幻視 -1
「in due course」
いつかやって来る、未来の話。
乾いた土地に風が吹いて、細かな砂が舞いあがる。
どこまでも続く荒野にぽっかりと浮かんでいた「迷宮都市」は高く積み上げられた石壁に囲まれていて、足元にやって来た小さな三人の気配になど、まるで気付いていないようだ。
朝から延々と歩いて、ようやくたどり着いたけど。
「ねえ、あのさ」
やはり、やめておいた方がいいのではないか。
少年は声をあげてみたが、二人の視線は鋭く厳しい。
「なあに、今更怖気づいたの」
「そうじゃないよ。だけど、駄目だってこんなに書かれてるし」
少年が指を差した先には貼り紙が並んでいる。
迷宮都市は封鎖され、許可のない者の立ち入りを禁ずる。
表現に差はあれど同じような文言がずらずらと、これでもかと言わんばかりに書き綴られていた。
「ちょっと覗くだけ」
「でも」
「もう、意気地なしなんだから」
大袈裟なくらいのため息とともに、「男のくせに」と棘が飛ぶ。
「さあ、行くよ」
少年の姉である二人は身を低くして壁に近付き、「秘密の入り口」を探し始めていた。
迷宮都市は頑丈な石壁に守られているが、誰かがやったのか、自然とそうなったのか、大きなヒビが入った箇所があるという。
どうしても中に入りたくてたまらない好奇心旺盛な二人は、こんな噂を聞きつけ、親の目を盗んでは迷宮都市までやって来て、とうとう問題の場所を見つけだしていた。
棒を差し込み、割れた石を動かし、小さい穴があると判明したのだから、後はもう「入るしかない」。
「ここだ」
姉の合図で、二人は持ってきた硬い棒を差し込み、石のかけらを動かしていた。
現れたのは本当に小さい穴で、子供でなければ通れないだろう。
「ねえ、やめようよ」
「今更なに言ってんの」
「止めるなんて無理だってわかってるでしょ。あんたもおいで」
上の姉は小さな隙間に身をねじ込み、姿を消していく。
少年はおろおろとしていたが、二人目の姿も見えなくなって、慌てて後を追った。
「待ってよ」
狭い穴の中に潜り込み、闇の中を進んでいく。
「置いていかないで」
頭をぶつけながら、乾いた土を崩しながら、土の匂いを嗅ぎながら。
前方に光が見えて来て、少年はほっとして手足を動かしていった。
明るいのは前を進んでいた次姉が向こう側に出られたから。
だとしたら、この穴は確かに迷宮都市へ続いていたのだろう。
ここまで抱えてきた不安は薄れ、代わりに胸が弾む音が溢れていく。
かつて大勢の勇者を生み出した街、古代の魔術師が生み出した九つの神秘を抱く場所、ラディケンヴィルス。
この世にふたつとないその街について、幼い頃からいくつもの話を耳にしてきた。
それがすべて本当なのかはわからないが、あの力強く穏やかな瞳を思い出せば、いくつかは間違いなく真実だったと確信できる。
恐るべき敵と罠を備えたという迷い道に、入ってみようなどとは思っていない。
単純に、両親がかつて暮らしていた、自分の命が救われた場所を見てみたいだけ。
どんな景色が広がっているのか、どれほどの勇士が集っているのか。
ほんの少し垣間見れればそれでいい。
「わあ!」
もう少しで出口に辿り着く。
わくわくし始めたところで急に誰かが覗き込んできて、少年は悲鳴を上げていた。
「わあじゃないよ、もう。一回しか言わないからよく聞いて。今すぐ後ろに下がって、戻るんだ」
「え」
「字の読み書きはできない? 外に張り紙がしてあっただろ。許可のない人間は立ち入り厳禁。手続きは王都で受け付けてるから、どうしても中に入りたいなら正式に申し込んできて」
「あの」
先に行った二人は?
問いたいのに、体が震えてしまって、声が出せない。
「申請が出来るのは十五歳になってからだから……。だいぶ先みたいだね?」
「ねえ、後ろに下がるって?」
「そのまんまだよ。進んだら駄目。侵入になっちゃうから」
「でも、下がるなんて」
「無理でもやって」
光を背にしているせいで顔はよく見えないが、きっと怒っているのだろう。
鋭い口調に少年が涙ぐむと、二人の姉の声が響いた。
「そんなのできないよ!」
「意地悪しないで」
「こら、蹴るなよ」
覗き込んでいた誰かの姿が見えなくなり、出口に再び光が差し込んでくる。
姉を置いていくわけにもいかないし、狭い穴を後退する自信もなくて、少年は急いで穴の先をめがけて進んだ。
「ああもう、来るなって言ったのに」
這い出た先は並んだ建物の裏手のようで、結局壁だの木箱だのしか見えない。
ここが迷宮都市かという感慨には浸れなかったのだが、少年は別なことに驚き、立ちすくんでいる。
「まったく」
声からして、厳しく警告してきたのは目の前に立つ人物なのだろう。
腰の辺りまで伸ばした白金の髪をゆるく編み、長い睫毛のかかった薄青の大きな瞳をぱたぱたと瞬かせ。
女神を思わせるあまりにも美しい姿に、自然と指が祈りの形を作ってしまう。
とはいえ、麗しいのは見た目だけのようだ。物言いはごく普通だし、背も高く、声も女性のものではない。
「で、どこから来たの。名前は?」
二人の姉はそっぽを向いて答えず、男は唇を尖らせている。
もう一度同じ問いが飛び、無視され、次の瞬間。
勢いよく手が伸びて来て、少年は首元を掴まれていた。
「わああ!」
「メーレス!」
二人が声を合わせて、男はにんまりと笑う。
「よし、メーレスだな」
この日迷宮都市に侵入を試みた無鉄砲な三人きょうだいの末っ子、メーレス・ラクト・パンラは男にがっちりと捕らえられ、青い瞳に覗き込まれていた。
「あの二人は?」
「ちょっと、弟を離して!」
「静かに。声を抑えて」
男に指を向けられて、二人は動きを止めている。
「大事にはしたくないんだ。君らはまだ子供みたいだから」
「子供じゃないわ」
「この子はまだ子供だろ」
一番上の姉は十四歳、弟のメーレスはもうすぐ誕生日を迎えるが、まだ十歳。
既に成長期を迎えた姉二人に比べて弟の体は小さく、男に抱え込まれて唸るくらいしかできない。
「わたしたち、全然迷宮都市と関係ないわけじゃないの。家族がここで働いているし」
「家族って?」
「言っても知らないかも」
「全員わかるよ。名前も顔も、みんな知ってる」
誰の家族なのか再び強く問われて、二人は目で会話を済ませたようだ。
「……ギアノ。お父さんなの」
「ギアノ・グリアド?」
「そうよ」
男はやれやれと肩をすくめて、メーレスを連れて歩き出した。
二人は慌てて後を追ってきて、口々に文句を言い、また注意を受けている。
「静かにしろってば。黙って歩いて」
「なんで」
ぷいっと顔を逸らされて、二人は渋々口を噤んだまま歩いた。
メーレスは女神に抱えられたまま進んで、建物の裏手をずっと歩いた先、大きな屋敷のようなものに連れ込まれていた。
「ギアノー」
扉を開けて、壁をこんこんと叩いて、呼びかける。
男の声が届いたのか、通路の先から見慣れた顔がひょいと覗いて、ギアノ・グリアドが驚いた顔で駆け寄ってきた。
「え、メーレス? なんで?」
「壁に穴あけて忍び込んできた」
「嘘だろ。どうしてそんなことしたんだ、リーチェ、ビアーナも」
馴染みのおじさんに順に見つめられ、リーチェも口を閉ざしてはいられなくなったようだ。
「……ギアノに会いたかったから」
「迷宮都市に入ってみたかったからだろう? クリュ、その」
「ちょうど家の裏に出て来たんだ。声がしたから気が付いた」
美貌の男に解放され、メーレスはギアノに引き渡されている。
「かなり小さい穴だったから、子供じゃなきゃ通れないとは思うけど。すぐに塞がないとね」
ギアノがなにか言う前に、クリュは大丈夫、と口にしていた。
「俺が行くよ。誰なら手があいてるかな。ミンゲは?」
「南棟にいると思う」
「わかった。じゃ、行くね」
去っていく後ろ姿に、ギアノは「すまない」と声をかけている。
クリュは右手をさっと挙げただけで、扉の向こうに消えていった。
「それで? 壁に穴を開けたのか」
三人は建物の奥、どこだかわからないが大きな部屋に通され、並んで座らされていた。
いつでも親切で優しい、きょうだいにとっては父親にも等しい存在であるギアノは、三人についた土埃を払いながらため息を漏らしている。
「リーチェ」
「別に、わたしたちが開けたんじゃない。ひびが入ってるところがあるって、誰かが話してて」
「許可なく入っていいところじゃないっていうのは知っていたよな?」
一番年上であるリーチェは頬を膨らませて答えず、視線を向けられたビアーナも黙り込んでいる。
もちろんメーレスにも目は向けられて、二人の姉との絆と、大好きなギアノを天秤にかけなければならなかった。
「わかってたけど……、でも、手続きは大変だっていうから」
「そんな理由で?」
メーレスが向けた視線に、リーチェはすぐに気付いたようだ。
余計なことを言ってと後で怒られるだろうが、やはり、ギアノに嘘をつくわけにはいかない。
「確かに手続きは大変だよ。王都まで出向いて書類を出して、審査だって受けなきゃならないからな」
「要は迷宮歩きを理解していたらいいんでしょ? だったら」
「そんな簡単じゃない、リーチェ。いろいろと話は聞いているんだろうけど」
ギアノは真剣な眼差しで三人の子供たちを順に見つめた。
物心つく前からの付き合いで、メーレスにとっては感謝してもしきれない、命の恩人の一人でもある。
「本当なら、無断で足を踏み入れたらどこの誰であろうと侵入者として扱われる。名前と人相をしっかり記録して、一生、もう二度と迷宮都市に入れない身分にされるんだ」
「一生って?」
「わかるだろ。外の張り紙が読めなかったなんて言わせないぞ。近隣の街や村には特に気をつけるよう、通達も行ってる」
ため息の音が大きく響き、メーレスは身を縮めてしまう。
リーチェとビアーナは不満そうだが、ギアノに弱いのは二人も同じで、強く反論できずにいるようだった。
「ギアノに会いたかったんだもん」
ぼそりとした上の姉の呟きに続けて、下の姉も不満を口にしていく。
「アデルも大変だし」
「わかっているよ。悪いと思ってる」
これで話は終わりとばかりに、ギアノは立ち上がり、三人を手招きしていた。
「どこへ行くの」
「外に送っていく。誰かに気付かれる前に出なきゃ」
「もう少しいたら駄目?」
「定時の確認で人が来る。物資の配達の時間も近い。姿を見られたら三人とも永遠に出入り禁止だ。俺だってどうなるかはわからない」
「……いいの、それ。ルールを破るってことでしょ」
リーチェの問いに答える声はなかった。
ギアノは黙ったまま三人を先導して歩き、細い廊下を進んでいく。
そうして辿り着いたのは、王都へと続く道に繋がる東の大門らしかった。
ギアノは門の脇に設えられた小さな通用口を開け、周囲の様子を確認している。
「方角はわかるか? 北の村に続く道はあっちだ」
送ってやれなくてごめん、とギアノは言う。
いつも通りの真摯な瞳だが、寂しさを隠している。メーレスはそう感じて、胸に痛みを覚えていた。
本当はわかっている。
家族に会いたくてたまらないのは、妻子を残して迷宮都市に留まり、街の為に働き続けている「おじさん」の方なのだと。
「ごめんなさい、ギアノ」
涙交じりで謝ったメーレスを、優しい瞳が覗き込んでいた。
「必ず無事に帰るんだぞ。それと、ここへ来たことは誰にも言わないように」
頭を撫でられ、頷いて。
リーチェとビアーナは目を伏せているが、内心では同じように別れを惜しみたいのだろうと思う。
誰の姿もない荒野を、三人は駆け足で進んでいく。
聳え立つ岩壁から離れて、家族の待つ北の村へ。
馬車ならすぐに辿り着けるが、歩きではそれなりに時間がかかるから。
◇
「終わったよー」
ノックも挨拶もなく、クリュは部屋に入るなり「報告」を済ませている。
「手間かけたな」
「別に。みんな手伝ってくれたから、時間もかからなかった」
壁に開いた穴を塞ぐ作業は最優先で進められ、あっという間に完了したらしい。
子供たちが忍び込んできたのは昼頃で、世界はそろそろ夜を迎えようとしている。
日が落ちる前に済んで良かったとギアノは言い、クリュはそうだなと頷いて答えた。
「外側の石もがっちり固めた。中になにか流し込んでてさ、あれ、なんだったのかな」
クリュはテーブルの上に出しておいた菓子に手を伸ばし、放り込んでいる。
燭台に揺らめく炎で髪が輝き、微笑んだ顔を美しく浮かび上がらせていた。
「今日も帰って来ないかな」
囁くような声に、ギアノは首を振っている。
「そろそろだよ。深夜になることだってあるし」
調査の者が戻らないのは、上手く進めているからか、帰る術を失ったからか。
地上で待つ者はなにもわからず、無事に戻るよう祈るしかない。
「あの子たち」
しばしの沈黙の後にまたクリュが囁く。
他の誰にも聞こえないよう、ギアノだけに向けて、微笑みを投げかけている。
「聖なる岩壁の子供たちなんだろ」
「会ったことがあったか?」
「ないよ」
「よくわかったな」
「弟の名前が先にわかったんだ。フェリクスの妹の子の話、随分前に聞いたことがあって、覚えてた」
メーレスが連れてこられた時のことを思い出す。
小さな赤ん坊はひどく弱っていて、祈るような気持ちで匙を運んだ。
「上の女の子、何歳?」
「十四だ」
「カッカー様には全然似てないね」
クリュは二つ目の菓子を手に取り、口にぽいと投げ込んでいる。
「ギアノのことお父さんって言ってたよ」
もぐもぐと乾燥果実を食べながら、女神の再来は笑い声を抑えている。
「子供たちは元気?」
「ああ、もちろん」
特段知らせなどは来ていないから、大丈夫、問題ないはずだ。
ギアノの内心が見えたのか、会いたいよねと囁き、クリュはぼそりとこう漏らした。
「あと一年したら、資格試験を受ける?」
かつては罪人ですら受け入れる開かれた街であったラディケンヴィルスは、大きな異変に見舞われ、形を変えざるを得なかった。
今、街に滞在できるのは、再編された迷宮調査団に採用された者だけだ。
迷宮に足を踏み入れる調査官だけではなく、物品の管理、町の整備を請け負う者も団員として働いている。
リーチェ・パンラは十四歳。
聖なる岩壁と呼ばれた神官戦士の父、凄腕のスカウトである母の間に生まれた。
「有望な芽」は、特別なものだから。
ほんの一瞬目を閉じて、規則の網から逃してやった方が皆の為になる。
クリュはそう考えて子供たちを連れて来てくれたのだろう。
リーチェだけではなく、ビアーナにも期待ができるとギアノも思う。
とはいえ、諸手を挙げて賛成したいわけでもない。
「どうかな」
リーチェとビアーナとの出会いもはっきりと記憶に残っている。
小さな愛らしい女の子はにこにこと微笑んで、丁寧に食事のお礼を伝えてくれた。
「行かせたくないか、迷宮なんて」
最後のひとかけらも口に放り込んで、クリュは肩をすくめている。
「そろそろ食事の時間だよね。準備しようか」
「ああ、行こう」
内緒話を終えて、二人は揃って食堂へと向かう。
料理は既に仕上がっている。団員たちを集めて、当番以外で夕食の時間を持ったら、片付けを済ませていく。
多くはない人員ですべて回さなければならないので、皆が順番に様々な仕事を引き受けていた。
ギアノは食事に関するすべての責任を負い、物品の管理も引き受けている。
必要な物の注文を出し、あらゆる倉庫の管理も行う。
やることは多く、一人ではとても手が回らない。
クリュの手を借りて、ギアノはこの日も夜遅くまで在庫の確認に勤しんでいた。
見張りの交代の時間が来たら、仕事を終えた者たちに夜食を出さなければならない。
あくびを噛み殺しながら作業を進めていると、夜の静寂を切り裂くように、大きな鐘の音が響いた。
「ギアノ!」
途端にクリュが厨房に飛び込んできて、ギアノは思わず笑ってしまう。
「落ち着けよ、クリュ」
「だって」
予定の日数を超えていたから、不安に思っていたのだろう。
迷宮の調査はいつだって、考えた通りにはいかない。
経験豊富なメンバーを取り揃えていても、意外な発見やアクシデントに振り回されて、早く戻って来たり、余計に時間がかかったりと、安定した試しがなかった。
「行ってもいい? 急ぎでやらなきゃいけないことある?」
「ない。早く行ってきな」
「ありがと! 後でね!」
帰還を報せる鐘が鳴れば、まずは御の字。
後は、全員が無事かどうか。なにを持って帰れたか。
眠りに就こうとしていた迷宮都市ラディケンヴィルスは目を覚まし、一気に騒がしくなっていく。
「みんな、無事でいてくれよ」
ギアノは小さな声で祈りを捧げると、眼前の仕事を済ませるべく、大鍋の前へと進んだ。
次話からはまた、「現在」に戻ります。
*「幻視」についての詳細は活動報告にて。




