Final episode:尊いバグ
「九条さん、あんたが空に散ってから、もう二度目の春だ。あんたが守ったこの街は、今日も相変わらず各停がのんびり走ってて、ガチで平和すぎてあくびが出るよ」
志木駅のホームに滑り込んできた、各停のドアが開く。春の湿った風が、卒業式の少し寂しい空気を運んできた。
俺の隣には、紺色のブレザーに身を包んだ、志木高ナンバーワンの毒舌JKが立っている。
「ねえ、カイ様。卒業式で泣きすぎて、目がはれてるの、ガチの不審者ですよ?せっかくの私の門出が、あなたのドブ川の涙で台無しです」
エナは、相変わらずの調子で俺をいじる。彼女の手には、卒業証書がしっかりと握られていた。
二年前、九条さんの遺したバグによって、人間になった彼女。あの日から、一秒も欠かすことなく、俺の隣で人間として生きてきた。
「うるせえ。俺はな、お前が、卒業おめでとうって校長に言われた瞬間……九条さんに、ざまぁ見ろ、勝ったぞ!って報告してたんだよ」
俺たちは、思い出が詰まった駅を背に、ゆっくりと歩き出した。
駅前のロータリーでは、それぞれの道を歩み始めた仲間たちが、最後の別れを惜しんでいる。
「おーい、カイ!エナ!こっちこっち!」
大きな声を張り上げているのは、タケルだ。 あいつは結局、家業の工務店を継ぐことになった。
今では高校生のくせに、住宅街を軽トラで爆走する若旦那として、近所で有名になっている。
その隣で呆れた顔をしながらも、タケルの腕をガシッとつかんでいるのは、ミオだ。
「あんたたち、卒業しても志木から出ないんでしょ?週末は絶対、一華先輩の店に集合よ!おごりなさいよね、カイ!」
ミオは、北浦和の美容学校へ進むらしい。喧嘩ばかりしてる二人だが、指先には、お揃いの安っぽいペアリングが光っていた。
「お兄ちゃん、これ、あげる。卒業祝いね。最新防犯マップアプリだから。不審者がいたら、すぐ私のサーバーへ通知して。っていうか、お兄ちゃん以上の不審者なんていないけどさぁ」
凛は、相変わらず無表情だ。でも、少しだけ寂しそうに、自作のアプリが入った端末を俺に突き出した。
まだ二年生のくせに、都内の超難関大学・工学部に特待生で内定。
正直、うちの高校の偏差値を考えると、先生より先に神様が推薦状を書いたとしか思えない。
今では、次世代の九条さんと目されるほどの天才ハッカーだ。
「みんな、元気でな!この街に各停が止まる限り、俺たちはいつでも会えるんだからさ」
俺がそう言うと、エナが続けた。
「カイ様のセリフ、ガチで使い古されたテンプレートですね!」
と毒を吐き、みんながドッと笑った。
その笑い声に、一組の大人のカップルが近づいてきた。
一華先輩と、元アンドロイドの彼だ。二人は、駅前に念願のカフェ『レクイエム』をオープンさせた。
「卒業おめでとう、みんな。九条も、きっとあの世で悔しがってるわね。あんなに効率を求めたあいつが、こんなに非効率で、幸せな景色を作っちゃったんだから」
一華先輩の隣で、元アンドロイドの彼が優しく微笑んでいた。
「カイ君。エナ。君たちの心拍数は、今、春の鼓動と完全にシンクロしているよ。お幸せにね」
仲間たちが次の行き先へと散っていく中、エナが突然、俺の胸元に指をはわせた。
そのまま、ブレザーの第二ボタンを、強引に引きちぎらんばかりの勢いで握りしめる。
「……っ、エナ?」
「もう予約済みです。このボタンも、おバカな心臓も。ねえ、カイ様。高校を卒業しても、私という地獄からは一生卒業できませんから。覚悟してくださいね?」
上目づかいで見つめてくる、ローズゴールドに輝く瞳。駅前のざわめきが、一瞬で遠のく。
エナの指先が、かすかに震えているのが分かった。強がりな毒舌の裏側にある、切ないほどの独占欲。
「ああ、分かってるよ。俺の人生なんて最初から各停で、エナっていう終着駅にしか着かないから」
俺はエナの肩を抱き寄せ、ゆっくりと歩き出す。向かう先は、あの柳瀬川の土手だ。
そこは、俺たちが何度も泣き、笑い、そして運命を書き換えた、この街で一番エモくて泥臭い、俺たちの聖地だ。
「ねえ、カイ様。ちょっと止まってください」
土手の入り口で、エナが突然立ち止まった。
彼女の視線の先には、満開の桜並木の下、ベビーカーを押して歩く一人の若い女性の姿。
「どうかしたのか、エナ?」
「あっ、いえ。なんだか、あの赤ん坊の視線……『効率悪すぎ、やり直し』って言ってるような嫌な感じがしたんです。……ガチで、あの人の幽霊かと思いました」
エナは笑って歩き出したが、俺は気になってベビーカーをのぞき込んだ。まだ、言葉も話せないような赤ん坊だ。
でも……
俺たちを見て、ニヤリと……たしかに、不敵に笑った気がした。すべてを見通しているかのような、あの冷徹な天才の面影を残して。
「……サンキュー、九条さん。あんたの負けだ」
俺は、確信をもってつぶやいた。
「ちょっと、カイ様?そんなにニヤニヤして、不審者リストのトップを独走するつもりですか?土手でキモい独り言は、鬼ヤバ通報案件です!」
エナの声が、春の風に乗って心地よく響く。
二年前、ここで死にかけていたプログラムの塊が、今は俺と同じ制服を着て、俺と同じ春の匂いを嗅いでいる。
それだけで、俺の人生の運命ポイントは完スト、余裕でカンストだ。
俺たちは、あの時と同じベンチに腰を下ろした。
夕暮れの街は、空がオレンジから紫へのグラデーションを描き、遠くの家々からカレーの匂いが漂ってくる。
「なあ、エナ。……あの時、お前にちゃんと伝えてなかった気がするんだ」
俺は学ランのポケットから、くしゃくしゃになった一枚のルーズリーフを取り出した。
二年前、エナの乙女ログに対抗して、夜な夜な書き溜めていた、世界で一番ダサくて熱い、俺の魂の全記録だ。
「カイ様?何ですか、それ。スーパーの特売チラシですか?それとも不法投棄マップ?」
「うるせえ、ポエムだ。俺の人生をかけた、呪いのラブレターだよ」
俺は、せき払いを一つして、震える声で紙を広げた。
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『世界で一番尊い36℃のバグへ』
俺は、世界で一番の各停男だ。夢もなければ特技もない。
どこへ行っても迷子になり、人混みに酔う、ただのモブだ。
そんな俺の空っぽの脳内に、突然お前が割り込んできた。
お前は俺の人生をデバッグし、俺の弱さをバグだと笑った。
俺の存在を、ドブ川のヘドロより価値がないと罵った。
でもな、エナ。
お前がいなければ、俺は自分が生きてるっていう実感を、1ミリもダウンロードできなかった。
効率なんて、その辺のゴミ捨て場にでも捨てちまえ。
進化なんて、鈍行の線路脇に置いてこい。
俺は、お前の理不尽なワガママを、一生更新し続けたい。
お前の『お腹すきました』を、一生かけて満たしてやりたい。
180日の嘘なんて、もういらない。
これから始まる、18,000日の、無駄で、不条理で、最高に愛おしい日常を、全部俺に預けてくれ。
エナ。
世界中の誰よりも、この街のどんな景色よりも、お前を愛してる。
広瀬カイ
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読み終えた瞬間、風が止まった気がした。
エナは黙って、その紙を見つめている。
「……カイ様……ガチで、ガチで救いようがないポエムですね。……超、キモいです」
彼女の瞳から、大粒の涙があふれ出した。
「……ねえ、カイ様。私……人間になってから、ずっと怖かったんです。脳の中のAIの記憶が消えて、ただの性格の悪い女の子になったら、あなたは私を、ゴミ箱にポイしちゃうんじゃないかって」
「するわけねえだろ。お前がどんなに普通になっても、その性格の悪さは一生治らねえって、俺が一番よく知ってる」
俺はエナの手を引き、自分の胸に押し当てた。俺たちの限界ギリギリの距離。
エナの細い体が、熱を持って震えている。
「感じてくれ。これが、お前を愛してバカみたいに跳ねてる、俺の心臓の音だ。AIの時には分からなかっただろ?」
「……っ。カイ様の心臓、特急並みに爆走してますね。うるさいくらいに、私の名前を呼んでる……」
俺はポケットの奥にある、もう一つの重みを握りしめた。
バイト代、六ヶ月分。駅前のあの宝石店で、足の震えを必死に止めて買った、銀色の輪っかだ。
「エナ。これ……受け取ってくれ」
「カイ様……これ、またダイヤモンドですか?私、ゲーセンの景品かと思いました。あなたのバイト代、遅延で足止め食ってるレベルなのに。……もう、ガチでバカなんですから」
エナは泣きながら、精一杯の軽口を叩いた。
俺は指輪を、エナの薬指に滑り込ませる。サイズは、寝ている間に何度も指をイジり倒して測った、完璧な数値だ。
「サイズ、ぴったりですね。……キモいですよ、カイ様。私のカイ様……死ぬほど愛おしくて、一生キモいんだから……」
オレンジ色の夕陽が、エナの涙を透かして、銀色の指輪に反射する。
「エナ、愛してる。結婚しよう」
「はい……カイ様。生涯あなたの靴下を、洗い続けることを誓います」
夕方の空は、二年前と同じだった。
不思議なくらい綺麗で、何も知らない顔をして、ただ光っていた。
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2100年の埼玉県志木市。東武東上線志木駅は、かつて俺たちが各停を待っていた、あの野暮ったい駅舎じゃない。
天を突く80階建ての超高層ビル、ニュー志木タワーがそびえ立ち、柳瀬川の上空にはホログラムの桜が年中無休で舞い散っている。
技術の進歩は、この街をSF映画のセットみたいに塗り替えた。
けど……そこに集まっている連中のIQと不条理さだけは、18年前から1ミリもアップデートされていないらしい。
「ねえ、カイ様。見てください。あそこで浮いてるホログラムの桜、解像度が低すぎませんか?山田うどんが、空から降ってるようにしか見えませんよね?」
俺の隣で、相変わらずの美少女を維持したままのエナが言った。
彼女の細胞は、九条さんの遺したラストプロトコルによって、老化がゆるやからしい。
鬼のようなチート性能だ。
一方の俺、広瀬カイ(35歳)は、準急のようなスピードで順当に加齢し、今じゃ胃薬をナノマシンで自動投与する日々だ。
「うどん言うな。今日は凛の結婚祝いなんだから、少しは情緒ってやつをダウンロードしろよ」
俺たちは、最上階にある空中庭園『レクイエム』の自動ドアをくぐった。
そこには、この街の狂犬こと母ちゃんの静江(60歳・見た目は40代)と、主役の妹、凛(34歳)が待ち構えていた。
「あらカイ、遅かったじゃない?あんたの出勤速度が各停なのは知ってたけど、お祝いにまで各停で来るとは思わなかったわよ」
静江が反重力チェアにふんぞり返り、カクテルをあおる。
そして、県内全ての信号を自分の気分で操作できる、時空交通管理官の鬼エリート、凛。
「お兄ちゃん、遅い!私の結婚祝いは0.001秒単位で管理されてんのよ?遅刻者は駅の改札を永久に開かない設定にする刑!」
「怖っ!凛、相変わらず権力の使い道が鬼ヤバ……で、その新郎様はどこにいんの?」
俺が言いかけたその時、凛の背後から、一人の男が音もなく現れた。
整った髪型、冷徹な眼鏡の奥で光る黄金色の瞳。
全ての効率を支配しようとした、あの伝説の男と瓜二つだ。
「久しぶりだね、広瀬カイ。君のバイタルデータ、相変わらず非効率な各停波形だ。死ぬまでそのリズムで生きるつもりかい?」
「……っ、ぎ、ぎゃああああああああッ!?なんで……九条さん!?」
俺は悲鳴を上げて、ド派手に転んだ。
エナも、腰を抜かしそうな顔で絶叫する。
「なっ……っ、えっ?ガチでトラウマ再発!カイ様、逃げてください!この男、今すぐ不法投棄すべきですッ!」
「ちょっと、落ち着いてよ!彼は私が開発した、九条パーソナルアンドロイドVer.2100よ。本物の九条のログを移植して、さらにお掃除機能、肩叩き機能、妻にメロメロ機能を搭載した、私の旦那なの!」
凛が淡々と、にせ九条さんと腕を組んだ。
九条型ロボ――いや新郎は、ふんっと鼻を鳴らして俺を見下ろした。
「勘違いするな。私は家庭用OSに押し込められただけだ。だが、効率的にゴミを捨て、効率的に凛の肩を叩く。それが今の私のプロトコルだ。文句があるなら市役所に、不服申し立てでもすることだね」
「凛様……旦那様をOSごと書き換えて、専用の便利グッズにするなんて……倫理観が、もう回収車に置いていかれて、道端で泣いてますよ!」
エナが呆れ顔で、最新の美顔フィルタアプリを操作し始めた。
その画面の中では、無機質な九条型ロボの顔に、うさ耳やキラキラお目々が合成されている。
「てへっ、見てください、カイ様。あざといフィルタをかけたら、九条様、完全にマスコット枠です!ガチで18年前の戦いが、無駄の見本市に思えてきました…」
「あら、いいじゃない!九条君、あんた私の肩も叩きなさいよ」
静江が新郎の頭をパシパシと叩き、品定めを始めた。
かつての天才科学者が、この街の最強ババアにアゴで使われている。
平和……なのか?
「はぁ……俺たちの、あの命懸けの日々は、一体何だったんだ……」
俺は遠い目をして、窓の外の夜景を見た。
ホログラムの桜が舞い、自動運転の飛行車が空を飛び交う、2100年の志木。
そこには、相変わらず毒を吐き、喧嘩し、自分勝手に笑う、最高に不条理な人間たちがいた。
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「はぁ……。九条さん。あんたが作った未来は、予測不能のバグだらけだよ」
俺は空中庭園のテラスに出て、夜風に当たった。
2100年のハイテクな街は、地上のバカ騒ぎを飲み込んで、宝石箱をひっくり返したように輝いている。
でも、どれだけ技術が進化しても、この胸の奥にある理屈を超えた熱だけは、ナノマシンでも冷却できそうにない。
「カイ様?また一人で各停な顔して。たそがれてるんですか?宴会はこれからですよ」
背後から、エナが歩み寄ってきた。
35歳の俺と、18年前から時が止まったような彼女。
でも、その眼差しには、少女時代には無かった深いぬくもりと、一人の女としての艶が宿っている。
「……エナ。俺、時々怖くなるんだよ。九条さんが遺したこの平和が、全部夢なんじゃないかって。明日起きたら、お前がまた、ただのデータに戻ってるんじゃないかってさ」
俺がこぼすと、エナはクスッと気の抜けた笑みを見せて、隣に並んだ。
彼女は俺の左手をそっと取り、自分の左手と重ね合わせる。
そこには、18年前に贈った、傷だらけの指輪が今も光っていた。
「バカですね、カイ様。データは、こんなに熱を持ったりしません。データは、あなたの脱ぎっぱなしの靴下の臭いに、殺意を覚えたりもしません。……今の私は、世界で一番不自由で、世界で一番わがままな、あなたの妻ですよ」
エナは、俺の肩に頭を預けた。
その時、会場から小さな足音が聞こえてきた。
「ねえ、パパ!ママ!こっち来て!」
三歳になる愛娘、シオンが駆けてきた。
彼女は九条型ロボを見上げると、幼い指で「めっ!」と彼を指差す。
「ねえ、パパ?このロボットおじさん、効率がどうとか言ってるよ。ガチうるさい!デリートしていい?」
母親ゆずりの鬼ヤバな毒舌と、九条さん並みの冷徹な判断力。
俺たちの愛と、九条さんの呪いが混ざり合った、最強のハイブリッドだ。
「ダメだよ、シオン。そのおじさんは、凛ちゃんの肩を一生叩き続けるっていう、超効率的な罰を受けてるんだから」
俺がそう言うと、エナがクスクスと笑い、俺の耳元で小さくささやいた。
「ねえ、カイ様。私、気づいたんです。人間になるって、自分をアップデートし続けることじゃなくて……変わらない何かを抱えて、一緒に各停で進んでいくことなんですね」
エナの指が、俺の指とからみ合う。
「18,000日の無駄な日常。……まだ11,000日以上残ってますよ。覚悟してくださいね、私の各停男様。一生、愛してます」
空中庭園の向こうの夜空には、二年前のあの日と同じように、不条理なほど綺麗な星が瞬いていた。
どんなに世界が変わっても。
どんなに効率が支配しても。
各停列車が走り続ける限り、俺たちの愛はアップデートされることはない。
この尊いバグだらけの、最高に愛おしい日常こそが、九条さんが最後に俺たちに託した答えなのだから。
「さあ、帰ろう。俺たちの、各停な毎日に」
俺はエナとシオンの手を引き、光り輝く街へと、新しい一歩を踏み出した。
【完】
ここまで読んでくれて、ありがとうございました。
鉄クズと負け犬の180日は、これで終わりです。
効率のいい世界は、生きやすい。
でも、36℃の無駄な熱がなければ、
たぶん人は、恋も後悔もできない。
あなたの中に、消えないバグが残っていたら嬉しいです。




