21 霧念
寒さが緩み始めそろそろ春になろうかとしている。無事に十六万コルジが返ってきたり、魔物改造実験体十五号ドータニアを研究資金不足から再利用したドータニア改を撃退したり、ウィントアとの訓練のためシーズンズ家に通いシデルとオータンの仲が少しずつ進行したりしながら、ダンジョン探索を進めている。現在は四十階を探索中だ。
最近オルトマンたちから手紙が届いており、無事に国に到着して順調に進んでいると安全を知らせる内容に、セルシオは安堵していた。
今日は休暇ですることがなかった四人は、同じく客が少なくて暇そうだったセオドリアに話を聞いていた。
「どこの街にもおかしな噂ってのはあってな。この街にも、夜中に誰もいないはずの家から笑い声が聞こえてきたり、時計塔が仄かに光ったりといった噂はあるんだ」
「俺も聞いたことあるな。年一回街中の動物が集まる木とか、川から何本も出てくる半透明な手とか」
「動物の方は見てみたいけど、手はちょっと嫌だね」
手が出てくる様子を想像したリジィとイオネの表情が歪められる。
「お前らが行っているダンジョンにも噂はあるんだぞ」
「どんな?」
セルシオの問いに、セオドリアは思い出すような仕草をする。
「たしかダンジョン内で死んだ者が今でも幽霊となって彷徨っているとかだな」
「ありそうだけど、魔物として倒されてそう」
実際にゴーストという魔物がいて、戦ったこともあるので、そんな感想が出た。
ありそうだなとセオドリアも苦笑を浮かべた。
実際はゴーストと幽霊は別物だ。ゴーストは基本的に不定形だが時として人型を取ることがあるため、幽霊と間違われることがある。ゴーストは意思を持った気体なのだ。色々な気体が集まっていて、中には引火しやすいゴーストもいて大爆発で怪我をしたという話も珍しいことではない。
「ほかには霧が出るとか」
「霧?」
一年以上探索してそんなことは一度もなかったセルシオは首を傾げた。五十階までのダンジョンは、気候の変化がなく温度も一定なのだ。
「何年かに一度霧が出るんだとさ。それでなにがあるかはわからないんだが。罠の発見がやりづらいって話だ」
「たしかに視界が悪くなると厄介そうだ」
「まあ、そんな噂も原因のほとんどがアカデミーの奴らだったりする」
「そうなの?」
不思議そうに聞き返すリジィにセオドリアは頷く。
「時計塔の発光は塗料実験で、笑い声は声を出させる実験を受けた動物が逃げただけ、川から出る手は水に形を与える実験だったけか」
「動物の集まる木はなんなんだ?」
「それはわかってなかったはずだぞ? まあ無害だし調べる気がなかっただけかもしれんが」
「それっぽいな。霧に関してもアカデミーが関わっていたりするのか? ダンジョンに関してまだ噂はあるのか?」
「レアな魔物が出るって話を聞いたな。倒せば一つ一万以上で売れるアイテムを落すとか」
「それはそうであって欲しいという願望のように思われますわ」
同じ意見なのかセオドリアは苦笑し頷いた。
客が数人入ってきてセオドリアはそちらへと向かっていく。
それなりにいい暇潰しになったと四人は噂について話し、雑談で暇を潰していく。
そして翌日四十一階にやってきた四人は、その場に立ち尽くしていた。
「霧だ」
「霧だね」
「霧だな」
「霧ですわね」
ダンジョンが濃い霧で満たされていた。一メートル先は見えるが、二メートル先になると見えないそれほどの濃さだ。
「噂じゃなかったんだねぇ」
「どうする? なにかあるとは言ってなかったが」
「いつも以上に警戒して出発の岩を目指さず探索のみならば、問題はないと思うのですが」
「それで行ってみる? 俺は別にいいよ」
無理そうならばすぐに引き返せばいいだけなのだ。三人もそれでいいと頷く。
はぐれないようにと互いが見える位置で固まり、ゆっくり歩き始める。セルシオはすぐにセオドリアの言葉を実感した。
いつもは視覚と経験頼りに罠を見つけていたが、今日は視覚を封じられ近づかないと罠を発見できない。
「うわっほんとに罠発見しづらいな」
「魔物の発見は俺とイオネに任せて、セルシオは罠だけに集中してくれ」
「わかった」
ここらの罠は死ぬようなものはまだないが、作動させると軽くない怪我を負う。できれば作動させたくない。なのでセルシオに集中してもらおうと役目の半分をシデルとイオネが受け持つことにした。
「ストップ。これは……うん、そうだね。罠だ。踏むタイプのものだから避けたら作動しないよ」
セルシオが罠の位置を指差して、三人はそれを避けて進む。
こういった難度が上がった罠の発見のおかげで、察知ツールはどんどん経験を高めた。先を急ぎたい場合霧は邪魔でしかないが、察知ツールを鍛えるという面では悪いものではなかった。
「魔物の質が上がるわけじゃないし、注意しておけば奇襲されることもないし、このままでも大丈夫そうだな」
「そうですわね。細かく休憩をとっていけば大丈夫でしょう」
二度目の戦闘を終えて、探索続行可能と判断する。
「ただ湿り気がすごいから体を冷やして風邪ひかないよう気をつけないと」
自分が風邪ひく分にはかまわないが、リジィが風邪になったら大変だと考えている。今もセルシオはタオルでリジィの顔やローブについた水滴を拭いている。
「兄ちゃん、もういいよ」
「そう?」
今度は自分を軽く拭いて、タオルを首にかける。
「いつもよりは早く引き上げるか」
異論なしと三人とも頷く。いつもと同じくらいの時間は集中力ももたないだろうと思えたのだ。
少し時間が流れて昼食を食べ終わった時、霧の向こうに影が現れた。
近づく音や気配を感じなかったことに、全員警戒を高める。
「えっと警戒させてしまったのなら謝りますので、そう殺気立たないでください」
二十を少し過ぎたあたりの男が一定距離を置いて立ち止まる。霧に紛れそうな白の髪を持つ、どこか影のあるこの男に見覚えはない。男は敵意がないことを示すため、武器からも手を離している。
「通りがかっただけですの?」
「まあ似たようなものです。休日ですることがなかったんでダンジョンに来てこんな珍しい現象にはしゃいでしまって色々と歩き回って迷ってしまったんです。申し訳ありませんが、一緒にいかせてもらえませんか?」
はしゃぎすぎたと照れた笑みを浮かべ頬をかいている。
「どうせそろそろ帰るつもりでしたからかまいませんわよ」
ありがとうと礼を言って、カイスと名乗った男は四人が動き出すのを待つ。
カイスが加わったことで、隊列に変化がある。先頭にセルシオとカイス、真ん中にシデルとリジィ、最後尾にイオネといった感じ。これはカイスが察知スキル持っていて罠の発見を手伝うと言ったためだ。来た道を帰るだけなのでセルシオ一人でも大丈夫なのだが、ごねることでもないと四人は頷いた。
帰り道でも戦闘はあったが、連携の邪魔にならないようにカイスは端に避けていた。
そうしてそろそろ帰還の岩に着くと思われた頃、セルシオは不意に後ろを歩いていた三人の気配が消えたことに気づく。
「っ!? やっぱりっ」
振り向くと三人が消えていた。
「どうしました?」
「三人がいないんだっ」
「っ!? ほんとだ、もしかすると転送系の罠でも発動させたのかもしれません」
「でも罠は全部見つけてきた」
「察知ツールを持っているからといって、罠を完璧に見つけ出せるだけじゃないですよ? もし見つけ出せるのなら罠で死者はでない」
最後辺りに感情が抜け落ちたものをセルシオは感じ取る。
「カイスさん?」
不審そうにカイスに呼びかける。
「ん? ああ、ごめん。知り合いがそういった罠で死んじゃってそのことを思い出してたよ」
それで感情を抑えたのかと、変化に納得する。
「移動して離れたのなら腕輪のマップ機能で確認できるんじゃない?」
「あ、そうだっけ」
指摘されオプション機能があったと、早速マップを開いてみる。
だがマップは真っ白で現在地すらわからない。そのことをカイスに伝えると少し考え込む様子を見せ、
「この霧に腕輪の機能を阻害する力があるのかも?」
と自信なさげに考えを口に出す。
「離れ離れになったらどうするか決めてなかったし困ったな」
決めておくんだったと頭をかいた。
とりあえず歩き回って見覚えのあるところまで歩こうというカイスの提案に頷く。
変わらず罠察知をセルシオが、魔物察知をカイスがすることになり歩き出す。
どことなく違和感を感じつつ進むセルシオ。一時間ばかり歩いたところで、休憩することになる。この一時間で罠は見つけたが、魔物との遭遇はなかった。
「パーティーに小さい子がいるって珍しいですよね」
「俺もリジィくらいの子供の挑戦者は見たことないなぁ」
「どうして挑戦者に?」
「俺の妹なんですけどね。ずっと一緒にいたいって言って、最初はすぐに根を上げるって思ってたんだけど」
「妹、ですか。こんな危ない場所にまでついてくるんだから、よほど好かれてるんですねぇ」
「まあ家族だから?」
奴隷だったことは言うつもりがない。
「死に別れたら悲しいでしょうね」
「考えたくもないなぁ。せっかく一緒に暮らせるようになったんだし、もっと一緒にいたいですね」
「なにか事情が?」
含んだものを感じ取ったカイスは問うが、セルシオは苦笑を浮かべただけで答えない。
「会ったばかりなのに立ち入ったことを聞くものじゃないですね。すみません。しかし妹ですか、俺にもいますよ。可愛くてですね、小さい頃はにいちゃにいちゃと後ろをくっついてきたものです」
「何才くらいですか?」
「……何才だったか」
どこか遠いところを見るような目で空中に視線をやる。
「カイスさん?」
「あ、なにを話してたんだっけ?」
「妹さんのことを」
「ああ、そうだった。元気にしているといいが」
「離れているんですか?」
「うん。随分とあってないよ。会いたいな」
挑戦者などいつでも休みを取れる。行こうと思えばすぐにでも行けるはずだ。それをできなさそうな雰囲気をまとっているということは、できないなにかがあるのだろうとセルシオは詳しい事情は聞かないことにした。
「どういう子なんです?」
「大人しい子だったよ。活発に走り回るんじゃなくて、花畑の中で笑っている顔が似合う子。穏やかな子だって動物もわかるんだろうね、生まれ故郷の近くにあった森に行くと、鳥とか鹿とかが寄り添ってた」
「狩りがすごい楽そうだ」
「あはははっ俺も同じこと言って、セーマに怒られたよ」
懐かしげな顔で笑っている。涙目でぽかぽかと叩いてきたことを思い出している。
「セーマというのが妹さんの名前?」
「うん、生まれた時にセーマの花びらが部屋に入ってきたからセーマにしたんだってさ。うん、そうだった。忘れてたな……」
なにかに頷き、そろそろ行こうと立ち上がる。
再び歩き出し、相変わらず魔物とは遭遇せずにただただ進む。
疲れはなく、喉は渇かず、空腹にもならないので、時間感覚がなくなりかけていた。三十分歩いたような三時間歩いたようなそんな曖昧さのなか、休憩しつつ歩く。
「いつになったら出られるのか」
「いつかは出られるさ」
答えるセルシオにはまだ余裕がある。
初めてダンジョン探索をした時に比べたら、明かり粉や食料に余裕はあるし隣に人もいてましだ。一度迷うということを経験しているので、少しは気楽になれた。
「ずいぶんと余裕があるね?」
「一階で迷ったことあるからね。あの時は食料も明かり粉もなくてまいったよ。結局出られたのはダンジョンに入って半日以上経った頃だった」
笑えるよねと明るい声で言う。場の雰囲気を盛り上げようとしたのだ。
そうだねとカイスも小さく笑う。
「一階で迷ったって人は初めて聞いたよ」
「いろいろと準備不足でダンジョンに入ったから。無知って怖いよね。明かり粉一個と昼食でダンジョン突き進んだんだよ。しかも目印とか考えずに、そりゃ迷うさ」
「勇敢というか無茶というか。セルシオはどうしてダンジョンに?」
「お金を稼ぐため。今は余裕あるけど、前は次の日のご飯も食べられないくらいだったんだ」
「妹さんと二人で大変だったんだね」
「いやいや最初は一人だったよ。妹とは四ヶ月くらい前に再会したんだ。村で元気にしてると思ったんだけどね、いつの間にかこっちに来ていて驚いた」
「妹さん一人でいたの?」
「……うん」
会った時のこととその後のことを思い出し、表情に陰りが見えるもすぐに消えた。
それにカイスは気づき、神妙な表情で見ていた。
「カイスさんはどうしてダンジョンに?」
「俺は……俺もお金稼ぎが目的。挑戦者ってのに憧れもあったけどね。半々ってところかな」
「憧れか、レオンっていう同期も同じこと言ってたな。両親が挑戦者だったんだって」
「俺は隣の家に元挑戦者が住んでて、その人の影響だな」
「俺の回りにはそう言った人いなかったから憧れって……っ!?」
よくわからないと続けようとしてセルシオは背後になにかの気配を感じた。冷たい感じのする気配で、とてもいいものだとは思えなかった。
遭ったことのない魔物かと思ったのだが、霧の向こうに影はなく真っ白なままだ。
「どうしたの?」
「なにかの気配を感じたんだけど……」
「俺は特に感じなかったよ」
「気のせい、なのかな?」
念のため小石を拾って、投げてみる。床に落ちる音のみで反応はなかった。
気のせいらしかったと、小さく笑みを浮かべて歩き出す。
百歩ほど歩くと再び気配を感じた。
〈気のせいじゃなかったか。このまま気づかないふりして、ひきつけてから振り返れば)
セルシオはまだ遭ったことはないが隠密性の高い魔物もいるようで、その類だろうと見当をつける。
三十歩進んでも、気配は消えずにいる。
(そろそろかな)
心の中で一二の三っと数えて、振り返る。
そこには空中に浮かぶ、黒い靄の塊がいた。霧の向こうにいて姿がはっきりしないのではなく、そのまま靄の塊なのだ。大きさは人の顔の三倍ほど。ゴーストの一種と判断し、カイスに問う。
「カイスさんっ」
「な、なんだい?」
「魔術か魔法って使えます? あれって見るからに物理的な攻撃効きそうになくてっ」
「いや俺もそれらは使えないよ」
「じゃあ、逃げましょう!」
倒せない相手と不毛な戦いをするつもりはなく、即決したセルシオはカイスの手を取って走り出す。カイスがついてきているのを確認するとすぐに放したが、カイスの手は手袋越しにわかるほどひんやりとしてた。
「どうなったかって増えたっ!?」
走りながら振り返ると背後を黒く染め上げようかというくらいに靄が多くあった。
「あれがどんな魔物か知ってますっ?」
「知らないよっ」
弱点がわかれば対処できた可能性もあるが、なにもわからないならこのまま逃げようと足を止めない。
道順を気にすることなく、逃げることを最優先に走り続ける。今セルシオの頭には罠がどうといったことはなく、運がいいのか罠が現れることはなかった。しかも通路は真っ直ぐ。わき道曲がり角はなかった。
逃げる二人に靄はじりじりと距離をつめていく。速度を上げようにもこれが限界で、二人の速度が上がることはない。
どれだけ走ったかわからない。息切れしていないのでわからない。真っ直ぐ前を見て、ときどき後ろを振り返り、カイスと靄を確認して足を動かし続けた。
やがて背になにかが触れた感触がした、思わず振り返るとすでに靄というより闇そのものがすぐ後ろにあった。カイスは既に闇の中なのか姿は見えない。
そしてセルシオも闇に包まれた。
なにも見えなくなる。目を閉じても開いても真っ暗だ。すぐに感覚も曖昧になった。走っているつもりなのだが、足が床を踏んでいるのかわからないのだ。腕を振っているのか、呼吸をしているのか、音があるのか、なにもわからない。
けれどもセルシオは前に進むという意思だけは持ち続けていた。
『止まろうよ』
近くか遠くか、よくわからない距離から声が聞こえてきた。それはカイスのものに似ていて違っていた。
『止まろうよ』
もう一度聞こえてきた。それにセルシオは同意することなく進む意思を持つ。
『止まらないの?』『止まってよ』『止まろうぜ?』『止まるんだ』『止まろ?』『止まれ』
いろいろな声が聞こえてくる。その中にはオルトマンたちといった聞き覚えのある声もあった。
けれどもセルシオは止まらない。止まっては駄目だという思いがあるからではなく、進む先になにかが見えているわけでもなく、純粋に進むという意思がセルシオに止まらせなかった。諦めの悪さや意地と言ってもいい。
声をどれだけ聞き続けたかわからない。いつしか声は聞こえなくなっていた。それでもセルシオは進み続けた。
「すごいね」
はっきりと耳元でカイスの声が聞こえた。
「これだけ諦めない人は初めてです」
「カイス?」
自身の声も聞こえた。
「大抵は闇に捕らわれてすぐに根を上げるんですけどね。私たちの負けだわ。そのまま進み続けるといいよ。だからそのまま聞いてくれ。カイスから礼があるんだ。思い出させてくれてありがとう、と。ここに捕らわれて忘れていたことを君との話で思い出せたらしいです。羨ましいことだ」
いろいろな声と口調で話しかけてくる。それを聞きつつ、進み続ける。
「……頼みがあるんだけどいいかな?」
一拍置いたなにかはおずおずと聞いてくる。それにセルシオは頷く。恐らく頷いたとわかるだろうと思った。
「起きたら君の手の中にいくつかの物があるだろう。それをダンジョンの外に持っていってくれないかな。外にさえ持っていけば捨ててもいい、売ってもいい。売れるほどの価値はないだろうけどね」
「わかった、持っていくよ」
それらがなんなのかわからないが、言葉の中に強い渇望を感じ取り承諾した。セルシオがリジィを取り戻そうとした時に負けないくらいの強い思いだった。
『ありがとう』
いくつもの声が重なり一度に礼を言う。
次の瞬間、暗闇に白が混じりいっきに広がっていった。
彼らはダンジョンの中で死んだ者たちの無念だ。それが一つになり、霧でダンジョンを満たして、ダンジョンを流離っていた。生きている者が羨ましく、引きずり込もうとしていたのだ。
セルシオは意識のみでカイスとダンジョンのようなところを進んでいたことになる。罠があったのはあそこにはこういった罠がありそうだという考えに反応していたからだ。だから走ることに集中すると罠どころか曲がり角も出てこなかった。
カイスも引きずり込もうとした一人なのだが、セルシオとの会話で色々と思い出せ、無念を軽くすることができ、皆を説得したのだ。カイスの説得がなければセルシオはいつまでも闇の中だった。
託されたのは彼らの思いの込められた遺品。せめてそれだけでも外に出せたら自分たちの無念も晴れるのではと、託すことにしてセルシオを解放することにしたのだった。
「兄ちゃんっ」
「んぁ? ……ここは?」
目を開いたセルシオに、安堵した表情でリジィが抱きついた。
セルシオは帰還の岩の近くで寝かされている状態だった。
「いきなり倒れるからびっくりしたぞ?」
「カイスの姿も消えましたし」
二人も安堵したようにセルシオを見下ろす。
セルシオは長いこと倒れていたわけではない。時間にすると十秒足らずだ。帰還の岩のある部屋が見えたところで急に崩れ落ちた。同時にカイスの姿も消えた。
「あ、戻ってこれた?」
呟いた言葉はリジィにしか聞こえなかった。
セルシオには手の中になにかあるのに気づく。顔の前まで持っていくと、小さな木彫りのお守りや、薄汚れたリボン、鈍く光る銀のボタン、小さな宝石のついた指輪といったものがあった。
「そんな物、持っていたか?」
「夢じゃ、ないか。預かり物だよ。帰ろう」
リジィを一撫でして、立ち上がる。
三人を促して、帰還の岩に近づく。帰る前に一度霧に満たされたダンジョンに振り返る。気づけない程度に薄くなった白い霧があるだけで、人影や黒の靄は見えない。そこに向かって声に出さず、確かに持って出ると告げた。
四人がダンジョンを出た後も霧はそこにあり、一晩立つと消えていた。また三年もすれば出てくるのだろうか。
管理所を出たセルシオはある場所をゆっくりと目指しつつ、三人に経験したことを話していく。持ち出したことで役割は終わりだが、ちょっとしたサービスするくらいの時間はあるのだ。
夢でも見たのだろうと思える話だが、持っていた物が証拠となる。それでも信じがたい話ではあるが。
「帰ってこれてよかったなぁ」
「ほんとうに。諦めていたら死んでいた可能性が高いのでしょうね」
話に恐怖を感じたシデルとイオネは難しい顔をしている。リジィはどこにもやらないと強くセルシオの手を握っている。
「あの霧がなんなのか知られてないってことは捕まった人は全員暗闇の中で諦めたんだろうね」
「まあ、そんな状況になって生き延びられる方が稀だわな。俺も諦める方かもしれん」
諦めたくはないが、実際に捕まってしまえばどうなるかわからない。求められるのはレベルの高さではなく、諦めの悪さだ。
話しているうちに目的地が見えてきた。そこはハウアスロー教会のさらに南東にあった。
そこにあるのは慰霊碑だ。ダンジョン内で死んだ者たちが安らかに眠ることを願い建てられた石碑。今も何人かの遺族が石碑に黙祷を捧げている。
「売るより捨てるより、あそこに置いていった方がましだよね」
石碑に捧げられる祈りが効果を及ぼすのかはわからない。けれども効果がないともかぎらず、そこに置いていくことにしたのだ。
置かれた花束や人形といった中に、預かった物を置く。
「これでよし」
これで用事は終わりと四人は石碑から去っていく。
その五分後。五十手前の女が夫と一緒に石碑にやってきた。女の髪は白いが、年を重ねたからではなく元からその色なのだろう。
石碑の前に立ち祈りを捧げようとした彼女の目に、ある物が目に入った。それは故郷に伝わるお守りだ。懐かしげに思わず手に取った彼女の目が見開かれ、涙が溢れ始めた。心配する夫になんの反応も返せず、彼女は四十年前のことを鮮明に思い出していた。初めて作ったお守り、不恰好なそれを兄へと送り、からかわれつつも嬉しげに受け取ってもらったこと。記憶そのままのお守りを握り締めて、女は兄との再会が果たせたような思いで泣く。
その女を撫でるように優しい風が吹く。ただの風なのか、解放されたカイスの起こしたものなのか、それはわからない。
ストック切れたので書き溜めてきます