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15, セルフ・ディストラクション

 そこには、一度洪水で滅びかけた村があった。日本の縄文時代を思わせるような小さな集落ではあるが、村人の数もそこそこ、それでいてとても近所付き合いの良い集落だった。そこには数々の個性を持った村人がいて、各人それぞれ皆に尊敬されていた。

 ある人物は剣の達人であったり、ある人物は大食人であったり、ある人物は手先の器用さが群を抜いていたり、ある人物は良く泣き良く笑うことで有名だったり、ある人物は研究に没頭している人間だったりする。

 だがその村に大量殺人鬼が生まれた。ある意味で言えば、それも村人の個性の一つであるのだが、洪水のタイミングを狙ってその本性を露にしたのだ。村人は恐れ慄き、逃げ惑う暇も無く一人目が殺され、絶望に村全体が打ちひしがれていた。仲の良い村人たちは、その一人もでも失っただけで全てを失った感情に叩きのめされていたのだ。

 日を追うごとに次々と殺されていく仲間を目の前にして、彼らは何も出来なかった。村で一番強いと呼ばれたつわものさえも呆気なく殺人鬼に破壊され、見るにも無残な姿で帰還した。誰かが殺されるたびに殺人鬼の笑い声が空を舞った。村人たちは耳を塞いでその声から、現実から逃げた。けれども、不思議なことにその場所からは誰も逃げなかった。

 村には当然村長がいた。聡明な人間で、村を統括するにはもってこいの人材だった。頭脳明晰で村一番の学者であったし、剣の腕もなかなかに立った。だから、村長はその殺人鬼に対抗しようと立ち上がったのだ。

 村人は全員揃ってそれに反対した。彼らはこの力ある指導者を失いたくなかったのだ。ある女はありったけのご馳走を用意して村長を止めようとした。しかしそれに村長は首を振って食事を払い除けた。ある女は理論的に出された結果から勝てないことを悟らせようと語った。だが村長は耳を傾けなかった。頑固一徹とも言えるその態度に次第に村人たちは魅せられていき、ついには誰も止めるものはいなくなった。

 村人に理解を得た村長は、村一番の鍛冶屋が打った剣を手にとって殺人鬼と対峙した。


「何故あなたは人をこんなにも殺したのか」


 誰かがそう問うたのを村長は聞いていた。その人間の変わりだとでも言うように、澄んだ声でそれを殺人鬼に問う。

 殺人鬼は笑って答えた。


「どうしてか私は人を殺さなきゃいけないの」


 村長は顔をしかめる。


「人を殺すには相応の理由があるはずだ。何にかに恨みがあったのか。それともそうしなければならない理由があったのか」

「人を殺すことに理由なんていらない。そうなった過程に動機があったにしても、殺すという行為自体に意味合いなんて全く無いの」

「ならば、その動機は何だ」

「そうしなければならなかったから」


 そこで初めて村長は殺人鬼が嘘や妄言を吐いているわけではないと知った。これは紛れも無い本音であって、真実であるのだと悟る。

 驚いたのはそれだけではない。殺人鬼は、なんと女の子の風貌をしていた。珍しいことではないし、それがそうであるという確信も村長にはあったが、目の当たりにすると彼女の美しさには目を引かれた。血みどろの服と髪が一層妖艶さを増しているようにさえ思える。

 ――その後ろに、白い手が蠢いていた。

 村長は思わず目を疑った。殺人鬼が生まれたことさえ衝撃的だというのに、村の中にはこんなものまで紛れ込んでいたのかと、自分たちの守りの薄さを呪った。白い手は一本や二本では済まされない。地面から、空から、わけのわからないとこ様々から出てきている。それは様子を窺うように伸びたり縮んだりして、女の子が一瞬の隙を見せるとすぐさま襲い掛かっている。

 村長が今までそれに気付かなかったのは、女の子がまるで空気を掻き分けるようにいとも簡単にそれを払い除けているからだ。


「その手は何だ。そんなものは今までなかったはずだぞ。これもお前が出したのか」

「違う。これは私たちを殺そうとする悪魔の手だよ。ただ、この中で私が一番怖いから、早く殺そうとしているだけ。でも安心して、私が死ななければあなたが殺されることも無い」

「私たちを殺す者だと? どうしてその手は私たちを殺そうとしているのだ」

「……それは、私たちが死ぬべき存在だから。どうせもうすぐ黒い手も現れる。そうなったらもう誰にも殺戮は止められない」

「黒い、手……?」

「そう。白い手よりかは猟奇じゃないけど、あっちは賢い手。きっと私ばかりじゃなくて、あなたたちも殺してしまう手。でも大丈夫、私が、手なんかに殺される前に――殺してあげるから」


 村長は息を呑んだ。剣を咄嗟に構えて、彼女の攻撃に備える。冷や汗が一滴首筋を伝うのが分かった。しかし、完全に気圧された村長に拭うほどの余裕は無かった。

 剣の形状は『イメージ』として西洋剣が正しい。一般的にブロードソードと称された代物だ。故に村長のもう片方の手にはバックラー、つまり小型の盾が装備されている。それを見て、殺人鬼は酷く落胆した。

 バックラーを装備した騎士を相手に一対一で戦うことは相応の技術が必要になる。それは、小型の盾を盾、つまり防御として使うのではなく、相手の剣術を弾き飛ばすために主に利用されるために、映画のような激しい戦闘が予想されるからだ。しかし、村長の構えはどうだ。剣を無様に前に突き出し、盾を自分を守るためにしか使用しようとしていない。恐らくはどこかで仕入れた知識でしかないのだろう。それでも『腕が立つ』と呼ばれていたのは、比較する対象がいなかったからに違いない。

 こんなものでは、『見えざる手』からも『白い手』からも村を守るどころか、自分の身すら守ることができないだろう。ならばいっそのこと、死ぬ前に殺してあげればいいと、殺人鬼はそう考えていた。


「うぉぉぉぉぉ!!」


 村長が地を勢いよく蹴った。振り上げた剣の切っ先が闇に光った。

 唐突だが、殺人鬼はこう考えていた。見えざる手が何故見えないのかということ。それは何かの比喩ではなく、文字通りの意味で見えないのだ。しかし、そのネーミングはまさにこの世界だけに適応されるものだとも知っている。

 闇だった。この世界はあまりに暗い。気付かなければ気付けないほどに闇に満ちていた。故に、『その色を保護色とする手』は見えざる手に違いない。

 一体何人の村人が自らの知りえないうちに命を落としたのだろうか。それを思うと、殺人鬼は思わず涙を流してしまった。


「大丈夫だよ。無くなる前に、全部壊してあげるから」


 殺人鬼は血塗られた手を伸ばした。と、その時だった。

 ぐちゅ、と厭な音が辺りに不自然なほどに響いた。同時に村長の動きも止まる。村長はゆっくりとその音の元を探そうと、自分の腹部を見た。


「――っ!?」


 声すら出なかった。自分の腹部に突き刺さっていたのは闇そのものだった。だがいかに保護色といえども完全に同化しているわけではない。その存在はくっきりと形を持って視界に捉えることが出来る。

 手であった。艶やかな女性の髪の毛のような漆黒を持った手だった。それがお腹を撫でるように自分の中で蠢いている。


「…………めて」


 殺人鬼がか細い声を上げる。わなわなと口元が震え、今まで自分で生み出してきた状況を目の前にして恐れおののいている。これはなんという自分勝手な感情だろうか。彼女の瞳から雫が零れ落ちる。赤い、とても赤い涙だった。

 彼女は村人の血を吸い過ぎて、真っ赤に染まってしまったのだろう。ふと自分の姿を顧みると人の色をした部分が何一つ存在しなかった。かろうじて唇は赤くとも良いだろうが、舌なめずりをすれば強烈な鉄の味がした。

 村長が真っ黒に染まっていく。これは人が死ぬことと同義であって、同時に生きることとも同義であった。


「や、止めろ、私に触れるなぁぁぁ!!」


 耳を持たない手に声など届くはずが無い。人という器に液体を注ぐように、ゆっくりと身体なかが満たされていく。村長がいくら腕を嫌々と振ろうが何も意味を成さない。腹部から腕、膝、首、かかと、顔と、そのうち風景と同化していく。

 殺人鬼はいてもたってもいられずに必殺の手を携えて駆け出した。


「やめて! その人は私が殺さなければいけないの!」


 勿論超えは届かず、変わりに白い手が殺人鬼の身体に絡まる。


「邪魔よ、離して!」


 白い手は惨殺されていく。だが、数は質をねじ伏せることが時に可能になる。さしずめイソギンチャクの触手のような感じで地面から一気に手が溢れ出し、完全に殺人鬼を押さえ込んだ。まるで見せざる手とコンビネーションを組んでいるかのようで、殺人鬼は苛立って手に爪を立てる。


「何なの!? あなたたちは対立してるんじゃないの!? お願いだから止めてぇぇ!!」


 ついには悲鳴を上げた。その悲鳴が爪を立て、白い手を切り刻んでいく。

 村人たちがその悲鳴を聞きつけて徐々に集まってきた。冗談ではなかった、これでは状況は悪化する一方で、白い手は次々と増え続けてこちらは何ら進歩できない。

 ダメだ。

 もはや殺人鬼は諦観するしかなかった。首をがくりと落とし、殺人鬼は力を抜いた。


『君の名前を、聞かせてくれないか?』


「……何?」


 声がした。とても澄んだ声だった。声は反響して、次第にはっきりと聞こえてくる。


「色、何色が根源なのかは僕ら低俗な人類が察することの出来る事じゃない。世界で最初に生まれた色が、白なのか、黒なのか、はたまた赤なのか青なのか。それとも……灰色なのか。君はどう思う?」


 扉がそこにあった。とても綺麗とは言えないが、不思議な扉だった。灰色で、それでいて他の色に見えないことも無い。


「しかし分かるはずの無いことをグダグダと思考していても仕方がないから、人は自分たちで決めることを覚えた。例えば花の名称、例えば数学的な証明、例えば言語。けれども考えてみてくれ、黒と白のどちらが根源なのだろうかという事はまだ両者が分裂している。

 白、つまり人のイメージするところの『善』や『光』が根源なのか。

 黒、つまり人のイメージするところの『悪』や『闇』が根源なのか。

 鶏が先か卵が先か。誰も決めていないことをどうやって判断すれば良いのだろうかと考えたとき、先ほどの結論に達する。――自分たちで決めれば良い」


 彼が本当に自分たちの知るところの言語を喋っているのかすら錯覚してしまいそうなほどに不可解な内容を喋る扉。いや、恐らく扉の向こう側に喋っている人物がいるのだろう。一体誰なのかは分からないが、今すぐにでもこの状況を打開して欲しかった。と、そう思って辺りを見回してみれば、自分以外の全ての時間が止まったように、見えざる手が、白い手が、村人たちが扉を見つめていた。


「そうなったとき、当然人間は自分たちが分かりやすいように、有利になるように決断を下す。無論これを決定するのは民主主義であるが故の国民投票が一番平等で良い。……と言いたいところなんだけどね、こういうものは先に言い出したものの勝ちなんだ。だから僕は灰色を世界の根源と設定させてもらう。故に、闇が帰る場所も光が帰る場所もすべからく灰色の世界、『異端が集まる場所』に違いない。だから僕は全てを帰す。この世界にただの一人も異端を残さないために」


 扉がゆっくりと開いていく。邂逅が始まる。


「さあ始めよう。『セルフ・ディストラクション』を」


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