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セルフ・ディストラクション 作者:竹蜻蛉
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16, 傷と涙と因果と

「――……っはぁっ!」

 私は半強制的に目を覚ました。心臓の動きが激しく、耳の裏で血流の音が聞こえる。ドクンドクンと五月蝿い。着ていた服が汗でびっしょりと濡れており、間違いなく着替える必要がありそうだった。そこで気付いた。私は帰ってから制服を着替えていないようだった。着替えもせずにベッドで寝たのかと思うと、最近の自分の自己管理能力の無さに嫌気が差す。額を拭ってみると、自分の額を拭っているのかと疑えるほどに汗が手の甲についた。私は顕著に嫌そうな顔をしてその汗をシーツで拭いた。
 夢だ。夢を見ていた気がする。それも、今まで遭遇したことの無いほどのとびっきりの悪夢を。それがどんな内容だったかは全く思い出せないが、少なくとも夢の中で『自分が死んだ』ような記憶がある。夢は現実の断片、理想、その逆の絶対に起きて欲しくないことなど、人間の精神状態が出るものだというが、これはどういうものだろうか。何かを暗示しているにしては冗談が過ぎているように思えた。

「さっさと着替えよ……」

 着替えると言ってもまだ昨日から風呂にも入っていないために、私は先にそちらを済ませることにする。
 ベッドから重い身体を起こして、私は一度背伸びをする。随分長い間眠っていたのか、ところどころで骨が鳴る。首辺りが鳴った時に僅かな痛みを覚えたが、特に気にすることでもない。
 私は何食わぬ動作で携帯を手に取った。メールのチェックをするわけではない。目覚めで必要なのは時計である。携帯のディスプレイの右上に表示された数字を見る。時計は十一時十分を表示していた。
 そこで私は始めて気づいたように、風呂に入ろうと着替えを持った手を止めて、思考する。

「十一時、十分……?」

 登校時刻は朝の八時半である。首を回して窓の外を見てみたが、午後十一時というわけではなさそうだ。カレンダーを確認する。今日は火曜日であり、休日である可能性はゼロに等しい。冷静になって状況を整理してみる。結論はいとも簡単に出た。

「もろに遅刻じゃない……」

 この様子では今から登校したところでまともに授業を受けることは出来ないだろうと判断して、私は五時限目からの出席を覚悟し、ため息と共に部屋を出た。
 部屋を出て階段を降りた時に私は異様な違和感を覚えた。嘔吐感とは違う気持ちの悪さが私の喉の奥を襲った。平衡へいこう感覚がおかしいとすぐに判断して、私は必要ないと決め付けていた階段の手すりに掴まる。

「ぅ……な、何?」

 今になって良く確認してみれば、額の汗はふつふつと湧き出てきているし、それに体内温度が心なしか高いような気がする。はぁ、と吐息をわざとらしく漏らしてみれば、口内の熱さが必要以上に認識できた。

「熱、ぶり返したかしら……」

 この状態では、きちんと熱を測ってみないと風呂は危険かもしれない。私は一階に降りて、リビングの救急箱から体温計を取り出した。家具がセンスの良い位置に配置されたゆとりのあるリビングを見渡してみたが、両親は既に仕事に出かけているらしい。机の上に書置きを見つけてそれを手にとって見た。内容は、私が珍しく寝坊しているところを起こしに行ったらしいのだが、私はその時『今日は休む』と答えたらしい。それで両親は恐らく私が先週風邪を引いていたことからぶり返したのだと判断したのだろう。書置きの横にはご丁寧に森野医院から貰ってきたカプセルと、簡単なお粥がラップに包まれて鍋に入っていた。
 どうやら私は寝言で自分の限界を親に伝えていたらしい。考えて見れば、そんなことを言った気がしないでもなかった。何となく違和感を覚えつつも、とりあえずは胃袋の中に何か入れておこうと粥鍋を火にかける。その間に熱を測っておこうと思い、椅子に座って体温計を脇下に入れた。

「…………」

 一人で家にいると、物凄い静かだな、と感じることが良くある。こういう時に家族の団欒だんらんがいかに重要なものなのかを思い知らされる。
 白椿菊乃。恐らく彼女には家族の団欒など遠い夢のような産物なのだろう。友人付き合いを規制する家族が仲が良いはずがない。向こうがそう接しようとしていても、白椿さんがそれを全面的に受けて入れているのかと聞かれれば、恐らく否だろう。私が勝手に決め付けられることではないが、そうでも解釈しなければ『家庭事情』という言葉がそぐわない。
 いや、それは考えすぎかもしれない。この状況に少し感化されすぎている節が自分自身に見えた。元より彼女からは事情を嫌でも聞きだす予定である。
 彼女がいったいどういう事情を抱えているのかはまだ未知であるが、私に何かを求めて接触してきたのは確かなのだ。それを無下にするほど私も非道ではない。だが、与えるものが何か分からない以上は行動のしようが無いのだ。彼女が自ら語ってくる日もそう遠くは無いだろうが、どうしてか一歩を踏み出したくなる衝動に駆られる。
 私自身、彼女を気に入っているというのは間違いないだろう。ペットみたい、と表現するならば番犬のほうが正しいように思えるが、小動物的可愛らしさと、昨日見た百獣の王すら身を凍らせる威圧感をもった彼女。アレを見た瞬間に私の心は決まったのだ。彼女を救ってあげようと。その気持ちは偽善ではない。偽善とは結果についてくる言葉であって、元より偽善で動くほど私は落ちぶれた人間では無いと自分で豪語できる。
 ――ピピピピピ、ピピピピピピ。
 体温計が音を鳴らして計測の終了を知らせる。脇下から抜いて、それを見た。

「……三十六度、五分。全然平熱じゃない」

 嫌な予感が私の脳裏をよぎった。最近テレビ番組でやたらと医者が「風邪ですね」と言ったのにも関らず重病を抱えていたというパターンを放送するがために、自分もそのパターンに当てはまってしまったのではないかと誇大妄想に近い予想をした。しかし、森野医院はかなり名前の知れた病院であり、医療ミスや詐欺の疑いは創立してからたったの一度も無い。療養所ナトリウムのような雰囲気がそういった悪事を妨げているのかもしれないと思った。
 とは言え熱が無いのに熱さましを飲んでも仕方が無い。もう一度救急箱を漁るが、咳止めの薬や喉の痛み、吐き気などに効く薬はあったが、自分の今の症状に合いそうな薬が無かった。一応吐き気止めだけ飲んでおこうかと思ったが、間違っていては昼食の無駄遣いになる。もう一度病院に行って診察してもらったほうがいいのではないかという結論に達した。勿論理由はテレビ番組の影響だ。早期発見が治療の最も有効な手段らしい。
 先週行ったばかりなので保険証はまだ財布の中にある。私はお粥を温めるのを止めて、二階に財布と着替えを済ますために上がった。
 ふと思い出すが、これでは学校に登校することは諦めたほうが良さそうだった。特に無遅刻無欠席を目指しているわけではないので、構いやしなかった。
 戸締りを確認して外に出る。

「……あっつ……まだ春先だっていうのに、何なのよ」

 日中、日は真上に位置して一日の中で最も日本を照らす時間帯。ラフな格好になったといえども、熱の余韻のようなものがある今の状態では緩和されても熱い。
 私は急ぎ足に森野医院へと向かった。




 森野医院での診察の結果はいたって簡単なものだった。
 栄養不足。言われてみれば、ハンバーガーを食べた二食意外にまともにご飯を食べた覚えが無い。吐き気やダルさはそこからきているのもだと判断された。反論のしようが無かったので私はそれでとりあえずはサプリメントらしきものを貰って家路へつこうとしていた。

「先輩」

 突然後ろから声をかけられた。聞き覚えのある声で、半ば反射的に振り向いた。

「白椿さん? どうしてここに……」

 その瞬間、私は目を疑った。彼女の印象でもある元気な雰囲気が微塵も感じられなかったからだ。特徴でもあるポニーテールが、だらしなくぶら下がっているだけのものに見える。そこで私は一つ、昨晩交通事故に出くわしたために元気が無いのだろうかという目測を立てたが、一秒も経たないうちに崩した。

「せ、先輩。先輩。あ、あたしですね」

 自嘲しているような引っ掛かりが彼女の声に混じる。嗚咽が混じっているようにも聞こえるが、きっと彼女は泣いていないと思った。奇怪な声は続く。

「昨日のニュース、み、見てました? ま、まさかテレビは見ない家庭なんて超がつく下らないオチは無いですよね? や、それならそれでいいんですよ。あたしとしてはそっちのほうが」
「昨日のニュース……××区の連続殺人事件のこと?」

 白椿さんの言葉を遮って、昨日私が唯一見たニュースの内容を口にする。――その刹那、白椿さんが豹変した。

「お、おおおおぉぉぉぉ!! 冗談にしちゃぁ出来すぎてますよこれはっ。因果、因果ですかこれが。馬鹿らしい、アホ過ぎますよ、ははっ」

 大袈裟な白椿さんの反応に思わず私は身を引いた。明らかに様子がおかしい。元々テンションの高い子ではあるが、これは異常であった。それに今日は学校があるはずであるし、故に白椿さんは制服を着ている。なのにここにいるのは何故なのか。解せない問題を問うた。

「あ、貴女はここで何を?」
「あたしですか? 病院に来る理由なんて少ししか無いじゃないですか。病気だから診察にきたってパターンと……『お見舞い』」
「病気、じゃないわよね。……誰のお見舞いなの?」

 恐る恐るといったように私は聞いた。

「――……くっ」

 瞬間、白椿さんが背をいきなり折り曲げ、必死に笑いを堪え始めた。何が面白いのか全く分からず、気味の悪い光景を収まるまで待った。時折ひっ、という白椿さんのか細い声が聞こえて私は大丈夫かと、手を差し伸べようとした、その時だった。
 突如白椿さんが頭を上げて、私の手を取った。
 瞳に溢れんばかりの涙を溜めていた。なのに口元には堪えきれない笑みが浮かび上がっており、そこに二人の彼女が存在しているかのようだった。
 私はその時に思った。
 孤独に生きている人間とはなんと弱く、そして強い生き物なのだろうかと。彼女らの痛みになど気付けるわけが無く、その片鱗へんりんを見せても決して全貌を見せようとしない難攻不落の要塞を構え、決して他人を踏み入れようとさせない。ゆえに、私たちには彼女らの限界というものが察せ無い。
 私の決意は遅かったのだ。彼女がサンドイッチのお礼を大袈裟なまでに返そうとしたその不自然な行為を精一杯疑っておくべきだったのだ。原因の無い行動などありはしない。常に結果には原因がつきまとう。それを世間では、『因果』という。
 彼女の涙に濡れ、恐怖に震えた声が私の脳内にゆっくりとしみこむ。あまりに残酷で、想像など出来るわけが無かった傷がさらけ出される。

「私が殺した人の、お見舞いですよ」

 扉は既に開いていたのだ。
 そこからのびている因果の鎖を、私は今始めて掴んだ気がした。
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