交易都市リューンハイト攻略戦(前編)
1話
前世のことはあまり覚えていないが、思い出す必要も感じない。
俺の今の名は、ヴァイトという。皆はあまり気にしていないが、個人的には発音に気をつけて欲しい。
今の俺は魔物だ。
「ヴァイト様、潜入が完了しました」
「わかった。先遣隊から合図があれば、俺の指示を待たずに突撃しろ」
「はっ」
人狼。人間から狼男に変身する魔物だ。
変身前の俺は前世同様にぱっとしない顔立ちだが、変身後は黒い狼男だ。
人間は怖がるが、俺はなかなか格好いいと自負している。転生先の種族としては「当たり」じゃないだろうか。
現在の俺は、魔王の軍勢に所属している。魔王軍第三師団、副師団長。それが今の俺の肩書だ。
大層な肩書に見えるが、各師団は小規模だし副師団長は数人いる。
俺が今回指揮するのは人狼隊の五十六人と、師団長から借りた犬人族の工兵が二百ほど。
そして攻撃目標は、辺境の交易都市だ。城壁に囲まれた、人口三千人ほどの街だ。
名をリューンハイトという。
俺は森の奥から、丘の下にある街を見下ろした。
傍らに控える犬人族の伝令たちが、新たな報告を行う。
「駐屯している敵は、およそ二百名。治安維持のために散らばっています」
「間違いないだろうな?」
するとビーグル似の少年兵が、困ったように首を傾げた。
「潜入中の人狼隊からの報告なので、ボクたちにはわかりません……」
「それもそうだな」
我々に与えられた任務は「殲滅」ではなく、「占領」だ。
俺は歩きながら、伝令たちに指示を出した。
「全ての犬人隊に進軍開始を伝えろ。予定通りだ」
「はっ」
伝令たちがそれぞれの部隊に駆け戻っていくのを見送ってから、俺は街に向かって歩き出す。
都市を囲む城壁の門で、衛兵たちが通行人を監視している。俺も見られたが、今の俺はどこから見ても普通の人間、冴えない黒髪の青年だ。
ヘルメットに胸甲だけの簡素な出で立ちの衛兵が、短槍を携えて俺を呼び止める。
「お前さん、見ない顔だな」
俺は背負った荷物袋から、鳥をかたどった小さな笛を出した。
「オモチャの笛を納品に来た仲買人です。ペトゥン商店まで」
「ふむ」
衛兵はそれを手に取り、軽く吹く。スピョロロロという間抜けな音がした。
「おもしろいでしょう?」
「おもしろいかな……?」
俺の笑顔に、衛兵は困ったような笑顔で笛を返してきた。
「通っていいぞ」
「どうも」
ちょうどそのとき、城門周辺が騒がしくなってきた。
「怪物だーっ!」
「たすけてくれーっ!」
行商人たちが荷物を抱えて、必死の形相で駆け込んでくる。
たちまち周囲は騒然となった。衛兵が行商人たちを取り囲む。
「どんな怪物だ!?」
すると彼らは真っ青な顔で、こう答える。
「い、犬! 犬の顔をした連中です! 武器を持ってた!」
「凄い数です!」
「早く! 早くやっつけて!」
衛兵たちは顔を見合わせたが、すぐに行動を開始する。
「鐘を鳴らせ! 三回だ!」
「本部へ伝令! 他の城門にも通達しろ!」
「城門を閉じるぞ! みんな中に入れ!」
うろたえる旅人、子どもを抱いて逃げる住民、周囲は大混乱だ。
一方、衛兵たちはよく訓練されていて、動きに無駄がない。よく統率されている。士気も高く、なかなか優秀だ。
俺は人混みに紛れて街に入ると、売り物の笛をひとつ取り出した。見つからないように、それを思いっきり吹く。
音は鳴らない。だが俺たち人狼には聞こえている。これは犬笛だからだ。
作戦は次の段階に移行する。
俺は怪しまれないよう、ゆっくりと街の中心部へと向かった。そこに太守の館があるのだ。
しばらくすると、街の中も騒がしくなってきた。
「怪物がいるぞ!」
「犬の化け物だーっ!」
事前に潜入していた人狼隊が変身して、行動を開始したようだ。大騒ぎになっている。
だがやっかいな衛兵たちは城壁に釘付けだ。
おまけに情報が混乱していた。「街の外に犬人がいる」のと「街の中に人狼がいる」のがごっちゃになっている。
「犬の怪物だ!」
「衛兵が応戦してる、大丈夫だ!」
「そ、そうか」
見事に混乱の極致だ。しかし可愛い犬人と精悍な人狼の区別ぐらいつけて欲しいものだ。俺たちは犬じゃない。
状況は予定通り、心配していたトラブルは何も起きていない。そろそろ頃合いなので、俺も変身することにした。
大きく深呼吸し、内側に秘めた衝動を解放する。
「ウオオオオォ!」
何度やっても変身は爽快だ。力があふれてきて、気分が高揚する。このわくわくっぷりは子供のようだ。
だがもちろん、周囲の人間たちにとっては、わくわくどころではない。
「ひいいぃ!?」
「きゃあああああっ!」
「怪物だあーっ!」
慌てふためく人々に、俺は苦笑してしまう。もっとも今の俺は狼頭の獣人だから、威嚇して牙を剥いているようにしか見えないだろう。