不機嫌な魔人公
222話
帝国内のアシュレイ派切り崩しと、旧ドニエスク派の取り込み。
このふたつをエレオラに任せて、俺はひとまずドニエスク家の皇子たちをミラルディアに避難させることにする。
バルナーク卿も一緒だ。
他にもドニエスク派貴族の一部が移住を希望しているが、今回は皇子たちだけにしてもらった。警護の負担が大変すぎる。
ドニエスク派貴族の多くは、この戦いで領地を失っている。新たな領地と地位を求め、ミラルディアで一旗揚げるつもりのようだ。
彼らは皆、ひとかどの武人や文化人たちだ。高等教育を受けているエリートだし、ウォーロイ皇子の言うことなら何でも聞く。
折をみて、少しずつ移住してもらうとしよう。
クリーチ湖上城から馬車が出発すると、ウォーロイ皇子が俺を見て苦笑を浮かべる。
「つまるところ、貴殿は俺たちを将来の備えとして確保しておきたいのだろう?」
俺は窓の外をぼんやり眺めながら、その言葉にうなずいた。
「その通りだ。アシュレイ殿にせよエレオラ殿にせよ、君主の器としては十分すぎる。当面は貴殿たちを切り札として使うことはないだろう」
幸い、アシュレイ皇子にもミラルディアを植民地化する考えはない。
南下政策を主張していた先帝とイヴァン皇子は、この世の人ではなくなった。
ウォーロイ皇子も今はミラルディアに保護される身だ。
とりあえずミラルディアの危機は去ったといっていい。
俺はウォーロイ皇子に視線を戻す。
「だが今後、政情がどうなるかはわからない」
「……そうだな」
アシュレイ皇子あたりが心変わりするかもしれないし、そうでなくとも強硬なアシュレイ派貴族たちに動かされる可能性はある。
そのときにミラルディアがウォーロイ皇子とリューニエ皇子を担ぎ出せば、ロルムンド国内は大混乱になるだろう。
国を追われたとはいえ、二人の皇子の人気は絶大なのだ。二人が帝位奪還のためにロルムンドに軍事侵攻すれば、政情不安定な北ロルムンドで再び反乱が起きる可能性があった。
もちろんそんなことは実際にはほぼありえないが、そのリスクを考えればミラルディアへの過度な干渉は躊躇するはずだ。
「貴殿たちはミラルディアの剣だよ。神聖ロルムンド帝国の帝位継承権を持つ貴人として、ミラルディアで丁重に遇させていただく」
書類上では国籍を剥奪されていても、彼が皇帝の血筋であることは誰もが知っている。
俺の言葉にウォーロイ皇子は苦笑する。
「まったく悪党だな、貴殿は」
「最高の褒め言葉だよ」
聖人だの英雄だのと呼ばれるよりも、悪党と呼ばれるほうが落ち着く。
するとウォーロイ皇子はますます苦笑した。
「そして、そういう理屈をこねて本国を納得させたんだろう?」
見抜かれていたか。
俺が持っている全ての権限は、ミラルディア連邦や魔王軍から預かったものだ。単なる同情心だけで使うことは許されない。
本当は死んだことにして、こっそり亡命させたかったんだけどな。
しかしそれだと、彼らを外交の切り札として使ったときに「ウォーロイ皇子たちは死んでるからそいつらは偽者だ」と一蹴されてしまう。
だから俺は渋々うなずいた。
「俺も慈善事業をしに来ているのではない。貴殿たちを助ける以上、それに見合う利益をミラルディアにもたらさなくてはな」
ウォーロイ皇子はニヤリと笑う。
「せいぜい役に立ってやるから安心しろ。その代わり領地のひとつも欲しいところだな。狭くても形式だけでも構わんが、ドニエスク家の治める領地が欲しい」
「もちろんだ。十分な領地をドニエスク領として代々統治していただく。ただし」
「なんだ?」
俺はニヤリと笑い返してやった。
「まだ何も準備できていないのでな、これから作らないといけないんだ」
俺たち一行は東ロルムンドへと旅を続け、やがてミラルディアに続く坑道へと到着した。
道中、ボリシェヴィキ公あたりが刺客でも差し向けてくるのではないかと警戒したが、そんなこともなかった。逆に拍子抜けする。
「ちらちら様子をうかがっとる連中がおったのう」
「そうですね。街道沿いの森からこちらを見ていました」
ウォッド爺さんとハマームがそんな話をしている。
ボリシェヴィキ公の隠密たちだろうか。
カイトの魔法によると数名規模ということで、襲ってはこないようだ。
ここで襲ってこないということは、ウォーロイ皇子たちに用はないということだろうか。相手の意図が今ひとつ読めないな。
俺はそんなことを考えつつ、前を歩くリューニエ皇子を励ます。
リューニエ皇子は、慣れない山道と坑道に悪戦苦闘しているところだ。
「暗くて足場も悪いが、ここを通らないとミラルディアに行けない。リューニエ殿、もう少しだけがんばれるか?」
「はい、ヴァイト殿!」
いいお返事だ。
長い坑道を抜けると、心なしか風が少し暖かくなった気がする。
ミラルディアの風だ。
俺は一行に先立ち、坑道の外に出て素早く安全を確かめる。
それからホッと安堵し、振り返って二人の皇子に笑いかけた。
「ようこそ、ミラルディア連邦へ。ミラルディア評議員として歓迎いたしますよ、ウォーロイ殿、リューニエ殿」
二人は坑道の外に出て、周囲を珍しげに見回している。
「ここがミラルディアか。こちらではもう春が近いのだな」
ウォーロイ皇子の言う通り、こちらの陽射しはロルムンドより少しだけ春の気配だ。この気温なら、昼間は雪が溶け始める頃合いだろう。
それにしても初めての土地なのに、堂々としたものだ。
一方のリューニエ皇子は少し不安そうだ。
「こ、ここがミラルディアですか……魔族が暮らす土地という……」
魔族ならここに一人いますよ、リューニエ君。
今教えるとびっくりさせてしまうから、落ち着いてから打ち明けるとしよう。
「心配いらないよ、リューニエ殿。魔族にもいろいろいて、街にいる連中は人間の法律を守って暮らしている」
俺は魔族代表として、リューニエ皇子にお願いをする。
「見た目は変わっているが、彼らもミラルディアの一員だ。税金も払うし仕事もしている。怖がらないでやってくれ」
リューニエ皇子はまだ子供だが、支配者としての心得は身につけている。
すぐに自分の立場を察して、こっくりうなずいた。
「は、はい」
「ありがとう」
さすがはイヴァン殿の息子、ドニエスク公の孫だ。
そんな話をしていると、俺たちを待っていた採掘都市クラウヘンの衛兵隊が整列する。
「黒狼卿がお帰りになられたぞ!」
「整列! 捧げ剣!」
左右にずらっと並んだ衛兵たちが一斉に剣を捧げ持つ光景は圧巻だ。
でもちょっと大げさすぎないかな?
するとそこにクラウヘン太守のベルッケンが駆けつけてきた。
「ヴァイト卿、それにドニエスク家のお二方、よくぞ御無事で!」
驚いたことに我らがリューンハイト太守、「魔人公」アイリアまでいる。
「お帰りなさい、ヴァイト殿!」
「アイリア殿!? なぜこんなところに!?」
俺が思わず叫ぶと、アイリアは白い息を吐きながら笑った。
「貴殿が一時お戻りになられると聞いて、大急ぎでやってきました!」
「もう少しすれば帰国するのに、わざわざ……」
俺がそう言うと、隣にいたウォーロイ皇子が咳払いをする。
「ヴァイト殿。アイリア殿といえば貴殿の婚約者だろう? 何を冷たいことを言ってるんだ? いいから接吻のひとつもしてこい」
その瞬間、アイリアが驚いた表情で俺を見る。
「えっ?」
この脳筋皇子、俺のフィアンセ設定を覚えていたか。
しかも本人の目の前で言いやがって。
俺は慌ててアイリアに弁明する。
「いや、待ってくれ。あちらで俺に男色家疑惑が立ったんだ。それで仕方なく、そういうことに……」
どうせバレないだろうとたかをくくっていたら、とんでもないところで天罰が下ってしまった。
やはり悪いことはできないもんだな。
アイリアは俺をじっと見つめたまま、頭からほかほか湯気が出そうなぐらい顔を赤くしている。
鋭敏かつ頼もしい我が人狼の嗅覚によると、怒っている訳ではないらしい。よかった。
よし、今のうちだ。
「あー、そういうことでアイリア殿は決して俺の婚約者などではない。だよな、アイリア殿?」
その瞬間、アイリアの放つ匂いが変化した。
怒っている。
「ええ、そうですね」
「あの……アイリア殿?」
「私はヴァイト殿の婚約者ではありません」
怒ってますよね?
なんで?
軽く混乱していると、ウォーロイ皇子がニヤリと笑う。
「ほう、そうなのか」
長身の彼はずずいとアイリアの前に立ち、それから膝を突いて恭しく一礼した。
「我が名はウォーロイ・ボリシェヴィキ・ドニエスク・ロルムンド。神聖ロルムンド帝国先帝バハーゾフ四世の甥にして、ドニエスク家の次男だ」
精悍な顔つきに親しげな笑みを浮かべると、ウォーロイ皇子はこう続ける。
「改めて御尊名をおうかがいしたいのだが、よろしいかな?」
「は、はい」
アイリアは慌てて向き直り、ウォーロイ皇子に会釈する。
「ミラルディア連邦評議員にしてリューンハイト太守の、アイリア・リュッテ・アインドルフと申します。お目にかかれて光栄です、ウォーロイ殿下」
「俺は既に敗残の身、もはや殿下と呼ばれる身分ではない。どうかウォーロイとお呼びください、アイリア殿」
いい声といい笑顔してやがる。これなら結婚詐欺師になっても食っていけそうだ。
おい、そのへんでいいだろ。時間がもったいない。アイリアから離れろ。
俺は咳払いをして、ウォーロイ皇子の挨拶を打ち切らせた。
「話は後でゆっくりしてくれ。貴殿にはこれからミラルディアで活躍していただくのだからな」
「ふ、そうだな」
なんでニヤニヤしてるんだよ。
噛むぞ、この野郎。
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