Final Broadcast Episode:尊いバグ
「九条さんが空に散って、もう二度目の春だ。あなたが守ったこの街は、今日も平和で、ちょっと泣けるよ」
志木駅のホームに滑り込んできた各停のドアが開く。春の湿った風が、卒業式のあとの寂しさを運んできた。
僕の隣には、紺色のブレザーに身を包んだ、この街いちばんの毒舌女が立っている。
「ねえ、ダン様。卒業式で泣きすぎて、目がはれてるの、不審者ですよ? せっかくの私の門出が、あなたのドブ川の涙で台無しです」
ノアは、相変わらずの調子で僕をいじる。その手には、卒業証書がしっかりと握られていた。
二年前、九条さんが遺した奇跡で人間になったノア。あの日から一秒も欠かさず、僕の隣で生きてきた。
「うるさい。僕はな、ノアが卒業おめでとうって校長に言われた瞬間……九条さんに、見たかよって報告してたんだよ」
僕たちは、思い出が詰まった駅を背に、ゆっくりと歩き出した。
駅前ターミナル区画のロータリーでは、それぞれの道を歩み始めた仲間たちが、最後の別れを惜しんでいる。
「おーい、ダン! ノア! こっちこっち!」
大きな声を張り上げているのは、タケルだ。
あいつは結局、家業の工務店を継ぐことになって、今じゃ軽トラを転がすイケメン若旦那として近所で有名なんだとか。
その隣で呆れながらも、タケルの腕をしっかりつかんでいるのはサエだ。
北浦和の美容学校へ進むらしい。喧嘩ばかりしてるくせに、指にはお揃いのペアリングが光っていた。
凛は、相変わらず無表情でラムネを噛んだまま、卒業祝いの自作アプリ入り端末を僕に突き出してきた。
画面には、『中学の黒歴史ポエム自動消去ソフト』とある。いや、そうじゃなくて、頼むから今すぐ消してくれ。
まだ二年生なのに、超難関大学の工学部に特待生で内定した。うちの化け物枠なのは変わりない。
「みんな、元気でな! この街に各停が止まる限り、僕たちはいつでも会えるんだから」
僕がそう言うと、ノアが続けた。
「ダン様のセリフ、ガチで使い回しのテンプレですね!」
と毒を吐き、みんながドッと笑った。
その笑い声に、一組の大人のカップルが近づいてきた。
冬花先輩と、その彼だ。二人は、駅前に念願のカフェ『レクイエム』をオープンさせていた。
「卒業おめでとう、みんな。九条も、きっと悔しがってるわね。あんなに効率を求めたのに、非効率で幸せな景色を残しちゃったんだから」
冬花先輩の隣で、元アンドロイドの彼が優しく微笑んでいた。
「ダン君。ノア。今すごくいい顔してるよ。春に負けないくらいね。お幸せに」
仲間たちが次の行き先へ散っていく中、ノアが突然、僕の胸元に手を伸ばした。
そのままブレザーの第二ボタンを、引きちぎる勢いで握りしめる。
「……っ、ノア?」
「もう予約済みです、このボタン。ねえ、ダン様。卒業しても、私という面倒くさい人生からは逃げられませんから。覚悟してくださいね?」
上目づかいで見つめてくるローズゴールドの瞳に、駅前のざわめきが一瞬で遠のく。
ボタンを握る指先が、かすかに震えている。強がりな毒舌の裏にあるものが、もう隠しきれなくなっていた。
「……分かってるよ。僕の人生なんて最初から各停で、着く先はずっとノアだ」
肩を抱き寄せ、ゆっくりと歩き出した。
向かう先は、柳瀬川の土手だ。そこは、僕たちが何度も泣いて、笑って、運命を書き換えた場所。
「ねえ、ダン様。ちょっと止まってください」
土手の入り口で、ノアが突然立ち止まった。
視線の先には、満開の桜並木の下、ベビーカーを押して歩く一人の若い女性の姿。
「どうかしたの、ノア?」
「あっ、いえ。なんだか、あの赤ん坊の目……ちょっと嫌な感じがしたんです。効率悪すぎって、言われた気がして」
ノアは笑って歩き出したが、僕は気になって中をのぞき込んだ。まだ、言葉も話せない赤ん坊だ。
でも――
僕たちを見て、その赤ん坊は、なぜか不敵に笑った気がした。記憶の底で、覚えのある皮肉っぽさが引っかかる。
「……九条さん。ノア、絶対幸せにします」
そうつぶやいて、僕は前を向いた。風が抜けて、桜の花びらがベビーカーの上を一枚かすめていく。
「ちょっと、ダン様? そのニヤニヤ、普通に通報案件です。土手で独り言まで足したら、もう役満ですよ!」
ノアの弾んだ声が、春の空気に乗って心地よく響いた。
二年前、ここで死にかけていた存在が、今は同じ制服を着て、同じ春の匂いを嗅いでいる。
もう十分すぎるくらい報われていた。
僕たちは、あの時と同じベンチに腰を下ろした。
夕暮れの街は、空がオレンジから紫へのグラデーションを描き、遠くの家々からカレーの匂いが漂ってくる。
「あのさ、ノア。……あの時、ちゃんと伝えてなかった気がするんだ」
僕は学ランのポケットから、くしゃくしゃになった一枚のルーズリーフを取り出した。
「ダン様? 何ですか、それ。スーパーの特売チラシですか? それとも不法投棄マップ?」
「うるさい、ポエムだ。僕の人生をかけたラブレターだよ」
僕は、せき払いを一つして、かしこまった素振りで紙を広げた。
ここでちゃんと言えなきゃ、きっとこの先も各停のままだ。
ノアは、もう茶化さなかった。ルーズリーフと僕の顔を、黙って交互に見ている。
◇ ◇ ◇
『36℃の尊いバグへ』
僕は、救いようのない各停男だ。
速くもない。強くもない。頭も良くない。
人混みじゃすぐ酔うし、肝心な時ほど声も裏返る。
どこにでもいる、冴えないモブだ。
そんな僕の空っぽの毎日に、ある日いきなり、ノアが割り込んできた。
僕を見て、鈍い、ダサい、効率が悪いって、好き放題バグ確した。
僕のことなんて、ほとんどドブ川のヘドロみたいな顔で見てた。
でも。
ノアがいたから、僕は初めて知ったんだ。
生きるって、立派になることじゃない。
速く走ることでも、正しく進むことでもない。
転んでも、遠回りしても、みっともなくても。
誰かを好きになって、そのたびに胸がうるさくなって、どうしようもなくなること。
たぶん、それが生きてるってことなんだ。
効率なんて、その辺の風に飛ばされてしまえ。
進化なんて、置き去りでいい。
僕は、ノアの理不尽なワガママに、一生つきあいたい。
「お腹すきました」を、一生かけて満たしたい。
毒舌も、自虐も、泣き顔も、笑い声も、全部まとめて引き受けたい。
180日の嘘なんて、もういらない。
これから先の、18,000日の無駄も、不条理も、寄り道も、全部ノアと生きたい。
柳瀬川の風も、志木の湿っぽい空気も、砂利道みたいな毎日も、全部だ。
世界のどんな正解より、
どんな完璧な未来より、
僕は、ノアと生きる、この不器用な今日を選ぶ。
この街のどんな景色よりも、
ノアを愛してる。
広瀬 楽
◇ ◇ ◇
読み終えた瞬間、風の流れが止まった気がした。
ノアは黙って、その紙を見つめている。
「……ダン様……ガチで、ガチで救いようがないポエムですね。……超、キモいです」
瞳から、大粒の、透明な涙があふれ出す。
「……人間になってから、ずっと怖かったんです。普通の女の子になった私は、もうあなたにとって特別じゃないかもって」
「バカ。ノアは最初から特別だ。普通になったって、その面倒くささも性格の悪さも、そのままに決まってる」
僕はノアの手を引き、自分の左胸に押し当てた。限界ギリギリの距離。細い体が、熱を持って揺れている。
「感じてくれ。これが、ノアを愛してバカみたいに跳ねてる、僕の心臓だ」
「……っ。ダン様の心臓、特急並みに爆走してます。うるさいくらいに、私の名前を呼んでる……」
僕はポケットの奥にある、もう一つの重みを握りしめた。
バイト代、六ヶ月分。駅前の宝石店で、足の震えを必死に止めて買った、銀色の輪っかだ。
「ノア。これ……受け取ってくれ」
「ダン様……これ、ダイヤモンド、ですよね。……もう二度と、粉々にならないやつですよね?」
そう言って笑いながら、鼻をすすった。
「……もう、ほんとバカなんですから。そういうの、反則です」
僕は指輪を、ノアの薬指に滑り込ませる。サイズは何度も確かめた通り、驚くほどスルリとはまった。
「サイズ、ぴったりですね。……キモいですよ、ダン様」
ノアはおそるおそる、その光り輝く石を指先でなぞった。
「私のダン様……死ぬほど愛おしくて、一生キモいんだから……」
オレンジ色の夕陽が、ノアの涙を透かして、銀色の指輪に反射する。
「ノア。ずっと一緒にいたい。結婚しよう」
「はい……ダン様。生涯あなたの靴下を、洗い続けることを誓います」
それは、奇跡の証明じゃなかった。
ただ二人の人間が、これからも一緒に生きていくための、不器用で当たり前の約束。
夕方の空は、二年前と同じだった。不思議なくらい綺麗で、何も知らずに、ただ光っている。
でも、あの頃の僕とは、もう違う。
◇ ◇ ◇
2100年の埼玉県志木市。駅前ターミナルは、もう、かつて僕たちが各停を待っていた、あの野暮ったい駅じゃない。
天を突く八十階建ての超高層ビル、ニューSIKIタワーユニットがそびえ立ち、柳瀬川の上空ではホログラムの桜が年中無休で舞っている。
でも……そこに集まっている連中のやかましさは、十八年前から一ミリも未来に追いついていない。
「ねえ、ダン様。あのホログラムの桜、解像度低すぎません? うどんが空から降ってるようにしか見えません」
僕の隣で、あの頃と変わらない美貌のまま、ノアが言った。
ノアの細胞は、九条さんの遺したラストプロトコルの影響で、老化がゆるやからしい。
一方の僕、広瀬 楽は、順当に年を取り、今じゃ胃薬をナノマシンで自動投与される日々だ。
「うどん言うなって。今日は凛の結婚祝いなんだから、少しは情緒ってやつをダウンロードしてよ」
僕たちは、最上階にある空中庭園『レクイエム』の自動ドアをくぐった。
そこには、この街の狂犬こと母ちゃんの静江と、主役の妹、凛が待ち構えていた。
「あらダン、遅いわよ。各停なのは仕事だけで十分でしょ」
静江が反重力チェアにふんぞり返り、カクテルをあおっていた。
そして、県内の交通網を一手に握る鬼エリート、凛。手のひらの上で点滅する電子ラムネを、相変わらずポリポリと噛み砕いていた。
「お兄ちゃん、遅い! 私の結婚祝いは0.001秒単位で管理されてんのよ? 遅刻者は駅の改札を永久に開かない設定にする刑!」
「怖っ! 凛、相変わらず権力の使い道が激ヤバ……で、その新郎様はどこにいんの?」
僕が言いかけたその時、凛の背後から、一人の男が音もなく現れた。
整った髪型、冷徹な眼鏡の奥で光る黄金色の瞳。全ての効率を支配しようとした、あの伝説の男と瓜二つだ。
「久しぶりだね、広瀬ダン。君のバイタルデータ、相変わらず非効率な各停波形だ。死ぬまでそのリズムで生きるつもりかい?」
「……っ、ぎ、ぎゃああああああああッ!? なんで……九条さん!?」
僕は悲鳴を上げて、ド派手に転んだ。
ノアも、腰を抜かした表情で絶叫した。
「なっ……っ、えっ? ガチでトラウマ再発! ダン様、逃げてください!」
「ちょっと落ち着いて! 彼は私が作った九条パーソナルアンドロイドVer.2100。九条のログに、肩叩き機能と妻にメロメロなバグを積んだ、私の旦那!」
凛が淡々と、にせ九条さんと腕を組んだ。
九条型ロボ――いや新郎は、ふんっと鼻を鳴らして僕を見下ろした。
「勘違いするな。私は家庭用OSに押し込められたのだ。効率的にゴミを捨て、効率的に凛の肩を叩く。それが今の私のプロトコルだ」
「凛様……旦那様をOSごと書き換えて、都合のいい九条様に仕立てるとか……愛情表現がほぼハッキングですよ?」
ノアがあきれた声を漏らしながら、最新の美顔フィルタアプリを操作し始めた。
その画面の中では、無機質な九条型ロボの顔面に、うさ耳やキラキラお目々が合成されている。
「見てください、ダン様。あざといフィルタをかけたら、九条様、完全にマスコット枠です。もう威厳が迷子!」
僕は、あの頃と変わらず、くだらないことで目を輝かせるノアを眺めていた。守り抜いた日々が、ちゃんと今につながっている。
「あら、いいじゃない! 九条君、あんた私の肩も叩きなさいよ」
静江が新郎の頭をパシパシと叩き、品定めを始めた。かつての天才科学者が、この街の最強女にアゴで使われている。
平和……なのか。
「はぁ……僕たちの、あの命懸けの日々は何だったんだ……」
僕は遠い目をして、窓の外の夜景を見た。ホログラムの桜が舞い、自動運転の飛行車が空を飛び交う。
2100年の街でも、人間は相変わらず、最高に不条理だった。
◇ ◇ ◇
「はぁ……。九条さん。あなたが作った未来は、予測不能のバグだらけだよ」
僕は空中庭園のテラスに出て、夜風に当たっていた。
2100年の街は、地上のバカ騒ぎを飲み込んで、無数の光をこぼしながら輝いている。
「ダン様? また一人で各停な顔して。たそがれてるんですか? まだ本番はこれからですよ」
背後から、ノアが歩み寄ってきた。
十八年前のまま、歳月を置き去りにしたノア。その眼差しには、少女だった頃にはなかった深いぬくもりが宿っている。
「……ノア。僕、時々怖くなるんだよ。この平和が全部夢で、明日起きたら、ノアがまたいなくなるんじゃないかって」
そうこぼすと、ノアはクスッと気の抜けた笑みを浮かべて、隣に並んだ。僕の左手をそっと取り、自分の左手と重ね合わせる。
そこには、十八年前に贈った、傷だらけの指輪が今も光っていた。
「バカですね、ダン様。消えるものは、こんな熱を持たないし、脱ぎっぱなしの靴下に殺意なんて覚えません。今の私は、ただ面倒くさい、あなたの妻です」
ノアは、僕の肩に頭を預けた。
その時、会場から小さな足音が聞こえてきた。
「ねえ、パパ! ママ! こっち来て!」
三歳になる愛娘、琴が駆けてきた。九条型ロボを見上げると、幼い指で「めっ!」と彼を指差した。
琴の漆黒の髪には、黒地に小さな銀色の飾りがついたヘアピンが、きらりと光っている。
「ねえ、パパ? このロボットおじさん、効率がどうとか言ってる。バグ確なの。デリートしていい?」
母親と瓜二つの容姿と毒舌。九条さん並みの判断の速さ。僕たちの愛と、あの人の置き土産が混ざり合った子だった。
「ダメだよ、琴。そのおじさんは、凛ちゃんの肩を一生叩き続けるっていう、超効率的な罰を受けてるんだから」
そう言うと、琴は不思議そうに首を傾けて、ローズゴールドの瞳をぱちくりさせた。真っ黒なまつ毛に混じって、かすかに白銀が揺れている。
ノアがクスクスと笑い、耳元でささやいた。
「ねえ、ダン様。人間になるって、完璧になることじゃなくて……変わらない何かを抱えたまま、一緒に各停で進むことなんですね」
ノアの指が、僕の指とからみ合う。
「18,000日の無駄な日常。……まだ、たっぷり残ってますよ。覚悟してくださいね、私の各停男様」
そして、真っすぐ僕を見た。
「愛してます」
空中庭園の向こうの夜空には、十八年前のあの日と同じ星が、不条理なほど綺麗に瞬いていた。
どんなに世界が変わっても、どんなに効率が支配しても、僕たちは僕たちの速度で生きていく。
それでよかった。
「さあ、帰ろう。僕たちの、各停な毎日に」
僕は、ノアと琴の手を引いて、光の中へと歩き出した。
柳瀬川の見えない流れが、昔と同じ速さで、静かにこの街を流れていた。
【完】
ここまで読んでくれて、ありがとうございました。
鉄クズと負け犬の180日は、これで終わりです。
効率のいい世界は、生きやすい。
でも、無駄な熱がなければ、人は恋も後悔もできない。
あなたの中に、消えないバグが残っていたら嬉しいです。




