第二話 似て非なるモノ / 4
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助けてもらったのだから気は進まないが応接間に二人を通す。
「削強班が何の用かしら」
私は内心穏やかでない。有の異常さが削強班に知られてしまったのだろうか。隣で緊張した面持ちで固まっている有の手を握る。有はそれが嬉しかったようで少しだけ表情を和らげた。
「使いが来るなんて今までに無かったことじゃない」
女性は私と有に向かって座っている。男性の方は先ほどから女性の背後で徘徊している。恐らく部屋に何か危険な物が無いだろうかと考えているのだろう。敵の城に乗り込んできたのだ、当然の心配であろう。女性は相手に嫌悪感を与えぬような、いわゆる営業スマイルを作っているが、男性は鋭い視線で応接間の隅々を観察している。まあ良い気はしない。
「最近の異常に関しての領内調査の要請です」
女性は背負っていた可愛らしい鞄からかなり厚い封筒を取り出した。
「詳細はここにまとめてありますが、まずは今日中に了承を得る必要があります。事が事ですからね」
そう言いながら封筒から一枚の赤い紙を取り出す。
「ここに判を……」
「待って。異常って何のことかしら?」
彼女は私の言葉が意外であった様だ。訊いた途端動きを止めてしまった。
「……は?」
彼女は後ろの男性に目配せをする。男性は彼女と目が合ったがすぐに逸らしてしまった。
「……もう。あ〜、つまりですね……さっきのですよ」
「第一のこと?」
「ええ。まあ厳密には第一ではないのですが」
彼女が渡してきた書類には『影の実態調査についての合意書』と書いてあった。
「影?」
「はい。今、世界中で発生している第一の偽者とでも言える者達のことを、我々は『影』と呼称しています。大昔の第二の偽者も幾つか発見されていますが」
彼女が逆様にした封筒からは沢山の写真が零れ落ちた。
「このように姿はオリジナルと似ていますが、幻影のような体を持っていて……」
「こちらからの干渉はできない、ということね」
写真の中には伝説として聞いた生き物のようなものが写っている。
「本当にいろいろいるのね。セイレーンにユニコーン、スフィンクス、第二の半魚人……」
「マーメイドだよ……」
私の言葉に横から覗いていた有が呆れたように呟いた。
「ま、まあそうとも言うわね。つまり貴女達が言うにはあれもその影だっていうことね」
「ええ恐らく。しかしさっきのように人を襲うことは無かったのですが」
「どういうことかしら?」
「今まで確認された影はただそこに存在するだけで人を襲うことはありませんでした。行動としても何かを探すように空を飛んだりするだけでした。ですが……」
今までずっと徘徊していた男性が急にソファに近寄ってきた。
「あいつは明らかにその女を狙っていた」
彼はドカッと大きな音を立てて女性の横に座る。その鋭い目は有を見据えていた。
「ちょっと玄、失礼でしょ」
「うるせぇ」
有は彼の態度に怯えて私に擦り寄ってきた。その細い指は私の袖を握りしめていた。
「しかもあんた、影に干渉できていたろ」
そう言えばそうだった。あの時は気にならなかったが、有の壁はあの男の黒い腕を確かに止めていた。
「確かに玄の言う通りね。普通はありえないことだわ」
少女にも見つめられて有は俯いてしまった。
「…………先に言わせてもらうわ。彼女がどんな者であろうとも、私、一色朱水の管理下にあり、貴女達に関与される筋合いは無いわ」
私の言葉を境に場はしばし静まり返った。そして再び女性の口が開かれると、
「その言葉に答えるなら『上が彼女を危険因子と判断した場合、貴方が彼女を排除しないならば我らが直に手を下す』でしょうか。とにかく我々にそのようなことを言われても意味が無いということ確認しておきます」
その目は急に冷たさを持った。それは零度を遥かに下る氷の眼、 先程までとはあまりに対照的な笑顔であった。
「『共存提言』、忘れたわけではありませんね。私達の関係はそれが前提です。それだけは忘れないでくださいね」
気持ち悪い。彼女の表情は笑顔だ。しかし私はそれをキモチワルイと感じた。
「…………分かっているわ」
「もちろん私達も無用な殺生を望んでいるわけではありません。友好的にやりましょうよ」
そう言って彼女は握手を求める。仕方なく私も手を差し出すと彼女はしっかりとその冷たい手を繋げた。
(殺し屋共がよくもそんな言葉を吐ける)
「朱水」
形だけの握手のために一度離していた手を有は再び繋ぎ求めてきた。
「…………ええ」
その手を握り返す。その手は暖かかった。私はそれだけで苛立ちを少しだけ解消できた気がした。
「話を戻させてもらいます。彼女は先程壁のようなものを召喚しましたね」
やはり有の力について問うか。どうせ削強班のことだ、有の力を隠した所で直ぐに調べ上げるであろうからこちらから出そう。何より重要なのは『私が有の力を理解している事』なのだ。それを分からせるためにはこの場で正確な情報を口に放り込んでやっておいた方が最善と思われる。上に立つ者が把握制御できているか、それも危険因子認定において重要な要素となるからだ。
「召喚ではないわ。創ったのよ」
女性はその言葉だけで有がどれだけ稀有な能力の持ち主であるかを理解したようで、有の顔をじっくりと観察していた。有の方はどう反応していいか分からずとりあえず照れ笑いを浮かべていた。
「ならば干渉できたその故は?」
「彼女の能力か、壁の力か、そのどちらかね」
「そうですか。なら彼女が襲われた訳は?」
「分からないわ。それには全く思い当たる節が見当たらないのよ」
何故有が影とやらに襲われなければならないのか、そんなこと私が知りたいくらいだ。
「わかりました。とりあえずその書類に判を押していただきたいのですが」
書類に目を通す。
「朱水……」
「簡単な話、私の領地内での影の探索への許可が欲しい、ということね。……分かったわ」
鈴を鳴らし、智爺を呼ぶ。ああいう物が領地を荒らすならば魔狩り者達に狩らせておいた方が良さそうだ。
「お呼びでしょうか」
「判を持ってきてちょうだい」
「かしこまりました」
▽▽▽▽▽
朱水は執事さんが持ってきた判を書類に押した。その行為を二人はじっと監視していた。
「これで良いのよね」
「はい。それとこれは別件なのですが」
男の人が彼女の言葉に割り込む。
「さっきの影のことだ。今までは逃げられ続けていたが……」
男の人は私を指差した。
「わ、私?」
「あんたは影に目をつけられていた。これを利用しない手は無い」
それを聞いて朱水の眉がつり上がった。
「彼女を囮にするとでも言うのかしら?」
私を……囮に……?
「言葉を飾らないならそういうことになりますね」
女の人も笑顔のまま私に手を向ける。
「貴方がいるだけで状況が一変するんです。是非、御協力を」
「あの、わ、私……そんなこと言われても」
できるわけがない。いや、囮にできるできないも無いかもしれないが、それでもやはり私の様な未熟者では犬死してしまうのではないだろうかという怖さがある。アレを見た後ではそんな言葉がすでに確信レベルまで行きついている。
朱水が私の口に手をかざし黙らす。
「私がその様な事を了承するとお思い?」
朱水が睨みを利かすがそんなの気にせずに彼女は変わらぬ表情で答える。
「無論、交換条件を出します。まず、彼女の安全は私達が出来る限り確保します。そしてもう一つ、彼女が仮に危険因子の候補として名が出た場合、我々が可能な限り擁護します」
女の人が自信満々に言った。
「擁護って、貴女達はそんなに顔が利くのかしら」
朱水が呆れた口調で言うと、女の人は誇らしげに名刺を取り出して私達に配った。
その名刺には『国営機関削魔遂行部強行班 実行部 高海鏡』と書いてあった。
「…………そう。貴女が『逆十字』だったのね。なら彼は」
「矢岩玄だ」
男の人は面倒臭そうにそれだけ言う。
朱水は二人をしばらく睨みつけていたが瞼を深く閉じ、納得したように言った。
「分かったわ。貴女達なら少しは頼りに出来そうですからね」
ただ領地外の事なので先方にはこちらから連絡をとっておきます、そう朱水は続けた。その口調は既に感情的でなく事務的な感じになっていた。どうやらさっきの名刺の威力は相当な物だったらしい。
「ご理解頂き光栄です。このことは明文化することは出来ませんが我々四人が各々誓いましょう。それでは我々は……。ほら、玄、行くわよ」
そう言って女の人は男の人の手を思いっきり引っ張った。
「引っ張るなよ、いってぇな」
女の人はそのまま男の人を引っ張ってずかずかと部屋を出て行ってしまった。
「爺、御二方がお帰りになられるわ。玄関まで案内して頂戴」
その様子を一切見ずに朱水は執事さんに命を下すのだった。
「かしこまりました」
「何なのかしら、あの非常識ぶりは」
二人が屋敷を出ていったことを執事さんから報告されると、朱水はソファに寄りかかり目を閉じた。疲労困憊、まさにそれの様子である。
「さっきの人達、何なの?」
朱水がああも簡単に噛みつかなくなるなんて余程の人達なのだろう。
「女は『逆十字』、男は『穿の狩人』と呼ばれていて、二人は削強班で『双犬』 とも呼ばれているわ。とにかく厄介な人達でね、変な噂ばかり立っているのよ」
「変な噂?」
「ええ、まあね。口にしたくもないけれどね。まあ、彼女達が所属している班自体が奇人の巣窟みたいらしいですけど」
朱水はゆっくりと私によりかかってくる。ふわりと髪の匂いが鼻をくすぐった。
「ねえ有、膝……貸してくれないかしら?」
「うん? 別に良いけど。どうしたの?」
朱水は私の膝に頭を乗せるとそのまま目を閉じた。綺麗な顔がこうも近くにあるとドキドキするよね。
「ちょっと疲れちゃってね。ふふ、有の膝は気持ち良いのね」
「ごめんね、私がいるから……」
私の所為で朱水はどれだけの心労を抱えるようになっただろうか。
朱水が私の顎に手を添える。
「やめてよね、そういうことを言うのは。貴女は私の物、そうでしょう?」
「いや、いつの間にそうなったのさ」
「あら、違ったかしら。まあ良いわ。今はちょっと寝かせ……て……」
本当に疲れていたのだろう、朱水はそのまま滑る様に寝てしまった。そのスカートは大きくはだけたままで白い足がぎりぎりなところまで露出していた。いつもそういうところには注意している朱水らしくない。その白さを目に焼きつけながらもスカートを正してあげる。
そしてその口には、
「でも…………涎はなしだよぉ、朱水ぃ」
その口からは涎が垂れ落ちていた。ホント、朱水らしくない。拭ってあげたくても今顔に触れたら起こしてしまうのではないだろうかという心配が頭を過り手は宙で止まった。朱水は私の心配など余所に眠りこけている。相変わらず涎はしっかりと跡を残したままで。
でも、私はこんな朱水も好きなんだと思う。朱水の綺麗で残念な寝顔を楽しみながらそう感じた。