夏隣①
蝉の喚声が、寝ぼけた朝を揺らしている。
クマゼミのけたたましい声を筆頭に、ミンミンゼミやアブラゼミも遅れて鳴きを重ね始めていた。庭の主である木蓮の木に身を寄せ、枝葉の狭間をすり抜けるようにして空気を震わせている。耳の奥にじんと熱を残すその声は、どこか痛いほどに真っすぐで、季節の到来を容赦なく告げてくる。
夏が来たのだと、嫌でもわかる。
決して静かな朝ではない。
それでも不思議と嫌いになれないのは、この喧騒の裏側に、言葉にしづらいかすかな高揚が潜んでいるからだろうか。
「ん~…っ」
その気配が胸の奥で、まだ目覚めきらない
朧気な感情を静かに燻らせていた。
紬は枕に顔を埋めたまま、喉の奥で小さく唸る。わずかに首を傾け、窓の方を睨むように見やった。枕に広がっていた黒く長い髪が、さらりと肩から流れ落ちる。
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、細い線となって視界を割っている。
初夏の陽光は、瞼という薄いフィルターを容易く透過し、白く突き刺さってくる。その光の線は時間とともにわずかに太さを変え、夜のあいだに溜まった影を部屋の隅へと音もなく押し出していくようだった。照らされた埃が、スローモーションのようにきらきらと瞬いている。
三度目のアラームで、ようやく紬は上半身をベッドから引き剥がした。
瞼は鉛のように重く、開ける気力すら湧かない。ぼんやりとした視界の先、天井のシミを見つめる。その下で扇風機の青い羽がゆっくりと回っている。
ピピッピピッピピッ
「もう……うるさいってばっ……」
重たい腕を伸ばして枕元を探り、スマホのアラームを止める。そのまま惰性で通知欄を開くと、いくつかの広告とクラスの連絡網、そして――目に飛び込んできたのはあこからの短いメッセージ。
『今日ちょっと遅れるかも!
先行ってて!!』
「……またか」
掠れた声がこぼれた。
だいたい一緒に行く約束をしておいて、当日の朝になって遅れるとは何事なのだろう。
無理に一緒に登校しなくてもいいのに。
とはいえ、いちいち怒る気にもならない。
――そう思いながらも、建前の「わかった」の返信を小さく打ち込む。
スマホを伏せ、大きく伸びをすると、寝汗を含んだパジャマが肌にまとわりつく。
(う‥気持ち悪い‥)
心の中で小さく息を吐きながら布団を抜け出すと、生温い部屋の空気が容赦なく肌を包み込んだ。
夏はいつも、こうして始まる。




