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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第二章 『激動の一週間』
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第二章36 『村でのひと時前倒し』


 ――スバルにとってその村を訪れるのは、通算で三度目のことだった。


 一度目はラムと訪れ、二度目にはレムと回った村落。領主の屋敷のすぐ側にある村にしては規模が小さく、住んでいるのはせいぜいが三百人前後。元の世界の地元の小学校よりずっと少ない。


 それほどちっぽけだとわかっていながら、しかし今のスバルにはそんな村の大きさすら手が回らないほど大きなものに思えた。

 三百人前後、などと簡単にいっても、その全員を調べて回ることなど不可能だ。ましてや時間は、楽観的に考えても今日、明日しかない。


「それにしても、ずいぶんと早く仕事が終わりましたね」


「バルスが気味悪いくらい冴え渡ってたのよ。なにがあったやら」


「ふふん、俺の中の眠れる潜在能力が開花したんだろ。ラムちーも変に照れずにストレートの褒めていいぜ。ただし惚れるなよ!」


 午前中の仕事内容を高く評価され、かなり有頂天なスバル。

 午後の買い出しを確実なものとするため、必須の仕事を終わらせるのに全力を傾けた結果だ。これまではそうやって意気込んで打ち込むと空回りすることも多かったのだが、不思議と今回は肩の力が抜けていたのか自然体で挑むことができた。

 自然、エミリアの膝の感触が思い出されて耳が熱くなる。


 ――リラックス、させられたんだろうなぁ。


 虚勢を張ることをあれほど強制された双子との接触にも、今はそれほど精神的な影響は感じられない。

 多少なりの緊張感こそ残っているが、それはいい意味でスバルの覚悟を後押しし、締めつける結果となっていた。


 故に、前言通りの両手に花状態で村を散策しながら、スバルの心情は『震えが始まらない程度』には穏やかだった。

 それは二人へ相対する気持ちの問題でもあったが、同時に村で行動する上での緊張感という意味でも。


 ――妙な態度で、問題の人物に気取られるのだけは避けなくてはいけないのだから。


 昨晩のベアトリスへの質疑応答で得た、呪術師が呪術をかける条件――それは、対象との肉体的接触だ。

 呪術師は対象者を呪う前提条件として、一度、その対象に触れるなりの接触行為を行わなくてはならない。呪術師を純粋に暗殺者として考えた場合、これはかなりリスキーな条件だ。


 元の世界の知識で考えるなら、離れた距離から狙撃するだけで事足りる行為に、己の身をさらけ出すリスクを負わなくてはならないのだから。

 その対価を払うからこそ、発動後の絶対の呪術の成就が約束されているともいえるが。

 ともあれ、


「犯人の条件は変わらねぇ――俺が過去に村に訪れた二回で、どちらも遭遇してる村人に限られる」


 そして、その人物がこの数日以内の外来の存在であればほぼ確定だ。絞り込みは容易に行われる。

 こじんまりとした村の景観を眺めながら、スバルは己の記憶をフル回転して過去を洗い出す。が、どう頑張っても村で出会った全ての人物を把握することはできない。

 これまで屋敷の中に向いていた目を急に外に向けたのだ。ほぼ除外していたラインだけに、古い記憶を探るのも一苦労なのである。


「とりあえず記憶にあるのは……『若返りババア』と青年団。『ラムレム親衛隊』と『ムラオサ』と、ガキ共ってとこか」


 村の中で特に印象深いのがこのあたりの面子になる。


 『若返りババア』は見上げたセクハラ根性のババアで、好色そうな笑みを浮かべてスバルの尻をまさぐっていったのが記憶に新しい。なんでも、若い男を見つけてはセクハラをかまし、「若返る若返る」などとほざいているとか。


 青年団はそのまんま、村の若者で結成された集団だ。角刈りの体育会系っぽい声のでかい兄ちゃんがリーダーで、肩をバシバシと叩いてくるのがインドア派のスバルにはやたらきつかった。


 『ラムレム親衛隊』は便宜上そう呼んでいるだけで、実際に当人たちが名乗ったわけではない。一見、青年団によく似たメンバーで構成されていて、角刈りのリーダーが統率している。ラムとレムに親しくする男が気に入らないらしく、肩をバンバンと叩かれてスバルも嫌がらせに顔をしかめたものだ。


 そして『ムラオサ』は、背の低くて腰の曲がったお爺さんだ。頭頂部が禿げていて、代わりに角のように左右から白髪がみょんと伸びた特徴的な髪形をしている。立派なヒゲも真っ白であり、鋭い眼光も合わせて見た目は完璧に『できる村長』といった雰囲気の村民である。別に村長をやっているわけじゃなく、村長っぽい風格を持っただけの人物。故に『ムラオサ』などと生温かい呼び方をされているらしい。「最近の若いもんは!」などと言いつつ、こちらをビシビシと突いてくるので扱いに困る傾向にあった。


「こうして思い出すとアレだな……ちょっと全員怪しすぎるだろ。さりげなく全員が俺と接触してるじゃねぇか。この四択……っていうか、実質的には三択だけど」


 選択肢的には二番と三番が統合されるので、自然と三択へと収まりがよくなる。とはいえ、判断材料はそこまでだ。それ以上を踏み込むには、やはり――、


「今回も同じ場所に踏み込んでみる、しかねぇか」


 結論としてはそうなる他ない。

 いちいち、体当たりな方法しか見当たらない自分にスバルは嘆息。と、そんな彼の物憂げなため息に、


「どーしたー、スバルー」「お腹痛いのー?」「お腹減ったのー?」


 立て続けに反応する声は、スバルの上から届いた。

 首をめぐらせ、スバルは後ろ――自分の背中あたりにしがみつく、小さな人影を見やる。


 茶髪を短く揃えた少年だ。年齢は十歳に満たず、小学校低学年くらいだろう。スバルの視線ににへらと笑う少年。そして、それ以外にもスバルの足や腰には小さな影がまとわりついている。


 いずれもスバルの腰あたりまでしか身長のない、小さな子どもたちだ。その数はスバルにしがみつく子だけで四名、そして周囲を見渡せばざっと十名には届くだろうか。


 鍛えていた身にはさして重くない体重を背負い直し、スバルは「さて」と前置きしてから、


「お前らは時空を越えても俺に絡みにくるな……」


「なに言ってんだー?」「頭ぶつけたー?」「お腹壊したー?」


「執拗に腹痛に拘るな。なんだお前、俺をそんなに下痢ピーにしたいのか」


 スバルがそう言うと、子どもたちが一斉にけらけらと笑い出す。おそらくはネタとして面白かったというより、普通に『下痢ピー』の部分に反応しただけだろう。

 純粋に下の話をする方が、この年頃の爆笑を誘えるのは世界移動しても共通らしい。


「そして、むやみやたらにガキに絡まれる性質も変わらず、と」


 背中に上った子どもに頬を引っ張られながら、スバルは自分の体質の残酷さに肩を落とすしかなかった。

 コミュ障が生む絶対ぼっちの力に対抗する矛盾の力、『絶対ぼっちの力(ただしガキ共は除く)』の本領発揮である。


「なんでか昔っからガキとお年寄りにはわりと受けいいんだよなぁ。正味、俺はこの世でたったひとりに受けが良ければそれでいいのに」


 体を回して背中に乗せた子どもをあやす。

 きゃいきゃいと嬌声が響き、「次はオレオレ!」なんて声が乱舞するのを聞きながら、スバルは子どもを引き連れて村を練り歩く。


 現在、スバルはひとりで自由行動中だ。

 実際にはひとりではないし、あちこちしがみつかれているせいで不自由行動もいいところなのだが、ラムやレムと同行していないという意味では自由行動中である。

 共に村へ訪れたメイド姉妹は、


「姉様、姉様。手分けして軽いものだけ集めてしまいましょう」

「レム、レム。重くて持ちづらいやつはバルスに任せましょう」


 などと後々に気が滅入る発言を残し、せかせかと買い出しに散ってしまったのだ。

 おそらく、村を見てみたいといったスバルに対する気遣いなのだと思うが、どちらか片方は残っていてほしかったというのが本音。そうすれば子どもにまとわりつかれる事態も、


「超緊張しながら容疑者挨拶回りしなくて済んだってのに」


 冷や汗を掻きそうな思いをしながら、スバルは己の判断を改めて口にして難易度を確かめる。

 呪術師の探索において、スバルが選んだ手段は非常に簡単。


 ――自らの身を囮に、呪術師自体を誘き出すというものだ。


 といっても、「さあ、殺してください!」と身を差し出すわけではない。その前段階、つまり呪術の術式を刻まれる段階にあえて踏み込もうと考えているのだ。

 非常にリスキーな判断である自覚はある。それはつまり、その気になれば呪術師が呪術を発動させた瞬間、スバルを待つのは衰弱死へのカウントダウンということになるのだから。


 自分からまな板の上に飛び乗り、職人の包丁が振り下ろされるのを待ち構える鯉――その立場になるのが今のスバルの狙いだ。

 まな板の上に乗らなければ、見えない職人の顔を見るために。


「少なくとも、術式自体はベア子が解けるって話だしな」


 呪術の術式解除はベアトリス、そしてパックにも可能という話だ。後者の場合は自然とエミリアを巻き込んでしまうため避けたいが、ベアトリスが非協力的な場合にはその手段もやむをえまい。


「スバルー、悪い顔―」「恐い顔ー」「変な顔―」


「人の面指差してなにを言うんだ、お子様方。プラスしてさっきっからちょいちょい聞いてんぞ、三番目」


 突っ込みを入れながら、子どもたちを引きずって村を散策。

 離れようにも離れないし、容疑者たちを探す上でのナビゲーションとしてそれなりに優秀でもある。

 なにより、村で騒ぎを起こすわけにいかない刺客にとって、これだけ大勢の子どもを連れて歩くスバルに危害を加えることなどできるはずもない。弾避けとしての意味合い、そんな打算。


「俺もだいぶあくどいな。自分で自分の思考に引くわ」


「スバル、どうしたー」「どったのー」「ボケたのー?」


「んやぁ、別に」


 両足のあたりを掴む子どもたち、その頭を撫でながらスバルは自嘲的に笑い、


「ま、俺の幸せのためだ。ちっとぐらいは協力してくれや、な?」


 そう言えばもともと、子どもなんか好きじゃなかったなと思う。

 うるさくて、馴れ馴れしくて、身勝手で。


 ――自分と同じに思えるから、そんな風に思うのかもしれない。



※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「そろそろ自由時間も終わりだからって見にきてみれば……」


 桃色の髪に手を差し入れ、ラムは呆れたようにそう嘆息。

 スバルはそんな彼女の視線を受けながら、腕を大きく回し、


「別に変なことはしてねーべ? っと、わり、もうちょいだから。――おっし、腕を振って足を曲げ伸ばす運動!」


 のびのびとダイナミックに体を動かし、凝り固まった体の筋をほぐしにほぐす。スバルの動きを真似して、子どもたちも同様に、そしてそれを取り囲んでワンテンポ遅れてついてくる老齢の集団や青年団の姿もある。


 最後に深呼吸を行い、全員で息を整える。

 それから締めの一発として両手を空に伸ばし、全員で声を揃えて、


「――ヴィクトリー!!」


 やり切ると歓声が上がり、思わず周りの人たちと手を打ち合う。わずかに汗のにじむ額を拭い、歓談する輪を抜けてラムの下へ。爽やかな様子のスバルと対照的に、ラムは冷め切った目をこちらに向け、


「それでこれはなんの余興?」


「余興て、そんなだいそれた話じゃねぇよ? じゃりんこ共をまとめてあやすついでに、見てた大人が悪乗りしてきただけだから」


 遊べ構え認知しろ、とうるさい子どもたちを一斉に相手するための手段がラジオ体操第二。思い起こせば一介のラジオニストとして活動したのは初回だけであったし、この機会にと公開に踏み切ったのだ。


「まぁ、思った以上の好評で俺もビビったけど。やっぱこの子どもからお年寄りまで幅広く楽しめる感じが長年支持され続けている秘訣なのではないでしょうか!」


「知らないわよ」


「ばっさりきやがったよ!」


 すげないラムの応答にスバルが大仰にのけ反ると、それを見ていた子どもたちもスバルのリアクションをなぞってのけ反り、


「ラムちー、冷たい」「ラムちー、ひどい」「ラムちー、恐い」


「……この子たちにその呼び方を教えたの?」


「いやぁ、別に意図して教えたわけじゃ。でもやっぱ親しみやすさって大事じゃん? 距離が遠くちゃ相手の顔もよく見えない。……そんなのって、寂しいと思ってさ……俺、思ってさ……っ」


「よくも回る口だこと。ラムはそれほど気にしないけど、レムはそういうの嫌がるかもしれないわ」


「レムりん?」「レムりん」「レムりんりん」


 子どもたちが口々にそう言いながら首を傾けるのを見て、ラムはもはや諦めたかのように肩をすくめた。

 それからスバルに向き直り、


「それで、お望みの村は堪能したの?」


「――ああ、その点に関しちゃ、滞りなく」


 ラムの質問に応じながら、スバルは己の頬を笑みの形に歪めた。


 村の散策、とは名ばかりの容疑者たちとの接触――それ自体はスバルの思惑を乗り越える形であっさりと叶った。

 もともと目立つ面子であったこともそうだが、そもそも彼らの方もスバルへ接触したいという意識があったからだろう。探すまでもなく顔を出してくれたので、流れはともあれ肉体的接触に関しても前回と同じかそれ以上にあった。


 もっとも、意識して体に触れられるのを避け、主だった名前有りキャラ以外が容疑者に浮上しないよう細心の注意を払ったが。


「手を変え品を変え、避けに徹する俺の軟体術を見せてやりたかったぜ。……じゃりんこたちぐらい数囲まれるとどうしようもないけど」


 いまだに体中にまとわりついている子どもたちに嘆息。一度避ければまあ諦める大人陣営と違い、子どものバイタリティには頭が上がらない。

 とはいえ、ラムが迎えにきたとなればその若さともお別れだ。

 スバルは別れの名残惜しさをいっぱいに瞳に浮かべて、


「じゃ、俺は仕事あっから離れろ、お前ら。いやぁ、残念無念。もっと時間があればもっと遊んでやったのに。はは、残念」


「爽やかにー」「笑いながらー」「そんなに嬉しいかー」


「うっさいわ! ちゃんと構ってほしけりゃお前らも年上に対する接し方を考えろ! 子どもから初対面でタメ口って、自分の客観的人間力の低さがわかって凹むんだよ!」


 そして子ども相手に怒鳴ってしまい、自分自身でも己の人間力の低さを痛感する。負のスパイラルである。


 ぶーたれる子どもたちに手を振って、スバルはレムとの合流を急ごうと視線で合図してくるラムに続く。が、歩き出す直前に袖を引かれた。首だけ振り向くと、茶色の髪のお下げの少女が恥ずかしげにスバルを引き止めている。


「お?」


 思わず、驚きの声がスバルから漏れた。

 さっきまで積極的に絡んできていた面子と違い、少女は一歩引いた位置からちらちらとスバルをうかがっていた子だったからだ。

 しゃがみ込み、俯くその子に視線を合わせて、


「どした? 言いたいことがあるなら聞くぜ?」


「えっとね……こっち」


 袖を引き、少女が指差すのはレムとの待ち合わせの反対方向だ。

 弱々しいその牽引の手を切るのも気が引けて、スバルは許可を求めるようにラムを見る。彼女は小さく吐息して、


「もう少しだけ、勝手にしたら?」


「うぃ、恩に着ます、先輩。んじゃ、なんだろな」


 手を引かれるまま少女についていく。

 彼女を先頭に、ぞろぞろと続くのはやはりさっきまでと同じ子どもメンバー。彼らは目的地がわかっているのか、一様にその顔に悪戯っぽい笑みをたたえて小さい声で囁き合っていた。


「絶対驚くって」「絶対喜ぶって」「絶対嬉ションするって」


「驚いて喜んで嬉ションって躾のなってない子犬か、俺は。そんだけ期待値上げられると逆に驚きたくない天の邪鬼な俺が……」


 子どもたちがくすくすと笑い合うのに押されながら、家と家の間を抜けて日の当たらない一角へと入り込む。

 そして、子どもたちが見せたがっていたソレを発見し、


「あーあー、そういえばこのイベントもあったよなぁ」


 納得の声が思わず出て、スバルは手を叩いて何度も頷く。

 こちらの手を離し、駆け出した少女。少し大人しめな彼女が息を弾ませ、ソレを腕に抱いてスバルの前へ戻ってくる。


 それは褐色の体毛をした『子犬』っぽい生き物だった。

 まだ生後間もないといった様子で、体長はいっぱいに体を伸ばしても三十センチに届くまい。

 つぶらな瞳に柔らかそうな体毛と、それはスバルのモフリストとしての血を騒がせるには十分すぎる魅力を備えていた。


 スバルの意思を無視して腕が伸びかけるが、どうにかそれを自制して長い息を吐く。

 子どもたちに囲まれてちやほやされ、まさに王様気分の愛玩動物。だが、今までの経験上――、


「ふかーっ」


「やっぱりこうなるか……」


 スバルが歩み寄った瞬間、全身の毛を逆立てて威嚇してくる。

 小さな体をめいっぱい警戒させる姿に、子どもたちも驚いたような顔で、


「いつもは大人しいのにー」「スバルにだけ怒ってるー」「なにやったんだよー、スバルー」


「それは俺が聞きたい勢いだよ。三度が三度、これだと単純に俺とこいつの相性って話なのかねぇ」


 子どもたちのブーイングに応えながら、スバルは一向に友好的にならない小動物の様子を観察してみる。

 特に理由がないのなら、この小動物との遭遇も三度目になるだろう。まったく同じ個体との接触で、これだけ同じ反応を返してもらえるとループしてきた甲斐もあるというものだ。どういうわけか、スバルの体験するループは前回と全く同じ、という轍をなかなか踏ませてくれないのだから。


「でもできれば同じ反応するなら友好的な反応だと嬉しかったりしたなぁ、俺」


 三度が三度、嫌われているとなると純粋に凹む。

 愛想笑いしながら媚びを売るスバル。と、ふいに子犬が警戒を解いたように身をほどく。お下げの少女の腕の中で身を丸める姿に、スバルはこれはチャンスと息巻いて歩み寄る。


「では、失礼して」


 パックで上げたモフリングの腕を、丸まる小動物へ全力で傾ける。

 まずは小手調べに頭と背中、ついで腹の感触を確かめ、手足の先から付け根など玄人好みの路線を責める。最近のマイブームである耳と尻尾は後半のお楽しみに。


「うぉう、さすが夢にまで見たモフっ子。なかなかのモフリーケーションじゃねぇか。でもやっぱ野良は多少毛触りに難ありだな。そこは毎日のブラッシングと愛情が決め手」


「スバルがなに言ってんのかわかんねー」「モフっ子? もふりー?」「大人が子犬相手にでれでれとか、ちょっと引くー」


「さっきっから三人目がいちいち容赦ねぇな!?」


 三番目担当の栗毛の美少年が、スバルの突っ込みに無邪気に微笑む。そこだけ切り取れば天使、それが彼を増長させたに違いない。


「将来はどんだけ女の子を泣かせることか。……それはそれとして、やっぱモフリングはいいわー、人類が生み出した文化の極みだよ」


 柔らかな手触りにささくれ立った心を癒されながら、スバルはモフリングの持つ不可思議な魅力に囚われる。

 猫カフェなどが流行るのも道理だ。本来なら衛生的に考えて、猫とカフェの融合など誰が思いつくといえるのか。発案者は群を抜いて優秀なモフリストといえよう。


「モフっ子とモフリストは惹かれあう運命にあるわけだな。俺、詩的。そしてお前は超素敵。とはいえ、ちょいちょい気になる箇所あんな。おっと、頭頂部に十円……いや一円ハゲ見っけ。白っぽくなってっけど、お前どこにぶつけ――あいたー!」


 コンプレックスを指摘されたのがポイントだったのか、それまで大人しくしていた子犬が突如として牙を剥いた。

 がぶり、と左手に小さい犬歯が食い込み、慌てて引き抜くと手の甲を軽く血が伝う。

 スバルは「あいやー」とその傷口を見ながら、


「なんというイベント補完率。傷の位置までほぼ同じとか、ひょっとしてお前、タイムリープしてね?」


 血のにじむ傷口を軽く拭っての問いかけに、完全に警戒心が戻ってしまった小動物は威嚇の音しか返してこない。

 再び溝の開いたひとりと一匹のやり取りに、それを傍観していた子どもたちが、


「やっぱ調子乗ったからー」「あれだけ勝手に触られたらねー」「それにこの子はメスだしねー」


「微妙に問題点がずれてく気が……そして誰も俺の心配をしてくれない。そろそろデレるツンデレが出てきてもいい頃だよ!」


 子どもたちの態度に一言物申すが、誰ひとり耳を傾けない。それどころかスバルが大きな声を出したからだろう。

 びくっと体を震わせた子犬が、少女の腕の中から身をよじって飛び出し、そのまま茂みの方へと駆けていってしまう。


「あーあー」「あーあー」「あーあー」


「ついに全員でひと揃いかよ! 悪かったよ! 悪気はなかったよ! いつもそうだよ!」


 地団太を踏み、ひとしきり謝って、それから子犬を探しにいくという子どもたちと手を振って別れる。

 最後まで盛大にスバルの体のあちこちにその痕跡を残していった彼らと別れ、待たせていたラムのところへ慌てて戻る。


「悪い、待たせた」


 腕を組み、塀に背を預けていた態度のでかいメイド。彼女は声をかけてきたスバルに片目だけ開けて視線を向け、


「すぐ済むだろうと思って送り出した後輩が、戻ってきたら髪はぐしゃぐしゃ、服はよれよれ、そして左手から血を流してる件について」


「それこそ悪かったよ! 色々あったんだよ、見りゃわかるだろ」


「そうね。視てたからだいたいは知ってるわ」


 端正な面持ちに憂いの感情を覗かせ、ラムは小さな吐息を漏らす。

 そのらしくない態度にスバルは眉を寄せたが、直後にラムはスバルを見ながら「ハッ」と鼻を鳴らし、


「その傷も格好も無様だし、早くレムに合流するわ。どっちもレムなら治してくれるはずだから」


「あれれー、ラムちーは癒しの魔法は使えない系?」


「患部を切り飛ばす荒療治ならできるわよ」


「危険すぎる民間療法!?」


 戦慄を隠せないスバル。と、ふいにラムがスバルに歩み寄り、その袖を引いて先導を始める。

 彼女の方からこうして触れてくるのは珍しい、とスバルが目をまたたかせると、首だけ振り返ってラムは、


「バルス、こないの?」


「いくよ? お前と」


 応じると、ラムがほんの刹那の瞬間だけ唇をゆるめたのが見えた。

 そのまま、彼女に袖を引かれたまま歩き出す。


 いつもこう素直なら可愛いのにと思う反面、いつも自分に素直だからあんな発言ばかりが飛び出すのかもしれないとも思う。

 素直さも、時と場合によりけりだ。


 そんなことを考えながら、ラムと二人、レムを待たせた場所へと足を向ける。

 なぜかゆっくりと、いつもより緩やかに歩いているような、そんな感覚を先導する背中に覚えながら。



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