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第1話 あなたが、私の……か。

「あなたが、私の……」


 白銀の髪を持つ女騎士は、古びた床へ片膝をついた。胸元に手を当て、これから忠誠を誓おうとしたところで、目の前に倒れている少年がぴくりとも動かないことに気づく。


 女騎士は恐る恐る、少年の鼻先へ指を近づけた。


「って、死んでるー!?」


◇  ◇  ◇


 僕が拾ったパンは、手のひらよりも小さかった。


 表面は乾いて固くなり、ところどころ黒く焦げている。それでも、カビが生えていないだけで、貧民街では立派な食べ物だ。


「コルジ兄ちゃん、本当に食べないの?」


 僕よりも頭一つ小さな男の子が、半分に割ったパンを抱えていた。その隣では、痩せた女の子がパンの欠片を少しずつ口に運んでいる。


「うん。僕はさっき食べたから」


「何を食べたの?」


「えっと……大きな肉だよ。お腹いっぱいになるくらいの」


 二人は疑わしそうな顔をした。貧民街で、僕がそんなものを手に入れられるはずがないと分かっているらしい。


 それでも空腹には勝てなかったようで、男の子はパンをかじった。固かったのか、何度も奥歯で噛みながら飲み込んでいる。


「暗くなる前に戻るんだよ。最近、怖い人が増えてるから」


「分かった。ありがとう、コルジ兄ちゃん」


 二人は残ったパンを大切そうに抱え、狭い路地の向こうへ走っていった。


 姿が見えなくなってから、僕は壁へ背中を預けた。お腹の奥が縮まり、喉のあたりまで痛くなる。朝から何も食べていないのだから、当然だった。


 本当は、あのパンを半分だけでも食べたかった。


 けれど、あの子たちは昨日もほとんど食べていない。僕は少しくらい我慢しても平気だと思っていた。


「……今日は、もう動けないかも」


 誰に聞かせるでもなく呟き、僕は寝床にしている空き家へ向かった。


 貧民街の外れにある、屋根の半分が崩れた家だ。窓には板が打ちつけられ、扉もとっくに失われている。雨が降れば濡れるし、風が吹けば砂が入ってくるけれど、追い出す持ち主がいないだけで十分だった。


 家の中へ入ったところで、僕の膝から力が抜けた。床に手をついたものの、腕も身体を支えてくれない。


 そのまま横向きに倒れると、頬へ冷たい床の感触が伝わった。


「明日は……何か、拾えるかな」


 目を閉じる。


 このまま眠ったら、もう起きられない気がした。


 貧民街では、珍しいことではない。朝になると動かなくなっている人を、僕も何度か見たことがある。大人も子供も関係なく、お腹が空けば死んでしまう。

 怖くないと言えば、嘘になる。


 それでも、あの子たちにパンを渡したことは後悔していなかった。二人とも、今日は眠ったまま死なずに済むし、何よりも、僕より小さな子が生きられるなら、それでよかった。


『条件を満たしました』


 頭の中で声がした。

 男の人とも女の人とも分からない、平らな声だった。僕は目を開けようとしたけれど、瞼は少しも動かなかった。


『固有スキル《ガチャ》が覚醒しました』


「……がちゃ?」


 聞いたことのない言葉だった。

 けれど、その意味だけは不思議と分かる。何が出るか分からない不思議な仕組みで、食べ物や道具、すごい力を持った人を呼び出す能力らしい。

 閉じた瞼の裏に、淡く光る文字が浮かんだ。


―――

《初回10連ガチャ》


必要貢献ポイント:無料

所持貢献ポイント:5


【ガチャを引く】

―――


 貢献ポイントというものも、なぜか理解できた。誰かを助けたり、困っている人のために働いたりすると増えるらしい。

 100ポイントを集めれば、10回ガチャを引くことができる。今回は初めてだから、ポイントを使わなくても引けるようだった。


「食べ物……出るかな」


 指は動かなかったが、 心の中で念じると、目の前の暗闇に10個の星が灯った。

 白い星が八つ。青い星が一つ。そして最後の一つだけが、眩しいほどの虹色をまとい、ひときわ強く瞬いている。

 星々が一つずつ弾け、その中からさまざまなものが現れた。


―――

【固いパン×3】

【清水の瓶×2】

【古びた毛布】

【小型の鍋】

【火打ち石】

【清潔な布】

【麻縄】

【針と糸】

【下級治癒薬】


【ルキア・カルティウス】

――絶対正義の英雄にして王

―――


「パン……」


 よかった。これで、明日もあの子たちに食べさせてあげられる。

 そう思ったところで、僕の意識は途切れた。


◇  ◇  ◇


「主! 主、目を開けろ!」


 身体を揺さぶられている。


 遠くで誰かが呼んでいた。冷たい瓶の口が唇へ押し当てられ、苦い液体が口の中へ流れ込んでくる。


「飲め! 頼むから、飲んでくれ!」


「ん……」


 喉を通った液体が、身体の奥で熱へ変わった。空っぽだった手足へ力が戻り、弱々しかった鼓動が胸の奥で大きく脈打つ。


 僕が重い瞼をわずかに開くと、泣きそうな顔をした女の人が見えた。


 長い白銀の髪が僕の頬へかかっている。透き通るような碧い瞳と、見たこともないほど整った顔。白と青を基調とした鎧をまとい、腰には星の意匠が施された剣を下げていた。


「……天国?」


「違う。生きているぞ!」


 女の人は安堵したように息を吐き、僕の身体をそっと抱き起こした。背中を腕で支えながら、今度は清水の入った瓶を唇へ近づけてくる。


「ゆっくり飲め。急がなくていい」


「ありがとう……ございます」


 言われたとおり、少しずつ水を飲んだ。


 冷たい水が乾ききった喉を通るたび、身体が生き返っていく。水がこんなにおいしいものだと、僕は初めて知った。


 女の人は僕が水を飲み終えるまで見守ると、床に落ちていた丸いパンを拾った。さっきガチャで手に入れたらしい、固そうなパンだった。


「次はこれだ。食べられるか?」


「でも……それは、明日のために取っておかないと」


「明日を迎えるために、今食べるのだ」


 女の人はパンを小さくちぎり、僕の口元へ運んだ。その顔があまりにも真剣だったので、僕は逆らえずに口を開く。


 小さなパンの欠片が、舌の上へ置かれた。噛もうとしたけれど、顎に力が入らない。固いパンはほとんど形を変えず、喉の奥へ滑り落ちかけた。


「ごほっ……!」


「主!」


 女の人が慌てて僕を前へ傾け、背中をさすった。どうにかパンの欠片を吐き出したものの、咳をするだけで身体中の力が抜けていく。


「ごめん、なさい……」


「なぜ主が謝る」


 女の人は吐き出されたパンと、僕の顔を見比べた。しばらく考えたあと、彼女は新しい欠片をちぎって自分の口へ入れる。


 何度も丁寧に噛み、固かったパンを柔らかくしていく。


「お姉、さん……?」


「主よ。少しだけ我慢してくれ」


 頬へ白銀の髪が触れた。


 女の人の顔が近づき、次の瞬間、柔らかな唇が僕の口を塞いだ。


「ん……っ!?」


 驚いて身を引こうとしたが、身体には抵抗する力が残っていなかった。女の人の腕が、倒れかけた僕の背中を優しく支えている。


 唇の間から、柔らかくなったパンが少しずつ送り込まれた。


 舌の上に乗ったパンを、今度は力を入れずに飲み込むことができた。乾いた小麦の香りと、わずかな甘みが口いっぱいに広がる。


 おいしい。


 身体中が、もっと食べろと訴えていた。


「飲み込めたか?」


 女の人が唇を離し、心配そうに僕の顔を覗き込んだ。


 僕は小さく頷いた。恥ずかしいことをされた気がするのに、パンの味が消えてしまうことのほうが悲しかった。


「もう少し……ください」


 女の人は一瞬、碧い瞳を大きく見開いた。それから、泣きそうだった顔を穏やかにほころばせる。


「もちろんだ。いくらでも食べさせてやろう」


 その後も女の人はパンを丁寧に噛み砕き、僕が飲み込むのを確かめながら食べさせてくれた。僕は彼女の鎧の端をつかみ、次の一口が運ばれてくるのを待っていた。


 パンが半分ほどなくなる頃には、お腹の痛みも少しだけ和らいでいた。


 女の人は残ったパンを大切にしまうと、古びた毛布を僕の身体へかけた。冷たい床の上だというのに、彼女の腕に抱かれていると不思議なくらい暖かい。


「もう眠っていい。次に目を覚ます時も、私はここにいる」


「行かない……?」


「行かないとも」


 力強い返事を聞き、僕は目を閉じた。


 誰かの腕の中で眠るのは、いつ以来だろう。


◇  ◇  ◇


 屋根の穴から差し込む朝日が、僕の瞼を照らしていた。


「ん……」


 目を開けると、身体には古びた毛布がかけられていた。冷たい床の感触は残っていたが、昨夜までの凍えるような寒さはない。


 お腹はまだ空いているけれど、死んでしまいそうな痛みは消えていた。


「目を覚ましたか、我が主よ」


「わっ!?」


 すぐ隣から声がして、僕は飛び起きかけた。


 しかし、身体に力が入らず、後ろへ倒れそうになる。その背中を、白い腕が素早く支えた。


「危ないぞ。まだ急に動いてはならない」


 目の前には、どこか見覚えのある女の人がいた。長い白銀の髪が朝日を受け、淡く輝いている。碧い瞳は宝石よりも澄んでいて、汚れ一つない鎧をまとった姿は、貧民街にある崩れた空き家にはまるで似合っていなかった。


「だ、誰……?」


「昨夜は意識が朦朧としていたからな。改めて名乗ろう」


 女の人は僕の前へ片膝をつき、胸元へ右手を当てた。


「我が名はルキア・カルティウス。かつて一国を統べ、正義の剣を振るった者だ」


「王様……?」


「かつてはな。今の私は、あなたの騎士だ」


「あなたが固有スキル《ガチャ》によって、私を呼び出したのだ。召喚された瞬間、あなたが我が主であることと、この力の仕組みだけは理解できた」


「ガチャ……」


 その言葉を聞いた途端、昨日の記憶が蘇った。


 子供たちへパンを渡したこと。空き家で動けなくなったこと。頭の中に響いた声と、10個の光。

 そして、僕の口へパンを運んでくれた柔らかな感触。


「っ……!」


 急に顔が熱くなった。


 ルキアさんは不思議そうに首を傾げている。


「どうした? どこか痛むのか?」


「だ、大丈夫です!」


 僕は慌てて毛布を握りしめた。


 その時、自分の手が目に入った。泥と煤で黒く汚れ、爪の間にも垢が詰まっている。着ている服も何日洗っていないか分からず、袖は破れ、汗と埃の臭いが染みついていた。


 一方のルキアさんは、どこを見ても綺麗だった。

 そんな人に抱きかかえられ、水を飲ませてもらい、口移しでパンまで食べさせてもらった。


「ごめんなさい……」


「何を謝っている?」


「僕、すごく汚いから」


 僕は毛布の中へ手を隠した。


「服もぼろぼろだし、身体も洗えてないし……。ルキアさんみたいな綺麗な人に、あんなことをしてもらって……ごめんなさい」


 ルキアさんは何も答えなかった。


 怒らせてしまったのかと思い、僕はさらに顔を伏せた。その直後、身体が柔らかな温もりに包まれた。


「え……?」


 ルキアさんが、僕を抱きしめていた。


 硬い胸当てが当たらないように身体を傾け、僕の頭を胸元へ抱き寄せている。白銀の髪から、かすかに花のような香りがした。


「主よ、自分を卑下するな」


 頭の上から、静かな声が降ってくる。


「呼び出された私には分かる。あなたがどのような魂を持つ者なのか」


 ルキアさんの腕に、少しだけ力がこもった。


「あなたは、自らが飢えているにもかかわらず、幼い者たちへ食料を分け与えた。死を前にしてなお、自分ではなく他者が明日を迎えることを願った」


「でも、僕は……」


「高潔で、純真な魂だ。私はその魂に呼ばれ、ここへ来た」


 ルキアさんが僕の髪を優しく撫でる。


「泥も、傷も、破れた衣服も、あなたの価値を少しも損なわない。むしろ、その姿でなお他者を思いやれることを、私は誇りに思う」


 そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。


 貧民街の捨て子。汚い子供。誰にも必要とされない、邪魔な存在。


 ずっと、そう思っていた。


「私の主は、あなた以外にあり得ない」


 胸の奥が熱くなり、目の前が滲んだ。


 僕はルキアさんの服を握り、彼女の胸元へ顔を埋めた。


「……僕で、いいの?」


「あなたがいいのだ」


 その答えには、少しの迷いもなかった。


 僕はしばらくの間、ルキアさんの腕の中で泣いた。


 ガチャから出てきた最初の仲間は、僕自身よりも、僕のことを信じてくれる人だった。


―――

【今回の貢献ポイント】

・幼い子供たちへ食料を分け与えた:+5


 獲得ポイント:5

 所持ポイント:5/100

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