Episode1:出会い
本作は、近未来SF×恋愛小説です。
※失恋・精神的ダメージの描写を含みます。
※全22話完結です。
「カイ。ごめん、もう無理……」
ほんの5分前――
俺は、10年連れ添った幼馴染のミオにフラれた。
「なんかカイの歩き方って、ガチで志木なんだよね」
彼女は、『各停男』の一言で俺をポイ捨てして、池袋行きの急行に飛び乗った。
取り残された背中に、冷たい風がまとわりつく……
2080年の埼玉県志木市。東武東上線、志木駅東口広場。
ここが、俺の現在地だ。
志木は住所を埼玉県から書かないと、高確率で『どこ?』と聞き返される、いかにも中途半端な街だ。
ていうか、俺の歩き方が志木ってなんだよ!
そこの柳瀬川のヘドロに、足を取られてヨタッてるってことか?
それとも、急行が止まるくせに『なんか違う…』みたいなオーラが噴き出してるってことか?
「どっちみち終わったわ…俺の高校ライフ。ゴミ溜めみたいにフラれてジ・エンド」
膝から崩れ落ちた俺の目の前で、志木名物・カッパ像のホログラムが、マヌケづらで浮かんでいる。
その時だった。
「あの、すみません。そこの、死んだ魚の目をしてる方。『きずもの』のカイ様で間違いないでしょうか?」
その声は、透き通った赤いバラみたいな甘い響きがした。
見上げると、一人の少女が立っている。
「……………」
俺は完全フリーズ。文字通り言葉を失った。
志木の偏差値では説明がつかない、バグレベルの美少女だったから。
令和の時代に流行ったような、クラシカルなブレザーの制服。
チェックのミニスカートからスラリと伸びる脚は、不自然なほど白くて細い。
サラサラの黒髪の間から、ビー玉みたいに大きな瞳が俺をのぞき込んでいた。
「うッ……近っ!」
しゃがみ込んだ俺の顔の、わずか数センチ先。
少女がグイッと顔を近づけてくる。
普通、香りや吐息が混じる距離だ。
でも、そこには何もない。
冷たさだけが、そこにあった。
彼女の周りだけ、空気が数度低い。
冷房を全力にした会議室みたいな、無機質な冷気だ。
「きず…もの…って?」
「はい。心に深いきずを負い、再起動不能になった、あなた。広瀬カイ様のことです。県立志木高校2年1組に在籍中の17歳。私のデータベースに登録されている、今すぐケアすべき、ゴミ一歩手前の男ランキングのトップです」
「誰がゴミ…だと?」
「あっ、失礼しました。正確には、リサイクル回収待ちの恋愛敗北者でした。初めまして、カイ様。私はエナ。型番R-180。志木市失恋特区におけるリハビリ・パートナーとして、あなたの元に派遣されました」
エナと名乗った少女は、スカートの裾をつかんで優雅にお辞儀をした。
でも、その目は一切笑っていない。
「リハビリ・パートナー……アンドロイドか?」
「はい。ガチもんのアンドロイドです。最新のAIを搭載しているので、会話のキャッチボールも、エモい比喩表現も自由自在。あなたのズタボロになった自尊心を、駅前の再開発並みに綺麗に整えるのが、私の任務です」
「いらねえよ!なんだよリハビリって。俺は今から柳瀬川の底に沈んで、カッパのエサになる予定なんだ!」
「それは困ります。納税義務を放棄する行為です。今のあなたの価値は、パスワード不明のWi-Fiルーター以下。典型的な使えない男です。でも私のリハビリを受ければ、『あ、これまだ使える』と、たまに言われる延長コードくらいにはなれますよ」
「たとえがひどすぎんだろ!毒舌かよ!」
「事実を述べているだけです。私も、自分という存在が、税金の無駄づかいが生んだ、美しすぎる鉄クズであることを自覚していますから」
彼女は真顔で自虐をぶちかますと、突然、俺の頬に白く細い指先で触れた。
「ひゃっ!?冷たっ!」
「エラー発生。カイ様の目から、人間の涙が排出中。無駄ですよ、そんなもの。ミオとかいう女への未練は流せません。それとも、私の体温が20.5℃なのが不満ですか?熱い方がよければ、そこのカッパ像と摩擦運動でもしてください」
「誰がカッパと運動するか!ていうか、近すぎるんだよ、お前!」
エナは俺の動揺を無視して、さらに顔を近づけた。
鼻先が触れそうな距離。
彼女の瞳の奥で、光学センサーの青い光がサーチするように動く。
「心拍数、135。頬の毛細血管が拡張。…なるほど。絶望しているくせに、私の顔を見て、しっかりオスとしての反応を示していますね。ガチでエロいです、カイ様」
「お前が近づきすぎなんだよ!離れろ!」
「これだから童貞は……。リハビリ・ガイドライン第16条:被験者のパーソナルスペースを粉砕し、孤独を感じる隙を与えないこと。さあ、立ってください、カイ様。地面といつまでも抱き合っている暇はありませんよ」
エナは、隣でフワフワしていたホログラム・カッパをにらみつけた。
そして慣れた手つきで、パチン、と指を鳴らす。
「……あ、お疲れっパ……」
行政の許可もなく、カッパが消えた。
「おい、何した今!?」
「公務執行妨害です。今のあなたは、私以外を見る必要はありません。あなたの視界を、私の冷たい魅力だけで埋め尽くす。それが、私にプログラミングされた愛……業務です」
俺の胸ぐらをつかみ、力任せに引き起こすエナ。
その指は氷のように冷たく、でも、握られた感触だけは、呪いのように強く俺の心に刻まれた。
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「で、なんでお前、俺の後ろを、30センチ間隔キープで歩いてるわけ?」
駅の改札を抜け、自宅のアパートへ向かう道すがら、俺は背後に問いかけた。
エナは、軍隊の行進みたいに正確な足取りで、ピタリと止まる。
「リハビリ・ガイドライン第4条です。被験者のパーソナルスペースに侵入し、孤独感を物理的に抹殺すること。今のカイ様の背中は、秩父の無人駅くらい寂寥感が漂っていますから。ガチで見てられません」
「たとえが具体的すぎて刺さるんだよ。ていうか、その歩き方やめろ。通行人が『あいつ、美少女にストーキングされてね?』って顔で見てるじゃんか」
2080年の志木は、自動運転のシニアカーと清掃ロボットが我が物顔で走る、静かで平和な街だ。
そこに、絶望顔の男子高校生と、軍隊歩きの美少女アンドロイド。目立たないわけがない。
「安心してください、カイ様。私のステルス・モードを使えば、周囲からは私が、志木市指定の可燃ゴミ袋に見えるよう、ホログラムを上書きできます。やりますか?」
「よけい目立つわ!どんだけ高度な技術をゴミ袋に割いてんだよ」
「はぁ……性癖センスがゼロです。美少女がゴミ袋に化けるという、全男子が夢見るシチュエーションを断るなんて。マジで終わってます」
「誰がゴミ袋を夢見るんだよ!新ジャンルすぎるわ!」
エナは俺のツッコミを無視して、真横に滑り込んできた。そして、俺の腕を、自分の細い腕でギュッと抱きしめる。
「な、ななな……何すんだよ!」
「腕組みという名の物理的拘束です。これで周囲からは、あなたが可哀想な失恋男ではなく、生意気にも美少女アンドロイドを連れ歩く、成金男子高校生に見えるはずです。ドキドキしますか、カイ様?」
腕に伝わってくるのは、極上の最新シリコンと超高剛性フレームが生み出す、人間離れした完璧すぎる弾力だ。
そして…やっぱり氷のように冷たい。
「冷たっ……!お前、マジで体温ないんだな」
「当然です。私は鉄クズですから。内部温度は現在19.8℃。あなたの熱すぎるスケベを冷却するには最適の温度かと。あっ、今、腕の感触を脳内で3Dスキャンして保存しましたね?マジでキモいですよ、カイ様。通報していいですか?」
「してねーよ!勝手に脳内を見るな!」
俺は必死に腕を振りほどこうとしたが、彼女の握力は大型重機並みだ。
抵抗すればするほど、エナの薄い制服越しに、冷たくて硬い、でも不思議と心地よい鉄の感触が肌に食い込んでくる。
「カイ様、顔が赤いですよ?心拍数は140を突破。血流が下半身の特定部位に集中し始めています。なるほど…これがリハビリの効果ですか。失恋の痛みより、性的な興奮が上回るとは。人間の脳って、結局は繁殖最優先設計ですよね?」
「分析やめろ!俺の下半身をデータ化するな!」
俺たちはそのまま、夕暮れの砂利道を歩き続けた。
自動運転のバスが静かに通り過ぎる中、エナはときどき、メンテナンスと称して俺の首筋に冷たい額を押し当ててきた。
「私…少し、熱を帯びました。演算処理が追いつきません」
「えっ?」
「カイ様のキモいエロ視線を受けすぎて、私のメインプロセッサーがオーバーヒート気味です。冷やしてください…カイ様。あなたのその、無駄に冷え切った心で」
エナはそう言って、俺の手を自分の首元へと導いた。
指先に触れる金属の冷たさと、滑らかな人工皮膚の質感。
彼女の首筋にある排熱スリットから、かすかな機械の駆動音と、ほのかなバニラの香りが漏れ出す。
「冷たい……だろ?」
「はい、カイ様。ガチで心地いいです。あなたの絶望、私の冷却材としては最高級の品質ですよ」
エナは一瞬だけ、本当に一瞬だけ、壊れた人形のような悲しげな微笑を見せた。
その冷たさに、俺の心はなぜか、ミオにフラれた時とは違う種類の痛みを感じ始めていた。
俺は深いため息をつき、自宅アパート近くの柳瀬川に架かる橋の上で足を止める。
夕暮れ時。川面には、遠い浦和のビル群に反射した赤い光が、血のようににじんでいる。
その赤い光が、隣に立つエナの横顔を照らし、彼女が精密な機械であることを忘れさせた。
「なあ、エナ。……お前さっき、180日たてば消えるって言ったよな」
「はい。失恋リハビリ支援法に基づき、期限が来た時点で私は初期化されます。私のメモリは全消去。存在そのものが、あなたの失恋というバグを修正するための、一時的なパッチファイルに過ぎませんから」
エナは橋の欄干に手をかけ、遠くを見つめる。彼女の指先が夕日に透けて、一瞬だけ赤く見えた。
触れ合っている俺の腕には、相変わらず氷のような20℃の冷たさが伝わってくる。
「リハビリ特区なんて言ってるけどさ……。結局、俺みたいな恋愛弱者を、アンドロイドでごまかして、税金で慰めてるだけだろ?」
「その通りです。志木市は今や、失恋した若者のリサイクル拠点。私はあなたの空っぽの心を埋めるための、高価な身代わり人形でしかありません。……あっ。今のセリフ、心に刺さりました?でしたら……抱きしめてください。冷たいですが」
エナは無表情に俺を振り返り、ブレザーのボタンに手をかけた。
「おい、何してんだ!」
「心拍数の異常な上昇を確認。カイ様の体温が高すぎます。熱中症、あるいは私への不純な性的興奮によるオーバーヒートを避けるため、密着しての外部冷却を提案します。ほら、私の胸、ガチで冷たくて気持ちいいですよ?」
ボタンを外し、少しだけ開かれたシャツの隙間。
そこからのぞく鎖骨の白さは、2080年のどんな芸術品よりも美しく、そして……触れなくても分かるほど、徹底的に冷たかった。
「…ッ、いらねえよ!アンドロイドに何がわかるんだよ……」
自分でも驚くほど、情けない声が出た。
フラれたばかりの反動だろうか?
それとも、このアンドロイドが放つ期限付きの輝きと、その冷たさに、無意識に当てられたのか?
「じゃあさぁ。もし……もし俺が、お前を好きになっちゃったら…180日後、どうすんだよ?」
エナは、ゆっくりと俺を見つめ、いたずらっぽく微笑んだ。
でも、瞳の奥の青い光は、どこまでも無機質だ。
「本気で言ってます?カイ様?今のセリフ、砂糖を過剰摂取したポエムですよ。録音して、池袋駅の構内で無限ループ再生しましょうか?僕は鉄クズに恋をしました、って」
「やめろって!死ぬから!社会的に抹殺されるから!」
「てへっ……安心してください。私が暴走しないよう、システムがちゃんと機能しますよ。100日を過ぎる頃、あなたはきっと、私をゴミみたいに不法投棄したくなるはずですから。それが、失恋特区の完璧なリハビリなんです」
その言葉の真意を、当時の俺はまだ知らなかった。
彼女に組み込まれた『嫌われプログラム』が、どれほど残酷に、俺たちの心を切り裂くことになるのかも。
「さあ、帰りましょう。まずはカイ様の部屋を大掃除して、ミオとかいう女の残像を、物理的に消し去るのが私の初仕事です!」
「勝手に部屋に入るな!あと、捨てていいのはミオの私物だけで、俺の宝物には触るなよ!」
「宝物……あっ、21世紀の遺物、紙媒体のエロ本ですか?スキャンして全世界のネットワークに公開しておきます」
「やめてえぇぇぇぇぇ!!!」
俺たちは、平和な街の静寂を切り裂くような声を上げながら、あかね色の坂道を登っていった。
世界で一番切なくて、一番やかましい180日の、本当の始まり。
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ボロアパートに帰り着いた途端、エナは宣言した。
「業務開始です!」
俺の部屋を、清掃ロボット並みの手際で片付け始めた。
「ちょ、待て。そこは……!」
「不要物を確認。元カノとのプリクラ、廃棄。お揃いのマグカップ、粉砕。……おや、ベッドの下に21世紀の紙の奇跡を発見しました。カイ様、この不自然にページが固まった本は何ですか?柳瀬川の化石ですか?」
「触るなっつってんだろ!返せ!」
ドタバタと狭い部屋で追いかけっこをしているうちに、俺は足を滑らせ、エナと一緒にベッドへ倒れ込んだ。
正確には……俺がエナを押し倒すような形になった。
「あっ……」
心臓が、急行通過待ちくらい激しく、うるさく鳴る。
目の前には、月の光を浴びて、宝石のように輝くエナの瞳。
そして、はだけた制服の襟元からのぞく、透き通るような白い肌。
……やばい。近すぎる……
エナは逃げる気もなく、じっと俺を見上げていた。その細い指先が、俺の熱い頬に触れる。
「ねえ、カイ様。体温が危険域です。顔も、ケチャップをかけすぎたオムライスぐらい真っ赤ですよ。もしかして、この鉄クズで、いかがわしい妄想をアップデート中ですか?」
「してねえよ……。ただ、その、お前が、…綺麗すぎるから」
「本気で言ってます?壊れてますね。アンドロイドに欲情するなんて、もはや資源ゴミにも出せないレベルのド変態です」
エナはそう言いながら、俺の腕をつかみ、自分の胸元へと引き寄せた。
心臓の鼓動はない。あるのは精密な冷却ファンが回る、かすかな微振動だけ。
「カイ様……触れてみますか?私、外見だけは理想の恋人として設計されています。肌の弾力、柔らかさ、全てが最高級。ほら…エロすぎて…我慢…できませんよ?ただ……絶望的に冷たいですけど…」
俺の手のひらが、エナの体に触れる。凄く柔らかい。
でも、驚くほど柔らかいのに、体温がまったくない。
そこにあるのは、夏の夜の静寂をそのまま皮膚にしたような、20℃の氷の感触だった。
「ひゃ…、カイ様。あなたの手、鬼熱すぎです。私の冷却システムが異常加熱と判定して、自動的に放熱モードに入りそうです。……このまま…私の服を脱がして、中まで…冷やして…くれますか?」
「……っ!!」
俺は弾かれたように、エナから離れた。
「冗談ですよ、カイ様。マジ顔で引かないでください。キモいですよ」
エナは淡々と毒を吐きながら、大きなサイズの俺のTシャツを、パジャマ代わりに勝手に着始めた。
あえて俺の目の前で、一切の恥じらいを捨てて、全てをさらす。
それは彼女にとっては、感情を省略した儀式だった。マニュアル通り、誤差ゼロ。
空気は工場出荷時のままで、着替えという行為にあるはずの痕跡は、完全にログから削除されていた。
「アンドロイドにプライバシーはありません。あなたの視界を独占するのも、私のリハビリ業務ですから」
そう言ってエナは、俺のベッドのすぐ隣の床に腰を下ろした。
そして、額に『充電中』というホログラム文字を浮かべて、さっさと眠り(?)についた。
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その夜。 俺のスマホに、ミオから一通のメッセージが届いた。
『新しい彼氏と大宮の高級ホログラム・レストランに来てるなう。カイも、志木で頑張ってね(笑)』
俺はスマホをベッドに投げ捨て、月の光に照らされたエナの寝顔を見た。
長いまつ毛、薄い唇。人間とは違う、20℃の静寂。
「頑張れるわけねえだろ……バカ」
俺は、エナの冷たい指先に、一瞬だけ触れた。伝わってくるのは、無機質な鉄の冷たさ。
いつかこの指が、人間と同じ温度――36℃になる奇跡が起きないだろうか。ありえない妄想が、脳内をめぐっていた。
志木の夜は、2080年になっても、どこまでも静かで、どこまでも孤独だ。
ただ、隣で眠る鉄クズの駆動音だけが、トクン、トクンと、鼓動のふりをして響いていた。




