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黒姫の魔導書  作者: てんてん
第6章 写し鏡のその奥に
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第02話 情報からの考察

 講師教練の手続きを終えた数日後、レネは担当講師であるレゴルから呼び出しを受けて講師教練についての説明を受けていた。レゴルは厳つい顔と大柄な身体から怖い講師として認識されてるが、レネにとっては不遇時代から良くしてもらっているので怖いとは思っていない。


 呼ばれていないシャンティナも一緒だが、レゴルは護衛と知っているので何も言わなかった。


 そして渡された資料を読み終えたレネは、大量の疑問が浮かぶ顔をレゴルに向けた。


「確か王族は、学院には入らない慣習があると聞いていたのですが」


「そうだ。だが、学んではいけないわけではない」


『つまり、裏があるということか……』


 杜人は腕組みしながら頷き、それを聞いたレネは頬を微妙に引きつらせた。


 渡された資料にはレネの講義を希望する学院生の情報が記載されており、最初見たときはやっぱり少ないやと残念に思いながら読み進めた。そして最後に記載された情報を読み、先程の質問になったのである。


 なぜ王族が入学しないかというと、力が強すぎるため周囲に絶望という名の悪影響を振りまくことと、一応王族のためそれなりの警備が必要であること、それと王族を目の当たりにした平民が別の意味で絶望するかもしれないからである。


 世の中には、知らないほうが幸せなことがたくさんあるのだ。


 資料によると名前はシアリーナ。レネより年下のお姫様である。さすがに王族ということを隠すために古参貴族であるストルック伯爵家の名を借りていた。入学は学院祭の後であり、初級魔法使いとして登録された。王族ならいきなり上級でも不思議はないのだが、これには理由がある。


 あまり知られていないことだが、フィーレ魔法学院の昇級試験には年齢制限がある。これは幼いと感情で動きやすく、そうなると魔法使いとしては半人前以下と判断される。普通はそれなりに学ばないと昇級試験に合格できないため存在を忘れる規則だが、シアリーナは見事にこの制限に引っかかったのである。


「当然他言無用。シアリーナ殿下にも知られることなく、単なる学院生として接すること。色々察しているとは思うが、今から説明するので質問は後にするように」


「あのう、聞かずに拒否は可能でしょうか?」


「構わない」


 レゴルは淡々と答えたが、杜人は断って欲しくないなら最初から王族と明かさなければ良いだけなので、逆に負担をかけまいとしているためと受け取った。


『レネ、聞いておけ。聞かずに後悔するよりは、聞いて後悔したほうが良い』


「……聞かせてください」


 真剣な杜人の声にレネも事情を何となく察して表情を引き締める。そして一度唾を飲み込んでから覚悟を決め、説明に耳を傾けた。


「シアリーナ殿下は王族の中でも力が強く、魔法の扱いにも長けている。なんでも既に自ら魔導書の術式を構築できるほどの腕前だとか。そのためその才能と纏う色彩から、大賢者の再来として将来を有望視されていた」


『再来が大安売りしているな。黒髪紫瞳なら誰でも良いのか?』


 もちろん杜人もそれだけではないと分かっているが、レネも昔そう呼ばれていたと聞いていたので思わず苦笑してしまった。レネも困ったように微笑んだが特に何も言わなかった。


「王族には守らなければならない規範があり、シアリーナ殿下も常に心に留めて行動してきた。だが、自分より力が強い者が少ないこと、それが全て身内であること、周囲が才能をもてはやすことなどから徐々に価値観が歪み、いつの間にか己の間違いを認めることができなくなっていったようだ。もちろん気が付いてからは矯正するために色々なことを行った。だが穏便な手段では直らず、残すは穏便ではない手段のみとなってしまった」


『身内はどうしても甘くなるからなぁ。それに直接手を下すと確実にしこりが残る。力が強いならば反抗されることも考えないといけないから仕方がないか』


 普通の人ならば叩いてでも矯正するところだが、力が強いために強制的に行って敵対されても困ったことになるのである。特に、己が正しいと思っている者はなかなか考えを変えないので、矯正も難しい。


「それで駄目ならもう後がないため、その前にできることはしておこうということになった。そしてシアリーナ殿下が最近になって学院に通いたいと言い始めたため原因を調べたところ、ひとりの学院生にとても興味を持っていることが分かった」


「……もしかして、私ですか?」


「そうだ。なんでも学院祭で用いた魔法を使うところを間近で見ていらしたようでな。あれは誰だと聞きまわり、昔の異名も知って敵愾心を燃やしているそうだ」


『見たのはどっちだろうな。……どちらも誰も使えないのだから変わらないか』


 話の筋が見えてきた杜人は力が抜けた笑みをレネに向け、レネも心の中で頭を抱えた。そんな内心を知らぬかのようにレゴルの声は変わらない。


「そのため特例扱いで叶えることにして、こうなった。求められている条件は『間違いを認めることができるようになること』で、そのためなら殺しても構わないそうだ。どのみち最後の手段が駄目だった場合は居なくなる。だからためらうなということを言付かっている」


「居なくなる? ……処刑されるということですか?」


 レネは奇妙な言い回しに首を傾げ、暗喩だろうかと真剣な表情で問いかけた。しかし、レゴルは静かに首を横に振る。


「違う。祖に恥じることをした王族は、誰も手を下さずともいつの間にか居なくなる。……成人前ならば性根を直せば大丈夫だが、成人してしまえばその現象を阻む方法はない」


「……あれはおとぎ話ではないのですか?」


 レネは王族に関する伝承、とりわけ不可解なおとぎ話を記憶から呼び出していた。簡単に言えば、王族が継承している至宝『天の涙』は王族全員を契約者としているので、契約違反をした場合は『天の涙』によって排除されるといわれている。


「真実は王族にしか分からない。だが、二度と表舞台に現れないのは確かだ」


『なんという呪いの品だ。……だからこそ強力、と言えるのかもしれないな』


 にこりともしないレゴルの説明に、レネと杜人は真剣に耳を傾けていた。そして与えられた情報を整理していて、レネはふと気になった。


「あのう、受けるかどうかはともかくとして、平民の私にそんな内情を言っても良かったのでしょうか」


『レネ、それは駄目だぞ……』


 答えの予想がついている杜人は既に諦めて笑っている。だが放たれた言葉は回収できないので、後の祭りである。そのためレネは理由は分からないが失言を悟り、背中に大量の冷や汗を掻いた。


 レゴルは一瞬話すのをためらったが、最近のレネの変化に耐えられると判断した。そうして全力で挑めるよう、嘘を吐かず本当のことを話すことに決めた。


「もちろん駄目だ。だが、知らずに接して後で居なくなったと知れば、必ず後悔することになる。だから特例として認めさせた。依頼自体は要請であって義務ではない。選択は任せる」


『接触は不可避。だが知らずに普通に接した場合は、高い確率でレネが拒絶すると予想。その場合最後の手段をとるしかなくなり、失敗すれば居なくなる。そのまま気が付かなければ良いが、レネの実力なら確実に隠された国の内部事情を知るときが来る。そのときにレネが後悔しないはずがないため、強制的に情報を与えることで気持ちの逃げ道を塞ぎ、己を悪者にしたのだろう。事情を聞かずに断ってもどのみち接触することになるから、後で事情を聞きに来ると予想済みだったのではないか?』


 後悔させないためにレゴルが動いたことを知らなければ、たとえ失敗しても断れないよう逃げ道を塞いだレゴルに恨みが向きやすい。それが気持ちのはけ口になり、心を守る。だが、尽力したことを知ってしまえば、失敗の重みはレネに直接のしかかる。だからレゴルは必要な情報だけを与えようとしていたのである。


 レネもここまで聞けば断る選択はできない。救えるかもしれない位置にいて、そのまま見捨てることができるレネはもう居ないのだ。


「私は普通の学院生なのですけど……」


「安心しろ。現在在籍中の学院生に、外まで轟いている二つ名持ちはひとりだけだ」


『なんと納得できる理由だ』


 最後に放たれたレゴルの冗談を、レネは引きつり気味の笑顔で受け止めたのであった。





 帰宅後、気分転換としておやつをやけ食いしてから風呂に入ったレネは、寝巻きに着替えて机に突っ伏していた。


「重いよう……」


『うむ、太った……、おっと』


 レネは起き上がると全身を淡く輝かせて杜人を捕まえようとしたが、杜人は笑顔でかいくぐっている。あえて禁句を選択したわけだが、効果は抜群である。


「太ってない!」


『そうか? ちなみに本物と偽物の区別は付いているのか? 今までのおやつの何割が本物だと思っているんだ?』


「う? う……」


 矢継ぎ早の質問にレネは不安になり、上着の裾をめくり上げておなかをつまんでみた。杜人はいつの間にか移動して露わになったおなかをじっくりと観察し、実に良いと頷いている。


『その程度なら大丈夫だ』


「よ……くない! 見るな!」


 その普通さに最初はいつも通り返事をしようとしたのだが、すぐに気が付いて隠すと真っ赤になりながら殴りかかる。


 観察していた杜人はあえて逃げずに直撃を受け、見事な放物線を描いて遠くへと跳ね飛ばされ、畳へと落ちた。


『ふっ、照れ屋さんめ……、がくり』


「ふんだ、ばか」


「回収?」


 レネはわざとらしく痙攣している杜人を放置してノートを座卓に広げた。そしてシャンティナに回収された杜人が到着したところで何事もなかったかのように打ち合わせが開始された。


『さて、最初から目標が達成不可能になりそうな感じだが、矯正できれば達成できるだろうから、とりあえずこのままでいこう』


「知ったからにはどうにかしてあげたいけれど、性格の矯正って簡単にできるものなの? 王宮側でもやったんだよね?」


『正攻法では無理だな。というか、性格矯正を経験したからよけい変わらなくなっている可能性が高い。つまり、難易度は上がっている』


「そんなぁ……」


 レネは座卓に突っ伏すと重苦しいため息をつく。失敗すれば寝覚めが悪いことになる可能性が高いため、できれば成功したいのである。その様子を見ながら杜人は話を続ける。


『でだ、予想だが、最終手段は恐らく実力が勝る王族が叩き潰すことによって心を折る方法を使うと思う。もしそうなら、確実に失敗するだろうな』


「どうして? 自分より強い人が居て、その人が命じれば変わらないの?」


『少しレネに置き換えてみようか。レネは自分より強い人に服従を強いられたとき、本心から納得して自分を変えることができるか? お前の考えは間違っているからもっと社交的になれと言われて、その通りと納得して従えるか?』


 レネは身を起こして小首を傾げると、言われたことを想像してみた。レネは自分が狭い世界に生きていることを自覚しているが、他人から言われれば腹が立つし命令されても従おうとも思わない。逆らえば痛い目に遭うなら従う振りをするかもしれないが、内心では間違いなく反発すると思った。そのため恥ずかしそうに頬を染め、髪をいじくって先程の発言を訂正した。


「えへへ、ごめんなさい。絶対無理」


『そういうことだ。実際にそうならないとなんともいえないが、人は先が見えることに関してはなかなか折れないんだ。それに、頑固でなければもう矯正は完了していると思う。そして抑え付ける人が身内の場合は、裏切られたという思いもあって反動も強くなる。以上の情報と推測から、よほどうまくやらないと悪い方向に変質して、いつ爆発するか分からない危険人物になってしまう可能性が高い。そうなると後は魔法を封じて閉じ込めておくしか方法はない。それで効果があれば良いが……』


 杜人は肩を竦め、レネもそれは無理だろうと首を振った。


 シアリーナの力は王族の中でも強いとのことなので上から数えたほうが早いと仮定したとき、それを抑えるために更に上位の王族を監視として配置しなけなければならなくなる。殺しても構わないという考えを持つ厳格な王族が、効果があってもそこまでして生かしておくとは思えなかった。


「それにしても、エルセリアにも、セリエナにも相談できないのが地味に辛い。隠しごとは苦手なんだけれど……」


 エルセリアは庶子とはいえ、れっきとしたルトリス侯爵家令嬢である。そしてセリエナも元貴族のお嬢様だったので、色々な事情を相談できるはずであった。しかし、守秘義務があるため全部話して相談することができないのだ。


 帰ってくるときも偶然出会ったのだが、話題を出すことなく切り上げるだけで精一杯だった。そのためレネは額に手を当てて悩み始める。普通に話をしていてもこうなので、近い話題が出たときにどう考えてもばれない自信がないのである。そんなレネに杜人は力強く断言した。


『大丈夫だ。二人とも気が付いたうえで知らない振りをしてくれるだろう。だから隠していることに関しては悩む必要はないぞ』


「……それはなんか違う。違うけれど、違うけれど……それしかないよね」


 複雑怪奇な貴族社会を知る二人は、稚拙なレネの隠しごとなどひと目で見破る。そして昼の会話で、既に隠しごとをしているのは分かっただろうと杜人は推測した。だからあえて隠そうとはせずに『隠しているけど聞かないで』という方法を提案したのだ。そしてレネも既にばればれとは思っていなかったが、それ以外の案が思いつかなかったため従うことにした。


『普段は普通の学院生のこととして相談すれば大丈夫だ。相手の身分は貴族だから、それなりに協力してくれるだろう。さて、それでは対処方法の選択に移ろう。まずは質問だ。レネは、どうやったらさっきのように間違いを認められると思う? 特定の人物のみでも構わない。指摘されて本心から間違いを認められるのはどういう人だ?』


「え? えっと、……絶対に裏切らないことが分かる人なら大丈夫かな」


 レネはほんのりと頬を染めて俯きながらも正直に話す。杜人はそんなレネを愛でながらも、真面目な話なのでからかうことはしなかった。


『その通り。大雑把にいえば親や家族、親しい友達や恋人が該当すると思われる。要するに信頼している人物が居れば大丈夫ということだ。ただ、赤の他人であるレネになれと言っても短期間では無理だから、これに関しては信頼されるように心がける程度だな』


「信頼は年月の積み重ねだからね……。つまり、今は誰も居ないってことなんだね」


 レネも信頼している人はとても少ない。そして杜人と会うまでは誰も居なかった。思い返してみると、確かに誰の話にも耳を傾けなかったように思う。


『その辺りは分からない。単に増長しているだけかもしれない。本当はこっそりと観察できれば良いのだが、顔を知られている以上無理だ。だが、初回の顔合わせで方針を決定しないと大変なことになるかもしれない。無駄になるかもしれないが、そのための準備だ。さて、長くなったがそれを踏まえて方針は大きく分けて二種類だ。力でねじ伏せて心を折る方法と、心の中に入り込んで大切な存在になる方法だ』


「……二つ目は難しいよね。それにひとつ目も駄目なんじゃないの?」


『レネに関しては事情が違う。相手はレネを無意識に同格の存在と思っている。だから敵愾心を持つんだ。そして自らの強さに自信を持っていて、証明するために戦いを挑もうとしている。それなのに足元にも及ばないと分かったとき、簡単に受け入れられると思うか?』


 レネは同格の存在としてエルセリアを思い浮かべる。そしてもし、実は今までは手加減して仕方なく遊んでいただけと判明したと仮定した。


「うん、無理。絶対荒れる。泣いて部屋に閉じこもる」


『そんなときに家族が優しくしてくれたとしたらどうだ? 縋らないか? ちなみに似たような状況は、エルセリアと喧嘩したときだぞ。あのときは本当に大変だったんだからな』


「えへへ、お世話になりました」


 レネは言われてどんな状態になっていたかを思い出し、頬を掻いてはにかむ。


 今は傷も癒えたのでそれほどでもないが、杜人の姿が見えなくなると不安になるときがある。だから、心が大きく傷ついたときに本気で優しくされるとどうなるかは理解できた。


「それは良いとして、実際に勝負したら私のほうが足元にも及ばない可能性のほうが高くないかな。むこうは王族だよ?」


『それに関しては大丈夫だと思う。理由は学院祭の魔法を見て、わざわざレネに会うために入学したことだ。もし歯牙にもかけないほど離れているなら無視できるし、自分でできるなら敵愾心も持たないだろう。自分ではできず、なおかつ劣っていると感じたから優れていることを証明せずには居られないんだよ。実際レネだってエルセリア以外は反応していなかったぞ』


「う……。よく分かったよ。それにしても共通点が多いね」


『大丈夫。単なる抜き出しによる錯覚だ。出会ったことのない赤の他人でも、朝起きて、食事して、寝るのは共通している。その程度のことだ。そんなことより、レネは王族と肩を並べる力を持っていると判断されたことに喜ばないのか?』


 杜人はによっと笑ってレネをからかう。だが、レネも成長しているので内心の喜びをそのまま表に出すことなく淡く微笑んだ。


「私はモリヒトが居ないと初級魔法しか使えないからね。嬉しいとは思うけれど、それだけかな。……感謝してるよ」


『そ、そうか……』


 予想外の反応に杜人は二の句がつげず、恥ずかしさを誤魔化すために視線をそらす。そしてレネは久々の勝利に、座卓の下で手を握り締めていた。


『ええと、そう、方針だが、現状の予想では心を折るのをレネが担当し、その後の癒やしを家族が行うのが一番良いと思う。そうすれば間違いを認められるようになるだろう。もちろん反応によっては最初から優しくしても良いが、まず無理だと思われる。その他になると時間がかかりすぎたり、理想だけで実現できるか分からないものになる。やるのは長期間になるだろうから、単純なほうが分かりやすいし間違えない』


「うん、良いよ。それじゃあ、喧嘩するような感じで睨んだほうが良いかな」


 話すうちに調子が戻った杜人は座卓を歩きながら方針を示し、レネも出されたお茶を飲みながら賛成する。そしてレネの質問に杜人は頷く。


『最初は敵と認識させる必要があるからそれで良い。ただ、ずっとでは相手を同格と認識していると言っているのと同じだ。だから最初以外はまともに相手をしないで、格下として扱う。思い出せ、学院中を敵に回したとき、レネは相手を睨みつけたか?』


「そういえば意味ありげに微笑んだんだっけ。それじゃあ、最初以外はいかにも仕方がないから相手をしよう程度の微笑で十分かな」


『それで良い。そしてたとえ負けそうでも、反論することなく全て相手の要求を受け入れて、こちらからは要求するな』


 変な指示にレネは不思議そうに瞬き、首を傾げる。それを受けて杜人は少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。


『人は勝負に負けたとき、心から納得することは少ない。相手から無茶な要求を突きつけられて負けても、本当に負けたとは思わないだろ? 逆を言えば要求を出したのに負けた場合、たとえ負けていないと言い張っても、無意識では負けたと思いやすいんだ。それにたとえこちらが負けても気にしていない振りをすれば、手を抜かれたと思ってくれるだろう』


「まるで騙し絵みたいだね。ひとつ分かると元の絵が見えなくなったりするから……。仮にも王族なんだから、どんな手段でも勝てば良いと思うような性格ではないだろうし、実力が上であることを証明したいのだから気にしないわけないよね。分かった。そうする」


 レネも面白そうに笑う。経験を積んだことにより演技もそれなりに上達したので、最初から対応を決めていれば激しい感情でなければそれなりにできるようになっていた。そして杜人謹製演技集には、その手のやり方がたくさん載っているのだ。


『ただし、注意しなければならないのは一回目だ。これだけは圧勝する必要がある。だから勝負にこだわることなく、隙があったら問答無用で叩き潰せ。そうすることによって、二回目以降に負けても手を抜いたと認識しやすくなるし、一回で満足される危険もなくなる』


「何事も仕掛けが必要ってことかぁ。それじゃあ、講義中に私語をしたらやっちゃう?」


『そこまでやると行き過ぎになる。どうせ勝負を挑んでくるのだから、それでは対人実習室に移動しましょう程度で十分だ。後は勝手に魔法勝負と思ってくれるだろう』


 対人実習室には対人戦闘用の魔法具が存在している。それを使えば安全に対人戦闘を経験できるのである。レネには霊気系魔法があるが、いまのところ術式を公開していないので使い手はとても少ない。


「分かった。ところで、いつまでかかるかな」


『そればかりは分からないな。ただ、頑固な心が折れるまで続けなければならないのは確かだから、長くかかるのは確定だ』


「折れなかったら?」


 レネも頑固なため、生半可なことでは折れない自信がある。そのため少しだけ不安そうなレネに杜人は自信を持って答えた。


『心配要らない。どんな人でも、脆くなって折れやすくなる瞬間が必ずあるんだ。それはな……』


「それは?」


 杜人は言葉を区切ってためを作り、真剣な表情でレネを見つめる。そのためレネは唾を飲み込んで答えを待った。そして緊張感が最高潮に達しようとするそのとき、杜人は口の端を吊り上げて言葉を紡いだ。


『本当に全力を出し尽くして届かなかったとき、人の心はたった一押しで簡単に折れるのさ』


「……うん。そうだね」


 全力で挑んだ試験に失敗し、エルセリアの一言によって見事に折れたことのあるレネは、疑うことなく納得したのだった。







 夜の食堂にてエルセリアとセリエナは偶然会ったために一緒に食事をしていた。レネはやけ食いが祟って夕食はお休みである。


「そういえば、昼間レネに会ったのですが、動きが挙動不審でしたよ」


「私も会ったけれど、ほんと、怪しかったね」


 エルセリアは肩口で二つに結んだ銀髪を揺らしながら楽しそうに瞳を細める。話題を振ったセリエナも長い金髪を背中に流しながら頭部の円弧型髪飾りを直した。二人とも学院では目立つ紫瞳なのだが、近寄るものは皆無である。もちろん二人とも煩わしさから解放されて喜んでいて、原因であるレネにはいつも感謝を忘れない。


「私達には言えない情報」


「昨日までは普通でしたね」


「来た方向から考えて……、原因はレゴル先生かな?」


「ということは講義……。確か講師教練を申し込んだのですよね」


「あれは事前に資料を渡されるから、変な聴講生が居たのかな」


「モリヒトさんは笑いを堪えていましたよ」


 エルセリアとセリエナは次々と情報を整理していき、ほぼ正確な推測をたてることに成功した。そしてせっかく隠そうとしているのに暴いては困るだろうという結論に至った。


「それじゃあ、気付いていないことにしよう」


「そうですね。レネのほうはモリヒトさんが何とかしてくれるでしょう」


 レネはまだ話題が出たわけではないので、隠しごとがあることがばれていないと思っている。ところが本番に弱いレネは、台本にない事態には上手に対処できないため見事に挙動不審になっていた。


 そしてレネの行動範囲はとても狭いため、学院内ならば位置と方向でどこから来たのか丸分かりなのである。もちろん杜人はそのことを知っているので、二人なら勘づくと思って笑いを堪えたのである。


 こうして優しいエルセリアとセリエナによって、しばらくの間はレネの平穏が保たれることになった。


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