交易都市リューンハイト攻略戦(後編)
2話
「心配しなくても、喰ったりしないって……」
腰を抜かして逃げまどう人間たちを放っておいて、俺は軽く跳躍した。
ふわりと体が宙に浮き、三階の高さまで飛び上がる。街の様子が一望できた。
予定通り、人狼隊が太守の館を包囲している。警備の兵は数名いたようだが、気の毒なことになっていた。
「なるべく殺すなって言ったんだがな……仕方ないか」
人狼の腕力と闘志は、手加減が難しい。
俺は手近な屋根沿いに走って、太守の館の前に飛び降りる。
そこに間の悪いことに、衛兵の増援が現れた。
「太守様をお守りしろ!」
「突撃!」
抜刀して襲いかかってくる兵士が、俺の背後に五人。
俺は後ろ蹴りで最初の一人を軽く吹っ飛ばすと、振り向いて攻撃を開始した。
振り下ろされる剣を腕で薙ぎ払い、叩き折る。爪で刻むと殺してしまうので、軽いジャブを胸甲に当てる。
「ぐはぁっ!」
しまった、やりすぎたか? 思った以上に加減が難しい。
仕方ないので、残る三人はローキックで沈めることにした。脚は間違いなく骨折するだろうが、後で魔法で治してやればいい。
そんなことを考えている間に、五人とも石畳にひっくり返っていた。
「後で治療してやるから、そこで寝ていろ」
俺はそう告げると、太守の館に二階の窓からお邪魔した。
俺がぶち破ったのは、前世ではまず見られないような粗悪なガラス窓だ。厚みが均一ではなく、おまけに気泡と濁りで透明度が低い。
こちらの世界では裕福な市民の月収に相当するガラスを遠慮なく叩き割って、俺は太守の館に侵入する。
飛び込んだ先は、太守の執務室だ。事前に調べはついている。
案の定、そこに太守がいた。
「何者ですか!」
にらみつけてきたのは、二十歳ほどの女性だ。スーツのような服を着ているが、これは貴族階級の男の正装だ。腰にサーベルを吊っている。
俺は室内を見回すが、護衛の姿はない。嗅覚にも聴覚にも反応はなかった。部屋の外も、人狼たちの気配がするだけだ。
俺は嫌みにならないよう気をつけながら、太守に一礼した。
「俺は魔王軍第三師団副官、ヴァイトだ。太守アイリア殿とお見受けする。相違ないか?」
「そうです」
太守アイリアは顔面蒼白だったが、気丈にうなずいた。だが唇が微かに震えていて、それ以上言葉は出てこない。
帝王の器というほどではないが、将の器は十分にありそうだ。少なくとも俺よりは上だろう。
尊敬に値する敵だと判断したので、俺はなるべく穏やかに話しかける。
「我が軍はリューンハイトの市街全域を掌握した。これ以上の争いは無意味だろう。どうか降伏を」
「なりません!」
太守は顔面蒼白のまま、拳を握って叫んだ。ひとかどの人物ではあるが、素直ではないらしい。
「このリューンハイトは我が都市同盟の要衝! 魔王の支配下になど」
俺は彼女を黙らせるために、少しだけ手荒な手段にでる。
「ならば死ぬがいい」
牙を剥き出し、身構える俺。
案の定、太守は怯えて立ちすくんだ。ぶるぶる震えている。
そりゃあそうだろう。相手は人狼だ。重甲冑を爪で切り裂き、騎兵よりも速い化け物だ。こんな華奢なお嬢さんが勝てる相手ではない。
俺は一歩踏み出して、さらに挑発する。
「太守殿の名誉のため、一騎討ちで果てる権利を与えよう。さあ剣を抜け」
そう言われて彼女は慌てて腰のサーベルに手をかけるが、恐怖のせいでうまく握れない。彼女があまり戦い慣れていないのは、一目でわかった。
「わ、私は、二等領爵にして……リュ、リューンハイトの太守……」
混乱しているのか、一騎討ちの名乗りをもうあげようとしている。確か名乗りは抜刀してからのはずだ。
俺は牙を剥き出し、軽く吠えてみせた。窓ガラスがビリビリと震える。
とたんに彼女は悲鳴をあげ、サーベルを落とした。ぺたりと尻餅をついてしまう。
「ひっ……」
思わず吹き出しそうになった俺だが、相手が人狼では仕方ない。俺だって前世だったら腰を抜かしてるはずだ。
だから俺は吠えるのをやめて、絨毯の上に座り込んだ太守に顔を近づけた。
「そんなサーベルで人狼を倒せるものか。俺を倒したところで、この街を救うことはできんぞ。あきらめろ」
するとアイリアはサーベルを拾い上げると、その鋭い切っ先をアイリア自身に向けた。真っ青な顔で、彼女は唇を震わせる。
「な、ならば……」
「待て待て待て!」
俺は慌てて、彼女の手からサーベルを奪い取った。とんでもないヤツだ。
「自害しても意味ないだろうが! もう少し頭を使え!」
「頭……?」
惚けた表情で俺を見上げてくるアイリア。ショックで思考が硬直しているらしい。
俺は溜息をついて、こう返した。
「あのな、俺たち魔王軍が街を占領してる訳だ。住民は殺してないが、そりゃあ怖いだろうよ。わかるな?」
「え、ええ……わかります」
アイリアは子供のように、こっくりうなずく。
俺もうなずいて、説得を続けた。
「俺たちは人間を支配するつもりだが、殺したり奴隷にしたりはしない。おおむね今まで通りに暮らしてもらって構わん。そうなると、人間のリーダーが必要だ。わかるか?」
「えと……つまり、私に太守を続けろと?」
「そうだ」
さすがに太守だけあって理解は早い。
「混乱を防ぐために、妥協しないか? 降伏して、魔王軍に協力しろ。ある程度なら、人間たちの要求も受け入れる」
俺は彼女の返答を待った。
アイリアは悩んだが、すぐに彼女の瞳に活力が戻ってくる。
決断は早かった。
「もし今の言葉に嘘があれば、全市民に徹底抗戦を呼びかけます。それでもよろしいですか?」
「構わんぞ。魔王様直々に、この街の裁量は俺に委ねられている」
俺がうなずくと、アイリアは立ち上がった。彼女が手を差し出してきたので、サーベルを返してやる。
アイリアはサーベルを両手で捧げ持つと、改めて恭しく俺に差し出した。
「アイリア・リュッテ・アインドルフはリューンハイトの太守として、正式に魔王軍に降伏します。どうか寛大なご処置を」
「受諾した」
俺はうなずき、こうして市街戦は幕を閉じたのだった。