↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/4

第四部 王妃の選択

第十三章 答え合わせ

 ミラー伯爵が宰相の席を失っても、レオは王宮に残った。

 調査の中で、第二王子が外国軍との連絡に関わった事実は確認されていない。宰相が自分を推していたことと、宰相の行いを自分が命じたことは違う。

 その区別は、レオを守った。

 しかし、何も知らなかったという説明が、自分にとってよいものなのかは分からなかった。

 ミラーは、次の王になる者としてレオの名を挙げていた。その名の下へ人を集め、国の方針を変えようとしていた。レオが聞かされていたのは、その中の都合のよい部分だけだったらしい。

 難しいことは宰相へ任せればよいと思っていた。

 その国政の中には、自分の名前を掲げて進められることも含まれていた。

 何を任せていたのかさえ、知らなかったのだった。

 レオがオリヴィアとの面会を望んだと聞き、ローラン伯爵は、宮廷の財務大臣室に場所を用意した。

 娘を呼ぶ前に、面会を受ける意思があるか確かめている。オリヴィアは少し驚いたが、了承した。レオとは顔を合わせたことはあっても、長く話したことはなかった。

 その日は父の用務を手伝い、昼を過ぎたころ、別室の応接卓へ移った。

 レオは、一人の侍従だけを連れて来た。挨拶の後、侍従を入口近くへ下がらせる。

「会ってくれて、ありがとう」

 王子の声は硬かった。

「私に、何が足りなかったのか、聞きたかった」

 オリヴィアは、すぐには答えなかった。

 王子を評する立場にはない。けれど、そう言って話を終えれば、彼が自分からここへ来た意味もなくなる。

「殿下は、どうお考えですか」

「知らないことが、多すぎた」

 レオは答えた。

「宰相が外交を改めたいと考えていたことは、知っていた。だが、そのために誰へ何をしていたかは、聞かなかった」

「お尋ねになれば、全部話してくださったでしょうか」

 レオは顔を上げ、それから首を横に振った。

「分からない。今なら、分からないと答えるしかない」

 オリヴィアはうなずいた。

「では、答え合わせをしましょう。私も知っているつもりで、よく分かっていなかったことがあります」

 卓の端にあった白紙を取り、ペンを添えた。

「この国の領地のうち、王家が直接治めているのは、どれくらいでしょうか」

「三分の一だ。残りは、諸侯の領地になる」

「はい。残り三分の二を、二十四人の諸侯が治めています。その二十四人に国王陛下を加えた二十五人で、元老院が構成されます」

 オリヴィアは円を一つ描き、三分の一に線を引いた。残りの部分へは、二十四の領地と書く。

 各家の大きさを正確に表す図ではない。それでも、王家の領地の外にも国があることは、よく分かった。

「国の最高の決定をするのは、元老院です。ただ、その決定は国王陛下のお名前で交付されます。国の方々が受け取るのは、王の命令です」

「だから、王が決めたように見える」

「ええ。私も、王宮で殿下方とお会いするときには、そう感じてしまうことがありました」

 オリヴィアは王子を見た。

「でも、陛下のご意見も、採決では二十五人のうちのお一人のものです。王家の領地が三分の一あることと、何でも一人で決められることは、同じではありません」

 レオは紙の上を見ていた。

 知らなかった制度ではない。王子として、教えられている。

 ただ、国王の名で公布される決定を読むたび、それを陛下の意思として受け取ってきた。そこへ至るまでの諸侯の意見と採決は、別の場所の手続きのように思っていた。

「表向きは、国王の専制統治に見えます。けれど、実態は、王家と諸侯が共同で国を治める共和制なのですね」

 オリヴィアは続けた。

「国民全員が政治を決める仕組みではありませんが、王一人の国でもない。そのことを忘れると、同じ王冠を見ながら、違うものを望むことになるのだと思います」

「ウィリアムズは、そこを変えたかった」

 レオが言った。

「はい。元老院を、王の政治を妨げるものと考えていた反元老院派です。ヘンリー殿下を王にして、王へ権力を集めたかった」

「ミラーは、その考えには反対していた」

「けれど、リシャール家が続ける友好外交も、国を損なうものと考えていました」

 オリヴィアは、円の外へ二つの名を書いた。

 ウィリアムズ。ミラー。

「どちらも、望む国の形があったのでしょう。そのために王太子の指名が大切だった。自分たちが推す方が王太子になれば、今すぐ制度を変えられなくても、派閥の発言力は大きくなります」

 レオは椅子へ座り直した。

 次の王を支える者たちが、自分の周囲に集まっていると思っていた。

 自分を次の王にすることで、進めたいことがある者たちでもあった。

「私が何を望むかを、考えていなかった」

 王子は言った。

「宰相が正しい方針を用意してくれると、思っていた」

「助言していただくことは、必要だと思います。私も、何もかも自分では分かりません」

 オリヴィアは答えた。

「ですが、殿下が王冠を望まれるなら、どのような国にしたいかを、思い描いていただきたいのです。その国に近づく助言なのかどうかを、殿下ご自身がお考えになれるように」

 レオはうなずいた。

「それを、私から諸侯へ話す必要もあるのだな」

「はい。皆様が何を望んでいるかも、聞いていただければと思います」

 王が二十四人を従わせるだけなら、意見の違いは邪魔になる。しかし、二十五人で決めるなら、どこが違うか知らずに国を進めることはできなかった。

 レオは、白紙に描かれた円へ目を戻した。

 王家の分は大きい。それでも、残りを消して国にはできない。

     *

 面会は、思っていたより長くなった。

 レオは王の仕事について、いくつか尋ねた。オリヴィアも答えられる範囲で答え、分からないところは父に聞かなければならないと伝えた。

 王子は、そのたびにうなずいた。

 会話の終わりには、最初に来たときのように、自分の足りないものを誰かに決めてもらおうとする顔ではなくなっていた。

「次は、財務大臣にも時間をいただきたい」

「父へお伝えします」

 オリヴィアは答えた。

 その返事をしたところで、先ほど自分が口にした言葉が戻ってきた。

 どのような国にしたいか。

 レオに問うたことは、自分にも問わなければならない。

 荷が止まったから、動くようにしたかった。友人が責められたから、正しい事情を知ってもらいたかった。そのために調べ、資料を作り、最後にはソフィアへ力を使ってほしいと答えた。

 その先に、自分はどんな国を望んでいるのだろう。

 王冠がないから考えなくてよいとは、今さら思えなかった。

 オリヴィアは手元のペンを見た。

「銀のペンを手にしたと思っていたら魔銀の剣だった」

 小さくつぶやくと、レオが顔を上げた。

「何か?」

「独り言です。申し訳ありません」

 王子には、その意味が分からなかったようだった。

 オリヴィアはペンを置いた。

 よい資料を作れば、誰かの判断に役立つ。初めは、そのくらいのつもりだった。

 けれど、友人とともに働くうちに、その判断で軍が動き、宰相の席まで空いた。今、目の前にいる王子も、次の国の姿を考えようとしている。

 ソフィアへ何を望むかと聞かれたとき、次はもう少し先まで答えられるようにしておきたかった。


第十四章 大臣室へ通う王子

 次に財務大臣室で会った王子は、ルーカスだった。

 オリヴィアは父から資料を頼まれ、書記に案内されて応接の卓へ入った。先に座っている第三王子を見て、足を止めた。

 父が顔を上げる。

「ちょうどよかった。この支出の後の処理について、殿下へ説明していたところだ」

 卓の上にあったのは、国境の警戒に伴う軍費の記録だった。

 オリヴィアは挨拶をし、持ってきた紙を父へ渡した。ルーカスは立って礼を返すと、彼女にも椅子を勧めた。

「アロンソ伯爵の軍は、予定していた警戒を終えて戻ったと聞いています。ただ、商人の補償は、まだ終わっていないのでしょうか」

 王子が尋ねた。

「はい。先方との確認が必要な分があります」

 オリヴィアは答えた。

「街道の通行は戻っていますが、止まった間に取り消された取引も、全部は戻りません」

「軍が撤収すれば、事件が全部終わったわけではないのですね」

 ルーカスは、手元に書き留めた。

 オリヴィアはその紙を見た。王子の前には、父から渡された資料のほかに、自分で書いた覚え書きがあった。

 ウィリアムズのときの軍費の扱いと、今回の支出が分けて書かれている。

「殿下は、前の事件についてもお聞きになっているのですか」

「元老院へ知らせず兵を集める準備をしていた件ですね。はい。今回とは、軍費の使われ方が違うと伺いました」

 ルーカスは答えた。

「ミラー伯爵は、外国の軍人へ働きかけて、その被害を外交方針を変える材料にした。どちらも、自分が国のためによいと考えたことを、国の決定より先に進めたのだと理解しています」

 オリヴィアは父を見てから、王子へ視線を戻した。

 王都で広まる噂には、違う話も混じっている。第一王子と第二王子の争いとして、二つの事件をまとめる者もいた。

 ルーカスの説明は、公式に確認された筋をよく捉えていた。

「どちらから、お聞きになったのでしょう。国王陛下ですか」

「財務大臣です」

 ルーカスが答えると、父は持ってきた紙を確かめながら、何かおかしいかという顔をした。

「お父様は、王太子の擁立には意思表明をなさらないのでは」

「していないよ」

 ローラン伯爵は答えた。

「王子が各大臣室を訪れることに、問題はない。そこで何を学ぶかは、王子の自由だ」

 オリヴィアは、ルーカスの覚え書きをもう一度見た。

 推してもらうために来たのではなく、尋ねるために来たらしい。

 父が教えることも、それを理由にどちらかの派閥へ加わったことにはならない。

「何度も来られていたのですね」

「はい。前には、予算を決めた後で、なぜまた支出を確かめるのかを教わりました」

 ルーカスは言った。

 計画に承認を与えることと、実際に何へ使われたか確かめることは違う。予定と違うことが起きれば、説明も必要になる。その区別を知ると、軍の帳簿から何が分かったかも理解しやすくなったという。

 オリヴィアはうなずいた。

 王子は、事件の結末だけを覚えに来たわけではなかった。

     *

 父は用務のため、一度隣の部屋へ移った。

 書記は出入りしていたが、応接の卓には二人が残った。オリヴィアは、見せてよい範囲を父から言い置かれた資料を開いた。

「ほかの大臣のところへも、いらしているのですか」

「時間をいただけるところには。仕事が違うと、同じ出来事への見方も違うので、面白いです」

 ルーカスは答えた。

「父上からだけ聞くと、王宮へ戻ってきた後の話になりがちです。その前に、誰が何を確かめているかも知りたいと思いました」

 オリヴィアは、その考え方を少し羨ましく思った。

 自分も父のそばにはいた。けれど、ほかの仕事へ興味を向けるようになったのは、婚約がなくなり、軍や外交に関わってからだった。

「外務大臣が不在なのは残念ね」

 つぶやくと、ルーカスが顔を上げた。

「彼女は王太子が決まるまで大臣にはならない」

 オリヴィアは、ペンを持った手を止めた。

「ソフィアが、そうお話ししたのですか」

「いいえ。そうだろうと、私は思っています」

 ルーカスは答えた。

「今、正式に就任すれば、次の王を決める前に、誰かと役目を取り決めたように見られるでしょう。彼女は二つの事件に関わっています。そこへ王太子指名まで重ねれば、ほかの諸侯も気にするはずです」

 オリヴィアは、王子の顔を見た。

 ソフィアがまだ大臣になっていないことは知っている。宰相と意見が合わなかった事情も聞いていた。

 だが、ミラーが去った後も、なぜ急いで就任しないのかは、深く考えていなかった。

「王太子が決まるまで、態度を保留しているのですね」

「正式な任命も含めて、誰かの王太子指名の取引にしない、ということだと思います。自分が就任するために、王を選んだようにはしたくないのでしょう」

 ルーカスは言い、それから付け加えた。

「本人に聞いたわけではありませんから、違うかもしれません」

 オリヴィアは小さく息をついた。

 ソフィアと長く話してきた自分が、見ていなかったことだった。

 友人が何を知っているかは、気になっていた。けれど、何を決めずに置いているかには、十分目が向いていなかったらしい。

「今度、確かめてみます」

「差し支えなければ、私の考えが合っていたか、教えてください」

 ルーカスは少し笑った。

 オリヴィアも笑みを返した。

     *

 その日、王子が一番長く尋ねたのは、数字をどう読んだかということだった。

 計算の方法なら、父の書記たちも説明できる。ルーカスが知りたかったのは、何を調べようと思い、どこを不自然だと感じたかだった。

「国境の荷の記録では、初めに何を見たのですか」

「予定の日と、実際に届いた日です。最初は、一つの荷が遅れたのだと思いました」

「それが増えたので、同じ場所に原因があると考えた」

「はい。でも、向こうの商人が困っていると知ったのは、その後です。初めから、両方を見ていたわけではありません」

 オリヴィアは答えた。

 王子は彼女を褒めるためだけに聞いているのではない。そのことが分かると、知らなかった部分も話しやすかった。

 ソフィアから記録を借りたこと。商人に会ったこと。軍については、アロンソへ尋ねなければ分からなかったこと。

「数字から、全部が分かるわけではないのですね」

「数字が合っていても、何を数えたかが違うことがあります。軍費も、合計は正しかったのです」

「では、数字の向こうに何があるかを、聞く必要がある」

 ルーカスが言った。

 オリヴィアは、少し考えてうなずいた。

「ええ。今は、そう思います」

 次の訪問では、補償の記録を二人で読んだ。

 その次には、国境の通行が戻った後の税収について話した。

 税収の回復だけを見れば、問題が終わったようにも見える。だが、元の取引相手を失った商人もいる。別の道へ仕事が移れば、王国全体の数字が戻っても、元いた場所の暮らしは戻らないことがある。

 ルーカスは、そうした話にも耳を傾けた。

 オリヴィアも、全部の問いに答えられるわけではなかった。確かめることを書き留め、次に会うときまでに資料を探す。王子も大臣たちから聞いた話を持ってくる。

 財務大臣室で、二人の話す時間が増えていった。

 ある日、父が席を立ちながら言った。

「二人とも、今日はそろそろ終わりなさい。次の者が待っている」

 オリヴィアは時計を見て、驚いた。

 ルーカスも、自分の覚え書きを急いでまとめた。

「申し訳ありません。また、お時間をいただけますか」

 王子が尋ねた相手は、父だった。

 その後、彼女にも目を向けた。

「あなたのお話も、続きを聞きたいです」

 オリヴィアは、開いたままの紙を閉じた。

「私も、今日の続きがあります」

 そう答えるのに、ためらいはなかった。


第十五章 婚約する前に

 ルーカスの見立てについて、オリヴィアはソフィアへ尋ねた。

 王太子が決まるまで、正式な外務大臣にはならないのか。

 友人は、手にしていた書状を置いた。

「誰から聞いたの?」

「ルーカス殿下です。ご自分の考えだとおっしゃっていたけれど」

「そう」

 ソフィアは、少し間を置いてうなずいた。

「私の就任が、王太子指名の取り決めに見えるのは困ります。どなたが選ばれるとしても、今の外交をどうするかは、元老院で決めていただかなければならないでしょう」

「殿下も、同じように考えていらしたわ」

「よく見ていらっしゃるのね」

 ソフィアはそれ以上、王子を評さなかった。

 オリヴィアは、自分が少し期待していたことに気づいた。ルーカスと話した内容を伝えれば、ソフィアなら、その王子がふさわしいかどうかも言ってくれるかもしれない。

 しかし、国のことを決めるときに、誰かへ判断を預けたままではいけない。その話を、つい先日レオへしたばかりだった。

「私は、殿下と話すことが楽しいの」

 そこで、分かっていることだけを話した。

「分からないところを尋ねてくださるし、私が知らないと答えても、その話を終わりにしない。また調べて話しましょうと言ってくださる」

 ソフィアは、今度は笑みを見せた。

「それは、よかったわ」

 短い返事だったが、オリヴィアには十分だった。

     *

 王太子の指名に向けて、諸侯は二人の王子の考えを聞くようになった。

 レオも、大臣のもとへ通い始めていた。

 財務大臣室へ来たとき、彼はオリヴィアに、この前の紙を持っていると話した。国の三分の一と三分の二を分けた、簡単な図のことだった。

「知っていたことでも、並べて見たら違っていた」

 王子は言った。

「宰相に任せると決めたのも、自分の判断だった。その判断を、何を知ってしていたのかと考えている」

 オリヴィアは黙って聞いた。

 レオが自分で考え始めたことと、その王子が次の王に選ばれるかどうかは、別だった。それでも、前の面会が無駄ではなかったことを嬉しく思った。

 元老院では、国王と諸侯が意見を交わした。

 支持する家の数だけでなく、王子自身が国政をどう受け止めているかが問われた。強い大臣へ任せるだけでは、また同じように、その名の下で本人の知らない政治が進むかもしれない。

 ルーカスは、まだ知らないことが多いと答えたという。

 そのうえで、各大臣から聞いたことを自分の言葉で話した。軍に判断を委ねるべき場面と、軍を使う目的を政治が決めなければならない場面。収入の合計だけでは分からない、領地ごとの事情。相手国と約束を続けるために、国内でも意見をそろえる必要があること。

 オリヴィアが後で聞いたのは、その一部だった。

 財務大臣室で交わした話が、別の場所で、王子の判断を説明する言葉になっていた。

 やがて、元老院は第三王子ルーカスを王太子に指名した。

 レオは決定を受け入れた。

 兄だから先に選ばれるはずだという考えだけでは、弟の話を聞くことさえできなかっただろう。今は、ルーカスが自分より先に何を学ぼうとしていたかが分かる。

 足りないことを知ったばかりの自分には、まだ考える時間が必要だった。

 王太子が指名された後、ソフィアの外務大臣就任も正式に決まった。

 すでに担っていた仕事は多かったが、これから何を任され、どこで判断を求めるかが、改めて定められた。その任命は、ルーカス個人への忠誠と引き換えにしたものではなかった。

 王太子は、就任した大臣のもとへ訪問を申し込んだ。

 オリヴィアはそれを聞き、少し笑った。

 これで、通う大臣室が一つ増えたらしかった。

     *

 ルーカスとの婚約について話が出たのは、その後だった。

 父は屋敷の書斎へ娘を呼び、王家から打診があったことを伝えた。

「返事をする前に、お前の考えを聞いておきたい」

 オリヴィアは、しばらく黙っていた。

 ルーカスと会うことは楽しみだった。次の話を考え、資料を探す時間も楽しい。それが婚約となると、王宮での自分の立場が、また大きく変わる。

 第一王子との婚約のときは、決められた将来へ向けて、必要なことを学んだ。その先に別の生活があるとは、ほとんど考えなかった。

 今は、自分で続けたい仕事がある。

「殿下と、直接お話ししてもよいでしょうか」

「そのための時間を用意する」

 父は答えた。

 王太子の妃として、元老院も彼女を望ましい相手と見ているという。財務大臣の娘だからだけではない。幼いころから認められた才が、国政の判断を助ける仕事になったことを、議員たちは知っていた。

 だが、それが娘自身の希望まで決めるわけではない。

 父は、急いで答えなくてよいと付け加えた。

 ルーカスとの面会は、いつも資料を読んでいた場所ではなく、王宮の小さな客間で行われた。

 オリヴィアは、机の上に何もないことを、少し心細く思った。今日は説明する数字を持ってきていない。

 ルーカスも、それに気づいたようだった。

「今日は、覚え書きを持たずに来ました」

 そう言って、少し笑った。

「あなたと話すと、いつも書き留めたいことが増えるので、迷ったのですが」

 オリヴィアの肩から、少し力が抜けた。

「私から、お伝えしたいことがあります」

「はい」

「結婚しても、今の仕事を続けたいのです」

 ルーカスは、彼女を見た。

「財務の記録を読むことだけですか」

「それもです。でも、まだ終わっていないことがあります」

 オリヴィアは言葉を探した。

 国境の事件は収まった。だが、また誰かが、都合の悪い記録を別々に説明するかもしれない。知らせが届かないまま、判断を迫られる者がいるかもしれない。

「私とソフィアが友人だったから、帳簿を議場へ持っていけました。アロンソ伯爵に確かめていただけたから、軍の準備が分かりました。でも、たまたま、その人たちが近くにいなかったら、違うことになっていたかもしれません」

 ルーカスはうなずいた。

「誰に何を知らせればよいかを、平穏なときにも確かめておきたいのです。問題が起きた後で、知っている方を探して走るだけではなく」

「大臣たちの間で、記録を渡す道筋も整えるということですね」

「はい。ただ、何もかも一か所へ集めればよいとも、思いません」

 オリヴィアはソフィアの報告を思い出した。

「知らせたために危険になる人もいるそうです。私には、その区別がまだ十分にはできません。ですから、必要な方に聞きながら、続けたいのです」

 ルーカスは少し考えた。

「私も、続きを聞きたいです」

 財務大臣室で何度も聞いた返事だった。

「それから、私が考えている国の話も、聞いていただけますか」

「はい」

「王の名で決定を出すなら、それを自分の考えだけで決めたと思わずにいたい。反対した諸侯の領地も、同じ国の中にあります。決まった後に、そこで何が起きたかも聞きたいのです」

 オリヴィアは、円を描いた紙を思い出した。

 三分の一の外に、残りの三分の二がある。国の決定は、そのすべてへ届く。

「よい数字が戻ってきても、困っている方がいないとは限りません」

「ええ。そのとき、何を数えていないのかを、あなたにも尋ねたい」

 ルーカスは答えた。

 オリヴィアは、王妃になっても元老院の議席が増えるわけではないと知っている。自分の考えを、そのまま国の決定にはできない。

 それでも、問うこと、確かめること、判断する者へ届けることはできる。

 今までと同じ仕事を、もっと遠くまで続けられるかもしれなかった。

「私は、あなたと一緒に、それを考えていきたいと思っています」

 ルーカスが言った。

 オリヴィアは顔を上げた。

 国のためにふさわしい縁だという言葉ではなかった。王太子に選ばれた者が、その先に自分と話す時間を望んでいる。

「私もです」

 答えは、自分でも驚くほど自然に出た。

 ルーカスの表情が和らいだ。

 しばらく二人は、次に読みたい報告について話した。結局、覚え書きがほしくなり、近くにいた侍女へ紙を頼むことになった。

     *

 婚約を受ける返事をした後、オリヴィアはソフィアに会った。

 友人は祝いを述べ、彼女の話を最後まで聞いた。

「王妃になる準備を、また始めることになったわ」

 オリヴィアが言うと、ソフィアは首を少し傾けた。

「国の話をする準備は、もう続けていらっしゃるでしょう」

「それは、そうだけれど」

「でしたら、王妃になる前に、国をつくりましょう」

 オリヴィアは友人を見た。

 ソフィアは、いつもの穏やかな顔をしていた。

 新しい国境を引く話でも、王家を倒す話でもない。すでにある国で、任された者が役目を果たし、間違いに気づいた者の声が届くようにする。

 一人の野心で荷が止まり、人の暮らしが壊れることを、少しでも減らしていく。

 それは、今すぐ終わる仕事ではなかった。

「あなたも、手伝ってくれるのね」

「もちろん」

 ソフィアは答えた。

 オリヴィアは、もうその返事を軽く受け取らなかった。

 友人の持つ力も、そこへ自分が望みを伝える意味も知っている。

 それでも、一緒に働きたいと思った。


第十六章 王妃の旅

 ルーカスとオリヴィアの婚姻は、王宮で祝われた。

 式のために整えられた広間へ入る前、オリヴィアは侍女に袖の形を直してもらっていた。左の肩が気になるかと尋ねられ、首を横に振る。

 怪我はすでに治っていた。それでも、人の集まる広間の前に立つと、あの夜を思い出すことはあった。

 入口へ迎えに来たルーカスは、彼女が顔を上げるまで待った。

「参りましょうか」

 オリヴィアはうなずき、差し出された手に自分の手を重ねた。

 今度は、自分で選んで、その隣へ進んだ。

 式の後、列席した人々が祝いを述べた。

 レオは弟へ言葉をかけ、それからオリヴィアにも挨拶した。あのとき描いた図の話は、今日しなかった。ただ、二人の考えていることをまた聞かせてほしいと言った。

 ローラン伯爵は、少し離れたところでその様子を見ていた。

 娘は王宮へ入る。だが、何も考えずに決められた席へ座るわけではない。そのことが、以前の婚約の頃とは違っていた。

 ソフィアは外務大臣として外国から来た使節へ挨拶をしてから、二人のもとへ来た。

「おめでとうございます」

 正式な祝いの後で、オリヴィアへ声を落とした。

「明日の資料は、明後日にお届けします」

 オリヴィアは、思わず笑った。

「ありがとう。お願いするわ」

 仕事を失うのではなく、明日は休める。

 その約束が、嬉しかった。

     *

 結婚したからといって、国が急に変わることはなかった。

 予算について諸侯の意見が合わないこともあれば、相手国から望んだ返事が来ないこともある。記録の受け渡しを整えようとすれば、その記録を作る者の手間が増えるという話も出た。

 オリヴィアは、必要だと思うことを紙へ書いた後、実際にそれをする者にも聞くようになった。

 書記たちがすでに同じものを作っているなら、それを渡してもらえばよい。新しい書類を増やして、肝心の知らせが遅れては困る。

 ルーカスは、決定した後の報告を読む時間を取った。大きな功績ばかりでなく、小さな食い違いにも目を向けるよう努めた。

 それでも、すべてに気づけるわけではなかった。

 ソフィアは公使からの知らせを扱い、必要なことを元老院へ届けた。アロンソは軍の指揮と報告の仕組みを確かめ続けた。

 マテオも、オリヴィアの実務を担うようになっていた。

 剣を持つ務めには戻っていない。代わりに、用件を誰へ伝えるか、返事がいつまでに要るかを確かめ、人と人の間を動いていた。

 自分が運ぶ一通で何が決まるかを、できるだけ知ろうとした。

「分かりませんので、確認して参ります」

 そう答えることを恥じなくなってから、任される仕事はむしろ増えた。

 数年後、ルーカスが王位を継いだ。

 戴冠の日、オリヴィアは隣に立ち、元老院の諸侯を見た。以前からいる者も、代替わりした家の当主もいる。

 王冠はルーカスの頭に置かれた。

 その冠を選んだ者たちの席も、彼女の目の前にあった。

     *

 王妃となったオリヴィアは、諸外国を訪れるようになった。

 訪問の目的と交渉の範囲は、王と元老院、外務を担う者たちの間で定められていた。その場で好意を受けたからといって、決めていない約束まで与えるわけにはいかない。

 一方で、相手の話を自分の耳で聞くことには意味があった。

 港の荷を扱う者は、海の荒れる季節の遅れを話した。内陸の商人は、運送に使う馬を確保できない時期があると言った。自国の記録では単なる入荷の増減だったものに、そこで初めて具体的な事情が付いた。

 オリヴィアは、同席する者へ次々に問いを向けた。

 何を変えれば続けられるのか。どの約束なら守れるのか。そのために誰へ確かめればよいのか。

 若いころと同じ問いもあった。ただ、今は一つの荷を通すだけでなく、次の年も、その次の年も通るように考えていた。

 ある国の会談では、フランコ側から、相手にもっと大きな便宜を求めてはどうかという意見が出た。

 こちらの商品をほしがっているのだから、今なら通るはずだという。

 オリヴィアは、その便宜を得た後、相手側の商人が同じ取引を続けられるかを尋ねた。担当者は、先方の負担は増えるが、今はほかに買う先がないと答えた。

「ほかに買う先を見つけた後は、どうなるでしょう」

 彼女が問うと、担当者は少し考えた。

 その場の交渉で引き出せる条件と、長く続く商いの条件は、同じとは限らない。

 オリヴィアも、要求すること自体をやめようとは言わなかった。こちらにも必要なものがあり、相手の希望を全部受け入れればよいわけでもない。

 ただ、相手が約束を守り続ける理由まで、確かめたかった。

 その晩、外務大臣へ送る報告に、彼女は会談の内容を書いた。

 ソフィアから教わったことを、そのまま繰り返したわけではない。相手の顔と現場を見て、自分でもう一度考えた結果だった。

     *

 プロスト国を訪れたときには、以前の国境の混乱も話題になった。

 収拾に動いた商務の担当者は、今も交易に関わる仕事をしていた。会談の席で、街道の通行が安定し、商人が先の予定を立てやすくなったことを説明した。

 互いの国で、あの事件があったことを忘れてはいなかった。

 ただ、それだけを話すために集まったのでもない。新しい取引の希望があり、次に調整する条件があった。

 オリヴィアは礼を述べ、今後の話を聞いた。

 会談を終えた後、相手側の一人が尋ねた。

「これだけ商いが増えれば、戦争を避けられるとお考えですか」

 オリヴィアは、すぐには答えなかった。

 利益があれば、誰も争わない。そのくらい簡単なら、あの行軍訓練も起きなかっただろう。

 商人が損をしていても、軍の発言力を求める者には意味があった。国の被害を、自分の政策を進める材料にする者もいた。

「避けられるように働くことは、続けたいと思っています」

 彼女は答えた。

「ですが、約束があるから安心して、何も確かめなくてよいとは考えていません。守る備えも、知らせを届ける方も、必要でしょう」

 相手はうなずいた。

 その話を、同席していたソフィアも聞いていた。今回の訪問では、外務大臣として会談に加わっている。

 帰りの馬車で二人になると、オリヴィアは友人を見た。

「今の答えで、よかったかしら」

「あなたは、そうお考えなのでしょう」

「ええ」

「でしたら、私に答え合わせを求めなくてもよいわ」

 ソフィアは笑った。

 オリヴィアも笑みを返した。

 友人の力は、今も頼りにしている。知らないことも、まだ多い。

 それでも、自分が何を望むかは、自分で話せるようになっていた。

     *

 旅の終わりが近づいた夜、オリヴィアは滞在先の部屋で、届いた報告を読んでいた。

 いくつかの案件には、返事が必要だった。ルーカスへ送るもの、公使へ確かめるもの、帰国してから担当者と話すものに分けていく。

 最後の一枚は、国境を通った荷の知らせだった。

 予定した日に出発し、予定した日に到着した。品の確認も終わり、次の便は、すでに送り出されている。

 短い報告だった。

 オリヴィアはそれを読み終え、しばらく机の上に置いたままにした。

 前は、予定と違う数字にばかり目が向いた。なぜ違うのかを考え、直す方法を探した。

 今は、予定どおりに届く一つの荷のためにも、多くの人が働いていると知っている。

 道を守る者がいて、飼葉を用意する者がいる。売る者と買う者が約束をし、国の間でそれを続けられる条件が保たれている。

 扉がたたかれ、マテオが明日の面会予定を持ってきた。

 机の上の一枚を見て、彼は尋ねた。

「急ぎの案件ですか」

「いいえ。ちゃんと届いたという知らせ」

 オリヴィアは答えた。

 マテオはうなずき、予定の紙を渡した。翌日は、その荷を送り出した商人たちに会うことになっていた。

 会談の資料をまとめ、オリヴィアはルーカスへの手紙を開いた。

 国境の荷が順調に動いていることを書き、帰ったら相談したいことも添える。王妃になる前に始めた仕事は、まだ終わらない。

 それでも、今夜知らせたいことは、まず一つだった。

 次の荷も、もう送り出されている。

 オリヴィアは、その一文を書いてからペンを置いた。



     了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。