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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第二章:安城発展記【天文九年(1540年)~天文十三年(1544年)】
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父の敗北と新しい絆


親爺敗戦、の報が入った。

その情報がもたらされた時、安祥城は騒然となったけど、すぐに親爺は無事だと聞かされて安堵の空気に包まれる。


ところで俺はずっと勘違いしてたんだけど、この頃の美濃ってまだ斎藤道三のものじゃないんだってね。

まだ美濃の守護代だったらしい。

ついでに言えばまだ道三じゃなかった。


「斎藤新九郎利政殿ご謀反の由」


なんて言われた時、素で誰? って思ったもんね。

逆に古居ふるいなんかは俺から道三って名前を聞いて、誰? って顔してた。


で、その道三が(面倒なのでこれでいく)美濃守護だった土岐頼芸を追放して美濃を掌握した訳だ。

その追放された頼芸が親爺を頼って来た訳。

普通の武将なら、美濃獲りのための大義名分ができたと喜びながらも、先の小豆坂の戦いで疲弊していた事もあって、「来年まで待って」と言うところなんだけど、親爺は「すぐに出陣します(キリ)」と答えて本当に出陣しちゃったんだ。

ほぼ総力戦だった小豆坂の戦いが終わってすぐなのに、こんな早く動けるのは、肥沃で広大な土地を持つ尾張の武将ならでは。更に、豊富な資金を使って足りない兵糧もすぐに買い集めたらしい。


道三もこの親爺の動きは予想外だったらしい。

美濃を支配したって言っても、手段が手段だから、その全土を完全に統治するには時間がかかる。

むしろ、親爺が今川と合戦して暫く動けないだろうと判断しての謀反だったんじゃねーかな。


そんな訳で、西美濃へ進軍した親爺はあっさりと大垣城を奪う。

その勢いに乗って稲葉山城へ向かうも、その途中、援軍に駆け付けた朝倉宗滴によって敗北。尾張に逃げ帰る事になったそうだ。


うわー、戦国屈指のチート猛将朝倉宗滴来ちゃったよー。

加賀一向一揆が越前に攻め込んだ時、30万の一向宗勢力を1万で撃退したんだよなー。大分数字を盛ってるだろうとは思うけど、そんな逸話が残るくらいの猛将な訳じゃん?

しかも、味方が手柄を見せるために集まって自然に前線が強化されるから、指揮官は前線にいるべき、とか言ったんだろ?

何? 指揮官は無双できて当たり前なの? 無双できる指揮官が良い指揮官だって意味だとしても、かなりの無茶振りだよね。


しかもこの宗滴、ただの脳筋武将じゃないんだよな。

朝倉家一門として外交まで任されてたらしいし、鷹の人工繁殖もやってたらしいし、何より大量の名言残してるんだろ?

人物を見る目も確かだしなー。信長がまだ尾張統一してない時から注目してたんだっけ?

この宗滴から評価されてたから、朝倉義景は一廉の武将だったと考えるか、流石の宗滴も身内への評価は甘いと考えるかは、まぁ人それぞれだな。


さておき。道三は美濃の取り纏めで忙しいし、宗滴はあくまで稲葉山城を守る援軍だったので、そのまま撤退。

一応、大垣城は弾正忠家のものになった。

金吾嶽の逸話からすると、「美濃統治が終わるまで儂が預かろう」とか言いそうだけどな。

道三が断ったんかな? その時に返して貰える保証無いもんな。


ともかく、親爺は大垣城に織田信辰を入れ、土岐頼芸も一緒に住まわせて、美濃国主としての体面を保たせている。

成る程、これで道三の美濃統治は難しくなるだろうな。


ちなみに信辰さんは親爺の血縁って訳じゃなく、小豆坂の戦いで武功を挙げた事に対する報奨として織田姓を賜ったんだそうだ。



さて、親爺から貰った五千貫をばらまきつつ安城祥周辺を開発している時、忠政さんが訪ねて来た。


「大変な事になったな」


評定の間に通すと、挨拶もそこそこに忠政さんはそう言った。

今一番ホットな話題と言えば、間違いなく親爺の美濃での敗戦な訳だけど、まぁ、それだよな。


「父上が無事なのは不幸中の幸いでしょうね。大垣城に美濃守殿を入れられたので、まぁ一先ずの目的は達せられたのではないですか?」


これまで道三と親爺は美濃との国境で何度かバチバチやり合っていたのだけど、これで弾正忠家と斎藤家の対立は決定的なものになった。

正直なところ、少しホッとしている。

親爺が美濃に割くリソースが増えたという事は、対三河の最前線であるこの安祥城の重要性も増したという事だ。


その城主である俺の安全性は高まったと言っていいだろうな。

かと言って調子に乗る訳にはいかない。

安祥城の安定と俺の排除。得られるメリットを天秤にかけられる事すらマズイのだから。


「うむ、それはそうなのだが、実は矢作川から古渡城へ戻る信秀殿に少々責められてな」


「と言うと?」


「うむ、今回の松平の参戦は、儂の娘が広忠を御しきれなかったせいであると」


「仮にそうだとしても、それで何故忠政殿が叱責を受ける事に?」


「松平が動かなければ、信広殿の軍勢を使って逆に今川を包囲する事ができ、壊滅的な損害を与える事ができたという事らしいが……」


うわぁ、親爺嘘吐いてら。

俺の軍勢元々川を渡らず殿の予定だったじゃん。

転んでもただでは起きないとはこの事か。

武士の嘘は武略とはよく言ったもんだ。

考えてみれば、今川に支配されてた那古野城を奪ったのも、基本(武略)を駆使した方法だったもんな。


まぁ、ここで俺が暴露するのは少々マズイ気がするから黙っておくけど。


「それで、父上はどうせよと?」


「いや、具体的な事は言われておらぬ。ともあれ、水野家が弾正忠家に対し思う所がある訳ではない事を示さねばならん」


ひょっとして親爺は、これを機に水野家を、刈谷城周辺の独立城主から弾正忠家の支配下に置くつもりなのかな?

確かに今のところ水野家は協力してくれてるけど、いつ裏切るかわかんないもんな。

三河侵攻のために安祥城の安定を考えるなら、刈谷城とその周辺の領有化は大事だもんな。


「という訳で信広殿、儂の娘を娶ってくれんか?」


「成る程、俺が忠政さんの娘さんを……ん?」


「先の戦いに松平勢が参戦した事で、弾正忠家との停戦条約は手切れとなった。松平勢も今川家に服従の姿勢を示すため、弾正忠家の協力者である水野家の娘を嫁にしておく訳にはいかなくなったのだ」


ああ、それで離縁された娘さんを、弾正忠家との繋がりを強めるために俺の嫁に。


「於大様でしたか……」


「うむ、信広殿は会った事があったかな?」


「いえ、恐らく初対面の筈です」


そうか、俺もついに妻帯者か。

しかしそのためには越えなければならないものがある。


「しかし忠政殿、そのような大事、私の一存では決められませぬ。古渡の父上にお伺いを立てませんと」


「頼めるだろうか?」


「勿論ですよ。私としても、忠政殿との関係が強化されるのは喜ばしい事です」


さて、そうと決まれば書状を用意して古渡城へと向かうとするか。

そうか、嫁か。

やばいなー、頬が緩んじゃうなー。

そういや小豆坂の戦いで挙げた武功の褒美も貰ってないや。


敗戦で機嫌最悪だと思うけど、様子を見て切り出してみよう。

家臣達の手前、信賞必罰は大事だし、案外すんなり通るかもしれないな。


しかしそうか。

嫁か……。


頼芸の追放についても諸説ありますね。頼芸は追放されずに傀儡にされた説もあります。

宗滴の援軍も諸説あります。援軍が無かった。援軍が来たのは天文13年だった。

信秀を主題にした資料を基にここの話は構築しましたが、道三主題の資料だと、宗滴の援軍は織田側として来ていたり、ともう訳がわかりません。

という訳でこの物語の史実では、こういう出来事だった、とご理解ください。


そしていよいよ嫁取りです。フォーエバー久松俊勝。

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― 新着の感想 ―
[一言] 於大さんが信広(主人公)の嫁⁉️
[一言] 中古・・・
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