04-16
天国・地獄・大地獄 第四話「山吹サチ①」
ただいま毎日〈月〜金のみ〉鋭意連載中!!
窓は、扉のある面以外の三面にそれぞれつけれられていたが、カーテン等の洒落っ気は一切ない。
鉄格子がついていないだけマシだったが、ここに人が住んでいるとは、およそ想像しにくい構図であった。
ただ、もしここが山吹サチの『はじまりの部屋』なのだとしたら、山吹サチは生前、こんな部屋で生活していた、または思い入れがあったということになる。
いったいどんな人物なのか、アキハはまったく手がかりが掴めないでいる。
兎にも角にも、アキハは深呼吸を繰り返し、新鮮な酸素を享受していた。
頭痛はすぐには収まりそうもなかったが、体中の細胞が活気を取り戻していくのが実感できる。
今日という日はアキハにとってやたらと呼吸に困る日であった。
当の山吹サチはベッドに腰掛けており、二人が扉から部屋に入るのを見てベッドから立ち上がっていた。
スラリと美しい立ち姿の高身長、ミディアムボブの黒髪、切れ目の美人である山吹サチは、同性のアキハから見ても性的な美を感じてしまう。
引き締まった身体は決してグラマラスというわけではないが、全体的なバランスが人間としての黄金比を満たしているように見える。
ただし、くすんだえんじ色のトレーナーにグレーのスウェットパンツという格好が、全てを台無しにしているのか、カモフラージュしているのかは、見る人によって意見が分かれるところだろう。
アキハは呼吸を整え、臨戦態勢に入った。
山吹サチの一挙手一投足に神経を集中させる。
そんなアキハの微細な気配を察したのか、山吹サチは二人に背を向け、音も立てずにベッドから離れる。
そして真正面の位置で再び振り返り、その場でかがんで両膝を床についた。
着物を着ているわけでもないのにパンツの膝のあたりを右手で撫ぜるようにかがむ姿は、料亭の仲居の仕草を思わせる。
呆気に取られるアキハを尻目に山吹サチは床に三つ指をついて、額が床に当たるか当たらないかまで深く頭を下げた。
「ようこそ、おいで下さいました」
山吹サチがなかなか頭を上げないので、アキハは困って牛鬼の方を見る。
それにつられて牛鬼もアキハを見たが、何を言ったらいいか判らないのか鼻をひくひくさせている。
たっぷり十秒ほど経ってから、山吹サチはゆっくりと頭を上げた。
二人から距離にして五メートルは離れているが、山吹サチの冷たい視線は突き刺さるようにアキハの網膜へ届く。
その瞬間までアキハは、ひょっとしたら話が通じる相手なのかも知れないと思っていたのだが、一切の体温を感じさせない視線に楽観的観測は打ち砕かれた。
その目は、人を人として見ることのない、人外の目であった。
そしてアキハは、恐らくもう二度とは訪れない絶好のチャンスを逃していた。
山吹サチが三つ指をついて二人から目線を外した時がそれだ。
虚を突いて『心の虚穴』を発動する最適のタイミングだったが、それでも成功するかは五分五分と言っていい。
それほど、山吹サチの反応速度は常人のそれを超えたものだったからだ。
アキハは我に返り、自分に可能な限り最速でかがんで床に手をつけようとする。
だがそれも悪手だ。
足が床についている今、意識を送るだけでノーモーション発動できるというのに、完全に無駄な動きをしてしまっている。
――女王を中心として部屋の三分の二を穴に!堕ちろッ!
手が膝のラインまで降りたあたりでようやく目標を定める。
この発動範囲を決めておけなかったことが初動判断ミスの一番の要因だ。
山吹サチの慇懃な姿勢という予想外の行動が全てを狂わせてしまう。
一方の山吹サチは、アキハの動き出しを鋭敏に察知していた。
監視カメラの動体センサーが物体の動きを検知するような速度で、アキハの上半身が下がるのと同時くらいに、逆に自らの身体を上方向へと押し上げるように下肢の筋肉に指令を送っていた。
それはもはや脳の働きではなく、身体に染み付いた『反射』だった。
山吹サチは『敵が動き出したのと反対方向へと身体を躱す』という訓練を受けていたのだ。
『心の虚穴』の正体を知っていたわけではないが、アキハと反対の動きを取ることが、当人の危機を救うという結果に見事に繋がっていた。
山吹サチの大腿筋は爆発的な瞬発力を生み出し、三つ指を立てていた両腕も補助したことで、さながらバッタの跳躍のような美しい放物線で本人の身体を浮かび上がらせる。
『心の虚穴』が虚無空間を生み出したのは、山吹サチの足が床から離れたコンマ数秒の後であった。
その予想外の俊敏性はアキハの動体視力を凌駕し、アキハの視界からは山吹サチが一瞬消えた。
その隙に山吹サチは空中で身体にひねりを加え、ベッドの上へと降り立った。
04-17 へつづく
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