4-1 運命に到るそれぞれの道
「私はちゃんと殿下の許しをもらってから来たけどね」
「おい、何だよそれ、俺の分は?」
「忘れてた」
「そこは気をつかえよ!」
「王命にそむいたかどで死刑ね」
「無惨なことを言いやがる……」
王女の馬車はまこと賑やかであったが、学園都市の正面玄関たる西門をくぐる頃にはそのうちの一人が姿を消していた。
抜き身の大剣をぶら下げているのはさすがに不穏だ、と消えたその本人が言い張ったのである。
もう一人が解決策を十はあげてみせたものの、彼はただ笑って馬車を降りてしまった。
目抜き通りの左右をうめる大歓声の中で、もっとも晴れがましいはずの正使が終始不機嫌だったのはそんな事情があってのことだ。
王女の隊列を抜けたカルは、一足先に学園へもどっていた。
自分の部屋にも立ち寄らずに向かう先は、戦技場である。かつて王国華やかりし頃には模擬戦がおこなわれていた場所だ。
カルの目的はその裏手にある。そこはバックヤードとよばれる場所で、学園の不要品、不完全品、一部もしくは大部分が欠けてしまって使えなくなった品々が「いつか役に立つ日が来るかな?」という淡い期待もしくは物ぐさから廃棄をまぬがれ、大雑把に分類しただけでうずたかく積み上げられているのだ。
別名、泥棒市。革靴の片方だけとか、やかんの蓋だけなど役に立つものはひとつもないが、役に立たないものなら何でも揃うと言われている。半端なものを探しているカルにはまさにうってつけの場所だった。
バックヤードは巨大な倉庫だ。同じ形の棚がどこまでも平行に並んでいる。
ただし、規則正しいのは棚だけである。保管されている品はあちこちで棚からあふれて廊下をふさぎ、さながら迷宮のようなありさまだ。棚のプレートに記された記号と番号、東西の座標を示す表記をしっかりと把握しておかなければ迷子になってしまう。
だが、そのプレートも随所で自然に、もしくは人為的に削れていたり入れ替わっていたりしていて、結局は経験と勘が頼りということになる。
バックヤードから出てこられない奴は世の中にいらない人間だ、などという冗談がある。ここで遭難しかけた職員がやたらと事務手続きが遅いことで有名だったからと言われているが、その話すらも真実かどうかあやしい。
地理でも噂でも人を惑わす場所。それがバックヤードだ。
まさに、魔法学園の混迷を集約した場所である。
カルの目当ては剣の鞘だった。
ヒースレイヴンに突き刺さっていた大剣に合うものを見つけなければならない。
任務のさなかで手に入れたものは学園当局に提出しなければならない決まりだが、カルはその剣を自分のものにするつもりだった。それにはまず鞘である。いつまでも抜き身に革帯をぐるぐると巻いただけで腰に差していては目立ってしかたがない。
だが、大剣はやたらと肉厚で、しかも幅が広く、カルが支給されているブロードソードのものはおろか、官給品の中でそれにあう鞘はひとつも思い当たらなかった。
考えた挙げ句、やって来たのがバックヤードである。ここなら何か見つかるだろう。
戦技場が近いだけに、折れたり修復が不可能となった武器が山積みにされているのはカルも知っている。それなら、鞘もまた大量にかつバラエティに富んでいることだろう。ぴったりとまでは望まない、どうにか収まるサイズ・形であればいい。
そんな風に、「ここならどこかにあるはず」という甘い願望が毎年のように行方不明者を生み、捜索隊が編成される由縁でもある。
だが、折れた武器や鞘は頻繁に持ち込まれるだけに、比較的入口の近くにその所在が集中している。そこなら遭難する心配もないだろう。
入口に掲示された分類表はあまりあてにはならないが、他に目安となるものもなく、取りあえず記された区画まで進んでみる。
そこでカルは鞘とは別の探し物を見つけることとなった。
「やはり来たな」
ぽかんとしているカルを見て満足そうに微笑んでいるのはティアであった。
「ティア、なんでこんなところに……」
ティアはカルの疑問を聞き流し、やたらと嬉しそうな顔をわざわざカルの剣に近づけてみせる。
「んん? その剣はどうしたのかな?」
「よせよ、どうせ事情は知ってるんだろ」
ヒースレイヴンの襲撃と撃退については、迎えの使節から学園に事情をしらせる早馬が出ている。王女の一行が到着する前にティアがそれを知っていても何ら不思議ではない。
わざわざ腰を曲げてまでのぞきこんでくるティアから、カルは剣を遠ざける。
カルのそういう挙動すら、ティアには楽しそうである。
「なんとまあ、これまた太ましいものを腰からさげて」
「その言い方やめろ、太ましいってどこの言葉だ」
「隠したって丸見えだ。ふふ、君には露出癖でもあるのかな」
「何の話だ! いじめか!」
ご機嫌な笑みはそのままに、ティアはカルの左腰を追いかけるのをやめた。
いたずらにしろ嫌味にしろ、あまりしつこく続けないのが彼女の流儀だ。今日はこれでも珍しくからんできた方である。
「それで、どうするんだ? 本当に着服するのか?」
「その、金がからんでそうな言い方はやめてくれ」
「ならば横領か」
さらに犯罪度が増したような気もする……。
「用がないなら邪魔するなよ、せめて見て見ぬふりくらいしてくれ」
カルにもティアの遊びに付き合っている暇はない。
なにせバックヤードだ。鞘が正確に分類されているはずもなく、似たようなサイズのものを選り分けるだけでも一日仕事なのだ。
ところが、カルの仕事は大幅に省略されることとなった。
「探し物はこれかな?」
ティアはまるで手品のように大振りな鞘を出してくる。
太さといい長さといい、ぱっと見にはカルの剣とぴったりのように思える。
「それは……どうして……?」
思わず手が伸びる。
遠ざかると思いきや、鞘はあっさりとカルの手に落ちてきた。
「それほどの剣の持ち主なら素性はおおよそ推測がつくからな。やはり修了者だったよ。所持する剣についても詳細な記録が残っていた。あとは君を待っている間、暇つぶしにちょっと探ってみただけだ。剣が紛失された日にちは正確にわかるから、だいたいその辺りをかき回せば出てくるんじゃないかとね。きっちり年月で層をなしていたよ、整理されていないことが逆に功を奏したわけだ。まあ、当て推量ではあるけどね。鞘がここに捨てられていない可能性もあったが、どうやら運がよかったらしい」
カルは大剣を鞘に収めてみる。
しつらえたように寸分たがわない。してみると、ティアの見立てどおりだったのか。
「鞘の装飾は削っておくといい。そのままだとさすがに気づく者も出てくるだろうからな」
ありがたい指摘だ。
元より、鞘には金目のものはついていない。
カルはもう一度大剣を抜き、鞘の模様を片っ端から削り落としていく。
表面が中途半端に削られた鞘はどうも不格好だったが、剣自体の武骨さがいい案配にそれを隠している。後で色を塗り替えればさほどは目立たないだろう。
カルは鞘ぐるみで腰に差す。専用の腰帯は別に用意する必要がありそうだが、とりあえず今日中に手を打っておきたかった問題のひとつが早くも解決した。
「ありがとう、助かったよ。俺にできることがあれば遠慮なく言ってくれ」
「そうか、遠慮しなくていいのか」
上機嫌のまま口がすべった。すでにカルの中で後悔が始まっている。
「一応、常識の範囲で」
「ふふ、じっくりと考えておくよ。ふふ」
「できればこの場で言ってくれるとありがたいんだけど……」
「すぐには思いつかないな。まあ、物のついでもあったことだし、そう無体なことは言わないさ」
もしかして自分は借りをつくってはいけない相手にやってしまったのではないか……。
立ち去るティアの後ろ姿を見送りながらそんなことを考えていて、はたともう一つの用事を思い出す。
「ちょっと待った、ティアに聞きたいことがあるんだが」
ティアは足を止めてカルに向きなおる。
貸し借りの話はただカルをからかっただけであるらしく、もう持ち出してはこなかった。
「それで、何を聞きたいんだ?」
「人を探している。たぶん、学園から王女の迎えに来ていた使節の生徒だと思うんだが」
それだけではさすがに人付き合いの広いティアでも特定しようがない。
さらに説明をつづける必要があるが、リナの親類だとかメッサちゃんという情報は省くことにした。どう考えても余計である。
「全体的にきのこの形をしているんだが」
「きのこ?」
ティアが怪訝そうな顔をするのも無理はない。カルは身ぶり手ぶりを加えて説明をつづける。
「こう、やたらと大きなとんがり帽子をかぶっていて、やけに古めかしい魔法つかい装束の」
カルがそこまで口にしたところで、ティアは彼女にしては珍しい表情を見せた。
あまりよくないものを目にしたように、顔をしかめたのだ。
「ああ……ああ、もしかして青い髪をした小柄な娘ではなかったか?」
「知ってるのか?」
「知っているというか、親類だ。少しばかり遠縁になるが、ひとにはわかりやすく従妹と説明している」
彼女に対するティアの感情はどうも単純なものではないらしい。珍しく歯切れが悪い。
「とにかく知ってるんだよな? どこに行けば会えるのか教えてほしいんだが」
「そうか……。迷惑をかけたのなら私からも謝らせてほしい」
ティアが急に妙なことを言いだす。
「身内の恥をさらすようだが、あいつはひどい人見知りなのだ……。いや、わかっている、人見知りにしては態度が不遜だと言いたいのだろ? まったくその通りだ。私にも異存はない。しかし、あいつには人との付き合い方がよくわかっていないところがあってな、決して悪気があってのことではないのだ。私に免じて今回だけは許してやってもらえないだろうか」
カルから口をはさまれるのをおそれるような長広舌である。
しかも盛大に誤解している。
「いや、違うんだ」
「そうだな、何があったか聞かないうちに許せという方が不遜だったな。話してくれ、存分に。だが、これだけは言わせてくれ、ああ見えて悪い娘ではないのだ……いや、どうなのだろう」
ティアは自分で言っておきながら首をひねっている。
口を挟むなら今しかない。
「文句があるわけじゃない、お礼が言いたいんだ。ヒースレイヴンとの戦闘で助けられたから」
どうにか必要な情報だけを短くまとめてねじ込む。
すると、ティアはなぜか目を丸くした。
「なんと」
「なにその反応」
「ビオラに助けられただと、まさかそんな」
「親戚なのにまたあしざまな」
「いや、身内をおとしめるつもりではないのだが……」
ここまでさんざん言っておいてわりと今さらな前置きである。
「そもそも他人との関わりを持とうとしない娘だからな。ろくに口も利こうとしない」
「そういや人見知りとも言っていたよな」
「他人に興味を示さないんだ。いつも一人で地下図書館にこもっているが、いったい何をやっているのやら」
「確かに研究者風ではあったけど……」
そこまで人嫌いだっただろうか?
なんだかんだで結構話もした。それに、関わってきたのも話しかけてきたのも向こうからだ。
どうもティアの語る人物像と完全には重ならないのだが、いくら魔法学園広しといってもあの風体が二人もいるとは思えない。
「……まあ、他人を嫌う娘だから私が代わりに伝えてもいいのだが」
「いや、そういう訳にもな。助けてもらった礼を人づてというのはさすがに」
そうか、とティアは呟き、それ以上はあえて反対もしない。
「しかし、戦っていたのなら人違いかもしれないぞ。何というか、あいつはティオレというやつだから」
「とにかく会ってみるよ。どこに行ったら会える?」
「出没する場所ならかぎられているが……」
人間にたいして通常使わない言葉を聞いたような気もするが、カルはつづく言葉を待つ。
「今は学園当局によって投獄されている」
思いもよらない展開だった。
ティアと別れてからまっすぐ彼女の屋敷に向かったのは、主人の不在をねらってのことだった。これなら多少強引なことをするはめになっても、ティアまで罪にとわれることはないだろう。
『夕刻にまた出直してくれ、私も同席するから。君はだまされていると知った上で平然とだまされてやるところがあるからな、あいつと二人にしたらどう利用されるかわかったものではない』
というティアの忠告は、見事に用をなさなかったのである。
ろくな口実も用意しないまま門番のところまで行ってしまうが、そこはのんきが主成分のカルである、真正直に名乗る。
なぜかあっさりと通された。館から取り次ぎの者があらわれて「承っております」と中に案内される。
時間差からいって、ティアの手配という可能性はかぎりなく低い。
案内の後について長い長い廊下を進む。
屋敷は王都消失以前の建物だけあって、カルの目からだと宮殿と見分けがつかないほど立派なものだ。
そこにはティアが一人で住んでいるわけではなく、学園都市にいるアエミリウス氏族の者とその郎党もここで暮らしている。ティアは学園における彼らの代表であり、責任者なのだ。
もちろん、青髪の少女もティアの庇護下にある。
彼女の名はビオラ・アエミリウス・シラというらしい。
歳はカルたちの二つ下であるが、かといって彼女が下級生ということではない。魔法学園には年齢で入学するわけではなく、授業も生徒がそれぞれ必要とする課程を修得していくため、学年やクラス分けといったものはあまり意味がない。
ティアのカッシーナ公爵家がアエミリウス氏族の筆頭であるのにたいして、シラ侯爵家は貴族というよりも官吏の家系である。代々、王宮で中心的な地位を占めており、宰相も何人か輩出している。
ティアはビオラのことを従妹と表現していたが、カッシーナ家とシラ家は血縁が薄いらしい。カッシーナ公爵家が勢力維持のためにどこかの時点で官吏の家系を取り込んだのだとしたら、もしかすると同祖ですらないのかもしれない。
だが、少なくとも現在に到るまでに両家の間で婚姻関係が繰り返されているので、血のつながりがまったくないという話ではない。
ティアの話によると、ビオラは罪を得て学園当局に拘禁されたらしい。
しかし、そこは貴族ということもあり、ティアが責任を負うという形で自宅に軟禁という体裁をとっている。学園とカッシーナ公爵家、双方の面子をたてた裁きである。
外部との接触は禁止されているが、それも表向きの話で、人の出入りについては学園当局も見て見ぬふりを通している。ティアが語ったところによると、実情としては外出禁止といった程度の措置であるらしく、それもじきに解かれるだろうとのことだ。
ビオラが犯した罪──。
それは、王女を迎える使節から勝手に抜けだしたことでは、ない。
取り次ぎがドアをノックし、部屋の中と二言三言のやりとりが交わされる。
(みやげの一つでも持ってくればよかったかな……)
取り次ぎが下がるのを見ながらそんなことを思うが、今さらである。それに、ティアの親類をよろこばせるような品を自分が用意できるとも思えない。
ここからは屋敷の中でもビオラ個人のスペースのはずだが、通されたのはやたらと広い部屋であった。
水晶を無数に重ねたようなシャンデリア。
どうやって縫うのかもカルにはわからない複雑な刺繍のソファー一式。それらに囲まれた小ぶりなテーブル。
足音が消えるほど毛足の高いカーペット。
客を応接するための部屋なのだろう。
それがこの屋敷の住人ひとつずつに用意されているという時点で、カルにはもう意味不明であった。
部屋には誰もいない。例外はカル自身だけである。
ドアは今入ってきたものを除いてもいくつかある。
だが、ドアのない続きの部屋もあった。
カルは声をかけるのも忘れて、そちらをのぞきこむ。
部屋の様子が急に変わった。
そこは書斎のようだったが、こちら側の応接間と同じ館の中とはとても思えなかった。
薄暗いのはカーテンが軽くひかれているからだが、そればかりではない。本が目の高さよりも上まで積まれ、そういった塔が部屋の平たい場所にはところかまわず建築されている。
カルは先ほどまでいたバックヤードを思い出していた。空間を埋めている度合いでいえばこちらの方がよりひどい。壁から柱から、あらゆる場所にわずかな空間をみつけては書棚が取りつけられている。その徹底ぶりは、もはや壁の模様や装飾がわずかしか見えないほどだ。
よく崩れてこないなと感心させられる。それらは一見、無秩序だが、全体としては何らかの法則性に従って重量のバランスが保たれているのだろう。
ビオラは、いた。
どう見ても体のサイズにあっていない大型の肘掛け椅子にちんまりと座っている。
大げさな魔法つかいの装束に身を包んでいるのは、ヒースレイヴンとの戦いの時と同じだ。なぜ室内でもそんな格好をしているのか、理由はわからない。ただ、何となくティアの苦労が思いやられた。
さて、声をかけてもよいものか……。
よく考えたら案内されてきたのだ、ここで迷うのは滑稽というしかない。
「あの……」
人差し指一本で黙らされる。
カルはとりあえず沈黙した。
目の前にいる人を待たせるのに、十分非礼にあたる時間がすぎてから、ビオラは静かに本を閉じた。閉じた以上は未練をみせず、カルの方に顔を向けてくる。
まじまじと彼女の顔形を見つめるのは、カルにとってこれが初めてのことである。
青い髪は陽射しに透きとおる清水の色合いである。
目鼻立ちがくっきりとしているところはティアの血縁であることを思わせた。
肌は陽の光を知らないように白い。ティアによると、普段は学園の地下図書館──通称、図書迷宮にこもりきりであるらしい。事実、陽をあびる機会は一般的な生徒の半分もないのだろう。
ビオラはカルのことをただ見つめている。
どうやらここに来た用件が語られるのを待っているらしい、とカルもようやく気がつく。挨拶も社交辞令もない、おそろしく実用一辺倒な娘である。
「助けてもらった礼を言ってなかったから。その節はどうも」
「それはごていねいに」
書かれた文字をただなぞるような素っ気なさであった。
社交辞令が省略されてしまったせいで、表向きの用事がいきなり済んでしまった。
しかし、これで帰るわけにもいかない。カルが彼女を訪ねたのには別の目的もあるのだ。
カルは今さら気がついたように、書斎を見回した。
「いやぁ、本がいっぱいだなぁ」
物珍しそうなそぶりも付け加えてみるが、その演技は決してほめられたものではなかった。本への興味がまったく表現できていないのだ。
カルの人生において本は読むものではなく、妹のアイリスから読まされるものであった。
カルから見て四つ下のアイリスは、同じ年頃の娘とは違って食べ物の屋台には目もくれず、銅貨をにぎりしめては貸本屋に足しげく通う変わったところがあった。
教育癖のようなものもあり、そのとばっちりはたびたびカルにも降りかかったものである。おかげでカルは文字をおぼえ、それによって魔法学園に入学するというアイリスにとっても意外な展開をひき起こし、そして現在の境遇につながっているのである。
ビオラとアイリス、本好きといい小柄なところといい似ているといえば似ているが、カルの中で二人の印象が重ならないのは髪の色の違いばかりではなく、ビオラの愛想のなさにも理由がありそうだ。
「ものすごい量だけど、これ全部君の?」
量、というのは自然に口から出た言葉だった。
もはや冊数ではなく、まとめて重量ではかりたくなる規模である。
「いえ、テーブルの上にあるものは地下図書館から借りてきたものです」
分類されているようにはまったく見えなかったが、一応、所有者によって分けられてはいるらしい。
それにしてもテーブルに積まれた分だけで売ればひと財産できそうだ。
「……生徒がこんなに貸し出しできたっけ?」
そもそも生徒の手がふれるところには置かれているはずのない、古めかしくもいかつい本がちょいちょい見え隠れしている。
どう見ても杭がうちこまれて濁った血の色をまき散らしているものまであるが、あれも本なのだろうか?
「私、老人うけがよいもので」
「老人?」
「学園塔の」
「ああ、あのじいさんたち」
ビオラの言う老人とは、学園塔の研究者たちのことだろう。
長老とも呼ばれ、研究の他には目もくれない浮世離れした連中だが、学園においては隠然とした影響力をもっている。学園長でさえ彼らの総意を無視することはできないのだ。ビオラにとっては隠れたパトロンといったところなのだろう。
このまま平行線のような空気がつづくのかと思われたが、ふとビオラの表情がゆるんだ。
それが彼女にとっての微笑みであると気づくまでに、カルには多少の時間が必要だった。
「案外、はやかったですね」
「ずるをしたからな」
ティアに頼ったことをそう表現して、カルは肩をすくめてみせる。
一方、ビオラは素性を偽ったことについて悪びれる様子もなかった。
まあ、『メッサちゃん』の時点でだますつもりは皆無なわけだが。
「ひとつ聞いていいかな」
無言を了承と解釈して、カルは続ける。
「もしかして、襲撃を知っていたのか……?」
カルは回りくどいことを抜きにして尋ねた。
それは、カルがずっと気になっていたことでもある。
ビオラの登場は、偶然にしてはあまりにできすぎていた。
そもそも、王女一行と迎えの使節の位置関係からいって、カルたちがヒースレイヴンの襲撃を受けるはるか以前からビオラは行動を起こしていたことになる。
それを可能にするには、事前に襲撃を知っている必要がある。
「ええ」
ビオラはこともなげに認める。
「あなた方に対抗できる力が、あの近辺にはヒースレイヴンしか存在していなかったので」
「子爵がそうすると?」
「しなければしないで何の問題もありませんし」
その場合は子爵の襲撃も軽く撃退されるか、もしくは襲撃そのものがなかったことだろう。
解きほぐして見ると、もつれた糸くずもなるほど一本の糸である。
しかし、事が起こる前にそう読み解いて手を打つのは容易なことではない。しかも、たった一人で危険な現場に出向いているのである。度胸といい、自分の実力への自負といい、単なる本の虫というわけではなさそうだ。
(それなのに『ティオレ』なわけか……)
カルはティアから聞いた話を思い出していた。
ティオレ、と呼ばれる生徒が魔法学園にはいる。
正式名称ではない。俗称だ。ある意味、蔑称でもある。
王都消失以後、学園に残った生徒たちの事情は決して単純なものではなかった。
自らの意思で残った者もいるが、大半は戻る場所もしくは戻る手段を失った者たちだ。そういった消極的な生徒たちにも当然ながら実力には差があり、中にはリナたちのようにガイヴァントとの戦闘で先頭に立てる者もいる。
だが、自らの意思で残ったわけではない者たちにしてみれば、戦闘にかり出されるのは望まぬことだ。中には、戦闘でわざと不手際を演じてみせたりするなどして、実力を偽り、戦闘資格からはずれようとする者もいる。
そういった生徒たちのことを、学園の者たちはティオレと呼んでいる。白か黒かはっきりしない、という意味だ。
ビオラもティオレの一人であるらしい。
そのくせ、ノックスではカルの頼みを聞いてヒースレイヴンとも一瞬ではあるが戦っている。どうにも行動に理解しがたいところがある。
ティアはビオラについて一方でフォローも入れていた。
『ちょっと難しい子だから』
ティアにも、ビオラが何を考えているのかはわからないらしい。
「そこにある巻物をとってもらえますか」
「これ?」
「それなら私でもとどきます。そのさらに上の」
巻物というよりタペストリーのサイズである。
カルが本の山をくずさないようにして身を乗りだしている間に、ビオラは椅子をおりてきてつば広の帽子を本の山にひっかけている。
「それ、ぬいだ方がよくないか?」
「そうですね」
ビオラはあっさりと帽子を頭からおろす。そうしてみると、魔法つかい装束には大して執着がなさそうでもある。
「いつもその格好なんだ」
外ならともかく、屋内でつば広の帽子にマントというのはいったいどういう意味があるのか。
ビオラの返答は単純明快だった。
「話しかけられずに済みますので」
個人的な趣味じゃなかったんだ……!
カルの驚きをよそに、ビオラは巻物を受けとるとそれをためらうことなく二人の足元に広げた。元より、テーブルの上は書物で埋まっている。平面はそこしかない。
巻物の紙は意外と新しいものだった。
「地図か……?」
ビオラはひとつうなずくと、床で四つん這いになって地図の中央付近に指をつきつける。
自然、カルも床に膝をついて眺める姿勢をとる。
「ここが今、私たちのいるところです」
「学園都市か」
地理にうといカルでも、これが地元の地図であることくらいはさすがにわかる。
「これは何だかわかりますか」
ビオラの指が動き、地図上の別の一点を示す。
そこには乙女チックにデフォルメされた怪物のようなものがいくつか描かれていた。明らかに、後から他の誰かが描き足したものだ。
「イタズラ描き?」
「ちなみに私が描きました」
「これなんかコウモリみたいに見えるんだが」
「それはあなたが昨日倒したヒースレイヴンです」
「……」
俺、こんな形をした相手と戦ったのか……。
美術的な可能性の追求はさておき。
「これを見て何か気づくことはありませんか?」
そう言われ、カルは改めて地図に視線を落とす。
脈絡もなく講釈のようなものが始まっているが、取りあえずはビオラに付き合うことにする。
「こいつらはガイヴァントの中でも特に手強い奴らだよな?」
オーバー・ワン、ホロウメア、カープラント・ボア、ヒースレイヴン……。魔法学園ですら手をつかねているガイヴァントにはなぜか定位置に陣取って動かないものが多い。その理由については諸説あるらしいが、カルはそういう方面にはくわしくない。
「うまい具合にばらけているな」
見たままの印象の他には、カルの頭に浮かんでくるものは何もなかった。
「もし、自分がガイヴァントだったとしたら、人類を効率よく滅ぼすためにどういう方法をとりますか?」
「俺がガイヴァントなのか」
学園都市にも家族や友人がガイヴァントの犠牲になった者は多い。カル自身そうである。
相手によってはいきなり殴られても不思議ではない仮定だが、ビオラは何の遠慮もなくうなずいてみせる。
カルの方も普段から怒ることなど滅多にない男だから、会話は普通に続く。
「ガイヴァントの気になって、ね……」
その発想はカルにはなかった。
新しい考え方というものは、人をいったんは幼児か何かのように素直にさせるらしく、カルもまた腕を組んで本格的に考え込む。
「別に人間を襲わなくてもいいかな」
ふふ、とビオラは鼻で笑う。しかし、軽侮したものではない。
「優しいんですね」
「無理にほめなくていいよ」
「いえ、本当に感心しています。そう返してくる人は今までいませんでしたから。しかし、それでは話が進まないので」
せっつかれてまた考える。
カルの頭にうかんできたのは仮定の話ではなく、すでに現実となった出来事のことだった。
「王都を破壊する」
カルの口調はそれまでよりもむしろ落ちついていた。
そこに家族がいたというカルの境遇を知ってか知らずか、ビオラの反応も変わらず静かだった。
「クイントゥス王の大反攻以降、国土の奥深くにガイヴァントが出現したという事例はありません。あの日、王都近くまで強力なガイヴァントが入り込んでいたというのは考えにくいでしょう。国境から王都まで瞬時に移動する能力を持つものがいれば別ですが、そのような種類はいまだ観測されていません。王都消失はガイヴァントとは別口と見るのが妥当でしょうね」
ことさら念を入れて否定される。
カルは知恵をもうひとしぼりした。
「戦力を集中して、端の都市から陥落させていく」
「正攻法ではありますが、人間も強いですよ。ギフト持ちにかぎらず、火砲のたぐいも進歩しています。ガイヴァントといえども進攻を続ければ損害は免れないでしょう」
ガイヴァントの側に損害という言葉を使うのはどうも違和感があるが、議論というものは自分の立場や感情を排除したうえでおこなうものだろう。
どうやらこれも効率という点においてまだ及第点ではないらしい。
かといって、後背や側面を突くという戦術面の話でもなさそうだ。
城にこもる、挟み撃ちにする、というのも同様だろう。裏切りを誘うというのは人とガイヴァントの場合はありえない。
「そう言われても、あとは敵を分断するとか補給線を断つくらいしか……」
言いかけたカルの視線が地図の上でふたたぴ止まった。
そこには、一見して明白な事実がある。あまりに当たり前すぎて忘れていた。
「……囲まれてるな」
学園都市から伸びる主要な街道はほぼガイヴァントによってふさがれている。中継地となる小都市もそうだ。
ビオラは改めて、可能な限り地図のしわを端から端まで伸ばした。
「学園都市だけではありません。人口の集中する地域はもれなく大型ガイヴァントに包囲されているように見えませんか?」
「そう……だな」
「まるで陣取り合戦のようです」
「そう……なのか?」
「そうです」
カルのあまり自信のない言葉を、ビオラは強く肯定する。
「主に街道や通商路、地形的に通りやすいところが断ちきられ、王国がブロックごとに孤立させられています。まるで、無理をせず確実に息の根を止める兵糧攻めのようですね」
学園都市においては、今のところ食料は十分に足りている。
それは、非常時には玉座を移すことが想定されていたため、籠城に必要な高い城壁、豊富な地下水源、食糧の自給自足体制といったものが元から確立されていたからだ。
しかし、病害虫や天候不順など不作の年があれば途端に厳しくなるだろう。
クイントゥス王が健在の頃であれば、収穫物は流通にのって均一化され、どこか一地域のみが飢えるということは稀であった。それこそがグレマナム王国繁栄の土台である。
都市が孤立するという現状は、王国が都市国家の時代に逆戻りすることを意味している。そのような古い社会システムでは、現在のように増大した人口を支えることはできない。
確かに、戦略としては効率的だろう。だが、そのように連携のとれた動きがガイヴァントに可能だろうか。
それだけの知能をもちあわせているのかという問題以前に、どうやって互いに連絡をとりあうのか。もう一段上の統率者でもいれば別の話だが……。
「なんです?」
ビオラは不思議そうに首をかしげている。どうやらぶしつけな視線を向けていたようだ。
「いや……」
言い訳めいたことを口にしようとして、それをやめる。
カルは先ほどから感じている疑問を口にした。
「なんでこんな話を俺にするんだ?」
ティアから聞いたイメージと違う。
とっつきにくく、不遜で、他人との関わりを極力避けたがる。
(……まあ、その全部が全部はずれているわけでもないが)
しかし、自分なんかを相手にこれだけ知識を披露するという点は、あきらかに食い違っている。しかも、求められたわけでもないのにだ。
いや、おそらく求められてもビオラはこんな風に自分の意見を語ったりはしないだろう。彼女自身がそれを必要と認めた場合でなければ。
「なぜって……」
ビオラの表情には亀裂ひとつ入らない。
「あなたもこれを倒したいのでしょう? カル・ナイトウォーダー」
そう言って、地図上の一点を指さす。
そこにあるもの、それは……。
魔法学園を絶望に叩き落とした、一体のガイヴァントであった。
正確には、稚拙なイラストである。だが、意味するところは同じである。
それを描いた者はビオラ・アエミリウス・シラ。
彼女の罪状とは、オーバー・ワンに関する情報に生徒の身分を越えて近づきすぎたことである。
そして、カルもまた、同じ理由で学園当局から目をつけられている一人なのだ。
ヒースレイヴンが消えた今、学園都市を包囲するガイヴァントで強力なものは残り三体である。
オーバー・ワン、ホロウメア、カープラント・ボアだ。
三体いずれも、クラスは『要塞』を意味するリダウト以上となっている。
中でも、オーバー・ワンは魔法学園の悪夢として知られる。
かつて、討伐に向かったのは魔法学園の卒業生を中心とする虎の子の精鋭魔法兵団であった。
さらに、教員の多くと、教員に準ずる修了者も加わっていた。それは対ガイヴァントの戦闘において王国でも有数の打撃力と言えるだろう。
だからといって、油断があったわけではない。
それどころか、当たり前の警戒と手順を律儀なまでに踏んでいた。
誰も油断などしていなかったのだ。
彼らが最後に野営した場所から戦闘予定地域まで、旅程はまだ一日を残していたのだ。
災難は地平線の彼方から来た。
誰が彼らを非難できようか。
戦闘に入る前に兵を休め、糧食や装備を積んだ荷駄が追いつくのを待ち、編成を戦闘行軍に組みなおす。超大物のガイヴァントを倒すため、万全を期し、十全を尽くしていた。
誰も知らなかった。誰も気づかなかった。
そこはすでに奴の射程内だったのだ。
熱線が通過した後に残されたものはほんのわずかであった。
無防備だったとはいえ、たったの一撃である。
災難は地平線の向こうから襲いかかり、全ては根こそぎ消滅させられた。
その大惨事ののち、魔法学園ではそれまで最上位だったリダウトの上に新たな等級が定められた。
それがフォートシティである。要塞都市がなすすべもなく陥落するレベルを意味する。
仮に、オーバー・ワンが学園都市に襲来した場合、食い止めることができないかもしれない。そういう意図を濃厚に感じさせる言葉である。
それは、魔法学園の敗北宣言にも等しかった。
絶対的な恐怖から目をそむけるように、学園首脳部はオーバー・ワンへの接近を禁止する。
例外はない。研究や偵察目的も含めて、目視することすら処罰の対象とされた。
オーバー・ワンという存在そのものが禁忌となったのだ。
ビオラは廊下まで来客を見送る。
立ち去る後ろ姿は、一度もこちらを振り返ろうとはしなかった。
書斎にもどる途中、水さしをグラスにかたむけて一気にのみほす。一杯ではたりず、もう一度。
彼の静かな圧力に気押されていたのだろう。ビオラは緊張がようやくほぐれていくのを感じた。
結局、カル・ナイトウォーダーは一度たりとも感情をあらわにすることはなかった。
ビオラはふたたび書斎に足をむけながら、自分が彼に投げつけた言葉を思い出す。
なぜ、オーバー・ワンを倒そうとするのか?
『ご家族のかたきはオーバー・ワンではありませんよ』
それに対する彼からの返事はなかった。
だが、その心情を読み解くのはビオラにとって難しいことではなかった。
ビオラはこんな話を聞いたことがある。
極度のけいれんは硬直と見分けがつかないのだとか。
激しく動くはずのものが、そのあまりの激しさゆえについには停止してしまうのだそうだ。
人の感情も似たようなところがあるのかもしれない。限界を超えた哀しみと怒りは、他人からは静寂のように見えるのだ。
ちょうどあの男のように。
あの男の心は……つねに責めさいなまれているのだ。
『なぜ……』
『なぜ、あの時、自分は家族のもとにいなかったのか』
『なぜ、あの時、ともに死ぬことができなかったのか……』
どれほど泣き叫んだところで心は血を流しつづける。生きているかぎり永続する痛みとして、癒されることなど決してないままに。
かといって、彼には後を追うことなどできないだろう。家族がそれを望まないとわかっているから。
だから彼は戦うのだ。自分の命をうち捨てている時だけ、生きていることのつらさから束の間解放される。そしてより強い敵を求める。
メッサリナにひきずらているのはポーズでしかない。彼自身がそれを口実としているのである。
彼がオーバー・ワンを倒そうとするのは、つまりは八つ当たりのようなものだ。
自分の身を何か絶望的な相手にぶつけていなければ、内側からわき出てくる痛みに耐えきれない。
いっそ発狂してしまえば楽かもしれない。
だが、彼の強靱な精神はそれすらも許さないのだ。
どこまでも強く、どこまでも打ちひしがれている。哀れで悲しい男──。
だが、そんな彼を自分は利用しようとしている。
ひとでなしの所行だ。それはわかっている。
だが、近いうちに起こるであろう事態に、彼の存在は不可欠なのだ。
過去、王国をゆるがしたほどの強大なガイヴァントとの戦史をひもとけば、そこに答えは記されている。
人類の側があざやかに勝利し、損害を最小限にとどめた例には必ず英雄の存在がある。
それはただの結果論ではない。
勝利に必要なものは戦力としての英雄ではなく、英雄の存在そのものなのである。
異常なまでの強さをもつ者が、異常なまでの精神力をもって巨大な敵に突き刺さっていく。
勇ある者たちがそれにつづき、何よりも固い槍先となって敵の動きを止める。そこに勝機が発生する。
軍隊同士の戦いも変わらない。何万という軍勢が衝突する中で、錐をもみこむようにして敵の前線を突破した数百の精鋭が勝敗を決するというのはよくある事例だ。
もっとも強力な者たちが敵を釘付けにすれば、他の者たちは攻撃に全力をかたむけることができる。伝説級のガイヴァントはどれも回復力がすさまじく、どれだけの攻撃を短時間に叩き込めるかが勝負の分かれ目となるのだ。
英雄にもとめられるのは敵を倒すことではない。
最後まで死なずに戦いつづけることだ。
カル・ナイトウォーダーは攻撃魔法を持たず、学園での評価も決して高くはない。
だが、死なないという点においては学園でもきわだった性能を発揮するのである。
ビオラは肘掛け椅子の中に小柄な体をおちつける。
すぐには本を手にとる気にはなれない。
悪夢との最終的な決着……。
魔法学園がガイヴァントとの戦いをつづけていくのなら、それは人々が思っているよりもずっと早くに訪れることだろう。
その事態に備えるためには、彼の苦しみを利用しなければならない。
(それではなぜ、自分はあんなことを言ったのだろう……?)
ご家族のかたきはオーバー・ワンではありませんよ、などと彼の戦意をくじきかねないような真似を。
ビオラであっても自分自身の心はよくわからないようである。