曳く。

 蔵人たちはほとんど行きと変わらない速度で走り、丸一日ほどでバムダドのいる分神殿のある骨人種の集落に到着した。

 先に雪白が運んだ紅蓮飛竜と蔵人たちが運んできた紅蓮飛竜が並ぶ。

 二頭の紅蓮飛竜を見て、呆れたような顔をする集落の者たち。前回のも合わせると三頭。そんなにあっさり狩れるものではない。

「……これはクランドさんが?」

 ソフィリスが目を丸くして尋ねる。

「まさか。今回は雪白にやってもらったよ。あんまり時間もなかったしな。今回、俺はまったく役に立ってない」

「沢山治療したじゃないか。尻尾もくっつけたしねっ」

 曲がったけど、と小声でつけ足すグウェンドリン。

「ああ、手伝ってくださったのですね。ありがとうございます」

 ソフィリスに真っ直ぐに礼を言われるが、曲がった尻尾のこともあって素直に喜べない蔵人。


「と、ところで革のほうはどうなった?」

 すると一緒に来ていた骨人種のバムダド導師が答える。

「まだかかるが、防具の職人は連れてきた」

 すると、もう一人の骨人種が前に出た。

 見ると骨の指先が黒ずみ、摩耗している部分すらある。

「飛竜の鎧を作りたいと聞いたが?」

「鎧というか、腹鎧って感じだが、まあ見てくれ」

 蔵人は近くにいたアズロナを捕まえて両翼の脇に手を差し込み、職人に見せる。

 アズロナは無防備に、ん、なになに、遊んでくれる? となされるがまま。

「足がなくてな。こんな風に腹をひきずるんだよ。それを保護する鎧が欲しい。蛇腹みたいな感じで。ついでに成長にも合わせて腹の蛇腹部分を増やせるとありがたい」

「ぬ? 変異種か……飛べるのか?」

「飛べるが、どうも苦手らしい。水の中のほうが生き生きしてるよ」

 ちょっと歩かせてみてくれという職人の言葉に従いアズロナを下ろす。そしてアズロナを走らせようとして、その先に雪白が寝そべっているのが見えた。

「……雪白のところまでいって、髭を引っ張って帰ってきてくれ」

 えー怒られるよ、と乗り気じゃないアズロナ。

「……燻製肉をやろう」

 ぱっと走り出すアズロナ。まるでアザラシのように雪白の元へと一直線に向かっていった。

 ニヤニヤと悪い顔をしている蔵人。いつもの悪戯である。

 呆れるバムダドとソフィリス、グウェンドリン。事情が呑み込めない職人。


 蔵人の悪戯を知る由もない雪白はアズロナが顔の前に来ると、なんだ? という顔をする。

――に゛やっ

 雪白が尻尾を踏まれて驚いた猫のような声をだす。

 人で言えば鼻毛を抜かれるような痛みで、雪白にとってはさほどのダメージもない。だが、アズロナがなぜこんなことをするのか分からず戸惑った。

 しかしすぐに、自らに向けられた不愉快な視線に気づいて、雪白は納得する。

 お前の差し金かっ。

 雪白の髭を引っ張って即座に逃げようとしていたアズロナは雪白の尻尾に捕えられ、そのまま猛烈な速度で投げられた。

 とはいえ、飛行訓練中のアズロナにとってはいつものこと。


 いつものことではないのは蔵人のほうだった。

 避けるに避けられず、見事顔面に直撃して支えきれずに倒れこむ。

 子供ほどの大きさのアズロナが剛速球のように飛んできたのだから支えられるはずもない。

 アズロナはそのまま蔵人の胸の上に座り、燻製肉ちょーだい? と蔵人に催促する。

 蔵人は胸に乗ったアズロナをどかして、燻製肉をひと欠片与え、立ち上がろうとした。

 だが、雪白の前脚がそれを阻む。

 蔵人は再び地面に伏し、雪白に顔面を踏みつぶされていた。

 わたしにもよこせ、と燻製肉を催促する雪白の唸り声だけが蔵人の耳に聞こえていた。


 雪白に燻製肉を与えながらどうにか立ち上がることを許された蔵人は、視線を感じた。

 紅蓮飛竜を遠巻きに見つめていた骨人種たちが、まるで喜劇のような蔵人たちの寸劇を見つめていたのだ。

「……いつもこんなことを?」

「……まあ、たまに」

 嘘つけっ、と雪白はジトっと蔵人の睨む。たまにではない。頻繁に、である。

「なんて命知らずな……いえ、信頼関係でしょうか」

「どうだろうねえ。クランドがユッキーの手の平、いや肉球の上で転がされてるんじゃないかなあ」

 ユッキーとは雪白のことで、どうしても雪白という名前を発音できなかったグウェンドリンが勝手につけた愛称である。


「……まあ、分かった。幸いにも革は山ほどある。試してみよう」

 蔵人たちの寸劇を呆れたように見ていた職人の言葉に、蔵人がさらに提案する。

「でだな。ついでに、車輪とかつけられないか?」

「はっ? 車輪?」

「いや腹ばいだとどうしても遅いだろ? それなら車輪つけて、翼腕で地面を蹴って前に進めるようにできないかと。使わないときは背中や尻尾のほうに回すとか。まあ、着脱式でもいいけどな」

「ん~しかしな、そういうカラクリは」

「なんだか面白そうな話をしてるねっ」

 ドワーフ魂がうずいたのか、グウェンドリンが乱入した。

 だがドワーフの女の嗜みは裁縫である。

「月の女神の付き人はみんな女だからねっ、裁縫は出来るのさ。だけど武器はそうもいかない。だからあたしが研いだりもするし、修理もする。親父殿に知られたら多分怒られるけど、いないからいいのさ」

「車輪、いけそうか?」

「いけるね。いいよ、うん。面白そうだ」

「へえぇ、じゃあ、これなんか頼めるか?」

「この辺りじゃあ珍しいねえ。そのくらいなら簡単さ。だから、少し革を分けてくれない?」

「問題ない。レシハームに持っていく気もないしな」

 なめした革なんか持っていったら自治区を出るときにどれだけ税金かけられるかもわからず、どんな難癖を付けてテロ容疑をかけられるかも分からない。出来る限り、自治区のものは自治区で消費しておきたかった。


「ああ、そうだ。この間はなかったからよかったが……」

 バムダドが解体人を呼ぶ。

 呼ばれた解体人はバムダドの指示どおりに紅蓮飛竜の腹をかっさばき、なにやら探っている。

 すると何か探りあげたらしく、それを持っていた布で拭いてからバムダドに渡した。

「やはりか。……確かに渡したぞ」


 大きさは親指一本分。色は赤みの強い、くすんだメタリックオレンジ。

 紅蓮飛竜の命精石だった。

 かつて蔵人が手に入れた親指の爪ほどしかなかった命精石の三倍ほどもある。

 命精石は、魔獣に宿る命精を守る殻みたいなもので、精霊球の原料である。強力な魔獣の多くが持つと言われるが、絶対にあるというわけでもない。

 現に蔵人が雪白と協力して倒した小さな紅蓮飛竜にはなく、雪白が倒した大きな紅蓮飛竜の内の一頭にしかなかった。


「黙ってたってばれないだろ」

「一度の悪事で一生を悔いるなど割に合わんよ。ワシは白き身のまま神の身許に逝くのだ。……しかし、そういえるほど余裕のある現状でもないからな。罪を犯しかねない物を身近に置いておきたくはなかったのだ」

「……ああ、そうだ。ついでに毒袋もくれないか? できれば肉が残っているとありがたい」

「……もともとお主のものだ。すぐに渡そう。だが、使い方には気をつけよ。安易に使えばその身を滅ぼすぞ」

「なに、小さな毛虫が毒を持って身を守るようなもんだ。危険が迫らなけりゃ使いようもない」

 毒以上に危険なものはこの世界に沢山ある。ただ、身近にあって容易に使える危険物ということもあって警戒するのは人の情というものであった。

 こうして蔵人は紅蓮飛竜の命精石と毒袋を手に入れて、集落を後にした。




 黄月の八十一日。

 蔵人たちが出発して九日目の朝であった。

 昨夜の内に帰ってきてもおかしくなかったが、蔵人たちは姿を見せず、リヴカは少し心配していた。いつもならばそんな心配もしないが、行き先は自治区で、それも蔵人とファルシャという社交性に若干問題がある二人だ。

 サディさんもいるが、まさかという思いは拭えない。


 だが、それは杞憂だった。

 早朝、協会に顔を出した蔵人とファルシャ、サディを見て、リヴカはほっと胸を撫で下ろす。こうして無事な姿を見れば、危惧された大きな問題は起きなかったということが分かる。

 蔵人たちはリヴカのいる受付にまっすぐ来た。

「――これいくらくらいだ?」

 小銭でも出すような気軽さで出した物体に、リヴカは目を大きく見開いた。

 どうにか驚きを抑え込み、小声で早口に言う。

「それは、紅蓮飛竜の?」

「ああ」

「とりあえず、どこかに隠してください」

 蔵人は言われるまま懐に入れる。

「色付きの命精石は希少ですから取扱いには気をつけてください」

「普通の命精石じゃないのか」

「ええ。それは赤と黄色が混じってますから、高品質な火や雷の精霊球の原料となったり、魔法具の素材にもなります。そのまま身につけると命精の魔法障壁を発動したときに、多少火と雷に強い障壁が張られます。なのでほとんどの人が売りますね。個人で精霊球や魔法具を作るには莫大な金額が必要ですし、ただ持っているだけではそれほど効力も強くないですし」


 蔵人は雷と聞いて、ふと雪白を思い出す。

「……これを猟獣につける真紅の環につけられないか?」

「可能ですが……」

 リヴカは脳内で計算する。

「……加工の際、形を整えるために削りますが、その削りカスを協会に譲っていただけないでしょうか。もちろん加工費や職人へ報酬、手配は全てこちらでさせていただきます」

「……任せる」

 蔵人はあっさりと言ってしまう。

 船賃は稼げばいいが、色付きの命精石など次にいつ手に入るか分からない。

「……言ってはなんですが、騙されるとか、損するとか考えないんですか?」

 隣ではファルシャがうんうんと頷いている。

 蔵人はまいったなと頭を掻く。

「相場も何も分からないからな。あんたに任せる他ない。まあ、騙されたら騙されたで、そいつとは二度と付き合わないだけさ。俺は商売のことは得意じゃない。だから、そうすることにしてる」

「もう少し考えたほうがよろしいかと」

「性分だ」

 放っておいたらどれだけ損をするのだろうか。

 ふとそんなことを思ってしまう自分に戦慄しながら、リヴカは蔵人から色付きの命精石を受け取り、手続きを始めた。


「そういえば、保護区はどうでしたか?」

 リヴカが作業しながら、ファルシャに尋ねる。すると横で静かに待っていたサディもファルシャに目を向けた。

 父や祖父の見た景色が見たいと自治区へ行ったファルシャの心情が気になっていた。

「……わかんねえけど、なんか懐かしかった。見たことないはずなのに、鼻が馴染むというか。住んでる奴らも普通、というかすっげえ貧乏だし、テロリストもいない。……なんだか、よくわかんねえ」

 リヴカ、そしてサディは微かに笑みを浮かべた。

 プロパガンダ染みた演劇とは違う、自治区や骨人種の実態。

 レシハームにとっては真実を知られることは不利益になるかもしれない。だが、レシハームとケイグバードの融和にはお互いがお互いを知るということが不可欠である。

「そうですか。確かに、よくわかりませんよね」

 リヴカやサディもなにが正しくて、なにが悪いのか。どうすることが最善なのか、考えるほどに分からなくなりそうになる。鳥が先か、卵が先か、そんな思考の迷路に迷い込んでしまう。

 だが、思考しなければなにも始まらない。

 リヴカとサディは自分たちと同じように真剣に悩み始めたファルシャに、その思考の兆しを見た。

 それが嬉しかった。

 もしかしたら、それが融和の最初の一歩になるかもしれないのだから。





*****





 レシハームの首都ベレツ。

 そこにレシハームで賢者と讃えられるトール・ハギリに与えられた建物がある。本来この建物に地下室はなかったが、トールが盗聴対策にと密かに作らせ、重要な話をする際はそこを使うことになっていた。

「――お疲れ様です、アキラ」

「トールも相変わらずだね。寝たほうがいいよ?」

 仕事の最中に呼び出されたアキラ・シンジョウだったが、いっそう深くなるトールの疲労を見てとった。

「まあ、そういうわけにもいかなくてね」

「……クソジジイめ」

「クソジジイって、まあ、そうなんだけど。今日呼んだのも、それがらみと言えなくもない。――アルバウムからアキラとユキコを戻して欲しいという要請があった」


「……えっ?」


 アキラは戸惑う。

 ユキコもアキラもアルバウムにとって有用ではないと判断されたから、トールがレシハームに行く条件として同行を許されたのだ。

「かわりの勇者はハヤトと一緒に来るから、それと交代する形で戻って欲しいという話だ」

「トールがアルバウムとした約束は?」

「さあ、ね。アルバウムにとって僕はレシハームとの政治取引の材料に過ぎない。何か大きな利益があるなら、約束を破ることなど政治家にとっては容易いことさ。勇者とはいえ、アルバウム国民ではないしね」


「……まさかギディオンが?」

 ギディオンはミド大陸の裏側において財力という大きな力を持つ。

「このタイミングで、秘密裏なものとはいえ僕たちとの約束の破棄。それを超える大きな利益となるとありえないこともないだろうね。……ただこの件は、召喚者も一枚噛んでるんじゃないかと思っている。同じ召喚者、それも僕より公的な権力が強い者が要請したなら、アルバウムも拒否はし辛いからね」

「誰が……アキカワ先生?」

「ん~、どちらかといえばゴウダあたりが怪しいんだけどね。イサナさんはこういうことしないし、ハヤトもなんだかんだで同じ召喚者を蹴落とすようなことはしない。召喚者っていうか身内意識の働く相手だけど」

 セイイチ・ゴウダ。日本にいた頃は郷田征一といって、生徒指導担当でもあった体育教師である。同じ教師であるアキカワが反感を買いながらも未だに先生と呼ばれているのに対して、ゴウダは呼び捨てである。

 アキカワのように何もかもかなぐり捨てて生徒たちのために奔走しているわけでもなく、キリコ・タジマのようにこの世界でも教師として生きようとしているわけでもない。

 だが、教師としての立場も捨ててはいない。どうにも動きが不透明で不可解。それを生徒たちは敏感に察して、先生とは呼ばなくなっていた。


「ほんっと、ろくなことしないね、あのジジイは」

「まあ、証拠はなにもない」

「だからって……畑、大丈夫だった?」

 アキラは思い出したように尋ねるが、トールは首を横に振った。

 テロ行為に対する警戒態勢の強化を名目に通行制限が強化された。

 それにより、トールの隠し畑に植えてあった砂糖の原料となるマーナカクタスは手がつけられない状態になっていた。このままでは管理どころか、収穫すら危うい。

「隠し畑はともかくとして、一般市民に影響が出たのが、ね」

 トールの疲労の原因の一つである。

「一部畑への通行禁止、自治区への入区申請の厳格化や自治区の滞在期間短縮によるハンター活動の低迷。よもや合法的な畑を潰すためにそこまでするまいと思っていたのだけど……ちょうど狙いすましたようにテロが起こったよ」

 テロが発生しなければ、通行制限もや入区の厳格化、滞在期間の短縮は行えなかったはずである。

「……ギディオンの自作自演だと?」

「そこまでは分からない。テロの実行犯も捕まっていないし、まったく証拠がないからね」


「――あのっ、いいんでしょうか」


 ユキコが意を決した様子で声をあげた。

 この世界に来る前、そしてその後も引っ込み思案だったユキコにしては珍しいことで、トールは先を促した。

「わ、わたしたちがしたことで一般の方に影響が起こってしまっては本末転倒にはなりませんか?」

 最初からギディオンを敵視していたわけではない。

 帰還手段を見つけること。

 それがトールたちの目的であった。

 だがギディオンによる再三にわたるハニートラップや脅迫等の干渉。極端な差別政策によるテロ等の政情不安のせいで聞きとりも覚束ない。

 さらに、調べるほどに出てくる暗殺等の黒い噂。マルノヴァを襲った怪盗スケルトンが盗んでいった種族特性を封じてしまう『魔封じの聖杖』も、元をただせばギディオンが関わっている節がある。

 マルノヴァは『魔封じの聖杖』をレシハームに売ろうとしていたとされているが、レシハームはそれを頑として認めていない。売買契約書もなく、真偽は不明のまま。結果、マルノヴァ、いやユーリフランツ共和国だけが、遺骨問題と合わせてエルフやドワーフ、巨人種からの追及を受けることになっていた。


 ギディオンを表舞台から引きずり降ろす。

 そうしなければ帰還手段を探すこともままならない。

 だがそれは、ユキコの言うように召喚者たちの事情であり、日々を過ごすだけで精一杯の市民には関係のないことである。

「……すまない。それは、僕のせいだ」

 ユキコは優しい。いや優し過ぎた。召喚される前も、そして後も一部の生徒から八つ当たりするように軽くイジメられ、それでもなお反撃はしなかったほどに。

 だがトールは帰りたかった。いや、せめてこの世界に馴染めない召喚者たちを帰してやりたかった。目の前のユキコも夜に泣いているのを知っている。アキラももう長くない祖母のことを気にしていた。

 心を鬼にしてでも、やり遂げねばならない。

「え、その、トールさんはわたしなんかが思いつかないような細かいところまで考えて、被害を最小限にしようとしているのは分かってるんです……いえ、卑怯ですよね、わたし。なにもしないでトールさんに頼ってばかりで、ごめんなさい。今の言葉は忘れてください」

「いや、ユキコの言っていることは正しいよ」


 気まずい空気が流れそうになるが、その前にアキラが口を開く。

「で、ボクを呼んだのはそれだけ?」

「ん? ああ、ついでにウグイスさんについて聞こうと思ってね。どうだった?」

 ウグイスとは蔵人の事である。

「ん~、そうだね。まだちょっと分からないけど、普通のハンターじゃないかな。ちょっと秘密主義だけど。ただ連れてる猟獣は異常だね。紅蓮飛竜をあっさり二頭も狩ってくるし、人の言葉を理解してるようにしか見えないし。飛竜の方はまだ未知数だけど、まあ、どっちも可愛いから問題ないよね。いいよね、モフモフ。それにぷにぷにも」

「……」

「いいじゃないかっ、好きなんだよ。……で、本人だけど、偏屈で女好き。といってもネクラなほうで、まあ無害かな。妙なコネも多いけど、ほとんど女絡み、らしい。これは聞いた話だけど。たぶん利益や名誉とかよりも、情をとるタイプだね。うん、ツンデレっぽい。骨人種とも違和感なく付き合ってるし、今は誰もやりたがらなかった牙虎族の少年の先導してる」

 少し話に脈絡がないが、トールは止めない。きちんと説明しろと言って、細かな情報がこぼれ落ちでもしたら事である。情報はあとから自分でまとめればいい。

「ただ、レシハームにはちょっと懐疑的。ほんとどこで知ったのか、おおよその歴史も知ってるような感じ。ああ、そうそう、かなり警戒心は強いね。まあ一人でこの世界に召喚されたんなら仕方ないけど」

「なるほどね。野心はありそう?」

「どうだろ。現代知識を広めてる気配もないし、金儲けに使ってる節もない。今も帰りの船賃を稼いでるみたいだし。なんとなく、この土地、いやこの世界で生きていこうとしてるような感じがする。いや、なじもうとしてる最中かな?」

「良く分かったよ。引き続き頼む」

「……今度ばかりはやめろと言っても続けるよ」


 そう言ってアキラは出ていき、ユキコもそれに続いた。





 地下室に残ったトールは残った仕事を片付けていく。


「――主殿、いい加減に寝たほうがよろしいかと」


 誰もいないはずの地下室にトール以外の声が響く。

 いや、トールの背後に傅く黒づくめの者がいた。黒づくめであるため種族すらも分からない。

「あと少しだしね」

「いつもそうおっしゃてますが、いったいその少しとやらいつになったら終わるのでしょうか」

 黒づくめはトール直属の隠密、ようするに秘密諜報員であった。


「……被害は把握したか?」

 トールの感情を押し殺したような口調に、黒づくめは姿勢を正した。

 ギディオンや融和派の議員と話しているときのような礼儀正しさも、ユキコやアキラと話すような気安い様子もない。

「各自治区の九割を把握致しました。……ギディオンが通行封鎖を解かない限り、隠し畑は全滅かと思います。周辺の畑にも多少被害が出ておりますが、生活に致命的な被害を及ぼしている者はございません。隠し畑の農作業者への賃金も滞りなく支払われています」

 じっと天井を見つめるトール。

「……どんな優秀な為政者でも被害をまったくださずに改革はできません。むしろこれだけの被害で済んでいること自体が奇跡です」

「……分かっているさ。それでも被害はあっちゃならない」

「その甘さは危険です。お仲間諸共ギディオンに呑まれてしまうでしょう。……もっとも、その甘さがあったからこそ私は貴方を主と決めたのですが」

「……被害はしっかり記録しておいてくれ。今回の件で路頭に迷いかねない者がいたら陰からそれとなく支援を。それ以外は後々補てんするが、今は堪えてほしい」

「ハッ。それと、例のクランへの潜入、成功いたしました」

「……そうか。分かっているとおもうが、重々注意してくれ。決して市民に迷惑をかけるな」

「ハッ。それと……」

 さらにいくつか相談を重ねていく。

 トールの睡眠時間は今日も短くなりそうだった。

 




****





 アキラは外に出るとローブを羽織り、尾行の有無を入念に探る。

 トールもどういう手段か尾行があれば排除してくれているようなので、あまり心配はしていないが、念のためである。

 そして魔獣車に乗ってベレツを出て、ナザレアに到着するととある家屋に入り、しばらくして出て来た時には、サディ・ファッターフの姿になっていた。


 アキラは活発そうな顔つきに、スレンダーな身体つきをしている。美人さよりも活発さが際立つ、至って普通の少女だった。元演劇部であるせいか化粧をすればいくらでも映えるが、ベースはそれほど派手な顔つきではない。

 だが、それが今では、黒い薄布を被った初老の女、サディに瓜二つとなっていた。


 それはまるで龍華国で蔵人が出会ったヨシト・クドウの『変身』の加護のようであるが、同じ加護は二つと存在しない。

 『劣化模倣(コピーキャット)』。

 それがアキラの加護であり、ヨシトの『変身』の加護を模倣し使用していた。

 ただし、模倣した全ての加護は劣化しており、本来の加護よりもその力は低い。使用条件等も変化していた。

 本来『変身』の加護はあらゆるものに変身できるのだが、アキラの場合は背格好の近い、同じ人種に限られていた。


 それに加えてたとえ変身したとしても、サディの記憶までもコピーできるわけではない。これはヨシトも同じである。

 だが、アキラは元演劇部で、サディとも親しくしていた。

 長時間一緒にいるわけでもないため、本物のサディを知るリヴカを騙すこともそう難しいことではない。それがほとんど見ず知らずの蔵人ならばなおさらである。


「――あと二頭、か」

 アキラがぽつりと呟いた。



 『用務員さんは勇者じゃありませんので』4巻は無事に本日発売となっております<(_ _)> お手にとっていただければ幸いです<(_ _)>

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