第二話 引き出される宝珠の力(2)
ティルグの娘――ルヴィー・ティルグの宝珠磨きは、支度が整い次第すぐに始まった。
ヴァランは磨くための布を持つと、即座に集中する態勢に入ったのか、彼をまとう空気が変わった。
それを感じたのはエルダだけでなく、ヘイムスやルヴィーも近づきがたい雰囲気を察し、半歩引いた体勢をとっていた。
作業に入る前、エルダはヴァランから何点か指示を受けた。
一つ、何時間かかるかわからないから、他の宝珠の研磨などはエルダに任すということ。
一つ、作業に入っている間は、極力話しかけないでほしいということ。
一つ、日が暮れる前にエルダは仕事を切り上げて、帰宅するということ。
以上、三つが指示された。
最後に関しては、まるでエルダの昨晩の出来事を見ていたかのような言い方だった。
しばらく三人はヴァランの作業を見ていたが、あまりの集中力に触発されて、それぞれの仕事に戻ることにした。
ヘイムスはルヴィーの件を説明するといって、彼女と共に部屋を去っている。
エルダはヴァランから少し離れて、入り口に近いところに陣取った。ここであれば誰かが入ろうとしたときに、いち早く気づくことができる。
結界が不安定であるということなので、結宝珠の磨きに手を付けた。専用の魔宝珠を磨き、研磨するよりも、体にかかる負担は遥かに少ない。そのため二時間程度ですべて磨き終えることができた。
日暮れまではまだ時間がある。いくつか表面を磨くくらいはできるだろう。
少しだけ一息つくために、エルダは音をたてぬよう立ち上がる。少し椅子を引きずったが、ヴァランはまったく見向きもせずに、ルヴィーの魔宝珠だけを見つめていた。
なんという集中力だろうか。あれが本来あるべき魔宝珠細工師の姿だと思うと、自分の力のなさに、歯がゆさと悔しさを感じた。
ドアに手を付けて、静かに開け閉めをする。ドアを閉じると、それにもたれ掛かりながら、視線を頭上に仰いだ。
ヴァランに勧められて細工師の手伝いをしているが、果たして役に立っているのだろうか。磨くだけなら、誰でもできるのではないだろうか――。
「――エルダ?」
感傷に浸っていると、聞き慣れた声が耳に入ってきた。彼の声を聞いた瞬間、鼓動が大きく波打つ。
この建物に来ることで、彼と会う確率が高くなるのはわかっていた。しかし物事が着々と進んでいたため、建物に入ってから今の今まで忘れていたのだ。
ドアから背中を離し、手を前に組みながら彼と見合う。
「サートル、何?」
曇りのない空色の瞳は、そのまま彼の真っ直ぐさも表しているようだった。
「いや、来ていたんだなって……」
「鍛錬の休憩中?」
「ああ。エルダは?」
「ヴァランさんがここに出張で来ていて、その手伝いよ」
とりとめのない会話をする。考えればすぐにわかることで、聞く必要もないことだ。だが、今はその些細な話題があるだけよかった。
心の奥底の言葉を吐いた、昨日の今日だ。気まずいのは当然である。
幸いにもちょうどヘイムスが戻ってきた。後ろにいるルヴィーの表情は、少しだが柔らかくなっている。
「ああ、サートルいいところに」
「なんですか、ヘイムスさん」
「今から三十分後に会議を開く。対象者は今、建物内にいる団員全員だ」
「まだ団員になって一ヶ月しかたっていない人間もですか? いいんですか?」
「町を守る想いに長さは関係ない。鍛錬場に戻るなら、外にいる者にも伝えておいてくれ」
ヘイムスはサートルの肩に手を乗せながら、通り過ぎていった。ルヴィーは軽く頭を下げて、彼の後を追う。
サートルは二人の背中を一瞥すると、彼らとは逆側を歩き出した。
「無理するなよ、エルダ」
八つ当たりに近い言葉を吐いたにも関わらず、優しい言葉をかけてくれる。胸が引き締まるような想いがした。
夕方近く、ヴァランの研磨はようやく終わろうとしていた。彼は宝珠を光に当てて、何度も回しながら研磨残しがないかを確認する。やがてすべて見終えると、魔宝珠を静かに机の上に置いた。
「エルダ」
「は、はい!」
自分の作業に夢中になっていたため、反応するのに遅れた。慌てて返事をすると、疲れ切った表情をしつつも、満ち足りた顔をしている男性と視線があった。
「ティルグの嬢ちゃんを連れてこい」
「わかりました」
立ち上がり、ドアに寄ると、背後で激しい音がした。
血の気が一瞬で引く。エルダは振り返り、床に崩れ落ちたヴァランにすぐさま駆け寄った。
「ヴァ……ヴァランさん!?」
床に膝を付けて、ヴァランの顔をじっと見る。息づかいが荒い。表情も苦しそうだ。
一刻も早く医者に連れて行かなくては……と思っていると、ヴァランに右手を強く掴まれた。
「わしのことは構わずに、嬢ちゃんを早く連れてこい!」
圧倒されたエルダは、かくかくと頷く。そしてヴァランを壁により掛からせて、ルヴィーを探しに行った。
周囲を見渡しながら小走りで廊下を進むと、ちょうどヘイムスといった、自警団の集団とはちあった。その中にはあの蜂蜜色の髪の少女もいる。
「ルヴィーさん、いいところに!」
彼女の姿を確認すると、とっさに腕を掴む。彼女の目は大きく見開かれた。
「な、何?」
「ヴァランさんが呼んでいます。すぐに来てください!」
ルヴィーは事態を飲み込めないようだったが、エルダが軽く引っ張るなり、それに従って走り出してくれた。
部屋の前に着くと、エルダは勢いよくドアを開けた。
「ルヴィーさんを連れてきました!」
エルダの細工師の師匠は、先ほどと同じ態勢で壁に寄りかかっている。彼は声に気付くと、うっすらと目を開けて、エルダたちに視線を向けた。
「早かったな……」
ルヴィーの背中を押して、エルダは彼女と共にヴァランに近寄る。
ヴァランはルヴィーと視線をあわせた後に、机の上にある魔宝珠を指で示した。
彼女がそれを右手で掴むと、一瞬宝珠が輝いた。すぐに輝きは収まったが、魔宝珠のきらめく光沢が消えることはなかった。
「本来の力を引き出された魔宝珠は、持ち主に触れれば輝きを放つ。それは昔から知られていることだ。いい機会だから覚えておくといい……」
ヴァランは呼吸を整えながら、魔宝珠を握りしめているルヴィーを見た。
「ティルグの嬢ちゃん」
「なに?」
ルヴィーは両膝をついて、ヴァランと視線の高さをあわせた。
「嬢ちゃんの意見に納得しない結術士や自警団員の前で、それを結界に触れさせなさい。そうすれば結界同士で反発する。その瞬間を見れば、結界の異常に気づくはずだ」
「反発した関係で、結界が壊れることはないの?」
ヴァランは軽く鼻で笑った。
「そんなことは起こりえない。ティルグの魔宝珠を研磨したとき、三日はかかった。つまり能力的にはティルグの方が遥かに上。あいつ自身が弱っているとはいえ、そこまでちゃちな結界は張らないさ」
「……その通りね。父さんがあんな状態でも、町の結界の綻びは見えていないもの。ありがとう、細工師のおじさん。早速やってみる」
ルヴィーはすっと立ち上がった。そして握りしめていた魔宝珠を首から下げる。洋紅色の魔宝珠は、やる気に満ちたルヴィーと同様に明るい輝きを放っていた。
そして彼女はヘイムスに顔を向ける。視線が合った彼は軽く頷き返し、エルダとヴァランを見渡した。
「自分はルヴィーさんに同行してきます。すぐにヴァラン様を介抱する者を寄越しますので、どうぞ休んでください」
そう言って、二人は部屋から出て行った。
彼らが出て少しすると、自警団員の女性が入り込んできた。彼女はヴァランの傍に寄って、すぐさま脈を計り始める。表情は浮かないままだ。
「ヴァランさん、無茶をし過ぎたのではないでしょうか」
「疲労が溜まっただけだ。少し休めば元通りになるさ。――エルダ、ちょっと来なさい」
「はい」
返事をして、彼の顔に自分の顔を近づける。顔色はよくないが、なぜか彼が危険な状態だとは思えなかった。一仕事をし終えた後の疲労が、極端に出ているだけなのかもしれない。
「……気力があれば、嬢ちゃんたちの後を追いなさい。一人の細工師が限界に近い状態までやった結果だ。見ておくのもいいだろう」
「限界……」
その単語を復唱して、ごくりと唾を飲みこむ。縁起でもない言葉がエルダの脳内に引っかかる。しかしそれを払拭するかのように、ヴァランは表情を緩めた。
「そういう顔をするな。命をかけるまでの研磨はしていないさ。ゆっくり休んだら、またお前に色々な細工の仕方を教えてやろう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします、ヴァランさん」
エルダも表情を柔らかくして挨拶をした。そして最低限の荷物を持って、ルヴィーたちを追いかけた。
入り口近くでルヴィーたちと再会した時には、彼女はすでに幾人かの団員を集めて外に出るところだった。行動が早かったのは、自警団でも顔が広いヘイムスの存在があったからだろう。
エルダは彼女たちに同行を申し出ると、驚きつつも了承してくれた。
そしてうっすらと赤く染まり始めた地面の上を、一同は足早に移動していった。