245 水底に心沈めて(下)
次の日の朝、支度を済ませるとヘイリーはまっすぐに東へ向かって進んだ。
昨日立ち寄れなかった樹木の神殿に顔を出し、挨拶を済ませ、隣に建つカッカーの屋敷を訪ねている。
「君に確認したいことがあって来た」
お茶を出してくれたギアノと向かい合い、ヘイリーは声を潜めて問いかける。
「ヌエルが助けられた時のことだ。マージが救ったらしいが、どんな状況だったのだろう」
拘留している二人のうち、口を割るとしたらヌエルの方だとヘイリーは考えている。
まだなにもかも白状してはくれないが、確実に揺れてはいるだろうと思っていたから。
あと一押し、どんな話でもいい。些細であってもきっかけが欲しい。
考えるうちに、ヌエルが救われた詳しい経緯についてはまだ不明瞭だと気付いていた。
「どこかの店の裏で倒れていたと聞いたが」
管理人は頷いたものの、現場がどこだったかは聞いていないらしい。
「君も聞いていないのか。……参ったな」
「あの、でも、もう一人協力していた人がいたんです」
「協力とは?」
「ヌエルが最初に匿われていたのは、マージの家ではなくて」
視線だけで真意を理解し、ギアノはもう一人の協力者の名を打ち明けてくれた。
「南の市場の近くに、ゾースの小瓶って酒場があるんです」
ヘイリーの隣で早速ガランがペンを走らせ、店の名前を記していく。
「路地裏でひっそりと営業してるので、わかりにくいかも」
「店主の名は?」
店の名の通り、主はゾース、三十代半ばくらいの大男。
そう教えてくれたものの、ギアノの語りはどこか歯切れが悪い。
「なにか問題のある店なのですか?」
ガランに問われて、管理人は何故だか困ったような表情を浮かべている。
「話しにくいことなのか」
「そうですね……。いや、別に悪いことをしているとかじゃあないんですけど」
視線を右へ左へ走らせ、首を傾げて。
ギアノは迷った様子を見せていたが、やがて小さく頷くと、こんな前置きをして語り始めた。
「俺もその、故郷の漁師の爺さんたちから聞かされただけなんですけど」
迷宮都市で偶然出会って知り合った、マージ。
本当の名はジャファトで、男性として生まれ育ったが心は女性。化粧をし、女物の服を着て暮らしていた。
「そういう人間もいるぞって、なんでか港で何度も聞かされたんですよね。体と心がちぐはぐなまま産まれる人間が時々いるんだって。女神様もたまには間違えることもあるって言われて、そういうものかと思ってたんですけど」
酒場の主であるゾースは、マージのような者を受け入れ、守っているのだと思う。
「ゾースの小瓶」は異端として扱われ、弾かれる者が集まる場所ではないかという話に、ヘイリーは深く頷いていた。
「店主も女装を?」
「いえ、マージとは少し違ってて」
多分だけど、女を愛せないタイプの男だと思う。
ギアノはヘイリーたちの顔色を窺いながら、神妙な顔で話している。
「女を愛せない?」
「その、男なんだけど、男を好きになるってことがあるらしいんですよね。漁師の爺さんたちが言うには」
ガランは口をぽかんと開けたまま、困ったような顔で固まっている。
店主の個人的な事情を記録する必要はなく、書かなくて良いと伝え、ヘイリーは答えを探した。
「私もそんな話を聞いたことがある。男を囲って暮らす貴族の子弟がいるという噂があったから」
「そうですか。……多分なんですけど、あの店はそういった人たちが集まれる場所なんだと思います」
ギアノは一度店を訪ねたことがあり、そんな気配を感じ取ったらしかった。
酒場の二階には客を泊める為の部屋があり、ヌエルがそこで看病されていたことも告げられる。
「店の二階に匿われていたのなら、店主が協力していたのは間違いないでしょうね」
ガランが呟き、ヘイリーは頷く。
「その後、マージの家に移ったというわけですか」
助手からの問いに、ギアノの表情は明らかに曇った。
「そうなんですけど、単純に移動したわけじゃあないんです。最初からマージの家に連れ帰らなかったのは、あの時ユレーさんともう一人、同居人がいたからで」
マージの家の居候については聞いた覚えがあった。
後にホーカ・ヒーカムの弟子になり、街で怪しげなうわさ話を振りまいていたマティルデという少女だが、当時は男性に対する恐怖心があり、ヌエルとの同居は難しかったことが語られていく。
ヌエルへの手助けと少女との共同生活はうまく両立できず、マティルデはギアノが預かった。
だがカッカーの屋敷で暮らすのも難しく、雲の神殿に頼った。
「俺はその話を伝える為に、マージに会いに行ったんです。ゾースさんの店を探して、店の二階に案内されました」
「なるほど」
「その時、聞かなきゃいけないことがあったんです。マージの知り合いに『ヌー』って男がいると、随分前に聞かされていて。俺はその男がカヌートなんじゃないかと考えてました」
「……ヌエルのことか」
マージが口走った「ヌー」については、マティルデから聞かされた。
背の高い神官の知り合いなど、二人しかいない。キーレイ・リシュラの可能性はないから、デルフィとしか考えられない。
ひょろ長い神官とギアノを繋ぐ「ヌー」の候補もまた一人しかおらず、確認すべきだと考えていた――。
勘の良い管理人に対し、ヘイリーはただ感心している。
確証を得られなかったから伝えなかっただけで、ヘイリーの為に調べ回ってくれていたと気付かされていた。
「マージはかなり動揺していて、なにも教えてはくれませんでした。大事な友達みたいだし、そもそもマージはなにも知らないだろうからと、諦めて部屋を出たんです。その時、ゾースさんに話があると呼び止められました」
「どんな話だったのかな」
「……二人がいないタイミングで呼びに行くから、ヌエルと話をしたらいいと」
ゾースはヌエルに手を差し伸べたが、怪我の理由について訝しんでいるとギアノに告げた。
路上で起きた派手な争いも、医師のもとで起きた不審な出来事についても噂に聞いていて、頑なに事情を話さないヌエルに、後ろ暗いものを感じているのだと。
「その時に、ただでさえ疎まれやすい、まっとうに生きなきゃいけないのにと話していて」
「ゾースがそう言ったのか」
「ええ。うっかりつい零しちゃっただけで、はっきり言ったわけじゃないんですけど」
マージが友人であるヌエルを助ける為に、ゾースに頼ったのかと思っていたが。
「ヌエルも、ゾースの知り合いだったのかな。彼の酒場に通っていた?」
「さすがにそこまではわかりませんが……」
酒場を訪ねて店主に聞けば、真相はすぐにわかるだろう。
けれど今は、ギアノの含みのある物言いが気になっている。
「なにか思い当たることが?」
管理人の青年は小さく頷き、不思議に思っていることがあったと呟き、ヘイリーを見つめた。
「なにが気にかかっていたのかな」
「俺の思い違いかもしれないんですけど」
「構わない。どんな些細なことでも話してくれないか」
「……あなたの妹であるチェニー・ダングと、ヌエルについてなんですが」
カヌートとドーンと名乗った二人の間には、妙な緊張感があった。
自分はそのように感じていたと、ギアノは言う。
「最初は、女性と同じ部屋を使うのかってところで引っかかったんです。服装とか物言いのせいで、ダンティンとデルフィは気付いてなかったみたいですけど、ヌエルがわからないとは思えなかったから」
「二人は協力して計画を立てていたのだから、おかしくはないのでは?」
「確かに、そうだったんでしょうけど」
眉間に寄った皺に、途切れた言葉。
何度か見た覚えのあるギアノの様子に、ヘイリーは背後を振り返り、ガランにこう頼んだ。
「少しだけ外してくれるか」
気の利く助手はすぐに出て行き、管理人の部屋には二人だけが残されていた。
ギアノは戸惑った表情をしていたが、ヘイリーは構わず、こう告げる。
「なにか言い辛いことがあるようだな」
「いえ」
「今更だ、ギアノ・グリアド。どんな話でも聞かせてくれ。思いがけない形で役に立つこともある」
「ヘイリーさん」
「君がすぐに打ち明けてくれなかった話には、どれも理由があった。厳しく当たってしまったのは私の未熟さ故だ。どんなに不愉快な話であっても聞かせてほしい」
調査団員にまっすぐに見つめられて、ギアノは小さく息を吐きだし、視線を返した。
「確かに、まだ話していないことがありました。さっきの話とは直接は関係ないんですが」
「関係ない?」
「あなたの妹とヌエルの間に、なにかあるのかなと思っていたのは本当です。二人がデルフィを連れ戻す為に協力してたのは間違いないんでしょうし、協力してると他の三人に気付かれないようにしていたとは思うんですけど」
「どう思っていたんだ?」
「なんというか、競り合ってたように感じたんです。二人とも意識し合っているような感じがあって、不思議に思ったんですよね」
ヘイリーが向けた眼差しに、ギアノの表情は苦渋に満ちたものに変わっていく。
「スカウトとしては、いや、探索者としてはどう考えてもヌエルの方が上でした。迷宮内で偶然見かけた時も、宿で過ごしている間も、妹さんには余裕がなくて、苛立っていることも多くて、不安そうで」
思いは既に伝えている。
ギアノならば理解してくれるはずだと信じて、ヘイリーは口を閉ざしたまま、続きを待った。
「そもそも俺は、デルフィとベリオの仲間になりたくて宿を訪ねたんです。迷宮都市に来た時、酒場や食堂で、慣れた人たちが探索の流儀についてあれこれ教えてくれるんですよ。成功するにはより良い仲間を得るのが肝心。うまくやれそうな誰かを見つけた時は、自分を入れてくれるよう交渉すればいいって、そんな話を聞いてたんです」
ギアノはベリオをリーダーだと考え、自分を仲間に入れてくれないか頼んだ。
だが、既に五人で組んでいるパーティに入るには、誰かと入れ替えてもらわなければならない。
「最初はダンティンと入れ替えるのはどうかと頼んだんですが、リーダーだから駄目だって言われて。それなら、ドーンとだったらどうかって持ち掛けたんです」
「チェニーと?」
ギアノは暗い顔をして頷き、その後の顛末について、きっちりと語ってくれた。
ベリオたちはメンバーの入れ替えについて話し合いを持ち、ギアノの頼みを断った。
ただ断っただけではなく、ベリオとチェニーの間で起きた出来事について、知らせてくれた。
ヘイリーは唇を噛み締めている。
胸を抉られるような感覚に耐えながら、ギアノに深く同情していた。
さぞ話しづらかっただろうと考え、ふう、とひとつ息を吐きだしていった。
「ありがとう、ギアノ・グリアド」
「その」
「君のせいだと少しでも考えているのなら、それは間違いだ。すべて、チェニーが自分で決めて、行ったことなのだから」
管理人の手を取り、強く握る。
祈りでも捧げれば良かったのだろうが、言葉はひとかけらも浮かんでこなくて、ただ、目を閉じる。
「そこまでしてパーティに残ろうとしたのは、デルフィ・カージンを攫う計画を実行する為だな」
「……そうだったんでしょうね」
「ベリオ・アッジとダンティンの命を奪う為でもある。思いとどまる機会だっただろうに」
「ヘイリーさん」
「よく話してくれた。おかげで、理解はより深まった」
胸に手を当て、心を鎮めていく。
少し前の自分なら、激昂して声を荒らげていたであろう場面だ。
冷静に聞くことができて良かった。
そう考えたついでに、問い掛ける。
「まだ話せていないことは残っているかな?」
「いえ、もう、ないです。今のが最後で」
「ありがとう、ギアノ・グリアド。君がいなければ、なにもわからないまま終わっていただろう」
「そうかな」
「私はそう思う。同じ宿でしばらく暮らしていたのだろう? 仲間の入れ替えの話には焦っただろうが、それでも君の人となりを知って、信頼できる人間だと理解していたはずだ。そうでなければ、チェニーが君に宛てて手紙を書くはずがない」
ギアノはほっとした様子で笑みを浮かべて、小さく頷いている。
「調査団を訪ねたからなんでしょうね。だとしたら、レテウスさんのお陰ですよ」
偶然見かけて思い出したから、頼ろうと決めたんじゃないか。
ギアノは照れくさそうな顔をして、ぽんと膝を叩いた。
「ガランさんを呼んできます」
ヘイリーが力なく頷くと、すぐにガランが管理人の部屋へ戻ってきた。
元気をなくした調査団員の為なのか、暖かいお茶も運ばれて来たし、こんな提案もしてくれた。
「ちょっと気分転換していきませんか?」
「気分転換?」
「今、裏庭で剣の訓練をしてるんです」
レテウスが指導を引き受け、初心者たちに剣の使い方を教えているらしい。
たまには体を動かすべきだし、思い切り剣を振れば陰鬱な気分も少しくらいは晴れるだろう。
管理人特製の美味いお茶で体を温めて、案内されるままに裏庭へと向かった。
突如として現れた制服姿のヘイリーに、あれは誰かと囁く声が溢れていく。
レテウスは探索初心者に剣の振り方を教えていたが、集中を切らした生徒たちの様子で新たな参加者に気付いたようだ。
ヘイリーは深く頭を下げて挨拶をすると、制服を脱いだ。
自身の剣と共にガランに預けて、訓練用の木剣を受け取り、掌に力を込める。
懐かしい感覚に突き動かされて、剣を振った。
裏庭の隅で鋭く振り下ろし、王都で過ごした日々を思い出し、ゆっくりとなぞっていく。
幼い頃は拾った木の棒で友人たちと戦い、成長してからは正式な剣を学び、体を鍛えてきた。
騎士に憧れ、強くなりたいと心に夢を抱き、いつでも剣と共に生きていたのに。
迷宮都市に来てからは、腰に提げているだけになっていた。
目の前に現れる霧を払うのに必死で、余裕がなかったとヘイリーは思う。
木剣を振り、突き出し、自らの礎を思い出し。
じわじわと湧きだしてきた汗の感覚が心地よく、夢中になっていく。
「ヘイリー・ダング」
大きく剣を振り下ろしたところで声がかかり、振り返る。
こんな風に呼びかける人物は一人しかいない。レテウスは太い眉毛をぴくぴくと震わせ、まっすぐに調査団員を見つめていた。
「剣を合わせてくれないか」
君の腕前について、噂に聞いている。
名家の三男坊はそう言い放ち、ヘイリーは慌てて首を振ってみせた。
「私如きがレテウス様と立ち会うなど」
レテウスはゆっくりと首を振り、ここは王都ではないと答えた。
裏庭に集う若者たちに、正式に剣を学んだ人間の動きを見せてやりたいのだと。
「訓練を重ねて、皆いろいろなことに気付くようになってきた。身のこなしなど、見て学べるものもある。協力してもらえないかな」
是非頼むと手を差し出されたところで、誰かが飛び出してきて二人の間に立った。
「俺とやりあうってのはどうだ、調査官殿」
割って入ったのはフォールードで、不敵な笑みを浮かべている。
「元は王都の騎士だったおっさんに鍛えてもらって、剣はかなり使えるぜ。なんでかあの怒り顔には勝てねえんだが、あんたならイケるはずだ」
なあ、いいだろう?
フォールードはレテウスとヘイリーに順番に尋ねたが、返事を待たずに庭の真ん中へ向かい、腕をぐるぐると回している。
「あの人誰なのかな」
「迷宮調査団だっけ? 制服を見たことがあるよ」
屋敷の住人もレテウスも庭の端へ下がって、試合の場が作られていく。
フォールードに挑発的な笑みで手招きされて、行くしかない。
「お、受けてくれんのか。逃げ出すかと思ったぜ」
不敵な戦士の前に立ち、ヘイリーは息を整えていった。
周囲を囲む屋敷の住人たちは皆フォールードを応援しているが、騒めきの合間にガランの声がかすかに聞こえてくる。
「ダング調査官! 頑張ってくださーい!」
レテウスに促され、礼をして。ヘイリーは改めてフォールードを見つめていた。
背が高い。上背があるだけではなく、体格が良い。よく鍛えてあると一目でわかり、力では負けそうだと思えた。
「はじめ!」
合図とともにフォールードが迫り、鋭い音が響いた。
速いが、見える。騎士にも兵士にも剣の達人は掃いて捨てるほどいた。まったく歯が立たない相手にこてんぱんにのされたことも、何度もあった。
レテウスの言う通り、見て学べることは多い。
明らかな体格差がある者同士の戦いは、参考になるものばかりだった。
フォールードは体だけでなく、声も大きい。
気迫のこもった雄叫びは、気の小さい者をそれだけで追い払う力がある。
腹の底に力を入れて、かけられた圧を跳ねのける。
繰り出された剣を避け、慎重に相手の強さを測っていく。
血が沸き立ち、体が熱で満たされる。
心はまっすぐに戦いに向けられ、想像通りに手足が動くようになっていく。
幼い頃から訓練を重ねてきた。最初は自分なりにがむしゃらに。目指す道を定めてからは、教わった通りに。
費やした時間の分だけ、強さは積み重なっている。
音や視界に映るものすべてが、勝利へ至る道を形作っていく。
細かく攻撃を繰り出し、フォールードの体は僅かに傾いだ。
僅かな隙を逃さず、肩から突っ込んで態勢を崩してやる。
「嘘だろ!」
体当たりをされたのが意外だったようで、フォールードはこう叫んだ。
脛に剣を叩き込み、手にも攻撃を入れ、庭の端まで追い詰めて。
大男はとうとうひっくり返り、すかさず腹を踏みつける。
「ダング調査官の勝ちだ!」
ガランが叫んで、試合は終わった。
戦いを見守っていた若者たちは荒っぽい勝ち方にどよめいているし、フォールードも抗議の声をあげている。
「王都の騎士団がこんな勝ち方すんのかよ」
悔しげに吐き捨て、ヘイリーの差し伸べた手を無視して、フォールードは立ち上がっている。
なんと答えるべきか迷っていると、レテウスがやって来て戦士の肩に手を置いた。
「君が強いからあの戦い方になったのだ」
「はあ?」
どよめく屋敷の住人たちにも目を向けて、レテウスは今の戦いについて語り始めた。
ヘイリーは体格差を考え、相手の力を見極めて、勝つ為に必要な戦い方をしたのだと。
「武器を手にすると、それで戦わねばと考えてしまう者も多いのではないかな。確かに、剣は頼りになる。迷宮に挑んだ時には特に、敵を切り裂き、止めを刺す為に必要だ。だが、戦いに使えるのは武器だけではない」
君たちに剣の使い方を教えるのは、迷宮に赴く為に必要な基本的な技術だから。
レテウスは真剣な眼差しを若者たちに向けて、更なる高みについて口にしていく。
「迷宮内の敵に礼儀もルールも存在しない。武器に頼らない戦い方は、探索者にこそ必要なもの。ダング調査官の戦いぶりを荒々しいと思ったかもしれないが、君たちがいつか目指すべき姿なのではないのかな」
話が終わると、屋敷の住人たちが向けるまなざしの色はすっかり変わっていた。
最も変化を見せているのはフォールードで、ふんふんと頷き、にやりと笑みを浮かべている。
「なーるほど、俺に勝つ為にそこまでしなきゃならねえって判断したんだな!」
ヘイリーは頷き、勝てて良かったと答えた。
大柄な戦士はすっかり機嫌を良くして、こんなことを言い出している。
「なあ、あの怒り顔を倒してくれよ」
あんたならやれるだろう?
口にするのは簡単なのだろうが、レテウス・バロットは余りにも強すぎる。
けれど今、胸のうちに燃え盛る炎に突き動かされて、ヘイリーは剣聖とまで呼ばれた強者の息子へ向け、頭を下げた。
「お願い致します」
レテウス・バロットは小さく頷き、木剣を構えている。
二人の間にはフォールードが立って、合図を出そうと腕をあげていた。
「ようし、じゃあ、おっぱじめようぜ!」
王都では時折見かけるだけだった貴族の三男坊と、こんなところで向かい合うことになるとは。
互いの辿った運命の不思議さを思いながら、ヘイリーは木剣を握る手に力を込め、地面を蹴った。
足を動かし、低く構えて、鋭く攻撃を繰り出していく。
レテウスの目は気迫に満ち、ヘイリーを鋭く捕らえて離さない。
すべての攻撃が避けられ、打ち返され、戦いの場は少しずつ後ろへ下がっていく。
レテウスの剣は重く、速さもかなりのもので、とうとう腕にきつい一発を入れられて、剣が落ちる音が響いた。
「怒り顔の勝ちだ!」
勝負がついて、若者たちが歓声をあげる。
勝者となったレテウスはヘイリーに手を差し伸べ、良い戦いだったと微笑んでいた。
「なあ、おい、手を抜いてないだろうな」
「それならもっと早く決着が着いたはずだ」
フオールードはにやりと笑っているが、まいったなと呟いている。
「あいつ、強すぎないか」
小さく頷くヘイリーに、屋敷で暮らす若者は更に、こう漏らした。
「ウィルフレドっておっさんはあれよりも強いんだろ。どうなってるんだよ、まったく」
痛む腕をさすりながら、ヘイリーはレイラインを案内した日を思い出していた。
ブルノー・ルディスについて問われ、否定していた姿を。
訓練の時間は終わり、二人はまっすぐに調査団に戻って、遅い昼食を取っている。
ガランはヘイリーの剣の腕を褒め、その後にこんなことを呟いていた。
「レテウス様の印象が随分変わったように思います」
資料室には相変わらず二人だけ。食後のお茶を飲みながら、助手の男はそう考えた理由を明かしてくれた。
「迷宮都市へいらした時、ここに何日か滞在されたのですが……。まだお若いのに随分と偉そうだと思ってしまいまして」
思わず笑みを漏らしたヘイリーに、助手の男も笑い声をあげている。
「ですが、今日はとても立派に見えました。武人の立場になると、振る舞いも変わるものなのですね」
バロット家は武人の家系だから、自然とそうなるのかもしれない。
けれど、それだけではないのだろうとヘイリーは考えていた。
レイラインが放った鋭い言葉の数々は、王都でも噂されていたものだ。
バロット家の三男坊はだらしない女好きの考えなしだと。
一方で、二人の兄に勝る程の剣の腕があるとも言われていた。
馬と剣に関しては、同年代では一番だと言う者も少なくなかった。
迷宮都市での粗末な貸家暮らしを不思議に思っていたけれど。
今ならば理解できる。
レテウスは今、自らの望む道の上に立っている。
ひたすらに強さを求め、目指すべきものを見出し、歩き出したのだろう。
青い瞳に浮かべた輝きを思い出し、ヘイリーは心を決めていた。
「二つ、伝えなければならない話がある」
「私にですか?」
戦い方は相手に合わせ、柔軟に変えていかなければならない。
やれることはすべてやるのだと決意を強くしながら、口を開いた。
「ホーナーから手紙が届いた。王都で流れたチェニーの噂について調査をし、報告書にまとめたものだ」
ホーナー・アビーユは義理堅い男だったようで、かなりの大人数に聞き込みをして、チェニー・ダングの噂話について調べてくれていた。
どんな話を誰から、どこで聞いたのか?
報告書にはいくつかの店の名前、日付、噂の内容、どんな風貌の人間に声をかけられたかが細やかに記されている。
文章はかなりの量だが、「噂の出処」には明らかに共通点があった。
場所は酒場で、まずは兵士かどうか声を掛けられる。
あんた、チェニー・ダングを知っているかい。王都で採用されたのに、迷宮都市へ派遣された女兵士を。
声を掛けてきたのはごく普通の町人らしき若者で、あちこちの店で何日もかけ、兵士たちに女兵士の醜聞をまき散らしていたと綴られている。
「兵士を狙って話しかけていたのは間違いない。その後、騎士にも広まっていった。俺の妹だと知っている者が多くいて、自然とそうなったのだろう」
ヘイリーの呟きに、ガランは答えない。
報告書に目を向けたまま、悲しい顔をして口を閉ざしている。
「ホーナーは噂をばら撒いていた張本人を探そうとしてくれているようだが」
おそらく、見つけ出すことはできないだろう。
あれから時間が経っているし、仕事を終えた後も王都に残っているとは思えないから。
「今日、ギアノ・グリアドから話を聞くことができた」
「私が出た後ですか」
「ああ。俺を気遣って、最後まで伏せていてくれた話だ」
デルフィ・カージンを取り戻す計画を実行するには、五人組から弾かれるわけにはいかない。
だから、チェニーはベリオ・アッジに体を許した。
パーティに居残り、「橙」の迷宮の二十一層目に辿り着き、予定通りに二人の探索者を罠にかけ、殺した。
「噂の内容は誇張されていたものの、真実ではあった」
ガランは唇を震わせ、慰めの言葉を口にしていく。
「その、……真実とは言えないのではありませんか」
「チェニーにとっては真実そのものだよ。女を利用することを厭わず、二人の男を殺し、剣を奪ったのだから」
息を鋭く吐き出し、ヘイリーは助手へと目を向ける。
「まったく、見事なものだ」
「見事?」
「そう思わないか、ガラン。ベリオ・アッジを悪人だと信じ込ませ、殺すしかないと決意させ、無関係の探索者を巻き込んでまで実行したチェニーを、あっさりと切り捨てて」
王都に戻ったことも把握して、わざわざ悪い噂を流し、自死に追い込んでみせた。
家族まで巻き込んだことが最後の引き金になったし、チェニーの死はダング家まで崩壊させている。
「俺と両親まで苦しめた。いや、まだ苦しみ続けている。あの男にとってはさぞ愉快なことだろう」
自分の振りまいた不幸の種が芽を出し、とうとう大輪の花を咲かせている。
そこに風を吹かせて、更なる種が振りまかれる様を見たいと考えていてもおかしくはない。
腹立たしくて堪らないが、怒りに任せてはあの男の思惑通りになってしまう。
怒りや復讐心を今は捨てて、ジマシュ・カレートの望みを叶えないよう慎重に歩いていくしかない。
「あの男をなんとかしなければならないが、捕らえるには理由がいるし、捕らえたところでここではどうにも出来ない。裁きも罰も、迷宮都市では下せない。だから今は、目的を変える。捕らえるのではなく、封じ込める」
「封じるとは、どうするのです、ダング調査官」
「孤立させるんだ。既に仲間がいるのなら、引き離す」
ニーロの家を訪ねた時、留守番をしていたノーアンにこんな話をされている。
上手く操れる人間しか狙わない。自分のやり方が通じない相手とは絶対にやり合わないのだと。
フェリクスが声をかけられたのは、明らかに迷宮都市へ来たばかりだとわかったからだ。
だが、うまく言いくるめられないと判断し、その後は接触していない。
商人の死を共有することで弱味にしたつもりだっただろうが、フェリクスは正直に自分の非を打ち明けられる人間だった。
「黒」で起きた事件には、都合よく操れる手下が関わっていない。
ジマシュが「いつものやり方」が出来なかったケースだと考えるべきで、ヘイリーに新たな気付きをもたらしていた。
「ジマシュ・カレートは恐るべき巨悪などではない。姑息なやり方しかできない小物なんだ」
他人に罪を着せられず、言い逃れが出来なくなれば、ぼろを出すようになるだろう。
すべて口に出し、ガランに聞かせていく。
自分一人で見聞きした情報がまだあるのではないか、ヘイリーは記憶を探っていった。
「ピエルナという女性探索者の話はまだしていなかったか」
「初めて聞く名です」
「魔術師ニーロがかつて組んでいた戦士で、三年前から行方がわかっていないらしい」
魔術師が打ち明けてくれた話を、なるべく正確に思い出していく。
良い人が出来たようなのに友人に教えず、身籠っていたかもしれないのに、姿を消してしまった。
既に死んでしまったと考えているのに、ニーロはかつての仲間の行方を丁寧に探っているようだった。
「そのピエルナという女性の話、チェニー調査官と似ていますね」
「そう思うか」
恋愛感情を利用して、深く深く取り込んで、他人に話さないよう厳しく命じていたとしか思えない。
ガランの見解は、ヘイリーとほとんど同じになったようだ。
「その身籠っていたという話が、本当だったとしたら」
自分の子供ですら不幸にしたいと考えているのですね。
ガランは青い顔をしてこう呟き、大地の女神へ祈りを捧げている。
「これ以上犠牲を出さないようにするには、協力者がいる」
調査団の面々は元は兵士や騎士であった人間で、迷宮都市の中では浮きやすい。
外部の人間に力を貸してもらうべきだと話すヘイリーに、ガランは首を傾げてみせた。
「どなたか、心当たりが?」
ゆっくりと頷き、調査団員は自らの考えを助手に明かしていった。
二人は資料室で膝を突き合わせ、より良いやり方を導き出す為に、長い時間かけて言葉を交わし、明日からの計画を決めていく。
夜もすっかり更けた頃、作戦会議はようやく終わった。
長い間話した甲斐があり、最後にもうひとつ気付いたことがあって、調査官はひとり、廊下を進んでいく。
「調子はどうかな」
ヌエルの部屋に辿り着き、呼びかける。
今日も青い顔をした男へ、囁くように、ヘイリーは告げた。
「君の抱えているものがわかったよ」
常識に囚われていたから、気付かなかった。
目の前の男がどうして、そこまでジマシュ・カレートへ尽くすのか。
「君もチェニーと同じように、優しく扱われたことがあったのかな」
明らかに動揺を見せているが、ヌエルは唇を噛んで、話し出す気配がない。
もう一押し。揺れているのなら、待つだけだ。
愛する男と大切な友を天秤にかけたら、どちらに傾くか。
「……話したいことが出来たら、いつでも呼んでくれ」
男に聞かせるようにマージの名を呟き、魂が癒されるように祈りを捧げていく。
友情のかけらが放つ輝きが、良心の方へ傾かせてくれますように。
最後に心の奥で女神にこう願いながら、ヘイリー・ダングは自分の部屋へと戻っていった。




