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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第四章 『永遠の契約』
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第四章127B 『もういいなんて』

 部屋の中には、白い女性の眠る棺以外のものは見当たらなかった。


「それなら、この人が寝てるこれが……結界を止めるための仕掛け、なの?」


 室内を一巡りして出た結論に、エミリアは困った顔で首を傾げる。

 わかりやすいレバーであったり、壊せばいいだけの魔鉱石などはなかった。女性の眠る透明の魔鉱石は淡く光を帯びていて、マナを取り込んでいるのはわかる。

 少なくとも、機能しているのはこの棺だけだ。


「本当に誰なんだろう……ひょっとして、エキドナのお母さんとかかな」


 エミリアに対して不快感を表明していた魔女の顔が思い出される。

 棺に眠る女性と同じく、白い髪に黒い服を着用していた彼女もまた、エミリアの目にも非常に整った美貌の持ち主であったことは記憶に新しい。

 そんな記憶にある魔女の容貌と、眠る女性の容貌はどこか類似点が多い。


 閉じた目の位置や、鼻筋から唇にかけての作り。

 エキドナが十代後半と見られる年頃だったのに対して、棺の中の女性は二十代半ばといったところだろうか。母親よりは、姉と疑うべきかもしれない。


「名前は……刻まれてない。でも、ここがエキドナの墓所だってお話なのに」


 中に入ってみれば、棺の中で眠る女性はエキドナではない。

 墓所の名に偽りありの結果というべきか、そうでないとしたら――。


「この人がエキドナで、夢の中で見たあの子がエキドナじゃない?」


 それはそれは突飛な結論だと、エミリアは自分で言って首を横に振る。

 エキドナ本人の言い分はともあれ、それならセクメトが一言何かを言ってもおかしくはない。それに今さら、あの少女をエキドナ以外の誰かと定義するのはエミリアにとっても難しかった。


「エキドナの墓所なのに、違う人が寝てる……って結論でいいのかな」


 だとしたら、名前を変えなくてはいけないのではないだろうか。

 『エキドナここに眠る』と墓標に書いてあるのに、違う人が寝ているとあっては色々と問題だ。お供え物も、違うものを用意しなくてはいけなくなってしまう。


 だいぶトンチンカンな答えを出しながらも、エミリアは触れずに棺を調べている。

 軽くマナの流れを辿り、どうやら棺全体が墓所や、墓所と通じる大地から微量のマナを吸収し、そのマナを原動力にして何かの術式を動かしている様子だ。

 本当に微量ずつもらっているにも拘わらず、かなり大規模な形での結界運用などが成り立っているのは、その集める範囲があまりにも広いからだろう。


 墓所と墓所に繋がる大地とは、文字通りの意味だ。

 おそらく、結界で閉じている範囲の森は全体がこの墓所の機能を維持するためのマナの供給源とされている。もちろん、供給源に影響が出ない範囲で微量ずつ。


「すごい……すごすぎて、何をしてるのか全然わからない……」


 マナの流れを取り込み、魔法的な機能を維持する術式。

 エミリアにもちょっとした術式ならば書くことができるが、この『聖域』を取り巻く結界に作用する術式の複雑さはエミリアの理解を大きく超える。

 一度、機能を停止してしまえば二度と動かせる気がしない。

 二度と動かす必要なんて、もちろんないのだが。


「あった。たぶん、ここの流れを絶てば、それで供給が止まる」


 マナの流れを辿り、棺を中核とした結界の起動点を見つけ出す。

 棺の中心、中で眠る女性が腹の上で組む両手――ちょうど、その上あたりがマナが流れ込む中心点だ。そこにエミリアがマナで干渉し、術式を乱してしまえばこの墓所の機能は完全に停止する。


「――――」


 一瞬だけ、躊躇いがあった。

 墓所の機能を停止するということは、おそらくは『試練』が始まる機能も損なわれることになるだろう。そうなればそれは、夢の城へ向かう手段を失うことでもある。


 ――エキドナに伝言を頼んだ、お茶会のことも果たされなくなるだろう。


 魔女たちは、少なくともセクメトはエミリアの母のことを知っていた様子だ。

 ぼんやりと、セクメトに対する強大さへの畏怖と共に懐かしい親近感のようなものもあった。それがいったい何を意味するのか、確かめたい気持ちはある。

 それを確かめる手段は、夢の城がなくなれば遠ざかるだろう。それを――。


「――ホント、未練がましいんだから、私」


 呟きと共に指先を伝うマナが、棺に触れた部分から微弱な流れを掻き乱す。

 『聖域』の機能を維持し、結界を成していた力の流動に変化が生じた。それは術式の根源的な部分に干渉し、ささやかな変化が伝ううちに膨大なものになる。

 やがて光の粒子が溶けるように消失し、魔鉱石の棺からも術式の気配が消える。ふっと抜けるように光が刹那だけ瞬き、直後に残るのは純粋な魔鉱石と、その中に閉じ込められる女性という目に映るままのものだ。


「……終わり、かな」


 目に見える変化が何も起こらなくなったのを見て、エミリアは恐る恐るあたりを見回す。先ほどまで墓所中に張り巡らされていたマナの流れは失われて、墓所はただの石造りの巨大な建造物へと役割を変えているはずだ。


 小さく吐息をつき、エミリアはそのまま棺に寄り掛かる。

 おそらく、これで資格のない人間が墓所へ入ることで拒絶されるということもなくなるはずだ。事情を知っていそうなロズワールかリューズを連れてきて、この棺に眠る人物が誰であるのかを確認した方がいいだろう。


「終わった……うん、終わった……」


 繰り返し、その事実を確かめるように口にすることで、実感の得られないそれに実感を見つけようとするエミリア。

 墓所に挑む前、ロズワールに切った啖呵が思い出される。

 ロズワールはエミリアに言った。『心のままに結果を出せばいい』と。


 そのときのロズワールの心情は推し量れないが、おそらく彼はエミリアが『試練』を乗り越えることを望んでいなかった。ここに自分を招き、王選の候補者として推薦したのも彼であるのに、理解できない考え方だったが。


「先生……って、そう言ってたわよね」


 同時に思い出されるのは、ロズワールがこぼした『先生』と呼ばれる人物。

 魔法使いとして、およそ頂点に立つ力を持つロズワールであっても、当然の如く師の存在があったのだ。彼にとっての師、つまり『先生』と呼ばれる誰かが、ロズワールと一緒に『聖域』のことを始めた。


「ひょっとして……あなたが、そうなの?」


 何となく、棺に触れながらエミリアはそう思う。

 ただ、そのロズワールにとって掛け替えのないだろう人物である先生なる人がいるのであれば、それはこの白い女性が相応しいのではないかと、そう思ったのだ。


「――みんなに、お話しなきゃ」


 頭を振り、未練を残さないようにエミリアは棺から目を離す。

 この棺の女性のことを話すにせよ、今は全ては後回しだ。スバルの話では、明日の夜より以降――つまり、明後日の朝までに『聖域』を離れなくては大変なことになるとだけ聞かされている。

 『聖域』に目立った変化が起きることになれば、一目散に逃げてほしいと。


 丸一日、間に余裕が持てているとはいえ、不測の事態は何が起きるかわからない。

 急ぎ足で小部屋を抜け、通路に入って墓所の外を目指す。エミリアを送り出してくれたときのままなら、リューズや『聖域』の住民がエミリアを待っているはずだ。


 高い靴音を立てて通路を駆け抜け、エミリアは暗がりの墓所から広間へ出た。

 そして、


「――え?」


 猛吹雪が吹き付ける『聖域』を前に、掠れた白い息を吐いた。



※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 雪景色が、目の前の世界を覆い尽くしていた。

 吹き付ける風は暴力に近く、体に当たる雪は容赦なく体温を奪う。白い息を吐き、紫紺の瞳を瞬かせるエミリアの喉は驚愕に凍りついていた。


 ――何が、あったっていうの!?


「――リア様!」


 ごうごうと風がうなり、体温を急激に奪われる耳が痛む。

 薄着のエミリアは極寒の風に身を切られるような錯覚を味わいながら、吹雪の向こう側から届いてくる声に向かって足を踏み出した。


 すでに積もる雪はエミリアの膝下ほどまで積もっていて、ともすれば雪に即座に足を取られそうになる。懸命に足を抜き、雪を掻き分けて進むと、吹雪の白い幕の向こうにいくつもの影が寄り集まっているのが見えた。

 『聖域』の住人だろうか。だとしたら、この吹雪の中、彼らは建物の中に避難することもなくエミリアを待っていたことになるが――。


「みんな! こんな雪の中、どうして外に……え?」


 寄り集まり、寒さをしのいでいる光景を想像したエミリアの言葉が途切れる。

 リューズを筆頭に、『聖域』の住民は集まること四十名前後。それだけでも大変な数であるのに、そこにいるべきではない人影を見たからだ。


「エミリア様! 『試練』は、終わったんですか!?」


 そう声をかけてきたのは角刈りの青年だ。

 エミリアは彼を知っている。なぜなら、『聖域』にくる前から言葉を交わしたことのある間柄で、彼はこちらを認識していなくともエミリアはしていたのだから。


 アーラム村の、青年団の若者だ。

 オットーの手引きで竜車に乗り、数時間前に『聖域』を離れたはずの彼の姿に、エミリアは目を丸くする。そしてエミリアを驚かせたのは、彼だけではないのだ。


 角刈りの若者を筆頭に、アーラム村の住人の顔がちらほらと見える。彼らは竜車を連れており、『聖域』と避難民が混合で竜車の中や陰に身をひそめて、雪をしのいでいたのだ。


「な、なんでみんなここに……? 避難したはずじゃ、なかったの?」


「はい、避難しました。スバル様や、オットーさんの指示で。地竜に道は覚えさせてあるから、なりふり構わず逃げろと」


「それならどうして! ここが危なくなるの、みんなも聞かされてたんじゃないの?」


「聞かされてました。それに、言われてもいました」


 エミリアの言葉に若者は一度歯を噛み、それから顔を上げて森の向こうを指差し、


「森の外で待機して、『聖域』から合図があったら戻って、住民を回収するようにって」


「え……?」


「残られるラム様か他の方か。とにかく、空に魔法を打ち上げると。それを見たら『聖域』に戻って、住民を竜車で回収してここを離れる指示だったんです」


「そんな指示、誰に!?」


「オットーさんに、そう言われていました」


 オットーの名を出されて、エミリアはあの気弱そうな商人の顔を思い出す。

 しかし、彼はああ見えてスバルの友人だ。仲良く会話する姿を見るたびに、つまりスバルと親しく張り合える人物なのだろうとエミリアは評価を改めてきた。

 今回の『聖域』の、ガーフィール調略を始めとした多くの出来事に、オットーがスバルの参謀として色々と画策していたことは間違いない。

 だとしたら、この指示にも大きな意味があるのか。


「で、でも無謀だわ。だって、こんな吹雪がたくさん吹いて……こんな中でも、無茶かどうかは判断できたはずなのに!」


「…………」


「どうしたの?」


 エミリアの言葉に、若者は気まずそうな顔をして目をそらした。その反応をエミリアは見逃さず、何があったのかと問い詰める。

 エミリアの紫紺の瞳に射抜かれ、若者は額に手を当てながら白い息を吐いた。


「オットーさんからは、本当に危ないときは合図がある前に雪が降ると。もしも雪が降ったなら、それは時間切れだから……森を即座に離れるよう言われていました」


「雪が降ることも……ううん、それはいい。それなら、それならどうして!?」


「――雪が、降ったからです」


 泣くようなエミリアの声に、若者は背筋を正してはっきりと答えた。

 その眼差しの力強さに、エミリアの方が言葉を見失う。


 雪が降れば、危険だと彼らはもともと聞かされていた。

 そして実際に『聖域』に雪が降ったのを見て、危険な時間制限が限界に達したことを知ってしまった。その果てに選んだ判断が、ここへくること。

 雪が降って危険な目にさらされる『聖域』の住民の下に、駆けつけること。


「スバル様や、エミリア様ならそうされる気がしたんですよ」


「――――」


 若者は苦笑して、エミリアの喉まで出かけていた問いかけの答えを言った。

 背後にある竜車を守る避難民は、なるほどアーラム村の青年団の人々か。『聖域』の住民を連れ出す目的だからだろう。必要な人員以外は下ろし、避難させてあるはずだ。もっとも、その下ろされた人々も徒歩での避難を余儀なくされている。

 それを是としたからこそ、彼らがここにいるのだろうが。


「エミリア様、『試練』が終わったのなら……外に出られるんですか?」


「え、ええ……そのはずなの。だけど、この吹雪と雪じゃ……」


 足元を睨みつけ、若者が悔しげに舌打ちする。

 その反応が示す通りだ。少しの道のりを歩くにも難儀する積雪。当然、竜車の車輪もこれでは動かせず、立ち往生するより他にない。

 せめて、大人数が暖をとり、寒さをしのげる場所があれば――。


「大聖堂まで移動するのができないなら……墓所に入りましょう。あそこなら、マナの働きで中は温かいし、建物が雪の重さで崩れる心配もないわ」


「中に、入れるんですか?」


「墓所の危ないカラクリは止めたから、もうへっちゃら。それより、みんなを連れて墓所まで行ける? 地竜の子たちも、客車から外して中に入れてほしいの」


 六頭の地竜は、青年団の意思を酌んでここまで戻ってきてくれたのだ。今も、地竜が引き連れてきた客車のおかげで助かっているものが十人単位でいる。

 見捨てる選択肢など、とれるはずがない。


 エミリアの言葉に、若者は「必ず」と頷いてくれた。

 とりあえずのところ、雪に関しての対処はそれでいい。問題は雪が降り、『何か』という危険が訪れることだ。


「もう、こんなことならちゃんとお話聞いておくんだった!」


 『試練』に臨む前に、スバルとちゃんとした話をする時間が持てなかったことを悔やむ。おそらく、スバルとしては『試練』に挑むエミリアに、余計な不安材料を残すことを嫌がった結果だったのだろう。

 その思いやりは素直に嬉しいが、それで対処が遅れるのでは話にならない。

 スバルたちと同様に、この雪のことについて知っていそうな人物――エミリアの脳裏に、三人の候補者が浮かんだ。ロズワール、ラム、そして、


「エミリア様、よくぞ戻っておいでになられた」


「リューズさん!」


 竜車の一台から雪の上に降り立ち、エミリアに手を伸ばしたのは薄紅の髪を伸ばす少女、リューズだ。身長の低い彼女だと、エミリアの膝下まである雪が腿のあたりにまで到達してしまう。かなり億劫そうに雪を掻き分ける彼女に、エミリアも懸命に雪を踏んで近寄ると、


「『試練』、ちゃんと終わらせたわ! みんなここにいてくれてる!?」


「この『聖域』の住人と、迎えに戻ってくれた人間族は全員。ただ……」


「ただ?」


「ラムのお嬢ちゃんと、ロズ坊がここにきておらん。雪が降るより前から二人、揃ってこの場を離れたままじゃ」


 首を巡らせ、エミリアは竜車と周囲の人々を見る。

 見慣れた奇抜な格好の長身も、桃色の髪の頼れる少女も見当たらない。


「探してこないと……リューズさん! リューズさんは知ってる? このまま雪が降る『聖域』にいると、何が起きるのか」


「――――」


 頬を強張らせ、目を伏せるリューズの反応でエミリアは直感的に悟る。

 リューズは事情を知っている。その危険が、なんであるのかを。


「教えて、リューズさん。私たちはそれを、防がなきゃいけない」


「じゃが、時間がずれておるんじゃ。スー坊の話や、ロズ坊の計画では雪が降るのは明日の夜のはずで、今こうして降っておるのは何かの間違い……」


「間違いでもなんでも、もう雪は降っちゃったの! だったら! 雪が降ってきたらしなくちゃいけないことをしなくちゃ! リューズさん!」


 細く小さな肩に手をかけて、エミリアは口ごもるリューズを諭そうとする。

 すると、最初は渋っていたリューズの表情が変わり、彼女は唖然とした顔になってエミリアをまじまじと見つめ返してきた。


「ど、どうしたの、リューズさん」


「……エミリア様。『聖域』の森の奥にある、建物に入りましたか?」


「森の奥……? ううん、入ってないけど」


 身に覚えのない質問に、エミリアは何事だろうと首をひねる。リューズはその答えに「そんなはずは……」と瞬きし、それからエミリアの背後、墓所を見た。


「もしや、墓所の中に何か……特別なものはなかったじゃろうか。その、たとえば……巨大な魔鉱石のようなものが」


「――あったわ。すごーく大きな、魔鉱石。後でリューズさんやロズワールにも確認してもらおうと思ってたんだけど」


 きょろきょろと周囲をうかがい、エミリアはリューズの耳に唇を寄せる。

 背後で地竜を移動する準備を始めている皆に聞こえないよう配慮してだ。


「実は、魔鉱石の中に女の人が入ってるの。誰なのか、わからなくて」


「――っ!」


 その情報を聞いたリューズの表情が激変した。

 リューズは幼い容貌の中、その目を押し開いてエミリアを見つめる。それから長い長い息を吐き、「それで……」と何かに納得したように頷いた。


「納得、いきました。エミリア様、どうぞなんなりと聞いてくれてよい。儂には、それに答える義務がある。下された命に、従う義務が」


「命令なんて、そんな……」


「聞くんじゃ。エミリア様が墓所で触れたそれは、『リューズ』を従える資格あるものを選ぶ魔鉱石じゃ。今、ガー坊よりエミリア様にその資格が動いた。儂は……いや、儂らはエミリア様に従う。何なりと、命じてくだされ」


 厳かに応じ、リューズは腿まで埋まる雪の上で姿勢を低くしようとする。それが跪く仕草であり、リューズが頭まで埋まる勢いであることにエミリアは慌てた。

 とっさにその肩を引き止めて、


「わわ! わかったってば! リューズさんに、お願いできる立場なのね。それならお願い。雪が降った『聖域』に何が起きるのか、教えて」


「……スー坊の話では、雪が降った『聖域』には魔獣『大兎』がやってくると。雪を降らせるほどの、天候変化の術式魔法のマナに惹かれて……だそうじゃ」


「天候変化の術式魔法って……このお天気、誰かが降らせているの!?」


 驚き、聞き返すエミリアにリューズは無言で頷いた。

 天候を操作するほどの大規模な魔法。パックが全力を出せば、このぐらいのことは容易くやってのけただろう。そういう意味では、一番の容疑者はパックなのだが、リューズの態度や出来事の前後を辿り、エミリアはすぐ犯人を突き止める。


「……ロズワールが?」


「おそらく。ラムのお嬢ちゃんは、それと止めにいったものと思っておる。ただ、雪がそれでも降ったということは、何かあったか、あるいは……」


「やめて。そんな想像、したくない。とにかく二人を探さなきゃ。リューズさん、私はこのまま村の中を二人を探すわ。もしも心当たりがあったら……」


「それには及びません、エミリア様」


 リューズがやけに自信満々に、エミリアの言葉を遮った。

 何か考えがあるといわんばかりの彼女の態度に、エミリアはかすかに息を呑む。

 そして、


「この『聖域』の中でしたら、儂らリューズの目が光っておりまする。――ロズ坊たちのことも、すぐに見つけ出して案内しましょうぞ」


 そう、太鼓判を押して見せたのだった。



※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 意識のないラムは、まるで眠っているだけのように見えた。


「……ラム?」


 力なく倒れ込む少女を抱き起こして、ロズワールは声をかけながら体を揺する。しかし、呼びかけに対するラムからの返答はない。

 普段なら何を差し置いても、ロズワールの言葉を最優先するラムが。


 当然だ。

 ラムは今まさに瀕死の淵にある。何もかも、ロズワール自らの行いが原因だ。

 福音書を焼かれ、頭にカッと血が上った。目の前が真っ赤に染まり、何がなんだかわからなくなり、ただそれをしたラムのことだけが許せなくて、


「――――」


 現出させていた炎の塊を打ち込み、無防備でいたラムは衝撃に吹き飛んだ。

 不完全な鬼の力を酷使し、さらに数時間前にも同じだけの負担をかけた体だ。ラムの体は、動き続ける限界に達していた。

 そこに容赦なく炎弾を打ち込まれたのだ。


 彼女の命はもはや、風前の灯だった。


「……ラム」


 倒れ伏す彼女に歩み寄り、その体に触れるまで何を考えていたのか思い出せない。こうして小さな体を抱き、幼い寝顔を見つめている今も何も思い浮かばない。

 そもそも、なぜ、どうして、ラムは自分に立ち向かってきたのだろう。


 ロズワールにとってラムは、実に都合のいい使える手駒であった。

 自分に下った経緯が経緯であったし、結ばれた契約も互いにとって非常にわかりやすい関係を保つ絆となった。

 ラムにだけは本心を明かし、ラムにだけは目的も話した。全てはその目的を達した後の自分の身柄を、彼女へ引き渡すという共犯者への見返りと信じて。


 それなのに、道半ばにしてラムはロズワールを裏切った。

 確かに彼女の言は正しく、契約に沿って考えるならシナリオ通りに事を進められなかったロズワールへ、彼女が反旗を翻すのは定まっていた復讐だ。

 だから、そのことについてラムを責めるつもりはない。しいていうなら、復讐をせめてもう少し後回しにして、この世界の結果だけ見届けてからにしたかった。

 スバルとの賭けの問題もあったのだ。ガーフィールが思いのほか甘ちゃんで、エミリアがわかったような口を利いて『試練』へと戻ったが、所詮は弱者の妄言。


 すでに定まっている未来に逆らえるはずもない。未来は辿る道筋を変えても、必ず決まった終わりへと終着する。正解という終わりに辿り着く道を踏み外したのなら、待ち受けるのは常命の終わりだ。

 なのに、それに抗おうというのだから笑ってしまう。そして、それがわかっていながら彼らの行いに恐怖する自分の弱さもまた、笑えてくる。


 なぜ変わろうとするのか。理解できない。

 全ての思いは、最大限、高まったそのときから薄れることなく続くべきだ。誰かを愛することがあったのなら、その相手を愛して胸を焦がす時間があったのなら、その熱は、輝きは、永遠であるべきだ。


 想いのベクトルが恋慕でなくとも、憎悪でもなんでも同じことだ。

 長く長く、願い続けた想いは本物に昇華されるべきなのだ。時を経た想いは強固で誰にも負けはしない。そうでなくてはならない。


 ガーフィールの、外を憎む心は砕かれる。

 エミリアの、過去を厭う悲しみの過去は受け入れられる。

 そしてラムの、ロズワールへの尽きないはずの憎悪の復讐心は、


『ラムは、ロズワール様を愛しています』


「――っ!!」


 耳の奥に今も焼きつく、呪いのような愛の告白。

 今、腕の中で目を閉じている少女の口から紡がれた、あるべきではない言葉。


 契約が、心と魂を縛り付けている間ならそれもわかった。燃え上がる復讐心はロズワールへの従属心へと変換され、憎しみは愛情そのものになる。

 だからこそ目的のために手伝わせることも、それが終わった後の始末のことも、ロズワールはラムを誰より信頼して任せることができた。


 全ては、愛へすり替えられる憎しみと、ロズワールを殺す復讐心を信じていたから。

 初めて会ったときから、あれほど殺意だけを煮詰めた目でロズワールを見ていた幼い少女の憎悪を、信じていたから。


 ――それなのに、ラムは自らの復讐心を裏切り、愛を謳った。


「なぜなんだ、ラム……私には、わからないよ……」


 微かな呼吸音が遠ざかり、ロズワールはラムの命の終わりを悟る。

 心臓の鼓動が速くなり、このままではいけないと何かが叫んでいた。右目が疼く。ひどくひどく、疼いている。やめろ。存在を主張するな。自分が、自分でなくなる。

 どうすればいい。何をすればいい。自分が何をしなくてはいけないのか、何をしてはいけないのかがわからない。思い出せない。考えられない。


 周囲を見る。求めるものはどこにもない。未来を示し、ロズワールに正しい道を教えてくれる福音書は、炎にくべられて形を失った。誰も、ロズワールに教えてくれない。今、何を選択しなくてはならないのか。誰も、教えてくれない。

 それなら、もう、仕方ない。


「――嘆きの風は雲を招き、地に満ちる光は空へ還る。雫は形ある静寂となり、非業の白が常世を憂う――」


 詠唱。

 口ずさむ歌のような詠唱が、ロズワール・L・メイザースを取り巻く力に方向性を与える。溜め込んだ莫大なマナが、ずっと練り続けていた術式に干渉し、森の夜に暗雲を立ち込めさせ始めた。

 冷え切った風が吹き、体の芯まで凍りつくほどの冷気が『聖域』を吹き抜ける。

 雪雲が閉ざされた森の全域を覆い、白い雪の結晶が次々と大地に舞い落ちる。


 ――超大規模術式魔法『アルテミリオン』の力だ。


「――う、く」


 詠唱を終えて、長い時間をかけた魔法の力が解放される。

 体内からごっそりと大量のマナが持っていかれて、超級の個人マナ保有量を誇るロズワールですら微かな眩暈を覚えた。


 本来、これほどの大規模魔法は数ヶ月をかけてマナを溜め込み、実用するときももっと範囲を限定する。ほんの二日ほどの準備期間と、通常の範囲の倍以上の範囲に干渉するロズワールが異常なのだ。

 そしてその偉業を成し遂げた魔法使いは、長い息を吐いた後で途方に暮れる。


「福音書の通り、雪は降らせた……後は、どうしたらいい?」


 この時点で、ロズワールは自分が福音書の記述より一日早く雪を降らせた事実を失念している。否、賭けのことすらすでに彼の頭の中には残っていなかった。

 ロズワールにとってもはや、過程のことは頭に残っていない。大事なことは、『聖域』を取り巻く事象の最後に関わる部分のみ。雪が降り、結界が解かれる。

 それが成れば、それが成れば――どうだったのだろう。


「ラム……ああ、そうだ。ラム」


 すでに呼吸の音が聞こえなくなったラム。

 ロズワールは彼女の顔を見下ろしながら、そっとその額に掌で触れた。かつて角のあった白い傷跡から、鬼化の影響で出血をしている。その血を拭い、ロズワールは普段からラムに対して行うように、全ての属性のマナを複合した無色のマナを流し込む。

 ラムの体が、本来の鬼の血に負けてしまわないよう、ずっと続けてきた儀式だ。


 何か、考えがあってのことではない。

 ただラムの命を繋ぐためには、ラム自身の持つ鬼の生命力に賭けるしかないことを無意識にロズワールは理解していた。救おうと、そう思うことにも疑問はない。

 ラムは生きていなくてはならないのだ。ロズワール自身が目的を達するためにも、目的を達した後のためにも。


「先生……先生……私は……僕は! どうしたらいいのですか! 先生……先生……っ! 教えてください……また僕を……導いてください……っ」


 ロズワールの心の混迷は極まり、泣き言を口にする自分の心ももうわからない。

 ラムの命を繋ごうとする一方で、ラムに裏切られたことへの怒りも消えていない。道しるべをなくしたことを理解しながら、まだかつて見た光を求めている。


 雪が降り、容赦なくロズワールとラムの体も白い化粧で覆っていく。

 何もかもが白に覆われて、消えてなくなる。


 そうなるのもいいかと思う気持ちは、なぜか欠片も芽生えないまま。



※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 先導されるままに雪を掻き、エミリアは白い息を吐きながら走っていた。


「ヒューマ! もっと、ヒューマ!」


 叫び、氷の魔法を詠唱し続ける。

 降り積もる積雪に対し、足が埋まるのを繰り返す時間ロスを避ける処置だ。積雪を氷の魔法であえて固めることで、即席の足場としてその上を走っている。

 人によっては滑落し、かえって危険な目にあいかねない対処だが、


「やっ! た! よいしょっ!」


 自身も氷魔法の使い手であり、エリオール大森林で育ったエミリアは、凍った足場など慣れ親しんだものだ。『聖域』の凍る雪の足場を我が物顔で駆け抜け、先導してくれている小柄な影を追って走る。


「本当に、こっちで大丈夫なの?」


 隣に並んだ案内人に対し、エミリアは短く息を切らしながら問いかける。それに対して、目線の低い少女はちらと視線を向けたが、顎を引くだけで無言の構えだ。

 意思疎通はできるが、基本的に会話はしてくれない。事前にリューズ――代表格であるリューズの口から聞かされていた通りの態度だ。


 墓所前の広場で、エミリアを唐突に敬い出したリューズ。

 彼女はエミリアに対して、自分がかつて存在したリューズ・メイエルという少女の魂を元に生まれた存在と語り、『聖域』の中に同じ立場の存在が複数人いることも教えてくれた。『聖域』のあちこちで『目』として働くそのリューズが、集落の中にいるロズワールたちを探し出し、案内してくれるとも。


 この世界には、非常に希少な魔法だが複製魔法と呼ばれる魔法が存在する。

 それが生き物に作用するという話は聞いたことがないが、あるいは禁術レベルではそういった可能性もあるのかもしれない。色々と聞きたい内容があるのを我慢しながら、エミリアはリューズの複製体に頼って『聖域』を抜け、ロズワールとラムの姿を探して駆けずり回っていた。


「早くしないと……大兎が、きちゃう……!」


 魔獣『大兎』。

 その存在の名前は、世情に疎いエミリアであってももちろん知っている。

 白鯨、黒蛇と並ぶ三大魔獣の一つであり、他の二体の魔獣と同じくその存在は災害であると伝えられている。

 一匹一匹は力の弱く、脆い小さな兎の魔獣である。が、大兎は個にして群の群体生物なのだ。一匹一匹ではなく、全ての種が集まって一匹の大兎という災害となる。

 尽きぬ食欲と、圧倒的な物量で立ちふさがるものを全て喰らい尽くし、なおも満足せずに共食いをしながら世界を渡り歩く、まさに災害。

 恐るべきは、無限に増えるとされる謎の生態。大兎は普段は数を減らし、食料のないときは共食いをしながら飢えをしのいでいるが、一度、食欲を刺激する獲物を見つけたら後は止まらない。無限に増殖し、獲物を滅ぶまで咀嚼し、焼け野原にした後で数を減らしながらまたしても遠ざかる。そういう、生き物なのだ。


 その超級の魔獣に対して、エミリアは立ち向かう他にないと心を決めている。

 『聖域』を大兎が襲うのであれば、すでに逃げるための時間は奪われていた。降り積もる雪は逃走を邪魔し、エミリアたちにはもう選択肢がない。


 墓所に非戦闘員を隠し、入口の前で防衛線を張る。

 それ以外に、魔獣に対抗する術はない。エミリアと、ロズワール。可能ならラムも出して、『聖域』にある全ての戦力を結集する必要があった。

 だから――、


「――――」


 へし折れた木の幹に、戦いの余波を受けた建物。抉れた地面に、不自然な積もり方をしている雪。――そして、木陰で寄り添う男と女。

 力なく眠るラムと、呆然としているロズワールを見つけて、エミリアは叫んだ。


「――ロズワール! ラム!!」


 無言のリューズの複製体を置き去りに、凍らせた雪の上をエミリアは滑る。靴裏を自在に操り、氷の破片を散らしながら雪の妖精のように移動したエミリアは、半身に雪を積もらせて動かないロズワールの肩を掴んだ。


「聞いてる!? ロズワール、ロズワールってば! 今、大変なの! みんなを助けなきゃいけないの! 凍ってる場合じゃないのよ!」


「――――」


 揺すぶられたことで、ロズワールの頭に積もっていた雪が落ちる。それで隠れていた表情が見えるようになって、エミリアは小さく喉を鳴らした。

 意思の萎えた瞳でラムを見るロズワールの顔が、あまりに弱々しかったから。


「ロズワール……?」


「…………」


 ロズワールは何も言わない。エミリアに気付いた様子もない。

 彼の無反応が怖くて、エミリアは彼ではなく彼の腕の中に視線を落とす。そこには桃色の髪の少女が寝かされていて、


 ――その頬に落ちる雪は、溶ける兆しを見せることがなかった。


「――! ラム? ラム!」


 ロズワールの腕の中のラムを呼び、エミリアは起こそうと試みる。

 しかし、目を閉じたラムからの反応らしい反応はない。返事はもちろん、目覚めるどころか、瞼が震えるほどの反応も返ってこない。触れた頬も、唇も、異常なまでに冷たかった。まるで――。


「そんなはず、ない……!」


 弱い考えを否定して、エミリアは歯を噛んでラムの服の中に腕を入れる。その手が胸のあたりを撫ぜたとき、微かに弱々しい心音を感じた。

 今にも消えてしまいそうな、弱々しい心音を。


「――生きてる! 大丈夫! まだ間に合う、ロズワール!」


 希望を見つけたエミリアは叫び、ロズワールに振り返る。しかし、ロズワールはラムの額に掌を当てたまま、ただぼんやりとした顔をしているだけだ。

 ただ、エミリアは気付く。

 ロズワールのラムに触れる掌から、膨大な量のマナが送り込まれているのを。そしてこれが、ラムの命をかろうじて繋いでいる命綱であることにも。


「ラムを、助けてるのね……」


「――――」


「――っ!」


 その事実を悟ったとき、エミリアは痛恨の事実にも気付いた。

 ラムが意識不明の重篤状態にあり、ロズワールはその治療のために繊細な治療の腕を振るわざるを得ない。加勢など、できるはずもない。

 つまり、エミリアは来る大兎に対して、一人で立ち向かわなくてはならない。


「…………」


 ――できるのか? という疑問がエミリアの脳裏を過った。


 四百年間、『嫉妬の魔女』の時代から生き続ける三大魔獣に数えられる化け物だ。

 これまでにも、エミリアと同じような覚悟を固めて挑んだものが何人もいたことだろう。そんなものたちが滅ぼせずにきた魔獣に、エミリアが単独で抗えるのか。

 パックの存在がない、エミリアが単独で。


「今からでも……」


 逃げを選択するか。しかしその場合、追いつかれたらどうする。

 避難する場所も隠れる場所もない状態で遭遇すれば、エミリアは住民たちを魔獣から守ることなどできない。墓所のような場所を防衛するのが、一番可能性がある。

 ロズワールとラムの戦力がないのは痛いが、抗うのを諦めてはならない。


「ロズワール。とにかく、ラムを連れてついてきて。墓所に、『聖域』のみんなと……うん、みんなが避難してるの。私がきっと、そこを守ってみせるから。ロズワールもラムの治療を諦めないで……」


「もう、無理だ」


 視線の高さを合わせ、覚悟と固めた方針を告げようとしたエミリアを、ロズワールの掠れた呟きが遮った。

 虚ろな瞳のまま、ロズワールはラムの顔をじっと見つめて、


「無理だよ。もう、何もかも……未来は、わからない。自分も、わからない。……この世界は、終わりだ」


「またそんなこと言って……! 本が何なの! ちょっと偉い人が書いたかもしれない本の内容が、私たちのすることにどうだっていうのよ!」


 諦めを口にするロズワールに、エミリアは耐え切れなくなって声を荒げる。

 どうしてなのか。エミリアの知るロズワールは、こんな人ではなかった。

 常に余裕ぶっていて、大胆な決断をあっさりと放り投げて、何もかも知っているような態度でにやにやと笑っている。それがロズワールではなかったのか。


 この追い詰められて、道に迷った子どものような顔で、何もかも投げ出してしまった弱い男は誰なのか。


「ロズワール。あなたがどんな気持ちで、どんなに傷付いてるのか、今の私にはわからない。わかってあげたいと思うけど、それを知る時間がない。……だから、その時間を作りたいの。そのために、協力してほしいの」


「――――」


 ロズワールがわからない。このままこうしていても、きっとわからないままだ。

 だけど、言葉を交わして、気持ちを打ち明けて、そうすればわかることもある。そうしなくてはわからないこともある。時間をかけなくては、伝わらないものも。

 そのお互いの心を近づけるための時間を、作らなくてはならない。


「だからお願い。立って、ロズワール。今ここで、あなたも私も終われない。ラムも終わらせない。みんなのところに、一緒に……」


「もう……」


 訴えかけるエミリア。それでもロズワールは、エミリアと目を合わせない。

 彼はなおもラムを見下ろしたまま、その口紅の塗られた口を動かし、言った。


「もう、いい……」


 掠れた、今にも消えてしまいそうな声だった。

 事実、それは吹き付ける冷たい風にさらわれ、ほとんど音になっていなかった。

 口の中だけで呟かれたもので、ロズワール本人すら聞こえたかどうか怪しい声。


 でも、その小さな、諦めの声は、確かに届いていた。

 だから、エミリアは、


「――勝手なこと、言わないでよ!!」


 ロズワールの胸倉を掴み、エミリアは怒りに声を震わせていた。

 その挙動に頭を揺らし、ロズワールは小さく苦鳴を上げる。その顔に、エミリアは噛みつくように言葉を投げ続ける。


「もういい!? もういいって、どういうことなの!? もういいことなんて何もない! もういいことなんて、何一つない! 勝手に諦めないでよ! 勝手に終わった気にならないでよ! 私も、ラムも、ロズワールも、何一つ、もういいことなんてあるはずないでしょう!?」


「――――」


「私は、『試練』を終わらせたの! 見るのを恐がってた過去も! あったかもしれない幸せな今も! いつかくるかもしれない悲しい未来も! 全部見たの! それでも今の、この道を歩くって……そう、決めてやっと歩けるのよ!」


 吠える。

 これまで、エミリア自身にも記憶がないほど、憤怒の感情が湧き上がっていた。

 そうだ。ああ、そうだ。なんと弱い声、なんと情けない考え、なんと甘ったれた根性なのか。諦めるぐらいで終われるような、そんな生き方を生きるといえるものか。


 ロズワールは怒鳴るエミリアに頬を強張らせ、視線をそらそうとする。ラムの身を心配するというより、ただ見たくないものから意識をそらす逃げの姿勢だ。

 その顎を捕まえて、エミリアは自分の方を向かせた。


「誰かと話してるときは、話してる相手の顔をちゃんと見て話すの!」


「――っ」


「相手が必死に何を考えてるのか、目を見なきゃわからないでしょう。どうして自分がそうしたいのか、目を見なきゃ伝わらないでしょう。ちゃんと、私の目を見て、私の声を聞いて、そうして、立って、ついてきて」


 ロズワールの、左右色違いの目が何かに気付いたように瞬いた。

 小さく唇が震える。しかし、それは音にならない。


「――ぁ」


「もういいなんて、誰にも言わせない。生きてる限り、『もういい』ことなんて何もないんだわ。だから――私はここで、誰も死なせたりなんてしない!」


 エミリアが立ち上がり、背後に振り返る。

 エミリアが呼ぶまでもなく、十人以上のリューズの複製体が集まっていた。全員がその場に厳かに跪き、ただ一人の命令を待っている。


 息を吸い、白い命令をエミリアは叫んだ。


「ロズワールとラムを連れて、墓所に戻るわ。みんな、私が必ず守ってみせる」


 威風堂々と、それが偶然に手にした資格であることを知りながら、エミリアは従うリューズたちを引き連れて、雪の『聖域』を走り出した。

 リューズたちはロズワールとラムの二人を集団で支えて、代わる代わる道を作りながらエミリアについてくる。


 ――エミリアの走る足に、もう迷いは微塵もなかった。



※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 そして、物語は――。


「そんな無理しなくても大丈夫だよ、エミリアたん」


 全てを守り、想いを繋ぐことを決めた少女の下に、少女を大切に思う少年が戻り、


「後は任せて、下がっててもいいぜ。――初陣補正があるからね」


「ごめん。ちょっと何言ってるのかわかんない」


 いつものやり取りをして、少女は微笑みながら、でも力なく崩れ落ちそうになる体を気丈に支えて、前に進み出る白い影を目で追った。

 歩み出る影は二つ、それは手を繋いだ影。


 聞こえる声もまた二つ。

 その声はどこか弾んでいて、少女もその声が重なるときを待っていたような気がして、なんだか胸が高鳴った。


「もう、どうなっても知らないのよ」


「ああ、どうにかしてやろうぜ。――俺と、お前で!!」



 そして、物語は再び一つに重なり、願いもまた重なって幕引きへ向かう。



 雪の吹雪く『聖域』を、魔獣と向かい合う騎士と姫。

 一人では足りぬ騎士は、その傍らに魔法使いを連れて、勝利を捧げに。



 ――『聖域』最後の決戦が、始まる。




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