第三話 森の番人たち(1)
裏門の前で班長からいくつか注意を受けた後に、エルダとルヴィーは自警団員たちと共に門の外に出て、町周辺の巡回を始めた。
先頭の馬には班長とヘイムスが、その後ろに団員と一緒に馬に乗ったルヴィーとエルダ、そして一人乗りをしている男性とサートルが続いていく。
一人乗りをしている男性は光宝珠を持っており、それを握りしめると、彼を始点として光が広がっていった。五頭の馬を軽々と照らし出す大きさの光である。
既に日は暮れ、光宝珠がなければ進むのが困難な時間帯だっため、先を進む者にとっては、大変助かるものだった。
一方、結界はルヴィーの手により安定して張り続けられている。途中でやや効力が劣っている結宝珠と交換したが、結界の質が衰えることはなかった。
魔宝珠に振り回されてしまう者が多い中、宝珠の力を自分の中に落とし込んで、自由自在に扱える人は珍しい。特に結宝珠は力の上下が激しいため、熟練した人間でないと扱い抜くのは難しかった。
ルヴィーは自分の魔宝珠を持ってから、まだ一年少々という。移動中、魔宝珠を軽く布で磨くしかできないエルダとは、まったく違う次元の人間だった。
「これから東の森の近くを通る。ルヴィー、結界を少し強めてくれ」
「わかりました」
班長の声かけ後、ルヴィーはさらに力を込めた。
周囲にある薄い膜の上から、もう一枚膜がかけられる。その膜はすぐに見えなくなってしまうが、代わりに先ほどよりも周辺の温度の上昇を感じた。この温度上昇は結界を強力なものにしたことを無言で示している事象だった。
自警団員たちの話の端々から察すると、東の森は例のモンスターがいる地帯へと続いている森らしい。さらに北東に進めば、討伐に出かけた場所に辿りつくようだ。
森の中を注意深く見ながら進んでいくと、動いている光が視界に入った。班長もその光に気付き、速度を落として光の主へ近寄る。
近付くと、一人の男が木に背を預けて、足を伸ばした状態で座り込んでいた。彼の脇には無残に壊れた荷台が置かれている。
馬から降りた班長の青年は、膝を地面に付けて男に尋ねた。
「私たちはラウロー町の自警団の者です。どうかされましたか?」
男は寄ってきた人間たちを見ると、ほっとしたような顔つきになった。
「よかった、誰か来てくれて。最近街道の人通りが少ないから、今夜は野宿だと思っていたところだった」
「様子から察すると、足を折られたんですか?」
班長は男の右足を指で示す。男は頷き、沈痛な面もちで森の中に顔を向けた。
「ああ。二人で馬を走らせていたら、突然馬が暴れだしたんだ。その衝撃で俺は振り落とされて、地面に叩きつけられた」
「二人? もう一人の方は……」
「森に入った馬を追いかけに行った」
「それは本当ですか? こんな時間帯に森に入るなんて……」
「危ないからやめろって、俺も止めた。だが馬に括り付けられた袋に、わけありの物が入っていたらしくて、それを取り戻しに行っちまったよ」
班長は目を細めて、森を見る。
「いつ頃入ったんですか?」
「夕暮れ時だ。日没までに町に入れるだろうと見込んで移動していた」
彼の言い方からすると、その人が森に入ってから、一、二時間経過していることになる。今から探すのであれば、こちらも危険を承知で行くしかない。だが場所の検討がつかない状態で無闇に探し回るのは、二次的な被害を及ぼす可能性がおおいにあった。
何かいい案はないかと思案していると、蜂蜜色の髪の少女が足を折った男の前に出てきた。
「ねえ、おじさん、その人、結宝珠は持って行った?」
「持っていると思う。あいつは胸ポケットに常備しているはずだ」
「そう、わかった」
ルヴィーは自身の魔宝珠に触れてから、班長に向き合った。
「あたしの結界は薄く広範囲にも張れます。それを利用することで、結界を張っている人間の場所を、ある程度把握することができます」
「つまりどこに行ったかわからない人間を、探すことができると言うのか?」
ルヴィーは軽く頷いた。
「ですが残念ながら、絶対というわけではありません。洞窟の中に入っていたりすると、感知できない場合があります。その点をご了承頂ければと思います」
ルヴィーは森の近くまで歩み寄り、魔宝珠を手に乗せて、目を閉じた。そして静かに呟く。
「我が結界よ、広がれ――」
ルヴィーを中心として、うっすらと靄のようなものが出てくる。それに触れたエルダは僅かだが冷気や熱気のようなものを感じた。
さらに彼女の周囲には風が吹いているのか、髪が揺れている。地面も微かだが揺れているように感じた。
言葉には表せないが、彼女の周りには何かいる。そう――エルダの直感はいっていた。
やがて数分後、ルヴィーは目を開けると、唐突に前に倒れ込んだ。それを真っ先にヘイムスが気づき、彼女を受け止めた。
ルヴィーの呼吸が速くなっている。肩が激しく上下していた。ヴァランが磨き終えた直後の様子とよく似ている。力を出し切ったという感じだった。
彼女はヘイムスから体を離して、班長と男に視線を向けた。
「……見つけました。結宝珠を持っている人間を。一人しか感じられませんでしたから、おそらく探している人間かと思います」
「場所はどこだ?」
指で森の左奥を示す。
「ここを真っ直ぐ進んだところに、とても大きな広葉樹があります。一際大きいのでわかるはずです。その人が動かなければ、しばらくその下にいると思います」
ヘイムスは班長と顔を合わし、頷きあう。
班長は魔宝珠を取り出して、サートル以外の自警団員に視線を送った。
「俺たち四人で森の中に入る。場所がわかったのなら、多くの人員を費やす必要はない。――ヘイムス、彼女たちを頼んだ。状況によっては町に戻れ」
「わかりました。モンスターはいない地帯と言われていますが、くれぐれも気を付けてください」
四人はそれぞれ魔宝珠から、ショートソード、槍、双剣、弓といった武器を召喚する。どれも手元の部分は、使いこまれたのか、握りしめられた跡が残っていた。
四人で簡単な打ち合わせをすると、ショートソードを召喚した班長を先頭にして、森の中に踏み入れた。彼らが持っている光宝珠の光は徐々に小さくなり、やがて闇の中に消えていった。
彼らを見届けたヘイムスは、地面に視線を向けているサートルの肩に手を下ろす。彼はびくりと肩を震わせた後に、ズボンを握りしめた。
「……すみません、ヘイムスさん」
「焦らないで。君は強くなるよ。だから今はその悔しさを噛みしめよう」
己の中から沸々と湧き上がる想いに対して、必死に耐えるサートル。それは一ヶ月前までは、見なかった様子だった。
彼は昔から思いついた言葉を、中身を吟味せず発し、思うがままに行動をしていた。良くも悪くも、自分に素直に、自由奔放に動いていた。
しかし自警団の中に深く足を踏み入れるようになってから、彼の行動が変わってきている。
他人から納得できない言葉を出された際、すぐに言い返すのではなく、少し考えてから意見していた。気の進まない任務であっても、上からの指示に従って動いていた。
つまり一人で勝手に動くのではなく、相手の言葉に耳を傾けて動くようになったのである。
それは自警団、さらには騎士団といった集団で生きていくには、必要なことだった。
彼が進みたい道に必要な要素を、着実に身に付けている。もっと力をつけることができれば、思いもよらぬ新たな道が見えてくるかもしれない。
サートルの横顔をぼんやりと見ながら、エルダは汚れている結宝珠磨きを再開した。用心を重ねて、できる限り多くの宝珠を磨いていく。
その作業を続けていると、不意に頭痛が走った。布を置いて、こめかみに左手を添える。痛みは治まるどころか、一定の間隔を置いて、何度も痛みを発し始めた。
「おい、エルダ、どうかしたか?」
最初にエルダの異変に気づいたサートルが聞いてくる。なるべく平静を装ったはずだが、彼には丸わかりだったらしい。
「何でもない……」
そう返事をした途端、ウェストバックの内部が光り出した。中身を探って、光を発している結宝珠を取り出す。
それは先頭を走っていた班長の青年が持っていたものだ。途中で効力がなくなったため、エルダが預かっていたのである。
光るはずがないものが、光っている。それが何を意味するのか、エルダの経験則からは即座に判断ができなかった。
だから学んだ知識をかき集めて、思考を展開した。
宝珠はまるで己を主張するかのように光っている――。
宝珠が人の手を加えないで光る場合は、たいていが精霊の力によるものだった。どの魔宝珠でも、微力ながら精霊の力が込められており、その残滓が反応して光るのだ。
エルダはおもむろに、その宝珠を軽く握りしめる。すると宝珠から一本の光の線が出てきた。驚く間もなく、それは森の奥を示すと消えていった。
この光が指し示した先に、何かがいるのではないか――そう思ったエルダは森へ足を向けた。
そして進もうとすると、不意に左腕をきつく握りしめられる。振り返ると、眉をひそめたサートルが傍にいた。
「どこに行くつもりだ」
「森の奥に何かいる。それを班長さんたちに伝えないと……」
「何かって何だよ。そんなあやふやな考えだけで、動こうとするな」
「そんなことわかっている。でもこの宝珠に残っている精霊の残滓が言っているの。もしかしたら班長さんたちの身に危険が――」
その時、突如森の奥から咆哮が聞こえてきた。
森の入り口にいた一同は、視線を森の中に向ける。
「な、何、今の……?」
ルヴィーが腰を引き気味にして呟く。
「まさかあのモンスター……?」
エルダ、サートル、ルヴィーの顔が、言葉をこぼした青年に向けられる。眼鏡をかけた青年の顔は引きつっていた。
サートルは森をちらりと見た後に、ヘイムスに視線を戻した。
「ヘイムスさん、今のはこの前の討伐戦で戦ったモンスターなんすか?」
「いや、わからない。ただ似ていたから……」
空色の瞳が、再度森の中へ向けられる。目を閉じて耳を澄ます。先ほどよりも小さいが、咆哮が何度か聞こえた。
やがて閉じられた目が開くと、彼はエルダの手を軽く握りしめた。
「班長たちがいるところ、わかるんだな?」
「だいたい……。たぶん光が示してくれる」
エルダの言葉に呼応するかのように、持っていた結宝珠は光った。
「なるほどな。……今からエルダは班長たちに会いに行くつもりなんだな? それなら俺を連れて行ってくれ。モンスターはさらに奥にいるだろうけど、急がないと班長たちと接触するかもしれない」
握りしめる手がややきつくなる。
目を丸くしていたエルダだったが、サートルの曇りのない瞳を見て、決意した表情で頷いた。
「わかった、行こう」
エルダは後ろで強ばった表情をしている少女と青年たちに向けて、口をはっきり開いた。
「二人で班長さんのところに行ってきます。お二人はこちらでこの方と一緒に待っていてください」
「エルダさん、サートル君、それは危険すぎる! 班長たちのことは待つんだ! 彼らだって何度も修羅場を掻い潜ってきている。何かあったらすぐに逃げるさ。二人が行く必要なんてないだろう!」
ヘイムスの言うことはもっともだ。まだ剣の使い方も道半ばの少年と、力もない少女だけで、闇で溢れる森の中に入るべきではない。
しかしそれに対しての反論は、エルダの中では決まっていた。
ウェストバックから磨かれた結宝珠をとりあげる。
「班長さんたちが持っている結宝珠は使いかけが大半。何かあった場合、たとえばモンスターと対峙したら、あれだけではもちません」
エルダの発言を受けたヘイムスは、愕然とした表情をした。
四人は何個か結宝珠を持っていたが、ヘイムスたちが遭遇したという強力なモンスターと出会えば、間違いなく途中で結界の力が途切れる。町で最も優れた結術士であるティルグの結界を破った相手に対して、中途半端な力しか残っていない結宝珠では対抗できるわけがない。
「先ほど私の手元にある結宝珠はいくつか磨きました。万が一の時に備えて、班長さんたちと合流して、それを渡したいのです。そうすれば状況は多少良くなるはずです」
「たしかに結宝珠はあるに越したことはない。でもね、君たちが班長たちと会う前に、モンスターと遭遇したら、どうするつもりだい?」
声が詰まったエルダに代わり、サートルが前に出てきた。
「出会ったら真っ先に逃げるさ。ヘイムスさん、俺の危機察知能力は高いの知っている? 団長にも褒められたんだぜ。逃げることに関しては人並み以上に敏感だから、安心してくれ。――エルダ、行くぞ」
「ええ」
結宝珠を持ったエルダは、光宝珠とショートソードを手にしたサートルと共に、ヘイムスたちに背を向けて、森の中に入った。待ったの声がかかるが、それに応えずに突き進んだ。
黙々と森の中を突き進んでいると、周辺の明かりが見えなくなった。月の光は雲で遮られてしまったため、光宝珠以外の明かりは期待できない。サートルが光の量を適切に調節してくれなければ、進むのも困難だっただろう。
「エルダ、どれくらいで着くかわかるか?」
「もう少しだと思う。森に入って、この宝珠から光が周期的に出ているの。その間隔が徐々に短くなっているから、近いはず――」
ふと全身に寒気が走った。エルダは木に手をついて、その場に立ち止まる。止まり損ねたサートルが少し前に進んだ。
「ん? おい、どうした?」
サートルが眉をひそめて振り返ってくる。エルダは胸の辺りの服をきつく握りしめた。
「ねえ、ここら辺、何かいない?」
「何かって――」
サートルの真後ろで何かが近づいているのが見えた。エルダは血相を変えて叫ぶ。
「後ろ!」
彼は足下に軽く視線を向けて影を見てから、半回転しながら後退する。
寸前まで彼がいた場所に、長い尾がぶん回された。
「エルダ、光宝珠!」
傍にまで下がったサートルは、自分が持っていた光宝珠を前方に投げつける。エルダは急いでバックから光宝珠を出して、二人を照らす光をつけた。
サートルが投げた光宝珠は見事それにあたり、姿を露わにしてくれた。
まず目に入ったのが、山羊と獅子の双頭、どちらもこちらを見据えている。人の背の高さの二倍ほどある体は山羊のようであり、背中からは翼が生えていた。長い尾はゆらゆらと動いている。
本の中でしか見たことがないが、エルダの記憶がたしかなら、あれはキマイラというモンスターだ。
殺気に当てられたエルダは、言葉が出てこなかった。その横でサートルが舌打ちしている。
「報告とは大きさが違う。まさか子とかか? どっちにしても俺だけで、どうにかできる相手じゃねぇ。逃げるぞ」
サートルは固まっているエルダの手を取って、走り出した。
キマイラが後ろから地面を揺らしながら、追いかけてくる。
状況が飲みこめないエルダだが、手から通じるサートルの温もりだけは感じ取れていた。
闇に包まれた森の中を僅かな光だけで、少年少女は逃げていく。その小さな光の後を巨体が通過していった。
足がもつれそうになると、サートルが引っ張ってくれる。エルダは必死に彼の負担をかけまいと、足を動かし続けた。
追ってくるキマイラを気にしながら走り続けていると、不意に視界が変わった。同時に足元の感覚がないのに気付く。
先を走っていたサートルが目を丸くする。エルダも大きく見開いていた。
二人の足下には――崖が広がっていたのだ。
落下すると思い、エルダはとっさに目を瞑る。その瞬間、体を強く引き寄せられた。
うっすら目を開けると、サートルの顔がすぐ傍にあった。彼の表情は強張っているが、口元には笑みを浮かべている。その顔を見て、少しだけ表情を緩めた。
そして間もなくして、崖から足を踏み外したエルダとサートルは、そこに広がる坂に転がりながら落ちていった。