第三話 森の番人たち(3)
ふと視界の端に一筋の光が目に入った。目を瞬かせて、そちらに視線を向ける。そこには先ほどまでなかった、光の集合体があった。
サートルはエルダの視線が固まっていることに気づき、そちらに視線を移動した。
目を細めて見ればわかるが、光の中で何かが動いている。
二人で顔を前に出して見ていると、その何かが飛び上がった。それを境に光の中にいる何かが徐々に露わになってくる。
『見えない人間たちに姿を見せるのは、一苦労なことだ』
しわがれた老人の声が聞こえてくる。
エルダとサートルは、その光の傍まで近づいた。そしてそこにいるものを見て、目を丸くする。
三角帽子をかぶった小さな老人がいたのだ。人間に似ているが、尖った耳や鼻、あり得ない等身は、それが人でないことを無言のうちに物語っていた。
小さな老人は顔を上げて、二人をじろじろと見てきた。
『魔宝珠持ちの嬢ちゃんと、これから持つ少年か。その様子だと迷い込んだわけではなさそうだな』
自身の白い髭を軽く触りながら、老人は呟く。
サートルは老人を指で示しながら、エルダに顔を向けた。
「おい、これって何だ?」
「何だろう……。私も初めて見たから、わからない」
手をあごに添えながら首を傾げると、目の前にいた小人は盛大にため息を吐いた。サートルがうろんげな目をする。
「なんだよ、じいさん」
『精霊に対してじいさんとは、わしも随分落ちぶれたもんじゃのう』
「せ、せいれい!?」
エルダは声をひっくり返した。
精霊は相当な召喚能力を持ち合わせていないと、実物化したのを見るのは難しいと聞いている。まだ魔宝珠から召喚をしたことがないエルダだが、自分がそこまで召喚能力に秀でているとは思えなかった。
ならば、なぜここに実物化した精霊がいるのだろうか――状況が読めず、脳内が混乱してくる。
固まっているエルダの横で、サートルが精霊を指で突こうとしていた。体はとっさに動き、彼の指を遮るようにして手を出す。指は寸前で止まった。
「何するんだよ」
「サートルこそ何しているの精霊に対して! 失礼でしょ!」
「珍しい生き物だから、何かなって」
エルダは唖然として、サートルを眺めた。
万物を司る四大元素の精霊たち。その精霊がいたからこそ、この大地に生き物が生まれたという。すなわち人間よりも遥かに上位の存在なのだ。
その精霊の重要さを知っていれば、相手側の機嫌を損ねるようなことは絶対にしないはずである。
そういえばサートルは歴史関係の授業は、軒並み寝ていたのを思い出す。精霊に関しての授業も爆睡していたのかもしれない。
『非常識な子供もいるもんだ。せっかく道を教えようと思ったのに』
精霊は首を横に振って、エルダたちに背を向けた。
聞き捨てならない台詞を聞いたエルダは、声を発して精霊の動きを止めようとする。
その前にサートルが両手で精霊を掴もうとした。しかし精霊に触れることはできず、手は空を切った。
小人の精霊は軽くこちらに振り返った。
『小僧、わしのことを手で掴めると思っているのか?』
「目に見えるから、もしかしたら掴めるかなって……。掴めないのは知っていたけど……」
『馬鹿なのか大物なのか、わからんな』
肩をすくめた精霊は体を再びこちらに向けて、今度はエルダだけに視線を送った。すると目を丸くされて、さらには頭を下げられたのだ。
「え、ちょ、精霊さん?」
『大樹がこの地上にない中、魔宝珠の能力を限界まで引き上げてくれる細工師たちには感謝している。ありがとう』
その姿を見て、エルダは手を伸ばすのをやめた。屈み込んで表情を緩ませる。
「こちらこそ、いつもありがとうございます。精霊さんたちがこの大地で頑張っているおかげで、私たちは加護を失わずにすんでいると聞きました。少しでも精霊さんたちの負担を減らすために、引き続き善処させていただきます」
にっこり微笑むと、精霊は優しい目でエルダのことを見た。厳しさにも、どこか優しさが感じられる瞳だった。
機嫌が治った精霊はその場に座り込み、こちらにも座るよう促してきた。
『路頭に迷われるのも迷惑な話じゃからな。森の外に出られる道を教えてやる。少し話が長くなるから、座って話そう』
その言葉に従って、二人も草木の上に座り込んだ。
『さて、結論から言うと、ここから人間たちが使っている道までは、さほど遠くはない』
「なら早く教えてくれよ。どうして話が長くなるんだ?」
サートルが腕を組んで精霊に問いかける。小人の精霊は、背後に続く森に視線を送った。
『循環が狂っているせいで、モンスターが現れたり消えたりしているからじゃ』
「現れたり、消えたり?」
エルダは言葉を繰り返すと、精霊は頷いた。
『今までこの森にはモンスターはいなかった。住処としているのはここより北に位置している、奥深い森の中じゃった。――お主らも聞いたことはあるじゃろう。モンスターと人間は、本来相容れない存在同士ということを。しかしそれが最近変わってきており、モンスターが頻繁に人間たちの目に触れられるようになった』
エルダとサートルはこくりと頷く。モンスターがいるのは知っていたが、しきりに耳にし、目に入るようになったのは、ここ数年である。
「その原因が、さっき精霊さんがおっしゃった、循環が狂っているからですか?」
『土の精霊じゃ』
「え?」
小人は両手を腰に当てて、はっきり口を開いた。
『だからわしは土の精霊じゃ。他の奴らと同じ呼び方をするのはよしてほしい』
この半島には、目に見えない四つの精霊がいると言われている。
一つが目の前にいる、大地を司る土の精霊。
他は、風を司る風の精霊、火を司る火の精霊、そして水を司る水の精霊がいる。
それぞれ特徴的な体格や性格などをしており、人間よりも我が強いと言われていた。他と同列に呼ばれるのは、自尊心が傷つくのだろう。
「失礼しました、土の精霊さん」
『以後はそれで頼むよ。――さて、嬢ちゃんのいうとおり、原因はそれじゃ。本当ならば循環を正すのが最もいい解決策だが、それは非常に難しいことなので、今回はそういうことが根本にあるというのを、念頭に置いておいてくれ』
エルダはすぐに了承の意を示したが、サートルはやや間を置いてから、首を振っていた。
回りくどいことを言われると、理解が追いつかなくなる幼なじみを横目で見ながら、エルダは端的に結論を言ってみた。
「つまりモンスターの出現頻度が読めないから、土の精霊は移動が難しいと言いたいのでしょうか」
『聡い嬢ちゃんじゃのう。わしが言ったあの内容だけで、そこまで言い切るとは……』
「回りくどい言い方をしたりもする、頭の回転が速い師匠にお世話になっていますから」
『もしかしたらヴァランのことか?』
思わぬ名を出されて、エルダは目を瞬かせた。
「ヴァランさんのこと、知っているのですか?」
『あやつの魔宝珠に、わしが直々に加護を与えたからな。元気にしておるか? ここ二、三ヶ月くらい、顔を見せていないが』
「元気ですよ、今日も素晴らしい研磨をしていました」
ヴァランの集中力を目の前で見たのが、遠い昔のように感じられる。
あの事細かに研磨する姿は、誰が見ても、すごいの一言しかでてこないだろう。
『歳だから早く前線から退けと言ったはずじゃがな……。嬢ちゃん、あとで会ったら、こっちに顔くらい出せと言ってくれ』
「わかりました」
土の精霊は頭上に覆われる葉や枝を、目を細めて見た。
『モンスターの移動先は読めないが、ある程度回避することは可能じゃ。それには大きく三つの要素が関わってくる』
指をすっと三本たてる。
『一つが強固な結界を構築することじゃ』
「強固とはどの程度のものでしょうか。私たち、結術士ではありませんし、結界を張る訓練は受けていませんから、期待できるようなものは張れないかと思います」
「エルダ、結界なら俺が張る」
今まで黙っていた少年が座り直して正座になる。彼は真剣な目つきだった。
「自警団の修行で、結界を張る訓練もしている。お前よりは張れるはずだ」
「本当?」
「ああ。訓練っていっても、剣を振る以外にも色々あるんだぜ。結界張りだけでなく、モンスターの特徴を学んだりもしているのさ。――土の精霊、結術士でなくても、効力のある結宝珠と結界を張る訓練をしている人間がいれば、それなりのを張れるって聞いた。小さいけど、俺たちもいくつか結宝珠は持っている。それをエルダが磨けば、いいんじゃないか?」
サートルがズボンのポケットを探り、小さな結宝珠を三個取り出した。
『そうじゃな。ヴァランがとった弟子だ、磨けば手のひら大の宝珠と同程度の効果はだせるじゃろう』
土の精霊にはっきり言われるが、エルダは頷けなかった。
もともと能力がそこまであるわけではない、しかも疲労が相当溜まっている。こんな状況でまともな研磨など――。
突然、サートルに右腕を掴まれた。そして手を開かせられると、その上に先ほどの三つの宝珠が置かれた。
「今のお前ができる範囲でやってくれ。無理しなくていい。結界なんて見つかった時の保険だろ? つまり見つからなければいいんだよ」
エルダにはけっして無理はさせない、と言っている内容だった。悩んでいるのがまるで見透かされているような気分だ。
気を使ってくれる彼に感謝しながら頷いた。
「……わかった。できる限りやってみる」
そして宝珠をぎゅっと握りしめた。
話がまとまったところで、土の精霊はサートルにも視線を向けて、口を開いた。
『二つ目は遭遇した場合の対処方法じゃ。――そっちの坊主、多少は武術に心得があるとみた』
「自警団の鍛錬場に通っている。駆け出しだから、さっきあったモンスターくらいの強さになると、太刀打ちできない」
『さっき会ったモンスターの場合じゃろ? それと遭遇しない方法なら多少ある』
「なんだと?」
『とりあえず今は一時的じゃが、剣を強固なものにしてやる。剣を出してみろ』
サートルは首を傾げながらも、鞘からショートソードを抜いた。露わになった刀剣を地面の上に置く。そして土の精霊がそれに手を触れた。
精霊が手を触れた部分から、光が広がっていく。やがて刀剣の全体が光に包まれると、ぱんっと弾けたように光が霧散した。
土の精霊に促されて、サートルは剣を手に取る。刀剣にそっと手を触れると、目を丸くした。
「温かい?」
『わしの加護を一時的に分け与えてやった。それでさっきよりは対等な戦闘ができるじゃろう』
「ありがとう、土の精霊」
『このくらいお礼を言われる程ではない。――さて、三つ目の話じゃ。これが一番重要になる』
二人は佇まいを正して、土の精霊をじっと見つめる。精霊は白い髭を軽く触りながら、言葉を続けた。
『二人が遭遇したモンスターは、おそらく以前、奥にある森で討伐隊と遭遇したのと同じ奴じゃ』
「は? 俺が話を聞いているモンスターは、もっとでかかったぞ!?」
サートルが精霊に対して食ってかかる。土の精霊は構いもせずに淡々と続けた。
『今回のモンスターが厄介な点はそこにあるんじゃ。……あのモンスター、おそらく人の影響を色濃く受けている』
「人間たちの影響を?」
土の精霊が頷く。
『……どうやってあのモンスターができあがったかはわからん。ただ、わしがこの森で見ている限り、あれは体の大きさを自由に変えられるのは確かだ』
「そんなの初めて聞く話だぜ」
『今までもいたが、人間たちの前にはでてこなかっただけじゃろう』
モンスターは依然として謎に包まれている。何から生まれるのか、還された後はどこに行くかもわかっていない存在だ。土の精霊の言うような突拍子もない現象を起こしても、おかしくはない。
『モンスターの大きさの変化に関しては、ある一定の法則は見つけた。人が多いと巨大になり、少ないとあの程度の大きさで納まっているようじゃ』
「それって、俺たちのことをどこからか隠れて見て、それに合わせて大きさを変えているってことなのか?」
サートルの質問に対して、土の精霊は首を捻る。
『それはわからない。どちらかといえば、目ではなく、気配を察したんじゃないかとわしは思っている』
「気配?」
サートルの眉間に寄っているしわが、さらに険しくなる。
エルダも眉をひそめた。人間の感覚で言えば、気配よりも視覚で確認した方がはっきりと相手側の素性は認識できる。気配だけで人の数を判別できるはずがない。だがそれは人間側の言い分だった。
「モンスターは俺たちと違って、そういうのに敏感ってことか? なら気配が消せない俺たちは、あのモンスターにすぐに出会っちまうってことか?」
『何もそこまで言っていないじゃろう。昼間に森の中を人間が一人歩いていたが、襲われなかったぞ』
「どうしてだ? その人と俺たちで何が違うんだ? そもそも昼にモンスターがいなかった可能性もあるだろ!?」
「いや、モンスターの気配は薄らとだがあった」
「じゃあ、なぜ――」
「――人間側がモンスターを認識しているか否かの違い?」
エルダがぽつりと呟くと、サートルが怪訝な顔をした。
「どういう意味だ?」
「昼間にいた人は、モンスターがこの森にいると認識していなかった。だからモンスターはその人を警戒する必要がなかった。でも私たちのようにモンスターがいると察している人間がきたら、用心しない? 張りつめている空気をまとっている人がいたら、警戒すると思わない?」
我ながらとんでもない発言をしていると思う。しかしそれくらいしかエルダには思いつかなかった。
「人の感情、特に恐怖に関しては、人から人へ伝染するって聞くでしょう。それが伝わったとか……」
エルダはサートルと土の精霊を見ると、二人して呆然としていた。反応が鈍いので、途端に恥ずかしくなり、視線を下に向けた。
「ごめん、今の発言忘れて!」
「……なあ、土の精霊」
『ああ、坊主……』
二人は見あうと、頷き合った。
「まさしくそれを察知しているんじゃねぇか!? 討伐隊のメンバーにその時の話を聞いたんだ。町を出て、真っ先に出現予測場所に向かったら、そこにはモンスターの気配すら感じなかったらしい。でも、結果として森の奥じゃなくて、もう少し手前側でモンスターと遭遇したんだってよ。まるでなかなか遭遇しないで不気味に思っている頃を狙ったみたいだったって、言っていた」
『あのモンスターと遭遇するのは、モンスターを怖いと認識している奴らばかりじゃ。何も知らずにキノコを採りに来た人間には、誰も襲われていないぞ』
「そうなのか!? ならキノコを採りに来る気分でここにくればよかったのか! ドキドキしながら来たのが逆に仇になるなんて、嫌なモンスターだな!」
サートルは笑い飛ばす。話題を提供したエルダは、二人の会話の弾みについていけなかった。
「えっと、あの……」
サートルははっとして、エルダに視線を向けた。いつも見る、明るい表情だった。
「エルダの言うとおりかもしれないな」
「ただの思いつきで言ったのに、本気でそう思っているの?」
サートルだけでなく、土の精霊も頷いた。
『嬢ちゃんのいうとおり、恐怖というのは生き物たちに伝染しやすい。それを感じることで、身を護る行動にでるからな。だからそれを察するのも容易じゃと思う』
「モンスターが恐怖という感情を察知しているのであれば、私たちの恐怖心を抑えることができれば、遭遇する確率は低くなるのですか?」
『可能性の一つだが、試してみる価値はあるじゃろう』
土の精霊に後押しされると、さらにサートルが肩に手を乗せてくる。一歩近づいたのか、先ほどよりも顔が近かった。
「たとえその考えが間違っていたとしても、俺が全力で護る。だからお前は迷わず走り抜けばいいんだよ」
エルダは真っ直ぐ向けられる彼の空色の瞳を見る。そして自然と唇を緩ませて、首を縦に振った。
「ありがとう、サートル。一緒にこの森を出よう」