第二話 引き出される宝珠の力(1)
翌日、研磨した魔宝珠のペンダントを首から下げ、朝食をとってから、ヴァランの店へ向かった。少し寝坊してしまったため、早歩きで進んでいく。
体は重く、少し走っただけで息切れしてしまうので、早歩きで進むしかなかった。
初めてまともに魔宝珠の研磨と細工をしただけでなく、帰りに男に追いかけられたせいもあるだろう。
今日は早く帰らせてもらおうと思いながら、店の戸を開ける。中ではヴァランが大きめのバックに、魔宝珠が入った箱や磨くための布などを詰め込んでいた。エルダは目を瞬かせて、その様子を眺める。
「おはようございます、ヴァランさん」
「おお、おはよう。今日は無理してこなくてもよかったんだぞ。いや、むしろ今日店は休みだ、帰っていい」
「出張でもするんですか?」
ヴァランがバックを上下させて、重さを確かめている。
「ああ。ヘイムスの話を聞いていたら、詰め所に行った方が早いと思ってな」
「そんなに状況は悪いんですか?」
引き出しをしめて、バックを持ったヴァランがエルダの横に立つ。
「それはモンスターの動き次第ってところだ。そいつの意識が町に向けられれば、すぐにでも襲ってくるかもしれん」
「そんな……」
町全体は常に結界を張っている。エルダが聞く限り、今までモンスターの侵入をラウロー町では許したことはない。それが破られるというのか。笑顔で溢れる町が、一瞬で恐怖の色に染められてしまうのだろうか。
それは――防がなければならない。
固い表情で店から出ようとしているヴァランに向かって、エルダは毅然とした態度で言い放った。
「私も一緒に行きます」
ヴァランは立ち止まり、眉をひそめた顔を向ける。
「疲れて――」
「自分の体のことは自分が一番わかっています。結宝珠や光宝珠を磨いて、効力を多少増強させるくらいなら、私でもできます。体が限界だと思ったら、すぐに下がらせていただきます。だから……手伝わせてください」
ヴァランの声を遮って、頭を深々と下げる。
どのような行動を起こすのが一番いいのかは、はっきり言ってわからない。
ただ自分の中で、後悔だけはしたくなかった。それが先に走っている薄茶色の髪の少年から学んだことだ。
黙っていたヴァランは、やがて表情を緩めた。
「わかった、エルダ。ただしもしかしたら宝珠の個数によっては、雑用だけをやらせることになるかもしれん。それでもいいのか?」
エルダは口元で笑みを浮かべた。
「構いませんよ。自警団の人とは親しいので、勝手はわかりますから」
彼を追いかけていた日々が、まさかここで役に立つとは思わなかった。
町の北にある鍛錬場の前には、町全体の警備を統括している自警団の詰め所がある。表と裏門の近くには出張所もあるが、ここが大本であった。
中に入ると、入り口近くで話をしていたヘイムスが話を切り上げて寄ってきた。昨日よりも目の下にある隈が広くなっている気がする。徹夜でもしたのかもしれない。
「おはようございます、ヴァラン様、そしてエルダさん。すみません、お忙しいのに時間を割いていただき……」
「今は急ぎの仕事はない。数日店にいなくても、特に問題はない」
「ありがとうございます」
ヴァランの荷物を手に取ろうとしたヘイムスだが、きっぱりと断られた。
「これくらい重いもんでもないから結構だ。――どこか部屋を借りたい。場所はあるか?」
「そちらは手配してあります。どうぞこちらへ」
ほっそりとした青年の背を見ながら、エルダたちは歩き出す。
通り過ぎる人たちには顔見知りもおり、軽く挨拶をして進んだ。
以前よりも人が少ない気がする。特に剣を携えている人が見えない。鍛錬が既に始まっているのだろうか。それとも人自体がいないのだろうか。
「こちらの部屋です」
詰め所にある会議室の一つに案内されると、椅子に座って窓の外を眺めている、巨体の男性の背中が見えた。左腕は包帯できつく巻かれている。
「ドルバー団長、魔宝珠細工師のヴァラン様と、お弟子さんのユーイングさんをお連れしました」
燃え盛る炎のような色の髪を持つ中年の男性は振り返ると、ヴァランとエルダを交互に見た。左腕だけでなく、服の下からも白い包帯がちらりと見える。ベッドの上で横になっていなければならない傷のはずだ。しかし団長の目は死んでいない。むしろ何かをやろうとしている気概すら感じられた。
彼の鋭い視線は、多くの人の姿勢を無意識のうちに正していく。それはエルダも例外ではなく、一つの団をまとめる長に圧倒されていた。
だがヴァランはドルバーのことを見ると、口元を緩めたのである。
「久しぶりだな、ドルバー。宝珠の研磨くらい安くやってやると言ったのに、それ以降まったく来ないなんてよ」
「ただでさえ忙しいヴァランさんに、負担はかけさせられません。数年に一回で大丈夫だと聞いていたので、訪れていないだけです」
「たしかに磨かなくても召喚自体はできる。だがな、威力は保証しないぞ? 騎士団では自ら磨くのが義務となっているらしいが、自警団ではどうだ? 召喚物も魔宝珠も大切に扱わないと、いつか痛い目にあうぞ」
「ご助言ありがとうございます」
一団をまとめる男の背中が小さくなっている。エルダの師匠は思った以上に影響力のある人間のようだ。
ヴァランはドルバーのもとに歩いていき、バックを机の上に置いた。
「さて、そっちの眼鏡の男から話は聞いた。今日は特別にここで仕事をしてやる。報酬は研磨した数と、出張費込めた額でいいな」
「はい。本当にありがとうございます」
「町の防衛の要がそんな姿じゃ、こっちもおちおち仕事はできないからな」
ドルバーは俯いて、包帯が巻かれている左手をじっと見ている。それを握りしめようとするが、途中でやめて手を開いた。
「ドルバー、今後の見通しはついているのか?」
バックから箱と布を取り出しながら、軽い調子で聞いてくる。
「ヘイムスから既に聞いているかもしれませんが、馬の扱いに慣れた人間に封書を持たせてあちらへ向かってもらっています」
「あそこを往復したら一ヶ月かかる。間に合うのか?」
「わかりません。ですから万が一のために、守りを固めるんですよ。今日はよろしくお願いします」
領の北にあるラウロー町、そして領の中心部にあるミスガルム王国。今回はその距離が悪い方向に転ばないのを祈るばかりである。
会議室に持ち込まれるたくさんの宝珠を仕分けるのが、エルダの第一の仕事だった。
結宝珠、光宝珠、火宝珠など、集められた宝珠をそれぞれ分けていく。
個人の魔宝珠に関しては、召喚者が自らヴァランに手渡していた。
ヴァランはモノクルをつけて、魔宝珠を回しながら事細かに見ていく。宝珠を見られている者は息を飲んで、その様子を見守っていた。
偏屈で、あまり人を寄せ付けない話し方をする、魔宝珠細工師。
彼は溜息を吐きながら、見ていた魔宝珠を机の上に置いた。
「まったく酷い扱い方をしているな」
躊躇なく、ばっさり言う。言われた相手は反論しようと口を開いたが、それより前にヴァランが追撃をかける方が先だった。
「魔宝珠に多数の傷がある。壁にぶつけたり、床に落としたりしたんだろう。もっと丁寧に扱いなさい」
「いや、ちょっと落としただけで……」
「たいていの人間が『ちょっと』と言う。もし割れたらどうする? 割れた場合、召喚物の耐久性などが格段に落ちるぞ。ただでさえ大樹がない関係で、不安定な物になっているというのに……」
ぶつぶつ言いながら、ヴァランは使い古された布で宝珠を磨いていく。光沢はやや出てくるが、光が戻ったとは言い難い。さらに傷ついた部分を念入りに研磨していくが、完全に傷は消えなかった。
宝珠を持ち主に返すと、ヴァランは部屋の脇にいる眼鏡をかけた青年に視線を向けた。
「剣を振ったり、体を鍛えるだけでなく、宝珠の大切さや磨くことの意義も教えた方がいいんじゃないか?」
「仰るとおりです。ただ、自警団の者は全員が全員、専属ではありません。他の仕事と兼ねている者も多くいます。教えられる人間も多くないですし、他にも問題が……」
ヴァランは視線を魔宝珠に戻して、再び磨き始めた。
「誰かが先導だってやらんと、いつまでたっても変わらないぞ。ミスガルム騎士団にでも頼んでみろ。連中には文官もいるから、知識面でも教えてくれるやつがいるはずだ」
その言いぶりを聞き、エルダはふと思いついた質問を口に出した。
「ヴァランさん、ミスガルム騎士団に知り合いでもいるんですか?」
敏腕細工師は魔宝珠から視線を逸らさずに、さらりと言った。
「昔、王都に行ったときに世話になったことがある」
「そうなんですか?」
「五十代の親しいやつは前線を退いているが、その一回り下の代くらいは顔をあわしている。今の隊長何人かと団長とは挨拶をかわした」
「ルドリ団長ともですか!?」
思わず声を上げてしまう。女の身で大陸随一ともいわれる団を束ねている女性だ。エルダにとっては憧れの女性の一人でもある。
そんな彼女と挨拶をしたことがあるヴァランの過去が、少々気になるところだった。
引き続き、ヴァランは作業を続けていく。エルダは彼の凄さを感じつつ、自分も作業に戻った。
宝珠の仕分けも一段落し、エルダも磨き始めた昼過ぎ、突如ドアの向こう側から少女の大声が飛び込んできた。
座っていたヘイムスは立ち上がり、そっとドアに手を付けて、廊下を覗き込んだ。そこに開いた隙間から、声が鮮明に入ってくる。
「いいからここの長を出しなさい! 父さんに無茶させた、長を!」
父さん? 無茶?
エルダの頭の中にその単語が疑問符とともに出てくる。
目を細めていたヘイムスは、途中であっと声を漏らした。
「誰かわかったのか?」
次の宝珠に手を付けようとしていたヴァランは、淡々とした口調で聞いてくる。
「はい。ティルグさんのところのご息女です」
「なるほど。自警団の専属でもないティルグが身を張って前に出た結果、大怪我をしてしまった。それで文句を言いにきたわけか」
正解だったのか、ヘイムスは言い返すこともできずに俯いていた。
ティルグという名は、ラウロー町の住民なら多くの人が知っている人間の一人だ。彼は町の結術士の長で、町全体の結界を張っている人間でもある。
攻めのドルバー、守りのティルグとも言われているほど、重要な役割を担っている人間であった。
「父さん、死んじゃったらどうするの!? 町の結界もままならなくなるじゃない! 町を守るためにモンスター討伐に出たのに、逆にその守りを危うくするなんて、何考えているのよ!」
自警団にとっては耳が痛い話だろう。ヘイムスはドアをぎゅっと握りしめていた。
「いいから長と会わせなさい!」
ドルバーはヴァランと顔をあわせた後、奥の部屋で休んでいる。絶対安静と言われているにも関わらず、顔を出してくれたのだ。もう一度出せと言われても、それ相応の理由がないと難しいだろう。
「ティルグ様、団長も負傷しており、休んでいる状態です。また後日、日を改めて――」
「結界が震えているのよ!? いつ壊れてもおかしくない!」
ヴァランは手を動かすのをやめて、静かに立ち上がった。彼の表情は険しい。
「ヘイムス、その娘は結術士なのか?」
すぐ傍で話しかけられた青年は、びくっとしつつも頷いた。
「年数は浅いですが、結術士です。まだ自分の結宝珠を持って一年と聞きました」
「経験は少ないが、感覚は父親の才を強く引いているようだな」
ヴァランはヘイムスをどかして、廊下に出て行く。
エルダはヘイムスと視線をあわせた後に、彼の後を追った。
入り口付近で、やや赤みがかかった蜂蜜色の短い髪の少女が、女性に向かって食ってかかっている。ヴァランが二人に近づくと、少女は眉をひそめて視線を向けた。
「何あんた」
「ちょっとした頼まれごとで、臨時で仕事をしに来た人間だ。嬢ちゃん、結界の状況がわかるのか?」
「何となくよ。父さんが意識不明の重体で戻ってきた前後で、がらりと変わったわ」
「町にいる他の結術士には言ったのか?」
少女は首を縦に振った。
「ええ、もちろん。町の周囲の結界も目で見て、手で触れて、確かめてから言ったわ。誰も相手にしてくれなかったけどね。証拠を出せって言われても、そんなの無茶な話よ。結界が誰しも見られるわけではないもの」
ぎりっと歯を噛みしめて、少女は悪態を吐く。
結界の状態を察知できるかは、個人の能力に大きく左右されてくる。能力が高ければ、より異変に気づきやすい。低ければ、結界が割れる直前まで気付かない。
もし他の結術士の能力が彼女よりも劣っていたら、気づかなくても当然だ。
「――証拠があれば、結術士たちや自警団も動かせるんだな」
ヴァランがぼそっと呟くと、俯いていた少女をはじめとして、周囲にいた人間は彼に視線を一斉に向けた。彼は手を開いたり閉じたりしている。
「嬢ちゃんの魔宝珠は、結宝珠でいいんだな?」
「え、ええ。まだあたしの力が劣っているから強力な結界は作れないけど、そこら辺に適当に転がっているものよりかは、効力はあると思う」
「それを自分に磨かせてくれないか?」
ヴァランの視線がエルダへ僅かに向けられる。何かを覚悟したような目は、自然とエルダの意識を掴みとっていった。
「どうしてあたしの宝珠を?」
「効力が高い結宝珠同士をぶつけ合えば、それらの間で激しい反発がおきる。ティルグが張っている結界だ、それ相応の準備をしないといかないだろう?」
「おじさん、何者なの?」
ヴァランのことを訝しげに見ていた少女の面影は既になく、彼の空気に飲み込まれている少女が呆然と突っ立っていた。
白髪が生えている老爺は、自分の胸を軽く叩いた。
「自分は魔宝珠細工師。大樹から受けた加護を、より引き立たせる人間だ」