第三話 森の番人たち(4)
『ちょっといいか、嬢ちゃん?』
今後の方針もまとまり、サートルが持っていた結宝珠を布で磨こうとした矢先に、エルダは土の精霊に話しかけられた。
サートルは周囲の様子を軽く見てくると言って、その場を離れている。
折れた太い木の枝に腰をかけていたエルダは、体を精霊に向けた。
「なんでしょうか?」
『嬢ちゃん、魔宝珠からまだ召喚していないようじゃな』
エルダは魔宝珠を握り、ゆっくり首を縦に振る。
『じゃが実は何を召喚物にするかは、決めているんじゃないのか?』
土の精霊にはすべてお見通しのようだ。
息をゆっくり吐き出して、口元にうっすらと微笑を浮かべた。
「……はい、さっきですが決めました。それが今後の私の人生において適当な物かはわかりませんが、今の私はそれを用いて生きたいと思っています」
『そうか。その気の持ちようなら、後悔することも少ないじゃろう。……わしから一つ提案がある』
土の精霊が少し歩み寄った。
『もし今、それを召喚してくれるのなら、わしがそれに潜在的に含まれている加護を引き出そうと思う。そうすればより強力な召喚物となるはずだ』
「今……」
エルダは少し強めに握りしめた。
『ただし明確に想像できぬ物であった場合、無理にここで召喚するのは勧めん。思わぬ物を召喚する可能性があるからな』
自分専用の魔宝珠から初めて物を生み出す。失敗は絶対にしたくない、何事も慎重にするべきだ。
だから土の精霊は決して無理強いするような言葉は出さなかった。しかしエルダの心の中では既に決めていた。
「やります、今」
土の精霊が目を見開いているのを余所に、首からかけているペンダントを外した。浅緑色と灰茶色の宝珠が仲良く並んでいる。それらを両手でしっかり握りしめ、目を閉じて、脳内に召喚したい物を思い浮かべた。
エルダが持っているウェストバックに入る箱、地味ではあるがしっかりとした作り。
中を開けば、色とりどりの石が整然と並んでいる。大きさから形まで、様々な種類の物があった。
それらを一通り思い浮かべたところで、言葉を口に出した。
「魔宝珠よ、我が想いに応えよ――」
魔宝珠が熱を帯び、輝き始める。エルダはうっすらと目を開けて、それを顔の前まで持ってきた。
発された光は滝のように真下に落ちていき、地面に光の溜り場を生み出した。
その光の中から立体物ができあがっていく。それはエルダの手で抱えられるくらいの箱の形になった。
やがて魔宝珠から漏れ出ていた光は徐々に小さくなり、それが消え去ると、箱を包み込んでいた光も消えてなくなった。
エルダは宝珠を再び首にかけて、魔宝珠から生み出された箱を手に取った。
唾を飲みながら、蓋を開ける。中を見て、ほっと一息吐いた。
箱の中には想像通りの、色とりどりの魔宝珠が敷き詰められていた。その中から一つ摘み上げ、月の光に当ててみる。色素が薄い石を使っているのか、簡単に光が通過した。
『魔宝珠細工師としての道を歩むつもりか?』
エルダが召喚したのは、研磨するために必要な宝珠などが入っている、ヴァランと同じ中身の箱だった。それはすなわち細工師として必要な物でもある。
色と感触を一つ一つ確かめながら、エルダは口を開く。
「歩めたらいいなと思っています。この私がより多くの人を助け、皆の人生を豊かにできる職だと思いましたので」
土の精霊は目を大きく見開いた後に、くすりと笑った。そしてエルダの傍に寄り、箱を下ろすよう指示してきた。それに従って地面の上にそっと置く。
『他人を護りたいという話はよく聞くが、人生を豊かにしたいという台詞は、遠い昔に聞いたくらいじゃな。この半島では魔宝珠を駆使することで発展してきた。嬢ちゃんの言うことは、まさしく的を射ているな』
帽子をかぶった小人の精霊は、両手を魔宝珠の上に添える。すると先ほどの光よりもさらに目映い光が視界を覆った。温かみを感じる橙色の光が、魔宝珠だけでなく、土の精霊、そしてエルダまでも包み込んでいく。
あまりの光の強さに、目を閉じがちになる。そのような中、視界に一つの影がよぎった。背丈は高いが横にも伸びている影。まるで――大樹のようであった。
それを認識するなり、光は霧散し、あっという間に鬱蒼とした森の中に戻った。目が暗闇に慣れるまで時間を置いてから、目をしっかり開いた。
穏やかな表情をした、土の精霊が視線を上げている。エルダは彼の手から離れた箱を両手で持ち上げた。触れた瞬間、魔宝珠を落としそうになるくらい熱かった。しかしすぐにいつもの温度に戻った。目を瞬かせて宝珠を見つめる。
『それに加護を与えた。そしてその加護は嬢ちゃんを受け入れた』
「土の精霊の加護が……」
箱の中を開き、中から石を取り出そうとすると、地面を踏み締める音が聞こえてきた。エルダは顔を上げて、音のした方に体を向ける。
サートルが転がりそうになるのに耐えながら、走ってきていた。
「エルダ!」
あまりに血相を変えて走っていたので、エルダは慌てて立ち上がった。
彼は傍に来ると、屈みながら両膝に手を乗せた。肩が激しく上下しており、必死に呼吸を整えている。
「な、何かあったのか!? 光が……」
どうやらエルダが召喚した際に発された光たちを、サートルは危険信号だと勘違いしたらしい。
先ほど召喚した細工や研磨に使う道具が入った箱を、サートルの前に掲げる。彼は目をぱちくりしていた。
「お前、こんなの持っていたか?」
「召喚した、自分の魔宝珠で」
エルダは箱から研磨用の宝珠を取り出して、箱をバックにしまいこんだ。
そして口を半開きにしている彼の目の前で、それを用いて持っていた結宝珠を磨き始めた。ちょうどいい堅さの宝珠だったため、簡単に表面を磨くことができた。自ら光沢を発さなかった結宝珠が、輝きを帯びていく。
「すげぇ……」
ぽかんとした状態で呟いているサートルの声は微かに耳の中に入ってきたが、彼の顔を確認する余裕はなかった。
集中力を研ぎ澄まして、持っている宝珠を磨いていく。まるで早くついてこいと言わんばかりに、研磨する場所を次々と指定されていった。
数分後、手を動かすのをやめて、結宝珠だけに目を落とした。肌触り、色味、明るさなどを確認して、サートルに手渡す。
「はい、これ、サートルの分」
「あ、ありがとよ」
彼は呆然とした状態で、エルダと結宝珠を交互に見ている。その隙にエルダはその場にしゃがみ込み、自分用、そして予備の結宝珠を続々と研磨していった。さらに手持ちの布で、他の宝珠たちを磨いていく。時間がないため、せめてもと思い、磨いていった。
磨き終えると、結宝珠を二つ、自分のポケットとバックにつっこみ、残り一つをサートルに渡した。さらに他の宝珠も彼の手にのせていった。
モンスターと遭遇した際、真正面に立つのは彼だ。彼の身を少しでも護るために、残りの宝珠を彼に渡すのは当然だった。
「サートル、私の準備はここまで。あとは森の外を目指そう。結宝珠はかなり気を付けて研磨したから、それなりに効力は高い結界は張れると思う。だからそこまで肩肘張らないでいいよ」
宝珠を所定の場所にしまったサートルが笑みを浮かべる。そしてエルダの横に移動すると、軽く肩を叩いてきた。
「ああ、これで安心して森を抜けられそうだぜ。お前が言い切ったんだからな」
横を振り向くと、はにかんでいる少年の姿があった。それを見たエルダの頬は仄かに熱くなる。そして彼を見て表情を緩ませた。
「そこまで言い切っていないって。何事も最後は心の持ちようでしょ」