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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第四章 永遠の契約

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第四章125B 『復讐から始まり』



 風が吹いていた。
 一際強いそれが吹きつけ、向かい合う二人の髪や服の裾が激しくたなびく。

 場所は『聖域』の外れ、幼いガーフィールやフレデリカが暮らした隠れ家の近く、無人で何もない草原だ。
 周囲に人家はなく、そうでなくても誰かが通りかかるような事態は今はありえない。今頃は『聖域』の住民は揃って、墓所へ赴き『試練』の結果を待っているはずだ。

 墓所から出てくるエミリアへの激励と、人払いしたいラムの実利に基づいて。

「妄執、ねーぇ」

 エミリアをダシにしたことへの呵責が頭の隅にあったラムは、目の前でロズワールが唇を緩めて笑うのを見て意識を引き戻す。
 ロズワールは自らの長い藍色の髪を背に流し、片目をつむって黄色の視線でラムを射抜いた。

「私の想いと目的を知る君がそう言うとは、なーぁんともまあ悲しい話だ」

「口にしなかっただけで、ずっと思っていましたよ。当然でしょう」

「当然……まーぁ、当然だろーぉね。君からすれば、長く伏した屈辱の日々だ」

「――――」

 肩をすくめるロズワールの態度に、ラムは目を伏せて無言で応じる。
 彼が何を言いたいのか、ラムには薄ぼんやりと理解できていた。当然だ。ラムはずっとロズワールのことを見てきた。自分の想いに何よりも忠実である彼が、ラムの向ける忠節をどんな風に捉えていたのかなど、痛いほどに理解している。

「それで、契約の頸木から外れて最初にしたことが私の思惑外しなわーぁけだ。スバルくんに協力して、ガーフィールの袋叩きに参加したのもそういうことだろう?」

「あれはラムの目的と、ガーフの馬鹿さの矯正で二つの意味がありました。……ラムがいなかったら、あの連中は何もできなかったでしょうから」

「結果的にうまく回った、感が否めないからね。色んな大事なものが絡む場面で、スバルくんもずいぶんと浅はかな賭けに出るもんだよ。……私はとてもとても、大切なもののために博打を打つような真似は絶対にできない」

 それはスバルの決断を皮肉り、自身の考えの合理性を説くような言い回しだった。
 実際、ロズワールの発言には否定できる部分が少ない。スバルの行動はその多くが行き当たりばったりだし、ガーフィールのことはラムの協力含めて天運が味方した。
 タイミングがいいだけの男、というラムの評価は今も変わらないままだ。
 一方でロズワールの考えは、こと目的の達成という点にのみ注目すれば非常に優秀だ。但し書きに、『福音書が信用できるかぎり』と付けるべきだが。

「博打は打てない……確実性を重視した結果が、福音書なのですね」

「そーぅとも。もっとも、君はこれを信用していないようだし、以前からずっと疎ましく思っていただろーぉけどね。それも仕方ない。君からすれば、一日も早く、一行でも早く記述から外れるときがくればいいと願っていたはずだーぁからね」

「……否定は、しません」

 できるはずがない。
 ラムが福音書を疎んでいたのは事実だ。ただし、その理由はラムの本心とロズワールの認識とでは大きく食い違う。
 そのことが、表情に出ないながらラムは悲しくてたまらなかった。

「覚えているかな? 君と私の間で交わされた、福音書を介した契約を」

「――ロズワール様の所持する、その福音書の内容に記された通りに世界が歴史を刻む限り、ラムはこの身命を賭してロズワール様にお仕えします。代わりに」

「福音書の記述を外れる時間が流れた場合、私の目的は頓挫する。目的を見失えば私はもはや生きる意味がない。そんな抜け殻でよければ、君の好きにするといい」

「生かすも殺すも、ラム次第」

「そーぅいう、契約だったね」

 忘れるはずのない契約内容を口にし合い、ロズワールは懐から黒い本を抜く。
 分厚い装丁の本を大切に抱え込み、表紙を撫でながらロズワールは吐息をこぼした。

「君にとっては本当に、長く長く辛い時間だったことだろう」

「――――」

「何せ……故郷を滅ぼした一因である男に、したくもない忠誠を誓わされて過ごさなくてはならなかったんだ。願いと裏腹に、私と接していると弾む心……さぞ、苦痛だっただろうと思うよ。他人事のようですまないがねーぇ」

 悪意を持って、ロズワールがラムを傷つけるための言葉を弄する。

 故郷を滅ぼした一因――ロズワールが口にしたそれを聞き、ラムの胸中を痛みと共に通り過ぎるのは燃え盛る故郷と、家族たちの記憶だ。

 亜人族の中でも数が少なく、代わりに強力な力を持っていた『鬼』族。
 少数が集まり、深い山中に集落を作っていたラムの種族は、たった一夜の間に炎と刃の暴威にさらされて根絶やしにされ、もうラムと『――』しか残っていない。
 ロズワールと契約を結んで生き長らえたのは、その焼け落ちた集落を茫然と眺めやりながらの朝方のことだった。

 差し出される契約を、生きるためにラムは呑んだ。
 『――』は何も知らず、ラムもまた『――』に何も語らず。

「――?」

 かすかに頭の疼く感覚を覚えて、ラムは不可思議な違和感に眉根を寄せた。
 蘇る記憶の中に、どうも不自然な空白が存在する気がする。なくてはならないものがあるのに、そんなものはないと無理やりに嘘で固めたような力ずくの誤魔化し。
 それがなくては、ラムの記憶は成立しないのに――。

「受け入れ難い自分の中の慕情と、本心の中で蓄えていった復讐心。相反する心をせめぎ合わせて過ごしていたとしても、君はとーぉても優秀な駒だった。福音書の内容をなぞる上で、従順に従う君をどれほど重用したことか」

「…………」

 ラムが記憶の違和感を探ろうとするうちにも、ロズワールの話は進む。
 今はそれどころではないと、空白を求める作業を中断して彼に向き直り、ラムはロズワールが甘やかな声でこれまでの忠君ぶりを賞賛している。
 しかし、流し目にラムを見る視線には少しずつ別の感情の横槍が入り、

「その君が、まーぁさか私を裏切り、スバルくんにつくとは。このことに私がどれだけの心痛を味わったか、わかるかねーぇ?」

「……契約の内容に、背いてはいないはずです。福音書の記述と異なる世界へ進んだのなら、ラムはロズワール様の言葉ではなく自分の心に従う。その契約……それを違えていたのなら、ラムとて無事には済んでいないはず」

 胸に手を当てて、ラムは自分の行いの正当性を主張する。
 ロズワールとラムが交わした契約は、もちろん口約束だけのものではない。
 互いの魂に契約の術印を刻み、破ったとみなされれば相応以上のペナルティを負う本格的なものだ。それが発動していない以上、ラムの心は契約に背いていない。

 だが、ラムのその答えを聞いたロズワールは大きく首を横に振った。

「だーぁからだよ。この状況で、契約に背いたことで発動するはずの罰則が発動していないということは……君の魂は、契約を順守していると信じて疑っていないということだ。その判断が私には、あまりにも残念でならない」

「どういう意味でしょうか?」

「簡単なことだよ。――福音書の記述は、まだ外れていない。君と私との契約が本当の意味で途切れるのは、まだ先の話だということ」

 声の調子を落として、ロズワールが色違いの瞳にラムを映して断言する。
 常は無表情を保つラムも、彼のこの発言にはかすかに頬を強張らせた。ラム自身の契約の術印が認めた状況と、聞いていた記述内容とあまりに異なった世界。
 これだけの条件を並べてもなお、ロズワールの心は頑なさを屈しようとしない。

「記述と外れて、いない……? バルスが『聖域』を解放するために墓所に挑むことも、エミリア様がここに雪を降らせるようなことも起きない。こんな状態の中で記述が外れていないだなんて、ロズワール様……どうされたのですか」

「どうもしてないとも、これまで通りじゃーぁないかね。確かに今、君が口にしたどちらの内容も果たされてはいないが……まだ、わからない」

「ありえない内容です。バルスは『聖域』を離れ、エミリア様は『試練』をことごとく踏破される。ここからその記述に落ち着くことなんて……それでは、子どもの意地っ張りか悪足掻きではありませんか」

「子どもの意地っ張り、はいい年した大人だから否定するとしても、悪足掻きに関しては否定しないとも。そーぅさ、私のこれは悪足掻きだよ。――延々と、それこそ四百年以上もかけて、ずっとずーぅっと続けてきた悪足掻きだ」

 いっそ開き直ったように、ロズワールは自分の行いを『悪足掻き』と断言する。
 喉の奥で音を立てて笑い、傑作だと膝を叩きながら道化の表情が狂喜に歪む。

「悪足掻き、そう悪足掻きだ! これは傑作だ! 私のこの妄執を、これより他に的確に表現する言葉が他にあるだろうか。いーぃや、ないね! 悪足掻き……悪足掻きと……あはーぁ、これは愉快だ。考えつきもしなかった」

「ロズワール様!」

「妄執に縋る悪足掻きと、狂人への復讐心と忠誠心へすげ変えられた従者。私と君のありようはじーぃつに歪で喜劇的だ。だーぁが、悪足掻きだと言われようと私の意思は変わりはしない。君の行いは、時期尚早というものだ」

 狂喜の笑みを消して、ロズワールは福音書をラムに見せつけるように前に突き出し、

「君がどう思うのであれ、契約はまだ違えられてはいない。墓所の『試練』をあの娘が超えるまで、ナツキ・スバルが『聖域』を解放する記述は外れない。彼女が雪を降らさなかったとしても、私が雪を降らせれば記述の内容からは外れない」

「――――」

「君が自ら契約の内容の行使を要求しても、私もまた契約の内容の順守を主張しよう。故に平行線だ。君の復讐を遂げさせてあげるには、まだ機が熟していない」

 掲げていた本を軽く放り、反対の手で受け取るロズワールが懐に本を仕舞い込む。それから前に伸ばされたままの右腕に、揺らめく炎が浮かび上がった。
 赤、青、緑と色を次々と変える炎を見せつけ、ロズワールは目を細める。

「雇用条件を外れていないのに、先走った従者に罰を与える。本気で君が福音書と世界が外れたことに確信を持つなら、あと二日だけ待てばよかった。そうすれば私は無抵抗に、この身を君へ差し出したろうに。……気が短いのは何事もよくない」

 嘆くように首を横に振り、「もっとも」とロズワールは言葉を継いで、

「一秒でも早く、私を滅したい君の気持ちもわからないではないがーぁね」

「……やはり、あなたは何もわかっていらっしゃらない」

「――?」

 シニカルな笑みを浮かべるロズワールに、ラムは弱々しく呟いて瞑目する。
 瞼の裏側には、決して表に出せない複雑な感情の波がある。生涯、誰にも見せないと誓って言える自分の生き方を、ラムは目をつむることで自分にだけ見せつける。
 顔を上げた。そして、延々と突きつけ続けたままだった杖の先端にマナが集中する。

「契約が成就し、あなたを差し出されてからでは意味がない。あなたが壊れてしまった後では、何の意味もない」

「――きたまえ」

「お望みのままに」

 ――色彩の艶やかな炎と、無色の風の刃が激突する。

 熱波が二人だけの『聖域』に広がり、鬼と魔人の歪な舞踏が始まった。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 『試練』が始まった瞬間、エミリアは即座に感じ取っていた。

 五感の消失と、自分の肉体という概念の喪失。
 世界を感じるべき器官が自分の制御下を離れ、ただ意識だけが頼りない空間へと投げ出されたような浮遊感――自分は今、魂だけの存在だ。

 これは、これまでの『試練』とは明らかに質が違う。

『――――』

 声が出ない。
 口がない。目もないのに、世界を認識できているのが不思議だ。
 否、世界を認識といっても、これが世界であると断言できるほど確固たるものはまだ形作られていない。

 暗闇の中に、エミリアの意識だけがぽっかりと浮かんでいる。
 それでも自分を見失わずにいられるのは、その暗闇の中に点在するいくつもの光のおかげだ。

 色とりどりの、淡い光の数々。
 微精霊が放つ輝きにも似たそれは、しかし命ある微精霊とは決定的に存在感が違う。

 色合いの淡さなどや微精霊に似ていても、魔鉱石の放つ物質的な光に近いだろうか。
 いずれにせよ、それらがエミリアの意識を囲うように点在してくれているおかげで、自分が世界を見失っていないことを感じ取れる。

『――――』

 光に囲まれて、取り残されたわけではないことに安堵しつつも、エミリアは変化のない状況に次第に戸惑いを覚えていく。
 ぼんやりとした光は変わらず、さりとて周囲に目立った変化も始まらない。これまでの『試練』は基本的に、エキドナが最初に何事が起きるのか説明を入れてくれたものだが、今回に限っては案内役として彼女が姿を現すこともなかった。

 ただ徒に時間だけが過ぎる――時間の概念が墓所の中と外とでどのぐらい差があるのかわからないが、漫然と過ごしていても何にもならないことは確かだ。

『――?』

 何かしなくては、とエミリアは自らの意識で変化が生まれることを望む。
 途端、それまで一ヵ所に固定されて動けずにいたエミリアの意識が移動し、周囲にある光のいずれかに接触できそうな位置までいけることに気付いた。

 肉体がないのに、光に接触するというのもおかしな感覚だ。
 だが、それ以外に表現のしようがない。もしかすると今の自分は、自分には見えていないだけで肉体を構成する魔素――オドの塊が剥き出しになっているのかもしれない。
 オドに意識が、魂が宿るのであれば、今の自分の状態にもいくらかの説明がつく。

 ある程度の納得を得て、エミリアは自分を肯定すると光の一つへ。
 点在する光の数は、ざっと二十は下らないだろうか。特にこれといった理由はないが、エミリアはぼんやりと銀色に輝く光へと意識を伸ばした。
 そして、光とオドが触れ合う瞬間――見える。

「嫌い、嫌い、大嫌い。私、あなたのことが大っ嫌い。本当よ。全部、本当。初めて会ったときからずっと……たまらなく、あなたのこと嫌いだった」

『――!?』

 声が聞こえた直後、意識に忍び込んでくる強烈な原風景。
 異常に大きな太陽、焼け野原、朽ちた巨大な建造物の傍らに佇み、真っ赤な日差しを浴びながら、銀色の髪を血に濡らす女――エミリアだ。

 第二の『試練』で目にしたばかりの、成長した自分。
 それがひどく悲しそうな顔で、廃墟の前で誰かに言葉を投げかけていた。

「何度も思ったし、何度も否定したけど……でも、やっぱり悪夢に追いつかれちゃった。だから、言うわ」

『――――』

「私たちやっぱり、出会うべきじゃなかったのかもしれないね」

 紫紺の瞳の端から、一筋の涙が流れ落ちた。
 頬を伝って、顎から雫が地面に落ちる直前に、弾けたように世界が消失する。

『――――っ』

 息を呑む。オドだけでそんな器用な真似はできない。
 エミリアにできたのは、目にした光景をただ受け止めるだけだ。

 今の光は、何だったのか。今見えた光景は、何だったのか。
 あれは確かにエミリアだったはずだが、当人であるエミリアは身に覚えがない。あるいはあれも、第二の『試練』のようにありえない世界の光景なのか。

『――――』

 違う、とエミリアは思った。
 混乱する意識を静めて、エミリアは記憶の中を手探りにさまよい、回想する。
 この第三の『試練』に臨むとき、墓所で響いたはずの言葉を。

 『まずは自分の過去に向き合え』『ありうべからざる今を見ろ』

 それらに連なる、第三の言葉を。確か、そう。
 『いずれきたる災厄に向き合え』だ。

 いずれきたる、災厄――それは、未来ということだろうか。
 過去と、今ではない現在を見て、最後に未来。
 それが『試練』という名の、別世界を挑むものへ見せ続ける洗礼であるのか。

 だとしたら今の光景もまた、いずれエミリアに訪れる未来ということなのか。
 あの何もかもが黄昏に落ちたような場所で、泣きながら誰かに出会ったことの後悔を伝える――そんな姿が。

『――――』

 否定の気持ちで不安を振りほどき、エミリアの意識は表面上の平静を取り戻す。
 だが、改めて意識が暗がりを認識したとき、また動揺が生まれた。

 先ほどエミリアのオドが接触した、銀色の光が消えているのだ。
 光のあったはずの場所には空白があり、光は欠け落ちている。そのことを訝しんだエミリアはすぐに気付いた。

 周囲にある光の一つ一つが、これからの未来を提示しているのだとしたら、エミリアの意識はこれら全ての未来に触れるまで、解放されることはない。

 ――これが『試練』であるのだというのなら、この数多の未来を見た後にも何かを選ばされるはずだ。エキドナが待つとしたら、その場所だろう。

 つまり――エミリアはあと二十を下らない未来を、見なくてはならない。

『――――』

 それぞれが違う未来なのか、あるいは今と同じ未来の断片になるのか。
 エミリアは存在しない心臓が委縮する錯覚を得ながら、その隣の光へ意識を伸ばす。

 それはまるで海のような深々としたものを思わせる青で――。

「お前の言う通りだよ。あの子は俺たちの敵で、傷も深かった。ここで引き上げたところで、治療できない俺とお前じゃ助けられなかったかもしれない」

「それなら……」

「でも、あの子はまだ子どもだった。――それだけで、十分じゃないのか」

 またしても、世界の様子が切り替わる。
 今度の場面は深い森を背景に、切り立った崖の縁に二人の人物が立っていた。

 その顔が、見えない。けれど、声はどちらも聞き覚えがあった。
 一つは身近に、もう一つは身近というほどではないが、確かに。

 二人は崖を前に対峙し、一人が膝をつき、もう一人は膝をつく相手を見下ろしている。どちらもひどく沈鬱な表情をしているように、エミリアには思えた。

「お前は……お前は、英雄だよ。英雄にしか……なれない……ッ!」

「僕は」

「助けてくれて、ありがとうよ!!」

 顔を背け、手を差し伸べる影にもう一人の影が感謝の言葉を投げやりに告げる。
 二人の人物の、そこには確かな決別が感じられた。

 変え難い悲しみと、ただ失意だけが横たわった別れの言葉。
 世界が再びぼやけ始めて、エミリアの意識がまたしても暗がりの空間へ戻る。

『――――』

 今の世界には、エミリアの存在が見当たらなかった。
 出てきた二人については、エミリアの知る人物であると当たりはつけているものの、あの場に自分の姿がなかったことには違和感がある。

 未来、という形で自分は光へ臨んでいるはずだ。
 それなのにその未来に自分の姿がない、あるいは自分のいない場面を見せられているというのはどういうことなのだろうか。

 ――自分の選択の結果、起こり得る周囲の人々の未来を見せられているのか。

 だとしたら今見た光景もまた、そうなるだろう可能性の一端なのか。
 自分のことだけでなく、選んだ結果が生む周囲への変化――それすら、見届けろと。

『――――』

 青い光が、先の銀色の光と同じように消える。
 エミリアの周囲にはまだ、二十の光が残り続けている。

 ――その一つ一つに、選択の重みがある。

 それを覚悟してエミリアは、自分の選択の結果を見届けに意識を伸ばした。
 次の未来が、また次の未来が、エミリアの選択を待っている。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 杖を振るい、風の刃を生み出して解き放つ。
 発生したカマイタチが無色、無音の暗殺者となって対象の足元を狙う。

「このぐらいでは、ね」

 だが、その見えない攻撃をロズワールは軽い跳躍で易々と回避する。
 当然だ。魔導の名門メイザース家の当主にして、六大全ての属性に精通する稀代の魔法使い。ロズワール・L・メイザースにとって、他者の操るマナを見切ることなど児戯に等しい。見えない刃と称した風の魔法も、ロズワールからすれば闇夜の中で火矢を放つのと同じぐらいに見通すことができる。

「お返しだ」

 三色、色違いの炎弾がロズワールの腕の一振りでラムを目掛けて降り注ぐ。
 赤の炎、青の炎、緑の炎――いずれの炎も飛びずさるラムを追い、追尾してくる厄介な代物だ。後ろ向きに駆けながら、ラムは息を荒げながら魔力を高めて放出。三種類の炎を風の刃が迎撃するも、相殺されると思った炎はそれぞれ異なる反応をみせた。

「――!?」

 赤い炎は風の直撃を受けた瞬間、油を注がれたような勢いで火力を増して火柱に。
 青い炎は逆にあっさりと風に両断され、その場で四方八方へ火力をまき散らした。
 緑の炎は風に巻かれたかと思った直後、風のマナを取り込んで形を変え、緑色の炎の蛇となって大地をのたくりながらラムへ追いすがる。

 ラムは火柱に煽られ、青い炎を避けるために大樹を蹴り、そして緑の炎蛇の牙を避けるように地面を転がって、再度風の刃を炎蛇へと叩きつける。
 爆砕される炎蛇は散り散りになり、散らばった緑の炎は草原のあちこちに燻ぶって残り続ける様子だった。

「おやおや……まだ一合、魔法を交換し合っただけだが、ずいぶんと傷付いたね」

「はっ……はぁっ」

「勝算ありと、そう考えての行動なら見込みが甘かったと言わざるを得ないねーぇ。確かに私は今、天候を操作するための大規模魔法の術式制御に大半の魔力を割いている。しかーぁし、それで手元足元が疎かになるほど迂闊じゃーぁない」

 肩で息をするラムを見ながら、周囲を炎に囲まれるロズワールは首を傾ける。
 三色の炎が再び現出し、掌大の火の玉の形をとったそれがロズワールの体の周りを取り巻くように回り出した。その数が一回転ごとに増えていき、速度を増し、ほんの数秒の間にロズワールの体を三色の炎の渦が囲むほどに。

「それぞれ一個ずつの炎でその様だ。三種類の炎を十個ずつ、都合三十の火炎弾。今の君の能力では処理しきれないだろう?」

「――――」

「そもそも、私の戦力低下のタイミングを見計らってのことなら、ガーフィールとの決戦に助力するような行いは愚策の極みだ。私の能力が下がっていても、君の戦力が下がっていては何の意味もない。全身を充溢するマナを見ればわかる。――鬼化を、したね」

 ロズワールの低い問いかけに、ラムは呼吸の調子を整えながら視線だけで応じる。
 答えは期待していなかったのか、ロズワールは肩をすくめた。

「私の補助もなく鬼化を行えば、そうなるのは自明の理だ。ほとんどマナの残っていない体で私に挑んでも、たったの一分の戦闘で限界が近い。己の目的を遂げるための行いに最善を尽くすという観点でいえば、見るに堪えない」

「見るに……堪えない、ですか」

「そーぅだとも、見るに堪えない。さっき君は言ったね。福音書の記述と完全に外れるか二日待てば答えが出ると私が言ったのに、君はそれでは意味がないと。最初は何を言っているのかと思ったが……私なりに考えて、答えは出たよ」

 徐々に呼吸は静まりつつあるが、体力と魔力が回復するわけではもちろんない。ロズワールもそれがわかっているから、ラムへの追撃の手を緩めて言葉を交わしているのだ。
 邪魔になれば話は別だが、ロズワールはラムを殺すつもりまではないのだ。
 その余裕がまた、ラムにとっては屈辱的でならない。

「君の目的が復讐であることを考えれば、答えは簡単に出た。廃人になった私を痛めつけても、本当の意味で君の気は晴れない。確実に復讐を遂げられる可能性を放棄してまで、今の私に挑む理由はそうとしか思えないからね。君はまだ目的の途上にある私を打ち果たしてこそ、初めて復讐は成ると考えているわけだ」

「――――」

「それについては、まだ幼かった君に切迫した場面で選択を迫った私にも落ち度があっただろう。時間をおいてからその事実に気付き、君も焦燥したかもしれないねーぇ。だからこそ、この機を逃すまいと逸ってしまった。……結果は、見ての通りだが」

「――ぁ」

 小さく、ラムの喉から音が漏れた。
 掠れたようなそれは、抜けるようにこぼれた吐息だ。

 ロズワールの色違いの瞳が、ラムの挙動を見逃すまいと睨みつけてきている。
 その視線を浴びながら、ラムは自分のこれまでの半生を振り返っていた。
 そして、ずっとわかっていたことを、今さらのようにもう一度、改めて突きつけられた。

 そのことを痛感して、ラムは口を開けた。
 大きく大きく、空を仰いで口を開けて、

「あはははははは――!」

「――ラム?」

 鏡映しだ。
 先ほどのロズワールの哄笑を思い出し、笑うラムはさらに痛快な気分になる。
 ロズワールとは全く違う理由だが、なるほどこれは可笑しい。笑ってしまう。それはそうだ、当然だ。だって、そうだろう。

「あれだけ繰り返しても、あれだけ触れていても、相手は気持ちに気付いてもいない」

 鈍いであるだの、鈍感であるだの、そんなのとはもはや次元が違う。
 頑ななのだ。凝り固まっているのだ。ありえないと、そう断じて動かないのだ。

 復讐で始まった想いが、時間を経て恋慕へ変わることなど、彼の中ではありえない。

「ラムが、ロズワール様のお傍にいたのは……契約が理由です」

「ああ、そうだろうとも。燃え落ちた集落で、私と君は臣従の契約を交わした。角をなくしてなお、赫怒に濡れた君の瞳を覚えている。だから私はそれを契約で封じ、激情の方向性を忠誠心へと挿げ変えた。いずれ、今日のような日がくると思っていても……」

「そうですね。そうでした。ラムは、あなたを殺してしまいたかった。でもその機会は奪われて、不可解な忠誠心を抱えたまま屋敷で過ごして……そして」

「今日、契約の頸木を外れた君はそのときの復讐心を遂げようと――」

 結論に至ろうとするロズワール。その姿が、ひどく滑稽に見えた。
 本当にこの人はまるで、自分の想い以外には何も見ていないのだなと思って。

「ラムは、ロズワール様を愛しています」

「――――」

「愛して、しまいました。ですから、壊れたあなたなどいただいても意味がありません。それはラムが欲する、ロズワール様ではありません」

 ラムの答えを聞いて、ロズワールが目を見開いて硬直する。
 本気で、欠片も想定していなかった答えを聞かされたように、ロズワールは絶句している。
 すぐに頭を振り、言葉を作ろうとするが、唇が震えるばかりで意味ある言葉にならない。

「どうされましたか?」

「どう、も何も……私を、からかっているのか? この期に及んで、私を? 力で届かないとわかったから、心を揺さぶりに……」

「そんな小細工、どうしてロズワール様に通じるなんて思えるんですか。ラムは、ただ本心を告げているだけです」

「だとしたら、なおさらそんなはずがあるものか!」

 地団太を踏み、ロズワールは声を荒げる。
 精神の高ぶりに反応し、彼の体を取り巻く火炎弾の幕が大いに乱れる。動きを止めた炎を周囲に散らして浮かべ、ロズワールはラムを睨みつけた。

「私を、愛する? 何を言っている。憎き相手だ。憎き男だろう。君にとって、故郷を滅ぼした原因に関わる男だ。事実君も、私を殺したいほど憎んでいたはずだ!」

「最初はそうでも、今は違います。ラムは今、あなたを愛しています」

「馬鹿なことを……っ! 誰がそんな、安い感情を……ッ!」

 復讐で始まった思いは、復讐でなくてはならない。
 恋慕に至る思いは、恋慕からしか始まりようがない。

 ロズワールは頑なに、人の願いや思いは変わらないものと信じている。
 だからこそ彼には、ラムの生き方を揺るがすほどの心変わりが信じられない。

「復讐は、どうする! 君は誓ったのではないのか! 焼け落ちた故郷を前に、死した同胞たちの魂に、必ず復讐を果たすと誓ったのではないのか!」

「同胞たちには悪いと思う気持ちはありますし、故郷を思えば胸も痛みます。ですが、愛してしまったものは仕方ない。死者の気持ちより、ラムはラムの気持ちを優先します」

「――――!」

「それに、ロズワール様は直接的な仇であるわけでもありません。復讐心に目が曇ったというのなら、そちらの方が恥ずべきことでしょう。……と、ラムは言い訳します」

 居直るラムにロズワールは二の句が継げない。
 すぐに理解しろ、というのは難しい話なのだろう。ロズワールは長い長い時間、自分の想いを貫き通してきた男だ。
 一貫して、ただ一人への愛情を貫き通し、その願いの成就に最善を尽くしてきた。

 感情とは、心とはそうあるべきだという思いが強すぎる。
 故に彼には、時間とともに変わりゆく想いが、強さが、理解できない。

 そんなところも愛おしいと思えてしまうのは、もうどうしようもない。

「ですから、ラムはあなたを廃人になど絶対にさせません」

「……矛盾している。君の想いがどうあれ、いや口にした通りであるというのならなおさら、ここで君が私とぶつかり合う理由がわからない。福音書と外れれば、生きる目的を失う私は心を損なう。それをわかっていて、なぜ!」

「だから、今このときなのです。バルスが、エミリア様が、ガーフが……ロズワール様の心に揺さぶりをかけている今だけが、ラムの千載一遇の機」

 ロズワールとラムとの間に結ばれた契約、それがある限りラムはロズワールに逆らえない。そして今、ラムがロズワールに逆らえているのは契約の頸木を外れたと、ラムの魂が判断しているからだとロズワールは指摘した。
 だが、本当にそうだろうか。片割れがそう認識したから、契約の対象外になる。そんな曖昧で緩い判断基準を、契約というシステムが持っているだろうか。

 故にラムは、こう考え、願っている。
 福音書の記述を外れたと、契約が破棄される条件を満たしたと思っているのはラムばかりではない。ロズワールもまた、心のどこかでそれに気付いている。
 だからこその、この状況なのだと。

「――――っ」

 理解できない顔でいるロズワールに向かって、ラムは息を止めて地を蹴った。
 杖を抜き、なけなしのマナを絞り出しながら魔法を形成する。

「――! 無駄なことだ!」

 ラムの行動にロズワールは動揺を捨て、周囲に浮かべていた炎弾に命じてラムを足止めしようと攻撃を向ける。しかし、いずれの炎もラムへの直撃はなく、地面や顔面すれすれを通り抜け、ラムの肌を苛烈に炙るに留まった。
 この期に及んで、福音書の未来をなぞるのに必要な条件を満たしたラム――その存在を切り捨てる判断ができない。ラムの狙いが見えていないのも、一端はある。

 ひょっとしたら、ラムを殺めることを惜しいと思ってくれたのかもしれない。
 だとしたらそれだけで、さっきまでの鬱屈を忘れるほどに心が弾む。

「――エル、フーラ!!」

 風の力が集約し、無色の破壊が眼前で爆発する。
 身構えたロズワールだが、狙いは彼自身ではない。その彼の足元、地面を爆砕し、巻き上げる土塊で視界を覆い尽くすことだ。

「こんな、目くらましを!」

「――――っ!」

 一瞬だけ生じた土のカーテンを、ロズワールは腕振り一つで粉砕する。
 掻き消える障壁、それを見届けながらラムは鋭く息を吐き、額に力を集中した。

「……ぁ、ぐっ」

 激痛。視界が真っ赤に染まり、血走る瞳の端から血の涙が溢れる。
 全身の筋肉が、骨が軋み、いくつもの筋が断裂する音を上げるのが聞こえた。

 それらを全部無視して、奥歯が割れるほどに歯を噛みしめて地面を踏む。靴裏で大地が砕け、ラムの体がその瞬間、生命の限界を超えて稼働した。

 土塊を打ち払ったロズワールの眼前に、ラムの体が刹那より早く飛び込む。
 ロズワールがラムの姿に気付き、目を見開くのよりもラムの動きは速い。伸ばした腕がロズワールの胴体に伸び、胸あたりに掌が当てられることにロズワールが息を呑む。

 鬼化――ラムの身体能力の促進は、それ以外にありえない。
 今のラムの膂力は、一瞬とはいえ人体の限界を超えたものだ。胸骨が砕け散り、内臓が弾かれる可能性にロズワールは自分の判断ミスを自覚しただろう。
 しかし、

「――な、に?」

 あるべき衝撃と痛みが訪れず、ロズワールは呆気にとられた声を出す。
 そのロズワールから十メートルほど離れた位置に、瞬きの間に到達したラムが地面を削りながら急停止。下を向く顔が、口から盛大に血を吐き出して膝をついた。

 ラムの行動の意味がわからず、ロズワールは眉を寄せている。
 だがすぐに、崩れ落ちるラムが手にするものを見て、表情を変えた。

「それは……!」

「ラムに、とって……諸悪の根源は、これですから」

 血相を変えたロズワールが駆け寄ってこようとする。それに視線だけを持ち上げて答えたラムは、何の躊躇いもなく腕を振った。

 ――手の中にあった福音書が、残り続けていた緑の炎の中に投げ込まれる。

「――――!」

 声なき絶叫をロズワールが上げるが、無常にも炎は福音書を呑み込んで火勢を上げる。小気味いい音を立てて、古びた本は緑の灰へと姿を変えていった。
 その光景をラムは、待ち望んだ光景であるように微笑して見届け、

「――やっと、これで」

 満足げに、頬を染めるラムのため息。


 ――怒りに任せた炎弾が少女の小柄な体を貫いたのは、直後のことだった。













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